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	<title>旧車＆ネオクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>旧車＆ネオクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>36億円を超えるのか？日本にあった新車状態のフェラーリF50がオークションに出品される！走行距離はたったの170km！</title>
		<link>https://autobild.jp/75534/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Oct 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[このクルマなんぼするの？]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[F50]]></category>
		<category><![CDATA[Ferrari]]></category>
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		<category><![CDATA[限定車]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-768x431.jpg 768w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF50（1997年）： 製造から29年が経過したフェラーリF50の新車状態の車両が競売にかけられる。F50ほど短期間でこれほどの価値上昇を遂げたフェラーリは他にない。走行距離はわずか170㎞だ。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>購入から30年近く経つにもかかわらず、新車同然のコンディションを誇る「フェラーリF50」。このオークションに出品される希少な「F50」には、世界中のコレクターが胸を躍らせるに違いない。これほど絶好の機会は、そう簡単には巡ってこないだろう。新記録価格の達成が期待される！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2026年10月31日、「ブロード アロー オークションズ」はラスベガスでのオークションにおいて、おそらく最高級の「フェラーリF50」の1台を出品する。この「F50」を特別なものにしているのは、新車同然で、実質的に手つかずの状態であることだ。クラシックなカラーコンビネーションである「ロッソ コルサ」に、赤いシート中央帯をあしらったブラックレザー内装を備えたこの「F50」は、生産後期に製造された車両だ。349台生産された「F50」のうち334番目の車両は、1997年8月6日に完成し、サリー州エガムにある英国のディーラー、「Maranello Sales Ltd.」を通じて初代オーナーに引き渡された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":75537,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3051-1618x1080-4d10b6875bceb971-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75537"/><figcaption class="wp-element-caption">石はねの跡や使用による傷など、ここには一切見当たらない。真のコレクターズアイテムにふさわしく、最初のタイヤさえもまだ装着されたままだ。これ以上のオリジナル状態はありえない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しばらくして、この「F50」は小さな世界一周の旅に出た。英国から日本へ売却された後、2015年にドイツへやって来たのだ。その後数年間、カッセルにある名門フェラーリディーラー、「エバーライン オートモービル」で数回にわたりメンテナンスを受け、直近では2025年に整備が行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">29年で走行距離たったの170キロメートル</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回のオークションに備えて、この希少なフェラーリは米国へ輸出され、現地で新たなメンテナンスと「フェラーリ クラシケ検査」を受けた。特に注目すべき点は、所有者が数回変わっているにもかかわらず、この「F50」は実質的に一度も走行されていないことだ。29年が経過した現在でも、走行距離計にはわずか106マイル（170キロメートルに相当）しか表示されていない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":75538,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3053-1618x1080-0ddd9276edcc3e6a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75538"/><figcaption class="wp-element-caption">ほとんど走行していない： 29年以上経っても、走行距離計の表示はわずか106マイル。これは170.59キロメートルに相当する。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F50」のような車は走行するために作られたとはいえ、新品同様の個体はコレクターの間で非常に人気がある。ましてや、もともと需要の高い特別仕様車であればなおさらだ。「F50」は、価値がどれほど急速に高まる可能性があるかを如実に示す好例だ。数年前までは「F50」が100万～150万ユーロ（約1億8,000～2億7,300万円）で出回ることが散見されたが、ここ3～4年で価格は文字通り爆発的に高騰した。現在では500万ユーロ（約9億1,000万円）を超える落札価格が当たり前となっており、「F50」は先代モデルである「F40」を大幅に上回る価値を確立している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF50はわずか349台しか製造されなかった</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その理由の一つとして、フェラーリ創立50周年を記念して市場に投入された「F50」は、製造台数がわずか349台と、「F40」に比べてはるかに希少であることも理由の一つに挙げられるだろう。発表当時、「F50」はフェラーリが提供できる最高のモデルであった。4.7リッターのV型12気筒自然吸気エンジンは、その基本設計において、1993年まで使用されていたF1エンジンに由来している。公道走行用に、最高回転数は15,000回転から8,500回転に制限された一方で、排気量は3.5リッターから4.7リッターに拡大された。その結果、最高出力520PS、最大トルク471Nmを発揮する。「F50」は0から100km/hまで3.9秒で加速し、最高速度は325km/hとされている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":75535,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/1997-ferrari-f50_3-86d5cfb806a0520f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75535"/><figcaption class="wp-element-caption">手つかずのオリジナル状態： このフェラーリF50は、実質的に29年経った新車そのものだ。これで新たな最高落札価格を更新できるだろうか？</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これまでの「フェラーリF50」の公式最高落札価格は9,245,000ドル（約15億1,618万円）で、これは2025年8月に、ファッションデザイナーのラルフ ローレンが所有していた「F50」をあるコレクターが落札した際の金額だ。これは「ジャッロ モデナ（Giallo Modena）」カラーで工場から米国へ出荷されたわずか2台のうちの1台だが、2025年時点で走行距離はすでに8,626キロメートル（それでも9千km弱）に達していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":75540,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/image1-49.jpg" alt="" class="wp-image-75540"/><figcaption class="wp-element-caption">ラルフ ローレンが所有していたF50<br>Photo: Jorge Guasso / Courtesy Of RM Sotheby´s</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">このF50は2,000万ドル（約36億円）の大台を突破するのだろうか？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここで紹介する新車同然の「F50」の推定価格は、信じられないほどの2,000万ドル以上（約36億円）とされている。もしこの価格が実際に達成されれば、ナンバー334はこれまでの「F50」の中で最も高価な一台となるだけでなく、ゆっくりと、しかし確実に伝説の「マクラーレンF1」に追いついていくことになるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":75539,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3057-1618x1080-f38dffa413029386-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75539"/><figcaption class="wp-element-caption">希少なトッズのドライバースニーカーでさえ未使用の状態で、ダストバッグと予備の靴紐が付属している。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>価格にはもちろん、いわゆるフライトケースからスケドーニ（Schedoni）製の純正ラゲッジセット、さらには希少なトッズ（Tod）のドライバースニーカーに至るまで、すべての付属品が含まれている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>自動車愛好家のひとりとして、ほとんど走行されていない「フェラーリF50」を見ると、胸が張り裂けるような思いがする。しかし、まさにそれこそが、世界中の多くのコレクターが求めているものなのだ。この「F50」が、非常に楽観的な推定価格に達するかどうか、非常に興味津々だ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Jan Götze<br>Photo: Broad Arrow Auctions</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-2869-1691x951-dbfc0c9b46f5f72b-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF50（1997年）： 製造から29年が経過したフェラーリF50の新車状態の車両が競売にかけられる。F50ほど短期間でこれほどの価値上昇を遂げたフェラーリは他にない。走行距離はわずか170㎞だ。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>購入から30年近く経つにもかかわらず、新車同然のコンディションを誇る「フェラーリF50」。このオークションに出品される希少な「F50」には、世界中のコレクターが胸を躍らせるに違いない。これほど絶好の機会は、そう簡単には巡ってこないだろう。新記録価格の達成が期待される！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2026年10月31日、「ブロード アロー オークションズ」はラスベガスでのオークションにおいて、おそらく最高級の「フェラーリF50」の1台を出品する。この「F50」を特別なものにしているのは、新車同然で、実質的に手つかずの状態であることだ。クラシックなカラーコンビネーションである「ロッソ コルサ」に、赤いシート中央帯をあしらったブラックレザー内装を備えたこの「F50」は、生産後期に製造された車両だ。349台生産された「F50」のうち334番目の車両は、1997年8月6日に完成し、サリー州エガムにある英国のディーラー、「Maranello Sales Ltd.」を通じて初代オーナーに引き渡された。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3051-1618x1080-4d10b6875bceb971-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75537"/><figcaption class="wp-element-caption">石はねの跡や使用による傷など、ここには一切見当たらない。真のコレクターズアイテムにふさわしく、最初のタイヤさえもまだ装着されたままだ。これ以上のオリジナル状態はありえない。</figcaption></figure>
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<p>しばらくして、この「F50」は小さな世界一周の旅に出た。英国から日本へ売却された後、2015年にドイツへやって来たのだ。その後数年間、カッセルにある名門フェラーリディーラー、「エバーライン オートモービル」で数回にわたりメンテナンスを受け、直近では2025年に整備が行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">29年で走行距離たったの170キロメートル</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<p>今回のオークションに備えて、この希少なフェラーリは米国へ輸出され、現地で新たなメンテナンスと「フェラーリ クラシケ検査」を受けた。特に注目すべき点は、所有者が数回変わっているにもかかわらず、この「F50」は実質的に一度も走行されていないことだ。29年が経過した現在でも、走行距離計にはわずか106マイル（170キロメートルに相当）しか表示されていない。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3053-1618x1080-0ddd9276edcc3e6a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75538"/><figcaption class="wp-element-caption">ほとんど走行していない： 29年以上経っても、走行距離計の表示はわずか106マイル。これは170.59キロメートルに相当する。</figcaption></figure>
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<p>「F50」のような車は走行するために作られたとはいえ、新品同様の個体はコレクターの間で非常に人気がある。ましてや、もともと需要の高い特別仕様車であればなおさらだ。「F50」は、価値がどれほど急速に高まる可能性があるかを如実に示す好例だ。数年前までは「F50」が100万～150万ユーロ（約1億8,000～2億7,300万円）で出回ることが散見されたが、ここ3～4年で価格は文字通り爆発的に高騰した。現在では500万ユーロ（約9億1,000万円）を超える落札価格が当たり前となっており、「F50」は先代モデルである「F40」を大幅に上回る価値を確立している。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF50はわずか349台しか製造されなかった</h3>
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<p>その理由の一つとして、フェラーリ創立50周年を記念して市場に投入された「F50」は、製造台数がわずか349台と、「F40」に比べてはるかに希少であることも理由の一つに挙げられるだろう。発表当時、「F50」はフェラーリが提供できる最高のモデルであった。4.7リッターのV型12気筒自然吸気エンジンは、その基本設計において、1993年まで使用されていたF1エンジンに由来している。公道走行用に、最高回転数は15,000回転から8,500回転に制限された一方で、排気量は3.5リッターから4.7リッターに拡大された。その結果、最高出力520PS、最大トルク471Nmを発揮する。「F50」は0から100km/hまで3.9秒で加速し、最高速度は325km/hとされている。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/1997-ferrari-f50_3-86d5cfb806a0520f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75535"/><figcaption class="wp-element-caption">手つかずのオリジナル状態： このフェラーリF50は、実質的に29年経った新車そのものだ。これで新たな最高落札価格を更新できるだろうか？</figcaption></figure>
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<p>これまでの「フェラーリF50」の公式最高落札価格は9,245,000ドル（約15億1,618万円）で、これは2025年8月に、ファッションデザイナーのラルフ ローレンが所有していた「F50」をあるコレクターが落札した際の金額だ。これは「ジャッロ モデナ（Giallo Modena）」カラーで工場から米国へ出荷されたわずか2台のうちの1台だが、2025年時点で走行距離はすでに8,626キロメートル（それでも9千km弱）に達していた。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/image1-49.jpg" alt="" class="wp-image-75540"/><figcaption class="wp-element-caption">ラルフ ローレンが所有していたF50<br>Photo: Jorge Guasso / Courtesy Of RM Sotheby´s</figcaption></figure>
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<h3 class="wp-block-heading">このF50は2,000万ドル（約36億円）の大台を突破するのだろうか？</h3>
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<p>ここで紹介する新車同然の「F50」の推定価格は、信じられないほどの2,000万ドル以上（約36億円）とされている。もしこの価格が実際に達成されれば、ナンバー334はこれまでの「F50」の中で最も高価な一台となるだけでなく、ゆっくりと、しかし確実に伝説の「マクラーレンF1」に追いついていくことになるだろう。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Ferrari-F50-3057-1618x1080-f38dffa413029386-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-75539"/><figcaption class="wp-element-caption">希少なトッズのドライバースニーカーでさえ未使用の状態で、ダストバッグと予備の靴紐が付属している。</figcaption></figure>
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<p>価格にはもちろん、いわゆるフライトケースからスケドーニ（Schedoni）製の純正ラゲッジセット、さらには希少なトッズ（Tod）のドライバースニーカーに至るまで、すべての付属品が含まれている。</p>
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<p><strong>結論：</strong><br>自動車愛好家のひとりとして、ほとんど走行されていない「フェラーリF50」を見ると、胸が張り裂けるような思いがする。しかし、まさにそれこそが、世界中の多くのコレクターが求めているものなのだ。この「F50」が、非常に楽観的な推定価格に達するかどうか、非常に興味津々だ！</p>
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<p>Text: Jan Götze<br>Photo: Broad Arrow Auctions</p>
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			</item>
		<item>
		<title>【ショートストーリー】ポルシェ博士の遺産：未完の世界速度記録車メルセデス・ベンツT80（1939年）</title>
		<link>https://autobild.jp/74498/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Oct 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[DB603エンジン]]></category>
		<category><![CDATA[Ferdinand Porsche]]></category>
		<category><![CDATA[Mercedes-Benz]]></category>
		<category><![CDATA[フェルディナント・ポルシェ]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス・ベンツ]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス・ベンツ T80]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=74498</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="889" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-300x222.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-1024x759.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-768x569.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p>フェルディナント・ポルシェ博士（Ferdinand Porsche）は1923年から1928年までメルセデス・ベンツの技術部長として活躍したのはご存じだろうか。ポルシェ博士はメルセデス・ベンツの中でも有名なS、SS、SSKをはじめとする名車の大半を手掛け、退社後も大きな技術的影響を与えたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回は特に、ポルシェ博士の遺産として走行未完に終わった1939年の「メルセデス・ベンツ T80」世界速度記録車にスポットを当て紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74500,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/02-1024x509.jpg" alt="" class="wp-image-74500"/><figcaption class="wp-element-caption">メルセデス・ベンツT 80世界記録プロジェクト車両：写真ではDB 603航空機エンジンを搭載したシャシー、スペースフレーム、フィンが装着されているのが解る。また3,500psのパワーを受け止めるための独創的なメカニズムも見て取れる。6輪の内、後4輪を駆動する世界速度記録実験車。写真は1939年。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時のダイムラー・ベンツ社製のメッサーシュミット戦闘機用DB 603エンジン（44.5L 懸架式12気筒、3,500ps）を搭載し、6輪の内、後ろの4輪を駆動する世界速度記録実験車だ。メッサーシュミットがもっていた航空機の速度記録（610km/h）さえ上回る650km/hの世界最高記録樹立を目指して開発されたが、第二次大戦の勃発により一度も走ることはなかった。全長8,240mm/全幅1,740mm（ウイング除く）/全高1,270mm、航空機開発で手にしたエアロダイナミクスと巨大エンジン、そして3,500psを受け止める自動車シャシー技術、この三つの集大成というべき存在であった。もちろんシャシー設計はフェルディナント・ポルシェ博士！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74501,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/03-1024x741.jpg" alt="" class="wp-image-74501"/><figcaption class="wp-element-caption">スペースフレ一ムとエンジンを取り払い、前2輪・後4輪のシャシ一構造がよく見える。後4輪の間に見えるのは、3.500psのパワーを4輪に伝えるトランスミッションとディファレンシャルギアが一体となったトランスアクスル。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現在、この実車はメルセデス・ベンツ博物館で展示されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>TEXT；妻谷裕二。<br>PHOTO；メルセデス・ベンツAG、妻谷コレクション</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="889" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-300x222.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-1024x759.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/01-1-768x569.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p>フェルディナント・ポルシェ博士（Ferdinand Porsche）は1923年から1928年までメルセデス・ベンツの技術部長として活躍したのはご存じだろうか。ポルシェ博士はメルセデス・ベンツの中でも有名なS、SS、SSKをはじめとする名車の大半を手掛け、退社後も大きな技術的影響を与えたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回は特に、ポルシェ博士の遺産として走行未完に終わった1939年の「メルセデス・ベンツ T80」世界速度記録車にスポットを当て紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74500,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/02-1024x509.jpg" alt="" class="wp-image-74500"/><figcaption class="wp-element-caption">メルセデス・ベンツT 80世界記録プロジェクト車両：写真ではDB 603航空機エンジンを搭載したシャシー、スペースフレーム、フィンが装着されているのが解る。また3,500psのパワーを受け止めるための独創的なメカニズムも見て取れる。6輪の内、後4輪を駆動する世界速度記録実験車。写真は1939年。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時のダイムラー・ベンツ社製のメッサーシュミット戦闘機用DB 603エンジン（44.5L 懸架式12気筒、3,500ps）を搭載し、6輪の内、後ろの4輪を駆動する世界速度記録実験車だ。メッサーシュミットがもっていた航空機の速度記録（610km/h）さえ上回る650km/hの世界最高記録樹立を目指して開発されたが、第二次大戦の勃発により一度も走ることはなかった。全長8,240mm/全幅1,740mm（ウイング除く）/全高1,270mm、航空機開発で手にしたエアロダイナミクスと巨大エンジン、そして3,500psを受け止める自動車シャシー技術、この三つの集大成というべき存在であった。もちろんシャシー設計はフェルディナント・ポルシェ博士！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74501,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/03-1024x741.jpg" alt="" class="wp-image-74501"/><figcaption class="wp-element-caption">スペースフレ一ムとエンジンを取り払い、前2輪・後4輪のシャシ一構造がよく見える。後4輪の間に見えるのは、3.500psのパワーを4輪に伝えるトランスミッションとディファレンシャルギアが一体となったトランスアクスル。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現在、この実車はメルセデス・ベンツ博物館で展示されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>TEXT；妻谷裕二。<br>PHOTO；メルセデス・ベンツAG、妻谷コレクション</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【希少なVWバス】VW T1 アウヴェルター カールクス：希少車のレストア　狂気のラグジュアリーVWバス</title>
		<link>https://autobild.jp/72457/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 12 Oct 2026 23:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Auwärter Carlux]]></category>
		<category><![CDATA[Volkswagen]]></category>
		<category><![CDATA[VW]]></category>
		<category><![CDATA[VW T1]]></category>
		<category><![CDATA[VW T1 アウヴェルター カールクス]]></category>
		<category><![CDATA[VW T1サンバ バス]]></category>
		<category><![CDATA[VWバス]]></category>
		<category><![CDATA[アウヴェルター カールクス]]></category>
		<category><![CDATA[ウォルター・イェリネク]]></category>
		<category><![CDATA[シュテフェン・ハーン]]></category>
		<category><![CDATA[タミヤ サンドスコーチャー]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ車]]></category>
		<category><![CDATA[フォルクスワーゲン]]></category>
		<category><![CDATA[レストア]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=72457</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>希少なVWバス、思いがけない発見、そして驚異的なレストア―高級仕様のVW T1「アウヴェルター カールクス（Auwärter Carlux）」を巡る、全3幕のドラマである！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ただいま劇場で上演中なのは、風変わりな1台のバスを巡る感動の物語だ。そのバスは誰もが笑顔になる喜びをもたらした後、一度は命を落とし、奇跡的に救い出された。出演者はバスをこよなく愛する7人ほどの男たち、そして鮮やかな色をまとったバスそのものである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>まるで『白雪姫』のような物語であり、見た目も少しそれを思わせる。舞台装置として登場するのは、丘陵地帯、草木に覆われた自動車の墓場、ワークショップ、そして古い織物工場だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73510,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/restaurierter-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-1959-Besitzer-Steffen-Hahn-Chef-der-3051-3963x2645-12c036c5410c7596-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73510"/><figcaption class="wp-element-caption">舞台セット：レストアを担当したウォルター・イェリネク（左）とオーナーのシュテフェン・ハーン。2人の前にあるのは、アウヴェルター製の特製ボディを架装した1959年製VW T1「カールクス」だ。ロイトリンゲン近郊ミッテルシュタットの「アルテ・ヴェーベライ（旧織物工場）」で披露された。現存が確認されているカールクスは3台である。<br>Photo：Bernd Hanselmann/AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">VW T1 アウヴェルター カールクスはいかにして誕生したのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第1幕。1959年頃、スイスのザンクト・ガレン。バスツアーを運営するシュプレンガー社は、狭い山道を走れるだけのコンパクトな車幅を備えたパノラマバスを探していた――口伝によれば、そういうことになっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73506,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Konstruktionszeichnungen-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3053-894x596-7d4f965cfae9a81a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73506"/><figcaption class="wp-element-caption">VW T1 カールクスに関する最古の資料は、1950年代後半にアウヴェルターが描いた図面である。<br>Photo：Auwärter</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ある日、シュトゥットガルト・メーリンゲンにあったエルンスト・アウヴェルター車体・車両製造有限会社に、まさにその条件を満たすVW T1の寸法図が届いた。そこには「VW Luxus-Car（VWラグジュアリーカー）」と記され、アウヴェルターとシュプレンガーの名が記載されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73503,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/historisches-Foto-eines-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-vorn-3055-3450x2301-3b69d153d0bcfa9d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73503"/><figcaption class="wp-element-caption">このT1 アウヴェルター カールクスは、当初スイスの旅行会社フリュッキンガーで使用されていた。<br>Photo：private</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウヴェルターは、この「ラグジュアリーカー」を数台製作。「カールクス」と名づけ、シュプレンガーをはじめとする複数のバス会社に販売した。最大9人を乗せ、34馬力のエンジンで各地を走ったのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73517,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/vier-historische-Fotos-von-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3057-3000x2000-1425ace048ccd21f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73517"/><figcaption class="wp-element-caption">カールクスは全部で何台製造されたのか？正確な台数はわかっていない。写真で存在を確認できるのは5～6台だ。左上の1台は、おそらくティティゼー＝ノイシュタットのフォルツ社が購入したもの。ベルンのディスリ社向けに製作された車両（左下）は、現在ブルーに塗装されている（右上）。そのほか、カルフからマルクスツェルを経てイェリネクのもとへ渡った1台、車内だけが撮影された1台、そして今回レストアされた車両が存在する。映画『ハインチェ―心は旅に出る』（右下）に登場した車両も、このうちの1台だったのだろうか？エルンスト・アウヴェルター本人は、24台が製造されたと語っていた。<br>Photo：private/Allianz Filmproduktion/Terra Filmkunst/The Bug Box</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">T1 アウヴェルター カールクスはどこで再発見されたのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第2幕。2009年、スイスのカウフドルフにあったフランツ・メッサーリの自動車墓場。そこでは1,000台を超えるクラシックカーが朽ち果てようとしていた。その中に、1台のVW T1 アウヴェルター カールクスがあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かつてエンジントラブルによってここへ運び込まれた車両は、窓を失い、床下は錆び、屋根は倒木によって押し潰されていた。そして自治体は、この敷地を完全に撤去すると通告していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74483,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Fundsituation-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-hinten-unter-einem-ungefallenen-Baum-3059-2256x1496-c4efc4d78370acd8-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-74483"/><figcaption class="wp-element-caption">2008年、AUTO BILD KLASSIKの同僚ミヒャエル・シュトルーヴェが、スイスのメッサーリ自動車墓場にあったカールクスを撮影した。屋根の上には木が倒れかかっていた。<br>Photo：Michael Struve/AUTO BILD KLASSIK</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここで、旧いVWのスペシャリストであるペーター・フリートが登場する。彼はT1の残骸を購入し、保管した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73502,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Fundsituation-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-vorn-unter-einem-ungefallenen-Baum-3061-2256x1496-e885073df87e7743-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-73502"/><figcaption class="wp-element-caption">発見時のT1 カールクスについて、ウォルター・イェリネクは「車内には、ほとんどすべての部品が残っていました。ただし、すべて壊れていました」と語る。<br>Photo：Michael Struve / AUTO BILD KLASSIK</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>続いて登場するのが、フリートの友人ウォルター・イェリネクだ。彼もまたカールクスを所有している。2009年に発見したブルーのVWバスで、遊び心から車高を低くしている。彼はVW T1に精通し、これまでに数十台をレストアしてきた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、クラシックカー愛好家であり、イェリネクの顧客でもあるシュテフェン・ハーンが登場する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「イェリネクさん、そこにあるのは何ですか？」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カールクスの話を耳にしたハーンは、たちまち強い関心を示した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73519,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-in-Restaurierung-der-rohe-Dachrahmen-sitzt-auf-der-3061-2755x1836-e6a60e707d00f7ac-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73519"/><figcaption class="wp-element-caption">レストア中のVW T1 アウヴェルター カールクス。修正されたオリジナルのルーフフレームが、ドナーとなったT1の裸のシャシーに載せられている。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「私の最大の長所は、粘り強さです」と、イェリネクは穏やかに語る。「私は強引に迫るタイプではありません。ただ、定期的に何度でも尋ねることはできます」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73498,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Carlux-in-Restarurierung-neue-Plexiglasscheiben-wurden-in-den-Dachrahmen-3061-3024x2013-4589fa97f9de2160-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-73498"/><figcaption class="wp-element-caption">レストア全体の成否を左右したのは、ルーフの採光窓を再現できるかどうかだった。製作を担当したのはプレキシヴァイス社である。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてある日、プレキシヴァイスから「製作可能」との返事が届いた。同社でスペシャルプロジェクト部門を率いるエルヴィン・ジーゲンターラーは、次のように説明する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「彼が持っていた古い窓一式をスキャンし、ガラス繊維強化プラスチック製の型を製作しました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>素材には、ダルムシュタットのレーム社から購入した厚さ5mmのブルーに着色されたアクリルガラス板を使用した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「150～170度に加熱し、ストレッチフォーミング製法によって型の上で成形しました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">なぜ1台のVW T1が犠牲になったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>車体上部は比較的良好な状態で残っていたが、下半分は壊滅的だった。ボディを構成していたのは、わずかに残った塗料と茶色い酸化鉄の粒子だけである。どうすればいいのか？　ドナー車を探すしかなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは、同年式の量産型T1を発見した。アメリカ・ニューメキシコ州の乾燥した環境で保管されていた車両である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「比較的状態がよく、オリジナル塗装も残っていました。それを完全に分解したのです。今だったら、私は殺されてしまうでしょうね」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンは、その決断を支持する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「やるからには、徹底的にやろう」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>彼は今、そう語っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73516,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Unterboden-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-mit-automatischer-Trittstufe-3061-2420x1614-b2125b0d38d98b66-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73516"/><figcaption class="wp-element-caption">アウヴェルター独自の装備である、自動的に旋回して出てくるステップの機構も再現された。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>通常のT1が2分割式のサイドドアを備えるのに対し、アウヴェルター カールクスには1枚の大型スイングドアが装備されている。イェリネクの板金職人たちはこれを再現し、その後方に位置するサイドパネルは、イギリスの板金部品メーカー、オートクラフト エンジニアリングが製作した。