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どこから何度見ても美しい ランボルギーニ カウンタック デザイン物語

2021年11月17日

世紀のアイコンモデル、ランボルギーニ カウンタックのウェッジシェイプはどのようにして生まれたのか。先鋭的なシルエットを持つランボルギーニ カウンタックは、このスタイルを初めて形にした車だった。

今から50年前、ベルトーネのデザインスタジオがジュネーブモーターショーで発表した「カウンタックLP500」のデザインは、誰もが目をみはるものだった。それは、氷を削るように平らで滑らかなものだったからだ。高さは1.07メートルで、ベビーカーほどの高さしかない。当時デザインチーフであったマルチェロ ガンディーニが担当したこのスタディモデルは、実際にはモックアップであったが、ランボルギーニのボス、フェルッチオ ランボルギーニは見た瞬間、魅了された。

「ランボルギーニ カウンタックLP400」の初代モデルが、最終的に151台製造されたこと自体が、すでに大成功だった。なぜならば、当時ランボルギーニは、経済的に苦しかった。ボリビアがランボルギーニに、5000台のトラクターを発注したのだが、なんと完成した車両の引き渡しを受けなかったこともあった。その上、1973年には、オイルショックが起こった。構想では精巧な診断システムと、スピード警告を備えた先見性のあるダッシュボードだったが、生産車には平凡な8つの丸い計器が、ダッシュボードに横一列に並ぶことになった。

ランボルギーニ カウンタックの後方視界を確保する潜望鏡

しかし、エクステリアはさらに過激なものになっていた。エンジンがすぐにオーバーヒートしてしまうため、ベルトーネはエンジンルームに冷却用の空気を送り込むために、黒いNACAエアインテークを側面に、サイドウィンドウの後ろに2つのボックスを設置し、車をより残忍に見せた。これらは、前時代のエレガンスの名残である、ゆるやかなカーブを描くサイドラインを除去することに成功した。そしてクロームの排除。斧で切り落とされたかのようなリア。デザイナーはカスタムライトを装着したかったのだろうが、「アルファロメオ アルフェッタ」のものを装着した。ランボはその時代、倹約しなければならなかったのだ。

エンジンのオーバーヒートを防ぐため、角ばったスクープを採用した。

妥協のないデザインのために、技術的にさらなる努力が必要だった。リアのボンネットの形状など、凡人には思いつかないものである。

従来のルームミラーの代わりに、米国のドネリーミラーズ(Donnelly Mirrors)社製のペリスコープと呼ばれる複数のミラーを採用し、ルーフのスリットからドライバーの視界は約2倍になった。ベルトーネにとって、この過激なスーパースポーツカーは、限りない名声をもたらした。ケルンにあるグッドブランド研究所のデザイン教授であるパオロ トゥミンネリ氏は、「ベルトーネは、ベルトーネらしさを示した」と言う。「ガンディーニは幾何学を根本的に単純化した。宇宙から来た人がどうやって車をデザインするのか? これがベルトーネの最新の姿だったのです。それは常に革新する。革新する勇気、人と違うことをする勇気でした」。

カウンタックLP400のV12は375馬力を発揮し、309km/hまで加速する。パワーインフレーションの今となってはどうってことのない数値ではあるが、カウンタックの魅力は、そんな数字上にはない。左隅の水色の配線コードの乱雑さなども、気にしてはいけない。

ガンディーニは、トリノのコーチビルダー、ベルトーネにとって幸運な人物であった。デザイナーのジウジアーロが会社を去った後、会社のボスであるジュゼッペ ヌッチオ ベルトーネは、すぐに彼を採用したが、彼の直感は正しかった。マルチェロ ガンディーニは、その4ヵ月後に3つのスタディを発表した。次から次へとウェッジを生み出したのだ。

ヘッドライトを折り畳むと、ウェッジシェイプのボディが緩やかに立ち上がるラインを崩すことはない。丸型4灯ライトもカウンタックには大切なアイテム。

「ランボルギーニ マルツァル」、「アルファロメオ カラボ」、のちに独創的な「フィアットX1/9」となった「アウトビアンキA112ランナバウト」、「ランチア ストラトスHF」、そして、1973/74年に量産型カウンタックとなったスタディモデルである1971年に発表された「カウンタックLP500」。ベルトーネは、これらのエッジの効いた、先鋭的なモデルで世界的な成功を収めた。「1967年から1979年にかけて、マルツァルからボルボ タンドラまで、ベルトーネは世界中のデザイナーにとって、まさにお手本であり、目標だったのです」とパオロ トゥミンネリ教授は言う。

