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【80年代のドイツ車物語】写真で振り返る80年代のドイツ車×80台超! アウディ、BMW、ベンツ、ポルシェ、VW等勢ぞろい! 後編

2023年5月8日

Photo: Roman Raetzke
ポルシェは、エントリーカーとして914の後継となる924を1980年代まで製造した。924にはVWグループの技術がふんだんに盛り込まれており、2リッター4気筒(125馬力)は、アウディ100にも採用されていた。その後、ポルシェは最初のトランスアクスルスポーツカーのプロフィールを着実に研ぎ澄ませていった。ポルシェ924 Sでは、928からのV8を半分にした4気筒を搭載し、不機嫌なアウディユニットに別れを告げた。最高速度215km/hを出すには、150馬力の出力で十分だった。ポルシェは1988年まで「スリムな944」を製造し、最終的には160馬力を発揮した。
大林晃平: ポルシェ924と944、今みると実にその大きさといい、シンプルさといい、「これぐらいの大きさと軽さとエンジン性能のポルシェが欲しいもんだ」と思うような一台である。ところが、この924と944はいずれも当時はあまり人気がなかった。理由はもちろん「911に似ていないから、ポルシェらしくないじゃん」といういちゃもんに近いモノであったことは想像がつく。この911に似ていない = ポルシェらしくないという呪いのようなセリフは、21世紀になってもまったく変わっていない。だからこそ、カイエンもケイマンも、パナメーラでさえ、911をどこかに感じさせるようなデザインなのである。
ちなみに日本の中古車サイトでは、2023年4月現在、90万円ポッキリで、924S(5MT)が発売中。944になると価格はグッとあがり400~500万円は当たり前の世界となり、ミントコンディションだと1,000万円を超えるプライスタグをつける個体さえある(今になって値段があがるとは皮肉なものである)
Photo: Götz von Sternenfels
G型が15年続く中、顧客の期待も変化していき、新しい911が必要になった。ポルシェ911(964)は市場の要求に完璧にマッチしていたが、空冷エンジン、RRレイアウトなどはそのままで、大きな変化はなかった。スポーツカーのスペシャリストであるポルシェは、自らの価値を過度に利用することはなかったのだ。
大林晃平: ポルシェらしい車、というのはこういう形と空冷エンジンだろうよ、とばかりに出てきたのが964。しかもオートマチックトランスミッションが用意されたり、カブリオレ クーペ タルガに2輪駆動と4輪駆動がそれぞれ組み合わされ、さらにはターボもRSのような高性能モデルも豊富に用意されたりするほど、選び放題のラインナップを誇った。写真のようにバイオレットとか緑、ペパーミントグリーンなどなど、原色バリバリのボディカラーも、このころから用意され、バブル全盛の東京都内を走り回っていたものである。ちなみに当時からそういうスペシャルカラーは別注のオプションだった。どんな色にでも塗ってくれるという特別オーダーもあり、ディーラーに自分一台だけのオリジナルボディカラーを注文したら、ペンキ代だけで200万円だったという話を聞いたこともある。写真の一台(この色はカタログにもあった)は、ポルシェ ミュージアム所蔵の一台だが、細部まで新車のよう。
Photo: Ronald Sassen
ポルシェは、全輪駆動の911カレラ4を最初に発表し、その後すぐにクラシックなカレラ2を発表した。911の4輪駆動のアイデアは引き継がれ、タルガとターボには標準装備されている。
大林晃平: 写真はターボの高性能版のターボS。一般人の腕では、普通のターボとターボSの差を感じとったり、その差を十分に味わえたりするとは到底思えないが、必ずこういう高性能版と、超高性能版が用意されるのがポルシェの商売のうまいところである。2023年の現在、911ターボは26,270,000円、911ターボSは30,740,000円(いずれもクーペ。オプションなし)と、その価格差は447万円(!)。Sの文字が付くだけで、450万円近くも高価になってしまうことにはあっと驚くタメゴロウだが、それでも普通のターボじゃいやで、Sでなくっちゃ、という人が必ず存在するのがこの世界なのである。
Photo: Roman Raetzke
ポルシェは、928 V8の排気量を4.7リッターにボアアップした。その結果、300馬力を発揮し、928 Sと呼ばれるようになった。アナトール ラピーヌの手によるGTは高い評価を得たが、ポルシェはこれを911の後継車として位置づけることはできなかった。
大林晃平: わたしが、当時のポルシェの中で一番好きだったのは・・・。実はこの928である。なにしろ未来的で格好いいじゃないですか、宇宙船のような未来感というのか、とにかく圧倒的に他の車とは違う一台だったことは間違いない。性能もとにかく文句のつけようのないもので、バイザッハアクスルとかそういう名称にも憧れたものである。だがこの928も「911に似ていない、ポルシェらしくない」といういちゃもんを付けられ当時の人気はいま一つ・・・。なんとも不憫としか言いようがない。それでも、作詞家の松本 隆さんも一時期乗っていたし、「パパはニュースキャスター」で、田村正和が颯爽と乗っている姿は実にぴったりでした。
蛇足ながら現在、結構な数の中古車が日本市場でも流通しているが、程度が良いと1,500万円近いモノもあるのにびっくり(928 S4)。しかしいざ購入したとしても、維持には目の玉が飛び出るほどの費用がかかると、928を実際に持っている人に聞いたことがあるので、うかつに近寄らない方が良いかもしれない。
Photo: Sven Krieger
ポルシェ959は、電子制御全輪駆動とレジスターターボを搭載していた。2.85リッターという小さな排気量は、FIAの規定でターボを搭載したグループBカーに限定されていたためである。それでも、このスーパーポルシェは450馬力を発揮した。最高速度: 317km/h!
