ポルシェミュージアムツアー

393

ツッフェンハウゼンのスポーツカーコレクション

ポルシェファンのための巡礼地:シュトゥットガルト-ツッフェンハウゼンで、ポルシェは壮大な建物の中に、自社の歴史上、最も美しい車たちを展示、訪れる人を魅了している。

Photo: Werk

70年以上にわたって高速車を製造しているポルシェは、2009年1月、シュトゥットガルトのツッフェンハウゼンのポルシェ本社のそばに在るポルシェ博物館を全面的にリニューアルし、オープンした。新ポルシェミュージアムには、100台近い同社の歴史の中で最も美しく、最も重要な車が展示されている。壮大な建物の中でポルシェは展示されたモデルを通してファンを魅了する。建物自体はまるで芸術作品で、巨大なボルトが空中に自由に浮かんでいるように見える。たった3本の柱が、巨大なホワイトボックスを60メートルの高さにまで持ち上げ支えている。それは建物ではなく、まるで大きな橋のようだ。ポルシェの従業員たちはオープン後すぐに「Flieger(パイロット)」という愛称を付けた。

ミュージアムリニューアルにかかった費用は1億ユーロ(約125億円)

建設中の最もエキサイティングな瞬間は、エンジニアたちが、長さ140メートル、35,000トンの直方体をゆっくりと3本の支柱の上に据えた時だった。そして見事成功させた。しかしそこに至るまでは困難の連続だった。複雑なデザインが厳密なスケジュールを完全に混乱させてしまう。判断を誤った鋼桁が建設を半年も遅らせた。ウィーンにオフィスを構える建築家、デルーガン マイスルは、その野心的な設計に多くの神経を使った。しかしその冒険はそれだけの価値があった。約1億ユーロ(約125億円)をかけて、ポルシェはツッフェンハウゼンに世界に誇る自動車ミュージアムを作り上げた。そこには特別なものも一貫したものもない。それは巨大で高貴なガレージに過ぎない。しかし豊富な宝を持つ自動車メーカーの歴史のショーケースだ。 ここにはアドベンチャーはない。あるのは高用量のポルシェのみだ。

ほぼすべての展示物は運転可能な状態にある

多くの場合、博物館は過去の物の管理場所だ。だがここはそうではない。エキスパートたちが、908や917などのモータースポーツの宝物をセレクトして並べ、訪れた人々が時代とその興奮や喜びを分かち合う。それがコンセプトの核を形成している。「ほとんどすべての展示車は運転可能です」と、80点以上の展示品のオープニングで、博物館の責任者であるクラウス ビショフは述べた。すべての展示車を可動状態で保存するということはエンジニアやメカニックにとって、非常に大きなミッションだ。したがってミュージアムのそばにワークショップがあるということは非常に役に立っている。ミュージアムに入ると長いエスカレーターがあって、来場者を展示場にまで運んでくれる。圧倒的な第一印象だった。レベルこそいくつかに異なっているが、展示室は1つだ。

ポルシェのアイデアの火花

したがって、多くのミュージアムを訪れる人の予想とは異なり、彼らを出迎えるのはUr-356ではない。そこに待ち受けるのは、裸体で、光沢のある流線型のボディだ。ベルリン‐ローマ車として知られるタイプ64を展示している。フェルディナント ポルシェ博士が、1939年から一貫して、彼のフォルクスワーゲン開発に関するアイデアに先駆けて考え出したテスト車両だ。生まれたのは3台のみで、その後まもなく戦争が始まった。ポルシェ博士には8気筒や10気筒エンジンをミッドにマウントするという計画には至らなかった。彼の頭に浮かんできたのは、性能、ライトウェイトな構造、そして空力特性のことだった。タイプ64こそがポルシェの構想の火付け役だった。むろんポルシェ博士の作ったVWビートルもそうであるし、1949年にポルシェが開発を始めたチシタリアの全輪駆動式で12気筒ボクサーエンジンを搭載した、シングルシーターレーシングマシンも忘れてはならない。フェラーリにはそのようなものすら存在しなかった。ここから、ポルシェの物語は現代へと進化する。 オーストリア北部の町、グミュントで生まれた伝説的な最初のロードスターである「ナンバー1」は、356 B 2000 GSカレラGT、914/8、そしてワイドなレンジの911モデルだ。そしてさらに研究は続き、917アルマダ(1978 Martini Racing Porsche Le Mans Armada)が多くの人々を魅了した。ポルシェはタルガフローリオとル マンで多くの勝利を獲得、それらのパルクフェルメで自らを祝福した。

