スタインウェイとメルセデスの深い絆

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世界のピアニストが愛してやまなく最も信頼するピアノメーカーのひとつ、スタインウェイ&サンズ(Steinway&Sons)と世界初のガソリン・エンジン付き自動車4輪車を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラー(Gottlieb Daimler)との間には深い絆、そして友情が存在していた事を果して知っていたであろうか?まずピアノの最高峰スタインウェイ&サンズの歴史を紹介し、次いでゴットリーブ・ダイムラーとの深い絆と友情を紹介する。

世界のピアノの巨匠たちから信頼され愛用された「スタインウェイ&サンズ」
スタインウェイ&サンズの歴史は、1台のグランドピアノ「No.1ピアノ」がドイツ中東部のザクセン州ゼーゼンで誕生した1836年に始まる。製作者はドイツ人のハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグ(英語;ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ)で、彼こそスタインウェイの創立者(1797年生まれの家具職人)である。

1836年、家具職人のハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグが自宅のキッチンで作り上げたピアノがスタンウェイの始まりとなった。

グランドピアノは、1700年頃にイタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明され、その後急激に発達したものの、楽聖ベートーベンの時代になっても、彼の音楽にとって満足できるものにはなっていなかった。しかし1836年、ハインリッヒは自宅のキッチンで最初のピアノを造り上げた(愛称;キッチンピアノ)。これによって、フォルテピアノ(18世紀~19世紀前半の様式のピアノ)の音の可能性は広がり、それまでにない演奏表現が可能になった。
作曲家・ロッシーニは「スタインウェイピアノの音は、雷鳴や嵐のように力強く、春の夜のナイチンゲールがさえずる様にメロディアスである」と語っている。

1836年、ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタンヴェグが自宅キッチンで製作した最初のグランドピアノ(キッチンピアノの愛称)。

その後、新たな可能性を求めて息子達と共にアメリカに渡り、名前も英語に改めドイツ語のSteinweg(シュタインヴェグ)からSteinwayにし、「スタインウェイ」の名称が誕生した。そして1853年息子達と共に「Steinway&Sons」の商標で会社を設立。1855年には三男ヘンリーJr.の設計による総鉄骨フレームに弦を交差させて張ったスクエアピアノをニューヨーククリスタル・パレスで開かれた博覧会に出品し、高品質が認められ金メダルと特別賞を受賞。創業してわずか2年にして、一躍アメリカ中に「スタインウェイ&サンズ」の名前が知れ渡った。

1853年にアメリカでハインリッヒは息子達と共にSteinway&Sonsを設立。(写真は1858年)

さらに1862年と1867年に開催されたロンドンとパリの万国博覧会においてもその近代的な新方式が認められ、金賞を受賞。それに伴いヨーロッパからもスタインウェイのピアノが要望され、1875年にはロンドンに支店、1880年にはハンブルクに工場を新設。これがドイツ製スタインウェイピアノの誕生となった。特に四男ウィリアム・スタンウェイは、1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長として会社を率いたが、幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。彼は音楽への愛を喚起するため、人気を博していたピアニストを招きコンサートツアーを企画、また著名な音楽家達の推薦状を会社のPRに利用。ニューヨークとハンブルグという2つの故郷から、全世界へ向けてスタインウェイピアノの生産が始まり、現在までに61万台以上のスタインウェイが世界の第一線で愛用されていると言われている。特筆すべきは創業以来129以上もの特許でピアノ造りに革命を起こし続け、「可能な限り最高のピアノ」という哲学と匠の技で1台1台がオリジナルの芸術品として造り続けられている事である。

ウィリアム・スタンウェイは1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長となる。幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。
ウィリアム・スタンウェイ限定モデル(写真は1876年フィラディルフィアで開催された建国100周年万国博で最高の栄誉を獲得したグランドピアノを復刻したもの)

今日、世界の演奏会で音楽愛好家の心を美しい響きで満たすことができるのも、ハインリッヒの情熱と創意、完璧を求める精神が生んだ名品であるからだ。スタインウェイピアノの響きを愛する人々に「イニミタブルトーン(比類なき響き)」と称される名品を生み出し、正に「名品に心あり」と言える。

ダイムラー・エンジン会社のアメリカ進出をドイツの盟友スタインウェイが後押しした!