荷室と運転席のフロアも新たに作り直されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それ以外の部分は、1961年にハノーファーで製造されたクラシックカー、すなわちドナーとなったT1から移植された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「したがって、構造的には正真正銘のVWであり、寄せ集めではありません」とイェリネクは語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>板金作業だけで、実に3,000時間を要した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73518,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Vorher-nachher-schwer-verrostete-Dachluke-vor-der-Restaurierung-lackierte-und-3061-3000x2000-cb2d05d28ab06aeb-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73518"/><figcaption class="wp-element-caption">アウヴェルター独自のルーフハッチは、一部をレストアして再使用することができた。<br>Photo：Walter Jelinek／Markus Luber</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">インテリアはどのように再現されたのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>キャラメルブラウンのインテリアから、イェリネクは、この車両が通称「マンゴーバス」だったに違いないと判断した。ボディ下部がマンゴーグリーン（L346）、上部がシーガルグレー（L347）という組み合わせである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「したがって、内装パネルにはビスケットのような模様が必要でした。私たちは一種のワッフルメーカーを使って再現しました。これには相当な粘り強さが必要でした」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73499,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Detail-des-Klappsitzes-im-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-2513x1677-35318cf8ffb9321b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73499"/><figcaption class="wp-element-caption">本革で覆われた2列目の折りたたみ式シート。ドアロックの跡が表面につかないよう、シートは奥まった位置に収められている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このクラシックカーのシートには、もともとビニールレザーが使用されていた。しかし、シュテフェン・ハーンは本革を希望した。そのため、イェリネクと仕事をするレーゲンスブルクの内装職人、マルクス・ミュールバウアーは本革でシートを仕立てた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カーペットも、おそらく当時より豪華なものになっている。イェリネクは、アウヴェルターが本来装着していたのはラバーマットだったと推測している。アウヴェルターの破産後、すべての資料が失われたとみられるため、いくつかの箇所では推測をもとに作業を進めざるを得なかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">スペアパーツ探しはどれほど困難だったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クロームメッキされたドアミラーはオリジナルではない。フリュッキンガー社の写真を見ると、当時は黒い長方形のミラーが装着されていたことがわかる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、ワイパーについて、イェリネクは再び徹底したこだわりを見せた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「VW T2b用の部品も使えます。同じものですから。しかし、それでは駄目なのです。これは確か、メルセデス190 SL用だったと思います。何カ月も部品交換会を探し回って、ようやく見つけました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴム製のウェザーストリップも新たに製作された。崩れかけていたベークライト製のリアベンチレーションウインドウ用ノブは、「金属3Dプリンターを使って再現」した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>車内を水平に走る装飾モールは、「ポーランドの廃車置き場にあった1960年代のセトラ製バスから発見した」という。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73515,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Trittstufe-unter-der-Tuer-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-2314x1542-910a50b39335001c-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73515"/><figcaption class="wp-element-caption">ドア下部のステップ表面は、今もオリジナルのままである。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「エンジンのマグネシウム製ケースは腐食して穴が開いていましたが、それでも全体のほぼ90％を再使用することができました」とイェリネクは報告する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「唯一、悔しいのがトレーラーヒッチです」と彼は続ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「年代としては正しいものですが、ウェストファリア製なのです。本当はハーン製にしたいのですが、VW T1用はどこにも見つかりません。与えられた条件の中で、可能な限り完璧に仕上げることが私の目標です」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">なぜアウヴェルター カールクスはこのカラーリングになったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ボディカラーを決める際には、依頼主の意向が再び必要になった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンは次のように語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「このバスは、ハーン社から出てきた車両のように見せたかったのです。デザインを決めていく作業は刺激的でした。ダークブルーは当社のコーポレートカラーで、そこにアイボリーを組み合わせると完璧に調和します」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73505,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Karosserie-ohne-Scheiben-nach-der-Lackierung-Kuenstler-sitzt-im-Schneidersitz-3061-3836x2559-5e9e9ee6d9fb16f9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73505"/><figcaption class="wp-element-caption">ピンストライプアーティストのニール・メリアードがロンドンから訪れ、安定した手さばきで車体にラインを描いた。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは、ロンドンから塗装界のレジェンド、ニール・メリアードを招いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは振り返る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ニール、ペインターのクリス、同僚のマルクス、そして私は、最も美しく見えるデザインを探して2日間を費やしました。夜通しの作業では、大量のコーヒーと強い酒が必要でした。ハーン氏もWhatsAppを通じて参加していました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>太いブルーのストライプは塗装によるもの。一方、細いライン、ハーンのロゴ、文字はメリアードが手作業で描いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73497,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Blaue-Felge-mit-goldenem-Zierstreifen-der-von-Hand-aufgemalt-wurde-3061-2513x1675-7347c80d6c88590e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73497"/><figcaption class="wp-element-caption">ブルーのストライプがベージュゴールドの手描きラインで縁取られているだけではない。スチールホイールにもピンストライプが施された。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最終幕。2023年、ロイトリンゲン・ミッテルシュタットの旧織物工場。クラシックカーとヤングタイマーの整備・販売を手がけるハーン クラシックは、1876年に建てられたこの建物に拠点を移していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここで、我々はVW T1 アウヴェルター カールクスを撮影した。車両は完全にレストアされ、走行可能であり、すべての機能が正常に作動する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ハッピーエンドだ。これで幕を下ろすことができる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73500,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Front-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-aus-der-Froschperspektive-mit-Blick-durchs-Dach-3061-3813x2544-eae7036b06b03019-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73500"/><figcaption class="wp-element-caption">カエルの視点のように低い位置から見上げると、カールクスの屋根がほぼ全面ガラスで構成されていることがわかる。標準仕様のサンババスですら、これにはかなわない。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、待ってほしい。まだ、もうひとつサプライズがある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>AUTO BILD KLASSIKの編集部審査員は、ウォルター・イェリネクとシュテフェン・ハーンに、2023年の「レストア・オブ・ザ・イヤー」として「ゴールデン クラシック」を授与した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>こうして最後の拍手までもが、このドラマの一部となった。幕！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73520,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-schraeg-von-hinten-zwischen-Buehnenvorhaengen-in-der-3061-4412x2945-fcb8829b9b33dd46-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73520"/><figcaption class="wp-element-caption">レストアを終えたVW T1 アウヴェルター カールクスに、最後の拍手とカーテンコールが送られる。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">レストアラーと彼の会社</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ウォルター・イェリネクほど独創性と完璧主義をもってレストアに取り組み、同時にこれほど華やかなカスタムカーを作り上げる人物は、ほかにほとんどいない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73509,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Portraitfoto-von-Walter-Jelinek-3061-2321x1547-1f936cde0ea9d4df-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73509"/><figcaption class="wp-element-caption">ウォルター・イェリネクは、1994年からプロとして旧いVWのレストアを手がけている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>17歳のとき、祖父から1979年製のVWビートルを譲り受け、バハ・バグのようなカスタムビートルに夢中になった。グラーフェンヴェーアに駐留していた米軍兵士から、アメリカのVW専門誌や、自動車部品・チューニング用品を扱うJCホイットニーのカタログをもらった。ドイツの『Street Mag』などの雑誌も、イェリネクの関心をさらにかき立てた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1989～1990年には、借りた作業場で、廃車置き場から500マルクで手に入れた1965年製ビートルを再生した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カスタムカーを作れば作るほど、その名はシーンに広まっていった。依頼が増えたことで、イェリネクは建築学の勉強を中断。1994年、ティルシェンロイト近郊のファルケンベルクで自身の会社を設立した。2001年には、オーバープファルツ地方のヴァイデンへ移転している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73511,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Rostiger-und-tiefergelegter-VW-T1-mit-stark-patiniertem-Erstlack-und-3061-2322x1548-25f07a75f7b7b1dd-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73511"/><figcaption class="wp-element-caption">「リンデンツリー」。イェリネクの会社「The Bug Box」は、1961年製T1を可能な限りオリジナルのまま残しながらチューニングした。ヨーロッパで最初期の「ラットロッド」の1台である。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>T1 サンバの製作過程を紹介したテレビ局Kabel Einsの番組（2009年）や、タミヤ「サンドスコーチャー」の実物大レプリカ（2010年）によって、彼の会社「The Bug Box」は広く知られるようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73514,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Tamiya-Sand-Scorcher-Nachbau-des-Fernlenkautos-in-Lebensgroesse-3061-2048x1536-cd70eb0219606d00-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-73514"/><figcaption class="wp-element-caption">タミヤ サンドスコーチャー。ラジコンカーを1分の1スケールで再現した実物大レプリカだ。<br>Photo：Walter Jelinek Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2016年、イェリネクは会社の規模を縮小し、南フランスへ移住した。自ら作業する代わりに、自動車の売買、レストアプロジェクトやコレクションの管理に集中するようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし2020年、彼はヴァイデンへ戻った。現在は外部のスペシャリストたちの協力を得ながら、個人コレクターのためにカールクスのような特別な車両をレストアしている。その作業については「auwaertercarlux.blogspot.com」で紹介している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">オーナーと彼の会社</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>レストアを依頼したシュテフェン・ハーンは、シュトゥットガルトとその周辺で36拠点の自動車販売店を展開するハーン グループを経営している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73513,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Steffen-Hahn-sitzend-auf-der-mittleren-Bank-des-Auwaerter-Carlux-3061-3000x2000-4615fca13772f4de-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73513"/><figcaption class="wp-element-caption">ハーン グループの共同オーナー、シュテフェン・ハーンは4代目の経営者であり、VW T1 アウヴェルター カールクスの所有者である。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンの曽祖父、エルンスト・ハーン（1882～1950年）は、ダイムラーで整備士としての訓練を受け、1919年にカンシュタットで「自動車修理工場」を設立した。その後、間もなく中古車販売も始めている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73512,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Schwarzweiss-Portraitfoto-von-Ernst-Hahn-einem-Herrn-mit-Hut-Brille-hellem-3061-1308x873-9ee4def4fb819481-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73512"/><figcaption class="wp-element-caption">エルンスト・ハーンが1919年に設立した自動車修理工場は、後のハーン グループへと発展した。<br>Photo：Hahn Group Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エルンスト・ハーンの息子フリッツ（1908～1961年）は、フェルディナント・ポルシェのもとで働いていた1932年、トーションバー式サスペンションを設計した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1934年以降、父親の会社はポルシェの許可を得て、このサスペンションを採用したトレーラーを製造した。「エルンスト・ハーン自動車販売・車両製造」と名乗るようになった同社は、1934年から1938年までの間に売上高を12倍に伸ばした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73504,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Historisches-Schwarzweissfoto-mit-drei-Maennern-an-einem-Reissbrett-3061-2513x1675-ea972f0e3df87d48-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73504"/><figcaption class="wp-element-caption">フリッツ・ハーン（右）は、フェルディナント・ポルシェ（左）の設計事務所で働いていた。<br>Photo：Hahn Group Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1948年、ハーンはドイツ国内で最初にフォルクスワーゲンの総代理店となった8社のうちの1社となり、1950年にはポルシェも取り扱うようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フリッツ・ハーンの後は、妻のヘレーネ・ハーン（1909～1987年）、その息子オットー・ハーン（1945～2010年）が会社を引き継いだ。2008年にはシュテフェン・ハーンが代表社員に就任し、グループ全体の責任を担うことになった。この頃までに、同社はアウディ、セアト、シュコダも取り扱うようになっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現在では、自動車やキャンピングカーのレンタル、保険サービスも提供している。従業員数は約1,800人、年間売上高は約8億5,000万ユーロ（約1,500億円）に達する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73508,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Passagierraum-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-Blick-nach-hinten-3061-2513x1675-c11bef88b0a89340-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73508"/><figcaption class="wp-element-caption">最大9人の乗員が、周囲はもちろん、特に頭上に広がる壮観な眺めを楽しむことができる。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>VW T1 アウヴェルター カールクス：主要諸元<br>エンジン： 水平対向4気筒、リア縦置き、センターカムシャフト（平歯車駆動）、ソレックス28 PICTダウンドラフトキャブレター<br>排気量： 1,192cc<br>最高出力： 25kW（34馬力）／3,600rpm<br>最大トルク： 82.4Nm／2,000rpm<br>最高速度： 95km/h<br>駆動系： 4速MT、後輪駆動<br>ブレーキ： 前輪油圧ドラム式<br>タイヤ： 6.40×15<br>全長／全幅／全高： 4,220／1,750／2,050mm<br>車両重量： 1,200kg<br>当時の新車価格（1961年）： 不明</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73507,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Motorraum-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-3592x2391-e1e8227696c8c8bb-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-73507"/><figcaption class="wp-element-caption">エンジンルーム左側には、レストアされたエバースペッヒャー製ヒーターが収められている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>次に完成する壮大なレストアは、いったいどのようなものになるのだろうか？　feedback@autobild.deまで、ぜひ情報をお寄せいただきたい！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：Frank B. Meyer</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>編集部より<br>このVW T1 アウヴェルター カールクスは、単に希少なクラシックVWというだけではない。狭い山道を走るための小型パノラマバスという発想、アウヴェルターによる特殊な車体、そして最大9人が空を見上げながら旅を楽しめる開放的な室内――そのすべてが、1950年代末ならではの夢に満ちている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>レストアに3,000時間もの板金作業を費やし、採光窓から内装パネルの模様、小さなノブに至るまで再現した執念も圧倒的だ。一方、希少な同年式T1をドナーとして解体した判断については、クラシックカー愛好家の間で意見が分かれるかもしれない。それでも、朽ち果てる寸前だったカールクスが再び走り出し、その唯一無二の姿を後世に残せるようになったことは、大きな意味を持つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自動車のレストアとは、きれいに修復するだけの作業ではない。失われた歴史を調べ、職人の技術と情熱によって、1台の物語そのものを現代へよみがえらせる仕事なのである。アウトビルトジャパン（Auto Bild Japan）</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-oben-2869-1755x988-11eb66ccc3ccbc41-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>希少なVWバス、思いがけない発見、そして驚異的なレストア―高級仕様のVW T1「アウヴェルター カールクス（Auwärter Carlux）」を巡る、全3幕のドラマである！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ただいま劇場で上演中なのは、風変わりな1台のバスを巡る感動の物語だ。そのバスは誰もが笑顔になる喜びをもたらした後、一度は命を落とし、奇跡的に救い出された。出演者はバスをこよなく愛する7人ほどの男たち、そして鮮やかな色をまとったバスそのものである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>まるで『白雪姫』のような物語であり、見た目も少しそれを思わせる。舞台装置として登場するのは、丘陵地帯、草木に覆われた自動車の墓場、ワークショップ、そして古い織物工場だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73510,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/restaurierter-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-1959-Besitzer-Steffen-Hahn-Chef-der-3051-3963x2645-12c036c5410c7596-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73510"/><figcaption class="wp-element-caption">舞台セット：レストアを担当したウォルター・イェリネク（左）とオーナーのシュテフェン・ハーン。2人の前にあるのは、アウヴェルター製の特製ボディを架装した1959年製VW T1「カールクス」だ。ロイトリンゲン近郊ミッテルシュタットの「アルテ・ヴェーベライ（旧織物工場）」で披露された。現存が確認されているカールクスは3台である。<br>Photo：Bernd Hanselmann/AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">VW T1 アウヴェルター カールクスはいかにして誕生したのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第1幕。1959年頃、スイスのザンクト・ガレン。バスツアーを運営するシュプレンガー社は、狭い山道を走れるだけのコンパクトな車幅を備えたパノラマバスを探していた――口伝によれば、そういうことになっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73506,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Konstruktionszeichnungen-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3053-894x596-7d4f965cfae9a81a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73506"/><figcaption class="wp-element-caption">VW T1 カールクスに関する最古の資料は、1950年代後半にアウヴェルターが描いた図面である。<br>Photo：Auwärter</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ある日、シュトゥットガルト・メーリンゲンにあったエルンスト・アウヴェルター車体・車両製造有限会社に、まさにその条件を満たすVW T1の寸法図が届いた。そこには「VW Luxus-Car（VWラグジュアリーカー）」と記され、アウヴェルターとシュプレンガーの名が記載されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73503,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/historisches-Foto-eines-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-schraeg-vorn-3055-3450x2301-3b69d153d0bcfa9d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73503"/><figcaption class="wp-element-caption">このT1 アウヴェルター カールクスは、当初スイスの旅行会社フリュッキンガーで使用されていた。<br>Photo：private</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウヴェルターは、この「ラグジュアリーカー」を数台製作。「カールクス」と名づけ、シュプレンガーをはじめとする複数のバス会社に販売した。最大9人を乗せ、34馬力のエンジンで各地を走ったのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73517,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/vier-historische-Fotos-von-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3057-3000x2000-1425ace048ccd21f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73517"/><figcaption class="wp-element-caption">カールクスは全部で何台製造されたのか？正確な台数はわかっていない。写真で存在を確認できるのは5～6台だ。左上の1台は、おそらくティティゼー＝ノイシュタットのフォルツ社が購入したもの。ベルンのディスリ社向けに製作された車両（左下）は、現在ブルーに塗装されている（右上）。そのほか、カルフからマルクスツェルを経てイェリネクのもとへ渡った1台、車内だけが撮影された1台、そして今回レストアされた車両が存在する。映画『ハインチェ―心は旅に出る』（右下）に登場した車両も、このうちの1台だったのだろうか？エルンスト・アウヴェルター本人は、24台が製造されたと語っていた。<br>Photo：private/Allianz Filmproduktion/Terra Filmkunst/The Bug Box</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">T1 アウヴェルター カールクスはどこで再発見されたのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第2幕。2009年、スイスのカウフドルフにあったフランツ・メッサーリの自動車墓場。そこでは1,000台を超えるクラシックカーが朽ち果てようとしていた。その中に、1台のVW T1 アウヴェルター カールクスがあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かつてエンジントラブルによってここへ運び込まれた車両は、窓を失い、床下は錆び、屋根は倒木によって押し潰されていた。そして自治体は、この敷地を完全に撤去すると通告していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74483,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/Fundsituation-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-hinten-unter-einem-ungefallenen-Baum-3059-2256x1496-c4efc4d78370acd8-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-74483"/><figcaption class="wp-element-caption">2008年、AUTO BILD KLASSIKの同僚ミヒャエル・シュトルーヴェが、スイスのメッサーリ自動車墓場にあったカールクスを撮影した。屋根の上には木が倒れかかっていた。<br>Photo：Michael Struve/AUTO BILD KLASSIK</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここで、旧いVWのスペシャリストであるペーター・フリートが登場する。彼はT1の残骸を購入し、保管した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73502,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Fundsituation-VW-T1-Auwaerter-Carlux-von-vorn-unter-einem-ungefallenen-Baum-3061-2256x1496-e885073df87e7743-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-73502"/><figcaption class="wp-element-caption">発見時のT1 カールクスについて、ウォルター・イェリネクは「車内には、ほとんどすべての部品が残っていました。ただし、すべて壊れていました」と語る。<br>Photo：Michael Struve / AUTO BILD KLASSIK</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>続いて登場するのが、フリートの友人ウォルター・イェリネクだ。彼もまたカールクスを所有している。2009年に発見したブルーのVWバスで、遊び心から車高を低くしている。彼はVW T1に精通し、これまでに数十台をレストアしてきた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、クラシックカー愛好家であり、イェリネクの顧客でもあるシュテフェン・ハーンが登場する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「イェリネクさん、そこにあるのは何ですか？」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カールクスの話を耳にしたハーンは、たちまち強い関心を示した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73519,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-in-Restaurierung-der-rohe-Dachrahmen-sitzt-auf-der-3061-2755x1836-e6a60e707d00f7ac-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73519"/><figcaption class="wp-element-caption">レストア中のVW T1 アウヴェルター カールクス。修正されたオリジナルのルーフフレームが、ドナーとなったT1の裸のシャシーに載せられている。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「私の最大の長所は、粘り強さです」と、イェリネクは穏やかに語る。「私は強引に迫るタイプではありません。ただ、定期的に何度でも尋ねることはできます」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73498,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Carlux-in-Restarurierung-neue-Plexiglasscheiben-wurden-in-den-Dachrahmen-3061-3024x2013-4589fa97f9de2160-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-73498"/><figcaption class="wp-element-caption">レストア全体の成否を左右したのは、ルーフの採光窓を再現できるかどうかだった。製作を担当したのはプレキシヴァイス社である。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてある日、プレキシヴァイスから「製作可能」との返事が届いた。同社でスペシャルプロジェクト部門を率いるエルヴィン・ジーゲンターラーは、次のように説明する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「彼が持っていた古い窓一式をスキャンし、ガラス繊維強化プラスチック製の型を製作しました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>素材には、ダルムシュタットのレーム社から購入した厚さ5mmのブルーに着色されたアクリルガラス板を使用した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「150～170度に加熱し、ストレッチフォーミング製法によって型の上で成形しました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">なぜ1台のVW T1が犠牲になったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>車体上部は比較的良好な状態で残っていたが、下半分は壊滅的だった。ボディを構成していたのは、わずかに残った塗料と茶色い酸化鉄の粒子だけである。どうすればいいのか？　ドナー車を探すしかなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは、同年式の量産型T1を発見した。アメリカ・ニューメキシコ州の乾燥した環境で保管されていた車両である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「比較的状態がよく、オリジナル塗装も残っていました。それを完全に分解したのです。今だったら、私は殺されてしまうでしょうね」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンは、その決断を支持する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「やるからには、徹底的にやろう」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>彼は今、そう語っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73516,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Unterboden-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-mit-automatischer-Trittstufe-3061-2420x1614-b2125b0d38d98b66-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73516"/><figcaption class="wp-element-caption">アウヴェルター独自の装備である、自動的に旋回して出てくるステップの機構も再現された。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>通常のT1が2分割式のサイドドアを備えるのに対し、アウヴェルター カールクスには1枚の大型スイングドアが装備されている。イェリネクの板金職人たちはこれを再現し、その後方に位置するサイドパネルは、イギリスの板金部品メーカー、オートクラフト エンジニアリングが製作した。荷室と運転席のフロアも新たに作り直されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それ以外の部分は、1961年にハノーファーで製造されたクラシックカー、すなわちドナーとなったT1から移植された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「したがって、構造的には正真正銘のVWであり、寄せ集めではありません」とイェリネクは語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>板金作業だけで、実に3,000時間を要した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73518,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Vorher-nachher-schwer-verrostete-Dachluke-vor-der-Restaurierung-lackierte-und-3061-3000x2000-cb2d05d28ab06aeb-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73518"/><figcaption class="wp-element-caption">アウヴェルター独自のルーフハッチは、一部をレストアして再使用することができた。<br>Photo：Walter Jelinek／Markus Luber</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">インテリアはどのように再現されたのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>キャラメルブラウンのインテリアから、イェリネクは、この車両が通称「マンゴーバス」だったに違いないと判断した。ボディ下部がマンゴーグリーン（L346）、上部がシーガルグレー（L347）という組み合わせである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「したがって、内装パネルにはビスケットのような模様が必要でした。私たちは一種のワッフルメーカーを使って再現しました。これには相当な粘り強さが必要でした」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73499,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Detail-des-Klappsitzes-im-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-2513x1677-35318cf8ffb9321b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73499"/><figcaption class="wp-element-caption">本革で覆われた2列目の折りたたみ式シート。ドアロックの跡が表面につかないよう、シートは奥まった位置に収められている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このクラシックカーのシートには、もともとビニールレザーが使用されていた。しかし、シュテフェン・ハーンは本革を希望した。そのため、イェリネクと仕事をするレーゲンスブルクの内装職人、マルクス・ミュールバウアーは本革でシートを仕立てた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カーペットも、おそらく当時より豪華なものになっている。イェリネクは、アウヴェルターが本来装着していたのはラバーマットだったと推測している。アウヴェルターの破産後、すべての資料が失われたとみられるため、いくつかの箇所では推測をもとに作業を進めざるを得なかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">スペアパーツ探しはどれほど困難だったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クロームメッキされたドアミラーはオリジナルではない。フリュッキンガー社の写真を見ると、当時は黒い長方形のミラーが装着されていたことがわかる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、ワイパーについて、イェリネクは再び徹底したこだわりを見せた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「VW T2b用の部品も使えます。同じものですから。しかし、それでは駄目なのです。これは確か、メルセデス190 SL用だったと思います。