【80年代のドイツ車物語】写真で振り返る80年代のドイツ車×80台超! アウディ、BMW、ベンツ、ポルシェ、VW等勢ぞろい! 前編
2023年5月7日

夢にあふれていた80年代のカルトなドイツ車はこれらだ!派手なネオンがまたたく10年間で、アウディ クワトロ、BMW M3(E30)、オペル カデットGSiなど、クールなタイプが登場した。ここでは、80年代のドイツ車を紹介する!理屈抜きで楽しんで!ただただ懐かしんで!
多くのクルマ好きにとって、80年代は最高のドイツ車が作られた10年である。例えば、VWゴルフ2の特別仕様車のように、多くの「ブレッド アンド バター」車が記憶に残っている。
その頃、ドイツのメーカーは、荒削りなタイプで、技術的に革新的な、かっこいいクルマをたくさん出していた。アウディは四輪駆動で世界のラリートラックを席捲し、初代「クワトロ」でオンロード四輪駆動車のカテゴリーを確立した。
ツッフェンハウゼンのエンジニアたちは、さらにワイルドになった。ポルシェは、技術的に可能なことをすべて「959」に詰め込み、テニスのスーパースター、ボリス ベッカーや、天才指揮者、ヘルベルト フォン カラヤンはスーパーポルシェ「959」に乗った。ポルシェは儲からなかったが、そのイメージは良かった。
メルセデス190: ベビーベンツは大成功だった

メルセデスは1980年代にも伝説的なクルマを作った: 「190(W201)」は、初のスター付きコンパクトカーだった。当初、保守的なメルセデスのドライバーたちは、ベビーベンツを卑下した。しかしベビーベンツは大成功をおさめ、1993年までに180万台の「190」が製造され、その多くが今も現役で走っている。

ミュンヘンのメーカーも同様に野心的で、BMWの4気筒モデルのはるか上のクラスで、新しいフラッグシップを構想したのである。戦後初の12気筒エンジンを搭載した「BMW 750iL」は「メルセデス Sクラス」から顧客を奪い取るはずだった。
80年代のカッコいいドイツ車たち アウディ、BMW、フォード、メルセデス・ベンツ


大林晃平: クアトロシステムを搭載した最初のモデルが、まさにこのビッククアトロ。今でもクアトロと聞くとこのモデルを連想してしまうほどインパクトが強かった。標準装備で「Don’t catch the Quattro in the snow」というステッカーさえリアウインドーについており、アウディの自信がうかがえる。そして、アウディ クアトロといえば、やはりカラヤン。カラヤンの愛車として有名だったのがクアトロであり、僕にとって、カラヤンといえば自家用ジェット機とSonyのオーディオと、このクアトロというイメージなのである。尚、ビッククアトロが欲しい方は、現在横浜市都筑区で、1,350万円のプライスタグをぶら下げて、後期モデルを発売中であります。
Photo: Christian Bittmann / AUTO BILD

大林晃平: アウディといえばやっぱりクアトロ、その中でもこのショートのクアトロは、このころの超高性能モデルの象徴のような存在である。もちろんショートにした理由はグループBに出るためで、こういう格好良さを捨てた化け物が、当時のラリーフィールドには数多く存在していたのである。素人的には、こんなチョロQのようなショートホイールベースでまっすぐ走るのか、と心配してしまうが、実際に運転した人によれば、爆発的な加速時でも、クアトロのおかげ?か、ちゃんと走ったそうである(当たり前だ!)。それに、実際には、ムートンみたいな熟練したラリードライバーが乗るのだから、余計な杞憂であったことは言うまでもない。
Photo: Toni Bader / AUTO BILD

Photo: Werk

大林晃平: 個人的に、とってもとっても好きだった一台。普通の格好をした、普通ではない実力の4輪駆動車、そんなスーパー実用車が、80クアトロだった。カーグラフィックでも、早期に一台を導入し、長期テストをしていたが、ちょっとしたアクシデントで、走行不能になり、長期テストの途中で引退を余儀なくされた時は、がっかりしたものである。
もちろんこのころのクアトロシステムには、マニュアルミッションのみの組み合わせだったが、あまりできの良くないATの載ったアウディだけが輸入されていた当時、マニュアルミッションのアウディセダン、という部分もポイントが高かった。写真はちょっと無茶をしている姿らしいが、本来はこういう風にお茶目に乗る車ではない。
Photo: Christian Bittmann


