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	<title>LP400 - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>LP400 - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>ランボルギーニ 初代カウンタック LP400の生産台数は何台だったのか？ カウンタック生誕50年</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 01 Sep 2021 07:05:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1068" height="648" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-300x182.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-1024x621.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-768x466.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-696x422.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-692x420.jpg 692w" sizes="(max-width: 1068px) 100vw, 1068px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>1971年のコンセプトカーLP500から、17年にわたる5つの世代</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>カウンタックの50周年を記念し、アウトモビリ・ランボルギーニの4本の動画シリーズが公開されました。著名人を迎え、この名車の歴史をこれまでにない手法で語っています。最初に登場したのはデザイナーのマルチェロ・ガンディー二（Marcello Gandini）。規制や法的な制約がほとんどなく、デザイナーたちがスタイル的にも技術的にも自由に力を発揮していた特異な時代に生み出されたカウンタックの未来的なラインの立役者です。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1970年代は究極の創造性の時代であり、デザインにとって最も重要な時でもありました。米国とソビエト連邦の宇宙開発競争から現代的なコンピュータの誕生と共に登場したハイテク、鮮やかな色彩を用いた幾何学的なパターンのファッショントレンド、個人主義とジェット機の時代の到来まで、社会的に重要なさまざまな前進が見られた時代でした。その中で、世代を超えて寝室の壁に飾られ、数多くの映画で大きな役割を果たしたカウンタックは、商業的に成功したというだけにとどまりません。現役の市販車であったときから、その実力で世界の自動車の歴史に名を刻み、スタイルとパフォーマンスを代表する存在となっていたのです。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1971年：「コンセプトカー」Countach LP500のデビュー</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>1970年の夏、フェルッチオ・ランボルギーニ（Ferruccio Lamborghini）はミウラという名車の後継という困難な挑戦にふさわしい画期的なクルマを生み出すために、スタッフの意欲を引き出そうとしていました。それは先進的な技術を駆使し、これまで以上に高速で走ることのできる、1970年代を象徴するようなスポーツカーでなければなりません。12気筒エンジンは継続して使用されることになっていましたが、排気量は4Lから5Lに引き上げられ、その配置も横置きミッドシップから縦置きミッドシップへと変更されました。リアのオーバーハングにあったトランスミッションの制約を回避するため、ランボルギーニの技術責任者であったパオロ・スタンツァーニ（Paolo Stanzani）はトランスミッションをエンジンの前に移してシートの間に突き出すように置き、プロペラシャフトはエンジンブロックの中を通らせるという斬新な策を考え出します。スタイル面では、カロッツェリア・ベルトーネでスタイリング部門を率いていたマルチェロ・ガンディー二が1960年代的な丸みを帯びたスタイルから離れることを決め、鋭いエッジが特徴的な、車高が低く、幅の広い車体をデザインしました。それはまさに驚異的なシェイプでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> ガンディー二のシザードア採用は、サイド部分の高さに起因する技術的な必要があったためだけではなく、幅を数センチ広くすることで車内に乗りやすくするためでもありました。このような設計を選んだことでフェルッチオにもう一つの改良に関する承認を得て、当時はまだ気が付いていなかったにしても、サンタアガタ・ボロネーゼで生産されるすべての12気筒モデルで最も際立った特徴が誕生することになりました。LP500で特に際立っていたのはその鋭いエッジで、それは後に自動車における象徴的なスタイルとなり、17年にわたって極めて変更が少ないまま生産が続いたモデルへとつながっていきます。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「Countach」という言葉が最初に登場したのは、1971年3月のジュネーブ・モーターショーに向けて最初のプロトタイプLP500の準備が進められていたときでした。カウンタックは、イタリアのピエモンテ地方の方言で、何かに驚き、驚嘆したときに発する言葉です。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1973年：第1世代Countach LP400の誕生</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックLP500は即座に大成功を収めましたが、あくまでも「コンセプトカー」であり人々の反応を見るために設計されたものだったため、まだ市販できる状態ではありませんでした。市販車の開発が決まると、出来る限り早い量産の実現が目指されました。約2年間、ニュージーランド出身の伝説のテストドライバー、ボブ・ウォレス（Bob Wallace）による長時間のロードテストを含む集中的な作業が進められました。1971年、カウンタックはパリとトリノのモーターショーにも出展されました。エンジン冷却とエンジンコンパートメントへのエアインレットに関連して大幅な修正が必要になり、サイドにNACAダクトが設けられたほか、ラジエーターのエアインテークの上にもダクトが追加されました。ノーズも数センチ上に上げられ、シェイプに変更が加えられました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>初期のロードテストで5Lのエンジンが未完成であったことが判明したため、代わりに4Lエンジンが採用されることになりました。カウンタックLP400は、1973年3月のジュネーブ・モーターショーに出展されたシャーシナンバー1120001で公式デビューを果たしましが、これは全体的にスタンダードな量産車に近いプロトタイプでした。カウンタックLP500とLP400には技術的にさまざまな違いが見られます。主な違いは、セミモノコック構造に代わりチューブラーフレームが採用されたことです。ボディは鋼板からアルミニウム製になり、開発の過程で必要となった外観的、技術的変更もすべて加えられました。ジュネーブ・モーターショーに出展された赤い車両は後に緑に塗装され、1973年のフランクフルト、パリ、ロンドンのアールズコートのモーターショーに出展されました。スイスに売却されたこの1台は、2000年代に場所を移し、現在ではアウトモビリ・ランボルギーニが所有、ランボルギーニ・ミュージアムMUDETECで展示しています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックの市販モデルは、チューブラーフレームの管材の直径が異なり、エンジンとラゲージコンパートメントを閉じるためにグラスファイバー製のパネルと金属薄板のパネルが取り付けられました。