何カ月も部品交換会を探し回って、ようやく見つけました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴム製のウェザーストリップも新たに製作された。崩れかけていたベークライト製のリアベンチレーションウインドウ用ノブは、「金属3Dプリンターを使って再現」した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>車内を水平に走る装飾モールは、「ポーランドの廃車置き場にあった1960年代のセトラ製バスから発見した」という。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73515,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Trittstufe-unter-der-Tuer-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-2314x1542-910a50b39335001c-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73515"/><figcaption class="wp-element-caption">ドア下部のステップ表面は、今もオリジナルのままである。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「エンジンのマグネシウム製ケースは腐食して穴が開いていましたが、それでも全体のほぼ90％を再使用することができました」とイェリネクは報告する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「唯一、悔しいのがトレーラーヒッチです」と彼は続ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「年代としては正しいものですが、ウェストファリア製なのです。本当はハーン製にしたいのですが、VW T1用はどこにも見つかりません。与えられた条件の中で、可能な限り完璧に仕上げることが私の目標です」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">なぜアウヴェルター カールクスはこのカラーリングになったのか</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ボディカラーを決める際には、依頼主の意向が再び必要になった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンは次のように語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「このバスは、ハーン社から出てきた車両のように見せたかったのです。デザインを決めていく作業は刺激的でした。ダークブルーは当社のコーポレートカラーで、そこにアイボリーを組み合わせると完璧に調和します」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73505,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Karosserie-ohne-Scheiben-nach-der-Lackierung-Kuenstler-sitzt-im-Schneidersitz-3061-3836x2559-5e9e9ee6d9fb16f9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73505"/><figcaption class="wp-element-caption">ピンストライプアーティストのニール・メリアードがロンドンから訪れ、安定した手さばきで車体にラインを描いた。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは、ロンドンから塗装界のレジェンド、ニール・メリアードを招いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イェリネクは振り返る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ニール、ペインターのクリス、同僚のマルクス、そして私は、最も美しく見えるデザインを探して2日間を費やしました。夜通しの作業では、大量のコーヒーと強い酒が必要でした。ハーン氏もWhatsAppを通じて参加していました」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>太いブルーのストライプは塗装によるもの。一方、細いライン、ハーンのロゴ、文字はメリアードが手作業で描いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73497,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Blaue-Felge-mit-goldenem-Zierstreifen-der-von-Hand-aufgemalt-wurde-3061-2513x1675-7347c80d6c88590e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73497"/><figcaption class="wp-element-caption">ブルーのストライプがベージュゴールドの手描きラインで縁取られているだけではない。スチールホイールにもピンストライプが施された。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最終幕。2023年、ロイトリンゲン・ミッテルシュタットの旧織物工場。クラシックカーとヤングタイマーの整備・販売を手がけるハーン クラシックは、1876年に建てられたこの建物に拠点を移していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここで、我々はVW T1 アウヴェルター カールクスを撮影した。車両は完全にレストアされ、走行可能であり、すべての機能が正常に作動する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ハッピーエンドだ。これで幕を下ろすことができる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73500,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Front-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-aus-der-Froschperspektive-mit-Blick-durchs-Dach-3061-3813x2544-eae7036b06b03019-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73500"/><figcaption class="wp-element-caption">カエルの視点のように低い位置から見上げると、カールクスの屋根がほぼ全面ガラスで構成されていることがわかる。標準仕様のサンババスですら、これにはかなわない。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、待ってほしい。まだ、もうひとつサプライズがある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>AUTO BILD KLASSIKの編集部審査員は、ウォルター・イェリネクとシュテフェン・ハーンに、2023年の「レストア・オブ・ザ・イヤー」として「ゴールデン クラシック」を授与した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>こうして最後の拍手までもが、このドラマの一部となった。幕！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73520,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/VW-T1-Auwaerter-Carlux-schraeg-von-hinten-zwischen-Buehnenvorhaengen-in-der-3061-4412x2945-fcb8829b9b33dd46-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73520"/><figcaption class="wp-element-caption">レストアを終えたVW T1 アウヴェルター カールクスに、最後の拍手とカーテンコールが送られる。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">レストアラーと彼の会社</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ウォルター・イェリネクほど独創性と完璧主義をもってレストアに取り組み、同時にこれほど華やかなカスタムカーを作り上げる人物は、ほかにほとんどいない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73509,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Portraitfoto-von-Walter-Jelinek-3061-2321x1547-1f936cde0ea9d4df-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73509"/><figcaption class="wp-element-caption">ウォルター・イェリネクは、1994年からプロとして旧いVWのレストアを手がけている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>17歳のとき、祖父から1979年製のVWビートルを譲り受け、バハ・バグのようなカスタムビートルに夢中になった。グラーフェンヴェーアに駐留していた米軍兵士から、アメリカのVW専門誌や、自動車部品・チューニング用品を扱うJCホイットニーのカタログをもらった。ドイツの『Street Mag』などの雑誌も、イェリネクの関心をさらにかき立てた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1989～1990年には、借りた作業場で、廃車置き場から500マルクで手に入れた1965年製ビートルを再生した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カスタムカーを作れば作るほど、その名はシーンに広まっていった。依頼が増えたことで、イェリネクは建築学の勉強を中断。1994年、ティルシェンロイト近郊のファルケンベルクで自身の会社を設立した。2001年には、オーバープファルツ地方のヴァイデンへ移転している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73511,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Rostiger-und-tiefergelegter-VW-T1-mit-stark-patiniertem-Erstlack-und-3061-2322x1548-25f07a75f7b7b1dd-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73511"/><figcaption class="wp-element-caption">「リンデンツリー」。イェリネクの会社「The Bug Box」は、1961年製T1を可能な限りオリジナルのまま残しながらチューニングした。ヨーロッパで最初期の「ラットロッド」の1台である。<br>Photo：Walter Jelinek</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>T1 サンバの製作過程を紹介したテレビ局Kabel Einsの番組（2009年）や、タミヤ「サンドスコーチャー」の実物大レプリカ（2010年）によって、彼の会社「The Bug Box」は広く知られるようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73514,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Tamiya-Sand-Scorcher-Nachbau-des-Fernlenkautos-in-Lebensgroesse-3061-2048x1536-cd70eb0219606d00-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-73514"/><figcaption class="wp-element-caption">タミヤ サンドスコーチャー。ラジコンカーを1分の1スケールで再現した実物大レプリカだ。<br>Photo：Walter Jelinek Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2016年、イェリネクは会社の規模を縮小し、南フランスへ移住した。自ら作業する代わりに、自動車の売買、レストアプロジェクトやコレクションの管理に集中するようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし2020年、彼はヴァイデンへ戻った。現在は外部のスペシャリストたちの協力を得ながら、個人コレクターのためにカールクスのような特別な車両をレストアしている。その作業については「auwaertercarlux.blogspot.com」で紹介している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">オーナーと彼の会社</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>レストアを依頼したシュテフェン・ハーンは、シュトゥットガルトとその周辺で36拠点の自動車販売店を展開するハーン グループを経営している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73513,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Steffen-Hahn-sitzend-auf-der-mittleren-Bank-des-Auwaerter-Carlux-3061-3000x2000-4615fca13772f4de-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73513"/><figcaption class="wp-element-caption">ハーン グループの共同オーナー、シュテフェン・ハーンは4代目の経営者であり、VW T1 アウヴェルター カールクスの所有者である。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュテフェン・ハーンの曽祖父、エルンスト・ハーン（1882～1950年）は、ダイムラーで整備士としての訓練を受け、1919年にカンシュタットで「自動車修理工場」を設立した。その後、間もなく中古車販売も始めている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73512,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Schwarzweiss-Portraitfoto-von-Ernst-Hahn-einem-Herrn-mit-Hut-Brille-hellem-3061-1308x873-9ee4def4fb819481-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-73512"/><figcaption class="wp-element-caption">エルンスト・ハーンが1919年に設立した自動車修理工場は、後のハーン グループへと発展した。<br>Photo：Hahn Group Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エルンスト・ハーンの息子フリッツ（1908～1961年）は、フェルディナント・ポルシェのもとで働いていた1932年、トーションバー式サスペンションを設計した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1934年以降、父親の会社はポルシェの許可を得て、このサスペンションを採用したトレーラーを製造した。「エルンスト・ハーン自動車販売・車両製造」と名乗るようになった同社は、1934年から1938年までの間に売上高を12倍に伸ばした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73504,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Historisches-Schwarzweissfoto-mit-drei-Maennern-an-einem-Reissbrett-3061-2513x1675-ea972f0e3df87d48-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73504"/><figcaption class="wp-element-caption">フリッツ・ハーン（右）は、フェルディナント・ポルシェ（左）の設計事務所で働いていた。<br>Photo：Hahn Group Archive</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1948年、ハーンはドイツ国内で最初にフォルクスワーゲンの総代理店となった8社のうちの1社となり、1950年にはポルシェも取り扱うようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フリッツ・ハーンの後は、妻のヘレーネ・ハーン（1909～1987年）、その息子オットー・ハーン（1945～2010年）が会社を引き継いだ。2008年にはシュテフェン・ハーンが代表社員に就任し、グループ全体の責任を担うことになった。この頃までに、同社はアウディ、セアト、シュコダも取り扱うようになっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現在では、自動車やキャンピングカーのレンタル、保険サービスも提供している。従業員数は約1,800人、年間売上高は約8億5,000万ユーロ（約1,500億円）に達する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73508,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Passagierraum-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-Blick-nach-hinten-3061-2513x1675-c11bef88b0a89340-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-73508"/><figcaption class="wp-element-caption">最大9人の乗員が、周囲はもちろん、特に頭上に広がる壮観な眺めを楽しむことができる。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>VW T1 アウヴェルター カールクス：主要諸元<br>エンジン： 水平対向4気筒、リア縦置き、センターカムシャフト（平歯車駆動）、ソレックス28 PICTダウンドラフトキャブレター<br>排気量： 1,192cc<br>最高出力： 25kW（34馬力）／3,600rpm<br>最大トルク： 82.4Nm／2,000rpm<br>最高速度： 95km/h<br>駆動系： 4速MT、後輪駆動<br>ブレーキ： 前輪油圧ドラム式<br>タイヤ： 6.40×15<br>全長／全幅／全高： 4,220／1,750／2,050mm<br>車両重量： 1,200kg<br>当時の新車価格（1961年）： 不明</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":73507,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/09/Motorraum-des-VW-T1-Auwaerter-Carlux-3061-3592x2391-e1e8227696c8c8bb-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-73507"/><figcaption class="wp-element-caption">エンジンルーム左側には、レストアされたエバースペッヒャー製ヒーターが収められている。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>次に完成する壮大なレストアは、いったいどのようなものになるのだろうか？　feedback@autobild.deまで、ぜひ情報をお寄せいただきたい！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：Frank B. Meyer</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>編集部より<br>このVW T1 アウヴェルター カールクスは、単に希少なクラシックVWというだけではない。狭い山道を走るための小型パノラマバスという発想、アウヴェルターによる特殊な車体、そして最大9人が空を見上げながら旅を楽しめる開放的な室内――そのすべてが、1950年代末ならではの夢に満ちている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>レストアに3,000時間もの板金作業を費やし、採光窓から内装パネルの模様、小さなノブに至るまで再現した執念も圧倒的だ。一方、希少な同年式T1をドナーとして解体した判断については、クラシックカー愛好家の間で意見が分かれるかもしれない。それでも、朽ち果てる寸前だったカールクスが再び走り出し、その唯一無二の姿を後世に残せるようになったことは、大きな意味を持つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自動車のレストアとは、きれいに修復するだけの作業ではない。失われた歴史を調べ、職人の技術と情熱によって、1台の物語そのものを現代へよみがえらせる仕事なのである。アウトビルトジャパン（Auto Bild Japan）</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【クラッシックカーイベント見学記】「ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（鶴舞公園）」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 09 Oct 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[MG B]]></category>
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		<category><![CDATA[MG TC]]></category>
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		<category><![CDATA[ジャガー Mk.II]]></category>
		<category><![CDATA[ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026]]></category>
		<category><![CDATA[ロッカー カバー カー レース]]></category>
		<category><![CDATA[名古屋MGカークラブ]]></category>
		<category><![CDATA[鶴舞公園]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="854" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-300x214.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-1024x729.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-768x547.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年5月31日（日）、愛知県名古屋市昭和区にある鶴舞公園で開催されたクラッシックカーイベント、「ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（BRITISH CLASSIC CAR MEETING 2026）」に「名古屋MGカークラブ」のＯ氏（以下Ｏさん）に誘われ見学してきたので、その様子を報告する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（鶴舞公園）とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>名古屋市の鶴舞公園で、鶴舞公園整備運営事業共同事業体主催、名古屋MGカークラブの協力の下で開催された英国車のクラッシックカーミーティングで、この日は1932〜1997年までに製造されたMG車21台を中心に、代表的な英国車を含め計28台が集まった。このイベントは毎年、鶴舞公園で開催されているが、この公園で開催されるクルマのイベントは、このイベントのみである。「MG車以外によるクルマのイベントは、今まで開催されたことがない」、とメンバーの1人が教えてくれた。どうやら、鶴舞公園からも厚い信頼を受けているイベントの様だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">鶴舞公園とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>名古屋市昭和区にある公園で、1909（明治42）年に名古屋市が最初に設置した公園で、洋風庭園と和風庭園の調和の取れた公園である。西側は明治時代の雰囲気を残す「噴水塔」を中心に大花壇やバラ園が広がる洋風庭園で、東側は胡蝶池や竜ヶ池などを配した緑豊かな日本庭園になっており、「日本さくら名所100選」にも選ばれ、春にはソメイヨシノを中心に多くの桜が咲き誇り、「花まつり」が開催されている。また、ツツジ、バラ、ハナショウブ、アジサイなど四季折々の花々が楽しめる。10年程前に、スマホゲーム「ポケモンGO」のリリース時に、公園の噴水塔の形が上空から見ると「モンスターボールの形にそっくり」とSNS上で大きな話題になり、ポケモンファンの間で「聖地」として知られる様になった。今回は、公園の西にある地下鉄鶴舞線の鶴舞駅から、噴水塔に向かう公園内の通りで、「ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（鶴舞公園）」が開催された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/スクリーンショット-2026-09-09-14.58.47-1024x705.jpg" alt="" class="wp-image-74224"/><figcaption class="wp-element-caption">中央が鶴舞公園の噴水塔。「モンスターボール」の形に似ている（Google Earthより）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">テント前に並んだ「クルマのおもちゃ」</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私は昨年11月、別のクルマのイベントでＯさんに初めてお会いしたが、今回、このイベントの数週間前に、Ｏさんから電話で、「宜しかったら、見学にお越しください」とのオファーを頂いたので、初めてMGのクルマのイベントの見学に。また、私は鶴舞公園には一度も行ったことが無く、面積がかなり広そうだったので、事前に駐車場を確認し、いくつかある駐車場のうち、当日の朝、一番大きな駐車場に到着した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このイベントに限らないが、毎回クルマのイベントに行くと、見学者や関係者駐車場に停まっているクルマを散策するのも楽しみである。しかし今回は、意外？とイベント関係者と分かるクルマが少なく、普通のファミリーカーが殆どであった。しかし後から考えると、今回のイベントに参加した皆さんは自走で会場に来られていた様だったので、当然と言えば当然であった。その後、駐車場から公園中央を眺めると英国車の列が目に入ったので、そちらに向って歩き出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>途中会場の一角に、ロータス ヨーロッパなどが並んでいたが、それを通り過ぎてお目当ての英国車のMGの列を目指す。すると公園内に約20台のMGの展示車両と、その横にイベントの受付テントが目に入った。テント付近には人が少なかったが、その代わりに、テント前の地面に全長30cm位の大きさの小さな「クルマのおもちゃ」が何台も並んでいるのが目に留まった。しかし、その時私は、「昔の古いクルマのおもちゃ」が並んでいるのかな？としか思わず（なので写真撮影をしなかった！）、そのままテントを後にして、会場でＯさんを探しに行くことに。実は、この時見た「クルマのおもちゃ」、この後、思いもよらない姿で私の目の前に現れることになるとは、この時全く想像していなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">鶴舞公園の並木道</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>公園内を歩きながら見ているとMGのクルマ達が並んでいる場所は、両側にとても背の高い木々が並ぶ並木道になっており、その並木道の中央に、歴代の21台のMGが綺麗にほぼ1列に整列していた。ここは、鶴舞公園西側の地下鉄鶴舞線の鶴舞駅の公園入口から、公園の噴水塔に向けた直線の並木道で、MGはほぼ年代別に並んでいた。また公園入口付近のMGの列の先頭には、2台の戦前車のMG J2(1932年)とMG PA(1935年)が揃って展示されており、駅から公園に歩いてくる人々は先ずこの2台を目にすることになる。そして公園の奥の噴水塔に向け歩いて行くと、MGが年代別に順番に並んでいるので、1932年の戦前のMG J2から1997年MG Fまでを一気に観られる様に展示されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>またこの日は、公園を訪れる人々を見ていると、多くの若い女性達がコスプレ姿で、公園の噴水塔に向けて歩いていたので、おそらく公園内でコスプレに関するイベントが行われていた様だった。改めて幅広い層の人々にクラッシックカーを見て頂けるとても良い場所だと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74209,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9424修正-1024x580.jpg" alt="" class="wp-image-74209"/><figcaption class="wp-element-caption">高い木々に囲まれた並木道の中央にほぼ一列に並んだ21台のMG。奥には公園の噴水塔が見える。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9426修正-1024x624.jpg" alt="" class="wp-image-74210"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前の青のツートンのクルマは1935年MG PA。写真右奥には、今回私を誘ってくれたＯさんご夫婦が椅子に座っている姿が写っている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">名古屋MGカークラブのＯさん</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回私を誘ってくれたＯさんは、MGを2台所有されており、１台は1947年MG TCで、もう１台は1958年MGマグネットZBである。実はこの1958年MGマグネットZBは、カーグラフィック誌の創始者であり、初代編集長を務められた故小林彰太郎さんが昔8年間所有されていたクルマである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回Ｏさんは、1947年MG TCで参加予定、と事前に聞いていたので、私は、公園の噴水塔の方から公園入口を目指して歩き、公園入口近くにＯさんのクルマを発見。クルマの横で辺りを見回すと、Ｏさんご夫婦が近くの木の下で座っておられたので、早速お二人にご挨拶。この日は、雲が多いが日差しがしっかり届く天気で、高い木々に囲まれた会場は、クルマ達は日光を浴び、オーナーや見学者は、木の下の日影の涼しい場所で、クルマ談義を楽しめる素晴らしいロケーションになっていた。その涼しい日影でＯさんご夫妻に挨拶を済ませると、しばらくＯさんの1947年MG TCを見せて頂いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9428修正-1024x762.jpg" alt="" class="wp-image-74212"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前がＯさんの1947年MG TC。ラジエターグリルとシートの色が統一されているのが印象的。当日は愛知県西部から自走で参加。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9449修正-1024x680.jpg" alt="" class="wp-image-74221"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1964年MG B Mk.1。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9453修正-1024x629.jpg" alt="" class="wp-image-74223"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1974年MGミジェットMk.Ⅲ。その隣は1997年MG F。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>また、近くには、MG以外の英国車も並び、その様子を見ていると、木々の緑は落ち着いた雰囲気があるのか、英国車の背景に、緑がとても良く似合っていると感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74208,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9421修正-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-74208"/><figcaption class="wp-element-caption">英国車の背景に、青々とした木々の緑がとても良く似合う。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「バグパイプ」の音楽</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、イベントの開会式が始まるので、Ｏさんと一緒に、イベントテント近くに移動。その時、テント付近に、英国の「バグパイプのBGM」が流れていることに気が付いた。イベントの音楽は、テンポの良いロックなどのイメージが強いが、まさに「英国」の雰囲気を醸し出す演出だと感じた。今まで、色々なクルマのイベントに行ったが、「バグパイプの音楽」は聞いたことがなく、クルマを文化として扱っている証だと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74222,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9452-1024x595.jpg" alt="" class="wp-image-74222"/><figcaption class="wp-element-caption">イベントの開会式に集まった参加者の皆さん。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>テント前には約20-30人のオーナーが集まり開会式が始まったが、この時、私が知っているMGのオーナーはＯさんの1人だけであった。そしてテント右横の地面には、やはり「昔のおもちゃの様なクルマ」が目に止まり気になっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「ロッカー カバー カー レース」</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開会式が終了すると、テント近くで、MGのオーナー達が集まり、何やら始めている様子が。側にいたＯさんに聞くと、「今から「ロッカー カバー カー レース」を始めます」と。「ロッカー カバー カー レース」とは、初めて聞いた言葉だったので、「なんですか、それ？」と聞くと、皆さんが準備をしている近くで、Ｏさんが教えてくれた。「ここにある30cm位の大きさのクルマですが、これは全て、今回参加しているMGオーナーの手作りのクルマです。“ロッカー カバー カー”と言います。レギュレーションで細かい条件は決まっていますが、現在のエンジンのヘッドカバーに相当する「ロッカー カバー」をクルマのボディに見立てて、それにタイヤを4つ付けたクルマで、そのクルマを今そこで設営している、ベニア板で作ったスロープを使い、2台並べて転がして競争させるんです。どちらが速くスロープの先にあるゴールまで走って行くか、を競うレースです」。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74190,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9374-1024x723.jpg" alt="" class="wp-image-74190"/><figcaption class="wp-element-caption">MGオーナー手作りの「ロッカー カバー カー」。クルマのボディになっている「ロッカー カバー」にはエンジンオイルの注入口があり、フレームやタイヤが4つ付いている。そしてゼッケン番号も。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":74203,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9401-1024x706.jpg" alt="" class="wp-image-74203"/><figcaption class="wp-element-caption">MGオーナー達がカメラの3脚を幾つも組み合わせて、ベニア板でスロープを作っている様子。この時点では、全容がまだ分からない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｏさんが説明してくれた時は、他のオーナー達が幾つものカメラの3脚とベニア板を組み合わせて、スロープを製作していた最中だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="854" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-300x214.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-1024x729.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9382-768x547.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年5月31日（日）、愛知県名古屋市昭和区にある鶴舞公園で開催されたクラッシックカーイベント、「ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（BRITISH CLASSIC CAR MEETING 2026）」に「名古屋MGカークラブ」のＯ氏（以下Ｏさん）に誘われ見学してきたので、その様子を報告する。</strong></p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（鶴舞公園）とは</h3>
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<p>名古屋市の鶴舞公園で、鶴舞公園整備運営事業共同事業体主催、名古屋MGカークラブの協力の下で開催された英国車のクラッシックカーミーティングで、この日は1932〜1997年までに製造されたMG車21台を中心に、代表的な英国車を含め計28台が集まった。このイベントは毎年、鶴舞公園で開催されているが、この公園で開催されるクルマのイベントは、このイベントのみである。「MG車以外によるクルマのイベントは、今まで開催されたことがない」、とメンバーの1人が教えてくれた。どうやら、鶴舞公園からも厚い信頼を受けているイベントの様だ。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">鶴舞公園とは</h3>
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<p>名古屋市昭和区にある公園で、1909（明治42）年に名古屋市が最初に設置した公園で、洋風庭園と和風庭園の調和の取れた公園である。西側は明治時代の雰囲気を残す「噴水塔」を中心に大花壇やバラ園が広がる洋風庭園で、東側は胡蝶池や竜ヶ池などを配した緑豊かな日本庭園になっており、「日本さくら名所100選」にも選ばれ、春にはソメイヨシノを中心に多くの桜が咲き誇り、「花まつり」が開催されている。また、ツツジ、バラ、ハナショウブ、アジサイなど四季折々の花々が楽しめる。10年程前に、スマホゲーム「ポケモンGO」のリリース時に、公園の噴水塔の形が上空から見ると「モンスターボールの形にそっくり」とSNS上で大きな話題になり、ポケモンファンの間で「聖地」として知られる様になった。今回は、公園の西にある地下鉄鶴舞線の鶴舞駅から、噴水塔に向かう公園内の通りで、「ブリティッシュ クラッシックカー ミーティング 2026（鶴舞公園）」が開催された。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">テント前に並んだ「クルマのおもちゃ」</h3>
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<p>私は昨年11月、別のクルマのイベントでＯさんに初めてお会いしたが、今回、このイベントの数週間前に、Ｏさんから電話で、「宜しかったら、見学にお越しください」とのオファーを頂いたので、初めてMGのクルマのイベントの見学に。また、私は鶴舞公園には一度も行ったことが無く、面積がかなり広そうだったので、事前に駐車場を確認し、いくつかある駐車場のうち、当日の朝、一番大きな駐車場に到着した。</p>
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<p>このイベントに限らないが、毎回クルマのイベントに行くと、見学者や関係者駐車場に停まっているクルマを散策するのも楽しみである。しかし今回は、意外？とイベント関係者と分かるクルマが少なく、普通のファミリーカーが殆どであった。しかし後から考えると、今回のイベントに参加した皆さんは自走で会場に来られていた様だったので、当然と言えば当然であった。その後、駐車場から公園中央を眺めると英国車の列が目に入ったので、そちらに向って歩き出した。</p>
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<p>途中会場の一角に、ロータス ヨーロッパなどが並んでいたが、それを通り過ぎてお目当ての英国車のMGの列を目指す。すると公園内に約20台のMGの展示車両と、その横にイベントの受付テントが目に入った。テント付近には人が少なかったが、その代わりに、テント前の地面に全長30cm位の大きさの小さな「クルマのおもちゃ」が何台も並んでいるのが目に留まった。しかし、その時私は、「昔の古いクルマのおもちゃ」が並んでいるのかな？としか思わず（なので写真撮影をしなかった！）、そのままテントを後にして、会場でＯさんを探しに行くことに。実は、この時見た「クルマのおもちゃ」、この後、思いもよらない姿で私の目の前に現れることになるとは、この時全く想像していなかった。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">鶴舞公園の並木道</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<p>公園内を歩きながら見ているとMGのクルマ達が並んでいる場所は、両側にとても背の高い木々が並ぶ並木道になっており、その並木道の中央に、歴代の21台のMGが綺麗にほぼ1列に整列していた。ここは、鶴舞公園西側の地下鉄鶴舞線の鶴舞駅の公園入口から、公園の噴水塔に向けた直線の並木道で、MGはほぼ年代別に並んでいた。また公園入口付近のMGの列の先頭には、2台の戦前車のMG J2(1932年)とMG PA(1935年)が揃って展示されており、駅から公園に歩いてくる人々は先ずこの2台を目にすることになる。そして公園の奥の噴水塔に向け歩いて行くと、MGが年代別に順番に並んでいるので、1932年の戦前のMG J2から1997年MG Fまでを一気に観られる様に展示されていた。</p>
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<p>またこの日は、公園を訪れる人々を見ていると、多くの若い女性達がコスプレ姿で、公園の噴水塔に向けて歩いていたので、おそらく公園内でコスプレに関するイベントが行われていた様だった。改めて幅広い層の人々にクラッシックカーを見て頂けるとても良い場所だと感じた。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">名古屋MGカークラブのＯさん</h3>
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<p>今回私を誘ってくれたＯさんは、MGを2台所有されており、１台は1947年MG TCで、もう１台は1958年MGマグネットZBである。実はこの1958年MGマグネットZBは、カーグラフィック誌の創始者であり、初代編集長を務められた故小林彰太郎さんが昔8年間所有されていたクルマである。</p>
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<p>今回Ｏさんは、1947年MG TCで参加予定、と事前に聞いていたので、私は、公園の噴水塔の方から公園入口を目指して歩き、公園入口近くにＯさんのクルマを発見。クルマの横で辺りを見回すと、Ｏさんご夫婦が近くの木の下で座っておられたので、早速お二人にご挨拶。この日は、雲が多いが日差しがしっかり届く天気で、高い木々に囲まれた会場は、クルマ達は日光を浴び、オーナーや見学者は、木の下の日影の涼しい場所で、クルマ談義を楽しめる素晴らしいロケーションになっていた。その涼しい日影でＯさんご夫妻に挨拶を済ませると、しばらくＯさんの1947年MG TCを見せて頂いた。</p>
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<p>また、近くには、MG以外の英国車も並び、その様子を見ていると、木々の緑は落ち着いた雰囲気があるのか、英国車の背景に、緑がとても良く似合っていると感じた。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">「バグパイプ」の音楽</h3>
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<p>その後、イベントの開会式が始まるので、Ｏさんと一緒に、イベントテント近くに移動。その時、テント付近に、英国の「バグパイプのBGM」が流れていることに気が付いた。イベントの音楽は、テンポの良いロックなどのイメージが強いが、まさに「英国」の雰囲気を醸し出す演出だと感じた。今まで、色々なクルマのイベントに行ったが、「バグパイプの音楽」は聞いたことがなく、クルマを文化として扱っている証だと感じた。</p>
