自動車史上もっとも美しいクルマ100台 Part3
2020年5月1日
デザイナー、歴史家、エキスパートで構成される国際審査員が、デザインを軸に、自動車史上、最高傑作車のリストを作成した。 さて、その美しく興味深い100台とは…。
第45位: BMW 328ミッレミリア
BMW開発部門の責任者であるルドルフ シュライヒャーとエンジニアのエルンスト ルーフは総統官邸に呼ばれ、アドルフ ヒトラーに面会し、その場で独裁者は1940年のミッレミリアでの勝利を命じた。ドライバーのフシュケ フォン ハンスタインとヴァルター バウワーは135psツーリング クーペを駆ってレースに臨み、優勝した。328ミッレミリアは基本的に1939年のル マンカーのボディをベースにしていた。アルミニマグネシウム合金を用いて、カロッツェリア トゥーリングによって作られたポンツーン形状のレースカーだった。
第44位: ファントム コルセア
ラスト ヘインズは、この極端にスムーズでラグジュアリーなクーペ、ファントム コルセアをデザインした。1936年より、コーチビルダー、ボーハム&シュワルツ社は、自社のコード810をベースに、この全長6m、全幅1.94mで、ホイールの隠れたアルミボディを製作した。バンパーは油圧式で、窓は非常に小さい。ラスト ヘインズは、このクルマを量産したかったが、1939年、友人のビュイックで事故に遭い亡くなった。
第43位: ウィリスMB
アメリカ陸軍軍用車。1940年当時、そこはデザイナーたちが腕をふるう場所ではなかった。彼らは戦争のためのクルマを作ることを求められた。一刻も早く。そこでウィリアム ビーズリー少佐は大まかなドラフトを描いた。求められたのは、全輪駆動、1.91m以下のホイールベース、フォールディングウィンドウ、300 kgの最大積載量だった。入札は135社に対して案内が送られたが、1社しか応じなかった。しかし、その結果、ジョイントベンチャーが誕生した。それがオリジナルのジープだ。
第42位: アルファロメオ ティーポ カラボ33
近未来的なウェッジシェイプに鋭いエッジ。カラボのことだ。1968年、ミウラを作ってからわずか2年後、ガンディーニはこのスタディを世に発表した。ちなみに、シザーズドアを採用した最初のクルマがこのカラボだ。後継モデル?カウンタック、エスプリ、M1だ。
第41位: フェラーリ330 P4クーペ
フェラーリは330PでフォードGT40と戦った。1967年、ピエロ ドロゴのデザインしたボディと新設計シリンダーブロック・シリンダーヘッド、そして吸気2、排気1の3バルブテクノロジーで、P4はデイトナで勝利する。
第40位: ロールスロイス レイス
ロールスロイスのデザインディレクター、ガイルス テイラーと彼のデザイナー仲間たちがこのクーペ版ゴーストのボディを作り上げた。レイスがデビューしたのは2013年。ゴーストよりホイールベースが18cm短いハッチバックボディで、スーサイドドア(前ヒンジの逆開きドア)が特徴だ。
第39位: ロータス エスプリ
そのデザインについてジウジアーロは「私たちの街に建築物をもたらした」と表現した。
第38位: ポルシェ356
1939年のベルリン‐ローマ車の後、エルヴィン コメンダは、フェルディナント ポルシェとの最初の生産型ポルシェのボディも開発した。
第37位: ポルシェ カレラGTS
ポルシェがこれまでに作った最も美しいフェラーリは904と呼ばれることになっていた。デザインを手がけたのはフェルディナント アレクサンダー ポルシェだ。
第36位: NSUローエイティ(Ro80)
Ro80は、デザイナー、クラウス ルーテのもっともお気に入りのモデルだ。
第35位: マセラティ カムシン
マルチェロ ガンディーニは問題を抱えていた。ベルトーネのデザイナーは、フラットなエンジンフードを望んでいたが、V8エンジンの全高が高すぎて収容できない。そこで当時マセラティのオーナーだったシトロエンが救いの手を差し伸べた。エンジンの前側に配置できるステアリングシステムを供給したのだった。カムシンのハイライトはガラスハッチを持つテールのデザインだ。
第34位: シトロエンSM
ロベール オプロンは、シトロエンSMで、彼のヘッドライトへの愛を極限まで追求した。ヘッドランプ6つ、そのうち2つは可動式で、6つすべてがガラスカバーの後ろ。
第33位: フォードGT40
フェラーリ330P4のライバル、GT40だ。エンツォ フェラーリにしっかりと見せつけるために、ヘンリー フォード2世は、レーシングカーコンストラクター、ローラのボス、エリック ブロードリーと契約し、ユージーン ボーディナットがデザインした。GT40は1966年のル マン24時間耐久レースを制した。
第32位: アストンマーティンDB9