大林晃平: 個人的にはポルシェの歴史上一番興味深く、好みなのが、959。当時、世界最高峰のハイテクノロジーカーといえば、まさにこの959であった。そしてこの959がなければ、80年代以降の高性能日産GT-Rも世の中に生まれなかったかもしれない(某メーカーの研究所裏に959が不動車として捨てられていたというが、「重要なデータを取り終わったら壊れちゃって直らないので、そのままにしてある」と開発エンジニアはそっけなく答えたという、都市伝説がある)。我が国にも正規輸入、並行輸入(一号車は「ソラリオ」という会社が当時の日本円爆弾を使ってオーナーから買い取り、その日のうちに空輸されたという)が入り乱れて輸入され、ビートたけしもオーナーだったというが、彼はほとんど乗らなかったそうである。
Photo: Lena Willgalis / AUTO BILD
1980年代末、トラバントはラストスパートを開始し、2ストローク26馬力を発揮した。東西統一後は、もう誰も「段ボールでできた車」を欲しがらない。32年の時を経て、601型は引退した。VW製エンジンを搭載した改良型トラバント1.1は、売れなかった。
大林晃平: トラバントといえば、段ボールで作られた車、という認識が有名だが、すべてが段ボールでつくられているわけではなく(あたりまえ)。ボディパネルの一部に使われていた、ということであり、それ以外はオーソドックスな「古い」空冷の自動車で、乗ってみれば時代遅れでアウトバーンでは遅すぎてお邪魔虫として嫌がられた存在だった。だが東ドイツ時代には、こんな自動車も熱望され、たとえ欲しくとも数年待たなくてはいけない、という時代だったのである。実は日本にも数台が並行輸入されたが、今はどうなっていることやら・・・。
Photo: Thomas Starck / AUTO BILD
VWポロType 86cは、ロングランヒットとなり、大きな利益をもたらした。1981年に40、50、60馬力の3つのエンジンでスタートした。今日、この小さなクルマは堅苦しく、壊れやすそうに見えるが、安いビギナーズカーからクラシックカーへと発展したのだ。
大林晃平: 真横から見ると、いかにこのころのポロが機能本位でデザインされたパッケージかが一目瞭然。だが、こういうのこそが本来のフォルクスワーゲンの進むべき道なのだと思う。それにしても。このころの自動車のコンパクトなことは、中のゲルマンの大きさからもわかる。現代でいえば、このセグメントはUP!であり、今のポロは昔のゴルフIのサイズよりもさらに大きいのだから。それにしてもエグゾーストパイプの細さにはびっくり。
Photo: Sven Krieger
VWゴルフIカブリオは、1980年代のアイコンである。批判的な人たちでさえ、イチゴのバスケットとして親しんでいる。
大林晃平: ゴルフIのカブリオレはゴルフⅡの時代になっても、フルモデルチェンジされずに、そのままキャリーオーバーで生産され続けた。そして最後には、グリーンやワインレッドにバンパーまで塗られた限定車が登場し、その頃のサーキットやお洒落なショッピングモールなどでは、ちょっとした人気者になっていた(実は僕も欲しかったのだが、買えるような値段ではなかった)。またこのゴルフ カブリオは地中海沿いのリゾート地でも、ゲタ車として人気があったのだが、それゆえに盗まれる車としても必ず上位であったという。写真は4灯式ヘッドライトになっているが、逆にカブリオでは一般的だったバンパー下のフォグランプがないため、当時の姿を覚えている者には、ちょっと違和感のあるルックスではないだろうか(ホイールも純正ではなさそう)。
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD
VWは1983年から1992年の間に630万台のゴルフ2を製造した。ゴルフ1より10万台多いだけだが、現在走っているゴルフは初代より2代目の方がはるかに多い。それはなぜか。腐食防止がしっかりしているからだ。
大林晃平: ゴルフの中でも名車の誉れの高いゴルフⅡ。カーグラフィックの長期テスト車を吉田匠さんが担当した記事は、覚えるほど読んだものである。当時知人がゴルフⅡに乗っており、運転させてもらった時に感じた、日本車との違いは忘れられない。一言でいえば、固く沈まないクッションに、ビチッとノリの効きすぎたシーツが張り詰められた、ヨーロッパのホテルのベッドに初めて接した時のような、あの違和感。そしてその何とも言えない上質感・・・。あの感覚からしたら、今のフォルクスワーゲンのモデルは、どれもソフトなクッションに柔軟剤のほどこされたシーツをひかれたベッドである。
Photo: autobild.de