ダイムラー・エンジン会社のメルセデス(車名)がフランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカでも目覚ましい売れ行きを示したのはドイツの盟友スタインウェイの後押しがあった。

その前に、ドイツのカンシュタットで世界初のガソリン・エンジン付き自動車(4輪車)を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラーについて説明しておこう。

ゴットリーブ・ダイムラー(1834-1900年);世界初のガソリン自動車を発明した人物の一人。

ゴットリーブ・ダイムラー(1834-1900年)は、あらゆる交通手段に自動的に動かせるシステム、即ちエンジン製造に熱意を燃やしていた。1872年、彼はすでにこの業界ではエキスパートに達しており、ドイツ・ガス・エンジン製造会社のテクニカル・マネージャーに迎えられた。この会社で彼は運命の出会いである天才技術者ヴィルヘルム・マイバッハにめぐりあい、大いに軽量高回転エンジンの構想を推進する事ができた。

遂に1883年12月16日、初のガソリン・エンジンの開発に成功、このエンジンの馬力当り重量は800~900rpm/hにおいて80kg:1psであった。シンプルなホットチューブ・イグニッションを備え特許も取得した(ドイツ国家特許28022及び28243)。

ゴットリーブ・ダイムラーの開発した単気筒エンジン(1885年)

ゴットリーブ・ダイムラーはヴィルヘルム・マイバッハの協力により、このエンジンを1885年11月10日に初めて2輪車に搭載。これが世界初の2輪車、今でいうオートバイである。次いで1886年には最初の4輪車にこのエンジンが載せられ、世界初のガソリン・エンジン付き自動車の誕生となった(カンシュタット)。さらに、モーターボートにもこのエンジンが取り付けられた。1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。このように、ゴットリーブ・ダイムラーは初めから「陸・海・空」のあらゆる種類の乗り物にガソリン・エンジンを普及させようと考えていた。そこで、周知の通りこの陸・海・空を意味する「スリーポインテッドスター」が生まれメルセデス・ベンツのシンボルとなった。

1886年、ゴットリーブ・ダイムラーの4輪車(世界初のガソリン自動車)。
1886年、ゴットリーブ・ダイムラーのガソリン・エンジンを搭載した世界初のモーターボート。
1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。
スリーポンテッドスターのエンブレム(1909年)とスター&MERCEDES文字組み合わせロゴ(1916年)。

先述の通り1886年、ゴットリーブ・ダイムラーはガソリン・エンジンつきボートをフランクフルトのレガッタ・クラブの要請で造りあげ、初めてネッカー川で実験し、1888年にはマリー号がビスマルク宰相に引き渡された。そして、彼は1890年にダイムラー・エンジン会社を設立し、海外と利益関係を結ぶためダイムラー・エンジン会社の海外進出が始まった。

1888年、ビスマルク宰相のボート(マリー号)
1890年にダイムラー・エンジン会社を設立(カンシュタット)。

ゴットリーブ・ダイムラーはこの海外進出こそ将来、自分の理想を大きく膨らませるカギとなると確信していた。1889年、彼はフランスの自動車生産を盛り上げたパナール・ルバッソール社と契約を結び、1891年にはアメリカで高速エンジンとその様々な利用法を広めたニューヨークのピアノメーカー、スタインウェイ&サンズと契約を結びニューヨークにダイムラー・モーター会社を設立するに至った。

ニューヨーク州ロングアイランドにダイムラー・モーター会社を設立。これで、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初のアメリカ進出を果たした。
1888年ウィリアム・スタンウェイとダイムラーの出会いがダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する「ダイムラー・モーター会社」を設立。定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も契約に含まれていた。