エンジン後方に130リットルの収納スペースを確保。ランボルギーニのオリジナルバッグセットは、車よりもさらに希少価値が高い。しかし、この場所はかなりの高温になるために、熱に弱い荷物をつむことは厳禁であることはいうまでもない。

後にベルトーネもトラブルに見舞われる

80年代に入ると、ベルトーネはトラブルに見舞われた。ヨーロッパの自動車産業において、外部のコーチビルダーにデザインを依頼するメーカーはいなくなった。ジウジアーロは、「フィアット ウーノ」のデザイン契約を、ベルトーネの目の前で奪い取った。1983年のジュネーブモーターショーで、ジウジアーロとピニンファリーナに断られたばかりのシュコダの人々から、「彼らの過激なニューカーをデザインしてみないか」と声をかけられたからだった。20年以上もリアエンジンを使ってきたシュコダにとって、初の前輪駆動車となるモデルのデザインだ。この依頼に応じ、ベルトーネはすぐに仕事に取り掛かった。

フェレロ(Ferrero)社製のステアリングホイールや、オープンタイプのシフトゲートも素晴らしいものだが、エクステリアの造形には追いつけなかった。現代なら、どんなインスツールメントパネルが実現できたのだろうか?とも思うが、このちょっと武骨なメーターパネルの形状や、古典的なメーター、起立したシフトノブもカウンタックらしい。向こうに、ベルトーネがデザインしたシュコダがとまっている。足元左側の大きなでっぱりのために、ドライバーの足元の余裕はぎちぎち。パワーウインドウでないことにも注意。

その結果、1987年にチェコスロバキアのブルノで発表されたが、大成功とは言えなかった。少ない資金、貧弱なプレス工場、気性の荒いチーム・・・。「シュコダ フェイバリット」は、生産において品質が相対的に遅れていたことを示している。とはいえ、「フェイバリット」は魅力的だ。歴史的な意味を持つこのモデルは、ダンパー付きのグローブコンパートメントリッドや、凝った構造のテールゲートなど、安っぽさとは裏腹に意外なほどの精巧さが見られた。そして、それは、ベルトーネが業界全体のデザインに影響を与えた時代の終わりを告げるものであった。

結論:
「ランボルギーニ カウンタック」の場合、クライアントは必死で、ベルトーネはやる気満々だった。どちらの場合も、必要性は発明の母であり、それは車を見ればわかる。ベルトーネが2014年に倒産してしまったのは、何とも残念なことである。60年代後半から80年代後半にかけて、彼らは自由な発想と勇気がしばしば報われることを証明してくれた。そのことに感謝する。そして、車にも。

スーパーカーの中のスーパーカーといえば、「ランボルギーニ カウンタック」をおいて他にはない。おそらくその気持ちは私だけではなく、多くの自動車好きに聞いても、「カウンタック」の名前をあげるだろうし、きっとこれからもずっとそうだと思う。

何で「カウンタック」がスーパーカーなのかといえば、この形につきる、と個人的には思う。特異なボディ構造や、実は優れたサスペンションなど、語るべき点は多いクルマではあるが、やはり「ランボルギーニ カウンタック」の、この形こそが王者の所以なのである。

当時ベルトーネのチーフデザイナーであったマルチェロ ガンディーニの作とされるこのオリジナルモデルは、いったいどうしたらこんなデザインが描けるのだろう、と思ってしまうもので、細部のディテールなどもひとつひとつ見ていくと、驚きの連続である。そして「カウンタック」こそが、イタリアンスーパーカーの頂点であり、今後どんな車が出てきたとしても超えることのできないもの、それがこの未来的で、他のどの車とも似ていない美しさ、まさに視線を浴び続けることを使命とされたデザインなのだ。残念なことに、マイナーチェンジを繰り返す度に、改悪され続け、最後の(特にUS仕様)モデルに至っては、整形手術を失敗したフランケンシュタインのような醜いものとなってしまっている。やはり圧倒的に美しいのは、この最初期モデルである「LP400」であり、これこそが「ランボルギーニ カウンタック」の中の「カウンタック」である。たった151台のみ世の中に生み出された「LP400」。それは、まぎれもなく、イタリアンデザインの芸術作品なのである。

Text: Frank B. Meyer
加筆: 大林晃平
Photo: Lamborghini