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【クラシックカー15選 シリーズ】伝説となった革新的なクラシックカー15台 果たしてその中に日本車はいるか?

2022年7月15日

クラシックカー15選シリーズその6: この15台のクラシックカーは、今日のクラシックカーシーンの道標となっているため、自動車史上、特に重要なクラシックカーと言えるのである。

何十年も前、風通しの悪いガレージで、数人の老紳士が仕事を終えた後、集まっていた。愛するクルマをいじくり回すことに没頭している。ビールとタバコを片手に、袖をまくり上げ、戦前の旧い車をいじっている。そう、クラシックカーはあまり騒がれなかった贅沢な趣味であった。そして今日は? 現在、クラシックカーのドライビングは、人気急上昇中のスポーツとなりつつある。

2022年1月1日現在、ドイツ国内には、30年以上経過した自動車やバイクは、73万1千台以上ある。このうち、70万台以上がHナンバー(クラシックカー用ナンバープレート)であり、つまり、オーナーから片時も目を離さされずに、丹念にメンテナンスされたベテランモデルたちが中心となっている。1年前は65万台以下だったこと、この5年間はかなりきれいに右肩上がりのカーブを描いていることを考えると、100万台の大台に乗るのはそう遠くないはずだ。ドイツでは、クラシックカーが、すでに自動車全体の1%以上を占めているのだ。

愛好家の強いコミュニティ

この数字が示すとおりで、愛する技術文化財をガラガラと動かし、輝かせ続けるのは、愛好家たちの強いコミュニティだ。そして、その周辺には、カーショップや自動車クリニック、ペイントショップなどの専門店が軒を連ねている。つまり、今や、何百万人もの人々が、物質的にも、理想的にも、クラシックカーの分野に参加しているのだ。こうなったのも、彼らの情熱は別として、本当に大切なクルマが存在していたおかげであるといえる。

そして史上、特に重要なクラシックカーには、ただひとつの特徴がある。それは、多くの人がそのクルマに興奮することだ。彼らは、偉大で革新的、そして時には問題を抱えたクラシックカーの海に浮かぶ灯台なのだ。

もちろん、T型フォードは遠い昔の話だが、オールディーズのシーンの最初の火付け役みたいなものだった。そうやって、いじくり回していたのがすべての始まりだ。

15台の革新的で重要なクラシックカーは素晴らしく、多くの人が所有することを夢見る。しかし、もし彼らだけだったら、カラフルなクラシックカーの世界はかなり退屈になってしまうだろう。だから、彼らを称えよう。そして、彼らの仲間や後継者たちも愛し続けていくことは間違いない。

