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	<title>旧車＆ネオクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>旧車＆ネオクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>【マリリン モンローの愛車物語】2026年6月1日、マリリンは生誕100周年を迎えるはずだった　彼女の伝説には映画だけでなく愛車も含まれている</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Jun 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
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		<category><![CDATA[マリリン モンロー]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-768x432.jpg 768w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>マリリン モンロー（Marilyn Monroe）のフォード サンダーバード（Ford Thunderbird）：ハッピーバースデー、マリリン。彼女のフォード サンダーバードの物語。マリリン モンローの生誕100周年を記念して、1956年型フォード サンダーバードが注目を集めた。なんと49万ドル（約8,085万円）という驚異的な価格で落札されたのだ！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ハッピーバースデー、マリリン モンロー！2026年6月1日、この伝説的な女優は生誕100周年を迎えるはずだった。彼女の伝説には、映画、写真、名言だけでなく、愛車も含まれている。それは、黒の1956年型「フォード サンダーバード」だ。数十年間、人々の目から姿を消していた「サンダーバード」は、2018年に「ジュリアンズ オークション（Julien's Auctions）」で49万ドル（約8,085万円）という驚異的な価格で落札された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>マリリン モンローは1926年6月1日にロサンゼルスで生まれ、1962年に36歳で亡くなった。1950年代、彼女は世界屈指の映画スターだったが、同時にハリウッドが押し付ける狭い役柄に抵抗した女優でもあった。1954年末、彼女は写真家のミルトン グリーンと共に「マリリン モンロー プロダクションズ」を設立した。「サンダーバード」は後にこの名前で購入された1台だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">重要な時代を象徴する黒いサンダーバード</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「サンダーバード」はフォードが「シボレー コルベット」に対抗するために開発した車だったが、単なるスポーツカーとして作られたわけではなかった。フォードは快適性、スタイル、そして機能性を重視した。今日では、パーソナル ラグジュアリーカーと呼ぶことができるだろう。モンローが所有していた「サンダーバード」は、まさにこの定義にぴったり当てはまる。黒のボディカラー、黒と白のインテリア、ホワイトウォールタイヤ、クロームメッキのバンパー、そしてコンチネンタルキットには外部スペアタイヤが装備されていた。そして、ブラックのソフトトップと、特徴的な丸窓付きの取り外し可能なハードトップの両方が用意されていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68884,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-3053-5179x3453-636ba1ad0668628b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68884"/><figcaption class="wp-element-caption">マリリン モンローのフォード サンダーバードがブエノスアイレス（アルゼンチン）のファッション博物館に展示されたのは、2025年のことだった。<br>Photo: Luciano Gonzalez / picture alliance / Anadolu</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>長いボンネットの下には、225馬力（米国仕様）を発揮する5.1リッターV8エンジンが搭載されている。サンダーバードには、パワーステアリング、パワーブレーキ、パワーウィンドウ、パワーシートといった、当時としては実に豪華な装備が備わっていた。この車のシリアルナンバーは「P6FH151382」だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">このサンダーバードはどのようにしてモンローの手に渡ったのだろうか？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>確かなことは、1955年12月20日にコネチカット州ウェストポートのウェストポート モーターズで、「マリリン モンロー プロダクションズ」名義で購入されたということだ。多くの説では、写真家のミルトン グリーン（Milton Greene）がクリスマスプレゼントとして彼女に贈ったとされている。しかし、購入の記録は残っているものの、贈り物の詳細は不明だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、モンローは東海岸で生活しながら、スタジオからの独立を目指し、演技の勉強に励んでいた。そのため、この「サンダーバード」は、彼女の華やかな時代だけでなく、キャリアに対する彼女のコントロールをより強固にしようとしていた時代を象徴する車とも言えるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68883,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-3051-2000x1563-a132c8893e3c3daf-1024x800.jpg" alt="" class="wp-image-68883"/><figcaption class="wp-element-caption">1957年、ニューヨークにて：マリリン モンローと夫で作家のアーサー ミラーが、愛車のサンダーバードに乗っている。<br>Photo: picture alliance / Asociated Press</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>モンローは車を購入して間もなく、作家のアーサー ミラー（Arthur Miller）と結婚した。1956年6月末、ニューヨーク州ウェストチェスター郡裁判所で民事婚が行われ、その2日後にユダヤ教の非公開結婚式が執り行われた。オークションの記録によれば、この「サンダーバード」はこの結婚式前後のドライブと関連付けられている。確かなことは、当時モンローとミラーが「サンダーバード」と一緒に写っている写真が存在することだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このことから、このフォードは単なる美しい1950年代のクラシックカー以上の意味を持つようになった。それは、モンローの人生における短くも輝かしい時期、つまり新しい契約、新しい会社、新しい結婚、そして新しい時代を象徴する車なのだ。この物語が後に悲劇的な結末を迎えたことは、モンロー伝説の一部となっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">その後、このフォードはどうなったのだろうか？</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>モンローは1962年まで「サンダーバード」を所有していた。その後、彼女はそれを、演技の師であるリー ストラスバーグ（Lee Strasberg）とその妻ポーラ（Paula）の息子、ジョン ストラスバーグ（John Strasberg）に譲った。法的な所有権移転は、モンローの死のわずか数ヶ月前に行われたと言われている。その後、この車は何十年もの間、人々の目に触れることなく姿を消した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68881,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/dpa_Picture-Alliance-2.446116510-HighRes-71bb0031ea83c805-1024x801.jpg" alt="" class="wp-image-68881"/><figcaption class="wp-element-caption">Tバードは、この女優が所有していた有名な車の一つに過ぎない。マリリン モンローのデラージュD6が、シュターデ技術交通博物館で館長のカール＝ハインツ ピットナーの横に展示されている（1997年6月26日）。<br>Photo: picture alliance / Artcolor</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この車が再び日の目を見たのは、ストラスバーグ家の遺産から見つかった書類のおかげだ。コネチカット州の所有権証書、保険会社「カルビン・ミラー マイヤー アンド サックス（Kalvin, Miller, Meyer and Sachs）」からの書簡、そしてニューヨーク市財務局債権回収課からの書簡などが含まれていた。これらの書類こそが決定的な違いを生み出したのだ。この黒い「Tバード」がどれほど特別な存在だったかを、揺るぎない証拠として示してくれたのは、まさにこれらの書類だけだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">オークションで、約50万ドル（約8,250万円）で落札</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2018年11月、この車は「ジュリアンズ オークションズ（Julien's Auctions）」の「アイコンズ＆アイドルズ：ハリウッド」オークションに出品された。事前の予想落札価格は30万ドルから50万ドル（約4,950～8,250万円）だったが、最終的には49万ドル（約8,085万円）で落札され、予想価格の範囲内に収まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68880,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/dpa_Picture-Alliance-2.402006583-HighRes-06124f280d2c9037-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-68880"/><figcaption class="wp-element-caption">マリリン モンローは、1952年にニュージャージー州アトランティックシティで開催されたミス アメリカ コンテストのグランドマーシャル パレードで、この1951年型ナッシュ車に座っていた。<br>Photo: Simon Clay / picture alliance / Heritage Images</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現在、中古車市場には複数の「フォード サンダーバード」が出品されているが、これらのモデルの価格帯は4万ユーロから7万ユーロ（約760～1,330万円）だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは、再発見された文書の重要性を改めて示している。これらの文書は、20世紀を代表する著名人の一人がかつてこの黒い「サンダーバード」を所有していたことを初めて決定的に証明したのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Kim-Sarah Biehl</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-2869-4000x2250-8b96a574ecae7ca2-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>マリリン モンロー（Marilyn Monroe）のフォード サンダーバード（Ford Thunderbird）：ハッピーバースデー、マリリン。彼女のフォード サンダーバードの物語。マリリン モンローの生誕100周年を記念して、1956年型フォード サンダーバードが注目を集めた。なんと49万ドル（約8,085万円）という驚異的な価格で落札されたのだ！</strong></p>
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<p>ハッピーバースデー、マリリン モンロー！2026年6月1日、この伝説的な女優は生誕100周年を迎えるはずだった。彼女の伝説には、映画、写真、名言だけでなく、愛車も含まれている。それは、黒の1956年型「フォード サンダーバード」だ。数十年間、人々の目から姿を消していた「サンダーバード」は、2018年に「ジュリアンズ オークション（Julien's Auctions）」で49万ドル（約8,085万円）という驚異的な価格で落札された。</p>
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<p>マリリン モンローは1926年6月1日にロサンゼルスで生まれ、1962年に36歳で亡くなった。1950年代、彼女は世界屈指の映画スターだったが、同時にハリウッドが押し付ける狭い役柄に抵抗した女優でもあった。1954年末、彼女は写真家のミルトン グリーンと共に「マリリン モンロー プロダクションズ」を設立した。「サンダーバード」は後にこの名前で購入された1台だった。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">重要な時代を象徴する黒いサンダーバード</h3>
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<p>「サンダーバード」はフォードが「シボレー コルベット」に対抗するために開発した車だったが、単なるスポーツカーとして作られたわけではなかった。フォードは快適性、スタイル、そして機能性を重視した。今日では、パーソナル ラグジュアリーカーと呼ぶことができるだろう。モンローが所有していた「サンダーバード」は、まさにこの定義にぴったり当てはまる。黒のボディカラー、黒と白のインテリア、ホワイトウォールタイヤ、クロームメッキのバンパー、そしてコンチネンタルキットには外部スペアタイヤが装備されていた。そして、ブラックのソフトトップと、特徴的な丸窓付きの取り外し可能なハードトップの両方が用意されていた。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Ford-Thunderbird-von-Marilyn-Monroe-3053-5179x3453-636ba1ad0668628b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68884"/><figcaption class="wp-element-caption">マリリン モンローのフォード サンダーバードがブエノスアイレス（アルゼンチン）のファッション博物館に展示されたのは、2025年のことだった。<br>Photo: Luciano Gonzalez / picture alliance / Anadolu</figcaption></figure>
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<p>長いボンネットの下には、225馬力（米国仕様）を発揮する5.1リッターV8エンジンが搭載されている。サンダーバードには、パワーステアリング、パワーブレーキ、パワーウィンドウ、パワーシートといった、当時としては実に豪華な装備が備わっていた。この車のシリアルナンバーは「P6FH151382」だ。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">このサンダーバードはどのようにしてモンローの手に渡ったのだろうか？</h3>
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<p>確かなことは、1955年12月20日にコネチカット州ウェストポートのウェストポート モーターズで、「マリリン モンロー プロダクションズ」名義で購入されたということだ。多くの説では、写真家のミルトン グリーン（Milton Greene）がクリスマスプレゼントとして彼女に贈ったとされている。しかし、購入の記録は残っているものの、贈り物の詳細は不明だ。</p>
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<p>当時、モンローは東海岸で生活しながら、スタジオからの独立を目指し、演技の勉強に励んでいた。そのため、この「サンダーバード」は、彼女の華やかな時代だけでなく、キャリアに対する彼女のコントロールをより強固にしようとしていた時代を象徴する車とも言えるだろう。</p>
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<p>モンローは車を購入して間もなく、作家のアーサー ミラー（Arthur Miller）と結婚した。1956年6月末、ニューヨーク州ウェストチェスター郡裁判所で民事婚が行われ、その2日後にユダヤ教の非公開結婚式が執り行われた。オークションの記録によれば、この「サンダーバード」はこの結婚式前後のドライブと関連付けられている。確かなことは、当時モンローとミラーが「サンダーバード」と一緒に写っている写真が存在することだ。</p>
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<p>このことから、このフォードは単なる美しい1950年代のクラシックカー以上の意味を持つようになった。それは、モンローの人生における短くも輝かしい時期、つまり新しい契約、新しい会社、新しい結婚、そして新しい時代を象徴する車なのだ。この物語が後に悲劇的な結末を迎えたことは、モンロー伝説の一部となっている。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">その後、このフォードはどうなったのだろうか？</h3>
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<p>モンローは1962年まで「サンダーバード」を所有していた。その後、彼女はそれを、演技の師であるリー ストラスバーグ（Lee Strasberg）とその妻ポーラ（Paula）の息子、ジョン ストラスバーグ（John Strasberg）に譲った。法的な所有権移転は、モンローの死のわずか数ヶ月前に行われたと言われている。その後、この車は何十年もの間、人々の目に触れることなく姿を消した。</p>
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<p>この車が再び日の目を見たのは、ストラスバーグ家の遺産から見つかった書類のおかげだ。コネチカット州の所有権証書、保険会社「カルビン・ミラー マイヤー アンド サックス（Kalvin, Miller, Meyer and Sachs）」からの書簡、そしてニューヨーク市財務局債権回収課からの書簡などが含まれていた。これらの書類こそが決定的な違いを生み出したのだ。この黒い「Tバード」がどれほど特別な存在だったかを、揺るぎない証拠として示してくれたのは、まさにこれらの書類だけだった。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">オークションで、約50万ドル（約8,250万円）で落札</h3>
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<p>2018年11月、この車は「ジュリアンズ オークションズ（Julien's Auctions）」の「アイコンズ＆アイドルズ：ハリウッド」オークションに出品された。事前の予想落札価格は30万ドルから50万ドル（約4,950～8,250万円）だったが、最終的には49万ドル（約8,085万円）で落札され、予想価格の範囲内に収まった。</p>
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<p>現在、中古車市場には複数の「フォード サンダーバード」が出品されているが、これらのモデルの価格帯は4万ユーロから7万ユーロ（約760～1,330万円）だ。</p>
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<p>これは、再発見された文書の重要性を改めて示している。これらの文書は、20世紀を代表する著名人の一人がかつてこの黒い「サンダーバード」を所有していたことを初めて決定的に証明したのだ。</p>
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<p>Text: Kim-Sarah Biehl</p>
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			</item>
		<item>
		<title>2026年に還暦を迎えるアイコンモデル　アルファロメオ スパイダー、ランボルギーニ400GT、ホンダS800、その他11台を紹介！</title>
		<link>https://autobild.jp/68819/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Jun 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
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		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=68819</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>1966年生まれの、おそらく最も美しいクラシックカーたち。これらの美しいクラシックカーが60周年を迎える！1966年には、アルファロメオ スパイダーからポンティアックGTOに至るまで、最も魅力的な夢のクルマの数々が誕生した。ここに我々の厳選モデルを紹介する！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1960年代半ばは、自動車の世界における大きな転換期だった。実用性が重視されながらも、そこには常に乗員を思わず微笑ませるような遊び心があった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポンティアックは、そしてその少し後にはアルファロメオも、「テンペスト」や「ジュリア スパイダー」が持っていた愛らしさを脱ぎ捨て、若き反逆者たちに向けた、より過激で力強い響きを持つクルマを世に送り出した。ランボルギーニは「400GT 2+2」で、エンツォ フェラーリに「次の時代を担うクルマとは何か」を見せつけた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なんという時代だったことか、すべてが新しく生まれ変わったのだった！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">飾り気のないアルファロメオ スパイダー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68821,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Duetto-3051-971x647-da0da1dc60f923e0.jpg" alt="" class="wp-image-68821"/><figcaption class="wp-element-caption">アルファロメオ スパイダー デュエット：純粋なエレガンス - ピニンファリーナによるデザイン。<br>Photo: Götz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「アルファロメオ スパイダー（Alfa Romeo Spider）」は、常に美を愛する人々のための車とされてきた。美に心惹かれない人々は、かつてこの車に乗ることはなく、今も乗らない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>丸みを帯びたリアエンドを持つ「デュエット（Duetto）」は、スポーティさとロマンチシズムを兼ね備えた、魂を持つ一台だ。発表直後に亡くなったバティスタ ピニンファリーナとアルファは、そのバランスを完璧に実現した。彼らは、2つのオーバーヘッドカムシャフトを備えた、109馬力の素晴らしい1,600cc直列4気筒エンジンを、先代モデルである「ジュリア（Giulia）」と、トゥーリングが手がけた大型の「スパイダー2000（Spider 2000）」のちょうど中間に位置する、新しいボディに収めた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その成果は、今日に至るまで路上での走りで人々を魅了し続けている。「デュエット」は扱いやすく、コーナーを力強く、かつ確実に、そして遊び心を持って駆け抜けることができる。その一因は短いホイールベースにある。2.25メートル - 「フィアット600」のそれをわずかに上回る程度だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>後輪には当時としてはオーソドックスなリジッドアクスルが採用されているが、それがワインディングでの楽しさを損なうことはまったくない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、この「スパイダー」は速い。「デュエット」の車重はわずか990kg。高回転域を好む、力強いエンジンにとっては楽勝だ。フルスロットルにすれば、200km/hの大台がすぐ目の前に迫る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、アルファロメオがアレーゼであの名高い技術パッケージをいかに見事にまとめ上げたか、それは今なお感嘆に値する。50年以上にわたり新鮮さを保ちつつ、若作りには見えないようにするのは容易なことではない。しかし、「デュエット」はそれを成し遂げている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランボルギーニ 400 GT：トラクターメーカーが生み出した夢の車</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68830,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-400-GT-2-2-3059-1056x704-dfd2168cfeea231f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68830"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニ 400 GT 2+2：ドーム状に膨らんだキャビンと、シャープで直線的な基本フォルムとのコントラストが印象的だ。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>明るい―。ルーフサイドのフレームは外側へ向かって緩やかに湾曲し、ウインドウガラスも曲面仕上げ。ルーフライニングには明るい色調の素材が用いられている。そして、1本のワイパーが必要最小限の面積だけを拭き取る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これが、今から60年前に登場した「ランボルギーニ 400 GT 2+2（Lamborghini 400 GT 2+2）」のインテリアだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>興味深いことに、アメリカ車が持つ独特の開放感と軽やかさを量産車として表現したのは、屈強なヨーロッパ人デザイナーだった。元ベルトーネのデザイナー、フランコ スカリオーネは、このボディに独自の造形美を与えた。スクエアなリアセクションと長いボンネットという基本構成の上に曲面ガラスを組み合わせることで、当時のアメリカを代表する名車たちが備えていたガラスドームのような雰囲気を生み出している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、フェラーリで「テスタロッサ」のレーシングカーや「250 GTO」を手掛けたジオット ビッザリーニは、「ランボルギーニ 400 GT 2+2」のために時代を超越した美しさを持つエンジンを設計した。排気量は3,929cc。12気筒エンジンに6基のウェーバー製ツインチョークキャブレターを組み合わせる。このエンジンは後に「ミウラ（Miura）」、「イスレロ（Islero）」、「エスパーダ（Espada）」、「ハラマ（Jarama）」、そして「カウンタック（Countach）」へと受け継がれ、1980年代に至るまで、ほぼすべてのランボルギーニの中核を担うことになる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」では最高出力330psを発生。当時としては圧倒的な性能だった。そのサウンドは洗練されながらも力強く、存在感に満ちている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」によって、ランボルギーニは単なる新興メーカーではなく、本格的な自動車メーカーとしての地位を確立した。そして今日、このクルマは単なる乗り物というよりも、自動車史を物語る貴重な証言者のような存在となっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」のステアリングを握ると、「運転している」という感覚は次第に薄れていく。まるで宇宙船の中を漂っているかのようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スケールモデルと現実世界との境界線さえ曖昧になり、このクルマが描いた未来への夢だけが、今なお鮮やかに残り続けている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダ S800：手回しオルガン</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1966年12月、ホンダはハンブルクの「ハレ デア ナツィオネン」で「S800」を発表した。レーシングドライバーのハンス ヘルマンが、この「盆栽」のようなロードスターと、ほぼ同一構造のクーペを宣伝した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、このイベントは単なる新車発表会にとどまらなかった。ホンダは、ドイツで自動車を販売する初の日本メーカーとして、ここにその第一歩を踏み出したのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68827,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-S800-Roadster-stehend-von-schraeg-vorn-3061-1661x1108-e7e274d97ce2e27f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68827"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダの「ボンサイ ロードスター」、S800は、今見るとまるで玩具の車のように見える。この720kgという軽量車は、ドイツで公式に販売された最初の日本車だった。<br>Photo: Honda</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニードルベアリング式クランクシャフトを採用した791ccの4気筒エンジンは、当時としては想像もつかないほど高いリッター出力を誇り、まるでモーターサイクルのように高回転域まで回る。67馬力には7,600rpmで到達するが、しかし、テストドライバーたちは9,000回転まで回しており、ホンダ自身も、このエンジンはさらに1,000回転上でも余裕で耐えうる - しかも長期的に - と豪語している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68831,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Motor-des-Honda-S800-3061-2343x1562-3c3273dce09267fe-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68831"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダS800に搭載された最高級の機械工学：排気量791cc、最高出力67馬力の高回転型4気筒エンジン。<br>Photo: Honda</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そこで後に、ある伝説が生まれることになる。ブラウンシュヴァイク工科大学の研究者たちはその結果を疑い、「S800」のエンジンを試験台で稼働させた。10,000回転/分でもミシンのように唸るだけだったため、彼らはさらに回転数を上げた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>12,000回転に達したとき、突然、大きな爆発音が響いた。しかし、科学者たちの耳元を飛び散ったのはエンジンではなく、彼ら自身の試験台そのものだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトギャラリー：今年60歳を迎える1966年製モデル×10台</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68832,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Pontiac-GTO-3055-989x660-b56a35070566d32b.jpg" alt="" class="wp-image-68832"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポンティアック GTO：そのデザインは顧客の心を捉えた。GTOの販売台数が1966年ほど好調だったことは、その後二度とない。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68837,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Skoda-MBX-3057-1081x721-cabcc7b75e97281a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68837"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュコダ 1100 MBX：パノラマウィンドウとZピラーは、かつての米国スタイルの要素を取り入れている。<br>Photo：Harald Almonat / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68823,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/BMW-1600-2-fahrend-schraeg-von-vorn-3061-3153x2104-dcd49e5cc96fa08c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68823"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 1600-2：素晴らしいファミリー向けレーシングカー。細身のBMWキドニーグリルを備えた1600-2のフロント部分は、その輝きを惜しみなく放っている。<br>Photo：Theo Klein / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68828,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Jeepster-Commando-stehend-schraeg-von-vorn-3061-476x317-0c98dbe23e7d58a9.jpg" alt="" class="wp-image-68828"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ジープスター コマンド：戦士がレジャーカーへと変貌を遂げる。1973年までに、ロードスターおよびハードトップ仕様合わせて77,573台が生産された。<br>Photo：Jeep</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68836,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Triumph-GT6-fahrend-schraeg-von-vorn-3061-3985x2658-9f0551bc35cfbff1-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68836"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トライアンフ GT6：ミケロッティ製のクーペルーフを装着したトライアンフ スピットファイアは、庶民のためのジャガーEタイプとなった。2.0リッター、105馬力。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68833,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Puch-650-TR-II-stehend-schraeg-von-hinten-3061-3000x2000-0c6422e1fb8c733e-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68833"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュタイア プフ650 TR II：フィアット500とは似て非なるシュタイア プフ650 TR II。1966年にグループ2ツーリングカーのヨーロッパ選手権で優勝を果たした。<br>Photo：privat</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68824,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Chevrolet-Camaro-I-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2236x1490-2cfb28ceb65fc630-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68824"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シボレー カマロ：GMがマスタングに対抗して送り出したモデル。初代モデル（140～425馬力）は4年間生産された。<br>Photo：Chevrolet</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68835,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Corolla-I-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2858x1907-a7efced256698fe5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68835"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トヨタ カローラ：後に世界的な車となるこの日本車は、後輪駆動で73馬力のE10としてデビューした。<br>Photo：Toyota</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68829,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Jensen-Interceptor-Mk1-stehend-schraeg-von-hinten-3061-603x402-d3e531ae27fdef7d.jpg" alt="" class="wp-image-68829"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ジェンセン インターセプター：クライスラー製V8エンジン（325馬力）を搭載したこの英国製GTは、セレブたちに愛されている。<br>Photo：privat</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68834,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Subaru-1000-stehend-schraeg-von-vorn-3061-461x307-a929454b53b7d809.jpg" alt="" class="wp-image-68834"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スバル1000：50馬力のボクサーエンジン、全輪独立懸架 - 1966年当時、スバルにはまだ四輪駆動は存在しなかった。<br>Photo：Subaru</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68826,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/De-Tomaso-Mangusta-stehend-schraeg-von-vorn-3061-461x307-d88cb6a0f983bda0.jpg" alt="" class="wp-image-68826"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>デ トマソ マングスタ：モデナ生まれの「飼い慣らされた」レーシングカーだが、フォード製V8エンジン（4.7リッター、305馬力）を搭載し、400台が製造された。<br>Photo：De Tomaso</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>まとめ：</strong><br>そのフォルムだけでも素晴らしい。しかし、60年代の車の多くは、実際に運転しても本当に心地よいのだ！この分野で私が特に気に入っているのは、「アルファロメオ スパイダー」だ。「アルファ スパイダー」はコンパクトで効率的、そして徹底してデザインにこだわった一台だ。車内では、大きな木製ステアリングホイールの後ろに腰を下ろし、フラットなシートにゆったりと身を委ねて、その走りを堪能できる。そのエンジンは、他の4気筒車とは一線を画す音楽を奏で、リニアに回転数を上げ、その音色は次第に攻撃的になっていく。シフトストロークが長い変速機にはあまり納得できないが、「アルファ スパイダー」のサスペンションは素晴らしく、広いカーブではこのラウンドテールの「スパイダー」を遊び心を持って操ることができる。誰もが一度は体験すべきものだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer, Thomas Wirth, Michael Struve, Till Schauen and Henning Hinze</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Rundheck-2869-4092x2302-7aaf84296a24c37e-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>1966年生まれの、おそらく最も美しいクラシックカーたち。これらの美しいクラシックカーが60周年を迎える！1966年には、アルファロメオ スパイダーからポンティアックGTOに至るまで、最も魅力的な夢のクルマの数々が誕生した。ここに我々の厳選モデルを紹介する！</strong></p>
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<p>1960年代半ばは、自動車の世界における大きな転換期だった。実用性が重視されながらも、そこには常に乗員を思わず微笑ませるような遊び心があった。</p>
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<p>ポンティアックは、そしてその少し後にはアルファロメオも、「テンペスト」や「ジュリア スパイダー」が持っていた愛らしさを脱ぎ捨て、若き反逆者たちに向けた、より過激で力強い響きを持つクルマを世に送り出した。ランボルギーニは「400GT 2+2」で、エンツォ フェラーリに「次の時代を担うクルマとは何か」を見せつけた。</p>
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<p>なんという時代だったことか、すべてが新しく生まれ変わったのだった！</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">飾り気のないアルファロメオ スパイダー</h3>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Alfa-Romeo-Spider-Duetto-3051-971x647-da0da1dc60f923e0.jpg" alt="" class="wp-image-68821"/><figcaption class="wp-element-caption">アルファロメオ スパイダー デュエット：純粋なエレガンス - ピニンファリーナによるデザイン。<br>Photo: Götz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<p>「アルファロメオ スパイダー（Alfa Romeo Spider）」は、常に美を愛する人々のための車とされてきた。美に心惹かれない人々は、かつてこの車に乗ることはなく、今も乗らない。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>丸みを帯びたリアエンドを持つ「デュエット（Duetto）」は、スポーティさとロマンチシズムを兼ね備えた、魂を持つ一台だ。発表直後に亡くなったバティスタ ピニンファリーナとアルファは、そのバランスを完璧に実現した。彼らは、2つのオーバーヘッドカムシャフトを備えた、109馬力の素晴らしい1,600cc直列4気筒エンジンを、先代モデルである「ジュリア（Giulia）」と、トゥーリングが手がけた大型の「スパイダー2000（Spider 2000）」のちょうど中間に位置する、新しいボディに収めた。</p>
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<p>その成果は、今日に至るまで路上での走りで人々を魅了し続けている。「デュエット」は扱いやすく、コーナーを力強く、かつ確実に、そして遊び心を持って駆け抜けることができる。その一因は短いホイールベースにある。2.25メートル - 「フィアット600」のそれをわずかに上回る程度だ。</p>
