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【80年代のドイツ車物語】写真で振り返る80年代のドイツ車×80台超! アウディ、BMW、ベンツ、ポルシェ、VW等勢ぞろい! 後編

2023年5月8日

80年代は夢にあふれていた。カルトなドイツ車はこれらだ!80年代のドイツ車たち。派手なネオンの10年間で、アウディ クワトロ、BMW M3(E30)、オペル カデットGSiなどクールなタイプが登場した。ここでは、80年代のドイツ車を紹介する!理屈抜きで楽しんで!どんどん懐かしんで!

多くのクルマ好きにとって、80年代は最高のドイツ車が作られた10年である。例えば、VWゴルフ2の特別仕様車のように、多くの「ブレッド アンド バター」車が記憶に残っている。

その頃、ドイツのメーカーは、荒削りなタイプで、技術的に革新的な、かっこいいクルマをたくさん出していた。アウディは四輪駆動で世界のラリートラックを席捲し、初代「クワトロ」でオンロード四輪駆動車のカテゴリーを確立した。

メルセデス190: ベビーベンツは大成功だった

コンパクトでスポーティ: 190(W201)は、従来のメルセデスの慣習にとらわれず開発され、成功を収めた。

メルセデスは1980年代にも伝説的なクルマを作った: 「190(W201)」は、初のスター付きコンパクトカーだった。当初、保守的なメルセデスのドライバーたちは、ベビーベンツを卑下した。しかしベビーベンツは大成功をおさめ、1993年までに180万台の「190」が製造され、その多くが今も現役で走っている。

「BMW 750iL」。メルセデスがV12をSクラスに搭載するまでに、この後4年の歳月を必要とした。

ミュンヘンのメーカーも同様に野心的で、BMWの4気筒モデルのはるか上のクラスで、新しいフラッグシップを構想したのである。戦後初の12気筒エンジンを搭載した「BMW 750iL」は「メルセデスSクラス」から顧客を奪い取るはずだった。