極めて剛性が高く、重量的にも利点が多かったことから、この構成は生産期間を通して変更されることはありませんでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://preview.thenewsmarket.com/Previews/lamb/StillAssets/960x540/588753.jpg" alt=""/></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> ウェーバー45DCOEツインチョークキャブレター6基で燃料を供給する4L（3929㏄）のエンジンは、最高出力375hp/8000rpmを発揮し、最高速度は300㎞/h近くに達しました。サスペンションはレーシングカーに由来するもので、フロントアクスルには不等長型アーム、コイルスプリング、油圧ショックアブソーバー、スタビライザーバー、リアアクスルには台形のアッパーアーム、三角形のロアアーム、各ホイールに調整可能なダブルショックアブソーバー、アンチロールバーを備えていました。ブレーキはベンチレーテッドディスクを採用し、レース用に設計された新型のキャリパーが導入されました。マルチェロ・ガンディー二の純粋なデザインを極めたとされるLP400は、1977年まで152台の市販車が生産され、今日ではコレクターに最も人気の高いバージョンとなっています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1978年：Countach LP400S</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>1978年、LP400はカウンタック LP400Sに後を譲りました。LP400Sでは大幅に扁平率を低めたフロント205/50VR15、リア345/35VR15の新しいピレリP7が、新しいデザインのマグネシウムホイールに装着されました。大きくなったタイヤサイズを収容するためのオーバーフェンダー、極端に低いフロントスポイラーのほか、オプションとして後年カウンタックの特徴の1つとなるリアウイングも用意されました。LP400Sは今日に至るまで、そのスポーティーさ、魅力的なシェイプと未来的な技術で、カウンタックとランボルギーニのDNAを体現した完璧な例だと考えられています。これほどレーシングカー的なスタイルの「普通の」自動車が公道を走っている姿をそれまでは見かけることはありませんでした。LP400Sは以後のカウンタックシリーズ各モデルのインスピレーションの源となり、LP5000Sが登場する1982年までに235台が生産されました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<h4>1982年：Countach LP5000S</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>1979年に技術・生産責任者としてランボルギーニに入社し、後にゼネラルマネージャーに就任したエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリ（Giulio Alfieri）が最初に手掛けたのは、1982年のジュネーブ・モーターショーに公式出展するLP5000Sに搭載する約5Lのエンジンでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://preview.thenewsmarket.com/Previews/lamb/StillAssets/960x540/588802.jpg" alt=""/></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>LP5000Sは外見的にはLP400Sと見分けがつかないものの、内部に若干の改良が加えられていました。新型のエンジンは最高出力375hp/7000rpm、最大トルク41.8kgm/4500rpmで、ウェーバー45DCOEツインチョークキャブレター6基をそのまま引き継いでいました（米国に輸入された一部の車両は後に電子燃料噴射のボッシュKジェトロニックを装着）。3月のジュネーブ・モーターショーでLP5000Quattrovalvoleが発表される1985年まで、323台が生産されました。LP5000Sは米国に初めて正式に輸入され、型式承認を受けたモデルでもありました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1985年：Countach LP5000 Quattrovalvole</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Quattrovalvoleはそれまでの12気筒エンジンをさらに進化させたエンジンを採用しました。排気量は5.2Lに増え、1気筒あたりのバルブ数は4本になりました。この技術改良はキャブレターの変更も要し、新たにウェーバーDCNFキャブレター6基が導入され、装着場所も横から上に変更されました。米国市場向けには、ボッシュKEジェトロニックと触媒コンバーター、排ガス回収装置を搭載。出力アップは455hp/7000rpmと驚異的でした。フロントトレッドは4.4mm広げられましたが、外見的な変更は最小限に抑えられ、キャブレターの縦方向の搭載に対応するためエンジンフードのふくらみが大きくなっただけにとどまりました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>1988年にはサイドスカートが付き、よりモダンな外観となりました。米国バージョンはサイドリピーターでも分かりますが、リアパネルのバンパーの輪郭と大きなフロントバンパーも特徴的でした。Quattrovalvoleはランボルギーニが複合素材を初めて市販車に使用したモデルで、複合素材はエンジンフードに使用されました。1988年まで、631台が生産されました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックの生産が開始されてから、その一部は米国にも渡っていましたが、1986年式のLP5000 Quattrovalvoleまで、米国での正式な型式承認は受けていませんでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> それまでは米国のどのカウンタックにもそれぞれ異なる輸入の経緯があり、公害や駐車時の影響に対する保護を巡る米国の厳しい規制に対応するため数々の改修を要していました。これらの改修はいずれにせよ臨時の措置でしかなく、カウンタックを世界で最も重要とされる市場で販売する際の大きな制約となっていました。カウンタックの年間生産台数の記録が生産期間の後半に達成され、生産開始後15年以上たってからの最後の4年間に全体の50％が集中しているのは、決して偶然ではありません。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1988年：Countach 25th Anniversary</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックプロジェクトの最後の世代となったCountach 25th Anniversaryは、1988年9月のパリ・モーターショーでデビューしました。実は1985年、エンジニアのルイジ・マルミローリ（Luigi Marmiroli）がジュリオ・アルフィエーリの後を継いでアウトモビリ・ランボルギーニの技術部門の責任者に就任した年には、既にカウンタックの生産終了の必要性が予見されていました。一方で、生産開始から14年を超えたカウンタックに新鮮さを取り戻すべく、アウトモビリ・ランボルギーニ設立25周年を祝って25th Anniversaryと名付けられた新バージョンが登場することになりました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 外見は大きく変わったものの、構造やシャシーへの変更はそれほど多くなく、エンジンの冷却システムが改良され、シャシーは新しいピレリPZEROタイヤに合わせて調整されました。キャビンは、ボルスターがよりコンパクトになったシートが電動で調整可能になり、パワーウィンドウが搭載され、快適さが向上しました。ボディスタイルは、当時ランボルギーニに在籍していた若きオラチオ・パガーニ（Horacio Pagani）によって決定的に変えられました。パガーニはシェイプに丸みを加え、オーバーフェンダーやドアの下のプレート部分などの突起部分がより自然な形で組み込まれるようにしました。