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<p>後輪には当時としてはオーソドックスなリジッドアクスルが採用されているが、それがワインディングでの楽しさを損なうことはまったくない。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>そして、この「スパイダー」は速い。「デュエット」の車重はわずか990kg。高回転域を好む、力強いエンジンにとっては楽勝だ。フルスロットルにすれば、200km/hの大台がすぐ目の前に迫る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、アルファロメオがアレーゼであの名高い技術パッケージをいかに見事にまとめ上げたか、それは今なお感嘆に値する。50年以上にわたり新鮮さを保ちつつ、若作りには見えないようにするのは容易なことではない。しかし、「デュエット」はそれを成し遂げている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランボルギーニ 400 GT：トラクターメーカーが生み出した夢の車</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68830,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-400-GT-2-2-3059-1056x704-dfd2168cfeea231f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68830"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニ 400 GT 2+2：ドーム状に膨らんだキャビンと、シャープで直線的な基本フォルムとのコントラストが印象的だ。<br>Photo：Bernd Hanselmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>明るい―。ルーフサイドのフレームは外側へ向かって緩やかに湾曲し、ウインドウガラスも曲面仕上げ。ルーフライニングには明るい色調の素材が用いられている。そして、1本のワイパーが必要最小限の面積だけを拭き取る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これが、今から60年前に登場した「ランボルギーニ 400 GT 2+2（Lamborghini 400 GT 2+2）」のインテリアだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>興味深いことに、アメリカ車が持つ独特の開放感と軽やかさを量産車として表現したのは、屈強なヨーロッパ人デザイナーだった。元ベルトーネのデザイナー、フランコ スカリオーネは、このボディに独自の造形美を与えた。スクエアなリアセクションと長いボンネットという基本構成の上に曲面ガラスを組み合わせることで、当時のアメリカを代表する名車たちが備えていたガラスドームのような雰囲気を生み出している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、フェラーリで「テスタロッサ」のレーシングカーや「250 GTO」を手掛けたジオット ビッザリーニは、「ランボルギーニ 400 GT 2+2」のために時代を超越した美しさを持つエンジンを設計した。排気量は3,929cc。12気筒エンジンに6基のウェーバー製ツインチョークキャブレターを組み合わせる。このエンジンは後に「ミウラ（Miura）」、「イスレロ（Islero）」、「エスパーダ（Espada）」、「ハラマ（Jarama）」、そして「カウンタック（Countach）」へと受け継がれ、1980年代に至るまで、ほぼすべてのランボルギーニの中核を担うことになる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」では最高出力330psを発生。当時としては圧倒的な性能だった。そのサウンドは洗練されながらも力強く、存在感に満ちている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」によって、ランボルギーニは単なる新興メーカーではなく、本格的な自動車メーカーとしての地位を確立した。そして今日、このクルマは単なる乗り物というよりも、自動車史を物語る貴重な証言者のような存在となっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「400 GT 2+2」のステアリングを握ると、「運転している」という感覚は次第に薄れていく。まるで宇宙船の中を漂っているかのようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スケールモデルと現実世界との境界線さえ曖昧になり、このクルマが描いた未来への夢だけが、今なお鮮やかに残り続けている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダ S800：手回しオルガン</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1966年12月、ホンダはハンブルクの「ハレ デア ナツィオネン」で「S800」を発表した。レーシングドライバーのハンス ヘルマンが、この「盆栽」のようなロードスターと、ほぼ同一構造のクーペを宣伝した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、このイベントは単なる新車発表会にとどまらなかった。ホンダは、ドイツで自動車を販売する初の日本メーカーとして、ここにその第一歩を踏み出したのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68827,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-S800-Roadster-stehend-von-schraeg-vorn-3061-1661x1108-e7e274d97ce2e27f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68827"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダの「ボンサイ ロードスター」、S800は、今見るとまるで玩具の車のように見える。この720kgという軽量車は、ドイツで公式に販売された最初の日本車だった。<br>Photo: Honda</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニードルベアリング式クランクシャフトを採用した791ccの4気筒エンジンは、当時としては想像もつかないほど高いリッター出力を誇り、まるでモーターサイクルのように高回転域まで回る。67馬力には7,600rpmで到達するが、しかし、テストドライバーたちは9,000回転まで回しており、ホンダ自身も、このエンジンはさらに1,000回転上でも余裕で耐えうる - しかも長期的に - と豪語している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68831,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Motor-des-Honda-S800-3061-2343x1562-3c3273dce09267fe-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68831"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダS800に搭載された最高級の機械工学：排気量791cc、最高出力67馬力の高回転型4気筒エンジン。<br>Photo: Honda</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そこで後に、ある伝説が生まれることになる。ブラウンシュヴァイク工科大学の研究者たちはその結果を疑い、「S800」のエンジンを試験台で稼働させた。10,000回転/分でもミシンのように唸るだけだったため、彼らはさらに回転数を上げた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>12,000回転に達したとき、突然、大きな爆発音が響いた。しかし、科学者たちの耳元を飛び散ったのはエンジンではなく、彼ら自身の試験台そのものだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトギャラリー：今年60歳を迎える1966年製モデル×10台</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68832,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Pontiac-GTO-3055-989x660-b56a35070566d32b.jpg" alt="" class="wp-image-68832"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポンティアック GTO：そのデザインは顧客の心を捉えた。GTOの販売台数が1966年ほど好調だったことは、その後二度とない。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68837,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Skoda-MBX-3057-1081x721-cabcc7b75e97281a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68837"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュコダ 1100 MBX：パノラマウィンドウとZピラーは、かつての米国スタイルの要素を取り入れている。<br>Photo：Harald Almonat / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68823,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/BMW-1600-2-fahrend-schraeg-von-vorn-3061-3153x2104-dcd49e5cc96fa08c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68823"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 1600-2：素晴らしいファミリー向けレーシングカー。細身のBMWキドニーグリルを備えた1600-2のフロント部分は、その輝きを惜しみなく放っている。<br>Photo：Theo Klein / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68828,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Jeepster-Commando-stehend-schraeg-von-vorn-3061-476x317-0c98dbe23e7d58a9.jpg" alt="" class="wp-image-68828"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ジープスター コマンド：戦士がレジャーカーへと変貌を遂げる。1973年までに、ロードスターおよびハードトップ仕様合わせて77,573台が生産された。<br>Photo：Jeep</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68836,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Triumph-GT6-fahrend-schraeg-von-vorn-3061-3985x2658-9f0551bc35cfbff1-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68836"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トライアンフ GT6：ミケロッティ製のクーペルーフを装着したトライアンフ スピットファイアは、庶民のためのジャガーEタイプとなった。2.0リッター、105馬力。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68833,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Puch-650-TR-II-stehend-schraeg-von-hinten-3061-3000x2000-0c6422e1fb8c733e-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68833"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シュタイア プフ650 TR II：フィアット500とは似て非なるシュタイア プフ650 TR II。1966年にグループ2ツーリングカーのヨーロッパ選手権で優勝を果たした。<br>Photo：privat</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68824,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Chevrolet-Camaro-I-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2236x1490-2cfb28ceb65fc630-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68824"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シボレー カマロ：GMがマスタングに対抗して送り出したモデル。初代モデル（140～425馬力）は4年間生産された。<br>Photo：Chevrolet</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68835,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Corolla-I-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2858x1907-a7efced256698fe5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68835"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トヨタ カローラ：後に世界的な車となるこの日本車は、後輪駆動で73馬力のE10としてデビューした。<br>Photo：Toyota</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68829,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Jensen-Interceptor-Mk1-stehend-schraeg-von-hinten-3061-603x402-d3e531ae27fdef7d.jpg" alt="" class="wp-image-68829"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ジェンセン インターセプター：クライスラー製V8エンジン（325馬力）を搭載したこの英国製GTは、セレブたちに愛されている。<br>Photo：privat</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68834,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Subaru-1000-stehend-schraeg-von-vorn-3061-461x307-a929454b53b7d809.jpg" alt="" class="wp-image-68834"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スバル1000：50馬力のボクサーエンジン、全輪独立懸架 - 1966年当時、スバルにはまだ四輪駆動は存在しなかった。<br>Photo：Subaru</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68826,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/De-Tomaso-Mangusta-stehend-schraeg-von-vorn-3061-461x307-d88cb6a0f983bda0.jpg" alt="" class="wp-image-68826"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>デ トマソ マングスタ：モデナ生まれの「飼い慣らされた」レーシングカーだが、フォード製V8エンジン（4.7リッター、305馬力）を搭載し、400台が製造された。<br>Photo：De Tomaso</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>まとめ：</strong><br>そのフォルムだけでも素晴らしい。しかし、60年代の車の多くは、実際に運転しても本当に心地よいのだ！この分野で私が特に気に入っているのは、「アルファロメオ スパイダー」だ。「アルファ スパイダー」はコンパクトで効率的、そして徹底してデザインにこだわった一台だ。車内では、大きな木製ステアリングホイールの後ろに腰を下ろし、フラットなシートにゆったりと身を委ねて、その走りを堪能できる。そのエンジンは、他の4気筒車とは一線を画す音楽を奏で、リニアに回転数を上げ、その音色は次第に攻撃的になっていく。シフトストロークが長い変速機にはあまり納得できないが、「アルファ スパイダー」のサスペンションは素晴らしく、広いカーブではこのラウンドテールの「スパイダー」を遊び心を持って操ることができる。誰もが一度は体験すべきものだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer, Thomas Wirth, Michael Struve, Till Schauen and Henning Hinze</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【2026年にオールドタイマーとなる日本車】今年デビュー30周年を迎える日本車×6台　1996年式車の魅力的なモデルと地味なモデルをご紹介！</title>
		<link>https://autobild.jp/68667/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 06 Jun 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[2026年にオールドタイマーとなる日本車]]></category>
		<category><![CDATA[Hナンバー]]></category>
		<category><![CDATA[トヨタ ピクニック]]></category>
		<category><![CDATA[トヨタ ランドクルーザー90（J9）]]></category>
		<category><![CDATA[ホンダ ロゴ]]></category>
		<category><![CDATA[ホンダCR-V]]></category>
		<category><![CDATA[マツダ デミオ]]></category>
		<category><![CDATA[三菱コルト（CJ0）]]></category>
		<category><![CDATA[日本車]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="900" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年、これらの車は30周年を迎える。H（クラシックカーライセンス）ナンバーを取得するすべての新型クラシックカー。2026年ドイツでは、これらの車がHナンバー取得の条件を満たす年式になる。1996年式車の魅力的なモデルと地味なモデル。そしてHナンバーのメリットとデメリットも解説！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>90年代が始まった時、私はその場にいた。それらの車が発売された時も同様だ。自動車のニュースを見逃すことはなく、可能な限り多くの異なる車を運転した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2026年、1996年にデビューしたモデルが、クラシックカーの仲間入りをする。これは、製造から30年以上経過し、特定の基準を満たす歴史的車両に与えられるナンバープレートだ。その中から当時、ヨーロッパでデビューした日本車×6台を紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さあ、私と一緒に1996年とその年の新車たちを巡ろう。ほとんど忘れ去られた宝物もいくつか発見できるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダCR-V（初代）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>まずバンが登場し、その後にSUVが登場したのだろうか？　いや、そう単純な話ではない。両車は同時に普及していったが、バンがやや先行し、その後SUVが市場を完全に席巻したのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コンパクトクラスにおいては、ヨーロッパではSUVがワゴン車に一時的に先行していたことさえあった。1994年にトヨタが「RAV4」を発売した当時、「ルノー メガーヌ セニック」はまだ存在していなかったのだ。3ドアの「ファンクルーザー」（RAV4の愛称）は、コンパクト ソフトローダーの始祖とされているが、しかし、より幅広い層にとって日常使いに適したものとなったのは、1995年に登場した全長が長い5ドアモデルになってからだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トヨタは、ほぼあらゆるニッチ市場に少なくとも1つのモデルを展開していることで、以前から知られていた。一方、1996年当時のホンダは、スポーティなセダン、ステーションワゴン、クーペのブランドとして知られていた。そして、本格的なスポーツカーのブランドとしても・・・。「ランドローバー ディスカバリー」や「いすゞ・ウィザード」のオフロード対応ライセンス生産モデルについては、ヨーロッパではほとんど注目されなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタRAV4」への対抗として、ホンダは自社開発初のSUV、「ホンダCR-V」を投入した。これは「フォルクスワーゲン ティグアン」の発売より約11年も早く、大衆向けのSUVの潮流を決定づけた。「ホンダCR-V」の市場投入は世界中で徐々に進み、1995年末の日本での最初の販売から、1996年を経て1997年にかけて行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68668,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-CR-V-Mk1-stehend-von-schraeg-vorn-3061-1327x886-9e84c3f3b5577e1f-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68668"/><figcaption class="wp-element-caption">そのプロポーション、グレーのバンパー、プラスチック製のホイールアーチ、そして分厚いサイドモールなど、初代ホンダCR-Vは依然としてSUVの美学を模倣している。<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そう、リヤゲート外側にぶら下がっていたスペアタイヤは、まるでオフロード車のような雰囲気を醸し出していた。しかしそれ以外は、乗用車としての乗り心地が一段と上を行っていた。四輪駆動は、前輪が空転しそうになった時に初めて自動的に作動した。日常使いの利便性と、自由と冒険の感覚が見事に融合している。少なくとも、大自然の中でトランク底板をキャンプテーブルとして広げ、夕日を眺めることを冒険だと感じるなら、の話だが。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">トヨタ ランドクルーザー90（J9）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ランドクルーザー（Land Cruiser）」の知識は、それ自体がひとつの学問だ。まったく異なる車種であるにもかかわらず、同時に「ランドクルーザー」として販売されていたモデルが数多く存在しただけでも、その複雑さがわかる！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ランドクルーザー90」とは何か？ここではあえて素人ぶって説明すると、「ランドクルーザー90」、あるいは「J9」は、1996年当時、3つのシリーズの中で最も扱いやすいモデルだった。たくましく角張ったオフロード車は「ランドクルーザー70」、あるいは「J7」であり、大きく豪華な「砂漠の船」は「ランドクルーザー100」、あるいは「J8」だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68673,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Land-Cruiser-90-J9-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2904x1936-515cd9efd46e567d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68673"/><figcaption class="wp-element-caption">さあ、ホンダCR-Vよ、これが本物のSUVの姿だ：トヨタ ランドクルーザー90（J9）。<br>Photo：Toyota</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「J7」の派生モデルである「J9」は、それでも高い耐久性とオフロード性能を備えているが、フロントに独立懸架を採用したおかげで、より快適で長距離走行にも適している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つまり、「ランドクルーザー90」は、いわゆるクラシックなコレクターズアイテムでも、愛車でも、自慢の道具でもない。むしろ、自分のニーズと予算に合ったオフロード車がどれか、極めて現実的に判断する人々のための車なのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方で、Hナンバー（旧車）の時代においては、コレクターズアイテムや愛車（時には自慢の道具）を、オリジナルの状態のまま維持することが重要視される。一方、典型的なオフロード車ユーザーは、納車時のオリジナル状態にはあまり関心がなく、車高上げやウインチ、シュノーケルなどを装備した改造車を好む傾向がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>したがって、一つだけ予測できることがある。それは、一体どれだけの「トヨタ ランドクルーザー90」がHナンバーを取得するのか、そしてそれぞれのオーナーが自分の車をどのように使い、扱うのか、その行方が非常に興味深いということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">三菱コルト（CJ0）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これが最後の、真の「コルト（Colt）」となるのだろうか？　そう見なすこともできるだろう。1978年からヨーロッパで販売された初代「三菱コルト」以来、「コルト」は常にコンパクトカーであり、当時の「フォルクスワーゲン ゴルフ」よりやや小型で、三菱が設計し、「三菱ランサー」のハッチバック版として位置づけられてきた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2004年に当社の「CJ0」の後継となった「三菱コルト」は、「スマート フォーフォー」との共同開発による小型バンで、オランダで組み立てられたものであり、「ランサー（ドイツでは販売されていなかった）」とは何の関係もなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その一方で、事態はますます悪化している。現在の「三菱コルト」は、単に「3つのダイヤモンド」である三菱のロゴを貼り付けただけの「ルノー クリオ」に過ぎないからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68672,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-68672"/><figcaption class="wp-element-caption">80年代の「サックスを吹く女性」というステレオタイプを、三菱は90年代まで『コルト』の広告で引き継いだ。本来ならシトロエン『サクソ』の方が似合っていたはずだ。<br>Photo：Mitsubishi</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さて、おそらく本当に最後の本物の「コルト」となる当社の「CJ0」は、前モデルの改良版であり、刺激的な車というわけではない（175馬力のスポーツモデル「ミラージュ サイボーグ」は残念ながらドイツには導入されなかった）。しかし、「フィアット プント」に代わる信頼できる選択肢であることに変わりはない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、デザイン愛好家たちは、この車を典型的な事例として高く評価している。前モデル（1992年のコルトCA0）は典型的なバイオデザインであり、ほぼ楕円と卵形で構成されていたが、「コルト（CJ0）」は、90年代半ばにデザインの理想が再び角張った方向へと徐々に回帰していった様子を完璧に示している。そして今日、その傾向は再び頂点を迎えている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダ ロゴ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホンダのロゴ―いや、「ホンダのロゴ」ではなく、その名も「ホンダ・ロゴ」である。その名称は、1988年からドイツのZDFで放送されていた子ども向けニュース番組「Logo!」に由来している……のかもしれないし、そうではないのかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>いずれにせよ、このモデルは1996年に登場した。ドイツでは「シビック（Civic）」の下に位置するエントリーモデルとして販売され、日本では「シビック」と軽自動車の「ライフ（Life）」の間を埋める存在として投入された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツでこのクルマを覚えている人がほとんどいないのは、少し不当な扱いと言えるかもしれない。なぜなら、このモデルは後のホンダ ジャズ（日本名フィット）へとつながる系譜を復活させた存在だったからだ。ただし、その当時はまだ「ジャズ」という名前ではなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホンダは1986年まで、当地で小型車「シティ（City）」」を販売していた。このモデルは、小型車の全高を高くすることで居住性と安全性を向上させるという、その後のトレンドを先取りした先駆者のひとつだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして10年の空白期間を経て、その流れを再び受け継いだのが「ホンダ ロゴ」である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68669,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-Logo-stehend-schraeg-von-vorn-3061-1461x973-c96e9d765ed546fd-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68669"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダ ロゴは、小型SUV「ホンダHR-V」のベースとなったモデルだ。その3ドアモデルも、全長2.36メートルの短いホイールベースを共有している。<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つまり、歴史的に見ても重要なモデルだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツで大きな足跡を残せなかったのは、ホンダの販売店や整備工場が少なかったことだけが原因ではない。まあ、その実用的なデザインも一因だったかもしれない。それでも、今日の中古車市場には数台ほどの「ホンダ ロゴ」が並んでいる - そのほとんどは、大きな修理をせずにHナンバー（クラシックカーライセンス登録）を取得できる状態にあるようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">マツダ デミオ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かつて母が「マツダ デミオ（Mazda Demio）」」の試乗をしたことがある。彼女はあまり乗り気ではない様子で車から降りた。「これって、まるで庭のベンチみたい」と彼女は評した。私は、「デミオ」をそう表現するのは実に的を射ていると思った。もっとも、母が言っていたのは後部座席の座り心地のことだけだったと後で分かったのだが・・・。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゆったりとしたシートで快適な旅を楽しみたい人にとって、「デミオ」は確かに適していない。アドレナリン、あるいは単にセロトニンが湧き出るような、スタイリッシュな車を探している人にとっても、同様だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68671,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mazda-Demio-stehend-schraeg-von-vorn-3061-3000x2000-1f5b487ca62be41d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68671"/><figcaption class="wp-element-caption">マツダ デミオも、当時の車体に対して窓がどれほど高かったかを示す好例の一つだ。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、「デミオ」には、優れた小型車が昔から備えている特徴がある。それは、入念に設計されたエンジニアリングカーであるということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それは、車高とバンのようなシルエットから始まっている。「ホンダ ロゴ」よりもさらに1センチ高く、箱型のボディ形状により、全長3.80メートル強、全幅1.67メートルというコンパクトなサイズでありながら、開放感のある室内空間を実現している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68670,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mazda-Demio-fahrend-schraeg-von-hinten-3061-1208x806-62d1e03b0cdcec28-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68670"/><figcaption class="wp-element-caption">マツダ デミオのワゴン風のプロポーションと低い荷室開口部は、2003年に登場した後継モデルであるマツダ2でも引き継がれた。実用性に欠けるようになったのは、2007年に登場したその次のモデルからだった。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>まるで「フィアット パンダ（初代）」や「ルノー トゥインゴ」の後継車であるかのように、その「ガーデン家具」としての機能は驚くほど多彩だ。後部座席のベンチシートは前後12センチ移動可能（これによりトランク容量は330～365リットルに変化する）で、フロントシートの背もたれは倒すことができる。マツダは、これにより全長2.02メートルの「寝台」を確保できると主張した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「寝台」というのは少し大げさかもしれない。しかし、そのサイズと価格を考えると、「マツダ デミオ」は間違いなく経済的かつ多用途な一台だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">トヨタ ピクニック</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ルノー メガーヌ セニック」を「革命的」と呼ぶなら、同じ年に登場した「トヨタ ピクニック（Toyota Picnic）」も同様に呼ぶべきではないだろうか？　まあ、前述の通り、1996年の日本においてコンパクトバンはもはや目新しいものではなく、コンパクトな7人乗り車としては1983年から「三菱スペースワゴン」が存在していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタ ピクニック」の唯一の独創的な点は、CピラーとDピラーの間に伸びる装飾的なルーフピラーだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68674,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Picnic-stehend-schraeg-von-vorn-3061-925x617-b80480ac172af486.jpg" alt="" class="wp-image-68674"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ ピクニックには、5人乗り、6人乗り、7人乗りのモデルがあった。<br>Photo：Toyota</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタ ピクニック」は、横置き4気筒直列エンジンを搭載している。2リッターガソリンエンジンか、2.2リッターターボディーゼル・・・</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>……すみません、少し居眠りしてしまいました。原稿を書いているときも、そして運転しているときも、「トヨタ ピクニック」には同じような効果があります。まるでメラトニン、レモンバーム、バレリアン、そしてバリウムを混ぜたカクテルのように、とにかく心を落ち着かせてくれるのです。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最初の「トヨタ ピクニック」がヒストリックカー登録（Hナンバー）を取得するのはいつになるのでしょうか？</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>中古車サイトを探してみても、掲載されているピクニックは10台にも満たず、1996年の並行輸入車は見つかりませんでした。しかし、正規輸入が始まった1997年モデルなら2台を確認することができました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>おそらく、この「トヨタ ピクニック」に関する最も興味深い見どころは別のところにあります。初めてHナンバーを付けた「トヨタ ピクニック」がクラシックカーミーティングに現れたとき、伝統的なクラシックカーファンたちが、丁寧にワックスを塗り込んだジャケットの襟元からどんな表情でそのクルマを見つめるのか―それを見ることかもしれません。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">見過ごされがちな車の中で私の一番のお気に入り</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらの過小評価されているクラシックカーの中で、「マツダ デミオ」ほど、顧客に付加価値を提供しようと情熱を込めて設計された車はないと思う。小型で比較的軽量、信頼性が高く、非常に多用途な車だ。このグループの中で私の一番のお気に入りだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">地味な車たちを救え！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今後何十年にもわたり、こうした車をクラシックカーとして収集し、敬愛し、走行可能な状態を維持するために全力を尽くす愛好家たちは存在し続けるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、一方で、地味で、しばしば過小評価されがちなクラシックカーは危機に瀕している。いったい誰が「マツダ デミオ」を博物館に展示するだろうか？その危機とは、忘れ去られてしまうということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もし希少な車を知っている人がいなくなれば、誰もそれらを気にかけなくなるだろう。車を保存する人も、資料を保管する人もいなくなるのだ。こうして、私たちの歴史の一部が静かに消し去られてしまうのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だからこそ、アンダードッグたちを救い出そう。実用的で、醜く、一見退屈に見える車たちも保存しよう。いつの日か、若い人がそれらを魅了されたように見つめ、もっと詳しく知りたがる日が来るはずだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="900" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年、これらの車は30周年を迎える。H（クラシックカーライセンス）ナンバーを取得するすべての新型クラシックカー。2026年ドイツでは、これらの車がHナンバー取得の条件を満たす年式になる。1996年式車の魅力的なモデルと地味なモデル。そしてHナンバーのメリットとデメリットも解説！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>90年代が始まった時、私はその場にいた。それらの車が発売された時も同様だ。自動車のニュースを見逃すことはなく、可能な限り多くの異なる車を運転した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2026年、1996年にデビューしたモデルが、クラシックカーの仲間入りをする。これは、製造から30年以上経過し、特定の基準を満たす歴史的車両に与えられるナンバープレートだ。その中から当時、ヨーロッパでデビューした日本車×6台を紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さあ、私と一緒に1996年とその年の新車たちを巡ろう。ほとんど忘れ去られた宝物もいくつか発見できるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダCR-V（初代）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>まずバンが登場し、その後にSUVが登場したのだろうか？　いや、そう単純な話ではない。両車は同時に普及していったが、バンがやや先行し、その後SUVが市場を完全に席巻したのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>コンパクトクラスにおいては、ヨーロッパではSUVがワゴン車に一時的に先行していたことさえあった。1994年にトヨタが「RAV4」を発売した当時、「ルノー メガーヌ セニック」はまだ存在していなかったのだ。3ドアの「ファンクルーザー」（RAV4の愛称）は、コンパクト ソフトローダーの始祖とされているが、しかし、より幅広い層にとって日常使いに適したものとなったのは、1995年に登場した全長が長い5ドアモデルになってからだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トヨタは、ほぼあらゆるニッチ市場に少なくとも1つのモデルを展開していることで、以前から知られていた。一方、1996年当時のホンダは、スポーティなセダン、ステーションワゴン、クーペのブランドとして知られていた。そして、本格的なスポーツカーのブランドとしても・・・。「ランドローバー ディスカバリー」や「いすゞ・ウィザード」のオフロード対応ライセンス生産モデルについては、ヨーロッパではほとんど注目されなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタRAV4」への対抗として、ホンダは自社開発初のSUV、「ホンダCR-V」を投入した。これは「フォルクスワーゲン ティグアン」の発売より約11年も早く、大衆向けのSUVの潮流を決定づけた。「ホンダCR-V」の市場投入は世界中で徐々に進み、1995年末の日本での最初の販売から、1996年を経て1997年にかけて行われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68668,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-CR-V-Mk1-stehend-von-schraeg-vorn-3061-1327x886-9e84c3f3b5577e1f-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68668"/><figcaption class="wp-element-caption">そのプロポーション、グレーのバンパー、プラスチック製のホイールアーチ、そして分厚いサイドモールなど、初代ホンダCR-Vは依然としてSUVの美学を模倣している。<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そう、リヤゲート外側にぶら下がっていたスペアタイヤは、まるでオフロード車のような雰囲気を醸し出していた。しかしそれ以外は、乗用車としての乗り心地が一段と上を行っていた。四輪駆動は、前輪が空転しそうになった時に初めて自動的に作動した。日常使いの利便性と、自由と冒険の感覚が見事に融合している。少なくとも、大自然の中でトランク底板をキャンプテーブルとして広げ、夕日を眺めることを冒険だと感じるなら、の話だが。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">トヨタ ランドクルーザー90（J9）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ランドクルーザー（Land Cruiser）」の知識は、それ自体がひとつの学問だ。まったく異なる車種であるにもかかわらず、同時に「ランドクルーザー」として販売されていたモデルが数多く存在しただけでも、その複雑さがわかる！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ランドクルーザー90」とは何か？ここではあえて素人ぶって説明すると、「ランドクルーザー90」、あるいは「J9」は、1996年当時、3つのシリーズの中で最も扱いやすいモデルだった。たくましく角張ったオフロード車は「ランドクルーザー70」、あるいは「J7」であり、大きく豪華な「砂漠の船」は「ランドクルーザー100」、あるいは「J8」だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68673,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Land-Cruiser-90-J9-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2904x1936-515cd9efd46e567d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68673"/><figcaption class="wp-element-caption">さあ、ホンダCR-Vよ、これが本物のSUVの姿だ：トヨタ ランドクルーザー90（J9）。<br>Photo：Toyota</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「J7」の派生モデルである「J9」は、それでも高い耐久性とオフロード性能を備えているが、フロントに独立懸架を採用したおかげで、より快適で長距離走行にも適している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つまり、「ランドクルーザー90」は、いわゆるクラシックなコレクターズアイテムでも、愛車でも、自慢の道具でもない。むしろ、自分のニーズと予算に合ったオフロード車がどれか、極めて現実的に判断する人々のための車なのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方で、Hナンバー（旧車）の時代においては、コレクターズアイテムや愛車（時には自慢の道具）を、オリジナルの状態のまま維持することが重要視される。一方、典型的なオフロード車ユーザーは、納車時のオリジナル状態にはあまり関心がなく、車高上げやウインチ、シュノーケルなどを装備した改造車を好む傾向がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>したがって、一つだけ予測できることがある。それは、一体どれだけの「トヨタ ランドクルーザー90」がHナンバーを取得するのか、そしてそれぞれのオーナーが自分の車をどのように使い、扱うのか、その行方が非常に興味深いということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">三菱コルト（CJ0）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これが最後の、真の「コルト（Colt）」となるのだろうか？　そう見なすこともできるだろう。1978年からヨーロッパで販売された初代「三菱コルト」以来、「コルト」は常にコンパクトカーであり、当時の「フォルクスワーゲン ゴルフ」よりやや小型で、三菱が設計し、「三菱ランサー」のハッチバック版として位置づけられてきた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2004年に当社の「CJ0」の後継となった「三菱コルト」は、「スマート フォーフォー」との共同開発による小型バンで、オランダで組み立てられたものであり、「ランサー（ドイツでは販売されていなかった）」とは何の関係もなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その一方で、事態はますます悪化している。現在の「三菱コルト」は、単に「3つのダイヤモンド」である三菱のロゴを貼り付けただけの「ルノー クリオ」に過ぎないからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68672,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mitsubishi-Colt-CJ0-3061-2048x1536-9d9141ef9d0cdbf7-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-68672"/><figcaption class="wp-element-caption">80年代の「サックスを吹く女性」というステレオタイプを、三菱は90年代まで『コルト』の広告で引き継いだ。本来ならシトロエン『サクソ』の方が似合っていたはずだ。<br>Photo：Mitsubishi</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さて、おそらく本当に最後の本物の「コルト」となる当社の「CJ0」は、前モデルの改良版であり、刺激的な車というわけではない（175馬力のスポーツモデル「ミラージュ サイボーグ」は残念ながらドイツには導入されなかった）。しかし、「フィアット プント」に代わる信頼できる選択肢であることに変わりはない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、デザイン愛好家たちは、この車を典型的な事例として高く評価している。前モデル（1992年のコルトCA0）は典型的なバイオデザインであり、ほぼ楕円と卵形で構成されていたが、「コルト（CJ0）」は、90年代半ばにデザインの理想が再び角張った方向へと徐々に回帰していった様子を完璧に示している。そして今日、その傾向は再び頂点を迎えている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ホンダ ロゴ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホンダのロゴ―いや、「ホンダのロゴ」ではなく、その名も「ホンダ・ロゴ」である。その名称は、1988年からドイツのZDFで放送されていた子ども向けニュース番組「Logo!」に由来している……のかもしれないし、そうではないのかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>いずれにせよ、このモデルは1996年に登場した。ドイツでは「シビック（Civic）」の下に位置するエントリーモデルとして販売され、日本では「シビック」と軽自動車の「ライフ（Life）」の間を埋める存在として投入された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツでこのクルマを覚えている人がほとんどいないのは、少し不当な扱いと言えるかもしれない。なぜなら、このモデルは後のホンダ ジャズ（日本名フィット）へとつながる系譜を復活させた存在だったからだ。ただし、その当時はまだ「ジャズ」という名前ではなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホンダは1986年まで、当地で小型車「シティ（City）」」を販売していた。このモデルは、小型車の全高を高くすることで居住性と安全性を向上させるという、その後のトレンドを先取りした先駆者のひとつだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そして10年の空白期間を経て、その流れを再び受け継いだのが「ホンダ ロゴ」である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68669,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Honda-Logo-stehend-schraeg-von-vorn-3061-1461x973-c96e9d765ed546fd-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68669"/><figcaption class="wp-element-caption">ホンダ ロゴは、小型SUV「ホンダHR-V」のベースとなったモデルだ。その3ドアモデルも、全長2.36メートルの短いホイールベースを共有している。<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つまり、歴史的に見ても重要なモデルだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツで大きな足跡を残せなかったのは、ホンダの販売店や整備工場が少なかったことだけが原因ではない。まあ、その実用的なデザインも一因だったかもしれない。それでも、今日の中古車市場には数台ほどの「ホンダ ロゴ」が並んでいる - そのほとんどは、大きな修理をせずにHナンバー（クラシックカーライセンス登録）を取得できる状態にあるようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">マツダ デミオ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>かつて母が「マツダ デミオ（Mazda Demio）」」の試乗をしたことがある。彼女はあまり乗り気ではない様子で車から降りた。「これって、まるで庭のベンチみたい」と彼女は評した。私は、「デミオ」をそう表現するのは実に的を射ていると思った。もっとも、母が言っていたのは後部座席の座り心地のことだけだったと後で分かったのだが・・・。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゆったりとしたシートで快適な旅を楽しみたい人にとって、「デミオ」は確かに適していない。アドレナリン、あるいは単にセロトニンが湧き出るような、スタイリッシュな車を探している人にとっても、同様だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68671,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mazda-Demio-stehend-schraeg-von-vorn-3061-3000x2000-1f5b487ca62be41d-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68671"/><figcaption class="wp-element-caption">マツダ デミオも、当時の車体に対して窓がどれほど高かったかを示す好例の一つだ。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、「デミオ」には、優れた小型車が昔から備えている特徴がある。それは、入念に設計されたエンジニアリングカーであるということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それは、車高とバンのようなシルエットから始まっている。「ホンダ ロゴ」よりもさらに1センチ高く、箱型のボディ形状により、全長3.80メートル強、全幅1.67メートルというコンパクトなサイズでありながら、開放感のある室内空間を実現している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68670,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Mazda-Demio-fahrend-schraeg-von-hinten-3061-1208x806-62d1e03b0cdcec28-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68670"/><figcaption class="wp-element-caption">マツダ デミオのワゴン風のプロポーションと低い荷室開口部は、2003年に登場した後継モデルであるマツダ2でも引き継がれた。実用性に欠けるようになったのは、2007年に登場したその次のモデルからだった。<br>Photo：Toni Bader / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>まるで「フィアット パンダ（初代）」や「ルノー トゥインゴ」の後継車であるかのように、その「ガーデン家具」としての機能は驚くほど多彩だ。後部座席のベンチシートは前後12センチ移動可能（これによりトランク容量は330～365リットルに変化する）で、フロントシートの背もたれは倒すことができる。マツダは、これにより全長2.02メートルの「寝台」を確保できると主張した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「寝台」というのは少し大げさかもしれない。しかし、そのサイズと価格を考えると、「マツダ デミオ」は間違いなく経済的かつ多用途な一台だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">トヨタ ピクニック</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ルノー メガーヌ セニック」を「革命的」と呼ぶなら、同じ年に登場した「トヨタ ピクニック（Toyota Picnic）」も同様に呼ぶべきではないだろうか？　まあ、前述の通り、1996年の日本においてコンパクトバンはもはや目新しいものではなく、コンパクトな7人乗り車としては1983年から「三菱スペースワゴン」が存在していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタ ピクニック」の唯一の独創的な点は、CピラーとDピラーの間に伸びる装飾的なルーフピラーだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68674,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Toyota-Picnic-stehend-schraeg-von-vorn-3061-925x617-b80480ac172af486.jpg" alt="" class="wp-image-68674"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ ピクニックには、5人乗り、6人乗り、7人乗りのモデルがあった。<br>Photo：Toyota</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>「トヨタ ピクニック」は、横置き4気筒直列エンジンを搭載している。2リッターガソリンエンジンか、2.2リッターターボディーゼル・・・</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>……すみません、少し居眠りしてしまいました。原稿を書いているときも、そして運転しているときも、「トヨタ ピクニック」には同じような効果があります。まるでメラトニン、レモンバーム、バレリアン、そしてバリウムを混ぜたカクテルのように、とにかく心を落ち着かせてくれるのです。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最初の「トヨタ ピクニック」がヒストリックカー登録（Hナンバー）を取得するのはいつになるのでしょうか？</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>中古車サイトを探してみても、掲載されているピクニックは10台にも満たず、1996年の並行輸入車は見つかりませんでした。しかし、正規輸入が始まった1997年モデルなら2台を確認することができました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>おそらく、この「トヨタ ピクニック」に関する最も興味深い見どころは別のところにあります。初めてHナンバーを付けた「トヨタ ピクニック」がクラシックカーミーティングに現れたとき、伝統的なクラシックカーファンたちが、丁寧にワックスを塗り込んだジャケットの襟元からどんな表情でそのクルマを見つめるのか―それを見ることかもしれません。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">見過ごされがちな車の中で私の一番のお気に入り</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらの過小評価されているクラシックカーの中で、「マツダ デミオ」ほど、顧客に付加価値を提供しようと情熱を込めて設計された車はないと思う。小型で比較的軽量、信頼性が高く、非常に多用途な車だ。このグループの中で私の一番のお気に入りだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">地味な車たちを救え！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今後何十年にもわたり、こうした車をクラシックカーとして収集し、敬愛し、走行可能な状態を維持するために全力を尽くす愛好家たちは存在し続けるだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、一方で、地味で、しばしば過小評価されがちなクラシックカーは危機に瀕している。いったい誰が「マツダ デミオ」を博物館に展示するだろうか？その危機とは、忘れ去られてしまうということだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もし希少な車を知っている人がいなくなれば、誰もそれらを気にかけなくなるだろう。車を保存する人も、資料を保管する人もいなくなるのだ。こうして、私たちの歴史の一部が静かに消し去られてしまうのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だからこそ、アンダードッグたちを救い出そう。実用的で、醜く、一見退屈に見える車たちも保存しよう。いつの日か、若い人がそれらを魅了されたように見つめ、もっと詳しく知りたがる日が来るはずだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ランボルギーニのクラシックカー部門がドイツ仕様のランボルギーニ ミウラSVのレストアを完了　このランボに見る5つのディティールとは？</title>
