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映画界の天才ドライバー スティーブ マックイーン その人生とクルマ

2020年5月5日

スティーブ マックイーン: “The king of cool” と呼ばれた男の人生と車

40年前に亡くなったスティーブ マックイーンは、おそらくこれまでで最もクールなカードライバーであり、プレイボーイであり、頑固者でもあった。
しかし、何よりも、彼はカーマニアだった。今あらためてマックイーンの人生を彼の車とともに振り返る。

Photo:Getty Images

1980年11月7日、テレンス スティーブン マックイーンという男がメキシコで亡くなった。しかしそのことは、他の多くの有名人のように、大きなニュースにはならなかった。
なぜなら伝説の女たらしであり、おそらく最もクールなモータリストである俳優のスティーブ マックイーンというスターの存在は、その「テレンス」というブルジョアのような名前が一番前にあったせいで、かすんでしまったからだ。

スクリーン上のスター、スティーブ マックイーンは彼の作品を通して、年代を超越して本物の男のイメージを形作った。今日、彼によって具現化された機知と意志、ハートとタフさのミックスは、今なお多くの人にとってのお手本となっている。静脈の中にガソリンが流れている人にとって、マックイーンは永遠のヒーローだ。

スティーブ マックイーンの物語は、1930年3月24日、インディアナ州ビーチグローブという小さな街でスティーブンが生まれたときに始まる。インディアナポリス郊外のビーチグローブは、有名な「インディ500」レースの開催される有名なモータースピードウェイからわずか約20分のところにあった。彼の父親は決して「小さなスティーブには会おうとは」せず、母親はアルコール問題を抱えていた。それが、多くの時間を叔父の経営する農場で、一人で過ごす理由だった。母親と一緒にロサンゼルスに引っ越した後、マックイーンはさまざまな若いギャングたちの仲間に加わった。

彼は17歳で家を離れ、米海兵隊に入り、整備士として訓練を受け、5年後の1952年、彼はニューヨークで演技を学び始める。当然、最初の頃は木こりや指揮者のようなチョイ役しかもえられなかったため、数年間は下積み生活を強いられた。
しかし、1958年に始まったTVシリーズ「拳銃無宿」や1960年に公開された「荒野の7人」が大きな転機となり、彼のキャリアは大きく開花する。

1952年、彼はニューヨークで演技訓練を始めた。だが当然、最初はチョイ役ばかりだった。 Photo:dpa
1958年の「バウンティハンター」シリーズと1960年の「ザグロリアスセブン」シリーズから彼の華々しい映画人としてのキャリアがはじまる。世界一、ボアのついたフライトジャケットの似合う男かもしれない。 Photo:dpa

その後に出演した映画は、「大脱走」、「シンシナティキッド」、「ネバダスミス」、「砲艦サンパブロ」、「華麗なる賭け」、「ブリット」、「」、栄光のル・マン」、「ゲッタウェイ」、「パピヨン」、「タワーリング インフェルノ」、そして最後の作品となった「ハンター」…などすべて大ヒットした。そして、これらの映画を取り巻く伝説は限りなく多い。

たとえば、「ブリット」のセットでは、マックイーン自身が特定のスタントを行わないようにとの方針で映画の撮影が準備されていたが、マックイーンは自分で運転すると言い張って聞かず、ほとんどのシーンを自らがハンドルを握って撮影した。サンフランシスコの急な下り坂を降りるシーンだけはあまりに危険であったため、スタントドライバーであるバッド イーキンズに運転をさせることになってしまったが、そのことに関してマックイーンは激怒したという記録が残っている(が、そのシーンだけは明らかにマックイーンが運転するシーンよりもうまく左折しており、よく画面を見ていると判別がつくほど上手に走っているのは皮肉である)。

Photo:Werk

ホイールスピンの白い煙! これこそマックイーンの運転の魅力のひとつだ! この映画「ブリット」ではマックイーンが乗るシーン撮影用の「ヒーロー」と呼ばれる車と、アクションを担当した「ジャンプ」と呼ばれる2台が使われたと言われているが、この写真はおそらくヒーローの方だろう。
そのヒーローは、今年の1月10日にフロリダで行われたオークションにおいて、はげしい入札が繰り返されたのち、340万ドル(約3億7千万円)で落札された。

ワイルドなバイクやスポーツカーを用いた「クールオブキング」以降も、彼が自ら着る洋服に関してだけでなく、絶妙で独自の趣向を車に持っていたことは明らかだ。 ポルシェ911、ポルシェ911ターボ、フェラーリ275 GTB、ジャガーXK SSなどが置かれたマックイーンのガレージを見ればそれがわかる。

所有車の1台、ポルシェ911。
「ブリット」に出ていたマスタングのようなボディカラーの911ターボ。 Photo:Mecum Auctions
お気に入りの1台だったフェラーリ275GTB。Photo:Werk
普段の足だった(?)ジャガーXK SS。Photo:Charlie Magee