大林晃平: 空力特性に優れたボディを纏い、アウディが一挙にハイテクセダンの分野に躍進し始めたこの時代、80も丸っこく、つるんとしたフラッシュサーフェイスの形となった。それまでの角張ったデザインも、ドイツらしくて嫌いではないが、どちらが新時代らしいかと尋ねられたならば、やはりこちらの丸っこい方、だろう。とはいっても、中身的には3ATがついていたりして、進化の途中、ともいえるものだが、日本でも裕福な女性のお買い物車、というジャンルを構築し、メルセデス・ベンツ190Eや、BMW 318あたりと、販売合戦を繰り広げていた。ナショナル麻布スーパーの駐車場や、二子玉川高島屋あたりではよく見かけた風景だったことを思い出す。
Photo: Christian Bittmann / AUTO BILD

Photo: Aleksander Perkovic

大林晃平: アウディ100は当時世界最高値といわれた空気抵抗係数を持ち、フラッシュサーフェイスのボディと相まって、アウディのイメージを大きく変えていった。内容的には、弟モデルの80と同様に、古いオートマチックトランスミッションなど進化の途中ではあったが、5気筒エンジンやクアトロシステムなど、それまでのアウディのイメージを大きく変えるのに、この空力ボディが大きく貢献したことは明らかである。セダンも未来的で好きだったが、アバントの持つ先進的なスタイルは、ライバルのメルセデス・ベンツを田舎者に感じさせるほどスタイリッシュだった(上の写真の一台は、テールゲートの色がなぜかちぐはぐで、これではスタイリッシュさが台無し、であるが)。
なお、カーグラフィックのアウディ100の長期テスト担当者は笹目二郎氏で、理屈っぽい文章の笹目氏にはぴったりなチョイスだと、当時、妙に納得して読んだものである。(笑)

Photo: Thomas Ruddies

大林晃平: アウディのフラッグシップといえばやはりこのモデル(もちろん以前にはアウディ200もあったが、ターボを搭載しての高性能モデルであり、メルセデス・ベンツSクラスやBMW 7シリーズに対抗するにはマルチシリンダーが必須であったため、このV8からが本格的な挑戦状、といってよい)。ライバルに対しては、クアトロという、全天候型エクスプレスになるためのアドバンテージは完璧・・・だったはずだが、やはり100を忘れられないボディデザインがいけなかったのか、販売的には大苦戦。もっと大きく立派な専用ボディをまとって登場するまでは、V8とクアトロシステムの組み合わせであっても、なかなかメルセデス・ベンツSクラスの独壇場舞台には上がれなかった。日本では田中康夫氏が愛車として長年にわたり複数台を乗り継ぎ、自宅から成田空港(自分の海外旅行だけではなく、スッチーの彼女を迎えに行くために)までの所要時間をどれだけ短縮できるか、全開走行をしていたらしい(いい時代である)。だが無茶な運転が仇となり、複数台のアウディ200を廃車にしてしまい、そのたびに新車を買い替えていた。
Photo: Christian Bittmann

Photo: Roman Rätzke



大林晃平: 当時、3シリーズは「六本木のカローラ」とか、あまりにひどい言われようをしていたが、そんな失礼な比喩は無視してしまえば、実にシンプルで軽快で、ジャストサイズの一台である(これからしたら、今の3シリーズなど肥大化しすぎでさえある)。
そして我が国における、BMWの存在を一般化したのは、このE30があったから、と断言してもいい。エンジンは小さな4気筒から、シルキーシックスと表現された6気筒まで、数多くのバリエーションがあり、それに2ドア、4ドア、エステート、コンバーチブル(前期は、バウアーの製作したロールバーつき、後期はロールバーなし)と、ボディバリエーションも豊富。今でもたまにイベントなどで見かけると、大きさといい、シンプルなデザインといい、BMWはこうあるべきだよなぁ、とつい口走ってしまうのは、このころBMWにも、それに乗せる女の子にも縁がまったくなかった者のひがみである。
Photo: Werk