		<link>https://autobild.jp/68282/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 May 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Lamborghini]]></category>
		<category><![CDATA[Lamborghini Miura SV]]></category>
		<category><![CDATA[Lamborghini Polo Storico]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ ポロ ストリコ]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ ミウラ SV]]></category>
		<category><![CDATA[レストアされたドイツ仕様のレストア]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="673" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-300x168.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-1024x574.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>Lamborghini Polo Storico（ランボルギーニ ポロ ストリコ）が3年の歳月をかけてドイツ仕様のランボルギーニ ミウラSVをレストアした。我々AUTO BILDはその完成発表会にゲスト参加した。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このLamborghini Miura SV（ランボルギーニ ミウラ SV）は、1972年に新車としてドイツへ納車された個体だ。―そのことは5つのディテールから読み取ることができる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニのクラシックカー部門は、このミウラSVをファクトリーでレストアし、完成車を華やかなセレモニーで公開した。AUTO BILD（アウトビルト）もその場に立ち会っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>舞台はローマで開催されたエリートクラシックカーイベント「Anantara Concorso Roma」。そこには、自動車史家Adolfo Orsi（アドルフォ オルシ）、元ピニンファリーナデザイナーのLorenzo Ramaciotti（ロレンツォ ラマチオッティ）、元F1チーム代表、元フェラーリ代表、元FIA会長のJean Todt（ジャン トッド）、そしてクラシックカーディーラー兼プレゼンターのSimon Kidston（サイモン キッドストン）といった著名人が出席していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランボルギーニがローマでドイツ仕様ミウラを公開</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":68422,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-auf-einer-Buehne-fuer-Autos-3061-6039x4026-39e19e6fa131e479-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68422"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニは2026年4月、ローマで開催されたAnantara Concorso Romaのビューティコンテストで、このドイツ向けミウラを公開した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":68425,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-schraeg-vorn-3051-2650x1765-2ab47a592956675e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68425"/><figcaption class="wp-element-caption">マルチェロ ガンディーニは27歳のとき、Bertone（ベルトーネ）に在籍しながらミウラのスタイリングを生み出した。ヘッドライトは点灯時、後方がわずかに持ち上がる構造になっている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ミウラSVは完全レストアされた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニ ポロ ストリコ（※VWポロとは無関係。Polo Storicoはヒストリカルセンターの意味）は、このミウラを3年かけて作業した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>徹底的な調査を行い、1972年式ランボルギーニ ミウラSVを新車納車時の状態へと復元している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68424,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-schraeg-hinten-3053-3201x2136-267131612b2ee408-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68424"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラのリアエンド、筋肉質なフェンダー、ベルトーネロゴ、ルーフアンテナ……じっくり見ること自体が喜びになるデザインだ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ドイツ仕様ミウラを特徴づける5つのディテール</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々AUTO BILD（ドイツからのゲストとして）は特に5つのディテールに注目した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このミウラSVは新車時にデュッセルドルフへ輸出されたとされている。そしてドイツ登録のために、複数箇所が改修されている。つまり、ドイツ当局がイタリアンデザインに影響を与えたということになる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール1：フロントのベンチレーショングリル</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オリジナルのミウラは、ヘッドライト間のボンネットに2つのエアベントを持ち、それぞれ54本の細い金属スラットを備えていた。まるで卵スライサーのような構造だ。そのため、ドイツ仕様ではより安全性の高い設計が求められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68417,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Front-des-Lamborghini-Miura-Italien-Modells-von-oben-schwarkantige-3057-5214x3478-acb93451058e4843-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68417"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラは1966年にまつげ付きヘッドライトと薄い金属スラットのグリルで登場した。ドイツ市場向け仕様は…..<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":68418,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Front-des-Lamborghini-Miura-SV-Deutschland-Modells-von-oben-dicke-3055-5133x3422-f3bcb7a43bfaba81-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68418"/><figcaption class="wp-element-caption">ドイツ市場向けは、36本のフレーム付きルーバーに変更された。まつげ状のデザインはSVフェイスリフトで廃止されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ当局は、ランボルギーニに対しより危険性の低い構造を要求した。その結果、復元された1972年式ミウラSVには、上部が丸められた36本の太いルーバーが装着されている。もちろん、ミウラの鋭く尖ったフロントエンドは依然として“脚を切り裂く危険物の代表格”のままだった。しかし、このことから分かるのは、当時すでにドイツでは歩行者保護に目が向けられていたということである。これはおそらく、消費者保護活動家で弁護士のRalph Nader（ラルフ ネーダー）が明るみに出したChevrolet Corvair scandal（シボレー コルヴェア スキャンダル）の影響だったのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール2：ホイールのセンターロック機構</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フロントの通気グリルだけでなく、当時一般的だったホイールのセンターロック機構もまた“調理器具的”な印象を与える。3枚羽構造は大型ミキサーのようにも見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1927年には、ダンサー兼振付師Isadora Duncan（イサドラ ダンカン）が、長いスカーフが後輪スポークに巻き込まれて死亡する事故も発生している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68428,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Rad-des-des-Lamborghini-Miura-links-Italien-Modell-mit-Zentralverschluss-3059-3000x2000-d04c956cdba64798-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68428"/><figcaption class="wp-element-caption">左：イタリア仕様のセンターロック／右：ドイツ仕様の八角形ハブキャップ。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>より安全な解決策として、突出部のない八角形キャップが採用された。これは簡単に脱着可能な実用的な設計である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール3：サイドのベンチレーショングリル</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミウラは世界初の横置きミッドシップV12市販車として知られるだけでなく、マルチェロ ガンディーニによる革新的デザインでも有名だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>サイドウィンドウ後方の立ち上がりと垂直ルーバーは象徴的な要素である。ただし、これらの薄いルーバーは鋭く、先端形状はドイツのTÜV（技術検査）担当者を悩ませるレベルだった。結果的にドイツ仕様では、厚みを増し角を丸めたパーツに変更されることとなる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68426,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lufteinlass-mit-Gittern-hinter-der-rechten-Seitenscheibe-des-Lamborghini-Miura-3061-3000x2000-c4b2ab55f30af2a0-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68426"/><figcaption class="wp-element-caption">サイドルーバーの形状と先端部はドイツ仕様で丸められた。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Lamborghini</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール4：ハザードランプスイッチ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>皮肉屋たちは、ランボルギーニ ミウラにハザードランプのスイッチなど必要ないと言う。ミウラが路上で止まれば、周囲は嫌でも気づくからだ―たいていの場合、エンジンルームから炎が上がっているのだから。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だが、そんな説明ではドイツの技術検査官たちは納得しなかった。そこでランボルギーニは、コックピット左側、トリップメーターのクローム製リセットボタンのすぐ横に、いかにも実用本位な黒いハザードスイッチを取り付けた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68416,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Cockpit-des-Lamborghini-Miura-SV-links-von-AUTO-BILD-eingekreist-der-3061-3000x2000-a89b90474195b079-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68416"/><figcaption class="wp-element-caption">コックピットはほぼそのままだが、左端にハザードスイッチが追加されている。<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール5：リアの“キャットステップ”</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミウラのリアルーバー（通称キャットステップ）もまた鋭利な問題を抱えていた。急制動時にはスクーターライダーを“カツレツ化”しかねない危険性があった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68419,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Hecklamellen-ueber-der-Heckscheibe-links-Italien-Modell-rechts-Deutschland-3061-3000x2000-d220e928f46b723b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68419"/><figcaption class="wp-element-caption">左：鋭利なオリジナル／右：丸められたドイツ仕様。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ仕様では、角のない厚い金属スラットが採用されている。枚数は6枚のままだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ドイツ人の顧客が注文した仕様</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニはこのミウラSVを、当時の納車状態を忠実に再現してレストアした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68423,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-der-Seite-mit-offenen-Hauben-vorn-und-hinten-3061-4174x2788-09d9b5a8b83715d9-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68423"/><figcaption class="wp-element-caption">ボディの前後が大きく開閉する構造も健在だ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>外装はメタリックブラウンとブロンズ、内装はベージュ。当時の典型的な70年代カラーである。カラー名も詩的で、外装は「イタリア語で"Luci del Bosco,"英語だと "the lights of the forest."（森に差し込む光）」、内装レザーは「"Senape."（マスタード）」と呼ばれる。つまり、車内では“カラシナに座り、森の中に立つ”感覚になる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オーナーは小径ステアリングとエアコンも注文している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68421,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Kuehlluftoeffnungen-im-Cockpit-des-Lamborghini-Miura-SV-3061-3940x2630-0a2c441b4f404521-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68421"/><figcaption class="wp-element-caption">エアコンの装備は3つのダクトで識別可能<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アンダーフロアには特別なエキゾースト“Bob”が装着されている。テストドライバー兼エンジニアのBob Wallace（ボブ ウォレス）に由来し、1970年のMiura Jota（ミウラ イオタ）開発に関わった人物だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68420,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Heck-und-Auspuff-Endrohr-des-Lamborghini-Miura-SV-3061-3391x2264-c7c855b8d5c14fc0-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68420"/><figcaption class="wp-element-caption">“Bob”と呼ばれるテールパイプ構造<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは最も効果的な歩行者保護装置だった可能性もある。轟音により人々が逃げるからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68427,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Motor-des-Lamborghini-Muira-SV-3061-5194x3460-0e34c6cb702095aa-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68427"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラは、フロントシート後方に横置きV12エンジンを搭載した世界初の量産車として登場した。最終進化型のミウラSVでは、4.0リッターV12から385馬力を発揮した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>Frank B. Meyer（フランク B  マイヤー）のコメント</strong><br>ランボルギーニのクラシックカー部門は、このミウラSVを1972年に工場の生産ラインから送り出された当時とまったく同じ姿へと復元した。彼らはほとんどの場合、そうしている。それは十分にもっともらしい考え方に聞こえる。しかし、オリジナルの仕様が常に最も望ましい状態なのだろうか。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>多くの場合、クルマの歴史を最も雄弁に物語るのは、新車として納車されたときの状態ではない。例えば、1952年のメルセデス300 SLがメキシコの「カレラ パナメリカーナ」に参戦した際、ハゲワシがフロントウインドウに衝突したため、メルセデスのレーシングチームがフロントガラス前方に取り付けた金属製の補強バー。あるいは、ファンがオリジナルの白い塗装に口紅のキスマークを残し続けたため、エルヴィス プレスリーが自らのBMW 507を赤く塗り替えさせたこと。あるいは、1962年のプティ＝クラマール暗殺未遂事件を生き延びたシャルル ド・ゴールのシトロエンDSに残る銃弾の痕跡などの歴史の足跡である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私はレストアラーたちの仕事を高く評価し、敬意も抱いている。しかし、多くのオーナーや職人たちは行き過ぎてしまう。過度なレストアによって、歴史を物語る痕跡を取り返しのつかない形で消し去ってしまうのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：Frank B. Meyer<br>Photo：Lamborghini</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="673" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-300x168.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-1024x574.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/AUTO-BILD-Reporter-Frank-B-Meyer-am-Lamborghini-Miura-SV-2869-4000x2246-15131be52b2c12c1-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>Lamborghini Polo Storico（ランボルギーニ ポロ ストリコ）が3年の歳月をかけてドイツ仕様のランボルギーニ ミウラSVをレストアした。我々AUTO BILDはその完成発表会にゲスト参加した。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このLamborghini Miura SV（ランボルギーニ ミウラ SV）は、1972年に新車としてドイツへ納車された個体だ。―そのことは5つのディテールから読み取ることができる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニのクラシックカー部門は、このミウラSVをファクトリーでレストアし、完成車を華やかなセレモニーで公開した。AUTO BILD（アウトビルト）もその場に立ち会っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>舞台はローマで開催されたエリートクラシックカーイベント「Anantara Concorso Roma」。そこには、自動車史家Adolfo Orsi（アドルフォ オルシ）、元ピニンファリーナデザイナーのLorenzo Ramaciotti（ロレンツォ ラマチオッティ）、元F1チーム代表、元フェラーリ代表、元FIA会長のJean Todt（ジャン トッド）、そしてクラシックカーディーラー兼プレゼンターのSimon Kidston（サイモン キッドストン）といった著名人が出席していた。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">ランボルギーニがローマでドイツ仕様ミウラを公開</h3>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-auf-einer-Buehne-fuer-Autos-3061-6039x4026-39e19e6fa131e479-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68422"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニは2026年4月、ローマで開催されたAnantara Concorso Romaのビューティコンテストで、このドイツ向けミウラを公開した。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-schraeg-vorn-3051-2650x1765-2ab47a592956675e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68425"/><figcaption class="wp-element-caption">マルチェロ ガンディーニは27歳のとき、Bertone（ベルトーネ）に在籍しながらミウラのスタイリングを生み出した。ヘッドライトは点灯時、後方がわずかに持ち上がる構造になっている。</figcaption></figure>
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<h3 class="wp-block-heading">ミウラSVは完全レストアされた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニ ポロ ストリコ（※VWポロとは無関係。Polo Storicoはヒストリカルセンターの意味）は、このミウラを3年かけて作業した。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>徹底的な調査を行い、1972年式ランボルギーニ ミウラSVを新車納車時の状態へと復元している。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-schraeg-hinten-3053-3201x2136-267131612b2ee408-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68424"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラのリアエンド、筋肉質なフェンダー、ベルトーネロゴ、ルーフアンテナ……じっくり見ること自体が喜びになるデザインだ。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ドイツ仕様ミウラを特徴づける5つのディテール</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々AUTO BILD（ドイツからのゲストとして）は特に5つのディテールに注目した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>このミウラSVは新車時にデュッセルドルフへ輸出されたとされている。そしてドイツ登録のために、複数箇所が改修されている。つまり、ドイツ当局がイタリアンデザインに影響を与えたということになる。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール1：フロントのベンチレーショングリル</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オリジナルのミウラは、ヘッドライト間のボンネットに2つのエアベントを持ち、それぞれ54本の細い金属スラットを備えていた。まるで卵スライサーのような構造だ。そのため、ドイツ仕様ではより安全性の高い設計が求められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68417,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Front-des-Lamborghini-Miura-Italien-Modells-von-oben-schwarkantige-3057-5214x3478-acb93451058e4843-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68417"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラは1966年にまつげ付きヘッドライトと薄い金属スラットのグリルで登場した。ドイツ市場向け仕様は…..<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":68418,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Front-des-Lamborghini-Miura-SV-Deutschland-Modells-von-oben-dicke-3055-5133x3422-f3bcb7a43bfaba81-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68418"/><figcaption class="wp-element-caption">ドイツ市場向けは、36本のフレーム付きルーバーに変更された。まつげ状のデザインはSVフェイスリフトで廃止されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ当局は、ランボルギーニに対しより危険性の低い構造を要求した。その結果、復元された1972年式ミウラSVには、上部が丸められた36本の太いルーバーが装着されている。もちろん、ミウラの鋭く尖ったフロントエンドは依然として“脚を切り裂く危険物の代表格”のままだった。しかし、このことから分かるのは、当時すでにドイツでは歩行者保護に目が向けられていたということである。これはおそらく、消費者保護活動家で弁護士のRalph Nader（ラルフ ネーダー）が明るみに出したChevrolet Corvair scandal（シボレー コルヴェア スキャンダル）の影響だったのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール2：ホイールのセンターロック機構</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フロントの通気グリルだけでなく、当時一般的だったホイールのセンターロック機構もまた“調理器具的”な印象を与える。3枚羽構造は大型ミキサーのようにも見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1927年には、ダンサー兼振付師Isadora Duncan（イサドラ ダンカン）が、長いスカーフが後輪スポークに巻き込まれて死亡する事故も発生している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68428,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Rad-des-des-Lamborghini-Miura-links-Italien-Modell-mit-Zentralverschluss-3059-3000x2000-d04c956cdba64798-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68428"/><figcaption class="wp-element-caption">左：イタリア仕様のセンターロック／右：ドイツ仕様の八角形ハブキャップ。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>より安全な解決策として、突出部のない八角形キャップが採用された。これは簡単に脱着可能な実用的な設計である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール3：サイドのベンチレーショングリル</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミウラは世界初の横置きミッドシップV12市販車として知られるだけでなく、マルチェロ ガンディーニによる革新的デザインでも有名だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>サイドウィンドウ後方の立ち上がりと垂直ルーバーは象徴的な要素である。ただし、これらの薄いルーバーは鋭く、先端形状はドイツのTÜV（技術検査）担当者を悩ませるレベルだった。結果的にドイツ仕様では、厚みを増し角を丸めたパーツに変更されることとなる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68426,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lufteinlass-mit-Gittern-hinter-der-rechten-Seitenscheibe-des-Lamborghini-Miura-3061-3000x2000-c4b2ab55f30af2a0-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68426"/><figcaption class="wp-element-caption">サイドルーバーの形状と先端部はドイツ仕様で丸められた。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Lamborghini</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール4：ハザードランプスイッチ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>皮肉屋たちは、ランボルギーニ ミウラにハザードランプのスイッチなど必要ないと言う。ミウラが路上で止まれば、周囲は嫌でも気づくからだ―たいていの場合、エンジンルームから炎が上がっているのだから。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だが、そんな説明ではドイツの技術検査官たちは納得しなかった。そこでランボルギーニは、コックピット左側、トリップメーターのクローム製リセットボタンのすぐ横に、いかにも実用本位な黒いハザードスイッチを取り付けた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68416,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Cockpit-des-Lamborghini-Miura-SV-links-von-AUTO-BILD-eingekreist-der-3061-3000x2000-a89b90474195b079-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68416"/><figcaption class="wp-element-caption">コックピットはほぼそのままだが、左端にハザードスイッチが追加されている。<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ディテール5：リアの“キャットステップ”</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミウラのリアルーバー（通称キャットステップ）もまた鋭利な問題を抱えていた。急制動時にはスクーターライダーを“カツレツ化”しかねない危険性があった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68419,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Hecklamellen-ueber-der-Heckscheibe-links-Italien-Modell-rechts-Deutschland-3061-3000x2000-d220e928f46b723b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68419"/><figcaption class="wp-element-caption">左：鋭利なオリジナル／右：丸められたドイツ仕様。<br>Photo：Roman Rätzke / AUTO BILD; Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ仕様では、角のない厚い金属スラットが採用されている。枚数は6枚のままだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ドイツ人の顧客が注文した仕様</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニはこのミウラSVを、当時の納車状態を忠実に再現してレストアした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68423,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Lamborghini-Miura-SV-stehend-von-der-Seite-mit-offenen-Hauben-vorn-und-hinten-3061-4174x2788-09d9b5a8b83715d9-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68423"/><figcaption class="wp-element-caption">ボディの前後が大きく開閉する構造も健在だ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>外装はメタリックブラウンとブロンズ、内装はベージュ。当時の典型的な70年代カラーである。カラー名も詩的で、外装は「イタリア語で"Luci del Bosco,"英語だと "the lights of the forest."（森に差し込む光）」、内装レザーは「"Senape."（マスタード）」と呼ばれる。つまり、車内では“カラシナに座り、森の中に立つ”感覚になる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オーナーは小径ステアリングとエアコンも注文している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68421,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Kuehlluftoeffnungen-im-Cockpit-des-Lamborghini-Miura-SV-3061-3940x2630-0a2c441b4f404521-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68421"/><figcaption class="wp-element-caption">エアコンの装備は3つのダクトで識別可能<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アンダーフロアには特別なエキゾースト“Bob”が装着されている。テストドライバー兼エンジニアのBob Wallace（ボブ ウォレス）に由来し、1970年のMiura Jota（ミウラ イオタ）開発に関わった人物だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68420,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Heck-und-Auspuff-Endrohr-des-Lamborghini-Miura-SV-3061-3391x2264-c7c855b8d5c14fc0-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68420"/><figcaption class="wp-element-caption">“Bob”と呼ばれるテールパイプ構造<br>Photo：Thomas Starck / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは最も効果的な歩行者保護装置だった可能性もある。轟音により人々が逃げるからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68427,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/06/Motor-des-Lamborghini-Muira-SV-3061-5194x3460-0e34c6cb702095aa-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-68427"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラは、フロントシート後方に横置きV12エンジンを搭載した世界初の量産車として登場した。最終進化型のミウラSVでは、4.0リッターV12から385馬力を発揮した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>Frank B. Meyer（フランク B  マイヤー）のコメント</strong><br>ランボルギーニのクラシックカー部門は、このミウラSVを1972年に工場の生産ラインから送り出された当時とまったく同じ姿へと復元した。彼らはほとんどの場合、そうしている。それは十分にもっともらしい考え方に聞こえる。しかし、オリジナルの仕様が常に最も望ましい状態なのだろうか。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>多くの場合、クルマの歴史を最も雄弁に物語るのは、新車として納車されたときの状態ではない。例えば、1952年のメルセデス300 SLがメキシコの「カレラ パナメリカーナ」に参戦した際、ハゲワシがフロントウインドウに衝突したため、メルセデスのレーシングチームがフロントガラス前方に取り付けた金属製の補強バー。あるいは、ファンがオリジナルの白い塗装に口紅のキスマークを残し続けたため、エルヴィス プレスリーが自らのBMW 507を赤く塗り替えさせたこと。あるいは、1962年のプティ＝クラマール暗殺未遂事件を生き延びたシャルル ド・ゴールのシトロエンDSに残る銃弾の痕跡などの歴史の足跡である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私はレストアラーたちの仕事を高く評価し、敬意も抱いている。しかし、多くのオーナーや職人たちは行き過ぎてしまう。過度なレストアによって、歴史を物語る痕跡を取り返しのつかない形で消し去ってしまうのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：Frank B. Meyer<br>Photo：Lamborghini</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【車かそれともUFOか？】このスーパーカーを知ってますか？戦闘機や戦車の部品に加え600馬力超のV8を搭載した「ベクターW8ツインターボ」とは</title>
		<link>https://autobild.jp/68207/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 27 May 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[Gerald "Jerry" Wiegert]]></category>
		<category><![CDATA[Vector]]></category>
		<category><![CDATA[Vector W8 Twin Turbo]]></category>
		<category><![CDATA[アメ車]]></category>
		<category><![CDATA[ジェラルド “ジェリー” ウィーガート]]></category>
		<category><![CDATA[スーパースポーツカー]]></category>
		<category><![CDATA[ベクター]]></category>