この素晴らしいプロポーションの原点はイアン カラムにある。その後、彼の後継者であるヘンリック フィスカーはこのDB9をデザインするために膨大な時間を費やした。2人はそりが合わなかった。しかし眺めて愛でる我々にとってはどうでもいいことだ。
第31位: アストンマーティンDB5
もし「ゴールドフィンガー」や「サンダーボール作戦」でジェームズ ボンドが違ったことをやっていたら、DB5はここまで有名にはならなかっただろう。しかしそれでもいまだにとてもエレガントだ。基本的には、カロッツェリア トゥーリングのデザイナー、フェデリコ フォルメンティとビアンキ アンデルローニのデザインしたDB4のフェイスリフト版だが、見た目にはわからない新しいテクノロジーを採用している。
第30位: ブガッティ タイプ35
歴史上最初の、そしておそらく最も美しい、軽合金ホイールのスリムなレーシングカーは、馬蹄形グリルからテールエンドまでまっすぐに伸びたプロポーションを有している。タフで、信頼性も高く、速かったタイプ35は圧倒的な強さを示し、1924年から1000以上のレースで勝利を収めた。
第29位: ジャガーXKSS
ル マンでのレースから撤退した後、ジャガーは残ったDタイプの車体を開発部門に押し付けた。1956年にマルコム セイヤーの手によってデザインされたレーシングカーは、いくつかの修正を経て、公道を走れるスーパースポーツカーに変身した。17台が作成され、9台が1957年に工場の火事によって炎上した。
第28位: ファセルヴェガHK500
会社のボス(ファセル社を起こしたジャン ダニノ)がデザインとアビエーション(航空)についての興味と知識を持っていたら、どんなクルマを作るだろうか。彼の生んだモデル、HK500は、デザイナー、ジャック ブラスの手によって、1958年に最終的なかたちとなって完成した。
第27位: アルファロメオ ジュリエッタ スプリント ヴェローチェ
料理人が多くいすぎたら往々にしてスープが台無しになってしまう。しかし、ジュゼッペ スカルナーティ(アルファロメオ)が最初にデザインに着手し、マリオ ボアーノ(ギア)がアイデアを提供し、そしてフランコ スカリオーネ(ベルトーネ)が完成させたクルマはそうならなかった。ジュリエッタ スプリント ヴェローチェは、多くの人が買えるグラントゥーリズモの最初の1台だった。
第26位: アルファロメオ8C
戦前、8Cはモータースポーツにおけるトロフィーのすべてを独占した。戦後、8Cはビューティーコンテストでトロフィーを独占した。それは主にこの8C 2900B トゥーリング スーペルレッジェーラのようにカロッツェリア トゥーリングボディを身にまとっていたからだ。
第25位: チシタリア202
1947年、ジォヴァンニ サヴォヌッチが基本となる形を描いて、そのスケッチをバッティスタ ピニン ファリーナに渡した。この二人のデザイナーが創り上げたモデルは非常にモダンなものだった。統合されたフェンダー、ホイールの前の外側にフラッシュマウントされたヘッドライト、フラットなルーフとファストバック。ポルシェ356が生まれる前であり、チシタリアはそれ以降の実質的にすべてのグランツーリスモ、さらに乗用車一般を考えてもポンツーン型のすべてのクルマのテンプレートとなった。
第24位: ドラージュD8
1935年に倒産したドラージュをドライエが引き取った。そしてドラージュの名前を消し去ることをせず、D8を生産し続けた。ボディの一部はフランスのコーチビルダー、プルトゥにオーダーした。そこでデザイナーのジョルジュ ポーランがデザインしたのがドラージュD8-120 Sエアロ クーペだ。
第23位: アルファロメオ ジュリアTZ2
コーダトロンカ(ルーフラインが下がりきる前に垂直に近い角度で切り落としたテールの形状)が彼の人生を変えた。ザガートのデザイナー、エルコーレ スパーダは1961年にそのことを発見した。1965年から作られた全高たった1.06mのプラスティックボディのレーシングジュリア、TZ2にもそのテールは備わっていた。
第22位: ディーノ
ピニンファリーナのアルド ブロヴァローネのディーノ206GTスペチアーレ スタディを見て確信を得たフェラーリは、V6モデルのシリーズ生産化を決めた。フェラーリ初のミドエンジン ロードカーの誕生だ。1968年、ブロヴァローネの指揮下で、レオナルド フィオラヴァンティがそのシリーズ用モデルをデザインした。
第21位: アルファロメオ6C
戦前、アルファロメオは高級スポーティカーブランドだった。特に人気だったのはカロッツェリアのデザインしたボディをまとった6気筒の6Cモデルで、実質的にレース界を支配した。特に1929年は。写真はザガートのデザインした1930年のアルミボディ6C 1750グランスポルトだ。