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<p>テント前には約20-30人のオーナーが集まり開会式が始まったが、この時、私が知っているMGのオーナーはＯさんの1人だけであった。そしてテント右横の地面には、やはり「昔のおもちゃの様なクルマ」が目に止まり気になっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「ロッカー カバー カー レース」</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開会式が終了すると、テント近くで、MGのオーナー達が集まり、何やら始めている様子が。側にいたＯさんに聞くと、「今から「ロッカー カバー カー レース」を始めます」と。「ロッカー カバー カー レース」とは、初めて聞いた言葉だったので、「なんですか、それ？」と聞くと、皆さんが準備をしている近くで、Ｏさんが教えてくれた。「ここにある30cm位の大きさのクルマですが、これは全て、今回参加しているMGオーナーの手作りのクルマです。“ロッカー カバー カー”と言います。レギュレーションで細かい条件は決まっていますが、現在のエンジンのヘッドカバーに相当する「ロッカー カバー」をクルマのボディに見立てて、それにタイヤを4つ付けたクルマで、そのクルマを今そこで設営している、ベニア板で作ったスロープを使い、2台並べて転がして競争させるんです。どちらが速くスロープの先にあるゴールまで走って行くか、を競うレースです」。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74190,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9374-1024x723.jpg" alt="" class="wp-image-74190"/><figcaption class="wp-element-caption">MGオーナー手作りの「ロッカー カバー カー」。クルマのボディになっている「ロッカー カバー」にはエンジンオイルの注入口があり、フレームやタイヤが4つ付いている。そしてゼッケン番号も。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":74203,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/IMG_9401-1024x706.jpg" alt="" class="wp-image-74203"/><figcaption class="wp-element-caption">MGオーナー達がカメラの3脚を幾つも組み合わせて、ベニア板でスロープを作っている様子。この時点では、全容がまだ分からない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｏさんが説明してくれた時は、他のオーナー達が幾つものカメラの3脚とベニア板を組み合わせて、スロープを製作していた最中だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【この76年落ちのベンツなんぼ？】ダイムラー・ベンツの役員用車両だった1950年式「メルセデス・ベンツ 170 S カブリオレA」</title>
		<link>https://autobild.jp/73949/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 05 Oct 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[このクルマなんぼするの？]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[Becker]]></category>
		<category><![CDATA[オープンカー]]></category>
		<category><![CDATA[クラシックカー]]></category>
		<category><![CDATA[クラシックメルセデス]]></category>
		<category><![CDATA[ダイムラー・ベンツ]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツの中古車情報]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ車]]></category>
		<category><![CDATA[ベッカー]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス・ベンツ]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス・ベンツ170 SカブリオレA]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=73949</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="799" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-1024x682.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-768x511.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ドイツの中古車情報：メルセデス・ベンツ170 SカブリオレA。製造から76年が経過したメルセデスの役員用車両が販売中だ。この希少なメルセデスには特別な歴史がある。170 Sはかつて、ダイムラー・ベンツの役員用車両として発注されたものとされている。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1950年製のメルセデス社用車： 販売業者によれば、この「170 S」はもともと独シュトゥットガルト市ウンターテュルクハイム区にあるダイムラー・ベンツAGの車両群に属するデモカーであり、ヴィーゼンタール取締役の社用車として発注されたものだとのことだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それから76年を経て、このオープンカーのメルセデスが再び購入可能となった。ニュルンベルクのディーラーが、修復済みの「170 Sカブリオレ」を現在148,900ユーロ（約2,754万円）で出品している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">メルセデス170 S カブリオレAはわずか830台しか生産されなかった</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「170 S」は1949年に市場に登場し、当時はメルセデス・ラインナップの最上位モデルであった。セダンに加え、2つのオープンバージョンが存在した。4人乗りの「カブリオレB」と、さらに高級な2+2人乗りの「カブリオレA」だ。後者については、1951年末までにわずか830台しか生産されなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74012,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/76-Jahre-alter-Mercedes-Direktionswagen-steht-zum-Verkauf-2869-1800x1012-be9c5271bcaa1100-1024x575.jpg" alt="" class="wp-image-74012"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>長いボンネットの下には、52馬力という控えめな出力の1.8リッター直列4気筒エンジンが搭載されている。4速マニュアルトランスミッションを介して後輪に動力が伝達される。最高速度は120km/hに達した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">赤いレザーは1950年当時のままだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回出品されている「カブリオレA」はブラック塗装で、ダークブラウンの布製ソフトトップを備えている。車内には特筆すべき点がある。販売店によれば、この赤いレザーは1950年当時のメルセデス純正装備のまま残されているとのことだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ローズウッドの装飾、白いベークライト製のステアリングホイール、長波・中波対応の純正ベッカー（Becker）製ラジオ、ヒーター、ホワイトウォールタイヤ、さらには3つの室内用トランクも装備されている。機械式で展開するウインカーも依然として搭載されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74020,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/85756139-c005-4bdd-abd6-a37908828cc3-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74020"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コレクターにとってさらに重要なのは、販売業者がこの車を「マッチングナンバー」と称している点だ。つまり、主要な部品には、この車両に付属するオリジナルのシリアルナンバーが今も刻まれているということである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">かつてメルセデスの取締役のために発注された</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、特に興味深いのはこのカブリオレの歴史である。販売者によれば、このメルセデスは1950年にウンターテュルクハイムにあるダイムラー・ベンツAGの車両フリート向けに発注され、そこで取締役用車両として使用されていたという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それによると、2002年11月、この「170 S」は最後の所有者であるメルセデス コレクターの手に渡った。広告によれば、この車はドイツにある約30台のメルセデス クラシックカーからなるコレクションに由来する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74013,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/84ee9839-20dd-4399-99b0-6df890229fe5-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74013"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今、この希少なベンツは再び所有者を変えることになる。ディーラーは、修復済みのこのカブリオレに対し、148,900ユーロ（約2,754万円）を提示している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>比較として、1950年式の別の「170 S カブリオレA」は、2026年夏に行われたオークションで、93,000～98,000ユーロ（約1,720～1,813万円）と評価された。ただし、この車両は「マッチングナンバーズ」ではなく、異なる履歴を持っていた。そのため、クラシックカーの価格を比較できる範囲は限られている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74010,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/9e34a08b-1c1d-47fa-abac-d1639aad1b40-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74010"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それでも、52馬力の車にしては15万ユーロ（約2,775万円）近くという価格は、かなりの存在感を示している。しかし、このメルセデスを購入する人は、結局のところ、その性能に対して代金を支払っているわけではない。76年にわたる歴史に対して支払っているのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":74027,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/df670447-6917-44f4-bd17-2e420c04ba79-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74027"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":74030,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/fe6f70f4-50ca-4651-a0ca-2cc5eaf83545-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74030"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":74017,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/702da0b5-5a9d-46a0-948c-e1ef3b809b52-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74017"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/eaffca0f-df49-46b9-b7ea-99fee6e0f639-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74029"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/96d120ca-6240-4f43-8691-893277a9fd94-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74014"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74016,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/697d34b3-bee4-4155-937e-7e8c571534f5-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74016"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74015,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/620b6d6e-3857-4c99-a963-453b3c553cce-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74015"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74025,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/ca637815-a6b3-4ec0-b1b8-1e26e74a5b19-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74025"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74008,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/7a810860-9415-482c-8c4c-ebbce7462b26-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74008"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74018,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/4930f97a-60d8-4132-9951-6e238b53a6b6-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74018"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/5fc3a069-2bd3-4946-88a1-d5fc71197853-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74007"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":74023,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
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<!-- wp:image {"id":74006,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/1ee2084e-d7b9-4ace-be07-0673ccd1f7fa.jpg" alt="" class="wp-image-74006"/></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Bianca Garloff<br>Photo: Auto Zitzmann GmbH</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="799" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-1024x682.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/0d29b99c-a33e-4987-9c77-bc8f0f470bed-768x511.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ドイツの中古車情報：メルセデス・ベンツ170 SカブリオレA。製造から76年が経過したメルセデスの役員用車両が販売中だ。この希少なメルセデスには特別な歴史がある。170 Sはかつて、ダイムラー・ベンツの役員用車両として発注されたものとされている。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1950年製のメルセデス社用車： 販売業者によれば、この「170 S」はもともと独シュトゥットガルト市ウンターテュルクハイム区にあるダイムラー・ベンツAGの車両群に属するデモカーであり、ヴィーゼンタール取締役の社用車として発注されたものだとのことだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それから76年を経て、このオープンカーのメルセデスが再び購入可能となった。ニュルンベルクのディーラーが、修復済みの「170 Sカブリオレ」を現在148,900ユーロ（約2,754万円）で出品している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">メルセデス170 S カブリオレAはわずか830台しか生産されなかった</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<p>「170 S」は1949年に市場に登場し、当時はメルセデス・ラインナップの最上位モデルであった。セダンに加え、2つのオープンバージョンが存在した。4人乗りの「カブリオレB」と、さらに高級な2+2人乗りの「カブリオレA」だ。後者については、1951年末までにわずか830台しか生産されなかった。</p>
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<p>長いボンネットの下には、52馬力という控えめな出力の1.8リッター直列4気筒エンジンが搭載されている。4速マニュアルトランスミッションを介して後輪に動力が伝達される。最高速度は120km/hに達した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">赤いレザーは1950年当時のままだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回出品されている「カブリオレA」はブラック塗装で、ダークブラウンの布製ソフトトップを備えている。車内には特筆すべき点がある。販売店によれば、この赤いレザーは1950年当時のメルセデス純正装備のまま残されているとのことだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ローズウッドの装飾、白いベークライト製のステアリングホイール、長波・中波対応の純正ベッカー（Becker）製ラジオ、ヒーター、ホワイトウォールタイヤ、さらには3つの室内用トランクも装備されている。機械式で展開するウインカーも依然として搭載されている。</p>
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<p>コレクターにとってさらに重要なのは、販売業者がこの車を「マッチングナンバー」と称している点だ。つまり、主要な部品には、この車両に付属するオリジナルのシリアルナンバーが今も刻まれているということである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">かつてメルセデスの取締役のために発注された</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、特に興味深いのはこのカブリオレの歴史である。販売者によれば、このメルセデスは1950年にウンターテュルクハイムにあるダイムラー・ベンツAGの車両フリート向けに発注され、そこで取締役用車両として使用されていたという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>それによると、2002年11月、この「170 S」は最後の所有者であるメルセデス コレクターの手に渡った。広告によれば、この車はドイツにある約30台のメルセデス クラシックカーからなるコレクションに由来する。</p>
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<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今、この希少なベンツは再び所有者を変えることになる。ディーラーは、修復済みのこのカブリオレに対し、148,900ユーロ（約2,754万円）を提示している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>比較として、1950年式の別の「170 S カブリオレA」は、2026年夏に行われたオークションで、93,000～98,000ユーロ（約1,720～1,813万円）と評価された。ただし、この車両は「マッチングナンバーズ」ではなく、異なる履歴を持っていた。そのため、クラシックカーの価格を比較できる範囲は限られている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/9e34a08b-1c1d-47fa-abac-d1639aad1b40-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74010"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それでも、52馬力の車にしては15万ユーロ（約2,775万円）近くという価格は、かなりの存在感を示している。しかし、このメルセデスを購入する人は、結局のところ、その性能に対して代金を支払っているわけではない。76年にわたる歴史に対して支払っているのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/10/df670447-6917-44f4-bd17-2e420c04ba79-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-74027"/></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Bianca Garloff<br>Photo: Auto Zitzmann GmbH</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【この993なんぼ？】走行距離6,100kmのポルシェ 911カレラS（993）が驚く価格で落札された！落札した人物の意図とは？</title>
		<link>https://autobild.jp/72067/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 22 Aug 2026 23:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[このクルマなんぼするの？]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[993カレラ]]></category>
		<category><![CDATA[Porsche]]></category>
		<category><![CDATA[Porsche 911 Carrera S]]></category>
		<category><![CDATA[オークション]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツカー]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ車]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ911 カレラS]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>この993を待ち受ける「運命」にポルシェファンも驚愕。走行距離がわずか6,100キロメートルのポルシェ993。32万5,000ドル（約5,360万円）で落札した購入者が、この911で何をしようとしているのか。多くのコレクターが驚くに違いない。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今日、クラシックカーは単なる資産運用としてのみ購入されていると考える人は、見当違いだ。米国のオークションで、人気シリーズ「993」の「911カレラS」が32万5,000ドル（約5,360万円）で落札された。特筆すべきは、新しい所有者がこの「911」をすぐにガレージにしまい込むつもりはないということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この赤い「カレラS」は1998年モデルであり、空冷式「ポルシェ911」の最終世代に属する。多くのファンにとって、「993」はクラシックな「911」時代の頂点を象徴するモデルだ。そのため、特に保存状態の良い個体は非常に人気が高く、この車もその一つだ。走行距離計の表示はわずか3,800マイル、つまり約6,100キロメートルにとどまっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">27年間、ほとんど走っていない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オークションハウスによれば、この車はもともとカリフォルニアのポルシェ正規ディーラーのオーナーによって購入され、その後約27年間にわたりその個人のコレクションとして保管されていた。そのため、現在の「カレラS」は極めて良好な状態を保っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>後部には、お馴染みの3.6リッター水平対向エンジン（282馬力）が搭載されている。トランスミッションは6速マニュアルだ。さらに、ワイドボディのカレラS、スポーツシート、そして人気の高いエンジンサウンドパッケージも備わっており、まさに今日の「993」ファンが求める組み合わせそのものだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">新オーナーは実際にこの993を走らせるつもりだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":72069,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-3051-2000x1333.jpg-c55fbe13cfad6896-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-72069"/><figcaption class="wp-element-caption">彼はこの993に32万5,000ドル（約5,360万円）を支払った。落札が決まるやいなや、購入者はカリフォルニアの曲がりくねった道路を走ることを楽しみにしていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>多くの希少な「993」が購入後すぐに空調完備のガレージにしまわれてしまう中、この購入者はあるコメントで注目を集めた。落札に対する彼の反応はこうだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ヤッホー！ ここカリフォルニアのキャニオンを走るのは楽しそうだ」 つまり、新しいオーナーは、カリフォルニアの曲がりくねった道路でこのポルシェを走らせることを楽しみにしているのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この発言は、次のオークション記録よりも多くのポルシェファンにとって喜ばしいものだろう。なぜなら、この「993」が今やどれほど希少で価値のある存在になったとしても、結局のところ、それは走るために作られた車なのだから。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Kim-Sarah Biehl<br>Photo: Bring a trailer</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-2869-2000x1124-47a929203be2a12a-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>この993を待ち受ける「運命」にポルシェファンも驚愕。走行距離がわずか6,100キロメートルのポルシェ993。32万5,000ドル（約5,360万円）で落札した購入者が、この911で何をしようとしているのか。多くのコレクターが驚くに違いない。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今日、クラシックカーは単なる資産運用としてのみ購入されていると考える人は、見当違いだ。米国のオークションで、人気シリーズ「993」の「911カレラS」が32万5,000ドル（約5,360万円）で落札された。特筆すべきは、新しい所有者がこの「911」をすぐにガレージにしまい込むつもりはないということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この赤い「カレラS」は1998年モデルであり、空冷式「ポルシェ911」の最終世代に属する。多くのファンにとって、「993」はクラシックな「911」時代の頂点を象徴するモデルだ。そのため、特に保存状態の良い個体は非常に人気が高く、この車もその一つだ。走行距離計の表示はわずか3,800マイル、つまり約6,100キロメートルにとどまっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">27年間、ほとんど走っていない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オークションハウスによれば、この車はもともとカリフォルニアのポルシェ正規ディーラーのオーナーによって購入され、その後約27年間にわたりその個人のコレクションとして保管されていた。そのため、現在の「カレラS」は極めて良好な状態を保っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>後部には、お馴染みの3.6リッター水平対向エンジン（282馬力）が搭載されている。トランスミッションは6速マニュアルだ。さらに、ワイドボディのカレラS、スポーツシート、そして人気の高いエンジンサウンドパッケージも備わっており、まさに今日の「993」ファンが求める組み合わせそのものだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">新オーナーは実際にこの993を走らせるつもりだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Was-diesem-993-jetzt-droht-ueberrascht-Porsche-Fans-3051-2000x1333.jpg-c55fbe13cfad6896-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-72069"/><figcaption class="wp-element-caption">彼はこの993に32万5,000ドル（約5,360万円）を支払った。落札が決まるやいなや、購入者はカリフォルニアの曲がりくねった道路を走ることを楽しみにしていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>多くの希少な「993」が購入後すぐに空調完備のガレージにしまわれてしまう中、この購入者はあるコメントで注目を集めた。落札に対する彼の反応はこうだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ヤッホー！ ここカリフォルニアのキャニオンを走るのは楽しそうだ」 つまり、新しいオーナーは、カリフォルニアの曲がりくねった道路でこのポルシェを走らせることを楽しみにしているのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この発言は、次のオークション記録よりも多くのポルシェファンにとって喜ばしいものだろう。なぜなら、この「993」が今やどれほど希少で価値のある存在になったとしても、結局のところ、それは走るために作られた車なのだから。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Kim-Sarah Biehl<br>Photo: Bring a trailer</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>クラッシックカーイベント参加記（後編）「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」「Concorso d’Eleganza della Volpe Bianca」</title>
		<link>https://autobild.jp/71708/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Aug 2026 01:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イベント記事]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Concorso d’Eleganza della Volpe Bianca]]></category>
		<category><![CDATA[アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード]]></category>
		<category><![CDATA[クラッシックカー]]></category>
		<category><![CDATA[クラッシックカーイベント]]></category>
		<category><![CDATA[コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ356]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ356プリA]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=71708</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="868" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-300x217.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-1024x741.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-768x556.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年7月25日土曜日、愛知県豊川市の豊川稲荷で開催されたクラッシックカーイベント「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」に、日頃からクラッシックカーのイベントで大変お世話になっているポルシェ愛好家の岐阜県在住のＫ氏と一緒に参加したので、その様子を報告する。今回は２回の連載のうちの後編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランウエイショー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>空が大分暗くなってきた19時20分、我々の356はヘッドライトを点け、赤絨毯が始まる参道東側の鳥居のスタート地点に。2人の女性が持つ大きなスタートフラッグの前で、フラッグが振られるのを待つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71850,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0931-1024x664.jpg" alt="" class="wp-image-71850"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショーのスタート地点にて。この時は大きなフラッグで赤絨毯の先が見えない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、フラッグが振られると、目の前に赤絨毯の直線とその奥に本殿が目に入る。赤絨毯が敷かれた参道の両側には、切れ目ない人垣が本堂の方まで続いている光景にとにかく驚いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71870,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1157-1024x474.jpg" alt="" class="wp-image-71870"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フラッグが振り上げられると、目の前には本堂に向かい赤絨毯が。そして両側の観客の多さに驚かされた瞬間。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてゆっくりスタート。よく見ると参拝に来た若いカップルや子連れの家族も多く、スマホやカメラがこちらに向けられているので、窓から手を振りながらランウエイをゆっくり進む。両側にはおそらく200人以上は居たであろう。私は昨年3月の薬師寺で開催された「コンコルソ デレガンツァ ジャパン 2025」のランウエイショーしか見たことがなかったが、今回は観客の方々が想像以上に多くとても驚いたと同時に、普段中々見かけないクラッシックカー達が動く姿を、多くの一般の人達に間近で見て頂ける素晴らしいイベントだと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、約100mの赤絨毯の上を走りきると、参道西側の鳥居の下で一旦停止。ここから先は、一台ずつ、何人もの誘導に従い、やや登りのスロープを本殿まで走り、本殿の前でUターン。そこでクルマに乗りながら火打ち石によるお祓いを受ける。この時、空はすっかり暗くなっており、僧侶さんの火打ち石の火がはっきりと見えた。その後は再び、来た参道をゆっくり戻る。この時も両側の観客の多さに驚きながら、赤絨毯の上に戻ってきた。そして、参道東側の鳥居を先頭に、参加車両は順番に赤絨毯の上で停まり、そのまましばらく展示されることに。停止位置もスタッフがしっかり誘導してくれ、停止後356のエンジンを切る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71851,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0943-1024x664.jpg" alt="" class="wp-image-71851"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>手を振りながら赤絨毯の上を参道西側の鳥居までゆっくり走り、ここで一旦停止。ここでも両側に人の列が。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1167-1024x364.jpg" alt="" class="wp-image-71871"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>誘導に従い本堂の前までゆっくり進む。本堂前の左右に守護神の豐川吒枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）のお使いとして１対（２体）の狐の像が向かい合って鎮座しているのが見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1170-1024x503.jpg" alt="" class="wp-image-71872"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタッフの誘導で本堂の前でUターン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1177-1-1024x574.jpg" alt="" class="wp-image-71873"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Uターン後、本堂の前で356に乗ったまま僧侶さんからの火打ち石によるお祓いを受ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1183-1-1024x364.jpg" alt="" class="wp-image-71874"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>お祓いを受けた後、ゆっくりと参道を戻る。この付近も両側には人の列の切れ間が無い。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71876,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1192-1024x535.jpg" alt="" class="wp-image-71876"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>誘導スタッフに従い、前のクルマに続き赤絨毯の上にクルマを停める。これでランウエイショーが終了。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">オーナーの粋なはからい</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々が356の外に出ようとした時、前のクルマの1955年MG Aのオーナーが、近くで観ていた家族連れと話をしているのが見えた。その後、MG Aのオーナーは運転席側のドアを開け、その家族に、「どうぞ乗ってください」と言っている様だ。すると父親が小学生位の男の子を運転席に座らせ、写真を撮っている。側にいた母親も笑顔一杯で、もう1人の女の子も次に乗りたがっている様子。MG Aオーナーの粋なはからいである。後ろに停めた356の中から見ていて、正に文化だと感じる瞬間であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71853,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0952-1024x758.jpg" alt="" class="wp-image-71853"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1955年MG Aのオーナーが男の子を運転席に座らせてあげているシーン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」の光景</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして356の外に出ると、後ろにはランウエイショーが終わった参加車両が次々に停められていく。その反対車線は、今から本堂に向かうクルマ達がゆっくり進んで行く。赤絨毯の上で中々見られない光景である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71856,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0986加工-1024x735.jpg" alt="" class="wp-image-71856"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>356の後ろにランウエイショーが終わった参加車両が続々と停められていく。左は今から本堂に向かう1966年アルヴィス3.0Lグランバー・スーパー・クーペ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0996-1024x657.jpg" alt="" class="wp-image-71857"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>手前は赤絨毯の上を本堂に向かって走り出す1938年BMW326カブリオレ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全車両の本堂への参拝が終わり、全車両がランウエイショーの行われた参道に展示されると、参拝者がクルマを間近で眺めたり、オーナーと話をしたりしている光景が繰り広げられた。また、本堂近くに停められたクルマ達は、本堂も含めてライトアップされ、正にニュースタイルの夜間参拝イベント「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」の光景であった。