		<category><![CDATA[ベクターW8ツインターボ]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ベクターW8ツインターボ（Vector W8 Twin Turbo）：車か、それともUFOか？このスーパーカーを知っている人は誰もいない？戦闘機や戦車の部品に加え、600馬力を超えるV8エンジンを搭載。ベクターW8ツインターボは、公道用のスターファイターとなるはずだったが - 大失敗に終わった！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>額から汗が滴り落ち、全身がびっしょりだ。車内は体感50度くらいある。しかし、私はスチームサウナの中にいるのではなく、「ベクターW8ツインターボ」の中にいる - 子供の頃からの夢だった車の一つだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、まずは最初から。ある質問から始めよう。新車に何を期待する？　最新の技術、充実した装備、高い安全基準だろうか？新車が、信頼性が高く、何よりも完全に機能することは言うまでもない。しかし、この車に関してはそうではない。これが、「ベクターW8ツインターボ」の狂気じみた物語なのだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ベクターW8ツインターボ：スーパースポーツカーの中でも異色の存在</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「W8ツインターボ」について聞いたことがない？それもそのはず！1990年から1993年の間に製造されたのは、顧客向け車両17台と試作車2台のみだった。「希少」という言葉ですら、この車には全く及ばないほどだ。ヨーロッパには、未確認の情報だが、「W8ツインターボ」がわずか3台しか存在しないと言われている。そのうちの1台はスイスのロマンシュホルンにあり、「Museum Autobau Erlebniswelt（オートバウ エルブニスヴェルト博物館）」が所有している。シャーシ番号「008」は、今でも初代オーナーの手元にある。そして今日、私は、ベクターがかつて「W8」を宣伝した時のキャッチコピー「公道用のハイテク兵器」を運転する光栄に浴することになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68211,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3053-5220x3482-8827fe666353b3ee-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68211"/><figcaption class="wp-element-caption">スーパーカーの真髄とは何か？それは唯一無二のデザインだ！W8ツインターボは、デビューから35年が経った今でも、まるで未来から飛び出してきたかのような姿をしている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、キーを回す前に、少し歴史を振り返っておこう。この車輪のついたUFOの生みの親は、Gerald "Jerry" Wiegert（ジェラルド “ジェリー” ウィーガート：2021年没）という人物だった。ウィーガートはエンジニアであり、先見の明を持つ人物だったが、残念ながらビジネスセンスにはあまり恵まれていなかった。その結果、ベクター社は決して黒字企業になることはなく、数度の経営者交代を経て、2021年に完全に解散してしまった。今となっては、ベクターはまるで自動車界の蜃気楼のように思える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">すべては1972年に始まった</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>独自のスポーツカーを作るというアイデアは、1972年にすでにウィーガートの頭に浮かんでいた。コンセプトは単純だった。コンセプトモデルの「W2」には約250馬力の2リッター4気筒エンジンを搭載し、コルベットよりも手頃な価格にするというものだった。しかし、事態は予想外の方向へと進んだ。GMの技術製図技師だったウィーガートは、不和の末に同社を去り、Lee Brown（リー ブラウン）と共に「Vehicle Design Force（ビークル デザイン フォース）」を設立した。これが1978年に、「Vector Motors Corporation（ベクター モーターズ コーポレーション）」へと発展する。かつての上司たちに一泡吹かせてやるため、ウィーガートは、「世界最速のスーパースポーツカー」を、しかも「アメリカ製」で作り上げるという計画を練り上げた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>同年中に、「W2（Wはウィーガート、2はターボチャージャーの数を表す）」のプロトタイプは走行可能な状態になった。ウィーガートは航空宇宙分野に強い関心を持ち、その技術の一部を自動車に応用したいと考えていた。それに応じて、「W2」のデザインは壮観なものとなった。しかし、1978年以降、プロジェクトは停滞してしまった。確かに、「W2」は長年にわたりメディアを賑わす形で度々公開され、塗装も何度か変更され、1990年までに走行距離は10万kmを超えたとされているが、顧客への納車は一度も行われなかった。製造されたのはわずか2台の「W2」のみで、そのうち1台は事故で全損し、もう1台はウィーガートの所有物として残った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68210,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3051-4939x3295-1e6725e7d4823427-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68210"/><figcaption class="wp-element-caption">ベクターW8の全長はわずか4.37メートルだが、全幅は2.08メートルもある。ドアは上方に開く - まさにスーパースポーツカーらしい仕様だ！</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、ウィーガートは諦めず、自らのビジョンを貫き通した。1987年、社名は「ベクター エアロモーティブ コーポレーション」に変更され、ウィーガートはついにプロジェクトへの投資家を獲得することに成功した。彼らの支援により、同社は一時80名もの従業員を抱えるまでに成長した。1990年、「ニューヨーク オートショー」で、「W8ツインターボ」として初の量産可能なベクターが披露された。ウィーガートが礎を築いてから、実に20年近くが経過していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">W8は公式にはクラシックカーだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さらに35年先へ話を進めよう。私はブラックの「ベクターW8ツインターボ」の前に立ち、言葉を失っている。事情を知らなければ、このUFOのような車は公式にはクラシックカーであり、その基本デザインがすでに50年（！）近くも前のものだと、到底想像できなかっただろう。というのも、「W8」は当時、根本から新たに開発されたとはいえ、その未来的なデザインは「W2」に由来しているからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私が、風変わりでいて魅力的なベクターと初めて出会ったのは2000年のことだった。当時9歳だった私は、レースゲーム、『グランツーリスモ2』を何時間もプレイし、42万クレジットで黄色の「W8ツインターボ」のミニカーを購入したのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だからこそ、この瞬間は格別に感慨深い。私は、子供の頃の夢だった自動車の1台を目の前にしている - あまりにも希少で、その存在を聞いたことさえある人はごくわずか、ましてや実物を見たことのある人はほとんどいないような車だ。私は畏敬の念を抱きながら、全高わずか1.08メートルながら、全幅2.08メートルもあるこの巨体を眺めている。噂では、そのウェッジシェイプのデザインは「アルファロメオ カラボ」に由来すると言われているが、正直なところ、私の目には「W8」の方がさらに壮観に見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">すべての部品は米国製</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドアとボンネットはアルミニウム製で、残りのボディはカーボンファイバーとケブラーの混合素材で作られており、重量はわずか45kgだと言われている。モノコックは、アルミニウム製のハニカム構造と結合された一種のチューブフレームだ。「W8」を1台製造するのに、航空機用リベットが計5,000個使用されたという。膨大なハイテク技術が投入されているにもかかわらず、全長わずか4.37メートルの「W8」の重量はサイズからすると決して軽くない約1,500kg。これは、ウィーガートが豪華さを犠牲にしたくなかったことも一因だ。そのため、「W8」にはエアコン、電動調整式レザーシート、クルーズコントロール、さらには10枚組CDチェンジャーまでが標準装備された。伝えられるところによれば、ヘッドアップディスプレイやバックカメラの搭載も検討されていたという。ウィーガートが掲げた唯一の条件は、すべての部品を米国で製造することだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68212,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3055-7381x4923-ed27639bd28ded51-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68212"/><figcaption class="wp-element-caption">今日に至るまで、W8には3人乗り仕様も注文できたという噂が絶えない。しかし、コックピットを覗いてみると、それは極めてあり得ないことのように思える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ウィーガートにとって最高のものだけが「W8」にふさわしいと考えられていたことは、戦闘機から流用された一体成型されたエアベントや、運転席の左側に配置され、エイブラムス戦車から借用されたモノクロの多機能ディスプレイといった細部に表れている。回転数や速度に加え、運転手はこのディスプレイで4つの異なるモードを切り替え、「W8」に関する膨大な情報を確認することができる。注目すべきは、納車から35年近く経った今でもこのディスプレイが完璧に機能しており、ドアやボンネットが開いているかどうかまで表示していることだ。これは、オーナーのAlfred "Fredy" Lienhard（アルフレッド “フレディ” リエンハルト）と「Autobau Erlebniswelt（オートバウ エルレブニスヴェルト）」チームの功績によるものである。こうして、「W8ツインターボ」の歴史におけるもう一つの信じがたい展開へと話は移っていく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68215,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-5304x3528-2300fec549cfa189-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-68215"/><figcaption class="wp-element-caption">このモノクロの多機能ディスプレイはエイブラムス戦車に搭載されていたもので、4つの表示モードを備え、35年経った今でも完璧に動作している。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">一度評判を落としてしまえば・・・</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1990年に3台の「W8」が完成した後、翌年には3台がそれぞれの新しいオーナーのもとへ引き渡された。その顧客の一人がテニス界のスター、アンドレ アガシだった。彼はシャーシ番号「005」を購入し、21歳の誕生日に間に合うよう車を納車するよう強く要求した。伝えられるところによれば、ヴィーガートはアガシに対し、このスケジュールを守れないことを何度も伝えていたそうだ。しかし、アガシは4月29日に「W8」を受け取ることを譲らなかった。結局、ヴィーガートは折れて、未完成の車を納車した - おそらく他の著名な顧客を遠ざけないためだろう。予想通り、この試みは裏目に出た。必然的な結末が待っていたのだ。完全に機能しない「W8」に不満を抱いたアガシは、公の場でヴィーガートに対しこう言ったと伝えられている。「爆発の危険を冒さずにガレージから出し入れできる車を造ってくれ。そうすれば買うよ！」。これにより、ベクターの評判は決定的な打撃を受けた。1992年は9台を納車し、ベクターにとって最も成功した年となったものの、同社は財政難に陥った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">新車価格48万9,000ドル（約8千万円）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>偶然にも、実業家兼レーサーのフレディ リエンハルトは、自身の会社、「リスタ」を通じて90年代初頭に受注を獲得し、「ベクター エアロモーティブ コーポレーション」という米国企業に倉庫設備を納入していた。この会社が未払いの請求書を支払えなくなった際、奇妙な物々交換が行われた。ヴィーガートはリエンハルトに対し、完成した「W8ツインターボ」を、本来の定価のほんの一部で買うよう提案したのだ。噂されていた定価48万9,000ドル（約8千万円）ではなく、リエンハルトは、18万9,000ドル（約3,100万円）を支払った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>数ヶ月後、シャーシ番号「008」の「W8（奇妙なことに、シャーシ番号は連続して割り当てられておらず、その代わりに重複しているものもあった）」がスイスに到着すると、フレディ リエンハルト ジュニアが直接語ったように、本格的な作業が始まった。最初の5年間、この車は事実上ずっと整備工場にあり、まずは完成させる必要があった。試運転の際、ベクターはなんと発火してしまったが、幸いにもすぐに消火できた。しかし、それが「W8」の足元にある特大の消火器の理由でもある。今ではベクターは安定して走っているが、それは数多くの試行錯誤と骨の折れる細部の作業の賜物だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">センタートンネルはない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私にとって、その大一番の時がやってきた。精巧なハンドルだけで800ドル（約13万円）もかかったと言われるというシザーズドアを開け、説教壇のようなコックピットに身を乗り入れる。黒いレカロ製レザーシートは深く設置されているが、意外にも快適だ。シートポジションは、控えめに言っても慣れるまで時間がかかる： 運転席はわずかに右に傾いているが、ふくらんだバンパーのような形状で、まるでバンパーカーのハンドルのようなステアリングホイールは、さらに中央寄りに配置されている。奇妙に聞こえるかもしれないが、ペダルの位置に比べればまだましだ。ペダルも同様に右にずれているが、センターコンソールがないため、理論上は助手席の乗客でも操作できる。とんでもない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68213,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3057-7690x5129-547c4549b64c6841-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68213"/><figcaption class="wp-element-caption">センタートンネルがないということは、助手席の乗員もアクセルを踏めるということだ - 少なくとも理論上は。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、「ベクターW8」に3人乗り仕様を注文する選択肢もあったと言われているが、私はそれを単なる作り話だと断じる。製造された19台の「W8」のうち、3人乗りモデルは1台も存在しない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">634馬力の6.0リッターV8エンジン</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「W8ツインターボ」の始動は、特に目立ったところはない。「W2」は数字の組み合わせで始動させる必要があったが、W8では通常のキーを差し込むだけで、横置きV8エンジンを目覚めさせることができる。私はこの車について、ここまであえて性能データを伏せてきた。なぜなら、スーパースポーツカーは数字だけで評価されがちだと感じているからだ。とはいえ、「W8ツインターボ」の場合、その数値は今日でもなお印象的だ。ドライサンプ潤滑方式を採用したこの6.0リッターV8エンジンは、基本構造としてはシボレーのスモールブロックを基にしており、IMSAのスペシャリストであるロデック社によって、アルミ製ピストン、電子制御燃料噴射、ダイレクトイグニッションなど、大規模な改造が施されている。2基のギャレット製ターボチャージャーのおかげで、出力は634馬力に達する。さらに印象的なのは854Nmという最大トルクだが、これには少なからぬ問題も伴っていた。1980年代末当時、この力に耐えられるマニュアルトランスミッションは存在しなかったからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>こうした背景から、「W8ツインターボ」にオートマチックトランスミッションを搭載することは避けられなかった。ヴィーガートは、大規模な改造が施されたGM製の「ターボ ハイドラマチック425」トランスミッションを採用した。最大の問題は、このトランスミッションがわずか3速（！）しかなく、しかも各ギアのギア比が極端に長く設定されている点だった。そのため、ベクター社は0-100km/h加速時間を3.9秒から4.3秒と公表し、最高速度は350km/h以上と約束した。一部の報道では389km/hという数値さえ言及されている。しかし、当時の数少ないテストにおいて、「W8」がこれらの数値を達成することは決してなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68216,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-6191x4132-06c864792cf783f3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68216"/><figcaption class="wp-element-caption">角張ったデザインが最大の魅力だ。車全体が、まるで定規で描かれたかのような印象を与える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらの数値は、今日のスイスの道路では試すつもりもない。むしろ私が求めているのは、ベクターを運転できるという体験そのものだ - そしてそれは、ギアを入れる瞬間から始まっている。センタートンネルがないため、シフトレバーは左側のサイドシルに移されている。そのレバーはまるで飛行機のスラストレバーのようで、まず上へ、そして後ろへと、かなりの力強さで引かなければならない。1速に入れ、ブレーキから足を離すと、信じられない気持ちになる。なんと、私は超希少な「ベクターW8ツインターボ」を運転しているのだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">登録？難しい！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ディスプレイを見ると、この車はこれまでわずか2,247km、換算すると123運転時間しか走っていないことがわかる。これは、スイスではあらゆる努力にもかかわらず、「W8」が公式な登録を取得できていないことも一因だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ガレージナンバー」（仮ナンバーに相当する）のおかげで、私はそれでも「W8」を公道で走らせることができた。すぐに気づいたのは、ステアリングの操作が驚くほど軽いことだ。さらに、フロントアクスルからゴロゴロという音が響く。それ以外は、「W8」の走り方はまずまず穏やかだ。もちろん、ギア比は極端に長く設定されているため、フレディは出発前に、レバーを使って自分でギアチェンジをするようアドバイスしてくれた。少し慣れれば、それもかなりうまくいく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68214,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3059-5304x3528-b647eb38aa107f07-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-68214"/><figcaption class="wp-element-caption">3速オートマチックトランスミッションのシフトレバーはドアシルに配置されており、力強く操作する必要がある。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンジンが暖まったところで、初めてアクセルを踏んでみると驚いた。600馬力以上、800Nmのトルクがあるとは思えない走りだ。もちろんオートマチックがかなりのパワーを吸収しているのは確かだが、直感的には300～400馬力が後輪に伝わっているように感じる。後でフレディが説明してくれたところによれば、「W8」は熱問題で悪名高いことから、意図的に過給圧を下げていたのだという。これは、V8エンジンが私の背後に横置きで搭載されており、インタークーラーが助手席側に極めて不都合な位置に配置されていることに起因している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">コックピット内は熱くなる</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、ハンドルを握っている間、体感されるパワーについて考える余裕はそれほどない。というのも、私には全く別の問題があったからだ。コックピット内は、すでにかなり暑くなっていた。事前に、この車は博物館の展示室に何ヶ月も置かれていることが多かったため、エアコンの冷媒が補充されていないと聞いていた。その時点では知らなかったが、窓が開かないのだ。そもそも上部の窓はごく一部しか開かない。しかし、このシステムは（ベクターらしいことに）負圧式で動作するため、もはや機能していない。ガラスルーフも開くことはできず、丸ごと取り外すしかない。私にとって、これは「新鮮な空気なし」を意味する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最初は大したことないように聞こえるかもしれないが、30分以上走ると、徐々に深刻な状況になってきた。28度の暑い日に、ガラス張りの車内と背後に位置する大排気量のV8エンジンの組み合わせにより、額から汗が滝のように流れ落ちている。休憩が必要だ - そして水も。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">スペアパーツは存在しない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>V8エンジンをじっくりと観察する時間だ。ボンネットを開けると、スペースが1センチたりとも無駄にされていないエンジンルームが目に飛び込んできた。フレディは、この「W8」を走らせるためにどのような改造が必要だったかを説明してくれた。電子機器一式に加え、法外な値段の純正部品の多くが、より安価でありながら同等の機能を持つパーツに交換されていた。一例を挙げると、かつて100ドル（約1万6千円）以上もした航空宇宙用のホースクランプだ。今では5ユーロ（約940円）の部品で代用できる。このような例は数多くあり、スペアパーツを探す際には創意工夫が必要だ。結局のところ、純正のミシュランXGTプラスタイヤ（255/45 ZR 16および315/40 ZR 16）でさえ、もはや入手不可能になっているのだから・・・。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68217,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-8167x5456-1829106b7304b34b-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68217"/><figcaption class="wp-element-caption">ベクターW8ツインターボは、私が子供の頃から抱いていた自動車への夢の一つだ - まさか自分がW8を運転することになるとは、夢にも思わなかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ひとまず一息つき、「W8ツインターボ」での2回目の走行に備えた。今回もその楽しみは束の間だった。突然の雨で、「W8」を十分に試すことができなかったからだ。それでも、このおかげで、「ボーイング747」から流用されたというワイパーを試すことができた。試乗の終わり頃には雨が上がり、もう一度アクセルを踏み込んだ。ミスファイアによるものだけではないが、そのサウンドは圧巻だ。とはいえ、この車はそれほど速いわけではない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">現在のW8ツインターボの価値はこれほど</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「オートバウ エルブニスヴェルト」の敷地に戻ったとき、私の心境は複雑だった。一方で、車から降りられることに安堵していた。というのも、現在50万～80万ユーロ（約9,400～1億5千万円）の価値があるという「W8」での走行は、肉体的に過酷だったからだ。一方で、運転体験は想像していたほど壮観ではなかった。「ベクターW8ツインターボ」の魅力は、その信じられないほどの外観と数え切れないほどのディテールにある。だからこそ、ベクターに熱狂的なファン層が存在するのも不思議ではない。フレディが「W8を見るためだけに『オートバウ エルブニスヴェルト』を訪れる来場者もいる」と語っていたのも納得だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>再び一息つく間、私はこの黒いUFOの周りをゆっくりと回り、細部の一つひとつを目に焼き付けながら、そのデザインと、このような車を現実のものにした勇気に、今なお言葉を失っている。ジェラルド ジェリー ヴィーガートとそのビジョンに、心の底から脱帽する。「ベクターW8ツインターボ」は、今も昔も変わらず、私の自動車に関する子供の頃の夢の一つだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>これまで数多くの素晴らしい車を運転してきたが、「ベクターW8ツインターボ」はそれらすべてを凌駕している。その外観、細部へのこだわり、そして希少性は比類のないものであり、やや物足りない走行性能を補って余りある。私の目には、「ベクターW8ツインターボ」は、その価値に見合う評価をこれまで一度も得ていないように思える！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: Jan Götze</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-2869-3584x2016-4da5271c0cebe919-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ベクターW8ツインターボ（Vector W8 Twin Turbo）：車か、それともUFOか？このスーパーカーを知っている人は誰もいない？戦闘機や戦車の部品に加え、600馬力を超えるV8エンジンを搭載。ベクターW8ツインターボは、公道用のスターファイターとなるはずだったが - 大失敗に終わった！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>額から汗が滴り落ち、全身がびっしょりだ。車内は体感50度くらいある。しかし、私はスチームサウナの中にいるのではなく、「ベクターW8ツインターボ」の中にいる - 子供の頃からの夢だった車の一つだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、まずは最初から。ある質問から始めよう。新車に何を期待する？　最新の技術、充実した装備、高い安全基準だろうか？新車が、信頼性が高く、何よりも完全に機能することは言うまでもない。しかし、この車に関してはそうではない。これが、「ベクターW8ツインターボ」の狂気じみた物語なのだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ベクターW8ツインターボ：スーパースポーツカーの中でも異色の存在</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「W8ツインターボ」について聞いたことがない？それもそのはず！1990年から1993年の間に製造されたのは、顧客向け車両17台と試作車2台のみだった。「希少」という言葉ですら、この車には全く及ばないほどだ。ヨーロッパには、未確認の情報だが、「W8ツインターボ」がわずか3台しか存在しないと言われている。そのうちの1台はスイスのロマンシュホルンにあり、「Museum Autobau Erlebniswelt（オートバウ エルブニスヴェルト博物館）」が所有している。シャーシ番号「008」は、今でも初代オーナーの手元にある。そして今日、私は、ベクターがかつて「W8」を宣伝した時のキャッチコピー「公道用のハイテク兵器」を運転する光栄に浴することになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68211,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3053-5220x3482-8827fe666353b3ee-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68211"/><figcaption class="wp-element-caption">スーパーカーの真髄とは何か？それは唯一無二のデザインだ！W8ツインターボは、デビューから35年が経った今でも、まるで未来から飛び出してきたかのような姿をしている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、キーを回す前に、少し歴史を振り返っておこう。この車輪のついたUFOの生みの親は、Gerald "Jerry" Wiegert（ジェラルド “ジェリー” ウィーガート：2021年没）という人物だった。ウィーガートはエンジニアであり、先見の明を持つ人物だったが、残念ながらビジネスセンスにはあまり恵まれていなかった。その結果、ベクター社は決して黒字企業になることはなく、数度の経営者交代を経て、2021年に完全に解散してしまった。今となっては、ベクターはまるで自動車界の蜃気楼のように思える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">すべては1972年に始まった</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>独自のスポーツカーを作るというアイデアは、1972年にすでにウィーガートの頭に浮かんでいた。コンセプトは単純だった。コンセプトモデルの「W2」には約250馬力の2リッター4気筒エンジンを搭載し、コルベットよりも手頃な価格にするというものだった。しかし、事態は予想外の方向へと進んだ。GMの技術製図技師だったウィーガートは、不和の末に同社を去り、Lee Brown（リー ブラウン）と共に「Vehicle Design Force（ビークル デザイン フォース）」を設立した。これが1978年に、「Vector Motors Corporation（ベクター モーターズ コーポレーション）」へと発展する。かつての上司たちに一泡吹かせてやるため、ウィーガートは、「世界最速のスーパースポーツカー」を、しかも「アメリカ製」で作り上げるという計画を練り上げた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>同年中に、「W2（Wはウィーガート、2はターボチャージャーの数を表す）」のプロトタイプは走行可能な状態になった。ウィーガートは航空宇宙分野に強い関心を持ち、その技術の一部を自動車に応用したいと考えていた。それに応じて、「W2」のデザインは壮観なものとなった。しかし、1978年以降、プロジェクトは停滞してしまった。確かに、「W2」は長年にわたりメディアを賑わす形で度々公開され、塗装も何度か変更され、1990年までに走行距離は10万kmを超えたとされているが、顧客への納車は一度も行われなかった。製造されたのはわずか2台の「W2」のみで、そのうち1台は事故で全損し、もう1台はウィーガートの所有物として残った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68210,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3051-4939x3295-1e6725e7d4823427-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68210"/><figcaption class="wp-element-caption">ベクターW8の全長はわずか4.37メートルだが、全幅は2.08メートルもある。ドアは上方に開く - まさにスーパースポーツカーらしい仕様だ！</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、ウィーガートは諦めず、自らのビジョンを貫き通した。1987年、社名は「ベクター エアロモーティブ コーポレーション」に変更され、ウィーガートはついにプロジェクトへの投資家を獲得することに成功した。彼らの支援により、同社は一時80名もの従業員を抱えるまでに成長した。1990年、「ニューヨーク オートショー」で、「W8ツインターボ」として初の量産可能なベクターが披露された。ウィーガートが礎を築いてから、実に20年近くが経過していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">W8は公式にはクラシックカーだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さらに35年先へ話を進めよう。私はブラックの「ベクターW8ツインターボ」の前に立ち、言葉を失っている。事情を知らなければ、このUFOのような車は公式にはクラシックカーであり、その基本デザインがすでに50年（！）近くも前のものだと、到底想像できなかっただろう。というのも、「W8」は当時、根本から新たに開発されたとはいえ、その未来的なデザインは「W2」に由来しているからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私が、風変わりでいて魅力的なベクターと初めて出会ったのは2000年のことだった。当時9歳だった私は、レースゲーム、『グランツーリスモ2』を何時間もプレイし、42万クレジットで黄色の「W8ツインターボ」のミニカーを購入したのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>だからこそ、この瞬間は格別に感慨深い。私は、子供の頃の夢だった自動車の1台を目の前にしている - あまりにも希少で、その存在を聞いたことさえある人はごくわずか、ましてや実物を見たことのある人はほとんどいないような車だ。私は畏敬の念を抱きながら、全高わずか1.08メートルながら、全幅2.08メートルもあるこの巨体を眺めている。噂では、そのウェッジシェイプのデザインは「アルファロメオ カラボ」に由来すると言われているが、正直なところ、私の目には「W8」の方がさらに壮観に見える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">すべての部品は米国製</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドアとボンネットはアルミニウム製で、残りのボディはカーボンファイバーとケブラーの混合素材で作られており、重量はわずか45kgだと言われている。モノコックは、アルミニウム製のハニカム構造と結合された一種のチューブフレームだ。「W8」を1台製造するのに、航空機用リベットが計5,000個使用されたという。膨大なハイテク技術が投入されているにもかかわらず、全長わずか4.37メートルの「W8」の重量はサイズからすると決して軽くない約1,500kg。これは、ウィーガートが豪華さを犠牲にしたくなかったことも一因だ。そのため、「W8」にはエアコン、電動調整式レザーシート、クルーズコントロール、さらには10枚組CDチェンジャーまでが標準装備された。伝えられるところによれば、ヘッドアップディスプレイやバックカメラの搭載も検討されていたという。ウィーガートが掲げた唯一の条件は、すべての部品を米国で製造することだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68212,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3055-7381x4923-ed27639bd28ded51-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68212"/><figcaption class="wp-element-caption">今日に至るまで、W8には3人乗り仕様も注文できたという噂が絶えない。しかし、コックピットを覗いてみると、それは極めてあり得ないことのように思える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ウィーガートにとって最高のものだけが「W8」にふさわしいと考えられていたことは、戦闘機から流用された一体成型されたエアベントや、運転席の左側に配置され、エイブラムス戦車から借用されたモノクロの多機能ディスプレイといった細部に表れている。回転数や速度に加え、運転手はこのディスプレイで4つの異なるモードを切り替え、「W8」に関する膨大な情報を確認することができる。注目すべきは、納車から35年近く経った今でもこのディスプレイが完璧に機能しており、ドアやボンネットが開いているかどうかまで表示していることだ。これは、オーナーのAlfred "Fredy" Lienhard（アルフレッド “フレディ” リエンハルト）と「Autobau Erlebniswelt（オートバウ エルレブニスヴェルト）」チームの功績によるものである。こうして、「W8ツインターボ」の歴史におけるもう一つの信じがたい展開へと話は移っていく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68215,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-5304x3528-2300fec549cfa189-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-68215"/><figcaption class="wp-element-caption">このモノクロの多機能ディスプレイはエイブラムス戦車に搭載されていたもので、4つの表示モードを備え、35年経った今でも完璧に動作している。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">一度評判を落としてしまえば・・・</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1990年に3台の「W8」が完成した後、翌年には3台がそれぞれの新しいオーナーのもとへ引き渡された。その顧客の一人がテニス界のスター、アンドレ アガシだった。彼はシャーシ番号「005」を購入し、21歳の誕生日に間に合うよう車を納車するよう強く要求した。伝えられるところによれば、ヴィーガートはアガシに対し、このスケジュールを守れないことを何度も伝えていたそうだ。しかし、アガシは4月29日に「W8」を受け取ることを譲らなかった。結局、ヴィーガートは折れて、未完成の車を納車した - おそらく他の著名な顧客を遠ざけないためだろう。予想通り、この試みは裏目に出た。必然的な結末が待っていたのだ。完全に機能しない「W8」に不満を抱いたアガシは、公の場でヴィーガートに対しこう言ったと伝えられている。「爆発の危険を冒さずにガレージから出し入れできる車を造ってくれ。そうすれば買うよ！」。これにより、ベクターの評判は決定的な打撃を受けた。1992年は9台を納車し、ベクターにとって最も成功した年となったものの、同社は財政難に陥った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">新車価格48万9,000ドル（約8千万円）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>偶然にも、実業家兼レーサーのフレディ リエンハルトは、自身の会社、「リスタ」を通じて90年代初頭に受注を獲得し、「ベクター エアロモーティブ コーポレーション」という米国企業に倉庫設備を納入していた。この会社が未払いの請求書を支払えなくなった際、奇妙な物々交換が行われた。ヴィーガートはリエンハルトに対し、完成した「W8ツインターボ」を、本来の定価のほんの一部で買うよう提案したのだ。噂されていた定価48万9,000ドル（約8千万円）ではなく、リエンハルトは、18万9,000ドル（約3,100万円）を支払った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>数ヶ月後、シャーシ番号「008」の「W8（奇妙なことに、シャーシ番号は連続して割り当てられておらず、その代わりに重複しているものもあった）」がスイスに到着すると、フレディ リエンハルト ジュニアが直接語ったように、本格的な作業が始まった。最初の5年間、この車は事実上ずっと整備工場にあり、まずは完成させる必要があった。試運転の際、ベクターはなんと発火してしまったが、幸いにもすぐに消火できた。しかし、それが「W8」の足元にある特大の消火器の理由でもある。今ではベクターは安定して走っているが、それは数多くの試行錯誤と骨の折れる細部の作業の賜物だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">センタートンネルはない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私にとって、その大一番の時がやってきた。精巧なハンドルだけで800ドル（約13万円）もかかったと言われるというシザーズドアを開け、説教壇のようなコックピットに身を乗り入れる。黒いレカロ製レザーシートは深く設置されているが、意外にも快適だ。シートポジションは、控えめに言っても慣れるまで時間がかかる： 運転席はわずかに右に傾いているが、ふくらんだバンパーのような形状で、まるでバンパーカーのハンドルのようなステアリングホイールは、さらに中央寄りに配置されている。奇妙に聞こえるかもしれないが、ペダルの位置に比べればまだましだ。ペダルも同様に右にずれているが、センターコンソールがないため、理論上は助手席の乗客でも操作できる。とんでもない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68213,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3057-7690x5129-547c4549b64c6841-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68213"/><figcaption class="wp-element-caption">センタートンネルがないということは、助手席の乗員もアクセルを踏めるということだ - 少なくとも理論上は。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、「ベクターW8」に3人乗り仕様を注文する選択肢もあったと言われているが、私はそれを単なる作り話だと断じる。製造された19台の「W8」のうち、3人乗りモデルは1台も存在しない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">634馬力の6.0リッターV8エンジン</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「W8ツインターボ」の始動は、特に目立ったところはない。「W2」は数字の組み合わせで始動させる必要があったが、W8では通常のキーを差し込むだけで、横置きV8エンジンを目覚めさせることができる。私はこの車について、ここまであえて性能データを伏せてきた。なぜなら、スーパースポーツカーは数字だけで評価されがちだと感じているからだ。とはいえ、「W8ツインターボ」の場合、その数値は今日でもなお印象的だ。ドライサンプ潤滑方式を採用したこの6.0リッターV8エンジンは、基本構造としてはシボレーのスモールブロックを基にしており、IMSAのスペシャリストであるロデック社によって、アルミ製ピストン、電子制御燃料噴射、ダイレクトイグニッションなど、大規模な改造が施されている。2基のギャレット製ターボチャージャーのおかげで、出力は634馬力に達する。さらに印象的なのは854Nmという最大トルクだが、これには少なからぬ問題も伴っていた。1980年代末当時、この力に耐えられるマニュアルトランスミッションは存在しなかったからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>こうした背景から、「W8ツインターボ」にオートマチックトランスミッションを搭載することは避けられなかった。ヴィーガートは、大規模な改造が施されたGM製の「ターボ ハイドラマチック425」トランスミッションを採用した。最大の問題は、このトランスミッションがわずか3速（！）しかなく、しかも各ギアのギア比が極端に長く設定されている点だった。そのため、ベクター社は0-100km/h加速時間を3.9秒から4.3秒と公表し、最高速度は350km/h以上と約束した。一部の報道では389km/hという数値さえ言及されている。しかし、当時の数少ないテストにおいて、「W8」がこれらの数値を達成することは決してなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68216,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-6191x4132-06c864792cf783f3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-68216"/><figcaption class="wp-element-caption">角張ったデザインが最大の魅力だ。車全体が、まるで定規で描かれたかのような印象を与える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これらの数値は、今日のスイスの道路では試すつもりもない。むしろ私が求めているのは、ベクターを運転できるという体験そのものだ - そしてそれは、ギアを入れる瞬間から始まっている。センタートンネルがないため、シフトレバーは左側のサイドシルに移されている。そのレバーはまるで飛行機のスラストレバーのようで、まず上へ、そして後ろへと、かなりの力強さで引かなければならない。1速に入れ、ブレーキから足を離すと、信じられない気持ちになる。なんと、私は超希少な「ベクターW8ツインターボ」を運転しているのだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">登録？難しい！</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ディスプレイを見ると、この車はこれまでわずか2,247km、換算すると123運転時間しか走っていないことがわかる。これは、スイスではあらゆる努力にもかかわらず、「W8」が公式な登録を取得できていないことも一因だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ガレージナンバー」（仮ナンバーに相当する）のおかげで、私はそれでも「W8」を公道で走らせることができた。すぐに気づいたのは、ステアリングの操作が驚くほど軽いことだ。さらに、フロントアクスルからゴロゴロという音が響く。それ以外は、「W8」の走り方はまずまず穏やかだ。もちろん、ギア比は極端に長く設定されているため、フレディは出発前に、レバーを使って自分でギアチェンジをするようアドバイスしてくれた。少し慣れれば、それもかなりうまくいく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68214,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3059-5304x3528-b647eb38aa107f07-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-68214"/><figcaption class="wp-element-caption">3速オートマチックトランスミッションのシフトレバーはドアシルに配置されており、力強く操作する必要がある。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンジンが暖まったところで、初めてアクセルを踏んでみると驚いた。600馬力以上、800Nmのトルクがあるとは思えない走りだ。もちろんオートマチックがかなりのパワーを吸収しているのは確かだが、直感的には300～400馬力が後輪に伝わっているように感じる。後でフレディが説明してくれたところによれば、「W8」は熱問題で悪名高いことから、意図的に過給圧を下げていたのだという。これは、V8エンジンが私の背後に横置きで搭載されており、インタークーラーが助手席側に極めて不都合な位置に配置されていることに起因している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">コックピット内は熱くなる</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、ハンドルを握っている間、体感されるパワーについて考える余裕はそれほどない。というのも、私には全く別の問題があったからだ。コックピット内は、すでにかなり暑くなっていた。事前に、この車は博物館の展示室に何ヶ月も置かれていることが多かったため、エアコンの冷媒が補充されていないと聞いていた。その時点では知らなかったが、窓が開かないのだ。そもそも上部の窓はごく一部しか開かない。しかし、このシステムは（ベクターらしいことに）負圧式で動作するため、もはや機能していない。ガラスルーフも開くことはできず、丸ごと取り外すしかない。私にとって、これは「新鮮な空気なし」を意味する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最初は大したことないように聞こえるかもしれないが、30分以上走ると、徐々に深刻な状況になってきた。28度の暑い日に、ガラス張りの車内と背後に位置する大排気量のV8エンジンの組み合わせにより、額から汗が滝のように流れ落ちている。休憩が必要だ - そして水も。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">スペアパーツは存在しない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>V8エンジンをじっくりと観察する時間だ。ボンネットを開けると、スペースが1センチたりとも無駄にされていないエンジンルームが目に飛び込んできた。フレディは、この「W8」を走らせるためにどのような改造が必要だったかを説明してくれた。電子機器一式に加え、法外な値段の純正部品の多くが、より安価でありながら同等の機能を持つパーツに交換されていた。一例を挙げると、かつて100ドル（約1万6千円）以上もした航空宇宙用のホースクランプだ。今では5ユーロ（約940円）の部品で代用できる。このような例は数多くあり、スペアパーツを探す際には創意工夫が必要だ。結局のところ、純正のミシュランXGTプラスタイヤ（255/45 ZR 16および315/40 ZR 16）でさえ、もはや入手不可能になっているのだから・・・。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":68217,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Vector-W8-Twin-Turbo-3061-8167x5456-1829106b7304b34b-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-68217"/><figcaption class="wp-element-caption">ベクターW8ツインターボは、私が子供の頃から抱いていた自動車への夢の一つだ - まさか自分がW8を運転することになるとは、夢にも思わなかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ひとまず一息つき、「W8ツインターボ」での2回目の走行に備えた。今回もその楽しみは束の間だった。突然の雨で、「W8」を十分に試すことができなかったからだ。それでも、このおかげで、「ボーイング747」から流用されたというワイパーを試すことができた。試乗の終わり頃には雨が上がり、もう一度アクセルを踏み込んだ。ミスファイアによるものだけではないが、そのサウンドは圧巻だ。とはいえ、この車はそれほど速いわけではない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">現在のW8ツインターボの価値はこれほど</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「オートバウ エルブニスヴェルト」の敷地に戻ったとき、私の心境は複雑だった。一方で、車から降りられることに安堵していた。というのも、現在50万～80万ユーロ（約9,400～1億5千万円）の価値があるという「W8」での走行は、肉体的に過酷だったからだ。一方で、運転体験は想像していたほど壮観ではなかった。「ベクターW8ツインターボ」の魅力は、その信じられないほどの外観と数え切れないほどのディテールにある。だからこそ、ベクターに熱狂的なファン層が存在するのも不思議ではない。フレディが「W8を見るためだけに『オートバウ エルブニスヴェルト』を訪れる来場者もいる」と語っていたのも納得だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>再び一息つく間、私はこの黒いUFOの周りをゆっくりと回り、細部の一つひとつを目に焼き付けながら、そのデザインと、このような車を現実のものにした勇気に、今なお言葉を失っている。ジェラルド ジェリー ヴィーガートとそのビジョンに、心の底から脱帽する。「ベクターW8ツインターボ」は、今も昔も変わらず、私の自動車に関する子供の頃の夢の一つだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>これまで数多くの素晴らしい車を運転してきたが、「ベクターW8ツインターボ」はそれらすべてを凌駕している。その外観、細部へのこだわり、そして希少性は比類のないものであり、やや物足りない走行性能を補って余りある。私の目には、「ベクターW8ツインターボ」は、その価値に見合う評価をこれまで一度も得ていないように思える！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: Jan Götze</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>スーパーカーイベント参加記（後編）【ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年】「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」</title>
		<link>https://autobild.jp/67673/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 22 May 2026 23:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イベント記事]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[F40]]></category>
		<category><![CDATA[KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026]]></category>
		<category><![CDATA[カウンタック]]></category>
		<category><![CDATA[スーパーカー]]></category>
		<category><![CDATA[フェラーリ]]></category>
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		<category><![CDATA[ランボルギーニ]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ ミウラ60周年]]></category>
		<category><![CDATA[京都]]></category>