第20位: ジャガーXJ
ジャガーの生みの親、サー ウィリアム ライオンズによって個人的にデザインされたサルーン(1968年のデビュー、写真は1973年のシリーズII)は、サルーンは、審美的で機械として美しい芸術作品として高い評価を受けた。ジャガーはその後40年間、基本的にその独創的なスタイリングを堅持し続けた。
第19位: シボレー コルベットC2
ゼネラルモーターズは、第1世代でコルベットをやめようと考えていた。しかし幸いなことに、デザインボスのビル ミッチェルは1959年にレーシングプロトタイプを1ドルで購入することに成功し、そのプロタイプをベースにラリー シノダとピーター ブロックとともに、スピードスターボディのスティングレー レーサーを創り上げた。 GMのボスがショーカーとしてそれを展示させたところ、多くの人々の賞賛を浴びた。それがコルベットC2の生まれたストーリーだ。
第18位: ホルヒ850
5リッターの大きなコンヴァーティブルは、1935年、ホルヒ8に取って代わり、メルセデス500 Kに対抗した。ホルヒ自身がプルマン リムジンとスポーツ コンヴァーティブル、プルマンコンヴァーティブルをデザインした。
第17位: ランチア アウレリアGT
史上初のグラントゥーリズモはチシタリアだった。しかし、B20として知られるランチア アウレリア クーペは、完璧に滑らかな車体側面のデザインとともに1950年にはGTの代名詞となった。ベルトラインにはねじれがなく、リアフェンダーが膨らんでいなかった。アウレリアGTはピニンファリーナの作品だった。世界初のV6と超近代的なシャシーを備えたテクノロジーが、B20の評判をさらにいっそう高めた。
第16位: ブガッティ タイプ41ロワイヤル
自動車メーカーがシャシー、エンジン、トランスミッションを製造し、コーチビルダーが車体製造を請け負う。これが、第二次世界大戦前の高級車製造の通常手順だった。しかしロワイヤルは特別だった。エットーレ ブガッティは、どのデザインが、気筒当たり3バルブストレート8エンジンを備えたリムジンのドレスとしてふさわしいかを自身で選び決定した。1931年、彼の息子、ジャンが“クーペ ナポレオン”をデザインした。翌年、彼のモデルをベースにした“クーペ・ドゥ・ヴィル”がパリで作られた。
第15位: フェラーリ275GTB
ピニンファリーナのデザインチーフ、フランチェスコ サロモーネは、ヒップが丸い最後の市販型フェラーリをデザインした。250の後継モデルは1964年に登場した。その一年後、275GTBはフェイスリフトを受け、より長く、フラットなノーズが与えられた(写真)。
第14位: タルボラーゴT150-C SS ‘グット ドー(ティアドロップ)’
ジュゼッペ フィゴニはコーチビルダーのフィゴニ エ ファラシ社のクリエイティブ部門長だった。アントニオ ラーゴが、タルボを復活されることのできるデザインを注文したとき、彼は丸みのあるグリルに、丸型のルーバーで覆ったヘッドランプ、それに水滴型のフェンダーを持つモデルをデザインした。フロントウィンドーは平板ガラスだったが、見事な流線型のスタイルとして完成されていた。
第13位: アストンマーティンDB4 GTザガート
DB4 GTは、レースでフェラーリ250 GT SWBを打ち負かすには重すぎた。 アストンマーティンは、1960年、ザガートに助けを求めた。エルコーレ スパーダ(当時22歳)は、クロームを多用せず、バンパーも、テールフィンもない滑らかなクルマを描いた。しかし非常に薄いアルミスキンモデルが完成するや、フェラーリは250 GTOを投入してきた。そして再び勝利を重ねた。
第12位: メルセデス500K
タイプS、SS、SSK、SSKLの「ホワイトエレファント」たちは、誇り高く、背が高く、力強く見えた。しかし、1934年2月以降、彼らは商用車のように見えたに違いない。なぜならメルセデス500K (W29)がこれらのロードレーサーたちをガレージの隅っこに追いやったからだ。
第11位: ランチア ストラトスHF
長い間沈黙を守ってきたガンディーニは、ストラトスのデザインが過小評価されているとの怒りを表明した。しかしそれはまったく的外れの非難だ。今回参加した審査員の多くがストラスのデザインを絶賛し、ストラトスへの愛を告白した。
第10位: アルファロメオ ティーポ33 ストラダーレ
レーシングカーのように見えるが、ストリートスポーツカーだ。“ほとんど”と付け加えよう。ベースはサーキット用のティーポ33だからだ。フランコ スカリオーネは、1967年、ストリートバージョン33のデザインに、多くのモータースポーツの要素を流用した。ちなみに、アルファロメオ カラボ(ガンディーニ作)も33ストラダーレのシャシー上に構築された。