そして20時半頃、356を赤絨毯の上に停めたまま、Ｋ氏と表彰式に向かった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71860,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1014-1024x782.jpg" alt="" class="wp-image-71860"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全ての参加車両のランウエイショーが終わり、参道の赤絨毯の上にクルマが停められ、参拝者も近くで眺められる機会となった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71862,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1034-1024x588.jpg" alt="" class="wp-image-71862"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂前にも参加車両が並ぶ幻想的な世界。まだ参拝者が訪れている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">表彰式</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式は参道南側の美術館２階の会場で開催された。中に入ると皆さん、グラスを片手にお酒と会話を楽しんでいる。いつもなら私ももっと飲みたかったが（笑）、この日の暑さと体調を考え、この先は飲まないと決め、カウンターでお水をグラスに頂き飲んでいた。すると会場で、再び沼田亨さんにお会いした。沼田さんもかなり汗をかいているように見えたので、「私が今飲んでいるのは、お酒ではなくお水ですよ。向こうのカウンターでもらえますよ」と伝えると、早速、沼田さんはカメラを抱えながらカウンターに向かって行った。とにかくこの日は、こまめに水分補給を取る様に心掛けていた。実は今日私は、Ｋ氏に何人もお知り合いの方々を紹介して頂いていたので、最後の表彰式ではその方々とお話を楽しませて頂くことができた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71863,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1048-1024x593.jpg" alt="" class="wp-image-71863"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>美術館２階の表彰式会場。一部の方は浴衣を着ている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、表彰式が始まった。表彰式では、審査員５名（豊川稲荷の福山憲隆氏（審査委員長）、画家の大久保澄子氏、オペラ歌手の小川里美氏、モデルの平山琴美氏、墨絵師の西元祐貴氏、）がそれぞれ１台を選び、「The Best of Show」を含め５台が表彰された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大久保 澄子氏：1947年フィアット1100 MM<br>小川 里美氏：1953年ポルシェ356プリA<br>平山 琴美氏：1955年MG A<br>西元 祐貴氏：1928年ランチア・ラムダTipo224<br>The Best of Show<br>福山 憲隆氏（審査委員長）：1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71864,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1051-1024x763.jpg" alt="" class="wp-image-71864"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>審査員５名の方々。左から、小川里美氏、大久保澄子氏、西元祐貴氏、平山琴美氏、審査委員長の福山憲隆氏。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｋ氏の356は審査員の小川里美氏に選ばれ、アナウンスに従いＫ氏はステージに上がっていくが、私は最後までステージの前で受賞者の写真撮影を行っていた。すると、ステージ上に居るＫ氏から、一緒にステージ上がる様に声が掛かり、私も一緒にステージの上に。その瞬間私は、クルマのイベントで、ステージに上がったのは初めてだ、と思い出した（それも自分のクルマではないのに（笑））。ステージの上から会場を見ると、意外に多くのスマホやカメラがこちらに向けられているのが分かった。最後はカメラマンの沼田さんが、受賞者全員を記念撮影。カーグラフィック誌10月号に掲載される様で、楽しみが一つ増えた。そして、ステージを降りる直前、小川里美氏とＫ氏と私の３人で私が「自撮り」をしていると、側にいた沼田さんが「有賀さんのスマホで撮ってあげますよ」と言って、プロの沼田さんによる写真撮影のサービスも。その後も、表彰式は続き、全てが終了したのは21時過ぎであった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71865,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1062-1024x608.jpg" alt="" class="wp-image-71865"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>受賞された５組の皆さんと５名の審査員。この後私は、Ｋ氏に誘われ左側の空いているスペースに立つことに。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71866,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1078-のコピー-1024x818.jpg" alt="" class="wp-image-71866"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>（右から）ポルシェ356プリAを選んだ審査員の小川里美氏とオーナーのＫ氏と筆者。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">岡田邦雄さん</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式が終わり、Ｋ氏と会場を出る直前、近くに実行委員の岡田邦雄さんを見つけ、Ｋ氏と今日のお礼とご挨拶をさせて頂いた。岡田さんにお会いするのは、４月のコッパディ小海以来だが、私がアウトビルトジャパン（Auto Bild Japan）のWEBサイトに書いた「コッパディ小海2026」の記事の感想も聞かせて頂き、今後の励みになったと同時に、今日一番嬉しい瞬間であった。そして、岡田さんから、「今日のイベントも是非、記事に書いてください」と嬉しいお言葉も頂き、Ｋ氏と会場を後にした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">帰路へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｋ氏と表彰式で頂いた商品を持ちながら、表彰式会場の美術館を出て、すぐ目の前の参道の赤絨毯の上に停めている356に戻って来ると、フロントシートの後ろに、頂いた商品を積み込んだ。周りのクルマも徐々にエンジンが掛かり始める。356もやはりスターターボタンを押すと一発でエンジンが掛かる。参道東側の鳥居をくぐり、大勢のスタッフの誘導に従い、豊川稲荷を後にしたが、おそらく10名近いスタッフに最後まで誘導していただき、改めて暑い中、遅くまで大勢の皆さんに支えられたイベントであったと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、豊川インターから東名に入る。昼よりも気温が下がったので、ここからは夜のドライブである。この時間、東名はとても空いており、西を目指す。356は夜でもライトがとても明るく、全く不安はない。また、時には流れをリードして走り、エンジンも快調そのものである。356の中で、今日の話や356のクルマ話をしながら、22時に豊田市の私の自宅に到着した。朝356が迎えに来てくれてから13時間、暑さも忘れるとても有意義な楽しい経験をさせて頂き、とにかく今日は356の想像を超えるポテンシャルの高さを体験できた貴重な日であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最後に、今日のイベント関係者やスタッフの皆様、そして誘って頂いたＫ氏と356に心から感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71868,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1082-1024x502.jpg" alt="" class="wp-image-71868"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>夜の東名高速を西に走る356。ヘッドライトも明るくエンジンも快調であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71869,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1085加工-1024x817.jpg" alt="" class="wp-image-71869"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自宅に着いたのは22時。この後Ｋ氏は更に1時間356をドライブして、無事に帰宅された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトライブラリー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71852,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0947加工-1024x619.jpg" alt="" class="wp-image-71852"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>参道西側の鳥居から先は、１台ずつ走行し本堂前でお祓いを受ける。右は2003年TVRタスカン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71875,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1191加工-1024x346.jpg" alt="" class="wp-image-71875"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>356が本堂から戻って来た様子。すれ違うのは1971年マセラティ・ギブリ・スパイダー。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71854,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0956加工-1024x528.jpg" alt="" class="wp-image-71854"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショー終了後356を停める。右のすれ違うクルマは1928年ランチア・ラムダTipo224。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71855,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0963加工-1024x536.jpg" alt="" class="wp-image-71855"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂に向かう1959年アストンマーチンDB2/4 MKⅢ d.h.c（左）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71859,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1005-1024x569.jpg" alt="" class="wp-image-71859"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂前の参道に並べられた車両の前を通過する1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード。The Best of Showを受賞。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71858,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0997-1024x641.jpg" alt="" class="wp-image-71858"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショー終了後、本堂前の参道にも車両が並べられた。手前は1974年マセラティ・カムシン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71861,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1022-1024x467.jpg" alt="" class="wp-image-71861"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>瑞祥殿２階からの風景。ランウエイショー終了後の本堂と参道。幻想的な世界が広がった。まだ多くの参拝者が訪れている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71867,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1079-1024x675.jpg" alt="" class="wp-image-71867"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式の様子。一部の人が「白い狐のお面」を頭に被っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>有賀英雄<br>1966年山梨県甲府市生まれ。小5の時スーパーカーブームを経験しトヨタ自動車に入社。主に実験部でレクサスLFAも含め新車開発を担当。退社後クラッシックカーイベントを中心に取材&amp;執筆中。CCCJ準会員。愛車はGZG50センチュリー。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="868" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-300x217.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-1024x741.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-768x556.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年7月25日土曜日、愛知県豊川市の豊川稲荷で開催されたクラッシックカーイベント「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」に、日頃からクラッシックカーのイベントで大変お世話になっているポルシェ愛好家の岐阜県在住のＫ氏と一緒に参加したので、その様子を報告する。今回は２回の連載のうちの後編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランウエイショー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>空が大分暗くなってきた19時20分、我々の356はヘッドライトを点け、赤絨毯が始まる参道東側の鳥居のスタート地点に。2人の女性が持つ大きなスタートフラッグの前で、フラッグが振られるのを待つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71850,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0931-1024x664.jpg" alt="" class="wp-image-71850"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショーのスタート地点にて。この時は大きなフラッグで赤絨毯の先が見えない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、フラッグが振られると、目の前に赤絨毯の直線とその奥に本殿が目に入る。赤絨毯が敷かれた参道の両側には、切れ目ない人垣が本堂の方まで続いている光景にとにかく驚いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71870,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1157-1024x474.jpg" alt="" class="wp-image-71870"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フラッグが振り上げられると、目の前には本堂に向かい赤絨毯が。そして両側の観客の多さに驚かされた瞬間。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてゆっくりスタート。よく見ると参拝に来た若いカップルや子連れの家族も多く、スマホやカメラがこちらに向けられているので、窓から手を振りながらランウエイをゆっくり進む。両側にはおそらく200人以上は居たであろう。私は昨年3月の薬師寺で開催された「コンコルソ デレガンツァ ジャパン 2025」のランウエイショーしか見たことがなかったが、今回は観客の方々が想像以上に多くとても驚いたと同時に、普段中々見かけないクラッシックカー達が動く姿を、多くの一般の人達に間近で見て頂ける素晴らしいイベントだと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、約100mの赤絨毯の上を走りきると、参道西側の鳥居の下で一旦停止。ここから先は、一台ずつ、何人もの誘導に従い、やや登りのスロープを本殿まで走り、本殿の前でUターン。そこでクルマに乗りながら火打ち石によるお祓いを受ける。この時、空はすっかり暗くなっており、僧侶さんの火打ち石の火がはっきりと見えた。その後は再び、来た参道をゆっくり戻る。この時も両側の観客の多さに驚きながら、赤絨毯の上に戻ってきた。そして、参道東側の鳥居を先頭に、参加車両は順番に赤絨毯の上で停まり、そのまましばらく展示されることに。停止位置もスタッフがしっかり誘導してくれ、停止後356のエンジンを切る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71851,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0943-1024x664.jpg" alt="" class="wp-image-71851"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>手を振りながら赤絨毯の上を参道西側の鳥居までゆっくり走り、ここで一旦停止。ここでも両側に人の列が。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71871,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1167-1024x364.jpg" alt="" class="wp-image-71871"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>誘導に従い本堂の前までゆっくり進む。本堂前の左右に守護神の豐川吒枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）のお使いとして１対（２体）の狐の像が向かい合って鎮座しているのが見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71872,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1170-1024x503.jpg" alt="" class="wp-image-71872"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタッフの誘導で本堂の前でUターン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71873,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1177-1-1024x574.jpg" alt="" class="wp-image-71873"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Uターン後、本堂の前で356に乗ったまま僧侶さんからの火打ち石によるお祓いを受ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71874,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1183-1-1024x364.jpg" alt="" class="wp-image-71874"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>お祓いを受けた後、ゆっくりと参道を戻る。この付近も両側には人の列の切れ間が無い。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71876,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1192-1024x535.jpg" alt="" class="wp-image-71876"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>誘導スタッフに従い、前のクルマに続き赤絨毯の上にクルマを停める。これでランウエイショーが終了。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">オーナーの粋なはからい</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々が356の外に出ようとした時、前のクルマの1955年MG Aのオーナーが、近くで観ていた家族連れと話をしているのが見えた。その後、MG Aのオーナーは運転席側のドアを開け、その家族に、「どうぞ乗ってください」と言っている様だ。すると父親が小学生位の男の子を運転席に座らせ、写真を撮っている。側にいた母親も笑顔一杯で、もう1人の女の子も次に乗りたがっている様子。MG Aオーナーの粋なはからいである。後ろに停めた356の中から見ていて、正に文化だと感じる瞬間であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0952-1024x758.jpg" alt="" class="wp-image-71853"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1955年MG Aのオーナーが男の子を運転席に座らせてあげているシーン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」の光景</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして356の外に出ると、後ろにはランウエイショーが終わった参加車両が次々に停められていく。その反対車線は、今から本堂に向かうクルマ達がゆっくり進んで行く。赤絨毯の上で中々見られない光景である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71856,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0986加工-1024x735.jpg" alt="" class="wp-image-71856"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>356の後ろにランウエイショーが終わった参加車両が続々と停められていく。左は今から本堂に向かう1966年アルヴィス3.0Lグランバー・スーパー・クーペ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71857,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0996-1024x657.jpg" alt="" class="wp-image-71857"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>手前は赤絨毯の上を本堂に向かって走り出す1938年BMW326カブリオレ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全車両の本堂への参拝が終わり、全車両がランウエイショーの行われた参道に展示されると、参拝者がクルマを間近で眺めたり、オーナーと話をしたりしている光景が繰り広げられた。また、本堂近くに停められたクルマ達は、本堂も含めてライトアップされ、正にニュースタイルの夜間参拝イベント「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」の光景であった。そして20時半頃、356を赤絨毯の上に停めたまま、Ｋ氏と表彰式に向かった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71860,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1014-1024x782.jpg" alt="" class="wp-image-71860"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全ての参加車両のランウエイショーが終わり、参道の赤絨毯の上にクルマが停められ、参拝者も近くで眺められる機会となった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71862,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1034-1024x588.jpg" alt="" class="wp-image-71862"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂前にも参加車両が並ぶ幻想的な世界。まだ参拝者が訪れている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">表彰式</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式は参道南側の美術館２階の会場で開催された。中に入ると皆さん、グラスを片手にお酒と会話を楽しんでいる。いつもなら私ももっと飲みたかったが（笑）、この日の暑さと体調を考え、この先は飲まないと決め、カウンターでお水をグラスに頂き飲んでいた。すると会場で、再び沼田亨さんにお会いした。沼田さんもかなり汗をかいているように見えたので、「私が今飲んでいるのは、お酒ではなくお水ですよ。向こうのカウンターでもらえますよ」と伝えると、早速、沼田さんはカメラを抱えながらカウンターに向かって行った。とにかくこの日は、こまめに水分補給を取る様に心掛けていた。実は今日私は、Ｋ氏に何人もお知り合いの方々を紹介して頂いていたので、最後の表彰式ではその方々とお話を楽しませて頂くことができた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71863,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1048-1024x593.jpg" alt="" class="wp-image-71863"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>美術館２階の表彰式会場。一部の方は浴衣を着ている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、表彰式が始まった。表彰式では、審査員５名（豊川稲荷の福山憲隆氏（審査委員長）、画家の大久保澄子氏、オペラ歌手の小川里美氏、モデルの平山琴美氏、墨絵師の西元祐貴氏、）がそれぞれ１台を選び、「The Best of Show」を含め５台が表彰された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大久保 澄子氏：1947年フィアット1100 MM<br>小川 里美氏：1953年ポルシェ356プリA<br>平山 琴美氏：1955年MG A<br>西元 祐貴氏：1928年ランチア・ラムダTipo224<br>The Best of Show<br>福山 憲隆氏（審査委員長）：1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71864,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1051-1024x763.jpg" alt="" class="wp-image-71864"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>審査員５名の方々。左から、小川里美氏、大久保澄子氏、西元祐貴氏、平山琴美氏、審査委員長の福山憲隆氏。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｋ氏の356は審査員の小川里美氏に選ばれ、アナウンスに従いＫ氏はステージに上がっていくが、私は最後までステージの前で受賞者の写真撮影を行っていた。すると、ステージ上に居るＫ氏から、一緒にステージ上がる様に声が掛かり、私も一緒にステージの上に。その瞬間私は、クルマのイベントで、ステージに上がったのは初めてだ、と思い出した（それも自分のクルマではないのに（笑））。ステージの上から会場を見ると、意外に多くのスマホやカメラがこちらに向けられているのが分かった。最後はカメラマンの沼田さんが、受賞者全員を記念撮影。カーグラフィック誌10月号に掲載される様で、楽しみが一つ増えた。そして、ステージを降りる直前、小川里美氏とＫ氏と私の３人で私が「自撮り」をしていると、側にいた沼田さんが「有賀さんのスマホで撮ってあげますよ」と言って、プロの沼田さんによる写真撮影のサービスも。その後も、表彰式は続き、全てが終了したのは21時過ぎであった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71865,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1062-1024x608.jpg" alt="" class="wp-image-71865"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>受賞された５組の皆さんと５名の審査員。この後私は、Ｋ氏に誘われ左側の空いているスペースに立つことに。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71866,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1078-のコピー-1024x818.jpg" alt="" class="wp-image-71866"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>（右から）ポルシェ356プリAを選んだ審査員の小川里美氏とオーナーのＫ氏と筆者。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">岡田邦雄さん</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式が終わり、Ｋ氏と会場を出る直前、近くに実行委員の岡田邦雄さんを見つけ、Ｋ氏と今日のお礼とご挨拶をさせて頂いた。岡田さんにお会いするのは、４月のコッパディ小海以来だが、私がアウトビルトジャパン（Auto Bild Japan）のWEBサイトに書いた「コッパディ小海2026」の記事の感想も聞かせて頂き、今後の励みになったと同時に、今日一番嬉しい瞬間であった。そして、岡田さんから、「今日のイベントも是非、記事に書いてください」と嬉しいお言葉も頂き、Ｋ氏と会場を後にした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">帰路へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Ｋ氏と表彰式で頂いた商品を持ちながら、表彰式会場の美術館を出て、すぐ目の前の参道の赤絨毯の上に停めている356に戻って来ると、フロントシートの後ろに、頂いた商品を積み込んだ。周りのクルマも徐々にエンジンが掛かり始める。356もやはりスターターボタンを押すと一発でエンジンが掛かる。参道東側の鳥居をくぐり、大勢のスタッフの誘導に従い、豊川稲荷を後にしたが、おそらく10名近いスタッフに最後まで誘導していただき、改めて暑い中、遅くまで大勢の皆さんに支えられたイベントであったと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、豊川インターから東名に入る。昼よりも気温が下がったので、ここからは夜のドライブである。この時間、東名はとても空いており、西を目指す。356は夜でもライトがとても明るく、全く不安はない。また、時には流れをリードして走り、エンジンも快調そのものである。356の中で、今日の話や356のクルマ話をしながら、22時に豊田市の私の自宅に到着した。朝356が迎えに来てくれてから13時間、暑さも忘れるとても有意義な楽しい経験をさせて頂き、とにかく今日は356の想像を超えるポテンシャルの高さを体験できた貴重な日であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最後に、今日のイベント関係者やスタッフの皆様、そして誘って頂いたＫ氏と356に心から感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71868,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1082-1024x502.jpg" alt="" class="wp-image-71868"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>夜の東名高速を西に走る356。ヘッドライトも明るくエンジンも快調であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71869,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1085加工-1024x817.jpg" alt="" class="wp-image-71869"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自宅に着いたのは22時。この後Ｋ氏は更に1時間356をドライブして、無事に帰宅された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトライブラリー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71852,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0947加工-1024x619.jpg" alt="" class="wp-image-71852"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>参道西側の鳥居から先は、１台ずつ走行し本堂前でお祓いを受ける。右は2003年TVRタスカン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71875,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1191加工-1024x346.jpg" alt="" class="wp-image-71875"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>356が本堂から戻って来た様子。すれ違うのは1971年マセラティ・ギブリ・スパイダー。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71854,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0956加工-1024x528.jpg" alt="" class="wp-image-71854"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショー終了後356を停める。右のすれ違うクルマは1928年ランチア・ラムダTipo224。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71855,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0963加工-1024x536.jpg" alt="" class="wp-image-71855"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂に向かう1959年アストンマーチンDB2/4 MKⅢ d.h.c（左）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71859,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1005-1024x569.jpg" alt="" class="wp-image-71859"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本堂前の参道に並べられた車両の前を通過する1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード。The Best of Showを受賞。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71858,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0997-1024x641.jpg" alt="" class="wp-image-71858"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランウエイショー終了後、本堂前の参道にも車両が並べられた。手前は1974年マセラティ・カムシン。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71861,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1022-1024x467.jpg" alt="" class="wp-image-71861"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>瑞祥殿２階からの風景。ランウエイショー終了後の本堂と参道。幻想的な世界が広がった。まだ多くの参拝者が訪れている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71867,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1079-1024x675.jpg" alt="" class="wp-image-71867"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>表彰式の様子。一部の人が「白い狐のお面」を頭に被っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>有賀英雄<br>1966年山梨県甲府市生まれ。小5の時スーパーカーブームを経験しトヨタ自動車に入社。主に実験部でレクサスLFAも含め新車開発を担当。退社後クラッシックカーイベントを中心に取材&amp;執筆中。CCCJ準会員。愛車はGZG50センチュリー。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【なるほどメルセデス・ベンツ】空へ飛び出したスリーポインテッド・スター　クレム・ダイムラーの軽飛行機</title>
		<link>https://autobild.jp/71771/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[Mercedes-Benz]]></category>
		<category><![CDATA[クレム ダイムラー L20]]></category>
		<category><![CDATA[クレム ダイムラー軽飛行機]]></category>
		<category><![CDATA[ハンス クレム]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス・ベンツ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=71771</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="800" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-1024x683.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>メルセデス・ベンツの象徴、スリーポインテッド・スター。その「陸・海・空」の思想は、自動車だけにとどまらない。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館に展示されている黄色い軽飛行機、「クレム・ダイムラー L 20」を紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデス・ベンツの象徴、スリーポインテッド・スター。「陸・海・空の三つの頂点」を意味していることは、メルセデス・ベンツのファンならご存じだろう。1909年に登場したこのエンブレムには、ダイムラー社のエンジンを陸上、海上、そして空中のあらゆる交通手段に供給したいという願いが込められていた。1926年6月、ダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー・ベンツ社となる（車名はメルセデス・ベンツ）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さて、ドイツ・シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館を訪れた人なら、頭上に吊り下げられた一機の黄色い小型飛行機に気づいたことだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは「クレム・ダイムラー L 20」。1920年代に開花した軽飛行機の時代を象徴する機体である。設計者は、後に自らの名を冠した航空機メーカーを創設するハンス・クレム（Hanns Klemm）。彼はダイムラー社のジンデルフィンゲン工場で航空機設計・製造部門を率いていた人物で、1922年には自ら設計した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71823,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/02-のコピー-1024x937.jpg" alt="" class="wp-image-71823"/><figcaption class="wp-element-caption">クレム・ダイムラー L 20 軽飛行機；1928年、ジンデルフィンゲンにある軽飛行機メーカーであるハンス・クレム社の新聞広告。<br>Photo：Mercedes-Benz Media</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「L 15」を、続いて1924年には改良型の「L 20」を生み出した。1925年以降はフェルディナント・ポルシェ博士が設計したF 7502空冷2気筒水平対向エンジンを搭載するようになった。そして、この「L 20」を一躍有名にしたのが若き冒険家フリードリッヒ・フォン・ケーニッヒ＝ヴァルトハウゼン男爵である。1928年8月11日、22歳の男爵はベルリン・テンペルホーフ空港を「L 20 カメラート（ドイツ語のKamerad＝同志、仲間）」で出発した。メルセデス・ベンツの航空用エンジンF 7502は空冷2気筒水平対向、わずか20psという小さなエンジン。20psといえば、現代の自動車では考えられないほどの出力だが、軽量な機体と組み合わされ、「L 20」を世界一周へと導いた。男爵が世界一周飛行を成し遂げたのは1929年11月22日。出発から15カ月以上を費やした壮大な旅であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>では、博物館に展示されている機体は、その「カメラート」そのものなのだろうか？実は違う。オリジナル機は現存していないため、博物館に展示されているのは男爵が残した当時の資料や写真などをもとに1980年に製作された忠実なレプリカである。つまり、我々が博物館で見上げる黄色い「L 20」は、1928年に世界一周へ飛び立った「カメラート」の姿を、今日に伝える一機なのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">陸を走る自動車だけではない。海を渡り、そして空を飛ぶ！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71778,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/05-1.jpg" alt="" class="wp-image-71778"/><figcaption class="wp-element-caption">1926年6月、ダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー・ベンツ社となる（車名はメルセデス・ベンツ）：その当時の宣伝ポスター。<br>Photo：Mercedes-Benz Media</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スリーポインテッド・スターが掲げた「陸・海・空」という思想を思えば、メルセデス・ベンツ博物館に「L 20」が展示されていることは、決して意外なことではない。一機の小さな飛行機が、メルセデス・ベンツの歴史に「自動車だけ」にとどまらないことを静かに物語っているのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>TEXT：妻谷裕二</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>妻谷裕二（Hiroji Tsumatani）<br>1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味は クラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。 モーターショー情報</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="800" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-1024x683.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/01-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>メルセデス・ベンツの象徴、スリーポインテッド・スター。その「陸・海・空」の思想は、自動車だけにとどまらない。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館に展示されている黄色い軽飛行機、「クレム・ダイムラー L 20」を紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデス・ベンツの象徴、スリーポインテッド・スター。「陸・海・空の三つの頂点」を意味していることは、メルセデス・ベンツのファンならご存じだろう。1909年に登場したこのエンブレムには、ダイムラー社のエンジンを陸上、海上、そして空中のあらゆる交通手段に供給したいという願いが込められていた。1926年6月、ダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー・ベンツ社となる（車名はメルセデス・ベンツ）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さて、ドイツ・シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館を訪れた人なら、頭上に吊り下げられた一機の黄色い小型飛行機に気づいたことだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは「クレム・ダイムラー L 20」。1920年代に開花した軽飛行機の時代を象徴する機体である。設計者は、後に自らの名を冠した航空機メーカーを創設するハンス・クレム（Hanns Klemm）。彼はダイムラー社のジンデルフィンゲン工場で航空機設計・製造部門を率いていた人物で、1922年には自ら設計した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71823,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/02-のコピー-1024x937.jpg" alt="" class="wp-image-71823"/><figcaption class="wp-element-caption">クレム・ダイムラー L 20 軽飛行機；1928年、ジンデルフィンゲンにある軽飛行機メーカーであるハンス・クレム社の新聞広告。<br>Photo：Mercedes-Benz Media</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「L 15」を、続いて1924年には改良型の「L 20」を生み出した。1925年以降はフェルディナント・ポルシェ博士が設計したF 7502空冷2気筒水平対向エンジンを搭載するようになった。そして、この「L 20」を一躍有名にしたのが若き冒険家フリードリッヒ・フォン・ケーニッヒ＝ヴァルトハウゼン男爵である。1928年8月11日、22歳の男爵はベルリン・テンペルホーフ空港を「L 20 カメラート（ドイツ語のKamerad＝同志、仲間）」で出発した。メルセデス・ベンツの航空用エンジンF 7502は空冷2気筒水平対向、わずか20psという小さなエンジン。20psといえば、現代の自動車では考えられないほどの出力だが、軽量な機体と組み合わされ、「L 20」を世界一周へと導いた。男爵が世界一周飛行を成し遂げたのは1929年11月22日。出発から15カ月以上を費やした壮大な旅であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>では、博物館に展示されている機体は、その「カメラート」そのものなのだろうか？実は違う。オリジナル機は現存していないため、博物館に展示されているのは男爵が残した当時の資料や写真などをもとに1980年に製作された忠実なレプリカである。つまり、我々が博物館で見上げる黄色い「L 20」は、1928年に世界一周へ飛び立った「カメラート」の姿を、今日に伝える一機なのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">陸を走る自動車だけではない。海を渡り、そして空を飛ぶ！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71778,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/05-1.jpg" alt="" class="wp-image-71778"/><figcaption class="wp-element-caption">1926年6月、ダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー・ベンツ社となる（車名はメルセデス・ベンツ）：その当時の宣伝ポスター。<br>Photo：Mercedes-Benz Media</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スリーポインテッド・スターが掲げた「陸・海・空」という思想を思えば、メルセデス・ベンツ博物館に「L 20」が展示されていることは、決して意外なことではない。一機の小さな飛行機が、メルセデス・ベンツの歴史に「自動車だけ」にとどまらないことを静かに物語っているのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>TEXT：妻谷裕二</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>妻谷裕二（Hiroji Tsumatani）<br>1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味は クラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。 モーターショー情報</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>クラッシックカーイベント参加記（前編）「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」「Concorso d’Eleganza della Volpe Bianca」</title>