15台の最も重要なクラシックカー

VWビートル
最も重要なクラシックの王者: 「ビートル」には常に愛と憎しみがある。そのすべてのバリエーションにおいて、革新的であると同時に過大評価され、狂おしいほど美しい、あるいは恐ろしいとされている。しかし、ドイツで最も人気のあるHナンバー(クラシックカー用ナンバープレート)の車であることに変わりはなく、一目で世界中に認知されている。「VW 1302」として最も人気があり、1971年には129万1,612台と最高の生産台数を記録し、1972年初めには「T型フォード」を抜いて、最多生産台数となった。そして1974年、VWゴルフによって引き継がれた。
大林晃平: もう見飽きた感もあるが、ビートルが偉大な車であったことは間違いない。膨大な台数が存在していたため、今でも入手は可能だが、程度が少しでもよいものを選ぶべき。「フィアット500」や「ミニ、「シトロエン2CV」と並ぶ名車であることは言うまでもない。数年前まで「FFのフォルクスワーゲン ゴルフ」をベースとした、着せ替え人形のようなビートルも存在していたが、あまりに自動車としてのパッケージングを無視した、昔のビートルを冒涜するような恥ずかしいモデル、と純粋なビートルファンから小石を投げられた結果、消滅してしまったのはちょっと残念だった。
フォード グラナダ
すべてのヤングタイマーの祖先: 後輪駆動とV6は、1990年代にペイントローラーや溶接機で初心者のドライバーを誘惑した。当時、「フォード グラナダ」をどう扱ったかは、今となっては涙ぐましいほどである。しかし、旧いクルマが若い人たちの間でカッコいい存在となったのは、個性的な「グラナダ」や「タウナス」、「オペル レコルト」や「メルセデス/8」など、リラックスした雰囲気のクルマによるものと、あとは数多の映画を通してだ。
大林晃平: いきなり「フォード グラナダ」か・・・。いったいこの車のどこが魅力的で、伝説となったクラシックカー15選に入ったのか、私ごときにはさっぱりわからない。まあ今も見てもそれほど悪くはないシンプルなデザインではあるけれど、正直、本国のAUTO BILDスタッフにもっと詳細な理由を聞いてみたい(また、写真の一台は純正ではなさそうなホイールがえらくダサいのと、マッドフラップが不格好だ)。よほど後ろに止まっている、「メルセデス・ベンツ R107 SL」のほうが革新的なクラシックなのではないだろうか。
メルセデス・ベンツ 300 SL “ガルウィング”
新生メルセデス: 「メルセデス・ベンツ300SL」のガルウィングドアは、特徴的ではあるが二次的なものである。1954年、「W198」シリーズは、ナチスや戦争時代から解放されたモダンなブランドとしてメルセデスの新たなスタートを切り、アメリカにスターを送り出したのだ。これこそが、すべてのメルセデスファンにとって重要なウイングなのだ。
大林晃平: メルセデス・ベンツの歴史上、最大の人気者はきっとこれ(か、SSK)。つい最近、メルセデス・ベンツは「ミトス」シリーズとして、コレクター向けの限定生産シリーズを作ると発表し、その第一弾はどうやら、これ(かSLスピードスター)になるらしい。そしてそのミトスシリーズは、メルセデス・ベンツのコレクターや、メルセデス・ベンツをいっぱい持っている上客にのみ提供され、メルセデス・ベンツ本社からのご招待がないと買えないのだという。うーむ、どういう商売をしようが文句を言う筋合いにはないが、本当にそれがメルセデス・ベンツにとって良い行為かどうか、僕にはよくわからない。そもそも公正取引委員会に怒られないのだろうか。
T型フォード(Model T)
クラシックの元祖: 世界がまだ裸の進歩を信じていた頃、一握りのノスタルジックな人々が、ブラス時代のクルマで今日のヴィンテージシーンの礎を築いた。また、1926年からベルリンで9,000台近く組み立てられたフォード社の「T型フォード」も中心的な役割を果たした。丈夫であること、入手しやすいこと、記憶を呼び起こすこと、これらは現在と同じ基準だ。
大林晃平: いやー、アメリカのテキサスやアラバマとかだけでなく、大都市NYやボストンでも、うじゃうじゃいるわ、「F-150」ピックアップ。好きだよねえ、ヤンキー。でっけえのなんの。おかあちゃんやおねえちゃんも運転している、アメリカの国民車、それが「フォードF-150」だ。その本家のご先祖様がこのT型フォード。そもそもこの車がなかったら、世の中に自動車文化は芽生えてなどいない。ちなみに、当時の有名なキャッチコピーは「どんな色にでも塗ります、黒ならば」、っていわゆるアメリカンジョークってやつなんすか? あにき、そうなんですか??
オペル マンタ
大衆のスポーツカー: 1台目はエレガント、2台目(写真)はいつの間にかジョークに堕ちた。「アスコナ」の技術のおかげで、「オペル マンタ」の両シリーズは頑丈だった。70年代、日常的な車である派生車種の「マンタ」や「フォード カプリ」、「VWシロッコ」に、多くの人が大きな愛着を抱いた。現在、オペルのクーペは新車としての人気は落ちているが、それでも侮ることはできない。だからこそ、15大クラシックのひとつに数えられるのだ。
大林晃平: 「オペル マンタ」、決して悪い車じゃない。この丸目4灯ライトのやつは、なんだかハンナバーベラのアニメに出てくる間抜けなコヨーテみたいな表情だけれど、全体的なフォルムは悪くはない。でも15台クラシックの一台に選ばれるほどの一台かというと、それほどじゃあない、ような気もするのだが(よっぽど、アウディ ビッグクアトロとかのほうが革新的じゃないか、と思うのは私だけだろうか・・・)。