そして、それらのクルマでハリウッドとパームスプリングスで騒動を引き起こしてしまう。 モデルの女性たちを独占するだけでなく、彼の運転スタイルはいつもかなり速く、かなり大胆で、かなり無謀だった。
たとえば、ジャガーXK SSで助手席から自分の写真を撮影するカメラマンを同乗させた時、ハリウッドブルバードではアクセル全開だった。
また彼は自分のバイクに乗って田舎を駆け抜けるのも大好きで、その際には、アドレナリンを大量に分布していたと語っていた。もちろんその場合にも全開だったに違いない。

通勤用(?)のジャガーDタイプXKSSで撮影所を後にするマックイーン。これぞスターではないか。Photo:Getty Images

その後もマックイーンは、トップスターであったにもかかわらず、「ブリット」をはじめとして、多くの向こう見ずなシーンを自ら運転、撮影することを楽しんでいた。マックイーンはワイヤーロープのような強靭な神経を持ち、2輪と4輪車を運転する才能もモータースポーツへの関心も強かったのだ。

1964年に、彼は10人の仲間と共に、旧東ドイツのエアフルトへの6日間の国際モトクロス旅行に出かけたし、その 6年後には、彼はフロリダ州セブリングで、ポルシェ908/02で12時間レースにも参戦したが優勝にはいたらず2位に終わった(それでも2位だ)。その後も、ネバダ州の砂漠やメキシコ北部のオフロードレースに友人と参加し、映画撮影の合間には練習を積み重ねてレースに向けて準備していた。

結婚について言えば、2人の子供を持つニール アダムスとの失敗の後、アリ マッグローと結婚し、さらに最後にはモデルのバーバラ ミンティと最後の時間を過ごしている。
また彼は多くの事件に関与していたともいわれるが、40代となった1970年代半ば以降になるとマックイーンは、きらびやかなハリウッドの世界から退き、飛行機、車、オートバイ、いくつかの武器(!)、そしてバーバラ ミンティと2人でひっそりと格納庫に住んでいたといわれている。その当時の模様は 1980年1月に結婚した彼女だけは写真を撮ることができたため、何枚かは見ることができるが、それがなければ後には写真は1枚も残らなかったほどだ。
そしてその時、誰も彼の着実に悪化している健康について気付いていなかった。結局マックイーンは癌が原因で亡くなったが、それは彼の兵役中の激しい喫煙とアスベストとの接触とが理由なのではないかと言われている。彼はシボレーのキャンピングカーをメキシコのシウダー フアレスに運びそこで治療と療養を行っていたが、癌の手術後、彼は心臓発作で1980年11月7日、この世を去った。享年50歳。

最初の妻、ニール アダムスと。おそらく1960年代撮影と思われるが、どこかの撮影所、だろうか?Photo:Getty Images
「パピヨン」(写真)撮影時、2番目の妻アリ マッグローとともに。その直前に制作された「ゲッタウェイ」の撮影中に、彼らは出会い恋に落ちた。Photo:dpa
マックイーンの3人目の妻、バーバラ ミンティ。Photo:Getty Images

それからちょうど40年となる2020年1月、フロリダのオークションに、映画ブリットで使用されたマスタングが出品された。ブリットでマックイーンが乗るシーン撮影用に使われた「ヒーロー」と呼ばれた車だ。

ジャンプはメキシコの廃車置き場で2017年に発見されたが、「ヒーロー」の方は40年間納屋でひっそりと眠り、その間の主なオーナーであったニュージャージー州の保険会社役員ロバート キールナンは日常的にこの車を使用し(その間にマックイーン本人から譲ってほしいと2回のオファーがあったが、キールナンは断ったそうだ)、マックイーンが亡くなった1980年以降はトラブルのためガレージに置きっぱなしになっていたという。

このことは今でもマックイーンがその頃呼ばれた「The king of cool」という存在を今でも保ち続けている証左でもあり、これからも彼の存在と姿はスクリーンと人々の心の中に、ずっと残り続けるであろう。
女性と車とレースを愛したマックイーンは、永遠にクールなのだ。