		<category><![CDATA[北野天満宮]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年4月26日（日）、京都の「北野天満宮」で開催された「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」にフェラーリF40で参加した友人と一緒に参加したのでその様子を報告する。今回は２回の連載のうちの後編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮と牛</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当日も宮司さんから北野天満宮と牛との関係の説明があったが、少し深掘りし、京都北野天満宮と牛との関係についてまとめてみた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>・天神さまこと菅原道真公（菅公）が承和12年（845年）の乙丑（きのとうし）の丑年生まれで、亡くなったのも延喜3年（903年)の丑の日であったと伝えられている。人生の始まりと終わりが「牛」にまつわる日であったことから、神使（神様のお使い）として崇められるようになった。<br>・延喜3年（903年）菅公が大宰府で生涯を閉じた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言があり、御遺骸を轜車（牛車）で運ぶ途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したというもの。その場所が、安楽寺であり今の太宰府天満宮になったと言われている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67674,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8584-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-67674"/><figcaption class="wp-element-caption">北野天満宮の表参道にある「なで牛」。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニのエンブレムもファイティングブル（闘牛）であり、10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時にも宮司さんから聞いた、北野天満宮とランボルギーニが牛で共通している話を思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">西川淳氏</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>会場で私が写真を撮っている時、近くに西川淳氏が居たので、ご挨拶させて頂いた。実は私は西川淳氏の記事は昔から色んな雑誌で読んでいたが、2018年8月に元トヨタ博物館学芸員の山田耕二氏に誘われ、名古屋でディナーを西川淳氏とご一緒させて頂いたのがきっかけで、その後色々なイベントでご挨拶させて頂いていた。今回、私の近況と４月からライターになったことを報告。そしてこのイベントを記事にさせて頂いても良いか？相談すると「是非是非、お願いいたします！喜んで！」と快諾いただいた。その結果がこの記事である。西川淳氏に心から感謝申し上げる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67675,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8677-1024x756.jpg" alt="" class="wp-image-67675"/><figcaption class="wp-element-caption">西川淳氏（右）と筆者（左）。筆者が着ている黒のポロシャツは以前イタリアのランボルギーニ本社で購入したもの（ランボルギーニのマーク付）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">和太鼓演奏</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>昼過ぎから、文道会館前で神若会北野天神太鼓会による和太鼓演奏が始まった。10年前に比べ今回は演奏時間も長く、若い女性も多かったが、その女性達がその後の交通安全啓発パレードのボランティアを努めていた姿がとても印象的であった。まさに文化だと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67676,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8684-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67676"/><figcaption class="wp-element-caption">文道会館前での神若会北野天神太鼓会による和太鼓演奏。若い女性が多かったのが印象的。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">交通安全啓発パレード</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>和太鼓演奏が終わるとそのまま閉会式に。西川淳氏の挨拶の時「パレード参加車には、展示中にフロントガラスに目印を貼っておきました」とアナウンス。友人と一緒にF40に戻るとフロントガラスにその目印がなかったので、急いでクルマに乗る必要が無くなりホット一安心（笑）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>閉会式が終わると、京都府警察上京警察署の協力の下、参加車約20台による交通安全啓発パレードが始まった。急いでパレードのクルマが通る北野天満宮の東側出口に向かうと、辺りは既に物凄い人だかりで皆スマホやカメラを持っている。そして白のミウラP400Sを先頭にパレードが始まった。私も出口近くで撮影しようと場所を確保したが、北野天満宮の東側道路の両側には、人の列が遥か向こうまで見える。100m以上先の北野天満宮入口の信号まで続いていたのではないか。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時は、実はミウラP400Sの助手席で同じ場所を走ったが、その時に比べ、辺りの見学者は間違いなく3倍以上に増えている感じで物凄い人であった。よく見ると家族連れやスマホで撮影している子供達が沢山いたのが印象的だった。私も小学校５年生の４９年前、カメラ片手にスーパーカーショーに行ったのを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回のイベントは展示しているだけではなく、最後は自走で動く姿や生のエンジン音も聞けるので、当時のスーパーカーショー以上の規模と迫力で、間違いなく現代一の「スーパーカーショー」だと改めて感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてもう一つ。今回集まったのは全て貴重なクルマ達であったが、写真をご覧の様に、クルマの周りには「柵」などはほとんどなく、カウルを開けたミウラの光景の様に、見学者がクルマを間近で見ることができた。これは国内のイベントでは中々見られない光景で、オーナー全員と主催者の西川淳氏の理解が無ければ成立しなかったと思う。加えて今回、最後まで参加者や見学者が安全にイベントを楽しめたのは、西川淳氏をはじめ北野天満宮、京都府警察、ボランディアの皆様、そして参加したオーナーとスーパーカー達のお陰である。心から感謝申し上げたい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67677,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8701-のコピー-1024x631.jpg" alt="" class="wp-image-67677"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラを先頭にパレートが開始。両側に人の壁が続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67678,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8705-1024x560.jpg" alt="" class="wp-image-67678"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラが北野天満宮を後にする様子を殆どの人達が撮影している。京都府警察とボランティアスタッフの誘導がパレードを支える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67679,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8708-1024x488.jpg" alt="" class="wp-image-67679"/><figcaption class="wp-element-caption">V12の排気音を轟かせながら走り去るミウラ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">最後の挨拶</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パレードの参加車両が北野天満宮を退出した後、友人のF40に乗り込んだ。その直後、しばらく北野天満宮の東側出口まで退出のクルマの渋滞の列ができたが、その時、前方から主催者の西川淳氏が１台１台、運転席のオーナーに挨拶をしているのが見えた。やがて我々のクルマにも西川淳氏がやって来て「今日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください」と最後の挨拶。全ての参加車両に挨拶している姿を見て、「さすが」と思わずにいられないシーンであった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">そして帰路へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>北野天満宮を後にして京都市街を抜け、名神高速の京都東インターを目指す。途中の京都市街では、今回の参加車両のダラーラと並走する場面もあったが、国道１号線の渋滞に巻き込まれながらも、そのまま京都東インターから名神高速、新名神高速を東に走り、三重県の某パーキングエリアで小休止。その後、今日一緒に行った友人達のクルマが少しずつ集合して来た。そしてテーブルに座りながら最終的に7人でのクルマ談義が始まってしまった（笑）。結局小休止と言いながら30分以上クルマ談義を楽しんだところで、今日は解散に。F40の助手席に乗り友人のガレージに到着したのは夕方６時を少しまわった頃であった。誘ってくれた友人のお陰で、今日一日大変貴重な時間を過ごすことができた。最後に友人とフェラーリF40に感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67680,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8726-1024x689.jpg" alt="" class="wp-image-67680"/><figcaption class="wp-element-caption">帰路の途中パーキングエリアに並んだ友人達のクルマ。ここで解散し各自無事に帰宅。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトギャラリー：KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026【後編】</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67686,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8672-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-67686"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニ・カウンタック４台の縦列。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67681,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8655-1024x791.jpg" alt="" class="wp-image-67681"/><figcaption class="wp-element-caption">多くのフェラーリが並ぶ。手前３台はフェラーリ308系。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67682,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8666-1024x704.jpg" alt="" class="wp-image-67682"/><figcaption class="wp-element-caption">手前２台はフェラーリF355。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67683,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8668-1024x829.jpg" alt="" class="wp-image-67683"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前はフェラーリ・モンディアルT。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67684,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8669-1024x567.jpg" alt="" class="wp-image-67684"/><figcaption class="wp-element-caption">多くのフェラーリが並ぶ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67685,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8671-1024x689.jpg" alt="" class="wp-image-67685"/><figcaption class="wp-element-caption">太陽の光に黄色が眩しい。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67687,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8710-1024x555.jpg" alt="" class="wp-image-67687"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全啓発パレードに向け北野天満宮を後にするミウラP400S。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67688,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8711-1024x644.jpg" alt="" class="wp-image-67688"/><figcaption class="wp-element-caption">道の両側には北野天満宮の入口の信号まで人の壁が続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67689,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8717-1024x623.jpg" alt="" class="wp-image-67689"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全啓発パレードに向け北野天満宮を後にするランボルギーニ・カウンタックLP400S。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67690,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8719-1024x602.jpg" alt="" class="wp-image-67690"/><figcaption class="wp-element-caption">前方のランボルギーニ・カウンタック5000クアトロバルボーレに続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph {"style":{"color":{"background":"#edecec"}}} -->
<p class="has-background" style="background-color:#edecec"><strong>スーパーカーイベント参加記（前編）：<a href="https://autobild.jp/67609/">https://autobild.jp/67609/</a></strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年4月26日（日）、京都の「北野天満宮」で開催された「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」にフェラーリF40で参加した友人と一緒に参加したのでその様子を報告する。今回は２回の連載のうちの後編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮と牛</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当日も宮司さんから北野天満宮と牛との関係の説明があったが、少し深掘りし、京都北野天満宮と牛との関係についてまとめてみた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>・天神さまこと菅原道真公（菅公）が承和12年（845年）の乙丑（きのとうし）の丑年生まれで、亡くなったのも延喜3年（903年)の丑の日であったと伝えられている。人生の始まりと終わりが「牛」にまつわる日であったことから、神使（神様のお使い）として崇められるようになった。<br>・延喜3年（903年）菅公が大宰府で生涯を閉じた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言があり、御遺骸を轜車（牛車）で運ぶ途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したというもの。その場所が、安楽寺であり今の太宰府天満宮になったと言われている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67674,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8584-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-67674"/><figcaption class="wp-element-caption">北野天満宮の表参道にある「なで牛」。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ランボルギーニのエンブレムもファイティングブル（闘牛）であり、10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時にも宮司さんから聞いた、北野天満宮とランボルギーニが牛で共通している話を思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">西川淳氏</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>会場で私が写真を撮っている時、近くに西川淳氏が居たので、ご挨拶させて頂いた。実は私は西川淳氏の記事は昔から色んな雑誌で読んでいたが、2018年8月に元トヨタ博物館学芸員の山田耕二氏に誘われ、名古屋でディナーを西川淳氏とご一緒させて頂いたのがきっかけで、その後色々なイベントでご挨拶させて頂いていた。今回、私の近況と４月からライターになったことを報告。そしてこのイベントを記事にさせて頂いても良いか？相談すると「是非是非、お願いいたします！喜んで！」と快諾いただいた。その結果がこの記事である。西川淳氏に心から感謝申し上げる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67675,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8677-1024x756.jpg" alt="" class="wp-image-67675"/><figcaption class="wp-element-caption">西川淳氏（右）と筆者（左）。筆者が着ている黒のポロシャツは以前イタリアのランボルギーニ本社で購入したもの（ランボルギーニのマーク付）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">和太鼓演奏</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>昼過ぎから、文道会館前で神若会北野天神太鼓会による和太鼓演奏が始まった。10年前に比べ今回は演奏時間も長く、若い女性も多かったが、その女性達がその後の交通安全啓発パレードのボランティアを努めていた姿がとても印象的であった。まさに文化だと感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67676,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8684-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67676"/><figcaption class="wp-element-caption">文道会館前での神若会北野天神太鼓会による和太鼓演奏。若い女性が多かったのが印象的。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">交通安全啓発パレード</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>和太鼓演奏が終わるとそのまま閉会式に。西川淳氏の挨拶の時「パレード参加車には、展示中にフロントガラスに目印を貼っておきました」とアナウンス。友人と一緒にF40に戻るとフロントガラスにその目印がなかったので、急いでクルマに乗る必要が無くなりホット一安心（笑）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>閉会式が終わると、京都府警察上京警察署の協力の下、参加車約20台による交通安全啓発パレードが始まった。急いでパレードのクルマが通る北野天満宮の東側出口に向かうと、辺りは既に物凄い人だかりで皆スマホやカメラを持っている。そして白のミウラP400Sを先頭にパレードが始まった。私も出口近くで撮影しようと場所を確保したが、北野天満宮の東側道路の両側には、人の列が遥か向こうまで見える。100m以上先の北野天満宮入口の信号まで続いていたのではないか。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時は、実はミウラP400Sの助手席で同じ場所を走ったが、その時に比べ、辺りの見学者は間違いなく3倍以上に増えている感じで物凄い人であった。よく見ると家族連れやスマホで撮影している子供達が沢山いたのが印象的だった。私も小学校５年生の４９年前、カメラ片手にスーパーカーショーに行ったのを思い出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今回のイベントは展示しているだけではなく、最後は自走で動く姿や生のエンジン音も聞けるので、当時のスーパーカーショー以上の規模と迫力で、間違いなく現代一の「スーパーカーショー」だと改めて感じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そしてもう一つ。今回集まったのは全て貴重なクルマ達であったが、写真をご覧の様に、クルマの周りには「柵」などはほとんどなく、カウルを開けたミウラの光景の様に、見学者がクルマを間近で見ることができた。これは国内のイベントでは中々見られない光景で、オーナー全員と主催者の西川淳氏の理解が無ければ成立しなかったと思う。加えて今回、最後まで参加者や見学者が安全にイベントを楽しめたのは、西川淳氏をはじめ北野天満宮、京都府警察、ボランディアの皆様、そして参加したオーナーとスーパーカー達のお陰である。心から感謝申し上げたい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67677,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8701-のコピー-1024x631.jpg" alt="" class="wp-image-67677"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラを先頭にパレートが開始。両側に人の壁が続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67678,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8705-1024x560.jpg" alt="" class="wp-image-67678"/><figcaption class="wp-element-caption">ミウラが北野天満宮を後にする様子を殆どの人達が撮影している。京都府警察とボランティアスタッフの誘導がパレードを支える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67679,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8708-1024x488.jpg" alt="" class="wp-image-67679"/><figcaption class="wp-element-caption">V12の排気音を轟かせながら走り去るミウラ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">最後の挨拶</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パレードの参加車両が北野天満宮を退出した後、友人のF40に乗り込んだ。その直後、しばらく北野天満宮の東側出口まで退出のクルマの渋滞の列ができたが、その時、前方から主催者の西川淳氏が１台１台、運転席のオーナーに挨拶をしているのが見えた。やがて我々のクルマにも西川淳氏がやって来て「今日はありがとうございました。お気をつけてお帰りください」と最後の挨拶。全ての参加車両に挨拶している姿を見て、「さすが」と思わずにいられないシーンであった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">そして帰路へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>北野天満宮を後にして京都市街を抜け、名神高速の京都東インターを目指す。途中の京都市街では、今回の参加車両のダラーラと並走する場面もあったが、国道１号線の渋滞に巻き込まれながらも、そのまま京都東インターから名神高速、新名神高速を東に走り、三重県の某パーキングエリアで小休止。その後、今日一緒に行った友人達のクルマが少しずつ集合して来た。そしてテーブルに座りながら最終的に7人でのクルマ談義が始まってしまった（笑）。結局小休止と言いながら30分以上クルマ談義を楽しんだところで、今日は解散に。F40の助手席に乗り友人のガレージに到着したのは夕方６時を少しまわった頃であった。誘ってくれた友人のお陰で、今日一日大変貴重な時間を過ごすことができた。最後に友人とフェラーリF40に感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67680,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8726-1024x689.jpg" alt="" class="wp-image-67680"/><figcaption class="wp-element-caption">帰路の途中パーキングエリアに並んだ友人達のクルマ。ここで解散し各自無事に帰宅。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フォトギャラリー：KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026【後編】</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67686,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8672-1024x678.jpg" alt="" class="wp-image-67686"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニ・カウンタック４台の縦列。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67681,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8655-1024x791.jpg" alt="" class="wp-image-67681"/><figcaption class="wp-element-caption">多くのフェラーリが並ぶ。手前３台はフェラーリ308系。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67682,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8666-1024x704.jpg" alt="" class="wp-image-67682"/><figcaption class="wp-element-caption">手前２台はフェラーリF355。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67683,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8668-1024x829.jpg" alt="" class="wp-image-67683"/><figcaption class="wp-element-caption">一番手前はフェラーリ・モンディアルT。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67684,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8669-1024x567.jpg" alt="" class="wp-image-67684"/><figcaption class="wp-element-caption">多くのフェラーリが並ぶ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67685,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8671-1024x689.jpg" alt="" class="wp-image-67685"/><figcaption class="wp-element-caption">太陽の光に黄色が眩しい。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67687,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8710-1024x555.jpg" alt="" class="wp-image-67687"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全啓発パレードに向け北野天満宮を後にするミウラP400S。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67688,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8711-1024x644.jpg" alt="" class="wp-image-67688"/><figcaption class="wp-element-caption">道の両側には北野天満宮の入口の信号まで人の壁が続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67689,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8717-1024x623.jpg" alt="" class="wp-image-67689"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全啓発パレードに向け北野天満宮を後にするランボルギーニ・カウンタックLP400S。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67690,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8719-1024x602.jpg" alt="" class="wp-image-67690"/><figcaption class="wp-element-caption">前方のランボルギーニ・カウンタック5000クアトロバルボーレに続く。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph {"style":{"color":{"background":"#edecec"}}} -->
<p class="has-background" style="background-color:#edecec"><strong>スーパーカーイベント参加記（前編）：<a href="https://autobild.jp/67609/">https://autobild.jp/67609/</a></strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text &amp; photo: 有賀英雄</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>スーパーカーイベント参加記（前編）【ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年】「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」</title>
		<link>https://autobild.jp/67609/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 19 May 2026 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イベント記事]]></category>
		<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026]]></category>
		<category><![CDATA[Lamborghini Miura]]></category>
		<category><![CDATA[スーパーカー]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ・ミウラ]]></category>
		<category><![CDATA[ランボルギーニ・ミウラ誕生60周年]]></category>
		<category><![CDATA[京都]]></category>
		<category><![CDATA[北野天満宮]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=67609</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年4月26日（日）、京都の「北野天満宮」で開催された「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」にフェラーリF40で参加した友人と一緒に参加したのでその様子を報告する。今回は２回の連載のうちの前編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>京都の北野天満宮は、菅原道真公（菅公）を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古来から「北野の天神さま」と親しまれ、入試合格・学業成就・文化芸能・災難厄除祈願のお社として幅広く信仰されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF40</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>数ヶ月前にフェラーリF40（以下F40）の友人から「参加するので一緒に行きませんか？」とオファーを頂き、当日は雨ではなかったので一緒に行ける事に。実は私は10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時に友人のランボルギーニ・ミウラの助手席で北野天満宮に行ったことがあり、早いものであれから10年が経った。今回は朝５時に友人のF40のガレージで待ち合わせることに。自宅を出る時は空はほぼ真っ暗であったが、友人のガレージに着いた時には、うっすら明るくなっていた。早速ガレージのシャッターが開き、F40のエンジンが掛かる。勇ましいアイドリングが始まるが、意外と早くアイドル回転数が２段階で下がってくるのがエンジン音で分かった。友人はF40を一旦ガレージから出し、エンジンを切る。クルマが保管されていた床にオイルや水の跡がないことをチェック。次にリヤカウルを開けるのだが、見た目よりも意外と重く2人で一緒に持ち上げる。私1人では持ち上げられない重さと感じた。リヤカウルを開けると、友人はエンジンルーム右奥にあるオイルタンクのオイル量をチェック。タンクの蓋から伸びるオイルレベルゲージが思ったよりも長い事に気がついた。ドライサンプなのでオイル量も多そうだ。次にエンジンルーム左奥の冷却水タンクの水量も確認。そして最後にライトでエンジンルーム内を照らし異常がないことをチェック。ここまでの一連の作業が素早く、手慣れているのがよく分かったが、やはり普通のクルマではないことも伝わってくる。助手席に乗り込む為にドアを開ける。実はF40のドアの重さは見た目以上に軽く、いつも開ける度にその軽さに感心する。軽量化が実感できる瞬間だ。その後ガレージを後にして三重県の某パーキングエリアを目指す。ここで今日一緒に行く友人の仲間達と合流予定なのだ。私はF40の助手席は今回で４回目であるが、意外と乗り心地は良く、路面からの突き上げは悪くない。そして時々、ボディの骨格がカーボンで出来ているのを感じる瞬間がある。但し、室内の音は大きく会話をするには、運転手に近づいて大きな声で話す必要がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67611,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8488-1024x634.jpg" alt="" class="wp-image-67611"/><figcaption class="wp-element-caption">伊勢湾岸自動車道を走行中のフェラーリF40。小さな助手席のサイドミラーにはサイドダクトとリヤウイングと朝の太陽が映る。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>助手席からサイドミラーを見るとF40のデザインの特徴であるサイドダクトとリヤウイングが映っている。サイドミラーは現代の基準からするとかなりコンパクトである（逆に最近のクルマが大き過ぎると感じた。法規もあるが）。私は以前トヨタ自動車の実験部で新型車の開発も経験していたので、このミラーのサイズを見た時、当時のフェラーリは最高速度315km/hを目指す為に空力の損失を少しでも減らそうとミラーの面積を極力小さくしたのだろう、と勝手に考えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>待ち合わせの三重県の某パーキングエリアに到着後、空はすっかり明るくなっていた。次々に仲間のクルマが集まり、油断するとクルマ談義が始まってしまうのだが、８時集合に間に合う様に、楽しいクルマ談義はそこそこに、皆んな揃って京都の北野天満宮を目指し走り出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67612,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8493-1024x697.jpg" alt="" class="wp-image-67612"/><figcaption class="wp-element-caption">助手席で北野天満宮まで往復した友人のフェラーリF40。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナビに従い名神高速の京都東インターで降り、国道１号線から京都市街に入り北西に走る。日曜日の朝のせいか京都の街の流れはスムーズで、朝７時半に北野天満宮に到着した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67613,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8501-1024x726.jpg" alt="" class="wp-image-67613"/><figcaption class="wp-element-caption">朝7時半に北野天満宮に到着。薄い緑のウエアを着たボランティアスタッフが見える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>会場の北野天満宮の駐車場に着くと、薄い緑のウエアを着たスタッフの誘導に従い、クルマに乗ったまま受付を済ます。エントリーパスとリストバンドを受け取り、再び誘導に従いF40はフェラーリF50の横に誘導された。絶好の撮影スポットである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67614,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8504-1024x740.jpg" alt="" class="wp-image-67614"/><figcaption class="wp-element-caption">フェラーリF40（左）とフェラーリF50（右）のツーショット。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>周りの人々からスマホやカメラを向けられている中をF40の助手席から降りる。会場の駐車場の日陰のせいか、意外と冷んやりと感じた。会場の奥に進むと早速今回の「主役」のランボルギーニ・ミウラ（以下ミウラ）が２台並んでいた。未だ人が少ない時間だったので早速２台を撮影。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67615,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8506-1024x630.jpg" alt="" class="wp-image-67615"/><figcaption class="wp-element-caption">朝8時前に既にミウラが2台並んでいた。この時はまだ人は少ない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実は２台共知人のクルマであったが、丁度クルマの近くに茶色のミウラのオーナーが居たので早速ご挨拶。私の近況報告も含め久々に話をしていると、会場に続々と参加車両が入って来た。良く見ると全く同じモデルが被っていないことに気が付いた。今回は約80台のクルマが集合したそうだが、モデル違いはあるが全く同じクルマが被らない様に事務局や関係者が事前に調整した様で、やはり今回のイベントも裏方の皆さんに支えられている、と実感した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67616,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8515-1024x725.jpg" alt="" class="wp-image-67616"/><figcaption class="wp-element-caption">参加車両が続々入ってくる。右はランボルギーニ・カウンタック5000クアトロバルボーレ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67617,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8519-1024x706.jpg" alt="" class="wp-image-67617"/><figcaption class="wp-element-caption">ボランティアスタッフから駐車場所の説明を受けるランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">開会式</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>９時頃から文道会館前で開会式がスタート。多くのオーナーや関係者が集まる中、会場の境内の砂利の上に白のミウラP400Sが一台置かれており、その横で主催者の西川淳氏の挨拶が始まった。「ミウラ誕生60周年」を祝うイベントの開会式の横でのミウラの展示は、大いに納得できる演出であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67618,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8528-1024x672.jpg" alt="" class="wp-image-67618"/><figcaption class="wp-element-caption">文道会館前で開会式の挨拶をする主催者の西川淳氏。その隣はミウラP400S。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67619,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8533-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-67619"/><figcaption class="wp-element-caption">多くの参加者が集まる中、文道会館前で開会式の挨拶をする北野天満宮の宮司さん。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">交通安全祈願</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開会式の後、オーナーや関係者一行は三光門を通り国宝の御本殿での交通安全祈願に臨んだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67620,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8539-1024x865.jpg" alt="" class="wp-image-67620"/><figcaption class="wp-element-caption">北野天満宮の三光門。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67621,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8542-1024x752.jpg" alt="" class="wp-image-67621"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全祈願が行われた国宝の北野天満宮の御本殿。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67622,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8544-1024x617.jpg" alt="" class="wp-image-67622"/><figcaption class="wp-element-caption">西川淳氏が祈願の代表を務め、参加者全員で交通安全祈願に臨む。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>御本殿では参加者全員が座り、西川淳氏が代表し起立した状態で交通安全祈願を行った。交通安全祈願終了後、下駄箱で靴を履き、車両の展示場所に戻る途中、偶然ミウラP400SV（以下ミウラSV）のオーナーが私の横を歩いていた。実は丁度２週間前、私は奈良県の薬師寺で開催された「コンコルソ　デレガンツァ ジャパン 2026」にボランティアで参加しており、その時私の友人からこのミウラSVのオーナーを紹介して頂いたばかりであった。歩きながらミウラSVのオーナーにご挨拶させて頂くと、薬師寺の時のことを覚えてくれていたので、これだけでもとても嬉しい瞬間であった。実は私は1977年のスーパーカーブームの時からミウラが一番好きだったので、学生時代から洋書や資料を集めては勉強していたのだが、この時ミウラSVのオーナーからこんな貴重なお話を伺った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「ランボルギーニ&amp;デザイン・コンクール・デレガンス」の「Best of Show」受賞のミウラSV</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オーナー曰く「私のSVはP400SからSVに切り替わった時のファーストロット5台のうちの１台で、1台はランボルギーニのクルマになったので、私のクルマがSVの市販1号車です。実は当時フロントカウルはP400Sの「まつげ」有り仕様しか無かったので、SVだと「まつげ」が無い分、フロントランプの上下に「まつげ」部分の空間が空いてしまうので、それを埋めるためにフロントランプの上下に「黒い板」が付いているんです。その後のSVは、SV専用のフロントカウルになったのでこの「黒い板」は無くなりました」。実は私は昔から、SVなのに何故フロントランプ周りに「黒い板」の有無仕様の２種類が存在しているのか？気になっており、理由を知らなかったが、この瞬間永年の謎が解けた。そしてオーナーから続けて、「私のミウラSVは2017年にスイスでランボルギーニ社のポロストリコが主催した「ランボルギーニ&amp;デザイン・コンクール・デレガンス」で、大会の最高賞の「Best of Show」を受賞しています」と。要はランボルギーニ社が認めた世界一のランボルギーニ・ミウラである！そのクルマのオーナーから直接話が聞けて、かつそのクルマが今日ここに来ていることに衝撃を受けた。わずか約100mをミウラSVのオーナーと一緒に歩いている時に聞いた話であったが、この日私が一番盛り上がった瞬間であった。ミウラSVのオーナーに大感謝である！！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8688-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>2026年4月26日（日）、京都の「北野天満宮」で開催された「KYOTO スポーツカー＆スーパーカー・ヘリテージ・ギャザリング 北野天満宮 2026」にフェラーリF40で参加した友人と一緒に参加したのでその様子を報告する。今回は２回の連載のうちの前編である。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮とは</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>京都の北野天満宮は、菅原道真公（菅公）を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古来から「北野の天神さま」と親しまれ、入試合格・学業成就・文化芸能・災難厄除祈願のお社として幅広く信仰されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フェラーリF40</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>数ヶ月前にフェラーリF40（以下F40）の友人から「参加するので一緒に行きませんか？」とオファーを頂き、当日は雨ではなかったので一緒に行ける事に。実は私は10年前のミウラ50周年の「ランボルギーニ・ヘリテージ・ギャザリング in 京都」の時に友人のランボルギーニ・ミウラの助手席で北野天満宮に行ったことがあり、早いものであれから10年が経った。今回は朝５時に友人のF40のガレージで待ち合わせることに。自宅を出る時は空はほぼ真っ暗であったが、友人のガレージに着いた時には、うっすら明るくなっていた。早速ガレージのシャッターが開き、F40のエンジンが掛かる。勇ましいアイドリングが始まるが、意外と早くアイドル回転数が２段階で下がってくるのがエンジン音で分かった。友人はF40を一旦ガレージから出し、エンジンを切る。クルマが保管されていた床にオイルや水の跡がないことをチェック。次にリヤカウルを開けるのだが、見た目よりも意外と重く2人で一緒に持ち上げる。私1人では持ち上げられない重さと感じた。リヤカウルを開けると、友人はエンジンルーム右奥にあるオイルタンクのオイル量をチェック。タンクの蓋から伸びるオイルレベルゲージが思ったよりも長い事に気がついた。ドライサンプなのでオイル量も多そうだ。次にエンジンルーム左奥の冷却水タンクの水量も確認。そして最後にライトでエンジンルーム内を照らし異常がないことをチェック。ここまでの一連の作業が素早く、手慣れているのがよく分かったが、やはり普通のクルマではないことも伝わってくる。助手席に乗り込む為にドアを開ける。実はF40のドアの重さは見た目以上に軽く、いつも開ける度にその軽さに感心する。軽量化が実感できる瞬間だ。その後ガレージを後にして三重県の某パーキングエリアを目指す。ここで今日一緒に行く友人の仲間達と合流予定なのだ。私はF40の助手席は今回で４回目であるが、意外と乗り心地は良く、路面からの突き上げは悪くない。そして時々、ボディの骨格がカーボンで出来ているのを感じる瞬間がある。但し、室内の音は大きく会話をするには、運転手に近づいて大きな声で話す必要がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67611,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8488-1024x634.jpg" alt="" class="wp-image-67611"/><figcaption class="wp-element-caption">伊勢湾岸自動車道を走行中のフェラーリF40。小さな助手席のサイドミラーにはサイドダクトとリヤウイングと朝の太陽が映る。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>助手席からサイドミラーを見るとF40のデザインの特徴であるサイドダクトとリヤウイングが映っている。サイドミラーは現代の基準からするとかなりコンパクトである（逆に最近のクルマが大き過ぎると感じた。法規もあるが）。私は以前トヨタ自動車の実験部で新型車の開発も経験していたので、このミラーのサイズを見た時、当時のフェラーリは最高速度315km/hを目指す為に空力の損失を少しでも減らそうとミラーの面積を極力小さくしたのだろう、と勝手に考えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮へ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>待ち合わせの三重県の某パーキングエリアに到着後、空はすっかり明るくなっていた。次々に仲間のクルマが集まり、油断するとクルマ談義が始まってしまうのだが、８時集合に間に合う様に、楽しいクルマ談義はそこそこに、皆んな揃って京都の北野天満宮を目指し走り出した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67612,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8493-1024x697.jpg" alt="" class="wp-image-67612"/><figcaption class="wp-element-caption">助手席で北野天満宮まで往復した友人のフェラーリF40。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナビに従い名神高速の京都東インターで降り、国道１号線から京都市街に入り北西に走る。日曜日の朝のせいか京都の街の流れはスムーズで、朝７時半に北野天満宮に到着した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">北野天満宮</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67613,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8501-1024x726.jpg" alt="" class="wp-image-67613"/><figcaption class="wp-element-caption">朝7時半に北野天満宮に到着。薄い緑のウエアを着たボランティアスタッフが見える。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>会場の北野天満宮の駐車場に着くと、薄い緑のウエアを着たスタッフの誘導に従い、クルマに乗ったまま受付を済ます。エントリーパスとリストバンドを受け取り、再び誘導に従いF40はフェラーリF50の横に誘導された。絶好の撮影スポットである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67614,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8504-1024x740.jpg" alt="" class="wp-image-67614"/><figcaption class="wp-element-caption">フェラーリF40（左）とフェラーリF50（右）のツーショット。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>周りの人々からスマホやカメラを向けられている中をF40の助手席から降りる。会場の駐車場の日陰のせいか、意外と冷んやりと感じた。会場の奥に進むと早速今回の「主役」のランボルギーニ・ミウラ（以下ミウラ）が２台並んでいた。未だ人が少ない時間だったので早速２台を撮影。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67615,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8506-1024x630.jpg" alt="" class="wp-image-67615"/><figcaption class="wp-element-caption">朝8時前に既にミウラが2台並んでいた。この時はまだ人は少ない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実は２台共知人のクルマであったが、丁度クルマの近くに茶色のミウラのオーナーが居たので早速ご挨拶。私の近況報告も含め久々に話をしていると、会場に続々と参加車両が入って来た。良く見ると全く同じモデルが被っていないことに気が付いた。今回は約80台のクルマが集合したそうだが、モデル違いはあるが全く同じクルマが被らない様に事務局や関係者が事前に調整した様で、やはり今回のイベントも裏方の皆さんに支えられている、と実感した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67616,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8515-1024x725.jpg" alt="" class="wp-image-67616"/><figcaption class="wp-element-caption">参加車両が続々入ってくる。右はランボルギーニ・カウンタック5000クアトロバルボーレ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67617,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8519-1024x706.jpg" alt="" class="wp-image-67617"/><figcaption class="wp-element-caption">ボランティアスタッフから駐車場所の説明を受けるランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">開会式</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>９時頃から文道会館前で開会式がスタート。多くのオーナーや関係者が集まる中、会場の境内の砂利の上に白のミウラP400Sが一台置かれており、その横で主催者の西川淳氏の挨拶が始まった。「ミウラ誕生60周年」を祝うイベントの開会式の横でのミウラの展示は、大いに納得できる演出であった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67618,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8528-1024x672.jpg" alt="" class="wp-image-67618"/><figcaption class="wp-element-caption">文道会館前で開会式の挨拶をする主催者の西川淳氏。その隣はミウラP400S。</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67619,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8533-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-67619"/><figcaption class="wp-element-caption">多くの参加者が集まる中、文道会館前で開会式の挨拶をする北野天満宮の宮司さん。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">交通安全祈願</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>開会式の後、オーナーや関係者一行は三光門を通り国宝の御本殿での交通安全祈願に臨んだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8539-1024x865.jpg" alt="" class="wp-image-67620"/><figcaption class="wp-element-caption">北野天満宮の三光門。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8542-1024x752.jpg" alt="" class="wp-image-67621"/><figcaption class="wp-element-caption">交通安全祈願が行われた国宝の北野天満宮の御本殿。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/IMG_8544-1024x617.jpg" alt="" class="wp-image-67622"/><figcaption class="wp-element-caption">西川淳氏が祈願の代表を務め、参加者全員で交通安全祈願に臨む。</figcaption></figure>