シトロエン2CV
今日では想像しがたい: 1990年まで、シトロエンはダックを製造していた – 600ccの2気筒エンジンと29馬力、最終的には規制されていない触媒コンバーターまで搭載していた。結局、「自分はクルマを大事にしない」ということをクルマで示したい人たちが買ってくれただけだった。クルマの熱意・・・? ただ、それは違う。
大林晃平: 私の所有した自動車の中で、一番人強い印象を(いい意味でも悪い意味でも)与えてくれたのは、この「2CV」だ。1990年最後期モデルの最後のロットの一台を購入したのだけれど、納車された日には、「とんでもない無駄遣い」をしてしまったのではないか、といささか複雑な気持ちになった。でも数年をともにしてみると、離れがたい何かを感じてしまったことも事実である。雨に濡れず、ちゃんと暖房が効いて、星空を見ながら楽しく走れる、そんな自動車としての魅力にあふれた、ゆっくりの速度ならばどこへでも行ける一台。もちろん今でも大好きである。
トラバント601S
政治的産物: 1,600万人にとって「トラバント601」は日常生活であり、53億人にとって「トラバント601」は世界革命の顔である。おそらく、計画経済製品は、設計から生産終了まで、すべての自動車の中で最も政治的なものだろう。1957年の生産開始時(P50として)、トラビーは極めてモダンな存在であったが、310万台を経た1991年には、アヒルのようなファクトリークラシックとなった。
大林晃平: ひょえーーーーー310万台? マジか。そりゃあすごい、そしてこんな自動車なのに(失礼)、何年も納車まで辛抱強く待っていた東ドイツの国民は本当にえらい。でもそれほど自動車ってやつは魅力的な存在なのだとも言うことができよう。「ダンボールでできた車」とはよく言われるが、もちろんボディ全体がダンボールだけで作られていたわけではなく(そりゃそうだ)、ちゃんと重要な部分は、骨格はもちろん鉄で作られていた。
ポルシェ911
タイトルヒーロー: 「AUTO BILD KLASSIK」誌の表紙をこれほど多く飾ったクルマは他にない。これほどまでに関心が高いクルマは他にない。「ポルシェ911」は、1973年から1989年まで製造された「G」シリーズのような空冷式モデルを中心に、多くの人々の憧れの車となっている。たしかに高すぎる。しかし、最近は価格がやや下降気味となってきているようだ。
大林晃平: 「911」はもう間違いなく永遠なアイコンモデルだ。きっと最後の内燃機関の自動車として、ガソリンが世の中から消えるまで(そんな日が来るとは、にわかには信じがたいし、完全カーボンニュートラルになるのかどうか、いまいち怪しいとは思うのだけれど)、「911」は今のポジションに君臨していることだろう。で、ですねぇ、私、恥ずかしいことに、最近のモデル、どれが「997」で、どれが「991」で「992」なのか、よくわからないんですよ。だって、同じに見えませんか?って、AUTO BILDの記事にふさわしくない発言で、面目ないけれど、事実なのだから隠さず告白する。
アルファロメオ スパイダー
イタリアのアンバサダー(大使): アルフィスティは、「ジュリア」などのモデルを好むかもしれないが、1993年まで27年間製造された「アルファロメオ スパイダー」は、ブランドの名声とイタリアの自動車製造全体に対して、無敵の広範な魅力を放っていた。いつもの欠点(特にサビ)を、これほど明るく見過ごすことはないだろう。また、70年代までのオープントップの走りを支えた。
大林晃平: アルファロメオのオープン2シーターといえば、やはりこれにつきる。写真は初期モデルだけれど、1993年のモデルはかなり文化的で改良されていた・・・。けれど、基本はこれ。おそらく乗り比べても、根本的な性能は一緒。言うまでもなく、絶対的な性能やコーナリングうんぬんかんぬんではなく、もはや伊達で格好いい自動車の格好をしたファッションアイテムとして乗るべき。2020年代の今、これほど美しいオープントップモデルがあるだろうか。
MINI
ポップスター: 横置きエンジンと前輪駆動はすでに存在していたのだ。しかし、全長3.06メートル、重量620㎏、5人乗りのミニは、そのコンセプトの長所を徹底的に圧縮して、全世界に理解させたという栄誉に浴することができる。そして、彼は夜空の星から舞い降りてきた友人でもあった。車とミニスカートのファンだったツイッギーは、ビートルズと同じように使っていたそうだ。
大林晃平: ミニミニ大作戦が代表作品だけど、数えきれないくらい名作品の映画に出たのがこれ。それぐらい絵になるし、もはや動かしようのないバランスを持った永遠のアイコン。実際に乗ってみれば、突き上げが大きく落ち着かない乗り心地、やけに低速で重いステアリング、小さいくせに踏みごたえのあるブレーキとクラッチ、そして定期的な整備が不可欠、とそういった部分は立派なクラシックカー。でも小さいことの魅了と、自動車にとって必要なものとは何かを教えてくれる哲学者のような車。このクルマを生み出したイシゴニス博士も、ラバーコーンサスペンションをミニに提供したモールトン博士も偉大だ。
ダットサン240Z
ヨーロッパでの早過ぎたスタート: この国では大失敗だった。「ダットサン240Z」は303台、「260Z」は1,600台しか欧州で販売されなかった。その一方で、アメリカ人は柔軟性があり、6気筒のスポーツカーを思いのままにしていた。初代「Z」は50万台が製造された。今日、ここでも、すべての日本車ファンのための備品として、重要な役割を担っている。