ベーシックなゴルフに続いて、1984年にはVWゴルフGTIが登場した。当初はまだ旧型の112馬力の8バルブエンジンを搭載していたが、ハッチバックの中でも最もホットな第2世代は、1985年から139馬力のGTI 16Vも用意された。
大林晃平: 個人的に今までのフォルクスワーゲンの中で一番憧れたのが、このゴルフⅡのGTI。カーグラフィックで熊倉さんが書いたインプレッションに、全開で走った後のマフラーの良い感じに乾いて焼けた写真などが掲載されていて、GTIを全開で乗れる環境があるということも、そういう世界で全開してインプレッション書いている熊倉さんにもあこがれたものだった。初期の8Vももちろん好きだったが、そのあとに出た16Vのインパクトは相当なもので、まだまだ2バルブ全盛の世の中では、16バルブというだけで、超高性能な証に思えたものである。
Photo: Roman Raetzke
1984年、ステフィ グラフィとボリス ベッカーが起こしたテニスの波に乗った「マッチ」をはじめ、「フレア」、「メンフィス」、「ボストン」、「マディソン」、「マンハッタン」など、VWはゴルフ2の特別モデルを数えきれないほど生産し、今でも多くの人に愛されている。
大林晃平: 日本にはあまり導入されなかったが、本国のVWゴルフⅡではしょっちゅう様々な限定車が発売されていた(高級バージョンで、内装なども凝った作りの「キャラット」という上級グレードもあった)。日本にもゴルフ マンハッタンという、限定モデルが正式導入され、数年前に中古車屋さんで目撃した時は妙に懐かしかった。だがなぜ、アメリカ生産のラビットならまだしも、ドイツで生産されたゴルフにマンハッタンやボストン、マディソンという地名が用いられたのか、謎のままである。
Photo: Matthias Brügge
VWは1989年から1991年にかけて、5,000台のラリーゴルフを製造した。ゴルフGTI G60の1.8リッターターボを搭載したこのラリーゴルフは、何よりもその野性的な外観が特徴である。全輪駆動が標準装備されているのが大きな特徴だ。
大林晃平: 前述の通り、個人的にゴルフⅡのGTIには憧れたが、このラリーゴルフはなんだか行き過ぎて好きにはなれなかった。Gラーダーのエンジンがいけなかったのか、不細工な角ライトが悪いのか、アフターマーケットで後付けのような空力パーツのせいなのか・・・。とにかくなんだか格好悪いゴルフ、というイメージしかない。中身は4輪駆動に高性能エンジンと大変魅力的なのに、今でもちっとも珍重されたり、歴史上の話題にあがったりしないのは、きっと格好が悪かったからなんだ、と勝手に思っている。
Photo: Sven Krieger / AUTO BILD
VWジェッタもまた、クラシックなサルーンフォルムでありながら、先代よりもさらに大きなトランクを備え、ゴルフとともにVWは1984年から2代目ジェッタを発売した。
大林晃平: ゴルフにトランクをつけたのが、フォルクスワーゲン ジェッタ。実際にこの写真をよーく見ればCピラーの後ろにトランクをそっけなくつけて、角2灯ライトに付け替えた「だけ」なのが見え見え。それでもトランクスペースの広大さは評判となり、「トランクスペースを買ったら、車がついてきた」と、ドイツでは皮肉られたらしい。言うまでもなくジェッタとは、ジェット気流の意味。ゴルフもシロッコも「風」に由来する名前を使っていたというのは、古い愛好家には釈迦に説法でしょう。
Photo: Werk
2代目シロッコの販売台数は、VWの予想をはるかに下回るものであった。デザインは、ジウジアーロではなく、自社のデザイン部門がコンパクトスポーツカーのラインを決定した。
Photo: Volkswagen AG
2代目シロッコのお客さまに占める女性の割合が異常に高かった。139馬力のGTIはシロッコファミリーのトップモデルであった。
大林晃平: 日本でも結構みかけたシロッコ。実際にはゴルフよりもずっと高価だったし、なかなか気楽には購入できるような車ではなかった。中身はもちろんゴルフだから、エンジンももちろんゴルフGTIIと同じ高性能モデルもあったが、なぜか個人的にはシロッコGTIを欲しいと思ったことは皆無で(失礼ですいません)、シロッコなら安楽に普通のエンジンにオートマチックトランスミッションのモデルのほうが良い、と思ってしまっていた。あんなにゴルフGTIにはあこがれたのに、なぜシロッコGTIにはぜんぜん響かなかったのか、勝手なものだが、多くの方も同じ気持ちだったのか(?)、売れ行きも人気もゴルフのほうが圧倒的に高かったのは事実である。ジウジアーロではなくなったデザインがいけなかったのだろうか?