		<link>https://autobild.jp/71646/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Aug 2026 01:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イベント記事]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Concorso d’Eleganza della Volpe Bianca]]></category>
		<category><![CDATA[クラッシックカーイベント]]></category>
		<category><![CDATA[コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ356プリA]]></category>
		<category><![CDATA[豊川稲荷]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="868" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-300x217.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-1024x741.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-768x556.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年7月25日土曜日、愛知県豊川市の豊川稲荷で開催されたクラッシックカーイベント「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」に、日頃からクラッシックカーのイベントで大変お世話になっているポルシェ愛好家の岐阜県在住のＫ氏と一緒に参加したので、その様子を報告する。今回は２回の連載のうちの前編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">豊川稲荷とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>豊川稲荷は、愛知県豊川市にある日本三大稲荷の一つで、商売繁盛の神様として有名であるが、神社ではなく正式名称は「妙厳寺（みょうごんじ）」という曹洞宗の寺院である。一般的に「稲荷」と呼ばれると「狐を祀った神社」を想像するが、ここで祀られているのは鎮守・豐川吒枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）で、豐川吒枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから、いつしか「豊川稲荷」が通称となり広まった、とされている。特に、願いが叶った人々が奉納した約1,000体の石狐が並ぶ「霊狐塚（れいこづか）」は圧巻で、参拝後は名物の「豊川いなり寿司」を味わう門前町も有名である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今年、豊川稲荷で予定されている「72年ぶりの御開帳」の100日前を記念したカウントダウンイベントの一環として、豊川稲荷でのニュースタイルの夜間参拝イベント「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」と連携して開催された。イベント名の由来だが、「コンコルソ デレガンツァ」とは、1920年代にフランスやイタリアで始まったクルマの美しさやデザインを競うコンクールのことで、「デラ ヴォルペ ビアンカ」とはイタリア語で「白キツネの」を意味するので、「白キツネのコンクール」といえよう。当日は、16時〜18時半の間、豊川稲荷の法堂（はっとう）前に20台のクラシックカー（往年の名車や旧車）が展示され、夜の帳が下りた19時15分から、豊川稲荷の本堂に向かう参道に敷かれたレッドカーペットの上を、クラシックカー達が本堂に向かって参拝するランウエイショーが開催され、最後は審査員によるコンクールの表彰式が行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">最高気温</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開催日の1週間前、いつもクラッシックカーのイベントでお世話になっているＫ氏より、電話があった。7/25開催予定の「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」のエントリーの案内を頂いたが、参加するか？否か？迷っている、という内容であった。聞くと、1953年ポルシェ356プリAでの参加を考えているという。問題は気温である。直ぐに、私の住む愛知県豊田市の週間天気予報を調べると、7/21から7/25は連日晴れ、に加えて日中の最高気温は39℃〜40℃（酷暑日）！の予報。愛知県東部の豊橋市も調べるとイベント開催日の7/25はやはり最高気温38℃となっている。ポルシェ356プリAは、当然エアコンは付いていない、かつソレックスのキャブ車である。またイベントは、夕方から夜の予定なのでクルマの会場への搬入時間は14〜15時となっている。どう考えても搬入時間が最高気温の時である。Ｋ氏は岐阜県在住で、途中、私を愛知県豊田市でピックアップしてくれるという。豊田市から豊川稲荷まで高速で約1時間弱。普通に行ったら、最高気温の中を移動することになり、クルマも人間も無理だと感じた。だが、せっかくのＫ氏からのお誘いである。その場で成立する案を考えた。要は、涼しい午前中に豊川稲荷近くのショッピングモールまで移動して、お茶やランチを済ませた後に豊川稲荷に入る案をＫ氏に提案、結果、Ｋ氏と即断即決で2人でエントリーすることになり、私は助手席で参加することになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">予習</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イベントの前日、私は別件もあり、豊田市の市立図書館を訪れた。４階には、おそらく全国トップの所蔵量を誇る自動車関連の書物が収蔵されている。私は以前なんとなく、ポルシェの始まりやフェルディナント・ポルシェの話を雑誌などで読んだことはあったが、しっかりと読み込んだことがなかったので、明日乗せて頂くポルシェ356の本を借りて予習しようと考えた。図書館の本棚には、ポルシェだけで数十冊の本があったが、殆どが911のナロー以降の本で、意外にも「356」の本が殆ど無かったので、日本語のネコパブリッシング社の世界自動車図鑑「PORSCHE」を１冊借りることにした。今回、１冊全部は読みきれないので、本の中のポルシェの生い立ちや、フェルディナント・ポルシェや356の各モデルに絞り、また、特に本の最後に、356各車の諸元表が載っており、次の日に乗せて頂くＫ氏のポルシェを特定できる様、前日自宅で読み込んだ。特にその中でフェルディナント・ポルシェの記述がとても興味深い内容であったので以下に紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェルディナント・ポルシェ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71680,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1253-1024x740.jpg" alt="" class="wp-image-71680"/><figcaption class="wp-element-caption">2人の孫に囲まれて356の模型を手にするフェルディナント・ポルシェ。左がフェルディナント・ピエヒ、右がフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。（Photo: Porsche AG）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1875年（明治8年）9月3日、当時オーストロ・ハンガリー帝国の統治下にあったボヘミアの小さな町、マッフェルスドルフで金属細工の職人の父親の次男として生まれる。1894年（明治27年）、ウィーンで電機会社のデラ・ベッカー社（現在のブラウンの前身）に入社し、持ち前の努力で直ぐに重要なポストを与えられたが、6年後に彼の才能に目を留めたカロッツェリア・ローナー社にチーフエンジニアとして迎えられる。そこで1900年（明治33年）に設計したのが、ポルシェが初めて手掛けた「ローナー・ポルシェ」と呼ばれた電気自動車で、ホイール・ハブ内にモーターを組み込む斬新なアイデアを採用していた。他にもガソリンエンジンによって発電機を駆動するハイブリッド自動車なども設計していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1906年（明治39年）、31歳で当時オーストリア最大の自動車メーカーのオーストロ・ダイムラー社に技術部長として移籍し、VWのエンジンの祖先とも言える水平対向4気筒航空機用ユニットから農業用のトラクターまでを手掛けた。しかし、小型高性能自動車を作りたかったフェルディナントは他の重役と意見が合わず、オーストロ・ダイムラー社を辞め、1923年（大正12年）にドイツのダイムラー（後のダイムラー・ベンツ）社に取締役技術部長として就任。前任者の残した過給機エンジンを手掛け、2ℓのレーシングカーを成功に導くも、1ℓクラスの小型車を世に出したいフェルディナントは、またしても重役と衝突し、1928年（昭和3年）辞表を提出する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、シュコダ社やシュタイル社にも招かれるが、1930年（昭和5年）、ついに自らのデザイン事務所のオフィスをドイツのシュツットガルト市に構えた。当時のメンバーにはフェルディナントの長男フェリーも加わっていた。ポルシェ社の始まりである。1932年（昭和7年）に“タイプ12”ツェンダップ国民車プロトタイプ、1933年（昭和8年）に“タイプ32”NSU国民車プロトタイプの設計を行う。高性能小型車の設計を気兼ねなく行えるようになったフェルディナントの精力的な活動が伺えると同時に、VWと繋がってゆく設計思想が見てとれる。この頃、アウトユニオンは政権をとったヒトラーの経済的支援を受けてドイツ製のグランプリカーを走らせる計画を進めており、ポルシェ社はアウトユニオンのためにミッドシップ・レーシングカー“タイプ22”Pワーゲンを設計する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その時ヒトラーと面識を持ったフェルディナントは、ヒトラーが提示した国民車構想にひとりの技術者として共鳴し、プロトタイプのVWシリーズ3が完成する。この国民車は「KdF」と名付けられる予定だったが、第二次世界大戦勃発により軍用車に切り替えられてしまうが、戦後VWとして生産される。フェルディナントはVWシリーズ3のコンポーネントを使った1.5ℓの小型スポーツカー構想をヒトラーに提案するが、取り上げてもらえなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第二次世界大戦中、ヒトラーの命により乗用車から軍用車までを手掛けていたフェルディナントは、戦後フェルディナントがナチス・ドイツに協力したとみなされフランスに幽閉され、シュツットガルトのポルシェ社の敷地も接収される。この頃、フェルディナントの長男フェリー達は、戦争末期に疎開先の南オーストリアのケルンテン州グミュントで軍用VWの修理などを細々と行いつつ、再興の期をうかがっていたが、イタリアのチシタリア社の依頼により、タイプ360グランプリカーを設計することになる。ミッドシップ、４輪駆動という画期的なレイアウトを持ったこのGPマシーンは、結局チシタリア社の財政難のため、桧舞台に上がることはなかったが、フェリーらはその設計料をフェルディナントの保釈金に充て、1947年（昭和22年）８月、保釈に成功する。<br>（ネコパブリッシング社 世界自動車図鑑「PORSCHE」参照）</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ポルシェ356の誕生</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェルディナントの幽閉が解かれる少し前、タイプ360グランプリカーの開発状況を確かめるため、フェリーらがイタリアのチシタリア社を訪問する。その時、チシタリア社のレーシングカーやスポーツクーペやオープンモデルがフィアット社のコンポーネントを利用していることに強く興味を持ち、帰国後、フェリーらは既存のモデルをベースにした２シーターライトウエイトスポーツカーの開発に着手する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1947年（昭和22年）6月11日に“タイプ356”のプロジェクトがスタート、7月にはプロトタイプ第１号車 356.001の基本レイアウトが決定、翌年2月にシャシーが完成する。これほど順調に開発が進んだ背景には、フェルディナントらが設計したVWの存在があった。この356.001は溶接鋼管スペースフレームシャシーにVWのサスペンションを装着し、後の量産モデルと異なりミッドシップレイアウトのアルミボディの２席ロードスターで、VWのアクスルと1.1ℓ空冷水平対向4気筒OHVユニットを搭載しており、主要パーツは殆どVWのものを流用していた。1948年（昭和23年）7月に完成したプロトタイプ２号車の356/2.001は、1.1ℓ空冷水平対向4気筒OHVユニットがリヤアクスルより後ろに搭載され（リヤエンジン・リヤドライブのRR）、空力特性を考慮した流線型のクーペボディで、最高速度は140km/hであった。そして1949年（昭和24年）3月、ジュネーブ・モーターショーでポルシェのブースが設けられ、356の販売が開始される。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ミツワ自動車</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>別件で私が日本で最初に輸入されたポルシェの話を大先輩から教えてもらったことを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1953年（昭和28年）、ミツワ自動車が日本で初めてポルシェを輸入する。当時４台のポルシェ356がファーストロットとして日本に輸入されたが、その中の１台の1300カブリオレのオーナーは当時、東京都品川区にあった森村学園の森村衛（まもる）氏であった。森村衛氏は、ポルシェ356を日本で購入する前、米国ニューヨークに留学しており、米国のポルシェのショールームで356の実車を既に目にしていた。留学後、日本に戻ってからポルシェ356を注文するが、その当時、ミツワ自動車の社員は誰1人として、実車を見たことがなかったが、ポルシェ356を注文した森村衛氏だけが、先に実車を目にしていた、というエピソードが「Super CG」誌に載っていたのを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回イベントに参加するＫ氏の1953年（昭和28年）ポルシェ356プリAは、新車当時米国に輸入され、その後、日本に渡ってきた個体であるが、356が日本に最初に入った同時期の大変貴重なクルマであることが再認識できた。Ｋ氏の356はＫ氏と同じ73歳である。ちなみに1955年（昭和30年）356A以前のモデルを356プリAと呼ぶ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ポルシェ356プリAの助手席</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71648,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0729加工-1024x597.jpg" alt="" class="wp-image-71648"/><figcaption class="wp-element-caption">朝９時にポルシェ356プリAが自宅まで迎えにきてくれた。気温34℃。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>7月25日土曜日９時、Ｋ氏が豊田市の私の自宅に迎えに来てくれた。朝から快晴の強い日差しに緑のカラーがとても眩しく、クルマはピカピカである。車外で聴く空冷水平対向４気筒OHV 1,488ccのエンジン音は意外に大きく、近所迷惑にならないように、一度エンジンを止めてもらう。Ｋ氏のポルシェ356プリA（以下356）は、フロント席のみの左右独立の２シーターで、シートはスチール製のフレームを持ち、ヘッドレストはないが、当時オプションのリクライニング式であった。また新車当時リヤシートは、左右一体のベンチ型と独立したセパレート型があり、リヤシートを装備せず、カーペットを敷いただけのクルマもあったが、Ｋ氏の356はリヤシートのないベージュのカーペットを敷いただけの仕様であった。そのフロントシート後ろの「荷室」に持っていく荷物や日傘を押し込み、助手席のシートに座り、スマホで豊川稲荷近くのショッピングモールにナビをセット。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナビは、東名高速と新東名の２パターンを案内しているが時間や料金はほぼ同じであったので、なるべく日陰のトンネルを走ろうと、新東名の経路を選択した。この時気温は既に34℃。エアコンがないため、左右のドアの窓を全開にして（ただし３角窓はなし）、リヤのクオーターガラスも前ヒンジで後部を数cm開ける。２点式シートベルトを締め、Ｋ氏がスターターボタンを押すと、一発でエンジンが目覚めたのには驚いた。そしてゆっくりとスタート。住宅地を抜け、近くの高速道路のインターを目指す。フロントにエンジンやミッションがないため、助手席の足元のスペースは、フロントタイヤハウスがあるものの、前方に長く足が伸ばせて快適である。フロアから生える４速のマニュアルミッションのシフトレバーは、左奥が１速のHパターン。良く見るとシフトレバーは、運転席と助手席のシートよりも更に前にあるおかげで、運転席と助手席のシートの間にスペースは無く、左右のシートは隣り合っており（サイドブレーキはステアリング左下のレバー）、シートの座面サイズも大きく、これなら欧米人にも不満の無いサイズだろう、と感じた。そして意外にもスポーツカーとしてはシート座面のクッションもやや柔らか目である（ただしフワフワではない）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、やはり最初に走り出して感じたのは、乗り心地の良さである。タイヤの扁平率が80%と大きく、かつ先ほどのシートのクッション性が良いおかげだと思う。また荒れた路面でも良く、橋の継ぎ目などの「ガタン」となる強い路面からの入力もとても良く抑えられており快適である。そして対向車とすれ違う時に感じたのが、意外にもシートポジションが低いことである。すれ違うセダン系のクルマが自分の目線から上に見える。乗り込む時には感じなかったが、やはり356はスポーツカー、セオリー通りにシートポジションも低めに設定されていることに気がついた。後ろを振り返ると、フロントシートの後ろは意外に広い荷物スペースになっており、大きくなければ普通の旅行カバンも積めそうである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして走行中、リヤアクスルの後ろにあるエンジンからの音や排気音が意外にも静かで、車外で聞くエンジン音とはかなりの差を感じた。エンジンがリヤのとても遠くにあるように感じるのである。この時代、エンジン音の車室内への遮音性に力を入れて開発したとは思えず、リヤエンジンのメリットだと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして東海環状自動車道の豊田松平インターに入り本線合流前の大きく左に曲がるコーナーに差し掛かる。その時、356は意外にもフロントが軽やかにコーナーの内側に入っていくのが、はっきり感じ取れた。RRなので車両のフロント部に重量物が無く、軽快にフロントが入っていく様に感じた。また車検証で車両重量を確認すると空車重量：760kg（Fr: 330kg, Rr: 430kg）とあり、やはり現代のクルマよりも圧倒的に軽い（この先、もう２度とこの様な軽いクルマは作れないだろう）。そして本線に合流。メーターは４速約3000rpmで60mph付近を指しているが、直進安定性も良く、ここまででも運動性能が高いことが体感できた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ちなみに、後で装着タイヤを確認すると、165/80R16のAVONで、73年前に既に16インチタイヤが標準であったとは、この日356の諸元で私が一番驚いたポイントであった（ちなみにこの車には当時の貴重なオリジナルの5.00-16 ピレリのスペアタイヤがフロントのトランクに搭載されている）。高速道路でも両サイドの窓を全開にしているので、意外に風が窓から入ってきて、膝の辺りで風が巻いているのが分かる。そして豊田東ジャンクションで新東名に合流。本線は土曜日の午前中にしては混んでいて、殆どトラックは走っておらず、乗用車ばかりであったが、全てのクルマは窓が閉まっており、開けて走っているのは、我々の356だけであった（笑）。新東名でも356は全く問題なく走行。途中、長いトンネルに入るが、中は日差しが無いだけではなく、意外に温度がヒンヤリ感じ、新東名ルートで正解であった。そして岡崎東インターで下りて、その後R1を東に走る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71649,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0731-1024x606.jpg" alt="" class="wp-image-71649"/><figcaption class="wp-element-caption">356のダッシュ中央は当時オプションのラジオ。ラジオ右下に白のシフトレバーノブが見える。写真は３速の位置であるが、シフトレバーは以外に前方に位置している。空は快晴。R1にて。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>片道２斜線のR1は信号のタイミングが良く、渋滞もなく、そのまま豊川市内へ。目的地のショッピングモールに着いたのは、朝の10時過ぎで、ちょうど屋根付きのスペースが1台空いたので、そこに356を駐車。その時気温は34℃のままであった。ここまで356は全くの快調で、人間もなんとか耐えることができた。早速、涼しい店内に入り、お茶とランチと買い物を楽しんだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71650,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0738加工-1024x656.jpg" alt="" class="wp-image-71650"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川市のショッピングモールの屋根付き駐車場で一旦休憩。気温34℃。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">豊川稲荷へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イベントの車両搬入時間の14〜15時に合わせ、ショッピングモールを14時半に出発。建物を出ると外はまさに熱風に近く、急いで356に乗り込む。この時気温は38℃。Ｋ氏がスターターボタンを押すと、ここでも356は一発でエンジンが掛かり「凄い」の一言！ この気温の中、ラフアイドルもなくエンジンは普通にアイドリングをしている。そして屋根付きの駐車場を出て、豊川稲荷を目指す。ナビで約15分。途中、市街地で複数の信号による渋滞があり心配したが、356のアイドリングは全く快調で、不安な様子がない。この356のポテンシャルの高さにこの日一番驚いた瞬間であった。正直、流石にこの温度では30分は乗っていられない、と感じながら、予定通り、豊川稲荷西側の入口に無事到着。受付テント手前では、日陰を利用して数台の積車が参加車両を下ろしているのが見えた。受付テントに到着すると、ボランティアスタッフの誘導に従い、クルマに乗ったまま受付を済ます。エントリーパスとリストバンドとゼッケンを受け取ったが、この時気温は38℃のまま。この日はイベントのボランティアスタッフの皆さんに、本当に頭が下がる想いであった。その直後、日陰を見つけて、ボンネットにゼッケンを貼る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71652,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0743-1024x622.jpg" alt="" class="wp-image-71652"/><figcaption class="wp-element-caption">暑さの中、誘導と受付をしてくれたスタッフの皆さん。本当に頭が下がる思いであった。気温38℃！</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71653,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0746-1024x756.jpg" alt="" class="wp-image-71653"/><figcaption class="wp-element-caption">受付テント近くで日陰を探し、その下でゼッケンを貼るＫ氏。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、スタッフの方々に誘導され目的地の豊川稲荷の法堂（はっとう）前に無事に到着。そこには既に15台程の参加車両が並べられており、再び誘導に従い指定の場所に停めることができた。しかし38℃の気温なので、まずは近くに居たスタッフに冷房の効いた場所を聞き、Ｋ氏と直ぐに豊川稲荷の参道南側にある美術館に入った。中に入ると照明がやや落とされた空間が広がり、墨絵師の西元祐貴氏の作品が１階、２階に数多く展示されていた。西元祐貴氏は、狩野派のコレクションなど数多くの美術品を所蔵する豊川稲荷が今、支援しているアーティストである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71658,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0820-1024x748.jpg" alt="" class="wp-image-71658"/><figcaption class="wp-element-caption">356を法堂前に停め、直ぐに冷房が効いた美術館に駆け込む。1階と2階に墨絵師の西元祐貴氏の多くの迫力のある作品が展示されていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>美術館で西元祐貴氏の作品を見たあとは、同じく冷房の効いた参道北側にある瑞祥（ずいしょう）殿に移動。中に入りしっかり水分補給をすると、参加者の控え室に通され、ここでしばらくゆっくり過ごすことができた。ここの控え室には約10名が居たが,4人は浴衣姿であった。確かにここまで暑いと浴衣が正解、とその時思ったが、事前にはクラッシックカーのイベントと浴衣が結び付かなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">法堂前の参加車両展示</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>法堂前での参加車両の展示は、16時から18時半の予定で、16時直前に再びクルマを停めた法堂前に戻り、今回集まったクラッシックカー20台の撮影を短時間で済ませる。その時、法堂近くで約10名以上のボランティアスタッフ達が集まって打ち合わせをしている様子が目に入った。この暑い中、皆さんには本当に感謝しかない瞬間であった。そして会場で、4月のコッパディ小海でお会いしたフリーランスライター＆フォトグラファー（CAR GRAPHIC誌などで活躍）の沼田亨さんが撮影していたので早速ご挨拶。「今日はとにかく暑いですね。東京からですか？」と尋ねると、「そう、今日昼にクルマで。でも大丈夫、エアコンの効いたクルマだし。しかし途中東名で、この会場に向かうランチア・ラムダとトヨタ2000GTを追い越してきたよ」と。この２台は一番暑い時に、東名を自走していたと聞いて、大変驚いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0830加工-1024x503.jpg" alt="" class="wp-image-71660"/><figcaption class="wp-element-caption">暑い中、2台のアルヴィスの間で打ち合わせをするボランティアスタッフの皆さん。左側は今回のThe Best of Showを受賞した1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0785加工-1024x479.jpg" alt="" class="wp-image-71657"/><figcaption class="wp-element-caption">法堂前に展示された参加車両。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0829加工-1024x532.jpg" alt="" class="wp-image-71659"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>左から２番目が今回の参加車の中で一番古い1928年ランチア・ラムダ Tipo224。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71661,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0831加工-1024x522.jpg" alt="" class="wp-image-71661"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1971年マセラティ・ギブリ・スパイダー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">夜会</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>参道北側の瑞祥殿２階で、17時半から夜会が始まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0843-1024x620.jpg" alt="" class="wp-image-71664"/><figcaption class="wp-element-caption">瑞祥殿２階の夜会の会場で精進料理が振る舞われた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>約100名が座れる席が用意され、オープニングはオペラ歌手（ソプラノ）の小川里美氏のアカペラからスタート。緑色のドレスと歌声がとても印象的であった。次に豊川稲荷（円福山　豊川閣　妙厳寺）三十五世住職の福山憲隆氏とEXILE üSA氏の挨拶に続き、名古屋を拠点に活動する日本料理店「出雲」の大谷重治氏がシャンパーニュにマッチさせた特別精進料理が振る舞われた。今日、私は運転をしないので（Ｋさん、ありがとうございました！）、シャンパーニュを数杯頂きながら人生初の精進料理を頂いた。大谷氏の解説を聞きながらの食事であったが、今回の精進料理のテーマは「淡い味」。すべての料理の味と解説に納得であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0845-1024x677.jpg" alt="" class="wp-image-71665"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川稲荷（円福山 豊川閣 妙厳寺）三十五世住職の福山憲隆氏の挨拶。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0849-1024x799.jpg" alt="" class="wp-image-71666"/><figcaption class="wp-element-caption">お粥に油揚げが入っていることに大谷重治氏の遊び心を感じた（笑）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、墨絵師の西元祐貴氏の挨拶に続き、実行委員の岡田邦雄氏が挨拶。岡田氏は、参加した全車両の紹介を、繋がりを持たせながらその時代での意義や特徴を「流れる」様に紹介。参加車両を全て理解しているからできる、今まで聞いたことのないパターンの紹介で、夜会で一番感心した瞬間であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0859-1024x622.jpg" alt="" class="wp-image-71669"/><figcaption class="wp-element-caption">実行委員の岡田邦雄氏の挨拶。今回の全参加車両の解説を「流れる」様に紹介。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランウエイショーの準備</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>18時半、このあと始まるランウエイショーに向け、全車両のオーナーが、夜会の席を立ち法堂前に展示されている車両に向かった。この時、まだ空は明るい。参道北側にある瑞祥殿を出ると、目の前の東西に延びる参道には、既に東側の鳥居から西側の鳥居までの約100mに赤絨毯が敷かれていた。この赤絨毯が敷かれた参道でランウエイショーが始まる様だ。また、一般の参拝客も続々と集まってきている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71671,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0861-1024x747.jpg" alt="" class="wp-image-71671"/><figcaption class="wp-element-caption">参道に敷かれた赤絨毯。奥に見えるのが、ランウエイショーのスタート地点になる参道東端の鳥居。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0860-1024x744.jpg" alt="" class="wp-image-71670"/><figcaption class="wp-element-caption">参道中央付近から西側を見る。参道西側の鳥居とその奥が本殿。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71672,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0862-1024x772.jpg" alt="" class="wp-image-71672"/><figcaption class="wp-element-caption">参道西側の鳥居の先の本殿。手前はややスロープになっている。ランウエイショーではクルマは本殿まで進み、折り返し赤絨毯まで戻ってくる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>法堂前では、展示されていた車両のエンジンが掛かり始める。その時スタッフから、1人ずつ「白い狐のお面」が配られた。ランウエイショーで走る時に、参加者が被るお面である。周りのクルマの人達も「白い狐のお面」を被りスタッフの誘導に従い、ゼッケン順に車両が移動を始める。我々の356はゼッケン６番で、早めに進むことになる。豊川稲荷の境内の中を進み、ランウエイショーのスタート地点である参道東側の鳥居近くに誘導され、前のクルマに続き整列した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0864加工-1024x525.jpg" alt="" class="wp-image-71673"/><figcaption class="wp-element-caption">18時半、ランウエイショーに向け法堂前に展示された車両の移動が始まる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71675,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0890-1024x730.jpg" alt="" class="wp-image-71675"/><figcaption class="wp-element-caption">スタッフの誘導に従いランウエイショーのスタート地点を目指す。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71676,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0899加工-1024x674.jpg" alt="" class="wp-image-71676"/><figcaption class="wp-element-caption">19時前、ランウエイショーのスタート地点の参道東側の鳥居に整列。この時はまだ明るい。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この時はまだ暑いので、我々の356は両側のドアを大きく開けて、エンジンを停止。ドアを開けるとやや涼しい風が車内に入ってくるので、これなら暫く356の中で待っていられそうだ。その後、暗くなり始めた19時から、本殿前でEXILE üSA氏によるダンスの奉納パフォーマンスが始まり、ダンスミュージックがクルマで待機している我々にも聞こえてきた。そして19時15分、参道でのランウエイショーがいよいよスタート。数台前のクルマを見ていると、参道東側の鳥居下のスタートラインで白のスタートフラッグが振られ、赤絨毯の上を一台ずつスタートして行く。前のクルマがスタートラインに立った時、空はちょうど暗くなりかけ、先程まで気が付かなかったが、スタート地点の参道東側の鳥居が青と赤の鮮やかな照明で照らされているのがはっきり見えてきた。もうすぐ356のスタートである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0921-1024x573.jpg" alt="" class="wp-image-71677"/><figcaption class="wp-element-caption">19時15分頃ようやく暗くなり始め、各車ヘッドランプが点灯し始める。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71678,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0924加工-1024x763.jpg" alt="" class="wp-image-71678"/><figcaption class="wp-element-caption">ランウエイショーのスタート地点。２本のスタートフラッグが振られ、１台ずつスタート。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>【後編に続く】</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトライブラリー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71651,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0739加工-1024x580.jpg" alt="" class="wp-image-71651"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川稲荷西側の受付テント近くの日陰で積車から参加車両が下されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71654,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0752-1024x612.jpg" alt="" class="wp-image-71654"/><figcaption class="wp-element-caption">受付を済ませ、スタッフの誘導に従い法堂前を目指す。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0761-1024x501.jpg" alt="" class="wp-image-71655"/><figcaption class="wp-element-caption">展示場所の法堂前に無事到着。気温38℃の快晴。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71656,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0768加工-1024x550.jpg" alt="" class="wp-image-71656"/><figcaption class="wp-element-caption">中央は1980年メルセデス・ベンツ500SLC。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71662,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0832加工-1024x492.jpg" alt="" class="wp-image-71662"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1955年MG A。その後ろがＫ氏の1953年ポルシェ356プリA。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71663,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0834-1024x440.jpg" alt="" class="wp-image-71663"/><figcaption class="wp-element-caption">左手前は1968年トヨタ2000GT。