25th Anniversaryの外見的な特徴としては、新しくなった複数ピース構造のアルミホイールに加え、リアに配置されたエアインテークが丸みを帯びて引き延ばされ、熱排気用のアウトレットも収められました。プロトタイプCountach Evoluzioneから直接採用されたものも含むこれらの変更は、25th Anniversaryをカウンタックの中でもダウンフォースとドラッグについて最も優れた結果を出しています。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>25th Anniversaryでは、電子燃料噴射装置が搭載された「米国」バージョンと、キャブレターを搭載したその他の地域向けのバージョンとで大きく異なります。最後のカウンタックは、1990年7月4日にヨーロッパ仕様で生産されました。ボディカラーはArgento Metallizzato（メタリックシルバー）で、インテリアにはグレーのレザーを使用していました。ナンバー658を冠したこの台は、カウンタックの歴史の中で最も生産台数の多い25th Anniversaryで、最終的なカウンタックの台数は1999台となりました（初代LP400は含まず）。この1台は販売されることなく、今もMUDETECで展示されています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>Text＆photo：アウトモビリ ランボルギーニ</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1068" height="648" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-300x182.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-1024x621.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-768x466.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-696x422.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/09/588738-692x420.jpg 692w" sizes="(max-width: 1068px) 100vw, 1068px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>1971年のコンセプトカーLP500から、17年にわたる5つの世代</h2>
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<p><strong>カウンタックの50周年を記念し、アウトモビリ・ランボルギーニの4本の動画シリーズが公開されました。著名人を迎え、この名車の歴史をこれまでにない手法で語っています。最初に登場したのはデザイナーのマルチェロ・ガンディー二（Marcello Gandini）。規制や法的な制約がほとんどなく、デザイナーたちがスタイル的にも技術的にも自由に力を発揮していた特異な時代に生み出されたカウンタックの未来的なラインの立役者です。</strong></p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>1970年代は究極の創造性の時代であり、デザインにとって最も重要な時でもありました。米国とソビエト連邦の宇宙開発競争から現代的なコンピュータの誕生と共に登場したハイテク、鮮やかな色彩を用いた幾何学的なパターンのファッショントレンド、個人主義とジェット機の時代の到来まで、社会的に重要なさまざまな前進が見られた時代でした。その中で、世代を超えて寝室の壁に飾られ、数多くの映画で大きな役割を果たしたカウンタックは、商業的に成功したというだけにとどまりません。現役の市販車であったときから、その実力で世界の自動車の歴史に名を刻み、スタイルとパフォーマンスを代表する存在となっていたのです。</p>
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<h4>1971年：「コンセプトカー」Countach LP500のデビュー</h4>
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<p>1970年の夏、フェルッチオ・ランボルギーニ（Ferruccio Lamborghini）はミウラという名車の後継という困難な挑戦にふさわしい画期的なクルマを生み出すために、スタッフの意欲を引き出そうとしていました。それは先進的な技術を駆使し、これまで以上に高速で走ることのできる、1970年代を象徴するようなスポーツカーでなければなりません。12気筒エンジンは継続して使用されることになっていましたが、排気量は4Lから5Lに引き上げられ、その配置も横置きミッドシップから縦置きミッドシップへと変更されました。リアのオーバーハングにあったトランスミッションの制約を回避するため、ランボルギーニの技術責任者であったパオロ・スタンツァーニ（Paolo Stanzani）はトランスミッションをエンジンの前に移してシートの間に突き出すように置き、プロペラシャフトはエンジンブロックの中を通らせるという斬新な策を考え出します。スタイル面では、カロッツェリア・ベルトーネでスタイリング部門を率いていたマルチェロ・ガンディー二が1960年代的な丸みを帯びたスタイルから離れることを決め、鋭いエッジが特徴的な、車高が低く、幅の広い車体をデザインしました。それはまさに驚異的なシェイプでした。</p>
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<p> ガンディー二のシザードア採用は、サイド部分の高さに起因する技術的な必要があったためだけではなく、幅を数センチ広くすることで車内に乗りやすくするためでもありました。このような設計を選んだことでフェルッチオにもう一つの改良に関する承認を得て、当時はまだ気が付いていなかったにしても、サンタアガタ・ボロネーゼで生産されるすべての12気筒モデルで最も際立った特徴が誕生することになりました。LP500で特に際立っていたのはその鋭いエッジで、それは後に自動車における象徴的なスタイルとなり、17年にわたって極めて変更が少ないまま生産が続いたモデルへとつながっていきます。</p>
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<p>「Countach」という言葉が最初に登場したのは、1971年3月のジュネーブ・モーターショーに向けて最初のプロトタイプLP500の準備が進められていたときでした。カウンタックは、イタリアのピエモンテ地方の方言で、何かに驚き、驚嘆したときに発する言葉です。</p>
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<h4>1973年：第1世代Countach LP400の誕生</h4>
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<p>カウンタックLP500は即座に大成功を収めましたが、あくまでも「コンセプトカー」であり人々の反応を見るために設計されたものだったため、まだ市販できる状態ではありませんでした。市販車の開発が決まると、出来る限り早い量産の実現が目指されました。約2年間、ニュージーランド出身の伝説のテストドライバー、ボブ・ウォレス（Bob Wallace）による長時間のロードテストを含む集中的な作業が進められました。1971年、カウンタックはパリとトリノのモーターショーにも出展されました。エンジン冷却とエンジンコンパートメントへのエアインレットに関連して大幅な修正が必要になり、サイドにNACAダクトが設けられたほか、ラジエーターのエアインテークの上にもダクトが追加されました。ノーズも数センチ上に上げられ、シェイプに変更が加えられました。</p>