第9位: フェラーリ250GTO
これまたストリート合法レーシングカー。ジオット ビッザリーニはピサ大学の風洞を使って、今までにはないクルマの研究開発を進めていた。彼が1961年に大学を去ったあとで、マウロ フォルギエーリとセルジオ スカリエッティがそのプロジェクトを引き継いだ。
第8位: ブガッティ タイプ57
1934年、ジャン ブガッティとジョセフ ウォルターはベストセラーとなった彼らの作品を世に送り出した。エアプレーンスタイルを身にまとうアトランティックとして有名なモデルだ。
第7位: BMW 507
マックス ホフマンはBMWにアルブレヒト フォン ゲルツを招聘した。507は、「私がコントロールできなかった意識の一部から生まれた形」だと後にゲルツは語っている。かのエルビス プレスリーをも虜にしたモデルだ。
第6位: シトロエンDS
DSをデザインしたフラミニオ ベルトーニは、「魚からインスピレーションを得て、それをこのクルマに応用した」と後に述べている。最初のデザインはカバのように見えた。1952年からは、滑らかなクーペのようになった。1954年からは、ルーフとリアウィンドーの間に段差があることが後席ヘッドルームの確保に寄与した。
第5位: フェラーリ250 GT
他のモデルより、抜きん出た美しさ有すモデルだ。ブガッティ タイプ57同様、さまざまなボディを備えたフェラーリ250 GT(1953〜1965)である。最も人気のあるのは、1959年に発表されたベルリネッタSWB(ショートホイールベース)。セルジオ ピニンファリーナは後に「フェラーリデザインにおける画期的飛躍に貢献した最初のモデル」と呼んだ。
第4位: ポルシェ911
スタイリング部門の責任者であるフェルディナント アレクサンダー ポルシェは、常に悪戦苦闘していた。まず、ボディ担当のエルヴィン コメンダが彼に意見を述べ、その後パパ フェリー(フェルディナント アントン エルンスト ポルシェ、愛称フェリー ポルシェ)がノッチバックを改めファストバッククーペに直した。しかし、その苦痛はそれだけの価値があった。
第3位: ランボルギーニ ミウラ
ミウラこそが、審査員たちにとって、もっともハートを熱くし、魂を揺さぶるモデルだった。いずれにせよ、このモデルほど多くのストーリーを持つクルマは他に存在しない。この最初のミッドエンジン スーパースポーツカー(横置きV12!)のデザインは、デザイナーのマルチェロ ガンディーニによってベルトーネで作成された。ミウラのまったく新しいプロポーションに加えて、アイラッシュ(まつげ)付きの傾斜ヘッドライト、サイドウィンドーの後ろのエレガントなエアインテーク、挑発的なリアフェンダーのふくらみを備えていた。
第2位: メルセデス300SL
最初はレーシングカーだった。 1952年、ルドルフ ウーレンハウトは、チューブラーフレームを備えた純粋なレーシングデバイス、300 SL(W194)を発表。クーペボディでありながらまともなドアがなく、サイドウィンドーとルーフの半分がめくれるだけという狭い開口部だった。ル マン24時間耐久レースでのスタートのために、メルセデスは開発部門により深いカットアウトを提案した。これが、ダイムラーベンツが次のSLを作る手法となったのだった。カール ウィルヘルトとフリードリッヒ ガイガーがレーシングカーをスポーツカーのW198に仕上げ、1954年から生産化された。
そして栄えある1位は?
第1位: ジャガーEタイプ
美しさは、常にデザイナーの想像力から生まれるわけではない。時にそれは製図板上にも現れる。ジャガーの元チーフテスター、ノーマン デュイスは、1960年代初頭に、空力のスペシャリストであるマルコム セイヤーが不思議な数列の紙を走り書きしたことを覚えていた。彼以外誰も観ることはかなわなかったものだ。そしてその結果は1961年のジュネーブ モーターショーに出品され、人々の息を止めるほど驚かせた。ジャガーEタイプは素晴らしく、速かったが、不思議なことに特に空力性能の高いクルマではなかった。そのCd値0.44は立派なレベルではあったが、レコードブレーキングなものではなかった。セイヤーが研鑽を間違えたか、はたまたジャガーブランドの創始者でスタイルに関しての教皇である、サー ウィリアム ズライオンズが文字通り彼を妨害したのか?答えは歴史の闇の中にとどまるが、Eタイプはすべて面で他を圧倒し、勝利をおさめている。
私たちの審査員はEタイプを勝者として選び、それによってエンツォ フェラーリの判断を追認した。コメンダトーレ(最高司令官)であるエンツォ フェラーリにとって、Eタイプは「これまでで最も美しい車」だった。繊細なディテールがインテリアを飾り、6気筒(265 hp)も我々の目を楽しませてくれる。
テキスト: AUTO BILD KLASSIK