Photo: Flo / AUTO BILD
VWパサートB2のボディバリエーションで最も普及していたのはヴァリアントだ。
大林晃平: ちょっとピントの甘い写真が残念だが、赤いボディカラーが似合うパサート ヴァリアント。ホイールキャップを持たない鉄チンのホイールや、素通しのグラスなど質素に見えるかもしれないが、これこそがフォルクスワーゲンの実用車なのである(3角窓も備わっているが、残念ながらはめ殺し)。しっかりとしたつくりのサイドプロテクトモールや黒いバンパーの、実用本位で実に好ましい。バウハウス調ともいえる、こういうデザインこそがフォルクスワーゲンの進むべき方向だと思うのだが。
Photo: Werk
もちろん、1980年に発売されたモデルシリーズには、3ドアサルーンも用意されていた。1982年8月にはターボ付きディーゼルが登場し、1985年にはモデルチェンジを行った。
大林晃平: あまり知られていないことではあるが、フォルクスワーゲン パサートには3ドアもあった。だが正直言ってスタイリッシュかどうかはビミョーだし、これならば実用性の高い5ドアモデルを選んだ方がよいのではないか、と思ってしまう。それでもリアシートにも立派なヘッドレストが装備され、チルト式サンルーフも備わっているのがフォルクスワーゲンの上級ラインナップモデルらしいところである。フロントににょっきり伸びたラジオアンテナがなんだか懐かしい。
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD
ハッチバックは、1970年代から1980年代にかけて卓越したボディスタイルと評価された。
大林晃平: 格好いいかどうかはさておき、実用的という意味では、実にフォルクスワーゲンらしいハッチバックボディを持っていたパサート。昨年お亡くなりになった自動車評論家の三本和彦さんは、「器用な太鼓持ちなら、カーゴスペースでカッポレを踊れるほど広い」と名台詞を残したほどだった。
Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD
1988年に発売されたパサートB3では、フォルクスワーゲンはラジエターグリルを廃止し、吸気口はバンパーの下に移設された。このデザインによって、B3はVWのニックネームである「鼻熊」を復活させた。搭載されたエンジンは最大174馬力を発揮した。
大林晃平: パサートB3の特徴はこのグリルレスのデザイン。なんでも冷却風の確保にフォルクスワーゲンのエンジニアは血尿が出るほど苦労したそうだが、実際にはこのグリルレスは市場で不評となり、販売にも影響してしまう。その後のデザインがどうなったかというと・・・。今のフォルクスワーゲンには立派なグリルがついているじゃないですか・・・。そういうせつない結末なのである。写真はルーフキャリアを背負ってお出かけのスナップだが、こういう使い方には広いカーゴスペースを持つパサート ヴァリアントはぴったり。立派なヘッドレストがリアシートについていることにも注目。
Photo: Werk
1982年ハノーファーで大きな変化が起こった。VW T3ブリは水冷式になったのだ!しかし、それでも世界一周旅行車のイメージは変わらなかった。
大林晃平: 写真のような角2頭式のライトでなく、赤いボディカラーでもなく、さらにボディにでかでかと「マルチバン」などと入ったモデルでない方がいいんだけどなぁ、ということはさておき、このころのマルチバン(ヴァナゴン)は、他のワンボックスカーの追従を許さない、孤高の存在であったといってよい。びしっとフラットな走り、ミシリとも言わないボディ、建付けのよいシート・・・。どれも当時の我が国のワンボックスカーとは、雲泥の差であり、なんともその格差に愕然としたほどだった。そしてその性能や品質の差は、現在でも同じようにやはり、フォルクスワーゲン マルチバンと我が国のミニバンの間には、明確に存在しているような気がするのだが・・・。
Photo: Roman Raetzke

Text: Matthias Brügge and Lukas Hambrecht and Lars Hänsch-Petersen