【80年代のイタリア車とフランス車】パート2 不朽のデザイン アバンギャルドなシックさ 夢のスーパースポーツカー 夢の80年代
2023年5月16日
80年代のクルマたち:イタリア人とフランス人。チャーミングなものから熱血漢まで。戦前からの不朽のデザイン、アバンギャルドなシックさ、ハイテクなスーパースポーツカーなど、フランスとイタリアという自動車の小宇宙は、1980年代もあらゆるジャンルの車を提供していた。
1988年8月14日、エンツォ フェラーリが、モデナで90歳の生涯を閉じる。イタリアは家長を悼み、フェラーリ クラシックの価格は突如として高騰した。エンツォ フェラーリは、最後の記念碑を作ることを忘れなかった。1987年、フェラーリは、当時、世界最速の市販スポーツカーを発表した。最高速度は324km/hに達し、478馬力のV8ツインターボエンジンを搭載していた。そしてフェラーリは、世界中のフェラーリファンからの大要望に応じて、当初予定していた限定生産を取りやめる。スポーツカーメーカーは、1,031台の「F40」を、444,000ドイツマルク(約3,360万円)の価格で、ロイヤルカスタマー(大得意様)に配布。1989年、バブル崩壊直前、モナコで「F40」が270万マルク(2億円超)で取引された(フェラーリバブルと呼ばれた)。
フランスの80年代の車は「プジョー205」だ。小さなライオンは、新鮮な香りのバゲットのように売れ、海外にもたくさん輸出された。ドイツ人も大好きだった。「VWポロ」と「ゴルフ」の中間に位置するこの車は、クラスレスの勝者となった。しかし、その10年のちには、世界で2番目に古い自動車メーカーは、悪い方向に向かっていた。小型車として期待された、「プジョー104」は大失敗し、仏ソショーにある本社は大赤字だった。しかし、「205」は、すぐにその失敗を忘れさせてくれる。
フィアット パンダ
イタリア勢も、かつての得意分野であった、「個性の強い小型車」の実力を発揮していた。1980年、フィアットは「パンダ」を発表した。この賢い箱は、ナポリ、ミラノ、ローマといった、いまやクルマで溢れんばかりの都心にふさわしい車であった。かわいい、ぽっちゃりしたタケノコとは対照的に、小さなフィアットは、自動車の最小限のサイズにスリム化されていた。とはいえ、禁欲的な人でなくても、気に入るはずだ。18馬力のリアエンジンの祖先である、「500ヌオーヴァ」に比べれば、「パンダ」の30馬力や45馬力は、ほとんどスポーティモータリングだ。
ルノーR4:
フランスでは、「シトロエン2CV」や「ルノーR4」が国民的な神社になって久しい。イタリアでは、「フィアット500ヌオーヴァ」の精神が「126」に息づいている。この3台は、手頃な価格で、丈夫で、修理が簡単なため、今でも売れている。ドイツでは、キャンパスの駐車場を埋め尽くし、古ぼけたドイツ車に乗りたくない人たちを喜ばせている。しかし、しかし「パンダ」のような現代的な「ミジェット」は、もはやその役割を終えている。
ランチア テーマ8.32: フェラーリの心臓を持つランチア
そして1980年代にはいつも、「デルタ インテグラーレ」と「テーマ8.32」のように、古いランチア愛好家の憧れのため息を誘った。しかし、それは、フェラーリV8を搭載しているに過ぎない。バチカンがマラネロに引っ越してきたような気分だ。目をつぶって80年代を夢見たほうがいい。テクノロジーを愛する2つの国の多様なクルマの世界を、以下、フォトギャラリーとともにお楽しみあれ!
フランスとイタリアの80年代のクルマたち パート2
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