80年代のカッコいいドイツ車たち(後編) オペル、ポルシェ、トラバント、VW

Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD
オペルも1982年に小型車クラスに参入した。小型のオペル コルサは、すぐにラインナップの常連となった。保守派には、その後、オペル コルサTRと呼ばれる角張ったノッチバックが登場した。1983年、2ドアバージョンが発売され、2年後には4ドアと5ドアバージョンが発売された。
大林晃平: フォードのエントリーモデルにして、最販売車種のコルサ(この後、日本で発売した時には「コルサ」という名前がトヨタによって登録されていて、ターセル コルサ カローラⅡ3兄弟として販売されていたため、ヴィータと改名を余儀なくされた)、3ドアハッチバックの印象が強く、上掲の写真のような2ドアクーペ(というか、2ドアセダン)は、印象に薄い。だが一昔前は、カローラ(FR時代)にも2ドアセダンは存在していたし、こういう小さなフォードのモデルであっても、トランクを必要とし、希望する顧客がいたということである。特にヨーロッパでは、盗難の関係上、荷物が外部から見えてしまうハッチバックを敬遠する人がこのころは多かった。簡易で使いやすそうな燃料キャップ丸出しの仕上げにもご注目。また、黒いバンパーから連続した処理のサイドプロテクトモールの処理も実用本位で好ましい。
Photo: Groupe PSA
1989年、オペルはゴールデンスラムを獲得したシュティフィ グラフの名を冠した特別モデル「コルサ シュティフィ」を販売した。
大林晃平: ホイールとグリルを真っ白に塗り、内装も白で統一したコルサ シュティフィ。シュティフィ グラフを知らない方のためにちょっとだけ解説すると、ボリス ベッカーとともにドイツテニス界の黄金期を描いたスター選手。1969年生まれ(意外とまだ若い)で、配偶者はアンドレ アガシである。ボンネットの上に乗っかっているのがシュティフィ グラフ本人だが、ルックスについては・・・。まあコメントをひかえたい(ってあくまでも自動車のハナシですよ、自動車の)。
Photo: Werk
3ドア、5ドア、ノッチバック、エステート、コンバーチブル、バン、パネルバンなど、1984年以降のオペル カデットEには、幅広いボディワークが存在した。エンジンは、ガソリンとディーゼルの両方が存在した。
大林晃平: カデットのライバルはもちろんゴルフ。当然、ゴルフのラインナップに応じたボディバリエーションが用意された。写真のモデルは、エステート(最上級のGLSのため、フォグランプが装備されている)で、直線基本で実用本位のスタイルは好感が持てる。またカーゴルームも広くて使いやすそうだ。ブラックウインドーでないこともスカッと爽やかに気持ち良い。なお、このころのオペルでは、もちろん日本人デザイナーの児玉氏がデザインに関わっていて、指揮を執っていた。ブラウンあたりの電気製品を連想させるホイールキャップが洒落ている。
Photo: Werk
80年代のスポーティコンパクトは、16バルブがすべての物差しだった。1988年、オペルはカデットE GSi 16 Vを世に送り出した。150馬力のパワーで、宿敵ゴルフGTIを明らかに上回るパフォーマンス(0-100km/h:8.0秒、最高速度:217km/h)であった。
大林晃平: 質実剛健だった(はず)のオペルも、80年代になると一気にスタイリッシュに変貌する。このスタイルも空気抵抗を重視したものであると同時に、かなりの猫背のためスペースユーティリティよりも、スタイルを優先させたものであることは一目瞭然である。写真はGSi 16Vだが、フロントノーズのオペルエンブレムがステッカー仕上げであることに注目してほしい(おそらく空気抵抗軽減のため。その一方でフロントグリルのGSiのロゴはプラスチックパーツだが)。どことなくアルマジロを連想するルックスだが、妙に凝りすぎてうねったラインなどがないため、全体的なスタイルはすごくプレーンに見える。
Photo: Sven Krieger / AUTO BILD
アスコナCの登場により、オペルはミッドサイズクラスで後輪駆動に別れを告げた。1981年から1988年にかけて、オペルは170万台のアスコナを2ドア、4ドアのノッチバックとハッチバックとして製造した。
大林晃平: アスコナもFFとなり、写真のようなローバー3500風な5ドアハッチバックモデルもヨーロッパではかなりのヒットとなった。実力のある良い実用車ではあったが、残念ながらというか、案の定というべきか、日本には導入されることはなかった(まあ日本にこのアスコナ5ドアハッチバックを正規輸入しても、数多く売れたかというと、ビミョーではあるが)。それにしてもエンブレムを隠してしまうと、どこのなんて名前の車か?という上級なぞなぞの問題になりそうな一台である。
Photo: Roman Raetzke
1980年代末、リュッセルスハイムはオペルのラインナップのネーミングを変更した。カデットEはアストラFに、アスコナCはベクトラDになった。ベクトラは1988年当初はノッチバックのみで、1989年にはハッチバックのバリエーションも用意された。
大林晃平: 日本でもけっこう見かけたベクトラ。兄弟車も存在し、サーブ9-3とは異母兄弟という部分が、サーブの生粋なエンスージャストには受け入れられなかったため、9-3は残念ながら、かつての900のような人気者にはなれなかった・・・。って、単なる偏見じゃんねぇ。それはさておき、ベクトラはこけおどしの抑揚などを持たないためボディにも大きな特徴はないが、フラッシュサーフェイスのボディの仕上げはなかなかよさそう。ライバルはアウディ80であることはもちろんだが、この時代にはニッサン プリメーラなども好敵手であった。