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<p>初期のロードテストで5Lのエンジンが未完成であったことが判明したため、代わりに4Lエンジンが採用されることになりました。カウンタックLP400は、1973年3月のジュネーブ・モーターショーに出展されたシャーシナンバー1120001で公式デビューを果たしましが、これは全体的にスタンダードな量産車に近いプロトタイプでした。カウンタックLP500とLP400には技術的にさまざまな違いが見られます。主な違いは、セミモノコック構造に代わりチューブラーフレームが採用されたことです。ボディは鋼板からアルミニウム製になり、開発の過程で必要となった外観的、技術的変更もすべて加えられました。ジュネーブ・モーターショーに出展された赤い車両は後に緑に塗装され、1973年のフランクフルト、パリ、ロンドンのアールズコートのモーターショーに出展されました。スイスに売却されたこの1台は、2000年代に場所を移し、現在ではアウトモビリ・ランボルギーニが所有、ランボルギーニ・ミュージアムMUDETECで展示しています。</p>
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<p>カウンタックの市販モデルは、チューブラーフレームの管材の直径が異なり、エンジンとラゲージコンパートメントを閉じるためにグラスファイバー製のパネルと金属薄板のパネルが取り付けられました。極めて剛性が高く、重量的にも利点が多かったことから、この構成は生産期間を通して変更されることはありませんでした。</p>
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<p> ウェーバー45DCOEツインチョークキャブレター6基で燃料を供給する4L（3929㏄）のエンジンは、最高出力375hp/8000rpmを発揮し、最高速度は300㎞/h近くに達しました。サスペンションはレーシングカーに由来するもので、フロントアクスルには不等長型アーム、コイルスプリング、油圧ショックアブソーバー、スタビライザーバー、リアアクスルには台形のアッパーアーム、三角形のロアアーム、各ホイールに調整可能なダブルショックアブソーバー、アンチロールバーを備えていました。ブレーキはベンチレーテッドディスクを採用し、レース用に設計された新型のキャリパーが導入されました。マルチェロ・ガンディー二の純粋なデザインを極めたとされるLP400は、1977年まで152台の市販車が生産され、今日ではコレクターに最も人気の高いバージョンとなっています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>1978年：Countach LP400S</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://preview.thenewsmarket.com/Previews/lamb/StillAssets/960x540/588809_v2.jpg" alt=""/></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>1978年、LP400はカウンタック LP400Sに後を譲りました。LP400Sでは大幅に扁平率を低めたフロント205/50VR15、リア345/35VR15の新しいピレリP7が、新しいデザインのマグネシウムホイールに装着されました。大きくなったタイヤサイズを収容するためのオーバーフェンダー、極端に低いフロントスポイラーのほか、オプションとして後年カウンタックの特徴の1つとなるリアウイングも用意されました。LP400Sは今日に至るまで、そのスポーティーさ、魅力的なシェイプと未来的な技術で、カウンタックとランボルギーニのDNAを体現した完璧な例だと考えられています。これほどレーシングカー的なスタイルの「普通の」自動車が公道を走っている姿をそれまでは見かけることはありませんでした。LP400Sは以後のカウンタックシリーズ各モデルのインスピレーションの源となり、LP5000Sが登場する1982年までに235台が生産されました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<h4>1982年：Countach LP5000S</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>1979年に技術・生産責任者としてランボルギーニに入社し、後にゼネラルマネージャーに就任したエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリ（Giulio Alfieri）が最初に手掛けたのは、1982年のジュネーブ・モーターショーに公式出展するLP5000Sに搭載する約5Lのエンジンでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>LP5000Sは外見的にはLP400Sと見分けがつかないものの、内部に若干の改良が加えられていました。新型のエンジンは最高出力375hp/7000rpm、最大トルク41.8kgm/4500rpmで、ウェーバー45DCOEツインチョークキャブレター6基をそのまま引き継いでいました（米国に輸入された一部の車両は後に電子燃料噴射のボッシュKジェトロニックを装着）。3月のジュネーブ・モーターショーでLP5000Quattrovalvoleが発表される1985年まで、323台が生産されました。LP5000Sは米国に初めて正式に輸入され、型式承認を受けたモデルでもありました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<h4>1985年：Countach LP5000 Quattrovalvole</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Quattrovalvoleはそれまでの12気筒エンジンをさらに進化させたエンジンを採用しました。排気量は5.2Lに増え、1気筒あたりのバルブ数は4本になりました。この技術改良はキャブレターの変更も要し、新たにウェーバーDCNFキャブレター6基が導入され、装着場所も横から上に変更されました。米国市場向けには、ボッシュKEジェトロニックと触媒コンバーター、排ガス回収装置を搭載。出力アップは455hp/7000rpmと驚異的でした。フロントトレッドは4.4mm広げられましたが、外見的な変更は最小限に抑えられ、キャブレターの縦方向の搭載に対応するためエンジンフードのふくらみが大きくなっただけにとどまりました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1988年にはサイドスカートが付き、よりモダンな外観となりました。米国バージョンはサイドリピーターでも分かりますが、リアパネルのバンパーの輪郭と大きなフロントバンパーも特徴的でした。Quattrovalvoleはランボルギーニが複合素材を初めて市販車に使用したモデルで、複合素材はエンジンフードに使用されました。1988年まで、631台が生産されました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックの生産が開始されてから、その一部は米国にも渡っていましたが、1986年式のLP5000 Quattrovalvoleまで、米国での正式な型式承認は受けていませんでした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> それまでは米国のどのカウンタックにもそれぞれ異なる輸入の経緯があり、公害や駐車時の影響に対する保護を巡る米国の厳しい規制に対応するため数々の改修を要していました。これらの改修はいずれにせよ臨時の措置でしかなく、カウンタックを世界で最も重要とされる市場で販売する際の大きな制約となっていました。カウンタックの年間生産台数の記録が生産期間の後半に達成され、生産開始後15年以上たってからの最後の4年間に全体の50％が集中しているのは、決して偶然ではありません。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<h4>1988年：Countach 25th Anniversary</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>カウンタックプロジェクトの最後の世代となったCountach 25th Anniversaryは、1988年9月のパリ・モーターショーでデビューしました。実は1985年、エンジニアのルイジ・マルミローリ（Luigi Marmiroli）がジュリオ・アルフィエーリの後を継いでアウトモビリ・ランボルギーニの技術部門の責任者に就任した年には、既にカウンタックの生産終了の必要性が予見されていました。一方で、生産開始から14年を超えたカウンタックに新鮮さを取り戻すべく、アウトモビリ・ランボルギーニ設立25周年を祝って25th Anniversaryと名付けられた新バージョンが登場することになりました。