大林晃平: 日産じゃなくて、ちゃんとダットサンって表記されていることに、きっと天国にいるミスターK(片山豊)さんもお喜びだろう。唯一選ばれた日本車が、「Z」ということを素直に喜びたい。それにしても、かえすがえすもダットサンっていうアメリカ人にもアフリカやアジア人にも「ダッツン、ダッツン」と好まれ、親しまれてきたのに、その大切な財産を自らドブに捨てるようなマーケティングをしてしまった日産の誰かさん(ゴーンか?あるいは日本人の誰かか??)は打首獄門、くらいの重罪だ。
フォード マスタング
ポニーカー: 「マスタング」ファンは1967年という日付に弱い。「フォード マスタング」を象徴するファストバックが、1969年から太りすぎ、1973年から痩せすぎとなる前に、当時ピークに達していたことを、他のみんなは知らないのだ。しかし、彼らが知っているのは、「マスタング」は卓越したポニーカーであり、パワフルな車を手頃な価格で手に入れられるようにした、ということだ。
大林晃平: 15台中3台がフォードか!!! AUTO BILDのドイツスタッフ、マジかと思ったが、ドイツフォードではないのは、これのみ。この車で連想するのはもちろん自動車やバイク愛好にとっての史上最高の名俳優、スティーブ マックイーン。ポニーカーでありセクレタリーカーからマッスルカーになれたのも、やはり彼の功績によるものであることは明白な事実。007「ダイヤモンドは永遠に」にも、ラスベガスでのボンドカーとしてボンドガール「ティファニー ケース」(なんちゅう名前のボンドガールですかいな)と、カーアクションを繰り広げるが、撮影スタッフのありえないミスで、あまりに無茶苦茶で緊迫感のかけらもないシーンになってしまったのは無念。
メルセデス・ベンツW123
他の追随を許さない: オペルは取り残され、BMWとアウディはまだ同じレベルにはない。1976年に「メルセデス・ベンツW123」が発売されたとき、このブランドは独壇場的な存在だった。最後のクローム・ベンツは、黄金時代の象徴とされ、後継の「124」と比べると、あまりに古く見えるため、初期の名車とされた。現在では、Hナンバー(クラシックカー用ナンバープレート)の人気車種となっている。
大林晃平: あえて「W124」でも「W126」でも「W116」でもなく、「W123」を選んだAUTO BILDはやはりエンスージャスト集団なのかもしれない。今見るとコンパクトなサイズながら、まごうかたなきメルセデス・ベンツがぎゅっと詰まった「(当時は)ミディアムサイズ」の「W123」。ワゴンのTモデルが設定されたのもこの「W123」からで、セダンとクーペの「CE」、ワゴンのTと3つのボディバリエーションが初めて揃い踏みとなった。写真は(おそらく)上級モデルの「280E」。ボディカラーと同色のエレガントなホイールキャップもこの「W123」までで、「W124」からはプラスチックで空力を重視した、グレイ一色のホイールキャップを履くことになる。
ランドローバー
誰が美しくなりたいのか・・・: 1948年から2016年まで、リベットで留められたアルミニウムの表皮を持つオフロード車がイギリスで製造された。「ランドローバー ディフェンダー」はオフロードを除けば、どこもかしこもお粗末(着座位置、快適性、性能、騒音)だった。しかし、旧車に乗らないような人たちにも、大きな支持を得ることができた。
大林晃平: これぞまさにイギリス車。イギリス魂のこもった、ブリトンらしいクルマといえば、これ。2022年の現在、この(本物の)ディフェンダーに乗ってみると、さすがに自動車というよりも、農機具とか移動機械のような、生々しいまでの機械の息吹満載だが、今の「ディフェンダー」とこの「ディフェンダー」、どちらかを選んで人里離れた密林奥の野営地まで行くとしたら迷わずこれ。そういえばイギリス女王も、このディフェンダーを自ら運転していた時代があった。そう考えるとやはりイギリス人というのはすごい。尊敬に値する。
フェラーリF40
ポスターボーイ: 最近のクラシックカーブームは、40〜50歳代が牽引している。彼らのクルマへの情熱は、スーパーカーデュエルの時代までさかのぼる。487馬力と324km/hのために、フェラーリは「F40」に、レーシングカーのシャーシ(GTOエボルツィオーネのもの)とゴムタンクを使い、12年ごとに1万2,000ユーロ(約168万円)で交換しなければならなくなった。
大林晃平: 言うまでもなくエンツォ フェラーリ時代の最後の舞台俳優がこの「F40」。登場したバブル期には、「ポルシェ959」と否応なく比べられたりしたものだったが、どちらが最後まで名優として存在できたかというと、こちらのほうであることは間違いない。今やその価格は青天井。これからも永遠にコレクターズアイテムとして取り扱われること間違いない。昨今のフェラーリ限定車乱れうちの狂乱のぶりには呆れてしまうが(おそらく内燃機関のエンジンが禁止される前に、売れるものは売り切っちゃえ、みたいな儲け優先にしか思えないのだが)、この「F40」の時代はもっともっと価値のある存在のフェラーリ限定車だったのである(でもF40は結局1,311台も作られているので、フェラーリのビジネスっていうのは、昔から、まあそんなもん、だったのかもしれませんが・・・)。

Text: Henning Hinze
Photo: automobile.de