Photo: Rathenower-Mobile
1982年、オペルはレコルドを時代の流れに適合させた。クロームメッキのバンパーは過去のものとなり、近代的なプラスチック製バンパーに変わり、インテリアもよりモダンなものになった。さらに、新世代のエンジンがレコルドE2で初めて採用された。
大林晃平: 地味な実用本位の4ドアセダンとは?このオペル レコルドのような車のことだ!よくよく見れば、Cピラーの三角窓風な処理やスラントノーズなど、かなり頑張った形跡は見られるものの、地味な自動車というイメージはぬぐい切れない。一番似合っている用途は・・・? 私服警官用の覆面パトカーとか、区役所の(区長用の)公用車とか、だろうか。写真のそっけないプラスチックのホイールキャップが標準だが、このころはアルミホイールがまだまだ特別な装備であったことを意味する。
Photo: Thomas Ruddies
レコルドの後継車は1986年のオペル オメガである。低いCd値と優れたエンジンにより、リュッセルスハイムの新しいミドルクラスは、良好な走行性能と経済的な燃費を誇った。
Photo: Markus Heimbach
そしてついに1989年のジュネーブモーターショーで、オペルはロータスとのコラボレーションで誕生したロータス オメガを公開した。希少なトップモデルのボンネットには、377馬力の3.6リッター直列6気筒ツインターボエンジンが搭載されていた。
大林晃平: オペル オメガは大柄な体躯を持っていたこともあり、たっぷりした居住空間を持つ実用車である。その中でもロータスとのコラボレーションである、ロータス オメガは希少車であるが、なぜにロータスとオペル(?)とミスマッチングをいぶかる人が多いかもしれない。だがロータスとオペルは、両方ともGM系列なので、ぜんぜん不思議ではないコラボレーションなのである(そういう意味では、いすゞとロータスのコラボレーション企画も納得がいく)。そんなロータス オメガ、内外装とも実に控えめで、内装もコノリーレザーが使われていることと(それもカラーは地味なブラックのみ)、モモのステアリングホイールの中央部分に小さくロータスと表記されているだけだった。
Photo: Walter Tillmann
1987年、オペルは最後にもう一度、大きな車を小さなお金で買うという哲学に踏み込んだ。だが競合他車が優位に立ち、オペル セネターの影は薄かった。1993年、オペルがラグジュアリークラスへの希望をすべて葬り去ったことにより、セネターの後継車が生まれることはなくなった。
大林晃平: オペル セネター、地味だし、知っている人は少ないかもしれないが、実はわが国にも、東邦モータースが正規輸入し、600万円以上で販売された。だがメルセデス・ベンツEクラスやBMW 5シリーズではなく、あえてこちらを選ぶという顧客が日本には少数だったため、総輸入台数も推して知るべし、である。なお、どうでもよいワンポイント知識ながら、写真に写っているセネターのリアランプは、ブリストル ブレニムのリアランプに採用された(ブリストル ブレニムという同姓同名は、飛行機にもあるのでわかりにくいが、もちろん車の話。ブリストル ブレニムは5.9リットルV8エンジンを持つ高級車である)
Photo: Christian Herb
モンツァのレース場でオペル モンツァを走らせようと思う人はいないだろう。180馬力のGSEでさえも。なぜなら、このハッチバックは、ロングドライブのためのGTでありたいと願っていたからだ。
大林晃平: モンツァなどという名称を付けられながらも、中身は普通のオペルのため、サーキット走行には不向きな一台(あたりまえ)。この写真からもわかるように、基本はスタイリッシュな実用車であり、日本ではスペシャリティーカー、アメリカではセクレタリーカーなどと呼ばれる範疇の自動車。だが実は高性能すぎず、さらっと乗れるお洒落な自動車というのは大切だと、妙に高性能でパツンパツンの足回りを持っている自動車ばかりの昨今、妙にこういう緩い一台が好ましく思えてしまう。フロント周りを隠してみると、妙にセリカXXを彷彿としてしまうのは私だけか・・・。
Photo: Roman Raetzke
オリジナルコンディションのオペル マンタBは希少となった。入手のチャンスを逃した?諦めて今すぐカリブラ ターボを手に入れよう!
大林晃平: マンタといっても松任谷正隆さんのニックネームではなく、エイのこと。写真のモデルは数少ないスポーティモデルだが、もっと普通のオペル モンツァの後継者にふさわしい、一般的なグレードが大多数を占める(マンタBは黒いボンネットが印象的であったが、コスメティックスな要素が強い)。なお、ラリーに1983年から出ていたマンタの正式名称は、オペル マンタ400グループBだった。
Photo: Sven Krieger / AUTO BILD
マンタ400exワークスは、ファイバーグラス強化プラスチック製のカッコイイボディを装って登場した。このラリー用マンタがFIAの認可を受けるために、オペルは275台を生産した。
Photo: Sven Krieger / AUTO BILD

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