天井から956が吊り下げられている

956がポルシェと呼ばれるものを象徴している。展示車は天井からぶら下がっている。 そのボディは非常に多くのダウンフォースを生み出し、逆さまに運転することさえできたのだ。しかし、このクルマでさえ、わずか20分間のねじ回しの後でスタートする準備ができている。不幸にして、このミュージアムに訪問できない方へは、ある訪問者が残したメッセージ、「わたしは今レースをしています」を伝えよう。運がよければ、かすかにパチパチという音も聞こえるはずだ。惜しいのは、ここで永遠にリタイアするには、すべてのクルマが未だにワイルドすぎることだ。

一目でわかる博物館

ポルシェ博物館は、クリスマス、正月、正月を除く年中、火曜日から日曜日の午前9時から午後6時まで営業しています。 入場料は8ユーロ(約1,000円)、以前に比べて4ユーロ(約500円)割引されている。駐車料金は2ユーロ(約250円)だ。

Photo:AUTO BILD / Andreas Lindlahr
壮観な建物の中で、ポルシェは魅力的な展示品を並べ、スロープ状になった展示スペースを自らが選んだ殿堂入りモデルを配し、不滅の英雄たちのための「ヴァルハラ神殿」を形成している。
Photo:Werk
ポルシェの神殿には80台を超える、それぞれにユニークで、自動車史に新しい1ページを書き加えた有名なモデルがディスプレーされている。
Photo:Werk
神々のたそがれ。暗くなると、3つの巨大な鉄骨桁の上にあるエッジの効いた構造が際立つようになっている。大胆なデザインを担当したのは、ウィーンにデザインスタジオを構える、いまや世界的に有名なデルガン メイスルだ。大胆なパワーゲーム:空っぽのボディだけでも35,000トンの重量がある。総建築費用:約1億ユーロ(約125億円)。
Photo:Werk
高尚なガレージ。2009年以来、ポルシェミュージアムは一般公開されている。訪問者は冒険的な経験こそできないものの、ミュージアムと展示車自体が芸術作品であり、そこではたくさんのエンジニアリングとデザインの宝物に出会うことができる。
Photo:Werk
どうぞお入りください。はしごのような、エレガントな曲線のエスカレーターが自動車の神殿に貴方を導く。すばらしい!今、伺います!
Photo:Werk
ポルシェパラダイスへの入場。 慎ましやかなオールラウンドビューは、多くの伝説的なレーサーのカラフルなレースドレスに包まれている。
Photo:Werk
多くの場合、博物館は過去の物の管理場所だが、ポルシェミュージアムはセレクトされた宝物を訪れた人々がその時代の興奮や喜びを分かち合うというのがコンセプトの核を形成している。
Photo:Werk
ディスプレーされている80台以上のモデルはほぼすべて即時走行可能だという。
Photo:Werk
ポルシェで働く人々はは親しみを込めて、ミュージアムを「エアプレーン」という愛称で呼ぶ。
Photo:Werk
最初に出迎えてくれるのはUr-356ではなく、タイプ64だ。
Photo:Werk
ライトウェイト構造は、長きにわたって、ポルシェの専門分野だった。70年代の初め、ポルシェはエンジン出力を継続的に増加させた。ポルシェ917は最大1200 hpという強大なパワーを発揮した。また、ポルシェは、ターボレーシングテクノロジーから最初の911ターボも開発した。
Photo:Werk
これが心臓の鼓動だ。ポルシェは小さなモーターギャラリーで慎ましくそのハートを披露する。その中のフォーミュラ1エンジン:1962年の8気筒ボクサー(右)と80年代のTAGターボV6(中央)。
Photo:Werk
モータースポーツは常に感情を大きく揺さぶる。敗北の時もそうだが、特に勝利を得た時は魂まで大きく揺さぶられる。これまでのところ、ポルシェがフィニッシュラインを最初に通過したのは2万8千回以上になる。ミュージアムには、その中から150個のトロフィーが、エンジニア、メカニック、そしてパイロット(レーサー)たちの情熱を伝えるべく、誇らしげに飾られている。
Photo:Werk
ポルシェのすべてのスポーツカーの先祖:プロトタイプの356/2フェリー ポルシェは、まだオーストリアのグミュントでまだ製造されていて、エンジンとシャーシはフォルクスワーゲンのものだった。40馬力のスポーツカーは1949年のジュネーブモーターショーで発表された。
Photo:Werk
同じくレッドのポルシェだが、それほど速くは走れない。50年代および60年代に、ポルシェはトラクターも開発していた。ポルシェ製トラクターは今日、ポルシェ製スポーツカー同様に高い評価をトラクターファンの間で受けている。ポルシェがディーゼルエンジンの小さな農家の友人を作ったことを恥じていないことは、とても喜ばしいことだ。

