自動車史上もっとも美しいクルマ100台 Part2
2020年5月1日
デザイナー、歴史家、エキスパートで構成される国際審査員が、デザインを軸に、自動車史上、最高傑作車のリストを作成した。 さて、その美しく興味深い100台とは…。
第70位: ベントレーS1コンチネンタル
すべてのS1クーペは、コーチビルダーにボディワークが委ねられていたが、そのほとんどはH. J. ムリナーの手によるものだった。 このスポーツサルーンは1955年に登場した。
第69位: クライスラー サンダーボルト
グリルレスのフロントデザイン、電動ハードトップ、それがなんと1940年にデザインされていた。コードのデザイナー、アレックス トレミュリスに手になるデザインスタディである。
第68位: ランボルギーニ カウンタック
オーガニックなミウラの次に、マルチェロ ガンディーニは、ランボ初のシザーズドア付きモデルを描いた、いやむしろ「切り刻んだ」と言うべきか。1974年のショッキングなモデルだ。
第67位: アルファロメオ ジュリア
風洞の助けを借りて、ジュゼッペ スカルナーティは、レンガそのもののスタイリング(とくにリア部分!)のセダン、ジュリア ベルリーナを作り上げた。 そんなレンガのようなボディ形状で、Cd値が0.34という優秀さ!
第66位: モーガン プラス8
1950年のデビュー当初から全然モダンに見えなかったPlus 4の外観で、このロードスターは1968年から製造され続けている。
第65位: シボレー コルベット スティングレーC7
ポンティアック アズテックの作成者であるトム ピーターズは、ロッキードYF-22戦闘機に触発されて、最後のフロントエンジン コルベットをデザインした。ミドにエンジンを搭載したC8は2018年に登場した。
第64位: ホルヒ8
1926年、ドイツでクルマを所有している人数がたった20万だった時期に登場したホルヒの8は、センセーション以外の何物でもなかった。8気筒エンジンと2基のオーバーヘッドカムシャフト(1932年まで)を備える、初のドイツ車だった。1928年には、オスカー H. W. ハダンクのデザインしたボディを備えたタイプ350も登場する。その時代のもっとも美しい生産車と評された。
第63位: プリマス ベルヴェディア フューリー
フューリーは1958年製プリマス ベルヴェディアのトップモデルだ。野心的な「フォワードルック」とヴァージル エクスナーのテールフィンを兼ね備えたベルヴェディア2ドア ハードトップは、一躍人気者となった。
Place 62: メルセデスSSK
ホワイトペイント、右側の3本の排気ダクト、この「ホワイトエレファント」はSSKLのSタイプだった。スーパーチャージャーを搭載した、200馬力のメルセデス タイプSSはサーキットレースでは成功したが、山岳レースには向いてなかった。チーフデザイナー、フェルディナント ポルシェの下、ダイムラーベンツAGの若いデザイナーたちは、3.4メートルのホイールベースを2.95メートルに縮めて、SSKを作った。“K”とは“ショート”という意味だ。
第61位: BMW 3.0 CSL
このデザインストーリーは、美しいものと奇妙なものの狭間を駆け抜けるスラロームだ。BMW 3200 CS(ベルトーネ時代に若きジウジアーロが手がけた)に影響を受けて、1965年にウィルヘルム ホフマイスターは2000 Cを作るも、4灯式ヘッドランプをガラスカバーで覆ったフロントデザインを、みんなは喜ばなかった。1968年、2000 CはE9へと進化。新しいフェイスを得たうえに、フロントノーズを長くし、エレガントなモデルへと変身した。1973年、E9をベースにどう猛なスポイラーを備えた3.0 CSLヴァージョンが生まれた。
第60位: メルセデスSL “パゴダ”
アイデアはダイムラー ベンツの技術者ベラ バレニーに由来する。「車高の低いクルマに快適に乗車することができ、そのうえ見栄えも良く、ルーフの強度も安定させるには、屋根を上向きに曲げるのではなく、下向きに曲げる必要がある!」。この教えに従って、ポール ブラックはW113をデザインした。