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 外見は大きく変わったものの、構造やシャシーへの変更はそれほど多くなく、エンジンの冷却システムが改良され、シャシーは新しいピレリPZEROタイヤに合わせて調整されました。キャビンは、ボルスターがよりコンパクトになったシートが電動で調整可能になり、パワーウィンドウが搭載され、快適さが向上しました。ボディスタイルは、当時ランボルギーニに在籍していた若きオラチオ・パガーニ（Horacio Pagani）によって決定的に変えられました。パガーニはシェイプに丸みを加え、オーバーフェンダーやドアの下のプレート部分などの突起部分がより自然な形で組み込まれるようにしました。25th Anniversaryの外見的な特徴としては、新しくなった複数ピース構造のアルミホイールに加え、リアに配置されたエアインテークが丸みを帯びて引き延ばされ、熱排気用のアウトレットも収められました。プロトタイプCountach Evoluzioneから直接採用されたものも含むこれらの変更は、25th Anniversaryをカウンタックの中でもダウンフォースとドラッグについて最も優れた結果を出しています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<!-- wp:paragraph -->
<p>25th Anniversaryでは、電子燃料噴射装置が搭載された「米国」バージョンと、キャブレターを搭載したその他の地域向けのバージョンとで大きく異なります。最後のカウンタックは、1990年7月4日にヨーロッパ仕様で生産されました。ボディカラーはArgento Metallizzato（メタリックシルバー）で、インテリアにはグレーのレザーを使用していました。ナンバー658を冠したこの台は、カウンタックの歴史の中で最も生産台数の多い25th Anniversaryで、最終的なカウンタックの台数は1999台となりました（初代LP400は含まず）。この1台は販売されることなく、今もMUDETECで展示されています。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>Text＆photo：アウトモビリ ランボルギーニ</p>
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		<title>豪華で豪奢でノーブルでラグジュアリーな「パリ2021 RMサザビーズ オンラインオークション」　このクルマなんぼスペシャル　後編</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Feb 2021 01:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1920" height="1440" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3.jpg 1920w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-768x576.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1536x1152.jpg 1536w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-696x522.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1068x801.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-560x420.jpg 560w" sizes="(max-width: 1920px) 100vw, 1920px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>世の中には面白いネタが山ほどある。ましてや自動車の世界は新旧の数えきれない夢の車たちが自動車好きを心から楽しませてくれる。へえ。ヒョエー！　え？　マジか。なんで？　あ、これなら買うのも夢じゃないかも…。あーこのクルマ、昔憧れたなあ。そうそう、これこそ文字通りスーパーオークション。リアクションはいろいろとあるでしょうが、今回も、面白くて楽しい自動車の世界、思う存分エンジョイしてください。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/2/c/6/8/b/1/2c68b1b6da187659060b01440b41eb00b4da6048.jpg" alt=""/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/f/9/3/c/f/5/f93cf5895512fa30033fa755ba9b16252affe4bc.jpg" alt=""/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/b/d/1/a/3/6/bd1a360cc9a84c8d469474baae363a1d9765a687.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>フェラーリ ディーノ246GTS（1974）　デザイン: スカリエッティ<br> 落札想定価格: 400,000～420,000ユーロ（約5,120～5,376万円）<br> ・ 1,274台しか生産されていないDino GTSの中でも特に好ましいEシリーズの1台<br> ・ エアコンとパワーウィンドウが装備された米国仕様<br> ・ オリジナルのエンジンとギアボックスが装着されている<br> ・ 2017年に大規模な修復作業</strong><br> エンツォ フェラーリにとって、最愛の亡き息子ディーノの名を冠したカリスマ的なレーシングカーやロードカーのシリーズほど、個人的でセンチメンタルなプロジェクトはなかった。1956年、わずか24歳で筋ジストロフィーのために亡くなったディーノは、個人的なレベルだけでなく、企業的な面でもエンツォに大きな打撃を与えた。<br> 死の直前までディーノは、ヴィットリオ ヤーノと野心的な1.5リッター4カムV6エンジンの共同開発を行っていたが、悲劇的にもこのエンジンが開発の初期段階を超えて進歩を遂げるまで生きていられなかった。そのコンパクトなサイズと2.4リッターのF1仕様という驚異的なパワーを持つこのパワーユニットは、マイク ホーソンが1958年の「世界ドライバーズ選手権」で優勝しただけでなく、後に196SP、246SP、166P、そして巨大な殺戮力を持つ206Sディーノ コンペツィオーネなど、新世代のリアエンジンのフェラーリスポーツレーシングカーを生み出した。<br> フェラーリは、スリムな166/206シリーズのスタイリングから多くのヒントを得て、1967年に画期的な206 GTロードカーを発表した。オールアルミ製の2.0リッターV型6気筒エンジンを搭載し、レーシングヴァリアントのように縦方向ではなく、ドライバーの後ろに横方向に搭載されたとはいえ、ミドエンジンロードカーのデザインと（相対的に）量産化の両方に果敢に挑戦した最初の作品となった。即座の成功として歓迎されたものの、一部の関係者からはパワー不足が懸念されていたため、1969年からは新たな大容量モデルが用意され、10年ほど前のホーソンのグランプリカーと同じ246という名称が与えられた。<br> この大容量車は当初246GTのベルリネッタのみが用意されていたが、1972年からはハンサムなスパイダーのバリエーションが登場した。初期のLシリーズは、その純粋さとオリジナルデザインの概要に近いことで珍重されていたが、1971年から1974年の生産終了まで導入されたEシリーズは、その前の2年間の生産から得た教訓はもちろんのこと、開発プロセスの後半段階で行われた無数のエンジン、ギアボックス、サスペンション、人間工学に基づいた改良を取り入れた、最も完成度の高い「ドライバーズカー」として広く評価された。<br> 1974年2月、マラネロ工場で完成したこの見事な後期シリーズE、米国仕様車は、アルジェントとブルーのレザーインテリアの組み合わせが最も魅力的なカラーである。オプションのエアコンとパワーウィンドウが装備され、標準仕様のクロモドーラ製アロイホイールが装着されていた。<br> この車は2017年に、現オーナーによって、ミュンヘンで大規模な機械的および化粧品のオーバーホールが行われた。