プラモデルはやっぱりオモシロイ Vol. 2 HONDA F1 RA273
2020年5月24日
今の時期、家にいて何する? そんなときプラモデルは良好な時間を与えてくれる
STAY HOME
新型コロナが全世界で猛威をふるう中、「STAY HOME」が世の中の共通語になっていて、このような駄文が読んでいただく方々のストレス解消の一助となれば幸いに思う。いろいろと大変なことも多いと思うし、ストレスもたまっているかもしれない。そんなときに自分が熱中出来る好きなことのひとつにプラモデル作りが入ればうれしいと、プラモデルマニア(オタク)として素直に思う。ぜひトライしてみてほしい。
塗装テクニック(デカールの貼り方)
今回は、デカールの貼り方と塗装のテクニックから始めたい。デカールを貼るのは苦手だという方は結構いらっしゃるのではないかと思う。作業中にデカールが破れてしまう、貼り付け面にデカールが馴染まない等の問題があり、悩ましい想いをされておられる方もいるのではないかと推測する。
特にクルマのプラモデルのデカール貼り付けの失敗は目立つので、上手に仕上げたい。せっかく苦労してプラモデルを組み立てて、完成間近という時にデカールが破れるのは失望以外の何物でもないからだ。
以下に私の作業方法を紹介したいが、この方法はデカールを痛める可能性もあるので、各自の判断で、このやり方を採用するかどうか、参考にしてもらえれば幸いだ。
まず、ボディへの貼り付けを例示してみよう。具体的な順番は以下の通り。
①ボディカラー塗装後にコンパウンドでボディを磨き、クリヤー塗装を1回おこなう。ボディをじゅうぶんに乾燥させた後、デカール貼りをおこなう作業に入る。
②デカールを水に浸けて、デカールが台紙から簡単に外せるようになったら、デカールを台紙ごと貼り付け位置にあわせる。ちなみに、デカールが台紙から外せる時間は、そのデカールが新しいものか旧いものかによって異なるので、台紙から簡単に外せるかどうか、触って確かめるしかない。
そして、デカールが乾いてしまわないうちに、水で濡らした指でデカールを押さえながら、ピンセットで台紙をずらして外すのである。この際大事なことは、乾いた指でデカールを触らないことだ。乾いたままだと指にデカールが貼り付いてしまうのだ。そのために、指は水で湿らしておこう。
③ピンセット等でデカールの位置を調整して貼り付け位置を確定させたらその位置にデカールを固定し、多少水で濡らした綿棒でデカールの水分を吸い取る。その後2~3分程度乾燥させたら、「マークフィット」(デカール軟化剤)をデカール上に塗り、綿棒を回転させる要領でデカールの内側の気泡を押し出しながら水分を取る。
④デカールが完全に乾燥したら(最低でも1~2時間を要するのでその間は我慢して触らないことが肝要)、クリヤー塗装を2回程度おこなう。
マークフィットの使用により、曲面にも馴染み、またデカール上にクリヤー塗装をすることで、デカール保護にもなるという特典がある。クリヤー塗装にわたしはタミヤカラースプレーを好んで使っています。
今回ご紹介するプラモデル
今回はタミヤ製の「HONDA F-1」をご紹介したい。このキットは1967年11月に発売された。現在でも時々再版される名作だ。本当にたまに再版されるので、欲しい方はタミヤのホームページを時々チェックされたい。現在の価格はその都度異なる。たくさんの追加パーツが付いているときには1万円前後する。
当時から、参戦中のF1マシンを製品化させるタミヤのスピード感に驚かされるが、発売に至るまでには社内において相当の決断力と苦労があったようである。1967年当時、タミヤはスロットカー用ボディを販売している頃で、本格的なスケールカープラモデルは、本作がタミヤの処女作といえるのではないかと考えられる。私にはこの頃のホンダとタミヤに共通性があるように思える。ご存知の通りホンダは四輪車の販売実績もないままF1に殴り込みをかけるという暴挙とも思える所業にうってでた。つまり両社とも無謀とも思える大難関に挑戦した感がある。
本キットも発売当時はモータライズされていた(動かせるようになっていた)。当時のプラモデルはゼンマイかモーターによる可動モデルが一般的だったが故のモータライズ仕様である。最近、当時のタミヤのスタッフによる裏話が公表されていたが、「モータライズ仕様であったHONDA F-1の初版は少し動きました」とある。その後の再販版ではモータライズは廃止された。
わたしはこれまでに数多くのタミヤ製品を購入し作成してきたが、それらの中でも一番感銘を受けたのが本キットである。50年以上前のプラモデルでありながら、バリ(加工面に生じた不要な突起)はなく、パーツ通しの合いも完璧だ。したがって、ストレスを感じることもなく完成させられたのは、現在の「タミヤスタンダード」と同様である。
社運を賭けたといってもよい本キットの設計を、タミヤの上層部は、当時、入社2年目で20歳の若手社員に託したそうである。当時のマーケット状況を考えれば、本キットが〝売れる″という保証はなく、発売に踏み切ったというタミヤの英断は、いまでこそ正解であったといえるだろうが、その頃は大きな賭けであったことは言うまでもなく、スタッフたちは相当悩みぬいたのではかと想像できる。
そんなことも念頭に本キットを作成したが、完成後は見えなくなる部分にまで正確に再現した設計開発スタッフのこだわりは感動ものであった。
最後に、以前、ホンダコレクションホールの関係者からうかがった、この車に関する印象的なエピソードを披露したい。ホンダコレクションホールに現在展示されているRA273(実車)をフルレストアする際に、ボディの真横を走る黒っぽいラインの正確なカラーが、ホンダ社内に残っているさまざまな資料で探しても判明しなかったのだという。そこでタミヤにも問い合わせたそうだ。それほどまでにタミヤ製品のクオリティは高く評価され、信頼されていたという証拠だと言えよう。
世界に誇れる日本のタミヤ
今回は「世界のタミヤ」の「HONDA F-1」を採り上げて紹介させていただいたが、正直に言えば多少気が引けたのも事実だ。なぜなら前回(初回)は、「SMER」というあまり馴染みのないメーカー(失礼!)のキットを採り上げたので、今回もまたマイナーなメーカーのキットを紹介しようと考えていたからである。しかし今後も各メーカー製のキットを紹介させていただくとしたら、タミヤは絶対に外せない存在だと考え、紹介させていただいた次第だ。今後のタミヤにはこれまで製品にしてこなかった戦前のモデルなどにもぜひ進出してもらいたいと切に願っている。50年以上も前にあまり知られてなかった「HONDA F-1」をモデル化したように。
話は多少脱線するが、数年前にタミヤ本社のショールーム見学に訪れた事がある。そこにはタミヤがプラモデルを商品化する以前に扱っていたソリッドモデル(60年前の素朴な木製模型)から最近のプラモデルまでが完成品で展示されている。夢見心地で数多くの模型を観賞した。ただ数車種のクルマのソリッドモデルが展示されていたが、私には車種の判別出来ずどれも同じに見えた(タミヤにもこんな時代があったのね)。
Text & photo: 桐生呂目男