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<p>御本殿では参加者全員が座り、西川淳氏が代表し起立した状態で交通安全祈願を行った。交通安全祈願終了後、下駄箱で靴を履き、車両の展示場所に戻る途中、偶然ミウラP400SV（以下ミウラSV）のオーナーが私の横を歩いていた。実は丁度２週間前、私は奈良県の薬師寺で開催された「コンコルソ　デレガンツァ ジャパン 2026」にボランティアで参加しており、その時私の友人からこのミウラSVのオーナーを紹介して頂いたばかりであった。歩きながらミウラSVのオーナーにご挨拶させて頂くと、薬師寺の時のことを覚えてくれていたので、これだけでもとても嬉しい瞬間であった。実は私は1977年のスーパーカーブームの時からミウラが一番好きだったので、学生時代から洋書や資料を集めては勉強していたのだが、この時ミウラSVのオーナーからこんな貴重なお話を伺った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">「ランボルギーニ&amp;デザイン・コンクール・デレガンス」の「Best of Show」受賞のミウラSV</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>オーナー曰く「私のSVはP400SからSVに切り替わった時のファーストロット5台のうちの１台で、1台はランボルギーニのクルマになったので、私のクルマがSVの市販1号車です。実は当時フロントカウルはP400Sの「まつげ」有り仕様しか無かったので、SVだと「まつげ」が無い分、フロントランプの上下に「まつげ」部分の空間が空いてしまうので、それを埋めるためにフロントランプの上下に「黒い板」が付いているんです。その後のSVは、SV専用のフロントカウルになったのでこの「黒い板」は無くなりました」。実は私は昔から、SVなのに何故フロントランプ周りに「黒い板」の有無仕様の２種類が存在しているのか？気になっており、理由を知らなかったが、この瞬間永年の謎が解けた。そしてオーナーから続けて、「私のミウラSVは2017年にスイスでランボルギーニ社のポロストリコが主催した「ランボルギーニ&amp;デザイン・コンクール・デレガンス」で、大会の最高賞の「Best of Show」を受賞しています」と。要はランボルギーニ社が認めた世界一のランボルギーニ・ミウラである！そのクルマのオーナーから直接話が聞けて、かつそのクルマが今日ここに来ていることに衝撃を受けた。わずか約100mをミウラSVのオーナーと一緒に歩いている時に聞いた話であったが、この日私が一番盛り上がった瞬間であった。ミウラSVのオーナーに大感謝である！！</p>
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]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【史上最悪のクラシックカー】この12台のクラシックカーはまさに悪夢だ　ブラックリスト一覧</title>
		<link>https://autobild.jp/67643/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 19 May 2026 00:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[AWSショッパー]]></category>
		<category><![CDATA[VWビートル1600i]]></category>
		<category><![CDATA[アバルト スコルピオーネ1300]]></category>
		<category><![CDATA[オースチン プリンセス2200]]></category>
		<category><![CDATA[クラシックカー]]></category>
		<category><![CDATA[スズキ ビターラX-90]]></category>
		<category><![CDATA[スタッツIVポルテ]]></category>
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		<category><![CDATA[ベンツ パテント モトールヴァーゲン]]></category>
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		<category><![CDATA[メルセデス450SEL 6.9]]></category>
		<category><![CDATA[ランチア ガンマ クーペ]]></category>
		<category><![CDATA[レイルトンF29クラレモント]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=67643</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1104" height="621" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6.jpg 1104w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-768x432.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-696x392.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-1068x601.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-747x420.jpg 747w" sizes="auto, (max-width: 1104px) 100vw, 1104px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>この12台のクラシックカーは、まさに悪夢だ。クラシックカーは必ずしも優秀で、美しく、完璧である必要はない。しかし、ここに登場する12台を維持するには、相当な忍耐力と覚悟が必要となる。AUTO BILDクラシック編集部が選ぶ、“維持することが危険なクラシックカー”を紹介しよう。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クラシックカーの世界には、多少の不便やトラブルさえも楽しみに変えてしまう愛好家が少なくない。だが、今回取り上げるモデルたちは、その域を超えている。頻発する故障、高額な修理費、深刻なパーツ不足など、所有するだけで大きな試練を伴うクルマばかりだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ボリュームのある財布が必要</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もちろん、ここで紹介するモデルがすべて“駄車”というわけではない。魅力的なデザインや歴史的価値を持つ車種も多い。しかし、その一方で、維持や修復には膨大なコストと時間が必要となるケースも少なくない。たとえば「メルセデス450 SEL 6.9」。1970年代を代表する高級サルーンとして知られるが、V8エンジンやハイドロニューマチックサスペンションの整備には莫大な費用がかかる。さらに専用パーツの入手も年々難しくなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":15050,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/オースチン.jpg" alt="" class="wp-image-15050"/><figcaption class="wp-element-caption">愛国心の強いイギリスのマスコミでさえ、オースチン プリンセスを「イギリス最悪の車」と揶揄した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">史上最悪のクラシック12選</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/1_Facel_Vega_HK500_CBO59-71e3eeda2b657f68.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ファセルベガHK500</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ファセルベガHK500</strong><br>クライスラー製V8エンジンを搭載したフランス製高級GT。豪華な内装と圧倒的な存在感を誇る一方で、シャシー性能や整備性には大きな問題を抱えていた。現在ではパーツ確保も極めて困難で、維持には相当な覚悟が必要だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：具体的にどの部分が壊れたり、信頼性に欠けたりしているのか書かれてはいないものの、そりゃファセルベガ買ったら維持費は大変でしょう。昔はスターリング モスやパブロ ピカソといったセレブな人たちの車なのですから、そりゃ維持は大変も大変。ちなみにエンジンはクライスラーのV8だが、さすがにもうじき60年だから、パーツ一つ確保するのも至難の技だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/00028803-d790ac35527602cd.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">AWSショッパー</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>AWSショッパー</strong><br>1970年代の西ドイツで販売された小型車。DIY感覚で組み立てたような独特の構造で知られ、自動車史の珍車として語られることが多い。現存数も少なく、情報不足もあって維持は簡単ではない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：申し訳ありませんでした、私、この車知りませんでした。いろいろ調べてみても、正直よくわかりませんでした。でもものすごく意外なことに、2022年の春、アマゾンで、43分の1のレジン製ミニカー、売ってました。25,000円もするので、びっくりであります。以上。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Stu_IV_Por_aem_01-c48fea9298a37c6b.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">スタッツIVポルテ</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>スタッツIVポルテ</strong><br>過剰な装飾とクラシック風デザインを特徴とするラグジュアリーカー。ピニンファリーナが関与したとは思えないほど独特なスタイルで、現在では強烈な個性を持つ1台として知られる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：ピニンファリーナ史上、最悪の「ugly like a hell」な1台かもしれないスタッツ。でもケニー ロジャースだけではなく、ハリウッドスターの多くがこの車を所有していたというからびっくりだ。フランク シナトラもサミー デービス ジュニアも持っていたというし、まあパームスプリングスとかラスベガスのカジノの車寄せみたいなところでは、意外とそれなりに輝いていたのかもしれない。なお、写真の4ドアの他にも、2ドアクーペが存在し、そちらの名前はブラックホークという。さらにリムジンモデルもあったはずだが、それの名前は不明。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Rail_Cla_MPU_02-aaa3a926596551a0.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">レイルトンF29クラレモント</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>レイルトンF29クラレモント</strong><br>ジャガーXJ-Sをベースに製作された超希少車。アルミボディによる独特なスタイリングが特徴だが、生産台数はわずか2台。希少性ゆえに、トラブル時の対応は極めて難しい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: 正直いってこの車知りませんでした、すいません。まあ世界に2台きりってことは、所有したら悪夢とかそういう話ではなく、こりゃとんでもない車だねぇ、で話は済むような気もしますが・・・。中身は「XJ-S」とのことなので、もちろんトラブルは覚悟の上だが、まあ走ってなんぼの車じゃありませんから。どことなくリアデザインが僕の大好きな「アストンマーティン ラゴンダ」にそっくりだなぁ、と思ったら、両方ともウィリアム タウンズ（1993年没）のデザインでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Iso_Grifo_RRA13-b7e418b8dcde3408.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">メルセデス・ベンツ 450SEL 6.9</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>メルセデス450SEL 6.9</strong><br>大げさな話：「世界最高の車」、そう、かつて「メルセデス・ベンツ450 SEL 6.9」はそうだった。そうこうしているうちに、70年代の大御所ベンツが幻滅の1台となってしまった。その複雑すぎる技術は、努力と結果の関係を問うものだ。現在では、ハイドロニューマチックサスペンションを採用した排気量の大きな車は、あらゆる人気のステーションワゴンを凌駕しており、スチールシャシーの「450SEL」も、当時はほとんど劣化していなかった。しかし、その基準となるのは、スペアパーツの価格であり、そして、もし残っていればの話だが・・・。ウォーターポンプ1,618ユーロ=約30万円（交換のみ！）、サスペンションストラットオーバーホール（新品ではもう手に入らない）6,000ユーロ（約111万円）。最高か、最低か？正直なところ、我々は後者の方だと思っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: 私の長年の心の一台である「450SEL 6.9」。何がしびれるって、トランクリッドの右側にひっそりとつけられた6.9バッチの格好良さと、さらにそのバッチを外したノーエンブレムもあえてオプションで選べたという逸話も含め、なんとも粋な一台なのである。ボッシュとの共同開発のABS採用もこの車が最初（なはず）。でもハイドロニューマティックのサスペンションはトラブルの巣で、ペッちゃんこになると牽引もローダーにも載せられずもうお手上げ。燃費もリッター2kmは当たり前で、トランスミッションもトラブル頻発。とても所有できる車じゃありません。でも街で6.9バッチを見かけたら今でも多幸感の塊です（って、もう見かけないけど）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/00086140-1960ae659bec659c.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">VW ビートル 1600i</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>VWビートル1600i</strong><br>時代錯誤： フューエルインジェクション、触媒コンバーター、ヘッドレスト。そのビートルも、旧くなると「VW1600i」として再び実にモダンになった。後期の「メキシカンモデル」はエンジンが不調で、大西洋を渡ってロッテルダムで貨物船から転がり落ちた時にはすでに錆びついていたのだ。何事にもタイミングがある。90年代に入り、「ビートル」の時代はとっくに終わっていることに、誰もが気づいていた - VW以外は。AUTO BILDのガレージには、最後に作られた「ビートル」が置かれている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: 「ミニ」と「500」は生き残ったけど、ビートルが死滅したのは残念。あとは2CVの復活を待つのみだ。という話はともかく、「ビートル」、ダメですかねぇ。そりゃ「ゴルフ」をベースに作った、あのドンガラ車の「ビートル」はともかく、この旧い（ほんものの）「ビートル」、悪夢なのか・・・。空冷だしメカニズムは簡単だし、意外と何とかなりそうだけどなぁ、というのはお気楽すぎるのだろうか？？</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/3253398776-8eb31daa5afe49ef.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア ガンマ クーペ</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ランチア ガンマ クーペ</strong><br>欠陥設計： 「常識に挑戦する技術的なこだわり」だったそうだ。しかし、「ランチア ガンマ クーペ」の現実は、もっと深刻で、沈没する客船という身の毛もよだつものだった。タイミングベルトやパワーステアリングまわりに深刻な問題を抱え、信頼性の低さで知られる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: ランチア愛好家の方には申し訳ございませんが、この時代のランチアとマセラティを所有する根性も男気も私にはありません。というのもおそらく世界中の自動車の中でも、もっとも信頼性に欠けるのがこの時代のイタリア車（の、特にこのクラスの車）。「ガンマ クーペ」も「マセラティ ロイヤル（旧クアトロポルテ）」も「ビトゥルボ」も、格好いいのも、おしゃれなのもわかります。今見ても新鮮でエレガントであります、鬼軍曹閣下殿。でもこの路線に突撃するのは危険すぎるのではないかと、僭越ながら二等兵は進言させていただく次第であります。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/gem_912_RRA01-8aec6c0c707c9d32.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ボルボ262Cクーペ</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ボルボ262Cクーペ</strong><br>ベルトーネ製ボディを採用した異色のボルボ。ベルトーネでさえ、この奇抜な「ボルボ262Cクーペ」には距離を置いていた（ベルトーネはデザインではなく、製造のみに携わった）のも不思議ではない。高級感を狙ったモデルだったが、独特すぎるデザインは賛否が大きく分かれた。ビニールトップの劣化も悩みの種となっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: ベルトーネの生産した「262Cクーペ」、実はたまたま最近見かけてしまったのだが、ご自慢のビニールトップがもうボロボロのはげちょろで、実に痛ましい状態だった。思えば今やこういうビニールトップの車も完全に市場から消え、どこで直してもらえるのか心配の種は尽きない。どこかで適当なビニール素材を見つけ、コニシボンドの「G17」で貼るのが関の山か。なおこの写真がなんとなく無骨に見えるのは、ライトがアメリカ仕様の角4灯のためで、本来はもっとデザインも表情も優しい2灯にヘッドライトワイパー標準装備が正しい姿である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Aus_Prin_Van_APE_137-694a4fb42f2116b8.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オースチン プリンセス2200</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>オースチン プリンセス2200</strong><br>英国人でさえ認める：愛国心の強い本国のマスコミが、「プリンセス2200」を「英国最悪の車」と揶揄したのなら、それなりの理由があるに違いない。実際、その信じられないほど酷いアンダーステアの才能？は、どんな古いアウディでもうらやむほどで、1970年代の英国自動車産業のあらゆる劣悪な技術を結集したのが「プリンセス」である。今でも走っているのが奇跡のようだ。<br>大林晃平：だれがこの車に、プリンセスって名前つけたんだろう。イギリス王室に対する一種の、イギリス人特有のきついブラックジョークなのだろうか。それはさておき、「ウーズレー」の後継者として登場した「プリンセス」は、登場直後からそのスタイルに賛否両論がうずまき、その多くは否のほうだったらしい。ちょっと弁護をすれば当初はハッチバックとして開発がすすみながらも、やっぱりトランク付きにしないと受け入れられないかも、と経営陣が日和見して、急にトランクをつけちゃったからバランスが崩れたのも当たり前、という話である。まったく経営陣とかマーケティング部門が口を出すとろくなことがありませんな、今も昔も、ということだ。以上。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/ABARTH_MME_075-cd6d063bb692b60a.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">アバルト スコルピオーネ1300</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>アバルト スコルピオーネ1300</strong><br>小型ミッドシップスポーツとして注目されたモデルだが、操縦性やブレーキ性能には課題が多く、整備性も良好とは言えなかった。見た目の魅力と現実のギャップが大きい1台だ。しびれるステアリング、鈍いブレーキ、トリッキーな限界域・・・。身長が1.80mを超えると、ほとんど入れない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: デザイン自体はそんなに悪くはないし、多くのスポーツカーにも影響を及ぼしたかと思う、なかなかのデザイン・・・。だがおそらくはその生産の技術も、メカニズムそのものも形ほどのものはなかったのであろう、と予想される。そういえば最近（去年）アバルト595にスコルピオーネオーロという限定モデルが登場し、金色のホイールを装着して華々しく発売された。それを見たアバルトファンはみんな、きっとこの「スコルピオーネ1300」に思いを馳せたに違いない・・・、ということはないだろうなぁ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/fa4e00441a533677.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">スズキ ビターラX-90</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>スズキ ビターラX-90</strong><br>余計なお世話。タルガルーフにノッチバックの全輪駆動の2シーター？「世の中にまったく必要のないクルマ」のカテゴリーへようこそ。スズキも、「ビターラX-90」が誰も聞かなかった疑問に対する答えであることにすぐに気がついた。一夏だけ終わった。「ドイツ初のファンスター」（1996年の広告のタイトル）は、幸いにも最後のファンスターであり続けた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: コストに厳しく、乾いた雑巾を、さらに絞って、絞って、みたいなスズキが、どうしてこの車を市場に出せたのか今でも正直よくわからない。この「X-90」が大人気になるのは誰がどう考えても当たり前じゃないか、と鈴木 修さんがハンコをついたのだろうか・・・。ちなみに日本では、約1,400台（意外と多い）が販売され、現在90万円前後の中古車3台が流通している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/1886_benz_patent_motorwagen_1_-0ef44e3ee8817b2f.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ベンツ パテント モトールヴァーゲン</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ベンツ パテント モトールヴァーゲン</strong><br>世界初の自動車として歴史的価値は計り知れないが、現代の感覚では極めて扱いづらい。高温環境に弱く、始動や操作にも熟練が必要となる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: いやいやこれを12台の最後に持ってこられてもなあ・・・。これクラシックカーというのだろうか？AUTO BILDのシャレなのだろうか・・・。それはさておき、実はこの「パテント モトールヴァーゲン」、今でもレプリカがかなり作られており、トヨタ博物館にあるのもそのうちの一台である。なんでまたそんなにレプリカが存在しているのかというと、メルセデス・ベンツのクラシックカーレストア部門だか、どこかの部門に新入りが入ると、研修と鍛錬とシゴキのため、これを作らされるのだと聞いたことがある。そのためレプリカの台数が結構多く、100台以上が世界に存在しているとのこと。なお、普通の人間にはエンジンさえかけることもできないし、調子が絶好調な時でも最高速度は15km/hくらいだ（でも、一度乗ってみたい）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Martin G. Puthz<br> Photo: autobild.de</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1104" height="621" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6.jpg 1104w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-768x432.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-696x392.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-1068x601.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/Aus_Prin_Van_APE_137-05d9b1df0bb7d4f6-747x420.jpg 747w" sizes="auto, (max-width: 1104px) 100vw, 1104px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>この12台のクラシックカーは、まさに悪夢だ。クラシックカーは必ずしも優秀で、美しく、完璧である必要はない。しかし、ここに登場する12台を維持するには、相当な忍耐力と覚悟が必要となる。AUTO BILDクラシック編集部が選ぶ、“維持することが危険なクラシックカー”を紹介しよう。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>クラシックカーの世界には、多少の不便やトラブルさえも楽しみに変えてしまう愛好家が少なくない。だが、今回取り上げるモデルたちは、その域を超えている。頻発する故障、高額な修理費、深刻なパーツ不足など、所有するだけで大きな試練を伴うクルマばかりだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ボリュームのある財布が必要</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もちろん、ここで紹介するモデルがすべて“駄車”というわけではない。魅力的なデザインや歴史的価値を持つ車種も多い。しかし、その一方で、維持や修復には膨大なコストと時間が必要となるケースも少なくない。たとえば「メルセデス450 SEL 6.9」。1970年代を代表する高級サルーンとして知られるが、V8エンジンやハイドロニューマチックサスペンションの整備には莫大な費用がかかる。さらに専用パーツの入手も年々難しくなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":15050,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2022/04/オースチン.jpg" alt="" class="wp-image-15050"/><figcaption class="wp-element-caption">愛国心の強いイギリスのマスコミでさえ、オースチン プリンセスを「イギリス最悪の車」と揶揄した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">史上最悪のクラシック12選</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/1_Facel_Vega_HK500_CBO59-71e3eeda2b657f68.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ファセルベガHK500</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ファセルベガHK500</strong><br>クライスラー製V8エンジンを搭載したフランス製高級GT。豪華な内装と圧倒的な存在感を誇る一方で、シャシー性能や整備性には大きな問題を抱えていた。現在ではパーツ確保も極めて困難で、維持には相当な覚悟が必要だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：具体的にどの部分が壊れたり、信頼性に欠けたりしているのか書かれてはいないものの、そりゃファセルベガ買ったら維持費は大変でしょう。昔はスターリング モスやパブロ ピカソといったセレブな人たちの車なのですから、そりゃ維持は大変も大変。ちなみにエンジンはクライスラーのV8だが、さすがにもうじき60年だから、パーツ一つ確保するのも至難の技だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/00028803-d790ac35527602cd.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">AWSショッパー</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>AWSショッパー</strong><br>1970年代の西ドイツで販売された小型車。DIY感覚で組み立てたような独特の構造で知られ、自動車史の珍車として語られることが多い。現存数も少なく、情報不足もあって維持は簡単ではない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：申し訳ありませんでした、私、この車知りませんでした。いろいろ調べてみても、正直よくわかりませんでした。でもものすごく意外なことに、2022年の春、アマゾンで、43分の1のレジン製ミニカー、売ってました。25,000円もするので、びっくりであります。以上。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Stu_IV_Por_aem_01-c48fea9298a37c6b.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">スタッツIVポルテ</figcaption></figure>
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<p><strong>スタッツIVポルテ</strong><br>過剰な装飾とクラシック風デザインを特徴とするラグジュアリーカー。ピニンファリーナが関与したとは思えないほど独特なスタイルで、現在では強烈な個性を持つ1台として知られる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平：ピニンファリーナ史上、最悪の「ugly like a hell」な1台かもしれないスタッツ。でもケニー ロジャースだけではなく、ハリウッドスターの多くがこの車を所有していたというからびっくりだ。フランク シナトラもサミー デービス ジュニアも持っていたというし、まあパームスプリングスとかラスベガスのカジノの車寄せみたいなところでは、意外とそれなりに輝いていたのかもしれない。なお、写真の4ドアの他にも、2ドアクーペが存在し、そちらの名前はブラックホークという。さらにリムジンモデルもあったはずだが、それの名前は不明。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Rail_Cla_MPU_02-aaa3a926596551a0.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">レイルトンF29クラレモント</figcaption></figure>
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<p><strong>レイルトンF29クラレモント</strong><br>ジャガーXJ-Sをベースに製作された超希少車。アルミボディによる独特なスタイリングが特徴だが、生産台数はわずか2台。希少性ゆえに、トラブル時の対応は極めて難しい。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: 正直いってこの車知りませんでした、すいません。まあ世界に2台きりってことは、所有したら悪夢とかそういう話ではなく、こりゃとんでもない車だねぇ、で話は済むような気もしますが・・・。中身は「XJ-S」とのことなので、もちろんトラブルは覚悟の上だが、まあ走ってなんぼの車じゃありませんから。どことなくリアデザインが僕の大好きな「アストンマーティン ラゴンダ」にそっくりだなぁ、と思ったら、両方ともウィリアム タウンズ（1993年没）のデザインでした。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Iso_Grifo_RRA13-b7e418b8dcde3408.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">メルセデス・ベンツ 450SEL 6.9</figcaption></figure>
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<p><strong>メルセデス450SEL 6.9</strong><br>大げさな話：「世界最高の車」、そう、かつて「メルセデス・ベンツ450 SEL 6.9」はそうだった。そうこうしているうちに、70年代の大御所ベンツが幻滅の1台となってしまった。その複雑すぎる技術は、努力と結果の関係を問うものだ。現在では、ハイドロニューマチックサスペンションを採用した排気量の大きな車は、あらゆる人気のステーションワゴンを凌駕しており、スチールシャシーの「450SEL」も、当時はほとんど劣化していなかった。しかし、その基準となるのは、スペアパーツの価格であり、そして、もし残っていればの話だが・・・。ウォーターポンプ1,618ユーロ=約30万円（交換のみ！）、サスペンションストラットオーバーホール（新品ではもう手に入らない）6,000ユーロ（約111万円）。最高か、最低か？正直なところ、我々は後者の方だと思っている。</p>
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<p>大林晃平: 私の長年の心の一台である「450SEL 6.9」。何がしびれるって、トランクリッドの右側にひっそりとつけられた6.9バッチの格好良さと、さらにそのバッチを外したノーエンブレムもあえてオプションで選べたという逸話も含め、なんとも粋な一台なのである。ボッシュとの共同開発のABS採用もこの車が最初（なはず）。でもハイドロニューマティックのサスペンションはトラブルの巣で、ペッちゃんこになると牽引もローダーにも載せられずもうお手上げ。燃費もリッター2kmは当たり前で、トランスミッションもトラブル頻発。とても所有できる車じゃありません。でも街で6.9バッチを見かけたら今でも多幸感の塊です（って、もう見かけないけど）。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/00086140-1960ae659bec659c.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">VW ビートル 1600i</figcaption></figure>
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<p><strong>VWビートル1600i</strong><br>時代錯誤： フューエルインジェクション、触媒コンバーター、ヘッドレスト。そのビートルも、旧くなると「VW1600i」として再び実にモダンになった。後期の「メキシカンモデル」はエンジンが不調で、大西洋を渡ってロッテルダムで貨物船から転がり落ちた時にはすでに錆びついていたのだ。何事にもタイミングがある。90年代に入り、「ビートル」の時代はとっくに終わっていることに、誰もが気づいていた - VW以外は。AUTO BILDのガレージには、最後に作られた「ビートル」が置かれている。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: 「ミニ」と「500」は生き残ったけど、ビートルが死滅したのは残念。あとは2CVの復活を待つのみだ。という話はともかく、「ビートル」、ダメですかねぇ。そりゃ「ゴルフ」をベースに作った、あのドンガラ車の「ビートル」はともかく、この旧い（ほんものの）「ビートル」、悪夢なのか・・・。空冷だしメカニズムは簡単だし、意外と何とかなりそうだけどなぁ、というのはお気楽すぎるのだろうか？？</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/3253398776-8eb31daa5afe49ef.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア ガンマ クーペ</figcaption></figure>
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<p><strong>ランチア ガンマ クーペ</strong><br>欠陥設計： 「常識に挑戦する技術的なこだわり」だったそうだ。しかし、「ランチア ガンマ クーペ」の現実は、もっと深刻で、沈没する客船という身の毛もよだつものだった。タイミングベルトやパワーステアリングまわりに深刻な問題を抱え、信頼性の低さで知られる。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: ランチア愛好家の方には申し訳ございませんが、この時代のランチアとマセラティを所有する根性も男気も私にはありません。というのもおそらく世界中の自動車の中でも、もっとも信頼性に欠けるのがこの時代のイタリア車（の、特にこのクラスの車）。「ガンマ クーペ」も「マセラティ ロイヤル（旧クアトロポルテ）」も「ビトゥルボ」も、格好いいのも、おしゃれなのもわかります。今見ても新鮮でエレガントであります、鬼軍曹閣下殿。でもこの路線に突撃するのは危険すぎるのではないかと、僭越ながら二等兵は進言させていただく次第であります。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/gem_912_RRA01-8aec6c0c707c9d32.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ボルボ262Cクーペ</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ボルボ262Cクーペ</strong><br>ベルトーネ製ボディを採用した異色のボルボ。ベルトーネでさえ、この奇抜な「ボルボ262Cクーペ」には距離を置いていた（ベルトーネはデザインではなく、製造のみに携わった）のも不思議ではない。高級感を狙ったモデルだったが、独特すぎるデザインは賛否が大きく分かれた。ビニールトップの劣化も悩みの種となっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: ベルトーネの生産した「262Cクーペ」、実はたまたま最近見かけてしまったのだが、ご自慢のビニールトップがもうボロボロのはげちょろで、実に痛ましい状態だった。思えば今やこういうビニールトップの車も完全に市場から消え、どこで直してもらえるのか心配の種は尽きない。どこかで適当なビニール素材を見つけ、コニシボンドの「G17」で貼るのが関の山か。なおこの写真がなんとなく無骨に見えるのは、ライトがアメリカ仕様の角4灯のためで、本来はもっとデザインも表情も優しい2灯にヘッドライトワイパー標準装備が正しい姿である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/Aus_Prin_Van_APE_137-694a4fb42f2116b8.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オースチン プリンセス2200</figcaption></figure>
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<p><strong>オースチン プリンセス2200</strong><br>英国人でさえ認める：愛国心の強い本国のマスコミが、「プリンセス2200」を「英国最悪の車」と揶揄したのなら、それなりの理由があるに違いない。実際、その信じられないほど酷いアンダーステアの才能？は、どんな古いアウディでもうらやむほどで、1970年代の英国自動車産業のあらゆる劣悪な技術を結集したのが「プリンセス」である。今でも走っているのが奇跡のようだ。<br>大林晃平：だれがこの車に、プリンセスって名前つけたんだろう。イギリス王室に対する一種の、イギリス人特有のきついブラックジョークなのだろうか。それはさておき、「ウーズレー」の後継者として登場した「プリンセス」は、登場直後からそのスタイルに賛否両論がうずまき、その多くは否のほうだったらしい。ちょっと弁護をすれば当初はハッチバックとして開発がすすみながらも、やっぱりトランク付きにしないと受け入れられないかも、と経営陣が日和見して、急にトランクをつけちゃったからバランスが崩れたのも当たり前、という話である。まったく経営陣とかマーケティング部門が口を出すとろくなことがありませんな、今も昔も、ということだ。以上。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/ABARTH_MME_075-cd6d063bb692b60a.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">アバルト スコルピオーネ1300</figcaption></figure>
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<p><strong>アバルト スコルピオーネ1300</strong><br>小型ミッドシップスポーツとして注目されたモデルだが、操縦性やブレーキ性能には課題が多く、整備性も良好とは言えなかった。見た目の魅力と現実のギャップが大きい1台だ。しびれるステアリング、鈍いブレーキ、トリッキーな限界域・・・。身長が1.80mを超えると、ほとんど入れない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: デザイン自体はそんなに悪くはないし、多くのスポーツカーにも影響を及ぼしたかと思う、なかなかのデザイン・・・。だがおそらくはその生産の技術も、メカニズムそのものも形ほどのものはなかったのであろう、と予想される。そういえば最近（去年）アバルト595にスコルピオーネオーロという限定モデルが登場し、金色のホイールを装着して華々しく発売された。それを見たアバルトファンはみんな、きっとこの「スコルピオーネ1300」に思いを馳せたに違いない・・・、ということはないだろうなぁ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/fa4e00441a533677.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">スズキ ビターラX-90</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>スズキ ビターラX-90</strong><br>余計なお世話。タルガルーフにノッチバックの全輪駆動の2シーター？「世の中にまったく必要のないクルマ」のカテゴリーへようこそ。スズキも、「ビターラX-90」が誰も聞かなかった疑問に対する答えであることにすぐに気がついた。一夏だけ終わった。「ドイツ初のファンスター」（1996年の広告のタイトル）は、幸いにも最後のファンスターであり続けた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: コストに厳しく、乾いた雑巾を、さらに絞って、絞って、みたいなスズキが、どうしてこの車を市場に出せたのか今でも正直よくわからない。この「X-90」が大人気になるのは誰がどう考えても当たり前じゃないか、と鈴木 修さんがハンコをついたのだろうか・・・。ちなみに日本では、約1,400台（意外と多い）が販売され、現在90万円前後の中古車3台が流通している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/0/3/9/4/7/1/1886_benz_patent_motorwagen_1_-0ef44e3ee8817b2f.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">ベンツ パテント モトールヴァーゲン</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ベンツ パテント モトールヴァーゲン</strong><br>世界初の自動車として歴史的価値は計り知れないが、現代の感覚では極めて扱いづらい。高温環境に弱く、始動や操作にも熟練が必要となる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>大林晃平: いやいやこれを12台の最後に持ってこられてもなあ・・・。これクラシックカーというのだろうか？AUTO BILDのシャレなのだろうか・・・。それはさておき、実はこの「パテント モトールヴァーゲン」、今でもレプリカがかなり作られており、トヨタ博物館にあるのもそのうちの一台である。なんでまたそんなにレプリカが存在しているのかというと、メルセデス・ベンツのクラシックカーレストア部門だか、どこかの部門に新入りが入ると、研修と鍛錬とシゴキのため、これを作らされるのだと聞いたことがある。そのためレプリカの台数が結構多く、100台以上が世界に存在しているとのこと。なお、普通の人間にはエンジンさえかけることもできないし、調子が絶好調な時でも最高速度は15km/hくらいだ（でも、一度乗ってみたい）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Martin G. Puthz<br> Photo: autobild.de</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【1986年のドリームカー】ネオクラシックカーの記念すべき年、1986年に登場した名車をご紹介！これらのネオクラシックカーはもう40周年を迎える！</title>
		<link>https://autobild.jp/67539/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 16 May 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[1986年に登場した車]]></category>
		<category><![CDATA[BMW M3]]></category>
		<category><![CDATA[オペル オメガ]]></category>
		<category><![CDATA[ゴルフGTI]]></category>
		<category><![CDATA[サーブ900カブリオレ]]></category>
		<category><![CDATA[シトロエンAX]]></category>
		<category><![CDATA[ジャガー7XJ]]></category>
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		<category><![CDATA[トヨタ スープラ]]></category>
		<category><![CDATA[ネオクラシックカー]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ959]]></category>
