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【面白ストーリー】いつまで経っても色あせないベビーベンツ 40年前に生まれた大衆のためのメルセデス・ベンツ190のもう一つのエピソード

2023年3月7日

メルセデス190が誕生したのは今から40年前。「ベビーベンツ」は、メルセデスのユーザー層を広げ、身近なブランドとなった。販売台数が増えた影響でブレーメンには、この会社のために世界で最も近代的な自動車工場が建設された。

パパは旅行なんて夢にも思ってなかった。走り去るのを見送ることのみ。メルセデスであれば、場所は問わない。いつの日か、70年代の赤レンガのガレージにベンツも置かれるようになるだろうと夢見ていた。

何十年もの間、その星は遠い銀河系で輝き続けていたのだった。アッパークラスの人たちはみんなメルセデスに乗っていた。上司や大農家の主や、コンクリート工場を経営する隣人。そして、車で会社に向かう人もいた。我々の村から60km先のブレーメンへ。メルセデスで。そこで働いていた人たちは、よく稼いだと言われている。

私の父のような戦後の子供たちにとって、メルセデスは繁栄の証であり、経済の奇跡の証であった。バロック調の大きなリムジンには大男たちが座っていた。アデナウアー、ブラント、シュミット、コール(歴代ドイツ首相)。

強い絆: 工場の従業員は、自分たちの190をポスターで見せる。

そして、やってきたのが「ベビーベンツ」だ。突然、私の父のような労働者でも星に手が届くようになったのだ。しかし、ベース価格が26,000マルク(約190万円)弱と、ダイムラーは決して安くはない。我が家の「オペル レコードEルクサス」は、20,284マルク(約145万円)だった。

メルセデスのお客様で行列ができる

多くの人が知らないこと。新しいシュヴァーベン人は何でもできる。「190」の半数以上がブレーメンの生産ラインで生産された。新シリーズのために、世界で最も近代的な自動車工場がゼバルツブリュック地区に建設されたのだ。ロボットと一緒に!?人間工学に基づいたワークプレイスで!

1982年12月初旬、「ベビーベンツ」の最初の1,200台が全国ラリーの一環としてカーディーラーに到着すると、お客様の行列ができた。ベルリンのメルセデス支店の前では渋滞が発生し、午後にはすでに100台が売れたという。

現在のブレーメンのメルセデス工場にある旧ボルクヴァルト社のホールの前にて。カール ボルクヴァルトは、自分で木を植えたと言われている。

そして、当時のメディアは、「こんなことは、ドイツの自動車の歴史上、かつてなかったことだ」と報じている。「新型メルセデス190の走りは、あらゆる記録を塗り替える」。当時の調査によると、ドイツ人の33%がメルセデスに乗ってみたいと思っていたそうだ。実際には、7%にとどまった。つまり、これほどまでに新車の宣伝効果があったことは、おそらくそれ以来のことだろう。モータージャーナリストも「GTI感覚のメルセデス」と歓喜した。

2リッターの排気量から90馬力を発揮

さて、ハンブルグからブレーメンまでのA1号線を、2リッターの排気量から90馬力を得て110km/hで軽快に疾走する。そうなのだ。190は1,100kgと、史上最軽量のメルセデスだったのである。

クロームメッキのない、高いリア、クリアなライン。メルセデスのチーフデザイナー、ブルーノ サッコ(現在89歳)が大当たりを出した。

主婦のベアテ ユンガー(37歳)は、ミュンヘンでの試乗後、「素晴らしい、他のモデルほど大きくて重くない。駐車に最適、4ドアだから子供にも最適」と語ったという。

1983年、ディーゼルエンジン仕様が登場

当時の新型ベンツには、新しいものがたくさんあった。ダイムラー社で一般的だった足踏み式パーキングブレーキの代わりにハンドブレーキレバーを採用したのは、単に足元のスペースが十分でなかったからだ。また、精巧な「スペースステアリングリアアクスル」を搭載していた。そして、子どもの頃に夢中になったのは、特殊な機構を持つ1本だけのフロントガラスワイパーだ。正確には、レシプロ式ディスクワイパーと呼ばれる。

1983年にはディーゼルエンジン仕様の「190 D」が登場した。「ウィスパーディーゼル」だ。その音は、サスペンションシートと同じくらい、私の子供時代の一部となっている。

190の製造には、ロボットが使われていた。

「190」は、いわばクラスレスの最初のメルセデス・ベンツとなったのである。スペイン国王が直接見せてもらったそうだ。そして、若きサッカードイツ代表ローター マテウス(22)は、夜のヘルツォーゲンアウラッハで電柱にそれをぶつけてしまうのだ。

メルセデス190生産台数 1,879,629台

メルセデスのブレーメンでは、彼らは今でも「自分たちの190」を誇りに思っている。今、工場のあちこちには、社員が大切に育てている自分の標本を紹介するポスターが貼られている。当時、生産ラインにいた人たちの多くが、今もここで働いている。

「190」は、1982年から1993年にかけて、187万9,629台が生産された。それ以来、このシリーズは「Cクラス」と呼ばれている。現在では、もはや「ベビーベンツ」ではない。現行モデルは、先代モデルと比べて全長が約30cm、全幅が約15cm大きくなっている。

古くて新しい世界: ブレーメン工場の管理棟には190号機とEQEが並んでいる。

ドイツでは現在、メルセデスは主にSUVを販売している。最も成功したモデルは「GLK」と「GLC」と呼ばれている。「Cクラス」は4位にとどまっている(2021年統計)。今日、ブレーメンの工場内を歩いてみると、ハイライダーの、失礼、一部肥満気味の目立ちたがり屋のクルマの中に、クラシックなセダンを見つけるまで、本当に目を凝らす必要があった。

数年前、経験豊富な同僚に中古車を買うならどれがいいか聞いたところ、満場一致でメルセデスがいいと言われた。結局、2009年製の古い「C 180コンプレッサー」に決めたのだが、約2年後に処分してしまった。50ユーロ(約7千円)の損失で。

ちなみに、私の父はメルセデスを買ったことはない。仕事で1台だけ乗っていたが、ブレーメン製のメルセデス バンだった。荷台には緊急屠殺用の豚が乗っていた。少なくとも「190」と同じ工場から出荷されたベンツには違いない。

Text: Holger Karkheck
Photo: autobild.de