第59位: BMW Z8
「もう我々は507のようなモデルは作らないのだろうか?」 1990年代半ばにBMWの取締役の一人が尋ねた。 「もし作り続けていたら、507はどのようなかたちになっているでしょうかね?」と、デザインボスのクリス バングルはその問いかけに応じた。 若いデザイナーのヘンリック フィスカーが仕事に取りかかった。そして生まれたのがZ07とZ8だった。
第58位: シトロエンCX
1967年につくられたピニンファリーナのデザインスタディ、BMC 1800ベルリーナ エアロディナミカは、ローバー、ランチア、メルセデス、フェラーリ、そして特にシトロエンの市販車に応用された。ロベール オプロンとジャン ジレはシトロエンCXで、ピニンファリーナのBMC1800に似たプロポーションのモデルをデザインしたが、全面的に彼ら自身のアイデアを投入して完成したモデルだった。
第57位: デューセンバーグ モデルSJ
4バルブ、最高出力320馬力、最高時速約210km/h。モデルJのコンプレッサーバージョンは、1932年のアメリカにおけるスーパーカーだった。ロールストン社製ボディを身にまとったアーリントン トルペードセダンである。モデルSJは”Twenty Grand”と呼ばれた。なぜなら当時200,000ドルもしたからだ。1933年に「進歩の世紀」というテーマ下にシカゴ万博が開催され、そこに展示されたモデルSJは、センセーションを巻き起こした。
第56位: フェラーリ365 GTB/4 “デイトナ”
シトロエンCX同様、フェラーリ デイトナ(1969)もBMC 1800スタディに大いに触発されたようだ。したがって、当時のピニンファリーナのデザイナー、レオナルド フィオラヴァンティが両モデルをデザインしたことは驚きに値しない。 彼は、「私はエアロダイナミクスに大きな注意を払いつつ、その外形と寸法を追求したかったのです。」と、1966年にデイトナのシャシーのベースとなった330 GTCのベアシャシーをどのように研究したのかを語っている。
第55位: マセラティ2000スポーツ(A6GCS)
グラントゥーリズモのように見えるが、これはレーシングカーだ。A6GCSは、モノポスト(1人乗りのマシンのことで、レースではフォーミュラカーおよび単座席のスポーツカーのことを指す)として、1947年に初登場した。ミッレミリアのレース期間中は雨が非常に多かったため、マセラティは1953/54年用に新しいクローズドボディを求めていた。そしてアルド ブロヴァローネでしょうかがベルリネッタをデザインするになった。彼にとって、初めて1台全体をデザインしたクルマとなった。
第54位: ベントレー コンチネンタルGTコンヴァーティブル
ロールスロイスの支配下で67年を過ごした後、1998年、ベントレーはVWグループの傘下に転じた。そこで最初に新しく開発されたモデルは2003年のコンチネンタルGTだった。その第2世代(2011)は2003年と同様にダーク ヴァン ブラッケルによってデザインされた。 彼は、誇らしげに説明した。「アルミボディは熱成形されていない、つまり古典的な方法でプレスされていますが、メタルシートは500度に加熱され、成形されています」と。
第53位: Ferrari 308
ピニンファリーナのデザイナー、レオナルド フィオラヴァンティは、1975年にディーノの後継車をデザインした。そう、フェラーリ308はディーノをベースにデザインされたモデルだ。ディーノと同様、コンパクトで、車高が低く、側面に円形のエアインテークを備えており、ヘッドライトを格納式にすることで、ウェッジシェイプのフロントノーズを形成している。クーペはGTB、タルガトップのモデルはGTSと呼ばれた。GTBの最初の数百台は、車体外板がプラスチックだったが、のちにカロッツェリア スカリオーネによって金属製に変更された。