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71667,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0854-1024x673.jpg" alt="" class="wp-image-71667"/><figcaption class="wp-element-caption">日本料理店「出雲」の大谷重治氏の精進料理の解説を聞きながら料理をいただいた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71668,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0857-1024x811.jpg" alt="" class="wp-image-71668"/><figcaption class="wp-element-caption">墨絵師の西元祐貴氏の挨拶。豊川稲荷の中の美術館には、多くの西元祐貴氏の作品が展示されていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71674,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0875加工-1024x641.jpg" alt="" class="wp-image-71674"/><figcaption class="wp-element-caption">18時半、ランウエイショーに向け法堂前に展示された車両の移動が始まる。一番手前は2003年TVRタスカン。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>有賀英雄<br>1966年山梨県甲府市生まれ。小5の時スーパーカーブームを経験しトヨタ自動車に入社。主に実験部でレクサスLFAも含め新車開発を担当。退社後クラッシックカーイベントを中心に取材&amp;執筆中。CCCJ準会員。愛車はGZG50センチュリー。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="868" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-300x217.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-1024x741.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1156-768x556.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年7月25日土曜日、愛知県豊川市の豊川稲荷で開催されたクラッシックカーイベント「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」に、日頃からクラッシックカーのイベントで大変お世話になっているポルシェ愛好家の岐阜県在住のＫ氏と一緒に参加したので、その様子を報告する。今回は２回の連載のうちの前編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">豊川稲荷とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>豊川稲荷は、愛知県豊川市にある日本三大稲荷の一つで、商売繁盛の神様として有名であるが、神社ではなく正式名称は「妙厳寺（みょうごんじ）」という曹洞宗の寺院である。一般的に「稲荷」と呼ばれると「狐を祀った神社」を想像するが、ここで祀られているのは鎮守・豐川吒枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）で、豐川吒枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから、いつしか「豊川稲荷」が通称となり広まった、とされている。特に、願いが叶った人々が奉納した約1,000体の石狐が並ぶ「霊狐塚（れいこづか）」は圧巻で、参拝後は名物の「豊川いなり寿司」を味わう門前町も有名である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今年、豊川稲荷で予定されている「72年ぶりの御開帳」の100日前を記念したカウントダウンイベントの一環として、豊川稲荷でのニュースタイルの夜間参拝イベント「YORUMO-DE（ヨルモウデ）」と連携して開催された。イベント名の由来だが、「コンコルソ デレガンツァ」とは、1920年代にフランスやイタリアで始まったクルマの美しさやデザインを競うコンクールのことで、「デラ ヴォルペ ビアンカ」とはイタリア語で「白キツネの」を意味するので、「白キツネのコンクール」といえよう。当日は、16時〜18時半の間、豊川稲荷の法堂（はっとう）前に20台のクラシックカー（往年の名車や旧車）が展示され、夜の帳が下りた19時15分から、豊川稲荷の本堂に向かう参道に敷かれたレッドカーペットの上を、クラシックカー達が本堂に向かって参拝するランウエイショーが開催され、最後は審査員によるコンクールの表彰式が行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">最高気温</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開催日の1週間前、いつもクラッシックカーのイベントでお世話になっているＫ氏より、電話があった。7/25開催予定の「コンコルソ デレガンツァ デラ ヴォルペ ビアンカ」のエントリーの案内を頂いたが、参加するか？否か？迷っている、という内容であった。聞くと、1953年ポルシェ356プリAでの参加を考えているという。問題は気温である。直ぐに、私の住む愛知県豊田市の週間天気予報を調べると、7/21から7/25は連日晴れ、に加えて日中の最高気温は39℃〜40℃（酷暑日）！の予報。愛知県東部の豊橋市も調べるとイベント開催日の7/25はやはり最高気温38℃となっている。ポルシェ356プリAは、当然エアコンは付いていない、かつソレックスのキャブ車である。またイベントは、夕方から夜の予定なのでクルマの会場への搬入時間は14〜15時となっている。どう考えても搬入時間が最高気温の時である。Ｋ氏は岐阜県在住で、途中、私を愛知県豊田市でピックアップしてくれるという。豊田市から豊川稲荷まで高速で約1時間弱。普通に行ったら、最高気温の中を移動することになり、クルマも人間も無理だと感じた。だが、せっかくのＫ氏からのお誘いである。その場で成立する案を考えた。要は、涼しい午前中に豊川稲荷近くのショッピングモールまで移動して、お茶やランチを済ませた後に豊川稲荷に入る案をＫ氏に提案、結果、Ｋ氏と即断即決で2人でエントリーすることになり、私は助手席で参加することになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">予習</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イベントの前日、私は別件もあり、豊田市の市立図書館を訪れた。４階には、おそらく全国トップの所蔵量を誇る自動車関連の書物が収蔵されている。私は以前なんとなく、ポルシェの始まりやフェルディナント・ポルシェの話を雑誌などで読んだことはあったが、しっかりと読み込んだことがなかったので、明日乗せて頂くポルシェ356の本を借りて予習しようと考えた。図書館の本棚には、ポルシェだけで数十冊の本があったが、殆どが911のナロー以降の本で、意外にも「356」の本が殆ど無かったので、日本語のネコパブリッシング社の世界自動車図鑑「PORSCHE」を１冊借りることにした。今回、１冊全部は読みきれないので、本の中のポルシェの生い立ちや、フェルディナント・ポルシェや356の各モデルに絞り、また、特に本の最後に、356各車の諸元表が載っており、次の日に乗せて頂くＫ氏のポルシェを特定できる様、前日自宅で読み込んだ。特にその中でフェルディナント・ポルシェの記述がとても興味深い内容であったので以下に紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェルディナント・ポルシェ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71680,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_1253-1024x740.jpg" alt="" class="wp-image-71680"/><figcaption class="wp-element-caption">2人の孫に囲まれて356の模型を手にするフェルディナント・ポルシェ。左がフェルディナント・ピエヒ、右がフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ。（Photo: Porsche AG）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1875年（明治8年）9月3日、当時オーストロ・ハンガリー帝国の統治下にあったボヘミアの小さな町、マッフェルスドルフで金属細工の職人の父親の次男として生まれる。1894年（明治27年）、ウィーンで電機会社のデラ・ベッカー社（現在のブラウンの前身）に入社し、持ち前の努力で直ぐに重要なポストを与えられたが、6年後に彼の才能に目を留めたカロッツェリア・ローナー社にチーフエンジニアとして迎えられる。そこで1900年（明治33年）に設計したのが、ポルシェが初めて手掛けた「ローナー・ポルシェ」と呼ばれた電気自動車で、ホイール・ハブ内にモーターを組み込む斬新なアイデアを採用していた。他にもガソリンエンジンによって発電機を駆動するハイブリッド自動車なども設計していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1906年（明治39年）、31歳で当時オーストリア最大の自動車メーカーのオーストロ・ダイムラー社に技術部長として移籍し、VWのエンジンの祖先とも言える水平対向4気筒航空機用ユニットから農業用のトラクターまでを手掛けた。しかし、小型高性能自動車を作りたかったフェルディナントは他の重役と意見が合わず、オーストロ・ダイムラー社を辞め、1923年（大正12年）にドイツのダイムラー（後のダイムラー・ベンツ）社に取締役技術部長として就任。前任者の残した過給機エンジンを手掛け、2ℓのレーシングカーを成功に導くも、1ℓクラスの小型車を世に出したいフェルディナントは、またしても重役と衝突し、1928年（昭和3年）辞表を提出する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、シュコダ社やシュタイル社にも招かれるが、1930年（昭和5年）、ついに自らのデザイン事務所のオフィスをドイツのシュツットガルト市に構えた。当時のメンバーにはフェルディナントの長男フェリーも加わっていた。ポルシェ社の始まりである。1932年（昭和7年）に“タイプ12”ツェンダップ国民車プロトタイプ、1933年（昭和8年）に“タイプ32”NSU国民車プロトタイプの設計を行う。高性能小型車の設計を気兼ねなく行えるようになったフェルディナントの精力的な活動が伺えると同時に、VWと繋がってゆく設計思想が見てとれる。この頃、アウトユニオンは政権をとったヒトラーの経済的支援を受けてドイツ製のグランプリカーを走らせる計画を進めており、ポルシェ社はアウトユニオンのためにミッドシップ・レーシングカー“タイプ22”Pワーゲンを設計する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その時ヒトラーと面識を持ったフェルディナントは、ヒトラーが提示した国民車構想にひとりの技術者として共鳴し、プロトタイプのVWシリーズ3が完成する。この国民車は「KdF」と名付けられる予定だったが、第二次世界大戦勃発により軍用車に切り替えられてしまうが、戦後VWとして生産される。フェルディナントはVWシリーズ3のコンポーネントを使った1.5ℓの小型スポーツカー構想をヒトラーに提案するが、取り上げてもらえなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第二次世界大戦中、ヒトラーの命により乗用車から軍用車までを手掛けていたフェルディナントは、戦後フェルディナントがナチス・ドイツに協力したとみなされフランスに幽閉され、シュツットガルトのポルシェ社の敷地も接収される。この頃、フェルディナントの長男フェリー達は、戦争末期に疎開先の南オーストリアのケルンテン州グミュントで軍用VWの修理などを細々と行いつつ、再興の期をうかがっていたが、イタリアのチシタリア社の依頼により、タイプ360グランプリカーを設計することになる。ミッドシップ、４輪駆動という画期的なレイアウトを持ったこのGPマシーンは、結局チシタリア社の財政難のため、桧舞台に上がることはなかったが、フェリーらはその設計料をフェルディナントの保釈金に充て、1947年（昭和22年）８月、保釈に成功する。<br>（ネコパブリッシング社 世界自動車図鑑「PORSCHE」参照）</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ポルシェ356の誕生</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェルディナントの幽閉が解かれる少し前、タイプ360グランプリカーの開発状況を確かめるため、フェリーらがイタリアのチシタリア社を訪問する。その時、チシタリア社のレーシングカーやスポーツクーペやオープンモデルがフィアット社のコンポーネントを利用していることに強く興味を持ち、帰国後、フェリーらは既存のモデルをベースにした２シーターライトウエイトスポーツカーの開発に着手する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1947年（昭和22年）6月11日に“タイプ356”のプロジェクトがスタート、7月にはプロトタイプ第１号車 356.001の基本レイアウトが決定、翌年2月にシャシーが完成する。これほど順調に開発が進んだ背景には、フェルディナントらが設計したVWの存在があった。この356.001は溶接鋼管スペースフレームシャシーにVWのサスペンションを装着し、後の量産モデルと異なりミッドシップレイアウトのアルミボディの２席ロードスターで、VWのアクスルと1.1ℓ空冷水平対向4気筒OHVユニットを搭載しており、主要パーツは殆どVWのものを流用していた。1948年（昭和23年）7月に完成したプロトタイプ２号車の356/2.001は、1.1ℓ空冷水平対向4気筒OHVユニットがリヤアクスルより後ろに搭載され（リヤエンジン・リヤドライブのRR）、空力特性を考慮した流線型のクーペボディで、最高速度は140km/hであった。そして1949年（昭和24年）3月、ジュネーブ・モーターショーでポルシェのブースが設けられ、356の販売が開始される。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ミツワ自動車</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>別件で私が日本で最初に輸入されたポルシェの話を大先輩から教えてもらったことを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1953年（昭和28年）、ミツワ自動車が日本で初めてポルシェを輸入する。当時４台のポルシェ356がファーストロットとして日本に輸入されたが、その中の１台の1300カブリオレのオーナーは当時、東京都品川区にあった森村学園の森村衛（まもる）氏であった。森村衛氏は、ポルシェ356を日本で購入する前、米国ニューヨークに留学しており、米国のポルシェのショールームで356の実車を既に目にしていた。留学後、日本に戻ってからポルシェ356を注文するが、その当時、ミツワ自動車の社員は誰1人として、実車を見たことがなかったが、ポルシェ356を注文した森村衛氏だけが、先に実車を目にしていた、というエピソードが「Super CG」誌に載っていたのを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回イベントに参加するＫ氏の1953年（昭和28年）ポルシェ356プリAは、新車当時米国に輸入され、その後、日本に渡ってきた個体であるが、356が日本に最初に入った同時期の大変貴重なクルマであることが再認識できた。Ｋ氏の356はＫ氏と同じ73歳である。ちなみに1955年（昭和30年）356A以前のモデルを356プリAと呼ぶ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ポルシェ356プリAの助手席</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71648,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0729加工-1024x597.jpg" alt="" class="wp-image-71648"/><figcaption class="wp-element-caption">朝９時にポルシェ356プリAが自宅まで迎えにきてくれた。気温34℃。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>7月25日土曜日９時、Ｋ氏が豊田市の私の自宅に迎えに来てくれた。朝から快晴の強い日差しに緑のカラーがとても眩しく、クルマはピカピカである。車外で聴く空冷水平対向４気筒OHV 1,488ccのエンジン音は意外に大きく、近所迷惑にならないように、一度エンジンを止めてもらう。Ｋ氏のポルシェ356プリA（以下356）は、フロント席のみの左右独立の２シーターで、シートはスチール製のフレームを持ち、ヘッドレストはないが、当時オプションのリクライニング式であった。また新車当時リヤシートは、左右一体のベンチ型と独立したセパレート型があり、リヤシートを装備せず、カーペットを敷いただけのクルマもあったが、Ｋ氏の356はリヤシートのないベージュのカーペットを敷いただけの仕様であった。そのフロントシート後ろの「荷室」に持っていく荷物や日傘を押し込み、助手席のシートに座り、スマホで豊川稲荷近くのショッピングモールにナビをセット。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナビは、東名高速と新東名の２パターンを案内しているが時間や料金はほぼ同じであったので、なるべく日陰のトンネルを走ろうと、新東名の経路を選択した。この時気温は既に34℃。エアコンがないため、左右のドアの窓を全開にして（ただし３角窓はなし）、リヤのクオーターガラスも前ヒンジで後部を数cm開ける。２点式シートベルトを締め、Ｋ氏がスターターボタンを押すと、一発でエンジンが目覚めたのには驚いた。そしてゆっくりとスタート。住宅地を抜け、近くの高速道路のインターを目指す。フロントにエンジンやミッションがないため、助手席の足元のスペースは、フロントタイヤハウスがあるものの、前方に長く足が伸ばせて快適である。フロアから生える４速のマニュアルミッションのシフトレバーは、左奥が１速のHパターン。良く見るとシフトレバーは、運転席と助手席のシートよりも更に前にあるおかげで、運転席と助手席のシートの間にスペースは無く、左右のシートは隣り合っており（サイドブレーキはステアリング左下のレバー）、シートの座面サイズも大きく、これなら欧米人にも不満の無いサイズだろう、と感じた。そして意外にもスポーツカーとしてはシート座面のクッションもやや柔らか目である（ただしフワフワではない）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、やはり最初に走り出して感じたのは、乗り心地の良さである。タイヤの扁平率が80%と大きく、かつ先ほどのシートのクッション性が良いおかげだと思う。また荒れた路面でも良く、橋の継ぎ目などの「ガタン」となる強い路面からの入力もとても良く抑えられており快適である。そして対向車とすれ違う時に感じたのが、意外にもシートポジションが低いことである。すれ違うセダン系のクルマが自分の目線から上に見える。乗り込む時には感じなかったが、やはり356はスポーツカー、セオリー通りにシートポジションも低めに設定されていることに気がついた。後ろを振り返ると、フロントシートの後ろは意外に広い荷物スペースになっており、大きくなければ普通の旅行カバンも積めそうである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして走行中、リヤアクスルの後ろにあるエンジンからの音や排気音が意外にも静かで、車外で聞くエンジン音とはかなりの差を感じた。エンジンがリヤのとても遠くにあるように感じるのである。この時代、エンジン音の車室内への遮音性に力を入れて開発したとは思えず、リヤエンジンのメリットだと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして東海環状自動車道の豊田松平インターに入り本線合流前の大きく左に曲がるコーナーに差し掛かる。その時、356は意外にもフロントが軽やかにコーナーの内側に入っていくのが、はっきり感じ取れた。RRなので車両のフロント部に重量物が無く、軽快にフロントが入っていく様に感じた。また車検証で車両重量を確認すると空車重量：760kg（Fr: 330kg, Rr: 430kg）とあり、やはり現代のクルマよりも圧倒的に軽い（この先、もう２度とこの様な軽いクルマは作れないだろう）。そして本線に合流。メーターは４速約3000rpmで60mph付近を指しているが、直進安定性も良く、ここまででも運動性能が高いことが体感できた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ちなみに、後で装着タイヤを確認すると、165/80R16のAVONで、73年前に既に16インチタイヤが標準であったとは、この日356の諸元で私が一番驚いたポイントであった（ちなみにこの車には当時の貴重なオリジナルの5.00-16 ピレリのスペアタイヤがフロントのトランクに搭載されている）。高速道路でも両サイドの窓を全開にしているので、意外に風が窓から入ってきて、膝の辺りで風が巻いているのが分かる。そして豊田東ジャンクションで新東名に合流。本線は土曜日の午前中にしては混んでいて、殆どトラックは走っておらず、乗用車ばかりであったが、全てのクルマは窓が閉まっており、開けて走っているのは、我々の356だけであった（笑）。新東名でも356は全く問題なく走行。途中、長いトンネルに入るが、中は日差しが無いだけではなく、意外に温度がヒンヤリ感じ、新東名ルートで正解であった。そして岡崎東インターで下りて、その後R1を東に走る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71649,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0731-1024x606.jpg" alt="" class="wp-image-71649"/><figcaption class="wp-element-caption">356のダッシュ中央は当時オプションのラジオ。ラジオ右下に白のシフトレバーノブが見える。写真は３速の位置であるが、シフトレバーは以外に前方に位置している。空は快晴。R1にて。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>片道２斜線のR1は信号のタイミングが良く、渋滞もなく、そのまま豊川市内へ。目的地のショッピングモールに着いたのは、朝の10時過ぎで、ちょうど屋根付きのスペースが1台空いたので、そこに356を駐車。その時気温は34℃のままであった。ここまで356は全くの快調で、人間もなんとか耐えることができた。早速、涼しい店内に入り、お茶とランチと買い物を楽しんだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71650,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0738加工-1024x656.jpg" alt="" class="wp-image-71650"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川市のショッピングモールの屋根付き駐車場で一旦休憩。気温34℃。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">豊川稲荷へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イベントの車両搬入時間の14〜15時に合わせ、ショッピングモールを14時半に出発。建物を出ると外はまさに熱風に近く、急いで356に乗り込む。この時気温は38℃。Ｋ氏がスターターボタンを押すと、ここでも356は一発でエンジンが掛かり「凄い」の一言！ この気温の中、ラフアイドルもなくエンジンは普通にアイドリングをしている。そして屋根付きの駐車場を出て、豊川稲荷を目指す。ナビで約15分。途中、市街地で複数の信号による渋滞があり心配したが、356のアイドリングは全く快調で、不安な様子がない。この356のポテンシャルの高さにこの日一番驚いた瞬間であった。正直、流石にこの温度では30分は乗っていられない、と感じながら、予定通り、豊川稲荷西側の入口に無事到着。受付テント手前では、日陰を利用して数台の積車が参加車両を下ろしているのが見えた。受付テントに到着すると、ボランティアスタッフの誘導に従い、クルマに乗ったまま受付を済ます。エントリーパスとリストバンドとゼッケンを受け取ったが、この時気温は38℃のまま。この日はイベントのボランティアスタッフの皆さんに、本当に頭が下がる想いであった。その直後、日陰を見つけて、ボンネットにゼッケンを貼る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71652,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0743-1024x622.jpg" alt="" class="wp-image-71652"/><figcaption class="wp-element-caption">暑さの中、誘導と受付をしてくれたスタッフの皆さん。本当に頭が下がる思いであった。気温38℃！</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71653,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0746-1024x756.jpg" alt="" class="wp-image-71653"/><figcaption class="wp-element-caption">受付テント近くで日陰を探し、その下でゼッケンを貼るＫ氏。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、スタッフの方々に誘導され目的地の豊川稲荷の法堂（はっとう）前に無事に到着。そこには既に15台程の参加車両が並べられており、再び誘導に従い指定の場所に停めることができた。しかし38℃の気温なので、まずは近くに居たスタッフに冷房の効いた場所を聞き、Ｋ氏と直ぐに豊川稲荷の参道南側にある美術館に入った。中に入ると照明がやや落とされた空間が広がり、墨絵師の西元祐貴氏の作品が１階、２階に数多く展示されていた。西元祐貴氏は、狩野派のコレクションなど数多くの美術品を所蔵する豊川稲荷が今、支援しているアーティストである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71658,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0820-1024x748.jpg" alt="" class="wp-image-71658"/><figcaption class="wp-element-caption">356を法堂前に停め、直ぐに冷房が効いた美術館に駆け込む。1階と2階に墨絵師の西元祐貴氏の多くの迫力のある作品が展示されていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>美術館で西元祐貴氏の作品を見たあとは、同じく冷房の効いた参道北側にある瑞祥（ずいしょう）殿に移動。中に入りしっかり水分補給をすると、参加者の控え室に通され、ここでしばらくゆっくり過ごすことができた。ここの控え室には約10名が居たが,4人は浴衣姿であった。確かにここまで暑いと浴衣が正解、とその時思ったが、事前にはクラッシックカーのイベントと浴衣が結び付かなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">法堂前の参加車両展示</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>法堂前での参加車両の展示は、16時から18時半の予定で、16時直前に再びクルマを停めた法堂前に戻り、今回集まったクラッシックカー20台の撮影を短時間で済ませる。その時、法堂近くで約10名以上のボランティアスタッフ達が集まって打ち合わせをしている様子が目に入った。この暑い中、皆さんには本当に感謝しかない瞬間であった。そして会場で、4月のコッパディ小海でお会いしたフリーランスライター＆フォトグラファー（CAR GRAPHIC誌などで活躍）の沼田亨さんが撮影していたので早速ご挨拶。「今日はとにかく暑いですね。東京からですか？」と尋ねると、「そう、今日昼にクルマで。でも大丈夫、エアコンの効いたクルマだし。しかし途中東名で、この会場に向かうランチア・ラムダとトヨタ2000GTを追い越してきたよ」と。この２台は一番暑い時に、東名を自走していたと聞いて、大変驚いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71660,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0830加工-1024x503.jpg" alt="" class="wp-image-71660"/><figcaption class="wp-element-caption">暑い中、2台のアルヴィスの間で打ち合わせをするボランティアスタッフの皆さん。左側は今回のThe Best of Showを受賞した1938年アルヴィス4.3Lランスフィールド・コンシールド・フード。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71657,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0785加工-1024x479.jpg" alt="" class="wp-image-71657"/><figcaption class="wp-element-caption">法堂前に展示された参加車両。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71659,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0829加工-1024x532.jpg" alt="" class="wp-image-71659"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>左から２番目が今回の参加車の中で一番古い1928年ランチア・ラムダ Tipo224。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71661,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0831加工-1024x522.jpg" alt="" class="wp-image-71661"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1971年マセラティ・ギブリ・スパイダー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">夜会</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>参道北側の瑞祥殿２階で、17時半から夜会が始まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71664,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0843-1024x620.jpg" alt="" class="wp-image-71664"/><figcaption class="wp-element-caption">瑞祥殿２階の夜会の会場で精進料理が振る舞われた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>約100名が座れる席が用意され、オープニングはオペラ歌手（ソプラノ）の小川里美氏のアカペラからスタート。緑色のドレスと歌声がとても印象的であった。次に豊川稲荷（円福山　豊川閣　妙厳寺）三十五世住職の福山憲隆氏とEXILE üSA氏の挨拶に続き、名古屋を拠点に活動する日本料理店「出雲」の大谷重治氏がシャンパーニュにマッチさせた特別精進料理が振る舞われた。今日、私は運転をしないので（Ｋさん、ありがとうございました！）、シャンパーニュを数杯頂きながら人生初の精進料理を頂いた。大谷氏の解説を聞きながらの食事であったが、今回の精進料理のテーマは「淡い味」。すべての料理の味と解説に納得であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71665,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0845-1024x677.jpg" alt="" class="wp-image-71665"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川稲荷（円福山 豊川閣 妙厳寺）三十五世住職の福山憲隆氏の挨拶。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71666,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0849-1024x799.jpg" alt="" class="wp-image-71666"/><figcaption class="wp-element-caption">お粥に油揚げが入っていることに大谷重治氏の遊び心を感じた（笑）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、墨絵師の西元祐貴氏の挨拶に続き、実行委員の岡田邦雄氏が挨拶。岡田氏は、参加した全車両の紹介を、繋がりを持たせながらその時代での意義や特徴を「流れる」様に紹介。参加車両を全て理解しているからできる、今まで聞いたことのないパターンの紹介で、夜会で一番感心した瞬間であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71669,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0859-1024x622.jpg" alt="" class="wp-image-71669"/><figcaption class="wp-element-caption">実行委員の岡田邦雄氏の挨拶。今回の全参加車両の解説を「流れる」様に紹介。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランウエイショーの準備</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>18時半、このあと始まるランウエイショーに向け、全車両のオーナーが、夜会の席を立ち法堂前に展示されている車両に向かった。この時、まだ空は明るい。参道北側にある瑞祥殿を出ると、目の前の東西に延びる参道には、既に東側の鳥居から西側の鳥居までの約100mに赤絨毯が敷かれていた。この赤絨毯が敷かれた参道でランウエイショーが始まる様だ。また、一般の参拝客も続々と集まってきている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71671,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0861-1024x747.jpg" alt="" class="wp-image-71671"/><figcaption class="wp-element-caption">参道に敷かれた赤絨毯。奥に見えるのが、ランウエイショーのスタート地点になる参道東端の鳥居。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71670,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0860-1024x744.jpg" alt="" class="wp-image-71670"/><figcaption class="wp-element-caption">参道中央付近から西側を見る。参道西側の鳥居とその奥が本殿。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71672,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0862-1024x772.jpg" alt="" class="wp-image-71672"/><figcaption class="wp-element-caption">参道西側の鳥居の先の本殿。手前はややスロープになっている。ランウエイショーではクルマは本殿まで進み、折り返し赤絨毯まで戻ってくる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>法堂前では、展示されていた車両のエンジンが掛かり始める。その時スタッフから、1人ずつ「白い狐のお面」が配られた。ランウエイショーで走る時に、参加者が被るお面である。周りのクルマの人達も「白い狐のお面」を被りスタッフの誘導に従い、ゼッケン順に車両が移動を始める。我々の356はゼッケン６番で、早めに進むことになる。豊川稲荷の境内の中を進み、ランウエイショーのスタート地点である参道東側の鳥居近くに誘導され、前のクルマに続き整列した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71673,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0864加工-1024x525.jpg" alt="" class="wp-image-71673"/><figcaption class="wp-element-caption">18時半、ランウエイショーに向け法堂前に展示された車両の移動が始まる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71675,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0890-1024x730.jpg" alt="" class="wp-image-71675"/><figcaption class="wp-element-caption">スタッフの誘導に従いランウエイショーのスタート地点を目指す。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71676,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0899加工-1024x674.jpg" alt="" class="wp-image-71676"/><figcaption class="wp-element-caption">19時前、ランウエイショーのスタート地点の参道東側の鳥居に整列。この時はまだ明るい。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この時はまだ暑いので、我々の356は両側のドアを大きく開けて、エンジンを停止。ドアを開けるとやや涼しい風が車内に入ってくるので、これなら暫く356の中で待っていられそうだ。その後、暗くなり始めた19時から、本殿前でEXILE üSA氏によるダンスの奉納パフォーマンスが始まり、ダンスミュージックがクルマで待機している我々にも聞こえてきた。そして19時15分、参道でのランウエイショーがいよいよスタート。数台前のクルマを見ていると、参道東側の鳥居下のスタートラインで白のスタートフラッグが振られ、赤絨毯の上を一台ずつスタートして行く。前のクルマがスタートラインに立った時、空はちょうど暗くなりかけ、先程まで気が付かなかったが、スタート地点の参道東側の鳥居が青と赤の鮮やかな照明で照らされているのがはっきり見えてきた。もうすぐ356のスタートである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71677,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0921-1024x573.jpg" alt="" class="wp-image-71677"/><figcaption class="wp-element-caption">19時15分頃ようやく暗くなり始め、各車ヘッドランプが点灯し始める。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71678,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0924加工-1024x763.jpg" alt="" class="wp-image-71678"/><figcaption class="wp-element-caption">ランウエイショーのスタート地点。２本のスタートフラッグが振られ、１台ずつスタート。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>【後編に続く】</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトライブラリー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":71651,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0739加工-1024x580.jpg" alt="" class="wp-image-71651"/><figcaption class="wp-element-caption">豊川稲荷西側の受付テント近くの日陰で積車から参加車両が下されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":71654,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0752-1024x612.jpg" alt="" class="wp-image-71654"/><figcaption class="wp-element-caption">受付を済ませ、スタッフの誘導に従い法堂前を目指す。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0761-1024x501.jpg" alt="" class="wp-image-71655"/><figcaption class="wp-element-caption">展示場所の法堂前に無事到着。気温38℃の快晴。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0768加工-1024x550.jpg" alt="" class="wp-image-71656"/><figcaption class="wp-element-caption">中央は1980年メルセデス・ベンツ500SLC。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0832加工-1024x492.jpg" alt="" class="wp-image-71662"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前は1955年MG A。その後ろがＫ氏の1953年ポルシェ356プリA。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0834-1024x440.jpg" alt="" class="wp-image-71663"/><figcaption class="wp-element-caption">左手前は1968年トヨタ2000GT。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0854-1024x673.jpg" alt="" class="wp-image-71667"/><figcaption class="wp-element-caption">日本料理店「出雲」の大谷重治氏の精進料理の解説を聞きながら料理をいただいた。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0857-1024x811.jpg" alt="" class="wp-image-71668"/><figcaption class="wp-element-caption">墨絵師の西元祐貴氏の挨拶。豊川稲荷の中の美術館には、多くの西元祐貴氏の作品が展示されていた。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/IMG_0875加工-1024x641.jpg" alt="" class="wp-image-71674"/><figcaption class="wp-element-caption">18時半、ランウエイショーに向け法堂前に展示された車両の移動が始まる。一番手前は2003年TVRタスカン。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>有賀英雄<br>1966年山梨県甲府市生まれ。小5の時スーパーカーブームを経験しトヨタ自動車に入社。主に実験部でレクサスLFAも含め新車開発を担当。退社後クラッシックカーイベントを中心に取材&amp;執筆中。CCCJ準会員。愛車はGZG50センチュリー。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【フェラーリF430物語】2005年にデビューしたフェラーリF430は20年を経てヤングタイマーとなった　フェラーリF430の全容ならびに試乗と購入ガイド</title>
		<link>https://autobild.jp/71427/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Aug 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Ferrari]]></category>
		<category><![CDATA[Ferrari　F430]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア車]]></category>
		<category><![CDATA[スーパーカー]]></category>
		<category><![CDATA[フェラーリ]]></category>
		<category><![CDATA[フェラーリ F430]]></category>