時代を超越したスタイリング、優れたパフォーマンス、そして1950～60年代の栄光のV6エンジン搭載グランプリやスポーツカーにまで遡る輝かしい歴史を持ち、エキゾーストノートは言うまでもなく、「ディーノ246GTS」ほど、感情を揺さぶるフェラーリは他にはない。<br> 大林晃平: ディーノ（昔は、フェラーリは名前に付いてなかった）は、学生時代（70年代後半から80年代初期）に、憧れた1台だった。ジジイの繰り言になってしまうが、その当時の自動車雑誌の広告には400万円台で販売されていて、いつかは買いたいと思っていたら、バブルも手伝って、あれよあれよという間に価格は天井知らず。今や超大金持ちにしか手の届かない1台になってしまった。エンツォ御大も、名前を使われた（？）ディーノ本人も天国でびっくりだろう。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/d/b/1/8/1/a/db181ae761c984eca55a1c68d218efab9c8144dd.jpg" alt=""/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/8/d/d/8/d/f/8dd8dfd0492ab523f249a86ea5c73d4f9480311c.jpg" alt=""/></figure>
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<p><strong>ランボルギーニ ミウラP400 SV（1971）　デザイン: ベルトーネ<br> 落札想定価格: 2,100,000～2,500,000ユーロ（約2億6,880～3億2千万円）<br> ・ 150台しか生産されていないミウラSVの1台<br> ・ イタリアのエキスパートによるオリジナル仕様への最近のフルレストア</strong><br> 「生涯、自分のミウラを見るたびに幸せな気持ちになる。この車は、その時代に痕跡を残した。それ以来、これ以上のものは誰も作っていないと言っていい。」 - フェルッチオ ランボルギーニ<br> それが本当に世界初のスーパーカーだったかどうかは別として、1966年のジュネーブショーでランボルギーニのスタンドに登場した「ミウラP400プロトタイプ」が、自動車の風景を永遠に変えたことは否定できない。それは、その外観も構造も、それ以前の市販車とは全く異なっており、過去50年間スーパーカーのエートス（単なる審美性を超えて与える感銘と気品）を支配してきたデザイン言語を導入した。<br> 当初、自動車メディアはこのクルマにほとんど注目しておらず、単なるデザイン研究か、モータースポーツの世界への進出の可能性を秘めているかのどちらかだと考えていた。1965年のル マン24時間レースのエントリーリストを見れば、「フォードGT40」から「フェラーリ250LM」、そして「ポルシェ904」に至るまで、無数のミッドエンジンレーシングカーを発見することができたのだから、これは全く驚くに値しないことではない。ミッドエンジン・アーキテクチャーがパフォーマンスとラップタイムにメリットをもたらすことはよく知られていたが、それはモータースポーツだけのものと考えられていた。最も有名なのは、エンツォ フェラーリがこのレイアウトをロードカーに採用することに反対したことだ。これに加えて、ランボルギーニ自動車は2年前に設立されたばかりで、ビザリーニエンジンを搭載したおとなしいデザインの350GTとそれに続く400GTがすぐに成功を収めたにもかかわらず、これほど若い会社が莫大なリスクを冒してまで、将来をこれほど急進かつ過激的なものに賭けるとは、ほとんど誰も予想していなかっただろう。<br> エンツォ フェラーリの「トラクターの製造に専念すべきだ」という提案に耳を傾けていたフェルッチオ ランボルギーニは、自分の若い会社がこのレーシングテクノロジーを最初に路上に持ち込むことができることを高く評価していた。幸いなことに、彼はまた、26歳のジャン パオロ ダラーラが指揮を執る若い開発チームにも恵まれていた。ダラーラは上司の熱意に共感し、若いエンジニアのパオロ スタンザーニと開発ドライバーのボブ ウォレスの助けを借りて、溶接されたスチール製の中央に背骨を持つミッドエンジンシャシーを作り上げた。<br> パワーについては、既存の400GTに搭載されていた素晴らしいビッザリーニ設計の3.9リッターV型12気筒エンジンをすでに搭載していたが、ミウラのためには重量を集中させるために横向きに設置し、ギアボックスとディファレンシャルを同じ一体鋳造品に組み込むことで変更を加えた。ボディはその後、フェラーリやマセラティとは正式な関係を持たないベルトーネに託され、25歳のマルチェロ ガンディーニがデザインプロセスをリードした。彼が手がけたのは、シャークノーズを施したフロント、劇的にスウェプトしたバックウインドスクリーン、そしてV12の上を通ってクルマの腰に向かってアーチを描く、ありえないほど低いルーフラインなど、このクルマのラジカルなフォルムを生み出した。リアブレーキ用の膨らみのあるエアインテークとウェーバーキャブレターは、ドアの後ろに配置され、美観を引き立て、このクルマの可能性を示唆する以上のものだった。ミウラという名前は、闘牛のために雄牛を飼育していたエドゥアルド ミウラに敬意を表して選ばれたもので、1962年にフェルッチオ ランボルギーニが訪れた牧場である。ランボルギーニはそこで過ごした時間に感銘を受け、闘牛をブランドのエンブレムに選んだのだった。<br> 1967年から1973年まで生産されたミウラのうち、641台が販売された。このプログラムはミウラの「スプリント ヴェローチェ」（SV）で最高潮に達し、1971年から1973年の間に150台が生産された。これらの後期モデルは、ミウラの中で最も人気のあるモデルとなり、フロントには初期の車のような独特のヘッドライトラッシュがなく、リアには新しい9インチ幅のホイールを装着するために必要とされたライトクラスターとフレアアーチが採用されていることから、すぐにそれとわかる。目に見えない改良点としては、逆さAアームとトレーリングリンクの代わりに、通常のロアAアームを採用した新しいリアサスペンションのセットアップと、大幅なシャシー剛性の向上が挙げられる。どちらの変更も、特に限界走行時のハンドリングを劇的に向上させた。リアルーバー下のV12には、初めてウェバー製40 IDL30トリプルキャブレターが4基装備され、385馬力@7,850rpm、0-60mph（96.56064km/h）加速タイム5.8秒、最高速度289.6km/hを発揮した。<br> 現在のオーナーは、1971年6月にサンタアガータ-ボロネーゼを出発した時の仕様に戻すための修復を決心した。ボディとペイントワークを修復し、ロッソコルサで再塗装した。インテリアもダークブルーに再塗装された。すべての作業は2016年に完了し、それ以来、この車の走行距離は500kmを下回っており、直近のサービスは2019年に行われた。<br> その出自を考えると、この車は見事な状態にレストアされており、多数の時代や修復歴の写真、長年にわたって与えられた愛情と注意の詳細な説明、そしてその最上級の状態を証明する複数の鑑定書が添付されている。歴史的な販売記録もあり、革製のツールキットも付属している。<br> 「ミウラSV」はコレクターにとっては必携の一台であり、ツアーやリベリア沿いのドライブ、コンクールイベントでの展示などで楽しむことができる。この機会を逃すわけにはいかないだろう。<br> 大林晃平: これからも永遠のランボルギーニといえば、ミウラとカウンタックの2台だろうと思う。3億という価格も今後下がることは一切なく、どんどん上がっていくだろうと確信する。こんな美しいフォルムとシルエットを備えたスーパーカーは二度と生まれてこないだろうことだけは確かだし、今のランボルギーニに欠けているものは、このクルマの持っている、ある種のエレガントさ、なのである。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/a/9/c/b/2/9/a9cb2975b24da06c66ef468b456508d01dc32d33.jpg" alt=""/></figure>