大林晃平: 3シリーズのiXは台数も少なく、珍車の範疇ではあるが、わが国でも雪の多い日本海側や東北地方のお医者さん・歯医者さんの間では、「BMWの4輪駆動」としてそれなりの数が売れていた。同じように、メルセデス・ベンツ4MATICもそれなりの数を販売していたが、トラブルが多く、結構な数のクレームがディーラーに舞い込み、セールスマンは頭を下げるのに苦労していたそうである。
上の写真の一台も、フロントホイールのアーチとのクリアランスが妙に大きいが、これが4輪駆動を見分けるポイントで、他にはバッチ以外にあまり見分けることができない・・・ほど、超高価格にも関わらずアンダーステートメントな一台だった。
Photo: BMW Group

Photo: Roman Raetzke

Photo: Roman Rätzke

大林晃平: BMW M3と聞いて連想するのは、やはりこのモデルではないだろうか。我が国において、「M」を普及させたのは、まさにこの時代のこのモデルからであったと思う。生産台数も20,000台弱と、それまでのMの数から考えると、けた違いに多い。それが今や、Mばかりか、Mスポーツとか、Mパッケージなど、その存在を誰もが知る時代なのだから驚くしかない。蛇足ながら、言うまでもなくこの時代のMは、マニュアルミッションのみ、であった。写真のようにDTMでも大活躍。レカロのステッカーと、ゴールドのBBSホイールが懐かしい。
Photo: Werk

大林晃平: その昔、デビューした当初は、M535iというネーミングが、M5、と単純明快?になったのがこのころ。それに伴って、生産台数も増え、高性能化もますます進んだ。とはいっても、マニュアルミッションで、286馬力の4ドアサルーンというのはインパクトが強く、超高性能セダンと聞いて連想したのは、このM5であった。そしてメルセデス・ベンツが500Eをデビューさせるまでは、圧倒的存在であったといってよい。ちなみにライバルの500Eは、オートマチックトランスミッションのみで、誰でも同じ性能が簡単に出せる(はず)といわれたのに対し、M5は、より硬派で運転技術が必要、という棲み分けと認識がなされ、当時のエンスーたちはデニーズなどで、夜な夜な、どちらを選ぶかのトークバトルをしていた。あなたなら、どちらを選びますか?
Photo: Christian Bittmann / AUTO BILD

大林晃平: メルセデス・ベンツW126の最大のライバルはやはりこのE32。内容的にもV12を一足早く搭載するなど、Sクラスを凌駕する性能を持っていたが、残念ながらV12の信頼性は低く、特に日本では、熱害のためコンピューター系のトラブルが多発した。東京都内の渋滞では、燃費も劣悪で、燃料タンクはあっという間に空になったという。なお、V12モデルはキドニーグリルの幅が大きいので、前からでも見分けがつく(アウトバーンでは、バックミラーの中にうつる姿で、どのモデルがせっついてきているのか、瞬時に判別できるかどうかが大切なのだろう)。蛇足ながら二玄社の渡辺社長が長期テスト車を兼ねて社長車として使っていたのが750で、掃除担当者はCG編集部の牧野女史であった(しょっちゅう壊れていて、信頼性に難あり、と堂々と書いてあった)
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD

Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD

Photo: Götz von Sternenfels / AUTO BILD

Photo: Christian Bittmann

大林晃平: あとにも先にも、こんな機構のドアを持つ車はこれだけ。開けたまま走行することもできるし、狭い駐車場で隣の車にドアをぶつける心配もない。だがサイドシルはかなり高いまま(ドアを収めるのだから当たり前だ)だし、ドアの機構が壊れ、開いたまま(あるいは閉まったまま)になってしまう例もあったと聞くので、やはりファッション重視のモデル。ごく少数ながらアルピナバージョンもあった。
Photo: Sven Krieger

大林晃平: 実はかなりの実力を持ち、デザインとしてもなかなかだと思うのだが、この8シリーズは、その人気を6シリーズのように博すことはできなかった。特にV12エンジンはトラブルの嵐で、ちゃんと12発が爆ぜず、片バンクになったり、リミッターが効いて、ぜんぜん回転があがらずアクセル踏んでも吹けなくなったりと、トラブルの山であったという。それにしても、このキドニーグリルの控えめな大きさ、今のBMWデザイナーに説教してあげたい。
Photo: Andreas Lindlahr
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