		<category><![CDATA[ランチア テーマ 8.32]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>クラシックカーの記念すべき年：1986年は、自動車の歴史を語る上で重要な自動車が登場した年だった。2026年に40周年を迎えるのは、ポルシェ959、サーブ900カブリオレ、BMW M3、ゴルフGTI 16V等々だ。1986年に登場した最も興味深い自動車をご紹介！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年は素晴らしい年になるはずだった。なぜなら、1月29日に自動車が100周年を迎えるという記念すべき日だったからだ。100年前のこの日に、カール ベンツが自動車の特許を出願したのだった。メルセデスはこの1月の日を、ユーロビジョンテレビでの大規模なショーで祝賀会を開催して祝おうとしていた。しかし、祝賀会の代わりに大惨事が起こった。1986年1月28日、スペースシャトル、「チャレンジャー号」が打ち上げ中に爆発し、7人の乗組員全員が死亡したのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その3か月以上後の1986年4月26日には、チェルノブイリ原子力発電所で原子力災害が発生し、放射性物質がヨーロッパ上空に拡散した。さらに、ドイツでは森林の病気が人々の意識に浸透した。しかし、1986年には、森林の枯死が触媒の採用を加速させたというプラスの効果もあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年には、良いニュースもあった。自動車雑誌が創刊されたのだ。「AUTO BILD」誌がキオスクやガソリンスタンドで販売開始された。それ以来、この自動車雑誌は読者やユーザーに情報と娯楽を提供し続けており、1995年からはデジタル版も発行され、現在では自動車購入のアドバイザーとしての役割も果たしている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、1986年の最高のニュースは、新たに市場に登場した自動車たちだった。その主なものを以下にご紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">四輪駆動の夢の車：ポルシェ959</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その筆頭は、夢の車、「ポルシェ959」だ。80年代の超高級車は、多額の資金がある人なら誰でも注目する車だ。最高速度317km/hのこの公道レーシングマシンは、かつて420,000マルク（約3,950万円）だった。ボリス ベッカーやヘルベルト フォン カラヤンもこの車に乗っていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67570,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-959-3051-1200x800-0241800c127c8dbc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67570"/><figcaption class="wp-element-caption">80年代のスーパーカー：ポルシェ959。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ツインターボ、450馬力（後にスポーツバージョンでは515馬力にアップ）、全輪駆動というハイテクの逸品を、世界中のコレクターたちが争って手に入れようとしていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、多くの新型コンバーチブルが発表されたことから、1986年はオープンカーの年だったと言えるかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">人気の小型コンバーチブル：プジョー205</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>小型車セグメントで非常に人気があったのが、手頃な価格でオープンカーの走りを約束した「プジョー205コンバーチブル」だった。79馬力または105馬力から選択可能で、「キャデラック アランテ」と同様にピニンファリーナ社で製造されたが、VWゴルフのようにヘンケルマン式ロールバーがイチゴのバスケットのように取り付けられていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67567,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Peugeot-205-3055-1200x800-555a5e4a98ad79b9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67567"/><figcaption class="wp-element-caption">俊足のフランス製オープンカー、ほとんど忘れ去られた車：プジョー205。<br>Bild: Christian Bittmann</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「205」は、今日でも、ごくまれにしか見かけることができないにもかかわらず、当時は人々の心を鷲掴みにした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">キャデラック アランテ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>同じ年にデビューした「キャデラック アランテ」も、ピニンファリーナによって組み立てられていた。驚くべきことに、キャデラックは製造途中の”SLのライバル車”を改造した大型貨物ジャンボ機による“空の架け橋”でトリノへ空輸し、そこでピニンファリーナがボディを組み立てていた。その後、最終組み立てのため再びデトロイトへ送り返されている。だが、このV8コンバーチブル（203馬力）が、ドイツでは、「メルセデスSL」に決して脅威を与えることはなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67552,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cadillac-Allante-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2775x1852-fd9d840e19425c8c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67552"/><figcaption class="wp-element-caption">生産プロセスは贅沢だった。ミシガン州ハムトラムックにあるキャデラック工場と、トリノ近郊のグルリアスコにあるピニンファリーナの車体工場との間に、特別に改造されたジャンボジェット機による空輸ルートが設定されたのだから。<br>Photo：Christian Bittmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">サーブ900カブリオ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>小型のプジョーとは異なり、このスウェーデンのクラシックカーの最初のオープンバージョンは、今でもオールドカーの中で夢の車の一つだ。「サーブ900カブリオ」は、今でも非常に人気がある。当初、この車はターボエンジンと160馬力、印象的なサウンド、大きく傾斜したフロントデザインが特徴だった。結論：魅力あふれるクラシックカー！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67572,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Saab-900-3053-1200x800-ad8af5836e85b7dc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67572"/><figcaption class="wp-element-caption">「まさにクラシック！」：サーブ900カブリオ。<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランチアY10 4WD</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>いまではほとんど忘れられた存在となっているが、女性に人気だった「ランチア Y10」は1985年に登場した。全長わずか3.40mというコンパクトなサイズながら、限られた空間に最大限の上質さを詰め込んだモデルだった。さらに1986年からは、この小さなイタリア車に四輪駆動モデルも設定されている。ブラックで塗装されたテールゲートとシャープなスポイラーリップを備えたY10は非常に個性的なクルマだったが、上級グレードであっても走行時にはどこか華奢な印象を残していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67562,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Y10-4WD-stehend-von-der-Seite-3061-2510x1675-1f1b516696a2a196-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67562"/><figcaption class="wp-element-caption">黒いサイドパネルから、ランシアY10が四輪駆動モデルであることがわかった。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">アウディ80（B3）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>品質は劇的に向上したものの、今日の評価はそれほど高くはない、史上最も丸みを帯びた「アウディ80（B3）」は、0.29という最高の空気抵抗係数（Cd）を誇った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67545,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Audi-80-B3-3057-1200x800-9ef282f451d59740-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67545"/><figcaption class="wp-element-caption">耐久性は高いが、ファン層を獲得するには魅力が足りない：アウディ80（B3）。<br>Photo：Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全面亜鉛メッキボディや、前面衝突時にステアリングをドライバーから遠ざけると同時にシートベルトを締め上げる安全機構「プロコンテン（Procon-Ten）」を備えていたにもかかわらず、いまではほとんど誰も欲しがらないクルマとなってしまった。その魅力を覆い隠しているのは、どこか古臭いイメージだ。現在では、「アウディ90」のような装備の充実した上級仕様だけが比較的人気を集めている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年の名車たちは、以下のフォトギャラリーで紹介する、さらに多くの魅力的な車が登場している。昔懐かしい車や、ほとんど忘れ去られた車も多数登場する。お楽しみに！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">1986年のクラシックカー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67570,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-959-3051-1200x800-0241800c127c8dbc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67570"/><figcaption class="wp-element-caption">40年前、多くの魅力的な自動車が市場に登場した。最も注目された自動車は、ポルシェ959だった。1980年代のスーパーカーであり、非常に高価なハイテクの逸品で、ツインターボ、当初450馬力、四輪駆動（911ベースで初めて）を搭載していた。最高速度は317km/h、価格は42万マルク（約3,950万円）。アドバイス：もしあなたが非常に多額の余剰資金をお持ちであれば、購入することをお勧めする。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67558,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lamborghini-LM002-1840-1200x800-86c5b53f6b4525df-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67558"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニLM002：ランボは、V12クンタッチエンジンを搭載したオフロード車を望むアラブのシェイクたちの欲求を見抜いた。5.2リッターV12、455馬力。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67559,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lamborghini-LM002-1840-1200x800-d73915640baa2d17-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67559"/><figcaption class="wp-element-caption">回転半径8メートル。我々のアドバイス：驚嘆しよう！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67554,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ford-Sierra-4X4-1840-1200x800-702297e6f9709a4b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67554"/><figcaption class="wp-element-caption">フォード シエラ4x4：XR 4x4と、最高級の装備、2.8リッターV6エンジン、XR4iの150馬力を搭載したギア4x4トーナメント（ステーションワゴン）があった。ビスコクラッチによる全輪駆動。評価：エキサイティングなアウトサイダー。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67562,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Y10-4WD-stehend-von-der-Seite-3061-2510x1675-1f1b516696a2a196-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67562"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチアY10 4WD：小さな車体に四輪駆動を搭載。パンダ4x4と同様に、後輪は手動で駆動をオンにする。評価：おしゃれな女性向け車の希少車種。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67557,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Jeep-Wrangler-1840-1200x800-0534ed1e3fd5946b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67557"/><figcaption class="wp-element-caption">ジープ ラングラー：1986年は角型ヘッドライトの年だった。CJの後継モデルは、ファブリックルーフと、わずか117馬力の4.2リッター6気筒エンジンを搭載していた。お勧め度：もちろん！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67546,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-7e6739703a5699af-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67546"/><figcaption class="wp-element-caption">コンバーチブルに乗り込み、風を髪に感じると、その年のあらゆる災難はすっかり忘れてしまう。15年ぶりの完全オープンタイプのBMWは、開放感あふれる喜びの典型例だった。BMW 325iカブリオレだ。<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-d0d14e9da4d6620b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67548"/><figcaption class="wp-element-caption">1986年式の3シリーズ カブリオレ（E30シリーズ）は、前モデル（E21）のバウアール カブリオレとは異なり、固定式のルーフパーツが廃止された。このカブリオレは当初、洗練された直列6気筒エンジンと170馬力を搭載した325iのみの販売だった。<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-654bb36df88ec792-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67547"/><figcaption class="wp-element-caption">4人乗りで、屋根は手動でフラップの下に収納できた。ウィンドディフレクターはまだなかったので、風の巻き込みは激しかった。1986年の価格は46,800マルク（約440万円）。結論：これを買うのは間違いじゃない！<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Peugeot-205-3055-1200x800-555a5e4a98ad79b9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67567"/><figcaption class="wp-element-caption">プジョー205カブリオ：79馬力または105馬力から選択可能で、キャデラック アランテと同様にピニンファリーナ社で製造（エアブリッジなし）されていたが、ヘンケルマン式ロールバーが装備されていた。今日まで、その人気は衰えることを知らない。お勧め：ぜひ購入してください！<br>Photo：Christian Bittmann</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67572,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Saab-900-3053-1200x800-ad8af5836e85b7dc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67572"/><figcaption class="wp-element-caption">「サーブ900カブリオレ」は、サーブ初のオープンモデルであり、現在では非常に人気の高い一台となっている。当初は160馬力を発生するターボエンジン仕様のみが用意され、独特のエンジンサウンドと大きく傾斜したフロントデザインが特徴だった。結論：魅力あふれるクラシックカー！<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67551,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cadillac-Allant-1840-1200x800-0d39bb0164daace3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67551"/><figcaption class="wp-element-caption">キャデラック アランテ：まず、デトロイトからピニンファリーナにプラットフォームが運ばれ、ボディが取り付けられた後、最終組み立てのために再びデトロイトに戻された。当初のエンジンは4.1リッターV8、170馬力。結論：興味深い！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67553,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Citro-n-AX-1840-1200x800-7ead368548f4e7a5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67553"/><figcaption class="wp-element-caption">シトロエンAXは目立たない外観だが、乾燥重量640kgの良くできた小型車であり、そのパッケージングは非常に経済性に優れていた。AXは、大胆で、角張った、見やすいデザインで、驚くほど広い空間と可変性を提供していた。AUTO BILD誌とBILD am SONNTAG誌は、この車にゴールデンステアリングホイール賞を授与した。我々の評価：軽量構造と低燃費という驚異的な性能。したがって、購入は大賛成だ！<br>Photo：Brian Chittock / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67566,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Opel-Omega-1840-1200x800-2c5bb4992e262664-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67566"/><figcaption class="wp-element-caption">オペル オメガ：「カー オブ ザ イヤー」受賞、滑らかな表面、空力特性（Cd値：0.28）に優れ、トランクも十分な容量があるため、記録的な販売台数を獲得した。アドバイス：洗練された2.6iをお探しください。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67574,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Camry-2-1987-1840-1200x800-0379f2640ddec9cf-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67574"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ カムリ：不運なクレシダの後継車、中立的な自動車。長所：信頼性と成熟度。評価：魅力のないものにも魅力を感じる人々に最適。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67544,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Audi-80-B3-1840-1200x800-0f7eadf7e27edc9a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67544"/><figcaption class="wp-element-caption">アウディ80（B3）:風力抵抗係数（0.29）も最高値で、前モデル（B2）よりも丸みを帯びたデザイン。さらに、全面亜鉛メッキ加工が施され、非常に耐久性に優れていた。オプションとして、衝突時にハンドルを前方に引き、シートベルトプリテンショナーとして機能する「プロコンテン（Procon-Ten）」が採用されていた。結論: ピエヒ時代の逸品。今でも過小評価されている。<br>Photo：Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67550,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-M3-E-30-1985-1990-1840-1200x800-00094574fe35e0a3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67550"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW M3で疾走：1980年代の3シリーズには、コンバーチブルに加え、最高価格帯のレーシングバージョンも登場した。その2.3リッター4気筒エンジンは、驚異的な200馬力を発揮した。最高速度は235km/hにもかかわらず、日常的に使用するのにまったく問題はなかった。3シリーズのボディには、膨らんだフェンダー、よりフラットなリヤウィンドウ、プラスチック製のトランクドア、リヤスポイラーなど、レース用として必要なものがすべて装備されていた。結論：非常に高価だが、これまでにないほど楽しいマシンであり、コレクターズアイテムだ。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67543,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Aston-Martin-V8-Zagato-Volante-1840-1200x800-c02f1188313c565a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67543"/><figcaption class="wp-element-caption">アストンマーティン ザガート：ザガートは、一般的な美意識を大胆に無視したボディで知られている。その下には、5.3リッター432 馬力のV8 エンジンが搭載されていた。結論：すべてを持っている人向けのエキゾチックカーだ。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67560,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Thema-8-32-Limited-Edition-1840-1200x800-c5d78e3e5f753bfc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67560"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア テーマ8.32：その名は”ランチア フェラーリ”ではない（エンツォはそれを望まなかった）。数字だけがフェラーリの心臓部、8気筒、32バルブを物語っている。こうして、この良識あるセダンはロケットへと変貌を遂げた。ヒント：鋭いサウンドだが、メンテナンス費用は桁外れに高いので注意が必要だ。<br>Photo：Goetz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67555,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ford-Sierra-Cosworth-RS-1986-1840-1200x800-70c8e37db809f20c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67555"/><figcaption class="wp-element-caption">フォード シエラ コスワース：ターボ、4バルブ、ホエールテールリヤウィング、2リッターの排気量から204馬力を発生。評価：コレクターズアイテムとしての価値が高いフォードの希少な名車だ！<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67542,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Alfa-Romeo-75-Turbo-1840-1200x800-8a6b210ce4021ea4-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67542"/><figcaption class="wp-element-caption">アルファロメオ75ターボおよびV6：この年の悲惨な出来事には、フィアットがアルファロメオを買収したことも含まれる。75は、パワーも備えた最後の「真の」アルファロメオとなった。評価：繊細で気難しいターボ、洗練されたV6。<br>Photo：Andrea Schick-Zech / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67563,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Mazda-RX-7-Turbo-1986-1840-1200x800-e8deb79289f1e94a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67563"/><figcaption class="wp-element-caption">クーペはいかが？ヴァルター ベンツ！それがマツダRX-7の卓越した点だった。タービンのような動きと音を持つエンジンで、マツダはポルシェ944に世界的に厳しい競争を挑んだ。150馬力、しかしトルクはわずか182Nm。この車は高回転を必要とした。7.4km/ℓという悪い燃費が欠点で、エンジンはオイルを消費しやすいのも難点だった。シャーシとシフトは完璧で、装備も充実していた。ユニークなエンジンを搭載した素晴らしいスポーツカーで、今でも手頃な価格で入手できる！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67568,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-924-S-1987-1840-1200x800-da17a41f4c7bd217-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67568"/><figcaption class="wp-element-caption">ポルシェ924 S： このSは125馬力の2リッターアウディエンジンからの脱却を意味していた。その代わりに、150馬力のみの944の軽量化されたポルシェエンジンが搭載された。ヒント：比較的安価に入手可能だが、スペアパーツは高価だ。<br>Photo：Angelika Emmerling / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67569,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-944-S-1987-1840-1200x800-feed0a24c0c22194-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67569"/><figcaption class="wp-element-caption">そして、その兄貴分であるポルシェ944 S：Sは、シリンダーあたり4バルブのエンジンチューニングを意味していた。出力は163馬力から190馬力にアップ。我々の意見：過小評価されているため、比較的安価な車だ！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67576,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Supra-3-0i-Turbo-1840-1200x800-ba6eccde12d9f15e-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67576"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":67575,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Supra-3-0i-Turbo-1840-1200x800-90cddaa3ee062095-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67575"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ スープラ：トヨタはスポーツカーも作れたのだ。3リッター直列6気筒エンジンから204馬力を発生、それにタルガルーフも付いている。トヨタのスポーツカーを見てわかったこと：こんなに良質で安い車はめったにない！<br>Photo：Andreas Lindlahr / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67577,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Volvo-480-Turbo-1985-bis-1995-1840-1200x800-7c037700e8312377-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67577"/><figcaption class="wp-element-caption">ボルボ480 ES： ボルボ初のフロントドライブ車、雪の女王の棺を彷彿とさせるスタイリッシュなクーペ、ボルボP1800 ES。特徴：高速、希少、そして驚くほど安価！<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67556,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Jaguar-XJ40-1986-1840-1200x800-1d6e6081c834fd07-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67556"/><figcaption class="wp-element-caption">より優れたジャガーXJ40は角型ヘッドライトを搭載していたが、エントリーモデルの丸型ヘッドライトの方がよりよく似合っていた。それでも、この車は、レザーとウッド、そして品質面でも、あらゆるステレオタイプを備えた説得力のあるジャガーだった。ジャガーは、ダッシュボードなど、初めて電子機器に挑んだ。このエレガントなセダンは、中古車市場で長い間、安売りされていた。したがって、我々のアドバイスは、これ以上安くなることはない、ということだ。そして、それは本物のジャガーだ！<br>Photo：: Bernhard Schmidt / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Rover-800-1840-1200x800-5124831a4bd81778-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67571"/><figcaption class="wp-element-caption">ローバー800：このローバーは、実際にはホンダ レジェンドであり、そのスタイリングは地味だが、内装は上品で、クルミ材が使用されている。結論としては、“走る歴史遺産”のような一台だ。<br>Photo：Klaus Kuhnigk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67549,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-735i-E-32-1840-1200x800-98c09bb8220c14b4-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67549"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 7シリーズ（E32）：バイエルン州発の画期的なモデルで、その前身であるやや重厚なデザインとは対照的に、明快で力強いデザインを採用。さらに、宿敵であるメルセデスに対するハイテク攻勢も展開。アドバイス：将来、価値が高まるだろう！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Thema-Station-Wagon-1840-1200x800-79c78e58ab757262-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67561"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア テーマ ステーションワゴン：ピニンファリーナがジュリアーノの設計を改良。こうして誕生したこのステーションワゴンは、ペンキ缶を運ぶには不向きだった。我々の意見：クールだが、需要は低迷。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67578,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Golf-GTI-1986-1840-1200x800-e601ec3028f946e8-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67578"/><figcaption class="wp-element-caption">Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Golf-II-GTI-16V-1840-1152x768-30981ce35f46c559-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67579"/><figcaption class="wp-element-caption">VWゴルフGTI 16V：1983年に発表されたが、1986年まで出荷されなかった。追加の8つのバルブがVWに「頭痛の種」となったのだ。しかし、ついに登場すると、その回転性能、パワー、トルク、そして2バルブのGTIの方が低回転域での加速は優れていたものの、その性能は高く評価された。1.8リッター4気筒16Vエンジンは、触媒コンバーターなしの場合139馬力（最高速度208km/h）、触媒コンバーター付きの場合129馬力（最高速度193km/h）を発揮した。さらに、軽量で操作性も優れていた。触媒コンバーターなしモデルの初期価格は25,595マルク（約240万円）だった。我々の意見：魅力的な楽しいマシンだが、改造されていないものを見つけるのは難しいだろう！<br>Photo：Holger Schaper</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67573,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Suzuki-Swift-1-3-GTI-1986-1840-1200x800-62fdb9af6fb6a220-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67573"/><figcaption class="wp-element-caption">スズキ スイフト1.3 GTi：小型のGTi。それでも16バルブ、ダブルカムシャフト、101馬力というハイテクを誇る。我々の結論：素晴らしい戦闘蜂。<br>Photo：Goetz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67580,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Polo-G40-1986-1840-1200x800-020b538e3f59b321-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67580"/><figcaption class="wp-element-caption">VWポロ（G40）：115馬力を発生させるスパイラルチャージャーの幅にちなんで名付けられた。0-100km/h加速9秒！評価：99%が容赦なく壊れたと思われる。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67565,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Nissan-Sunny-GTI-16V-Coup-1989-1840-1200x800-738eb95be188d334-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67565"/><figcaption class="wp-element-caption">日産サニー クーペGTi：もう1台のGTi、1.6リッター、110馬力、触媒コンバーター標準装備、スポイラー付き。評価：その極端な角張ったデザインで、特別な趣味を持つ人向けのエキゾチックな車。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>1986年は交通安全の年と宣言されたものの、世界は混乱に陥り、事故件数は増加した。しかし、自動車メーカーは明らかにその流れに歯止めをかけた。シャーシは以前から改良が進んでおり、ABSが徐々に導入され、四輪駆動が突然普及した。ほとんどの自動車は新しいCd値（空気抵抗係数）を記録し、触媒コンバーターが普及し始めた。さらに、ディーゼルエンジンも人気を博した。1987年には、事故件数は再び減少した。自動車メーカーが自動車にますます多くの電子機器を搭載し始めたことは、良い面も悪い面もあった。<br>Photo： Markus Heimbach</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Bernhard Schmidt and Matthias Brügge</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="675" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-1024x576.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Neuheiten-von-1986-VW-Golf-II-GTI-16V-und-Porsche-959-2869-4000x2250-2f23561d125acc0c-768x432.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>クラシックカーの記念すべき年：1986年は、自動車の歴史を語る上で重要な自動車が登場した年だった。2026年に40周年を迎えるのは、ポルシェ959、サーブ900カブリオレ、BMW M3、ゴルフGTI 16V等々だ。1986年に登場した最も興味深い自動車をご紹介！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年は素晴らしい年になるはずだった。なぜなら、1月29日に自動車が100周年を迎えるという記念すべき日だったからだ。100年前のこの日に、カール ベンツが自動車の特許を出願したのだった。メルセデスはこの1月の日を、ユーロビジョンテレビでの大規模なショーで祝賀会を開催して祝おうとしていた。しかし、祝賀会の代わりに大惨事が起こった。1986年1月28日、スペースシャトル、「チャレンジャー号」が打ち上げ中に爆発し、7人の乗組員全員が死亡したのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その3か月以上後の1986年4月26日には、チェルノブイリ原子力発電所で原子力災害が発生し、放射性物質がヨーロッパ上空に拡散した。さらに、ドイツでは森林の病気が人々の意識に浸透した。しかし、1986年には、森林の枯死が触媒の採用を加速させたというプラスの効果もあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年には、良いニュースもあった。自動車雑誌が創刊されたのだ。「AUTO BILD」誌がキオスクやガソリンスタンドで販売開始された。それ以来、この自動車雑誌は読者やユーザーに情報と娯楽を提供し続けており、1995年からはデジタル版も発行され、現在では自動車購入のアドバイザーとしての役割も果たしている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、1986年の最高のニュースは、新たに市場に登場した自動車たちだった。その主なものを以下にご紹介する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">四輪駆動の夢の車：ポルシェ959</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その筆頭は、夢の車、「ポルシェ959」だ。80年代の超高級車は、多額の資金がある人なら誰でも注目する車だ。最高速度317km/hのこの公道レーシングマシンは、かつて420,000マルク（約3,950万円）だった。ボリス ベッカーやヘルベルト フォン カラヤンもこの車に乗っていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67570,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-959-3051-1200x800-0241800c127c8dbc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67570"/><figcaption class="wp-element-caption">80年代のスーパーカー：ポルシェ959。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ツインターボ、450馬力（後にスポーツバージョンでは515馬力にアップ）、全輪駆動というハイテクの逸品を、世界中のコレクターたちが争って手に入れようとしていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一方、多くの新型コンバーチブルが発表されたことから、1986年はオープンカーの年だったと言えるかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">人気の小型コンバーチブル：プジョー205</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>小型車セグメントで非常に人気があったのが、手頃な価格でオープンカーの走りを約束した「プジョー205コンバーチブル」だった。79馬力または105馬力から選択可能で、「キャデラック アランテ」と同様にピニンファリーナ社で製造されたが、VWゴルフのようにヘンケルマン式ロールバーがイチゴのバスケットのように取り付けられていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67567,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Peugeot-205-3055-1200x800-555a5e4a98ad79b9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67567"/><figcaption class="wp-element-caption">俊足のフランス製オープンカー、ほとんど忘れ去られた車：プジョー205。<br>Bild: Christian Bittmann</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「205」は、今日でも、ごくまれにしか見かけることができないにもかかわらず、当時は人々の心を鷲掴みにした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">キャデラック アランテ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>同じ年にデビューした「キャデラック アランテ」も、ピニンファリーナによって組み立てられていた。驚くべきことに、キャデラックは製造途中の”SLのライバル車”を改造した大型貨物ジャンボ機による“空の架け橋”でトリノへ空輸し、そこでピニンファリーナがボディを組み立てていた。その後、最終組み立てのため再びデトロイトへ送り返されている。だが、このV8コンバーチブル（203馬力）が、ドイツでは、「メルセデスSL」に決して脅威を与えることはなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67552,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cadillac-Allante-stehend-schraeg-von-vorn-3061-2775x1852-fd9d840e19425c8c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67552"/><figcaption class="wp-element-caption">生産プロセスは贅沢だった。ミシガン州ハムトラムックにあるキャデラック工場と、トリノ近郊のグルリアスコにあるピニンファリーナの車体工場との間に、特別に改造されたジャンボジェット機による空輸ルートが設定されたのだから。<br>Photo：Christian Bittmann / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">サーブ900カブリオ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>小型のプジョーとは異なり、このスウェーデンのクラシックカーの最初のオープンバージョンは、今でもオールドカーの中で夢の車の一つだ。「サーブ900カブリオ」は、今でも非常に人気がある。当初、この車はターボエンジンと160馬力、印象的なサウンド、大きく傾斜したフロントデザインが特徴だった。結論：魅力あふれるクラシックカー！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67572,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Saab-900-3053-1200x800-ad8af5836e85b7dc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67572"/><figcaption class="wp-element-caption">「まさにクラシック！」：サーブ900カブリオ。<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">ランチアY10 4WD</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>いまではほとんど忘れられた存在となっているが、女性に人気だった「ランチア Y10」は1985年に登場した。全長わずか3.40mというコンパクトなサイズながら、限られた空間に最大限の上質さを詰め込んだモデルだった。さらに1986年からは、この小さなイタリア車に四輪駆動モデルも設定されている。ブラックで塗装されたテールゲートとシャープなスポイラーリップを備えたY10は非常に個性的なクルマだったが、上級グレードであっても走行時にはどこか華奢な印象を残していた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67562,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Y10-4WD-stehend-von-der-Seite-3061-2510x1675-1f1b516696a2a196-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67562"/><figcaption class="wp-element-caption">黒いサイドパネルから、ランシアY10が四輪駆動モデルであることがわかった。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">アウディ80（B3）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>品質は劇的に向上したものの、今日の評価はそれほど高くはない、史上最も丸みを帯びた「アウディ80（B3）」は、0.29という最高の空気抵抗係数（Cd）を誇った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67545,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Audi-80-B3-3057-1200x800-9ef282f451d59740-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67545"/><figcaption class="wp-element-caption">耐久性は高いが、ファン層を獲得するには魅力が足りない：アウディ80（B3）。<br>Photo：Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>全面亜鉛メッキボディや、前面衝突時にステアリングをドライバーから遠ざけると同時にシートベルトを締め上げる安全機構「プロコンテン（Procon-Ten）」を備えていたにもかかわらず、いまではほとんど誰も欲しがらないクルマとなってしまった。その魅力を覆い隠しているのは、どこか古臭いイメージだ。現在では、「アウディ90」のような装備の充実した上級仕様だけが比較的人気を集めている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1986年の名車たちは、以下のフォトギャラリーで紹介する、さらに多くの魅力的な車が登場している。昔懐かしい車や、ほとんど忘れ去られた車も多数登場する。お楽しみに！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">1986年のクラシックカー</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"id":67570,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-959-3051-1200x800-0241800c127c8dbc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67570"/><figcaption class="wp-element-caption">40年前、多くの魅力的な自動車が市場に登場した。最も注目された自動車は、ポルシェ959だった。1980年代のスーパーカーであり、非常に高価なハイテクの逸品で、ツインターボ、当初450馬力、四輪駆動（911ベースで初めて）を搭載していた。最高速度は317km/h、価格は42万マルク（約3,950万円）。アドバイス：もしあなたが非常に多額の余剰資金をお持ちであれば、購入することをお勧めする。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67558,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lamborghini-LM002-1840-1200x800-86c5b53f6b4525df-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67558"/><figcaption class="wp-element-caption">ランボルギーニLM002：ランボは、V12クンタッチエンジンを搭載したオフロード車を望むアラブのシェイクたちの欲求を見抜いた。5.2リッターV12、455馬力。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lamborghini-LM002-1840-1200x800-d73915640baa2d17-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67559"/><figcaption class="wp-element-caption">回転半径8メートル。我々のアドバイス：驚嘆しよう！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67554,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ford-Sierra-4X4-1840-1200x800-702297e6f9709a4b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67554"/><figcaption class="wp-element-caption">フォード シエラ4x4：XR 4x4と、最高級の装備、2.8リッターV6エンジン、XR4iの150馬力を搭載したギア4x4トーナメント（ステーションワゴン）があった。ビスコクラッチによる全輪駆動。評価：エキサイティングなアウトサイダー。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67562,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Y10-4WD-stehend-von-der-Seite-3061-2510x1675-1f1b516696a2a196-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67562"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチアY10 4WD：小さな車体に四輪駆動を搭載。パンダ4x4と同様に、後輪は手動で駆動をオンにする。評価：おしゃれな女性向け車の希少車種。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67557,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Jeep-Wrangler-1840-1200x800-0534ed1e3fd5946b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67557"/><figcaption class="wp-element-caption">ジープ ラングラー：1986年は角型ヘッドライトの年だった。CJの後継モデルは、ファブリックルーフと、わずか117馬力の4.2リッター6気筒エンジンを搭載していた。お勧め度：もちろん！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67546,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-7e6739703a5699af-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67546"/><figcaption class="wp-element-caption">コンバーチブルに乗り込み、風を髪に感じると、その年のあらゆる災難はすっかり忘れてしまう。15年ぶりの完全オープンタイプのBMWは、開放感あふれる喜びの典型例だった。BMW 325iカブリオレだ。<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67548,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-d0d14e9da4d6620b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67548"/><figcaption class="wp-element-caption">1986年式の3シリーズ カブリオレ（E30シリーズ）は、前モデル（E21）のバウアール カブリオレとは異なり、固定式のルーフパーツが廃止された。