Photo:Getty Images
Photo:Getty Images
Photo:Getty Images
1930年3月24日、テレンス スティーブン マックイーンはインディアナ州ビーチグローブで生まれた。そこは世界三大レースのひとつとして有名な、「インディ500」のおこなわれるインディアナポリス モータースピードウェイからからわずか20分離れたところだった。 Photo:AUTO BILD MOTORSPORT / Werk
超有名な「大脱走」のワンシーン。トライアンフTR6トロフィ。タイヤがブロックパターンに改造されている。なお、マックイーンはトライアンフ スピードツインをはじめ、多くのオートバイを持つコレクターでもあったが、2019年に彼の持っていた一台である1938年モデルの5Tスピードツインがオークションに出され、17万5500ドル(約1900万円)で落札された。Photo:dpa
これが最近、5000万円でオークションにおいて落札された、VWビートルベースの、サンド バギー。Photo: dpa
オレンジのシャツと、黒いショート丈のパンツがなんとも粋だ。なお、「華麗なる賭け」はピアース ブロスナン主演でリメイクされたこともある。最近、彼が「華麗なる賭け」で運転したVWビートルベースのサンド バギーはオークションで、45万6000ドルで落札された。マスタング マッハ1でないにもかかわらず、約5000万円とは!Photo:dpa
「もっとアクセル踏め、小僧!」ぬかるんだ道を押しまくる!Photo:dpa
「ゲッタウェイ」のワンシーン。フォード(が多かった)のパトカーが燃えたり転がったりするのはこの時代のお決まり事だった。「タワーリング インフェルノ」でも自らファイヤーチーフカーを運転し、サンフランシスコ中央部のグラスタワービルに駆け付ける。Photo:dpa
サンフランシスコのロケで、フォードに乗り込むマックイーン。ロング丈のコートもファッションアイコンとなった。となりのデイムラーも時代を感じさせて、なんともいかしている。Photo:dpa
当たり前ながらシートベルトなし! なんとも今はいかした映画を作りにくい時代になったものである。左利きのため、時計(オメガか?ホイヤーか?)を右腕にはめるのも彼のファッションスタイルのワンポイント。Photo:dpa
愛用する911に乗るマックイーン。黒いタートルにジャケットは彼の代表的なアイコンスタイルだ。三角窓とミラーなどからもわかるように、もちろんナロー911だ。Photo:dpa
撮影用マスタングとともに。このグリーンのマスタングはもちろん世界的に伝説的な一台であり、当のフォードも21世紀になってから、この車にあやかってセルフカバーするようなグリーンのマスタングを限定車で出したりするほどの人気者である。
前述のように、ブリットではマックイーンが乗るシーン撮影用の「ヒーロー」と呼ばれる車と、アクションを担当した「ジャンプ」と呼ばれる2台が使われたと言われているが、これはおそらくジャンプのほう(運転席側にミラーがないので)だろう。
「ジャンプ」は2017年にメキシコの廃車置き場で発掘され、レストアされた。Photo:dpa
マスタングの敵役ダッジ チャージャー。いかにも悪そう、これぞヒール。Photo:Alexandra Lier
サンフランシスコの街を走るシーンはほとんどのシーンを自らがハンドルを握って撮影した。サンフランシスコの急な下り坂を降りるシーンだけはあまりに危険であったため、スタントドライバーであるバッド イーキンズに運転をさせることになってしまったが、その件に関してマックイーンは激怒したという記録が残っている(が、そのシーンだけは明らかにマックイーンが運転するシーンよりもうまく左折しており、よく画面を見ていると判別がつくほど上手に走っているのは皮肉である)。Photo:Werk
ファイアストーンのつなぎを着たマックイーン。本当はプロのレーサーになりたかった、という。「栄光のル・マン」は世界的に有名な映画だが、実際にもマックイーンはジャッキー スチュワートと共にポルシェ917でルマンに参戦を希望していたといわれている。しかし映画配給会社が反対し、その話は消えてしまった。Photo:dpa
この嬉しそうな顔。実際の運転はかなり乱暴で、力任せであったともいわれている。Photo: Getty Images
ジャガーで友人とハリウッドブルバードを全速力で走った時は、常にアクセル全開だった。Photo: dpa
もちろんオートバイも大好き。またがっているバイクはホンダだ。Photo:dpa
Photo:Getty Images
Photo:dpa
1970年、フロリダのセブリング12時間レースにハピーター レブソンと組んでポルシェ908/02で2位に入賞。このレースの2週間前に、オートバイの事故で左足をケガしていたにもかかわらず…。Photo:dpa
ネバダ州の砂漠とメキシコ北部のオフロードレースでは、こんな車さえドライブしている。
大脱走のシーンだが、このシーンは残念ながら友人であるバイク仲間のバド イーキンズが代役でジャンプした。マックイーンは自分でやりたがったが、保険会社が難色を示したためだという。Photo:Getty Images
もちろんこれは本人。この後にジャンプするシーンのみ、友人のバド イーキンズが乗って演じた。Photo:Getty Images
ドイツ兵の衣装も「鉄かぶと」も、ちょっと似合わない? やはり似合うのはフライトジャケットであり、Tシャツやハイネックのセーターだろう。Photo:Getty Images
マックイーンはポール ニューマンと並んでレースを愛した男でもある。ちなみに2人の大スターが共演した「タワーリング インフェルノ」(フェイ ダナウエイ、ウイリアム ホールデン、フレッド アステア(!)、ロバート ワーグナー、OJシンプソンなどなど、豪華俳優の宝石箱状態の映画だった)では、どちらがいったい主役なのか論争となり、悩んだプロデューサーは、映画の始まりで、アッと驚く解決方法をタイトルロールで描いた。主役は一番初めに名前が出るのが常だが、この映画では2名同時に並んで出るのである。だがそこにも悩みはあり、通常は左の方(つまり上手)のほうが偉い、という決まりがあるのだが、さあ一体どっちの名前が左に置かれているかは、直接観て確かめてほしい。Photo:dpa
「栄光のル・マン」のワンシーン。マックイーンは実際にルマンに、ジャッキー イクスと共に参戦することを企てたが、残念ながらその願いはかなわなかった。Photo:dpa
飛行機も所有。格納庫に車や飛行機、武器なども所有していたという。このころすでに病魔が彼をむしばんでいた。Photo:dpa

Text: Lars Hänsch-Petersen、 大林晃平