		<category><![CDATA[中古のフェラーリF430]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF430：クラシックカーとしてのベースモデルのフェラーリはどれくらいお買い得なのか？2005年に発表された490馬力のF430は、ようやく手頃な価格になったのだろうか？</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「20年前のクルマを買ったんだ。当時はベースモデルだったけどね」。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自慢することを好まず、あえて自分のプライドを表に出さない人にとって、これはクルマを買ったことを羨ましがる友人たちに伝える、実にうまい言い方だ。友人たちには、傷だらけのオペル コルサに乗り込む気の毒な人物を勝手に想像させておけばいい。その一方で本人は、次のドライブで「フェラーリF430」を走らせることをすでに楽しみにしている。わずか490馬力の、つつましいベースモデルのベルリネッタだ。そして、もし誰かがこちらをちらりと見たとしても、アクセルをひと踏みすれば、あっという間にその場から消え去ってしまう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の現在の価格は？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>派手な富の誇示を好まない人は、一般的にフェラーリ、特にミッドシップモデルは購入しない。チューリッヒやモナコ以外では、「F430」は依然として異彩を放っている。しかし、中古車市場を見ればわかるように、それほど希少な車というわけでもない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もちろん、傷だらけの「コルサ」の値段で「F430」を手に入れることはできない。クラシックデータ社は現在（2026年時点）、「ベルリネッタ」と呼ばれるこのシンプルなクーペを、コンディション2で97,000ユーロ（約1,843万円）、コンディション3で74,000ユーロ（約1,406万円）と評価している。これは前年と全く同じ価格だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かなりの金額だ。しかも、高額な修理費用のリスクも伴う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の走りとは？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>中古の「F430」のメリットとデメリットを詳しく見ていく前に、この美しい車の走りについて語ろう。2004年、「フェラーリF430」が発表され、AUTO BILD誌が初期モデルの1台を試乗した際、我々は次のように評した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「発射！操作は実に簡単だ。ステアリングホイール左側の赤いボタンは、まるでジェームズ ボンド映画からそのまま飛び出してきたかのようだ。親指で軽く押すだけで、地獄の扉が開く。まるで映画のように、わずかな動きが大きな効果を生み出す。ガラス張りのボンネットの下では、32バルブが時限爆弾のようにカチカチと音を立てる。そして、その攻撃的なアイドリング音は、どんな番犬でも逃げ出すだろう。新型フェラーリF430は、まさにフェラーリのあるべき姿、すなわち攻撃的で危険なサウンドを奏でる。」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71508,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3051-2948x1967-3afb3948ac2d3af5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71508"/><figcaption class="wp-element-caption">典型的なミッドシップエンジンのプロポーション、長いフロントオーバーハング。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アイドリング時でさえ、490馬力のミッドシップエンジンは貪欲に空気を吸い込む。野獣が目覚めたのだ。そして爆発する。唸り声は轟音へと変わり、咆哮へと、そして最後には叫び声へと変わる。4.3リッターのV8エンジン、4本のカムシャフト、そして同じく4本の排気管が解き放つ咆哮は、まさに比類なきものだ。ブラボー！サウンドエンジニアは今回もまた素晴らしい仕事をした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「マネッティーノ」はまさにそのためにある</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、それだけではない。「F430」はボタンと頭脳を備えたフェラーリなのだ。右ステアリングホイールのスポークの下には、電子制御システムに接続する2つ目のスイッチが光り輝いている。これはF1から採用されたものだ。ミハエル シューマッハとルーベンス バリチェロは、レース中にレーシングカーのセッティングを調整するために使用するこのタイプのロータリーノブを「マネッティーノ」と呼んでいる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71512,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3057-2781x1854-9f7a356854f7c78a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71512"/><figcaption class="wp-element-caption">走行モードはステアリングホイールのレバー（マネッティーノ）で選択する。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」では、電子制御式ドライビングアシストシステムはCST（Controllo Stabilità e di Trazione：安定性とトラクション制御）と呼ばれている。ドライバーは「アイス」、「低グリップ」、「スポーツ」、「レース」「CSTオフ」の5つの設定から選択できるようになっている。最後の「CSTオフ」設定に関しては、エンジニアはステアリングホイールにシューマッハのロゴマークを付けた方が良かったかもしれない。なぜなら、アシストシステムをオフにすると、まるで飼い慣らされた駿馬が野生のサラブレッドに豹変し、熟練したライダーの腕が求められるからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>また、F1由来の電子制御式ディファレンシャル（E-Diff）も市販車としては初採用だ。最大100%のロック効果を発揮する。車載コンピューターは、ステアリング角度、アクセルペダル位置、横加速度、ホイール速度などのデータを瞬時に処理し、油圧システムを制御する。このシステムは、走行状況に応じてドライブシャフト内の2つのクラッチを開閉し、ホイールへの最適な動力配分を確保する。電子制御ディファレンシャルがトラクションを向上させ、限界を極限まで押し上げることで、「F430」は新たな次元へと突入する。経験の浅いドライバーでも、驚異的なコーナリングスピードを実現できる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コーナーからの加速時、このイタリア車は正確なステアリング、完璧なバランス、そして最大限の推進力でドライバーを魅了する。「公道のためのF1」： まさにこの言葉が真実だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">シーケンシャルギアボックスのフィーリングはこうだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「エンツォ フェラーリ」に続き、この新しいエントリーレベルのフェラーリは、F1テクノロジーを量産モデルに一貫して取り入れている。6速オートマチックトランスミッションは、先代モデルの「F355（1994～1999年）」から採用されている。「F360モデナ（1999～2004年）」では、パドルシフト仕様が販売台数の75%を占めていた。走行モードはステアリングホイールのレバー（マネッティーノ）で選択する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当然のことながら、運転する人は皆、興奮を覚える。カチッ、カチッ、右アップ、左ダウン - これほど速く、爽快なギアチェンジを実現できる車は他にない。レースモードでは、シフトタイムは先代モデルよりもさらに短縮され、加速ラグはわずか150ミリ秒にまで縮小される。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>外観面では、「F430」はモータースポーツへの大胆な方向転換を遂げている。フロントの大型エアインテークは、フィル ヒルが1961年にF1世界選手権を制したマシンの、シャークグリルを彷彿とさせる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらのインテークの間には、スポイラーが空気をフルカバーのアンダーボディへと導く。リヤも風洞実験によって最適化されている。フロアパンとリヤディフューザーは、リヤアクスルに最大150kgのダウンフォースを発生させる（フェラーリは、時速300kmで、車体全体で最大280kgのダウンフォースを発生すると主張している）。突き出した4つのテールライトは、「エンツォ フェラーリ」を彷彿とさせる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71509,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3053-1725x1151-b17d00d85eba983c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71509"/><figcaption class="wp-element-caption">空力性能の傑作：大型ディフューザーを備えたリヤエンドはエンツォを彷彿とさせる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリ360の日常での挙動</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>荒々しく原始的な本能を秘めているにもかかわらず、ピニンファリーナが手がけたこの2シーターは、日常の運転において驚くほど実用的なスポーツカーとなっている。軽いタッチでギアはスムーズかつ心地よく噛み合う。アルミ製のクーペは駐車スペースへの出し入れも容易だ。「F430」は荒れた路面でも驚くほど穏やかに走行する。これは、ザックス製の電子制御ダンパーのおかげでもある。ダンパーの硬さは「シューマッハ」スイッチで調整でき、路面状況に合わせて常に最適な状態を保つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コックピットも贅沢さを排している。残念ながら、ライトやウィンドウのスイッチ類も同様だ。フィアットの部品が流用されている。プラスチック製のロータリーノブやエアベントは、この車には安っぽく見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、フェラーリの顧客はこうした点を気にしないようだ。彼らはグランプリレベルのテクノロジーを手に入れるだけでなく、14万ユーロ（約2,660万円）という高額な価格も覚悟しなければならない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時（そしてこれが2004年の記述の最後だが）、それは問題ではなかった。2005年半ばには、F430はすでに完売していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">購入ガイド：フェラーリ430の長所と短所</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クラシックフェラーリを所有するという夢を叶えたい、そして叶えることができる人のために、いくつかポイントを紹介する。「フェラーリF430」は、旧型フェラーリモデルよりも信頼性が高いとされているが、「トヨタ カローラ」のように簡単というわけではない。メンテナンス費用とスペアパーツ代が非常に高額なため、以前のオーナーの中には必要な投資をためらう人もいる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:table -->
<figure class="wp-block-table"><table class="has-fixed-layout"><tbody><tr><td>質問</td><td> 答え</td></tr><tr><td>フェラーリF430の現在の価格は？</td><td>状態の良いフェラーリF430は、通常10万ユーロ（約1,900万円）前後、あるいはそれ以上の価格になる。マニュアルトランスミッション、低走行距離、完璧な整備記録、そして希少なオプション装備は、価格を大幅に押し上げる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430は信頼性が高いか？</td><td>フェラーリの基準からすると、F430は堅牢な車とされている。しかしながら、高性能車であることに変わりはなく、高額なメンテナンス費用と繊細な特殊部品が使用されている。</td></tr><tr><td>フェラーリF430の弱点は？</td><td>点検すべき重要な部品には、エキゾーストマニホールド、触媒コンバーター、F1油圧システム、クラッチ、電子制御ディファレンシャル、サスペンション、ブレーキ、バッテリー、そして内装のプラスチック部品の粘着性などが挙げられる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430はタイミングベルト式か？</td><td>いいえ。4.3リッターV8エンジンはタイミングチェーンを採用している。これにより、以前のフェラーリV8エンジンでは標準だったタイミングベルトの交換は不要になったが、メンテナンス費用が安くなるわけではない。</td></tr><tr><td>F1スタイルのトランスミッションとMTのどちらを選ぶべきか？</td><td>F1トランスミッションはより一般的で、通常は安価だ。マニュアルトランスミッションは希少で人気が高く、価格もかなり高額だ。</td></tr><tr><td>購入前に注意すべき点は？</td><td>F430を購入する際は、完全な整備記録、診断レポート、クラッチとブレーキの点検、そしてフェラーリ専門業者による購入前点検が必須だ。</td></tr><tr><td>フェラーリF430と360モデナ、どちらを買うべきか？</td><td>F430はよりパワフルで、よりモダンで、技術的にも洗練されている。360モデナは価格が安い場合が多いが、メンテナンス要件が異なる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430と360モデナ、どちらを買うべきか？</td><td>F430はよりアナログなフィーリングでマニュアルトランスミッションも選択可能だった。458イタリアはより新しく、よりパワフルで、デュアルクラッチトランスミッションを搭載している。</td></tr></tbody></table></figure>
<!-- /wp:table -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」に搭載されているV8エンジンは、「フェラーリ エンツォ」のV12エンジンをベースにしているが、タイミングベルトではなくタイミングチェーンを採用している。「フェラーリ360」とは異なり、これにより3年ごとに高額なタイミングベルト交換を行う必要がなくなった。ただし、メーカーはタイミングチェーンの年次点検（または65,000kmごと）を推奨している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このエンジン（コードネームF136）は、クランクシャフトが異なる「M139」として、「マセラティ クアトロポルテV」にも搭載されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>排気マニホールドのひび割れは特に頻繁に発生する問題のようだ。高度な技術を持つ整備士であれば、これらのひび割れ音を聞き分けることができる。アフターマーケット製のマニホールドに交換するのが一般的に良い選択肢だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71513,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/V8-Motor-des-Ferrari-F430-3059-3504x2336-787794f79a6be8ee-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71513"/><figcaption class="wp-element-caption">90度V8エンジンはマセラティ製ブロックをベースにしている。可変バルブタイミング機構を備え、8,500rpmで490馬力を発揮する。エンジンカバーはガラス製だ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>触媒コンバーターが損傷していないか、あるいは劣化しているかは、排ガス検査で確認する必要がある。排気ハンガーが破損する可能性もあるが、社外品のステンレス製排気システムが必ずしも純正品より品質が劣るわけではない点に留意すべきだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">シーケンシャルギアボックスには、意味不明なネジが使われている</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」のうち、従来の6速マニュアルトランスミッション搭載車は10%未満と推定されており、現在では希少価値が高く、価格も高くなっている。とんどの「F430」はシーケンシャルギアボックスを搭載しているわけだ。フェラーリ自身も2007年か2008年頃に、意味不明なバンジョーボルトを使用して出荷していたと、ダーク ベルマン氏が、「blog.f1-hydraulik.de」で述べている（そして、改良された交換部品も提供している）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ベルマン社は油圧ホースも販売している。純正品は経年劣化で硬化し、破損する可能性がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一部のモデルでクラッチマスターシリンダーからのオイル漏れが発生したため、リコールが行われた。リフトアップしても、下部の保護カバーを取り外さないとオイル漏れを確認できない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の電子制御ディファレンシャルに関する注意点</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「フェラーリF430」の特筆すべき技術的特徴は、市販スポーツカーとしては初となる電子制御式リミテッドスリップディファレンシャル（E-Diff）だった。しかし、E-Diffバルブは故障する可能性がある。修理は専門業者に依頼する必要がある。例えば、新しいE-Diffバルブを15Nm以上のトルクで締め付けると、すぐに故障する可能性がある。故障したE-Diffを長期間使用すると、油圧ポンプが故障する恐れがある。ディルク ベルマン氏によれば、ディファレンシャルオイルが古すぎると、クラッチプレートが固着する可能性があるとのことだ。また、油圧ラインも経年劣化するため、交換が必要になる場合がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ブレーキとサスペンションに関する注意点</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オプションのカーボンセラミックブレーキは驚異的な制動力を発揮するが、ディスクの交換費用も非常に高額だ。そのため、カーボンセラミックブレーキが装着されている場合は、その状態と残厚を徹底的に点検し、記録を残しておくことをお勧めする。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ブレーキの効きが悪い場合は、ブレーキキャリパーのピストンが固着している可能性がある。これは、長期間放置されていた場合によく起こる問題だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パワフルな車は、力強いスタートを切らずにはいられないものだ。クラッチの点検も欠かせない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>複雑なホイールサスペンションは摩耗しやすい構造だ。純正部品は非常に高価な場合があり、専門業者はより安価で、場合によってはより高品質な部品を提供している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">電気系統と内装</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ハイビームは正常に作動するか？バイキセノンヘッドライトの修理には数千ユーロ（約十万円）かかる場合がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>幸いなことに、内装は以前のモデルほど安っぽく作られておらず、プラスチックのベタつきやドアハンドルの脱落といった問題は以前ほど頻繁には見られなくなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71510,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3055-2537x1691-d6ab9badb83cf04b-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-71510"/><figcaption class="wp-element-caption">F430はかつて14万ユーロ（約2,660万円）から販売されていた。その価格で、0-100km/h加速わずか4秒、最高速度315km/hという、極めてスポーティなパフォーマンスを手に入れることができた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF430ベルリネッタ技術仕様</strong><br>・ エンジン： ミッドシップV型8気筒（F136）、1気筒あたり4バルブ、タイミングチェーン、可変バルブタイミング<br>・ 排気量： 4,308cc<br>・ 最高出力： 490hp@8,500rpm<br>・ 最大トルク： 465Nm@5,250rpm<br>・ 駆動方式： 6速オートマチックマニュアルトランスミッション、電子制御式リヤディファレンシャル、後輪駆動<br>・ 最高速度： 315km/h<br>・ 0-100km/h加速: 4.0秒<br>・ サスペンション： 独立懸架式<br>・ タイヤ： フロント 225/35 ZR 19、リヤ 285/35 ZR 19<br>・ 全長/全幅/全高： 4,512/1,923/1,214mm<br>・ ホイールベース： 2,600mm<br>・ 当時の新車価格（2005年）: 140,000ユーロ（約2,660万円）<br>・ クラシックデータに基づく現在の価値（2026年）：コンディション2： 97,000ユーロ（約1,843万円）、コンディション3： 74,000ユーロ（約1,406万円）</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>格安で手に入る高級クラシックカーも存在する。これは素晴らしいことだ。平均的な収入の人でも、自分へのご褒美として素敵な車を手に入れることができるからだ。しかし、その一方で、こうした平均的な収入の人は必要なメンテナンスや修理を怠りがちになり、車が劣化してしまう危険性がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「フェラーリF430」は決して安価な車ではなかった。75,000ユーロ（約1,425万円）や100,000ユーロ（約1,900万円）といった高額なクラシックカーを購入する人は、その後も相当な維持費がかかることを覚悟しなければならない。したがって、大多数の自動車愛好家にとって、それは夢の車であり続けるだろう。20年以上前のベースモデルとは言え実際に購入できるのは、非常に幸運な人だけなのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer<br>Photo: Angelika Emmerling/AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-fahrend-von-vorn-2869-2762x1555-b8d67e3e92695ac3-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF430：クラシックカーとしてのベースモデルのフェラーリはどれくらいお買い得なのか？2005年に発表された490馬力のF430は、ようやく手頃な価格になったのだろうか？</strong></p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>「20年前のクルマを買ったんだ。当時はベースモデルだったけどね」。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自慢することを好まず、あえて自分のプライドを表に出さない人にとって、これはクルマを買ったことを羨ましがる友人たちに伝える、実にうまい言い方だ。友人たちには、傷だらけのオペル コルサに乗り込む気の毒な人物を勝手に想像させておけばいい。その一方で本人は、次のドライブで「フェラーリF430」を走らせることをすでに楽しみにしている。わずか490馬力の、つつましいベースモデルのベルリネッタだ。そして、もし誰かがこちらをちらりと見たとしても、アクセルをひと踏みすれば、あっという間にその場から消え去ってしまう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の現在の価格は？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>派手な富の誇示を好まない人は、一般的にフェラーリ、特にミッドシップモデルは購入しない。チューリッヒやモナコ以外では、「F430」は依然として異彩を放っている。しかし、中古車市場を見ればわかるように、それほど希少な車というわけでもない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もちろん、傷だらけの「コルサ」の値段で「F430」を手に入れることはできない。クラシックデータ社は現在（2026年時点）、「ベルリネッタ」と呼ばれるこのシンプルなクーペを、コンディション2で97,000ユーロ（約1,843万円）、コンディション3で74,000ユーロ（約1,406万円）と評価している。これは前年と全く同じ価格だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かなりの金額だ。しかも、高額な修理費用のリスクも伴う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の走りとは？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>中古の「F430」のメリットとデメリットを詳しく見ていく前に、この美しい車の走りについて語ろう。2004年、「フェラーリF430」が発表され、AUTO BILD誌が初期モデルの1台を試乗した際、我々は次のように評した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「発射！操作は実に簡単だ。ステアリングホイール左側の赤いボタンは、まるでジェームズ ボンド映画からそのまま飛び出してきたかのようだ。親指で軽く押すだけで、地獄の扉が開く。まるで映画のように、わずかな動きが大きな効果を生み出す。ガラス張りのボンネットの下では、32バルブが時限爆弾のようにカチカチと音を立てる。そして、その攻撃的なアイドリング音は、どんな番犬でも逃げ出すだろう。新型フェラーリF430は、まさにフェラーリのあるべき姿、すなわち攻撃的で危険なサウンドを奏でる。」</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71508,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3051-2948x1967-3afb3948ac2d3af5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71508"/><figcaption class="wp-element-caption">典型的なミッドシップエンジンのプロポーション、長いフロントオーバーハング。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アイドリング時でさえ、490馬力のミッドシップエンジンは貪欲に空気を吸い込む。野獣が目覚めたのだ。そして爆発する。唸り声は轟音へと変わり、咆哮へと、そして最後には叫び声へと変わる。4.3リッターのV8エンジン、4本のカムシャフト、そして同じく4本の排気管が解き放つ咆哮は、まさに比類なきものだ。ブラボー！サウンドエンジニアは今回もまた素晴らしい仕事をした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「マネッティーノ」はまさにそのためにある</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、それだけではない。「F430」はボタンと頭脳を備えたフェラーリなのだ。右ステアリングホイールのスポークの下には、電子制御システムに接続する2つ目のスイッチが光り輝いている。これはF1から採用されたものだ。ミハエル シューマッハとルーベンス バリチェロは、レース中にレーシングカーのセッティングを調整するために使用するこのタイプのロータリーノブを「マネッティーノ」と呼んでいる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71512,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3057-2781x1854-9f7a356854f7c78a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71512"/><figcaption class="wp-element-caption">走行モードはステアリングホイールのレバー（マネッティーノ）で選択する。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」では、電子制御式ドライビングアシストシステムはCST（Controllo Stabilità e di Trazione：安定性とトラクション制御）と呼ばれている。ドライバーは「アイス」、「低グリップ」、「スポーツ」、「レース」「CSTオフ」の5つの設定から選択できるようになっている。最後の「CSTオフ」設定に関しては、エンジニアはステアリングホイールにシューマッハのロゴマークを付けた方が良かったかもしれない。なぜなら、アシストシステムをオフにすると、まるで飼い慣らされた駿馬が野生のサラブレッドに豹変し、熟練したライダーの腕が求められるからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>また、F1由来の電子制御式ディファレンシャル（E-Diff）も市販車としては初採用だ。最大100%のロック効果を発揮する。車載コンピューターは、ステアリング角度、アクセルペダル位置、横加速度、ホイール速度などのデータを瞬時に処理し、油圧システムを制御する。このシステムは、走行状況に応じてドライブシャフト内の2つのクラッチを開閉し、ホイールへの最適な動力配分を確保する。電子制御ディファレンシャルがトラクションを向上させ、限界を極限まで押し上げることで、「F430」は新たな次元へと突入する。経験の浅いドライバーでも、驚異的なコーナリングスピードを実現できる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コーナーからの加速時、このイタリア車は正確なステアリング、完璧なバランス、そして最大限の推進力でドライバーを魅了する。「公道のためのF1」： まさにこの言葉が真実だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">シーケンシャルギアボックスのフィーリングはこうだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「エンツォ フェラーリ」に続き、この新しいエントリーレベルのフェラーリは、F1テクノロジーを量産モデルに一貫して取り入れている。6速オートマチックトランスミッションは、先代モデルの「F355（1994～1999年）」から採用されている。「F360モデナ（1999～2004年）」では、パドルシフト仕様が販売台数の75%を占めていた。走行モードはステアリングホイールのレバー（マネッティーノ）で選択する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当然のことながら、運転する人は皆、興奮を覚える。カチッ、カチッ、右アップ、左ダウン - これほど速く、爽快なギアチェンジを実現できる車は他にない。レースモードでは、シフトタイムは先代モデルよりもさらに短縮され、加速ラグはわずか150ミリ秒にまで縮小される。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>外観面では、「F430」はモータースポーツへの大胆な方向転換を遂げている。フロントの大型エアインテークは、フィル ヒルが1961年にF1世界選手権を制したマシンの、シャークグリルを彷彿とさせる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらのインテークの間には、スポイラーが空気をフルカバーのアンダーボディへと導く。リヤも風洞実験によって最適化されている。フロアパンとリヤディフューザーは、リヤアクスルに最大150kgのダウンフォースを発生させる（フェラーリは、時速300kmで、車体全体で最大280kgのダウンフォースを発生すると主張している）。突き出した4つのテールライトは、「エンツォ フェラーリ」を彷彿とさせる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71509,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3053-1725x1151-b17d00d85eba983c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71509"/><figcaption class="wp-element-caption">空力性能の傑作：大型ディフューザーを備えたリヤエンドはエンツォを彷彿とさせる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリ360の日常での挙動</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>荒々しく原始的な本能を秘めているにもかかわらず、ピニンファリーナが手がけたこの2シーターは、日常の運転において驚くほど実用的なスポーツカーとなっている。軽いタッチでギアはスムーズかつ心地よく噛み合う。アルミ製のクーペは駐車スペースへの出し入れも容易だ。「F430」は荒れた路面でも驚くほど穏やかに走行する。これは、ザックス製の電子制御ダンパーのおかげでもある。ダンパーの硬さは「シューマッハ」スイッチで調整でき、路面状況に合わせて常に最適な状態を保つ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コックピットも贅沢さを排している。残念ながら、ライトやウィンドウのスイッチ類も同様だ。フィアットの部品が流用されている。プラスチック製のロータリーノブやエアベントは、この車には安っぽく見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、フェラーリの顧客はこうした点を気にしないようだ。彼らはグランプリレベルのテクノロジーを手に入れるだけでなく、14万ユーロ（約2,660万円）という高額な価格も覚悟しなければならない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時（そしてこれが2004年の記述の最後だが）、それは問題ではなかった。2005年半ばには、F430はすでに完売していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">購入ガイド：フェラーリ430の長所と短所</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クラシックフェラーリを所有するという夢を叶えたい、そして叶えることができる人のために、いくつかポイントを紹介する。「フェラーリF430」は、旧型フェラーリモデルよりも信頼性が高いとされているが、「トヨタ カローラ」のように簡単というわけではない。メンテナンス費用とスペアパーツ代が非常に高額なため、以前のオーナーの中には必要な投資をためらう人もいる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:table -->
<figure class="wp-block-table"><table class="has-fixed-layout"><tbody><tr><td>質問</td><td> 答え</td></tr><tr><td>フェラーリF430の現在の価格は？</td><td>状態の良いフェラーリF430は、通常10万ユーロ（約1,900万円）前後、あるいはそれ以上の価格になる。マニュアルトランスミッション、低走行距離、完璧な整備記録、そして希少なオプション装備は、価格を大幅に押し上げる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430は信頼性が高いか？</td><td>フェラーリの基準からすると、F430は堅牢な車とされている。しかしながら、高性能車であることに変わりはなく、高額なメンテナンス費用と繊細な特殊部品が使用されている。</td></tr><tr><td>フェラーリF430の弱点は？</td><td>点検すべき重要な部品には、エキゾーストマニホールド、触媒コンバーター、F1油圧システム、クラッチ、電子制御ディファレンシャル、サスペンション、ブレーキ、バッテリー、そして内装のプラスチック部品の粘着性などが挙げられる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430はタイミングベルト式か？</td><td>いいえ。4.3リッターV8エンジンはタイミングチェーンを採用している。これにより、以前のフェラーリV8エンジンでは標準だったタイミングベルトの交換は不要になったが、メンテナンス費用が安くなるわけではない。</td></tr><tr><td>F1スタイルのトランスミッションとMTのどちらを選ぶべきか？</td><td>F1トランスミッションはより一般的で、通常は安価だ。マニュアルトランスミッションは希少で人気が高く、価格もかなり高額だ。</td></tr><tr><td>購入前に注意すべき点は？</td><td>F430を購入する際は、完全な整備記録、診断レポート、クラッチとブレーキの点検、そしてフェラーリ専門業者による購入前点検が必須だ。</td></tr><tr><td>フェラーリF430と360モデナ、どちらを買うべきか？</td><td>F430はよりパワフルで、よりモダンで、技術的にも洗練されている。360モデナは価格が安い場合が多いが、メンテナンス要件が異なる。</td></tr><tr><td>フェラーリF430と360モデナ、どちらを買うべきか？</td><td>F430はよりアナログなフィーリングでマニュアルトランスミッションも選択可能だった。458イタリアはより新しく、よりパワフルで、デュアルクラッチトランスミッションを搭載している。</td></tr></tbody></table></figure>
<!-- /wp:table -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」に搭載されているV8エンジンは、「フェラーリ エンツォ」のV12エンジンをベースにしているが、タイミングベルトではなくタイミングチェーンを採用している。「フェラーリ360」とは異なり、これにより3年ごとに高額なタイミングベルト交換を行う必要がなくなった。ただし、メーカーはタイミングチェーンの年次点検（または65,000kmごと）を推奨している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このエンジン（コードネームF136）は、クランクシャフトが異なる「M139」として、「マセラティ クアトロポルテV」にも搭載されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>排気マニホールドのひび割れは特に頻繁に発生する問題のようだ。高度な技術を持つ整備士であれば、これらのひび割れ音を聞き分けることができる。アフターマーケット製のマニホールドに交換するのが一般的に良い選択肢だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71513,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/V8-Motor-des-Ferrari-F430-3059-3504x2336-787794f79a6be8ee-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-71513"/><figcaption class="wp-element-caption">90度V8エンジンはマセラティ製ブロックをベースにしている。可変バルブタイミング機構を備え、8,500rpmで490馬力を発揮する。エンジンカバーはガラス製だ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>触媒コンバーターが損傷していないか、あるいは劣化しているかは、排ガス検査で確認する必要がある。排気ハンガーが破損する可能性もあるが、社外品のステンレス製排気システムが必ずしも純正品より品質が劣るわけではない点に留意すべきだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">シーケンシャルギアボックスには、意味不明なネジが使われている</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「F430」のうち、従来の6速マニュアルトランスミッション搭載車は10%未満と推定されており、現在では希少価値が高く、価格も高くなっている。とんどの「F430」はシーケンシャルギアボックスを搭載しているわけだ。フェラーリ自身も2007年か2008年頃に、意味不明なバンジョーボルトを使用して出荷していたと、ダーク ベルマン氏が、「blog.f1-hydraulik.de」で述べている（そして、改良された交換部品も提供している）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ベルマン社は油圧ホースも販売している。純正品は経年劣化で硬化し、破損する可能性がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一部のモデルでクラッチマスターシリンダーからのオイル漏れが発生したため、リコールが行われた。リフトアップしても、下部の保護カバーを取り外さないとオイル漏れを確認できない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF430の電子制御ディファレンシャルに関する注意点</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「フェラーリF430」の特筆すべき技術的特徴は、市販スポーツカーとしては初となる電子制御式リミテッドスリップディファレンシャル（E-Diff）だった。しかし、E-Diffバルブは故障する可能性がある。修理は専門業者に依頼する必要がある。例えば、新しいE-Diffバルブを15Nm以上のトルクで締め付けると、すぐに故障する可能性がある。故障したE-Diffを長期間使用すると、油圧ポンプが故障する恐れがある。ディルク ベルマン氏によれば、ディファレンシャルオイルが古すぎると、クラッチプレートが固着する可能性があるとのことだ。また、油圧ラインも経年劣化するため、交換が必要になる場合がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ブレーキとサスペンションに関する注意点</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オプションのカーボンセラミックブレーキは驚異的な制動力を発揮するが、ディスクの交換費用も非常に高額だ。そのため、カーボンセラミックブレーキが装着されている場合は、その状態と残厚を徹底的に点検し、記録を残しておくことをお勧めする。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ブレーキの効きが悪い場合は、ブレーキキャリパーのピストンが固着している可能性がある。これは、長期間放置されていた場合によく起こる問題だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パワフルな車は、力強いスタートを切らずにはいられないものだ。クラッチの点検も欠かせない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>複雑なホイールサスペンションは摩耗しやすい構造だ。純正部品は非常に高価な場合があり、専門業者はより安価で、場合によってはより高品質な部品を提供している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">電気系統と内装</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ハイビームは正常に作動するか？バイキセノンヘッドライトの修理には数千ユーロ（約十万円）かかる場合がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>幸いなことに、内装は以前のモデルほど安っぽく作られておらず、プラスチックのベタつきやドアハンドルの脱落といった問題は以前ほど頻繁には見られなくなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":71510,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/08/Ferrari-F430-3055-2537x1691-d6ab9badb83cf04b-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-71510"/><figcaption class="wp-element-caption">F430はかつて14万ユーロ（約2,660万円）から販売されていた。その価格で、0-100km/h加速わずか4秒、最高速度315km/hという、極めてスポーティなパフォーマンスを手に入れることができた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリF430ベルリネッタ技術仕様</strong><br>・ エンジン： ミッドシップV型8気筒（F136）、1気筒あたり4バルブ、タイミングチェーン、可変バルブタイミング<br>・ 排気量： 4,308cc<br>・ 最高出力： 490hp@8,500rpm<br>・ 最大トルク： 465Nm@5,250rpm<br>・ 駆動方式： 6速オートマチックマニュアルトランスミッション、電子制御式リヤディファレンシャル、後輪駆動<br>・ 最高速度： 315km/h<br>・ 0-100km/h加速: 4.0秒<br>・ サスペンション： 独立懸架式<br>・ タイヤ： フロント 225/35 ZR 19、リヤ 285/35 ZR 19<br>・ 全長/全幅/全高： 4,512/1,923/1,214mm<br>・ ホイールベース： 2,600mm<br>・ 当時の新車価格（2005年）: 140,000ユーロ（約2,660万円）<br>・ クラシックデータに基づく現在の価値（2026年）：コンディション2： 97,000ユーロ（約1,843万円）、コンディション3： 74,000ユーロ（約1,406万円）</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>格安で手に入る高級クラシックカーも存在する。これは素晴らしいことだ。平均的な収入の人でも、自分へのご褒美として素敵な車を手に入れることができるからだ。しかし、その一方で、こうした平均的な収入の人は必要なメンテナンスや修理を怠りがちになり、車が劣化してしまう危険性がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「フェラーリF430」は決して安価な車ではなかった。75,000ユーロ（約1,425万円）や100,000ユーロ（約1,900万円）といった高額なクラシックカーを購入する人は、その後も相当な維持費がかかることを覚悟しなければならない。したがって、大多数の自動車愛好家にとって、それは夢の車であり続けるだろう。20年以上前のベースモデルとは言え実際に購入できるのは、非常に幸運な人だけなのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer<br>Photo: Angelika Emmerling/AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
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