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<p><strong>ランボルギーニ カウンタックLP400「ペリスコーピオ」（1977）　デザイン: ベルトーネ<br> 落札想定価格: 750,000～900,000ユーロ（約9,600万円～1億1,520万円）<br> ・ 元はロッド・スチュワートが所有していたもので、オーストラリアとロサンゼルスの両方でスチュワートが頻繁にドライブしていた<br> ・ 最近レストアされたばかりのLP400仕様<br> ・ 157台しか製造されていないLP400「ペリスコーピオ」のうちの1台</strong><br> 1974年に登場したランボルギーニ カウンタックは、スーパーカーの定義を変えたと一般的に認められている。その外観は無法なもので、使い勝手の良さを無視して、衝撃と畏怖の念を与えていた。エンジンカバーの下には375馬力のV型12気筒エンジンがシャシーの低い位置に縦に配置され、フロント出力シャフトを介してギアボックスを駆動していた。これにより、トランスミッションは集中化され、運転席と助手席のほぼ中間に配置され、重量配分が改善されると同時に、ギアリンケージが非常に短く、ダイレクトになるようになった。パワーはプロップシャフトを介してリアアクスルに送られ、エンジンのオイルサンプの下を通ってリアデフに送られた。エンジンレイアウトが横置きであったミウラと比較して、カウンタックのパッケージングは、全体の重量配分と重心位置を改善しただけでなく、ミウラの冷却の問題を包括的に解決した。<br> 1977年5月にサンタガータ-ボロネーゼを出発したこのモデルは、RHD仕様で製造され、内装にロッソ塗装が施された157台のオリジナルカウンタックLP400「ペロシコピオス」の1台として、最初のオーナーであるイギリスのシンガーソングライター、ロッド スチュワートが購入し、オーストラリアで受け取った。スチュワートは、以前に3台のミウラを所有していたため、ランボルギーニとの長期的な関係を築いていた。これは、彼が購入した数台のカウンタックのうちの最初の1台だった。<br> その後、スチュワートの実家であるロサンゼルスに運ばれ、時間をかけてゆっくりと改良が加えられ、ランボルギーニが後のカウンタックモデルで発表したのと同じ美的要素を獲得した。これは、幅広のゴッティホイールとエアボックスの後ろに取り付けられたミニスポイラーから始まり、カウンタックLP400 Sを模したフルワイドボディへの改造、そしてカンパニョーロの「テレダイヤル」ホイールが装着されたことで、最高潮に達した。<br> 1987年にはスチュワートとともに英国に戻り、2002年まで所有した後、2人目のオーナーがこの車を手に入れ、2013年、3人目となる現在のオーナーの手に渡った。走行距離は18,990km。<br> レストアされた真に美しいLP400「ペリスコーピオ」は、カウンタックならではのユニークな歴史を持っている。特徴的な歴史を持つLP400の中で最も有名なモデルのひとつであり、ランボルギーニのコレクションには欠かせない1台だ。<br> 大林晃平: これこそまさにスーパーカーの中のスーパーカー。スーパーカーの王様と言えばこれだ（そう考えるとミウラは王女か）。<br> 特にこの最初期のカウンタックは文句なしの一台。これぞガンディーニのデザインした本物のカウンタックである。ミウラと比べると安く感じるが、この車も絶対に価格は上昇する一方だろう。ロッド スチュワートのクルマという歴史も含めて、買える方は迷わず即決すべきだ。</p>
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<p>そして最後はお手頃価格の、（無理すれば）我々でも購入できそうな1台をご紹介。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/d/b/f/3/8/3/dbf383e940d96c91a71c334747f4f920ffa5029f.jpg" alt=""/></figure>
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<p><strong>ランドローバー110 V8カウンティ（1987）<br> 落札想定価格: 20,000～40,000ユーロ（約256万円～512万円）<br> ・ フィンランドで新車販売された3台しかないV型8気筒110の1台<br> ・ 憧れのLT85 5速マニュアルギアボックスを搭載<br> ・ オリジナルのオーナーズマニュアルとパンフレット付き</strong><br> 希少なランドローバーモデルのひとつであるこの3.5リッターガソリンV型8気筒エンジン搭載「110V8カウンティ」は、フィンランドで新車販売された3台のうちの1台だ。1986年末にヘルシンキに在ったランドローバーの正規ディーラーから新車で販売され、それ以来、この車はフィンランドに留まり、手入れが行き届いていることを保証する一握りのオーナーたちによって所有された。今日のオドメーターを見ると、新車時から18万7,000km走行している。<br> 出品車によれば、オリジナルの内装を残したまま、この車は2017年から2020年の間に機械的、化粧的な作業を受け、良好な状態を維持し、今後の使用のための準備が整っていることを確認したとのこと。カウンティストライプの入ったオリジナルのスレートグレーで再塗装されたほか、エンジンは新しいカムシャフト、油圧リフター、タイミングチェーン、スプロケット、新しいウォーターポンプなどが交換されている。キャブレターも調整され、新しい排気システムが取り付けられ、オルタネーターとバッテリーも交換されている。<br> 車内の状態は美しく、走行状態も良好とのこと。また、この年代のランドローバーではよく知られている防錆処理が施されているため、サビの問題はないとのことだ。<br> この希少でコレクターアイテムな「ランドローバー110」は、以前の所有者に信頼性の高い実用的な移動手段を提供してきたが、その人気はますます高まっており、シックなデザインのオフローダーでオープンロードを走る人にとっては歓迎すべき1台だろう。<br> 大林晃平: 生産も中止となり、もはや伝説のクルマの仲間入りを果たしたといえるランドローバー110。今や程度の良いものは1,000万円クラスだが、そう考えるとこの車輛はなかなか適正価格だ。<br> 適正価格の理由のひとつは走行距離が20万キロ近いことで、さすがにここまで走行距離がのびているとちょっと今後のトラブルが心配である（といっても、走行距離の少ない110も定期的にメンテナンスしないといけないのだが…）。<br> もう一点はV8エンジンということで、いかに数が少なくとも110の場合は、ディーゼルエンジンモデルのほうが王道であり、V8エンジンモデルの人気は（特に生粋の110ファンには）やや劣勢と言えよう。<br> ちなみに「カウンティ」というのはグレード名で、装備の揃ったそこそこに上級仕様、という意味だ。</p>
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<p>Text &amp; photo: RM | Sotheby’s<br>
加筆： 大林晃平</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1920" height="1440" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3.jpg 1920w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-768x576.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1536x1152.jpg 1536w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-696x522.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-1068x801.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/02/d6240d3e611035b250ee2d9bcbbb8c2ec5c998d3-560x420.jpg 560w" sizes="auto, (max-width: 1920px) 100vw, 1920px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>世の中には面白いネタが山ほどある。ましてや自動車の世界は新旧の数えきれない夢の車たちが自動車好きを心から楽しませてくれる。へえ。ヒョエー！　え？　マジか。なんで？　あ、これなら買うのも夢じゃないかも…。あーこのクルマ、昔憧れたなあ。そうそう、これこそ文字通りスーパーオークション。リアクションはいろいろとあるでしょうが、今回も、面白くて楽しい自動車の世界、思う存分エンジョイしてください。</strong></p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/2/c/6/8/b/1/2c68b1b6da187659060b01440b41eb00b4da6048.jpg" alt=""/></figure>