このカブリオレは当初、洗練された直列6気筒エンジンと170馬力を搭載した325iのみの販売だった。<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-325i-Cabrio-E30-1840-1200x800-654bb36df88ec792-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67547"/><figcaption class="wp-element-caption">4人乗りで、屋根は手動でフラップの下に収納できた。ウィンドディフレクターはまだなかったので、風の巻き込みは激しかった。1986年の価格は46,800マルク（約440万円）。結論：これを買うのは間違いじゃない！<br>Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Peugeot-205-3055-1200x800-555a5e4a98ad79b9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67567"/><figcaption class="wp-element-caption">プジョー205カブリオ：79馬力または105馬力から選択可能で、キャデラック アランテと同様にピニンファリーナ社で製造（エアブリッジなし）されていたが、ヘンケルマン式ロールバーが装備されていた。今日まで、その人気は衰えることを知らない。お勧め：ぜひ購入してください！<br>Photo：Christian Bittmann</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Saab-900-3053-1200x800-ad8af5836e85b7dc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67572"/><figcaption class="wp-element-caption">「サーブ900カブリオレ」は、サーブ初のオープンモデルであり、現在では非常に人気の高い一台となっている。当初は160馬力を発生するターボエンジン仕様のみが用意され、独特のエンジンサウンドと大きく傾斜したフロントデザインが特徴だった。結論：魅力あふれるクラシックカー！<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cadillac-Allant-1840-1200x800-0d39bb0164daace3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67551"/><figcaption class="wp-element-caption">キャデラック アランテ：まず、デトロイトからピニンファリーナにプラットフォームが運ばれ、ボディが取り付けられた後、最終組み立てのために再びデトロイトに戻された。当初のエンジンは4.1リッターV8、170馬力。結論：興味深い！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Citro-n-AX-1840-1200x800-7ead368548f4e7a5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67553"/><figcaption class="wp-element-caption">シトロエンAXは目立たない外観だが、乾燥重量640kgの良くできた小型車であり、そのパッケージングは非常に経済性に優れていた。AXは、大胆で、角張った、見やすいデザインで、驚くほど広い空間と可変性を提供していた。AUTO BILD誌とBILD am SONNTAG誌は、この車にゴールデンステアリングホイール賞を授与した。我々の評価：軽量構造と低燃費という驚異的な性能。したがって、購入は大賛成だ！<br>Photo：Brian Chittock / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Opel-Omega-1840-1200x800-2c5bb4992e262664-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67566"/><figcaption class="wp-element-caption">オペル オメガ：「カー オブ ザ イヤー」受賞、滑らかな表面、空力特性（Cd値：0.28）に優れ、トランクも十分な容量があるため、記録的な販売台数を獲得した。アドバイス：洗練された2.6iをお探しください。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Camry-2-1987-1840-1200x800-0379f2640ddec9cf-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67574"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ カムリ：不運なクレシダの後継車、中立的な自動車。長所：信頼性と成熟度。評価：魅力のないものにも魅力を感じる人々に最適。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Audi-80-B3-1840-1200x800-0f7eadf7e27edc9a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67544"/><figcaption class="wp-element-caption">アウディ80（B3）:風力抵抗係数（0.29）も最高値で、前モデル（B2）よりも丸みを帯びたデザイン。さらに、全面亜鉛メッキ加工が施され、非常に耐久性に優れていた。オプションとして、衝突時にハンドルを前方に引き、シートベルトプリテンショナーとして機能する「プロコンテン（Procon-Ten）」が採用されていた。結論: ピエヒ時代の逸品。今でも過小評価されている。<br>Photo：Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-M3-E-30-1985-1990-1840-1200x800-00094574fe35e0a3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67550"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW M3で疾走：1980年代の3シリーズには、コンバーチブルに加え、最高価格帯のレーシングバージョンも登場した。その2.3リッター4気筒エンジンは、驚異的な200馬力を発揮した。最高速度は235km/hにもかかわらず、日常的に使用するのにまったく問題はなかった。3シリーズのボディには、膨らんだフェンダー、よりフラットなリヤウィンドウ、プラスチック製のトランクドア、リヤスポイラーなど、レース用として必要なものがすべて装備されていた。結論：非常に高価だが、これまでにないほど楽しいマシンであり、コレクターズアイテムだ。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Aston-Martin-V8-Zagato-Volante-1840-1200x800-c02f1188313c565a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67543"/><figcaption class="wp-element-caption">アストンマーティン ザガート：ザガートは、一般的な美意識を大胆に無視したボディで知られている。その下には、5.3リッター432 馬力のV8 エンジンが搭載されていた。結論：すべてを持っている人向けのエキゾチックカーだ。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Thema-8-32-Limited-Edition-1840-1200x800-c5d78e3e5f753bfc-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67560"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア テーマ8.32：その名は”ランチア フェラーリ”ではない（エンツォはそれを望まなかった）。数字だけがフェラーリの心臓部、8気筒、32バルブを物語っている。こうして、この良識あるセダンはロケットへと変貌を遂げた。ヒント：鋭いサウンドだが、メンテナンス費用は桁外れに高いので注意が必要だ。<br>Photo：Goetz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ford-Sierra-Cosworth-RS-1986-1840-1200x800-70c8e37db809f20c-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67555"/><figcaption class="wp-element-caption">フォード シエラ コスワース：ターボ、4バルブ、ホエールテールリヤウィング、2リッターの排気量から204馬力を発生。評価：コレクターズアイテムとしての価値が高いフォードの希少な名車だ！<br>Photo：Uli Sonntag</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67542,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Alfa-Romeo-75-Turbo-1840-1200x800-8a6b210ce4021ea4-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67542"/><figcaption class="wp-element-caption">アルファロメオ75ターボおよびV6：この年の悲惨な出来事には、フィアットがアルファロメオを買収したことも含まれる。75は、パワーも備えた最後の「真の」アルファロメオとなった。評価：繊細で気難しいターボ、洗練されたV6。<br>Photo：Andrea Schick-Zech / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Mazda-RX-7-Turbo-1986-1840-1200x800-e8deb79289f1e94a-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67563"/><figcaption class="wp-element-caption">クーペはいかが？ヴァルター ベンツ！それがマツダRX-7の卓越した点だった。タービンのような動きと音を持つエンジンで、マツダはポルシェ944に世界的に厳しい競争を挑んだ。150馬力、しかしトルクはわずか182Nm。この車は高回転を必要とした。7.4km/ℓという悪い燃費が欠点で、エンジンはオイルを消費しやすいのも難点だった。シャーシとシフトは完璧で、装備も充実していた。ユニークなエンジンを搭載した素晴らしいスポーツカーで、今でも手頃な価格で入手できる！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67568,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-924-S-1987-1840-1200x800-da17a41f4c7bd217-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67568"/><figcaption class="wp-element-caption">ポルシェ924 S： このSは125馬力の2リッターアウディエンジンからの脱却を意味していた。その代わりに、150馬力のみの944の軽量化されたポルシェエンジンが搭載された。ヒント：比較的安価に入手可能だが、スペアパーツは高価だ。<br>Photo：Angelika Emmerling / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67569,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Porsche-944-S-1987-1840-1200x800-feed0a24c0c22194-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67569"/><figcaption class="wp-element-caption">そして、その兄貴分であるポルシェ944 S：Sは、シリンダーあたり4バルブのエンジンチューニングを意味していた。出力は163馬力から190馬力にアップ。我々の意見：過小評価されているため、比較的安価な車だ！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67576,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Supra-3-0i-Turbo-1840-1200x800-ba6eccde12d9f15e-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67576"/></figure>
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<!-- wp:image {"id":67575,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Toyota-Supra-3-0i-Turbo-1840-1200x800-90cddaa3ee062095-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67575"/><figcaption class="wp-element-caption">トヨタ スープラ：トヨタはスポーツカーも作れたのだ。3リッター直列6気筒エンジンから204馬力を発生、それにタルガルーフも付いている。トヨタのスポーツカーを見てわかったこと：こんなに良質で安い車はめったにない！<br>Photo：Andreas Lindlahr / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67577,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Volvo-480-Turbo-1985-bis-1995-1840-1200x800-7c037700e8312377-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67577"/><figcaption class="wp-element-caption">ボルボ480 ES： ボルボ初のフロントドライブ車、雪の女王の棺を彷彿とさせるスタイリッシュなクーペ、ボルボP1800 ES。特徴：高速、希少、そして驚くほど安価！<br>Photo：Klaus Kuhnigk / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67556,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Jaguar-XJ40-1986-1840-1200x800-1d6e6081c834fd07-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67556"/><figcaption class="wp-element-caption">より優れたジャガーXJ40は角型ヘッドライトを搭載していたが、エントリーモデルの丸型ヘッドライトの方がよりよく似合っていた。それでも、この車は、レザーとウッド、そして品質面でも、あらゆるステレオタイプを備えた説得力のあるジャガーだった。ジャガーは、ダッシュボードなど、初めて電子機器に挑んだ。このエレガントなセダンは、中古車市場で長い間、安売りされていた。したがって、我々のアドバイスは、これ以上安くなることはない、ということだ。そして、それは本物のジャガーだ！<br>Photo：: Bernhard Schmidt / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67571,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Rover-800-1840-1200x800-5124831a4bd81778-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67571"/><figcaption class="wp-element-caption">ローバー800：このローバーは、実際にはホンダ レジェンドであり、そのスタイリングは地味だが、内装は上品で、クルミ材が使用されている。結論としては、“走る歴史遺産”のような一台だ。<br>Photo：Klaus Kuhnigk</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67549,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/BMW-735i-E-32-1840-1200x800-98c09bb8220c14b4-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67549"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 7シリーズ（E32）：バイエルン州発の画期的なモデルで、その前身であるやや重厚なデザインとは対照的に、明快で力強いデザインを採用。さらに、宿敵であるメルセデスに対するハイテク攻勢も展開。アドバイス：将来、価値が高まるだろう！<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Lancia-Thema-Station-Wagon-1840-1200x800-79c78e58ab757262-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67561"/><figcaption class="wp-element-caption">ランチア テーマ ステーションワゴン：ピニンファリーナがジュリアーノの設計を改良。こうして誕生したこのステーションワゴンは、ペンキ缶を運ぶには不向きだった。我々の意見：クールだが、需要は低迷。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Golf-GTI-1986-1840-1200x800-e601ec3028f946e8-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67578"/><figcaption class="wp-element-caption">Photo：Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Golf-II-GTI-16V-1840-1152x768-30981ce35f46c559-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67579"/><figcaption class="wp-element-caption">VWゴルフGTI 16V：1983年に発表されたが、1986年まで出荷されなかった。追加の8つのバルブがVWに「頭痛の種」となったのだ。しかし、ついに登場すると、その回転性能、パワー、トルク、そして2バルブのGTIの方が低回転域での加速は優れていたものの、その性能は高く評価された。1.8リッター4気筒16Vエンジンは、触媒コンバーターなしの場合139馬力（最高速度208km/h）、触媒コンバーター付きの場合129馬力（最高速度193km/h）を発揮した。さらに、軽量で操作性も優れていた。触媒コンバーターなしモデルの初期価格は25,595マルク（約240万円）だった。我々の意見：魅力的な楽しいマシンだが、改造されていないものを見つけるのは難しいだろう！<br>Photo：Holger Schaper</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Suzuki-Swift-1-3-GTI-1986-1840-1200x800-62fdb9af6fb6a220-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67573"/><figcaption class="wp-element-caption">スズキ スイフト1.3 GTi：小型のGTi。それでも16バルブ、ダブルカムシャフト、101馬力というハイテクを誇る。我々の結論：素晴らしい戦闘蜂。<br>Photo：Goetz von Sternenfels / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/VW-Polo-G40-1986-1840-1200x800-020b538e3f59b321-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67580"/><figcaption class="wp-element-caption">VWポロ（G40）：115馬力を発生させるスパイラルチャージャーの幅にちなんで名付けられた。0-100km/h加速9秒！評価：99%が容赦なく壊れたと思われる。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Nissan-Sunny-GTI-16V-Coup-1989-1840-1200x800-738eb95be188d334-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67565"/><figcaption class="wp-element-caption">日産サニー クーペGTi：もう1台のGTi、1.6リッター、110馬力、触媒コンバーター標準装備、スポイラー付き。評価：その極端な角張ったデザインで、特別な趣味を持つ人向けのエキゾチックな車。<br>Photo：Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>結論：</strong><br>1986年は交通安全の年と宣言されたものの、世界は混乱に陥り、事故件数は増加した。しかし、自動車メーカーは明らかにその流れに歯止めをかけた。シャーシは以前から改良が進んでおり、ABSが徐々に導入され、四輪駆動が突然普及した。ほとんどの自動車は新しいCd値（空気抵抗係数）を記録し、触媒コンバーターが普及し始めた。さらに、ディーゼルエンジンも人気を博した。1987年には、事故件数は再び減少した。自動車メーカーが自動車にますます多くの電子機器を搭載し始めたことは、良い面も悪い面もあった。<br>Photo： Markus Heimbach</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Bernhard Schmidt and Matthias Brügge</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【唯一無二のテスタロッサ】フィアット元会長ジャンニ アニェッリのための「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」その驚きとは？全ての情報をレポート！</title>
		<link>https://autobild.jp/67240/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 May 2026 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[Anantara Concorso Roma]]></category>
		<category><![CDATA[Ferrari]]></category>
		<category><![CDATA[アナンターラ コンコルソ ローマ]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア車]]></category>
		<category><![CDATA[ジャンニ アニエッリ]]></category>
		<category><![CDATA[ジャンニ アリエッリのフェラーリ テスタロッサ スパイダー]]></category>
		<category><![CDATA[テスタロッサ スパイダー]]></category>
		<category><![CDATA[フェラーリ]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリ テスタロッサ スパイダー：ジャンニ アニェッリのための1台限りのモデル。フェラーリがソフトトップ付きのテスタロッサ スパイダーを製造したことだけでも、それだけでセンセーショナルな出来事だ。しかし、真の驚きは、その切り替え可能なクラッチペダルにある！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々は、「アナンターラ コンコルソ ローマ（Anantara Concorso Roma）」に取材に訪れている。これは、イタリアの歴史が生み出した最高級で、最も希少かつ高価な自動車の数々が集う、エリート向けの美の祭典だ。100年にわたるプロトタイプ、レーシングカー、そして特別仕様のイタリア車が並ぶ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それでも、我々はすぐにこの1986年式「フェラーリ テスタロッサ（Ferrari Testarossa Spider）」の周りに群がった。確かに、「テスタロッサ」は素晴らしい車だ。しかし、7,000台以上も生産されたこのモデルは、こうした貴重な名車たちの中にあって、まるで「VWゴルフ」のように平凡に見えてしまう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">1986年、ジャンニ アニェッリはこの1台限りの車を製作させた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、その中のこの1台は、おそらくすべての「テスタロッサ」の中で最も特別な存在だ。それは「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」。1966年から1996年までフィアット グループの経営トップを務めたジャンニ アニェッリが、自ら製作を命じ、設計・製造された唯一の1台である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67244,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-gerade-von-hinten-oben-3051-4201x2800-82ddbf1f6c028d08-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-67244"/><figcaption class="wp-element-caption">フェラーリ テスタロッサ スパイダーでは、エンジンルームだけでなく、車内も効果的に換気される。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは世界的に有名な車であり、普段は現在の所有者のガレージでしっかりと保護されている。しかし今日は、気温23度で日差しも強い中、「アナンターラ コンコルソ ローマ」に参加するため、外気に触れることになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">アニェッリの会長就任20周年記念の贈り物</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」が製作されたきっかけは、1986年にジャンニ アニェッリ（Gianni Agnelli）がフィアットグループの会長就任20周年を迎えたことだった。そこで贈り物が必要となった。しかし、贈られた相手が気に入らない贈り物もあるため、本人に選んでもらう方が無難だと周囲の人間は考えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そこでアニェッリは、エンジニアたちに「テスタロッサ クーペ」をロードスター（イタリアでは伝統的に「スパイダー」と呼ばれる）に改造するよう命じた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">電動式ソフトトップ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その結果、非常に魅力的ではあるものの、それほど驚くようなものではない車が誕生した。明るい色の布製ソフトトップは手動で開閉でき、その裏には固定式のハードトップが備わっている。唯一珍しいのは、シート後方に配置されたバーで、ルーフを閉じた後に電動で持ち上げられ、ソフトトップの生地を張る役割を果たす。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67242,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Dachbuegel-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3053-4986x3322-e0a65761c14fdc2e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-67242"/><figcaption class="wp-element-caption">ルーフを閉じた状態では、テンションバーが立ち上がり、乗員の頭上にソフトトップを支える。ほぼ白に近い布製のソフトトップは、堅牢なカバーの下に収納されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">クーペにするか、スパイダーにするか？ それはアニェッリが自由に選べたのだ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」の真の見どころは、ほとんど目に見えないところにある： 5速マニュアルトランスミッションのクラッチは、通常は足で操作するが、希望すればクラッチをオートマチックモードに切り替えることができるのだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その仕組みはこうだ。ボタンを押すと、クラッチペダルが横にスイングし、電気機械式システムが自動的にクラッチの接続と切断を行う。このシステムはサプライヤーのヴァレオ社が開発した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67241,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cockpit-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3055-6000x4000-0137e4cc65fcedfd-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67241"/><figcaption class="wp-element-caption">テスタロッサ スパイダーのコックピットは通常のテスタロッサとほぼ同じ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67250,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Nachruest-Schalter-im-Cockpit-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3057-3000x2000-88624d091c8d81e9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67250"/><figcaption class="wp-element-caption">後付けされたソフトトップの開閉スイッチ（丸で囲んだ部分）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67248,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Fussstuetze-Kupplungspedal-und-Bremspedal-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3059-4771x3183-0fef75da935fa1c9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67248"/><figcaption class="wp-element-caption">収納可能なクラッチペダル（左側）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もちろん、この点を動画で紹介したかった。しかし、実際に車を確認した際、バッテリーが切れていた。ようやく「テスタロッサ スパイダー」が動き出した時には、すぐにローマ市内を走るツアーのスタート地点へ向かわなければならなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>『Classic &amp; Sports Car』誌は出典を明記せずに、このシステムはもともとランチアのラリーカー向けに開発されたものだと報じている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「テスタロッサ」にこのシステムが搭載された背景には、1950年代初頭の重大な交通事故以来、アニェッリが脚の痛みを抱えていたことがある。後に彼が手に入れた「フェラーリF40」にも同様のクラッチシステムが搭載されており、「フェラーリ モンディアル」のいくつかのモデルにも採用されていたようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、我々の知る限り、このシステムが量産車に採用されたことはない。クラッチを使いたい時と使いたくない時があるというニーズを持つターゲット層は、おそらくかなり限られているだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">エンジン：12気筒、4.9リッター、最低390馬力</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この4.9リッター12気筒エンジンが、公称の390馬力なのか、それとも - 会長への気遣いとして - それより少し高い出力なのかは、記録に残っていない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67249,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Motor-des-Ferrari-Testarossa-3061-5720x3814-3ba7545098164934-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67249"/><figcaption class="wp-element-caption">「テスタロッサ」は“赤い頭”を意味する。ここでは、180度のシリンダーバンク角を持つV12エンジンの2つの赤いシリンダーヘッドを指している。1984年のテスタロッサは、1957年のレーシングカー「フェラーリ250テスタロッサ」からその名を継承した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">特別に希望ナンバーがつけられた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この車は「アルジェント101/C」の色で塗装されており、装飾ストライプは「ブルー 3282」である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67243,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Detail-des-Ferrari-Testarossa-Spider-rund-um-den-Beifahrer-Aussenspiegel-3061-6000x4000-029986a850038c93-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67243"/><figcaption class="wp-element-caption">特別仕様車の「スパイダー」では、フロントの乗員室周囲に青いコントラストストライプが施されている。フロントガラスのフレームは補強されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67246,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Flanke-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3061-6000x4000-4524574d630912da-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67246"/><figcaption class="wp-element-caption">エアインテークのルーバーやピニンファリーナのロゴの下にも、青いストライプが走っている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、イタリアでは希望ナンバーは本来禁止されていた。しかし、「真のイタリアの王」とも呼ばれたジャンニ アニェッリのために、登録局は例外を認めた。こうして、「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」は「TO 00000G」というナンバープレートを手に入れたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67247,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Front-des-Ferrari-Testarossa-Spider-mit-Nummernschild-3061-4539x3026-0dae7a86b6e062b3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67247"/><figcaption class="wp-element-caption">TOはトリノ（Torino）の略、Gはジャンニ（Gianni）の頭文字で、これはフィアット創業者ジョヴァンニ アニェッリ（Giovanni Agnelli）と同名の孫であるジョヴァンニ アニェッリを、祖父と区別するために“ジャンニ”と呼んでいたことに由来する。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">価値：100万ユーロ（約1億9千万円）以上</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このような有名な一点物の価値はどれくらいだろうか？2016年、このフェラーリ テスタロッサ スパイダーはアートキュリアルで120万ユーロ（約2億2,800万円）強で落札された。もし現在の所有者が今日これを売りに出したとしても、その金額より低くなることは決してありえないだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer<br>Photo: Thomas Starck / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-schraeg-von-vorn-mit-AUTO-BILD-Redakteur-2869-5907x3322-aab9d700303fb24d-768x431.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリ テスタロッサ スパイダー：ジャンニ アニェッリのための1台限りのモデル。フェラーリがソフトトップ付きのテスタロッサ スパイダーを製造したことだけでも、それだけでセンセーショナルな出来事だ。しかし、真の驚きは、その切り替え可能なクラッチペダルにある！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>我々は、「アナンターラ コンコルソ ローマ（Anantara Concorso Roma）」に取材に訪れている。これは、イタリアの歴史が生み出した最高級で、最も希少かつ高価な自動車の数々が集う、エリート向けの美の祭典だ。100年にわたるプロトタイプ、レーシングカー、そして特別仕様のイタリア車が並ぶ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>それでも、我々はすぐにこの1986年式「フェラーリ テスタロッサ（Ferrari Testarossa Spider）」の周りに群がった。確かに、「テスタロッサ」は素晴らしい車だ。しかし、7,000台以上も生産されたこのモデルは、こうした貴重な名車たちの中にあって、まるで「VWゴルフ」のように平凡に見えてしまう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">1986年、ジャンニ アニェッリはこの1台限りの車を製作させた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、その中のこの1台は、おそらくすべての「テスタロッサ」の中で最も特別な存在だ。それは「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」。1966年から1996年までフィアット グループの経営トップを務めたジャンニ アニェッリが、自ら製作を命じ、設計・製造された唯一の1台である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67244,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Ferrari-Testarossa-Spider-stehend-gerade-von-hinten-oben-3051-4201x2800-82ddbf1f6c028d08-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-67244"/><figcaption class="wp-element-caption">フェラーリ テスタロッサ スパイダーでは、エンジンルームだけでなく、車内も効果的に換気される。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これは世界的に有名な車であり、普段は現在の所有者のガレージでしっかりと保護されている。しかし今日は、気温23度で日差しも強い中、「アナンターラ コンコルソ ローマ」に参加するため、外気に触れることになった。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">アニェッリの会長就任20周年記念の贈り物</h3>
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<p>「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」が製作されたきっかけは、1986年にジャンニ アニェッリ（Gianni Agnelli）がフィアットグループの会長就任20周年を迎えたことだった。そこで贈り物が必要となった。しかし、贈られた相手が気に入らない贈り物もあるため、本人に選んでもらう方が無難だと周囲の人間は考えた。</p>
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<p>そこでアニェッリは、エンジニアたちに「テスタロッサ クーペ」をロードスター（イタリアでは伝統的に「スパイダー」と呼ばれる）に改造するよう命じた。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">電動式ソフトトップ</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<p>その結果、非常に魅力的ではあるものの、それほど驚くようなものではない車が誕生した。明るい色の布製ソフトトップは手動で開閉でき、その裏には固定式のハードトップが備わっている。唯一珍しいのは、シート後方に配置されたバーで、ルーフを閉じた後に電動で持ち上げられ、ソフトトップの生地を張る役割を果たす。</p>
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<!-- wp:image {"id":67242,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Dachbuegel-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3053-4986x3322-e0a65761c14fdc2e-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-67242"/><figcaption class="wp-element-caption">ルーフを閉じた状態では、テンションバーが立ち上がり、乗員の頭上にソフトトップを支える。ほぼ白に近い布製のソフトトップは、堅牢なカバーの下に収納されている。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">クーペにするか、スパイダーにするか？ それはアニェッリが自由に選べたのだ</h3>
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<p>しかし、「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」の真の見どころは、ほとんど目に見えないところにある： 5速マニュアルトランスミッションのクラッチは、通常は足で操作するが、希望すればクラッチをオートマチックモードに切り替えることができるのだ！</p>
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<p>その仕組みはこうだ。ボタンを押すと、クラッチペダルが横にスイングし、電気機械式システムが自動的にクラッチの接続と切断を行う。このシステムはサプライヤーのヴァレオ社が開発した。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Cockpit-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3055-6000x4000-0137e4cc65fcedfd-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67241"/><figcaption class="wp-element-caption">テスタロッサ スパイダーのコックピットは通常のテスタロッサとほぼ同じ。</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67250,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Nachruest-Schalter-im-Cockpit-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3057-3000x2000-88624d091c8d81e9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67250"/><figcaption class="wp-element-caption">後付けされたソフトトップの開閉スイッチ（丸で囲んだ部分）。</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":67248,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Fussstuetze-Kupplungspedal-und-Bremspedal-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3059-4771x3183-0fef75da935fa1c9-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67248"/><figcaption class="wp-element-caption">収納可能なクラッチペダル（左側）。</figcaption></figure>
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<p>もちろん、この点を動画で紹介したかった。しかし、実際に車を確認した際、バッテリーが切れていた。ようやく「テスタロッサ スパイダー」が動き出した時には、すぐにローマ市内を走るツアーのスタート地点へ向かわなければならなかった。</p>
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<p>『Classic &amp; Sports Car』誌は出典を明記せずに、このシステムはもともとランチアのラリーカー向けに開発されたものだと報じている。</p>
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<p>「テスタロッサ」にこのシステムが搭載された背景には、1950年代初頭の重大な交通事故以来、アニェッリが脚の痛みを抱えていたことがある。後に彼が手に入れた「フェラーリF40」にも同様のクラッチシステムが搭載されており、「フェラーリ モンディアル」のいくつかのモデルにも採用されていたようだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>しかし、我々の知る限り、このシステムが量産車に採用されたことはない。クラッチを使いたい時と使いたくない時があるというニーズを持つターゲット層は、おそらくかなり限られているだろう。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">エンジン：12気筒、4.9リッター、最低390馬力</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この4.9リッター12気筒エンジンが、公称の390馬力なのか、それとも - 会長への気遣いとして - それより少し高い出力なのかは、記録に残っていない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67249,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Motor-des-Ferrari-Testarossa-3061-5720x3814-3ba7545098164934-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67249"/><figcaption class="wp-element-caption">「テスタロッサ」は“赤い頭”を意味する。ここでは、180度のシリンダーバンク角を持つV12エンジンの2つの赤いシリンダーヘッドを指している。1984年のテスタロッサは、1957年のレーシングカー「フェラーリ250テスタロッサ」からその名を継承した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">特別に希望ナンバーがつけられた</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この車は「アルジェント101/C」の色で塗装されており、装飾ストライプは「ブルー 3282」である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":67243,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Detail-des-Ferrari-Testarossa-Spider-rund-um-den-Beifahrer-Aussenspiegel-3061-6000x4000-029986a850038c93-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67243"/><figcaption class="wp-element-caption">特別仕様車の「スパイダー」では、フロントの乗員室周囲に青いコントラストストライプが施されている。フロントガラスのフレームは補強されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":67246,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Flanke-des-Ferrari-Testarossa-Spider-3061-6000x4000-4524574d630912da-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67246"/><figcaption class="wp-element-caption">エアインテークのルーバーやピニンファリーナのロゴの下にも、青いストライプが走っている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>当時、イタリアでは希望ナンバーは本来禁止されていた。しかし、「真のイタリアの王」とも呼ばれたジャンニ アニェッリのために、登録局は例外を認めた。こうして、「フェラーリ テスタロッサ スパイダー」は「TO 00000G」というナンバープレートを手に入れたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2026/05/Front-des-Ferrari-Testarossa-Spider-mit-Nummernschild-3061-4539x3026-0dae7a86b6e062b3-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-67247"/><figcaption class="wp-element-caption">TOはトリノ（Torino）の略、Gはジャンニ（Gianni）の頭文字で、これはフィアット創業者ジョヴァンニ アニェッリ（Giovanni Agnelli）と同名の孫であるジョヴァンニ アニェッリを、祖父と区別するために“ジャンニ”と呼んでいたことに由来する。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">価値：100万ユーロ（約1億9千万円）以上</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>このような有名な一点物の価値はどれくらいだろうか？2016年、このフェラーリ テスタロッサ スパイダーはアートキュリアルで120万ユーロ（約2億2,800万円）強で落札された。もし現在の所有者が今日これを売りに出したとしても、その金額より低くなることは決してありえないだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Frank B. Meyer<br>Photo: Thomas Starck / AUTO BILD</p>
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