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【ひねもすのたりワゴン生活】9日間、2000㎞のぐうたらワゴン旅 その1

2021年9月18日

その日まかせの旅がしたい

 仕事柄、取材や撮影などでしばしば旅に出てきた。それは国内外さまざまで、氷点下のアラスカの露天風呂で眉と髭を凍らせながらオーロラに圧倒されたかと思えば、南太平洋のフィジーでアイランドホッピングを撮ったりもした。キーウエストで、銀色の巨魚ターポンに惨敗した夜にライムパイに舌鼓を打ったり、サイパン沖でカジキを追いかけたりもした。

食い意地が張っているので、旅先ではその土地の味ばかりが気になってしまう…(ピクルスの充実に驚いたニューカレドニアのマルシェ)
普段は朝食を摂らないのに、旅先だとお腹が減るのはなぜだろう…

 北海道の海で違法な外国漁船を追いかける役人の情熱に胸が熱くなったこともあれば、瀬戸内でうどん旅に特化したレンタカー会社のビジネスセンスに感嘆したことも…。沖縄の泡盛工場で生きたハブを見て後ずさりしたことも、ラスベガスで取材中同時多発テロが発生し帰国できなくなったことも今では懐かしい思い出だ。

徳島は美味の宝庫だった。上勝町のビールとスダチに心奪われる

 「じゃぁ、旅慣れてるんでしょうね…」なんて聞かれるけれど、そんなことはまったくなくて、毎回、仕事としての責任と義務に背中を押され、どうにかこうにかこなしてきたというのが正直なところ。
 もちろん、話が決まればワクワクはするものの、出発が迫ってくるといろいろなことが頭を過って、不安ばかりになり陰鬱な気分に包まれるのは、この世界に入った35年前と少しも変わらない。きちっと定められたスケジュールを前に、その日数ですべて消化できるのか、思うような記事に仕立てられるのか…そんなことで頭がいっぱいになって押しつぶされそうになる腰抜けだし、いつも何かに追われながら旅をしてきたような気がする。

徳島で出会った至福のジビエ料理。シェフ自らがハンターであり、仕留めた獲物を最良の状態で供してくれた(徳島市内のランドロックにて)

 だから、プライベートな旅となるとそんな面倒くさい諸々から解放されたくなる。「予定」なんてものに縛られず、とにかく自由に過ごしたい。何時に起きて、午前中にどこを訪ねて、午後はココとアソコ!なんて決められるのは勘弁だし、行程表なんて見たくもない。せいぜい、大まかな流れが頭に入っていれば充分で、あとは気分次第がいい。
 朝、宿で目を覚ましてカーテンを開け、空を眺め、風だの雲だの空気の匂いだの…そんなのと、体調や気分で1日の行動を決めるなんていうのが理想だ。
 食事だって予約なんかせずに、行く先々で目に入ったもの、鼻に滑り込んでくる店先の匂い、街の雰囲気で決めたい…。何が食べたいかなんて、その日、その場所に行かなければ分からないのである。
 極端なことを言えば、旅の途中で気分が変わったら、行き先だって変えたいくらいで、フーテンの寅さんのような旅を夢見てきた。
 そんなことを思いつつも、実はこの歳になってもひとり旅というのがまったくダメな意気地なしで、それなら部屋でひざ小僧を抱えて、旅行雑誌を見ながら妄想してるほうがいい(笑)。
 …となると、同行を伴うことになるが、こんなわがまま旅に付き合おうという奇特な御仁はなかなかおらず、ほとんどは家人との旅になってきた。その日の気分で言うことはコロコロ変わるし、気が短いし、経済観念がまったく欠落しているこんなぐうたらに付き合うのは、さぞかし骨が折れるだろうけれど…。
 でも、先が読めない旅は楽しい。不安や戸惑いがないわけではなく、それを抱いているからこそ、思いがけない歓びや倍加する楽しみがある。情報過多の現在、期待していなかった宿が思いのほかよかった…なんてことは、事前にネットで調べ尽くして出かけたのではなかなかない。
 手探りだの、試行錯誤だの…そんな面倒くさいことに楽しさは潜んでいる……と思う。

【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。

【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。