第52位: ポルシェ917ショートテール
クルマは美しくあるべきではなく、勝つべきだ。勝つべきだ? 「勝たなければならない」だろう。フェルディナント ピエヒはポルシェの開発部門のボスとして、917の開発に巨額を投じた。当初は、高速域での走行時に不安定さがあり、生命をも危険にさらすほどのモデルだった。しかし1970年、ピエヒは勝利を収める。ポルシェ917Kは、ハンス ヘルマンとリチャード アトウッドによって、ル マン24時間耐久レースで総合優勝を果たした最初のポルシェとなったのだった。とはいえ、やはり美しい。
第51位: BMW 327
エレガントでストリームライン化されたセダンの326と327コンヴァーティブルの後、BMWは1938年に327クーペを発表した。セダンより10cmホイールベースが短く、一体型ヘッドライトを備えていた。デザインはウィルヘルム マイヤーフーバーの手によるもので、彼は1937年に「アーティスティックデザイン」部門を設立していた。
第50位: SSジャガー100
スタイリングはジャガーにとって最優先化事項だった。創立当初から少なくとも60年代までは。ジャガーの創始者、ウィリアム ライオンズは自らモデルをデザインした。1936年に登場したロードスターもそうだ。そのうちのいくつかは、リーピングキャットをボンネットの飾りとして初めて着用した。
第49位: VWビートル
VWビートルは流線型のクルマだということをクルマ仲間に伝えたとしよう。多くの仲間は笑うことだろう。「そら見たことか」「案の定、思ったとおりだ」)。空力こそが大切なのだ。Cdが0.46から0.49の間という数値は今日悪いと考えられているが、30年代にKdF(Kraft durch Freude=喜びを通じて力を)車だったモデルは、80年代のアウディ100となった。独立したフェンダーを持つ丸いボディスタイリング、一体化されたヘッドライト、ザトウクジラの丸みを帯びた猫背の形状は、試作の早い段階から、はっきり見られる特徴で、明確に時代に先んじていた。
第48位: BMW M1
1972年、ポール ブラックがターボX1スタディを提案し、1978年、ジウジアーロがシリーズM1をデザインした。フェラーリ308のように、ボディの周りには黒いラインが一周している。ジュジアーロは、リアウィンドーのエアインテークを巧妙に隠した。「滑らかなラインを壊したくなかったからだ」とジウジアーロはのちに語った。
第47位: ヴォアザンC28エアロスポーツ
フェンダーはボディと一体化され、サンルーフのある屋根は非常にフラットだ。 1935年の時点でガブリエル ヴォアザンのデザインしたクルマは超近代的だった。
第46位: オースチン ヒーレー100
第46位: オースチン ヒーレー100
ジェリー コーカーは、1950年に自らがデザインした100を愛してやまなかった。しかし、彼のボス、ドナルド ヒーレーは、そのクルマはひどい出来だと結論付けた。そして「このクルマはアールズ コート フェア(ロンドン ショー)には展示しない。コーカーは新しい仕事場を探すべきだ」と怒りを込めて告げた。しかし、1952年、チーフエンジニアのロジャー メナデュが、オースチンヒーレー100をフェアに連れだした。コーカーはクライスラーに移った。
第45位: BMW 328ミッレミリア
BMW開発部門の責任者であるルドルフ シュライヒャーとエンジニアのエルンスト ルーフは総統官邸に呼ばれ、アドルフ ヒトラーに面会し、その場で独裁者は1940年のミッレミリアでの勝利を命じた。ドライバーのフシュケ フォン ハンスタインとヴァルター バウワーは135psツーリング クーペを駆ってレースに臨み、優勝した。328ミッレミリアは基本的に1939年のル マンカーのボディをベースにしていた。アルミニマグネシウム合金を用いて、カロッツェリア トゥーリングによって作られたポンツーン形状のレースカーだった。