さて、本題の両社間で深い絆と友情が結ばれたきっかけは1888年だった。スタインウェイ&サンズの創立者ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグの四男ウィリアム・スタインウェイが故郷ドイツを訪問した際、ゴットリーブ・ダイムラーと知り合い、ダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する事について話し合いを重ねた。結果、交渉はうまくまとまり、ウィリアム・スタインウェイはアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに合弁会社「ダイムラー・モーター会社」を設立。その契約には定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も含まれた。つまり、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初めてアメリカ進出を果たしたのだ。特に、ゴットリーブ・ダイムラーのパートナーで天才技術者であるヴィルヘルム・マイバッハが設計した1901年最初の「35PSメルセデス」を初めてニューヨーク向けに出荷し、またゴットリーブ・ダイムラーが描いたオリジナル図面を用いたアメリカ初の本格自動車エンジンライセンスを生産する等、この両社の絆は非常に深いものとなった。さらにウィリアムはゴットリーブ・ダイムラーの1891年ガソリン・エンジンのアメリカにおける権利を保有し、このエンジンを彼がアストリアで造ったヨットやモーターカーにも搭載した。

1901年最初の「35PSメルセデス」
スタンウェイの大型モーターボート(イラスト;船名にSTEINWAYの文字が見える)。

この深い絆を現在に伝える為、2008年にシュツットガルトのリーダーハレにおいて、メルセデスとスタインウェイはドイツ生まれの世界的ピアニストであるラルス・フォークトを迎えて、120周年記念コンサートを開催した。日本でもスタインウェイのピアノ演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボが2011年名古屋市内にあるメルセデス・ベンツ楠で行われた。尚、世界最高峰のオーストリア・ウィーン楽友協会で毎年開催されているニューイヤーコンサートでもスタインウェイのピアノは愛用されている。

世界最高峰のオーケストラ・ウィーンフィルの本拠地;ウィーン楽友協会全景。
2019年ニューイヤーコンサートにも使用された大ホール(別名;黄金の間)。(写真は2019年)
2019年ニューイヤーコンサートのリハーサル風景。
ウィーン楽友協会黄金の間にて使用されているスタインウェイ。

常に「最高と比類なき製品」造りにこだわり続ける理念は、現在のメルセデス・ベンツとスタインウェイの両会社にも共通し今も脈々と引き継がれている。

スタインウェイグランドピアノ(モデル;B-211)。
Photo:妻谷裕二
スタインウェイグランドピアノの右サイドには意匠ロゴ。
Photo:妻谷裕二
スタインウェイグランドピアノの鍵盤上の意匠ロゴ。
Photo:妻谷裕二
スタンウェイグランドピアノの意匠刻印(STEINWAY&SONS NEWYORK HAMBURG)。
Photo:妻谷裕二

今年2021年は、メルセデス・ベンツ及び日独交流において記念すべき特別な年だ。つまり、メルセデス・ベンツは今から遡ること135年前の1886年に世界で初めてゴットリーブ・ダイムラーがガソリン・エンジン付き自動車4輪車を、またカール・ベンツが時を同じくしてガソリン・エンジン付き自動車3輪車を発明し、「自動車誕生135周年」を迎えた。また、日本とドイツが初めて交流して160周年を迎えた。オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジア遠征団が、1860年秋に江戸沖に来航し、翌1861年1月に両国は修好通商条約を締結し「日独交流160周年」。この2つの記念を祝しお互いさまざまな記念行事を計画されていたが、コロナ禍でかなり自制せざるを得なくなったのは誠に残念な事である。

Text=妻谷裕二
Photo:ダイムラーAG、MBミュージアム&マガジン、妻谷裕二。
撮影協力:島村楽器株式会社(グランフロント大阪ショップ)。
ウィーンフィルの本拠地・ウィーン楽友協会及びコンサート写真提供=Shoichi Yatsu。

【筆者の紹介】
妻谷裕二(Hiroji Tsumatani)
1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。