Photo:Werk
すべてのスタートラインにポルシェはいた。1961年、シュヴァーベン(Swabians=ドイツ南西部の人々をさす言葉)はF1に参戦し、1962年にはダン ガーニーが新しいポルシェ804(左から2番目)を駆ってフランス グランプリで優勝した。これは現在に至るまで、100%ドイツ製のF1マシンの最後の勝利である。

Photo:Werk
ハイフライヤー:博物館の中央に天井からぶら下がっているレーシングカーのタイプ 956 Cクーペ。理論的には、これはアタッチメントなしでも空中に浮いていることが可能だ。少なくとも321.4km/hで高速に走行すると、理論的には地面に吸い付くことが可能だからだ。
Photo:Werk
簡素化は芸術だ。ポルシェは1968年に908ショートテールクーペでそれを証明した。その非常に薄いラミネートプラスチックボディにより、内側からも光がきらめく。ボディの重量が130キログラム以下であることは、4本の紐で吊られていることで証明される。そして彫刻のように美しい。
Photo:Werk
自動車の断面。ポルシェがこのミュージアムで与える文字通りユニークな洞察。現行モデルの911とそのエンジンの断面がディスプレーされている。
Photo:Werk
100万台目のポルシェ。1996年、最初のボクスターだけでなく、この911カレラもラインオフした。100万台目のポルシェだ。 フェリー ポルシェはこの1台をバーデン=ヴュルテンベルク州高速道路警察に引き渡した。その記念すべきモデルは明らかに大切にメインテナンスされていたようだ。
Photo:Werk
高速であることは前提条件だ。むろんそれだけでは十分ではない。ル マン24時間耐久レースで優勝したいなら、頑丈なマシンも必要だ。ポルシェはそれぞれ大きく異なるコンセプトとともに、これまでに16回の総合優勝を果たしている。
Photo:Werk
ポルシェミュージアムは輝かしい功績を誇る宝物に出会える場所だ。
Photo:Werk
「ローリングミュージアム」という用語は決してフレーズだけのためのものではない。 四輪年金受給者たちは非常にアクティブだ。時にはある展示車両が旅に出かけ、時には他の展示車両が旅をする。たとえば、550Aスパイダーはミッレミリアに参加したし、356カレラ アバルトGTLはクラシックアデレード(アデレード=南オーストラリア州の都市)参加のため、遠くオーストラリアまで旅した。
Photo:Werk

Text: Andreas Lindlahr

https://www.porsche.com/museum/de/