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<p><strong>フェラーリ ディーノ246GTS（1974）　デザイン: スカリエッティ<br> 落札想定価格: 400,000～420,000ユーロ（約5,120～5,376万円）<br> ・ 1,274台しか生産されていないDino GTSの中でも特に好ましいEシリーズの1台<br> ・ エアコンとパワーウィンドウが装備された米国仕様<br> ・ オリジナルのエンジンとギアボックスが装着されている<br> ・ 2017年に大規模な修復作業</strong><br> エンツォ フェラーリにとって、最愛の亡き息子ディーノの名を冠したカリスマ的なレーシングカーやロードカーのシリーズほど、個人的でセンチメンタルなプロジェクトはなかった。1956年、わずか24歳で筋ジストロフィーのために亡くなったディーノは、個人的なレベルだけでなく、企業的な面でもエンツォに大きな打撃を与えた。<br> 死の直前までディーノは、ヴィットリオ ヤーノと野心的な1.5リッター4カムV6エンジンの共同開発を行っていたが、悲劇的にもこのエンジンが開発の初期段階を超えて進歩を遂げるまで生きていられなかった。そのコンパクトなサイズと2.4リッターのF1仕様という驚異的なパワーを持つこのパワーユニットは、マイク ホーソンが1958年の「世界ドライバーズ選手権」で優勝しただけでなく、後に196SP、246SP、166P、そして巨大な殺戮力を持つ206Sディーノ コンペツィオーネなど、新世代のリアエンジンのフェラーリスポーツレーシングカーを生み出した。<br> フェラーリは、スリムな166/206シリーズのスタイリングから多くのヒントを得て、1967年に画期的な206 GTロードカーを発表した。オールアルミ製の2.0リッターV型6気筒エンジンを搭載し、レーシングヴァリアントのように縦方向ではなく、ドライバーの後ろに横方向に搭載されたとはいえ、ミドエンジンロードカーのデザインと（相対的に）量産化の両方に果敢に挑戦した最初の作品となった。即座の成功として歓迎されたものの、一部の関係者からはパワー不足が懸念されていたため、1969年からは新たな大容量モデルが用意され、10年ほど前のホーソンのグランプリカーと同じ246という名称が与えられた。<br> この大容量車は当初246GTのベルリネッタのみが用意されていたが、1972年からはハンサムなスパイダーのバリエーションが登場した。初期のLシリーズは、その純粋さとオリジナルデザインの概要に近いことで珍重されていたが、1971年から1974年の生産終了まで導入されたEシリーズは、その前の2年間の生産から得た教訓はもちろんのこと、開発プロセスの後半段階で行われた無数のエンジン、ギアボックス、サスペンション、人間工学に基づいた改良を取り入れた、最も完成度の高い「ドライバーズカー」として広く評価された。<br> 1974年2月、マラネロ工場で完成したこの見事な後期シリーズE、米国仕様車は、アルジェントとブルーのレザーインテリアの組み合わせが最も魅力的なカラーである。オプションのエアコンとパワーウィンドウが装備され、標準仕様のクロモドーラ製アロイホイールが装着されていた。<br> この車は2017年に、現オーナーによって、ミュンヘンで大規模な機械的および化粧品のオーバーホールが行われた。時代を超越したスタイリング、優れたパフォーマンス、そして1950～60年代の栄光のV6エンジン搭載グランプリやスポーツカーにまで遡る輝かしい歴史を持ち、エキゾーストノートは言うまでもなく、「ディーノ246GTS」ほど、感情を揺さぶるフェラーリは他にはない。<br> 大林晃平: ディーノ（昔は、フェラーリは名前に付いてなかった）は、学生時代（70年代後半から80年代初期）に、憧れた1台だった。ジジイの繰り言になってしまうが、その当時の自動車雑誌の広告には400万円台で販売されていて、いつかは買いたいと思っていたら、バブルも手伝って、あれよあれよという間に価格は天井知らず。今や超大金持ちにしか手の届かない1台になってしまった。エンツォ御大も、名前を使われた（？）ディーノ本人も天国でびっくりだろう。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://rmsothebys-cache.azureedge.net/d/b/1/8/1/a/db181ae761c984eca55a1c68d218efab9c8144dd.jpg" alt=""/></figure>
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<p><strong>ランボルギーニ ミウラP400 SV（1971）　デザイン: ベルトーネ<br> 落札想定価格: 2,100,000～2,500,000ユーロ（約2億6,880～3億2千万円）<br> ・ 150台しか生産されていないミウラSVの1台<br> ・ イタリアのエキスパートによるオリジナル仕様への最近のフルレストア</strong><br> 「生涯、自分のミウラを見るたびに幸せな気持ちになる。この車は、その時代に痕跡を残した。それ以来、これ以上のものは誰も作っていないと言っていい。」 - フェルッチオ ランボルギーニ<br> それが本当に世界初のスーパーカーだったかどうかは別として、1966年のジュネーブショーでランボルギーニのスタンドに登場した「ミウラP400プロトタイプ」が、自動車の風景を永遠に変えたことは否定できない。それは、その外観も構造も、それ以前の市販車とは全く異なっており、過去50年間スーパーカーのエートス（単なる審美性を超えて与える感銘と気品）を支配してきたデザイン言語を導入した。<br> 当初、自動車メディアはこのクルマにほとんど注目しておらず、単なるデザイン研究か、モータースポーツの世界への進出の可能性を秘めているかのどちらかだと考えていた。1965年のル マン24時間レースのエントリーリストを見れば、「フォードGT40」から「フェラーリ250LM」、そして「ポルシェ904」に至るまで、無数のミッドエンジンレーシングカーを発見することができたのだから、これは全く驚くに値しないことではない。ミッドエンジン・アーキテクチャーがパフォーマンスとラップタイムにメリットをもたらすことはよく知られていたが、それはモータースポーツだけのものと考えられていた。最も有名なのは、エンツォ フェラーリがこのレイアウトをロードカーに採用することに反対したことだ。これに加えて、ランボルギーニ自動車は2年前に設立されたばかりで、ビザリーニエンジンを搭載したおとなしいデザインの350GTとそれに続く400GTがすぐに成功を収めたにもかかわらず、これほど若い会社が莫大なリスクを冒してまで、将来をこれほど急進かつ過激的なものに賭けるとは、ほとんど誰も予想していなかっただろう。<br> エンツォ フェラーリの「トラクターの製造に専念すべきだ」という提案に耳を傾けていたフェルッチオ ランボルギーニは、自分の若い会社がこのレーシングテクノロジーを最初に路上に持ち込むことができることを高く評価していた。幸いなことに、彼はまた、26歳のジャン パオロ ダラーラが指揮を執る若い開発チームにも恵まれていた。ダラーラは上司の熱意に共感し、若いエンジニアのパオロ スタンザーニと開発ドライバーのボブ ウォレスの助けを借りて、溶接されたスチール製の中央に背骨を持つミッドエンジンシャシーを作り上げた。<br> パワーについては、既存の400GTに搭載されていた素晴らしいビッザリーニ設計の3.9リッターV型12気筒エンジンをすでに搭載していたが、ミウラのためには重量を集中させるために横向きに設置し、ギアボックスとディファレンシャルを同じ一体鋳造品に組み込むことで変更を加えた。ボディはその後、フェラーリやマセラティとは正式な関係を持たないベルトーネに託され、25歳のマルチェロ ガンディーニがデザインプロセスをリードした。彼が手がけたのは、シャークノーズを施したフロント、劇的にスウェプトしたバックウインドスクリーン、そしてV12の上を通ってクルマの腰に向かってアーチを描く、ありえないほど低いルーフラインなど、このクルマのラジカルなフォルムを生み出した。リアブレーキ用の膨らみのあるエアインテークとウェーバーキャブレターは、ドアの後ろに配置され、美観を引き立て、このクルマの可能性を示唆する以上のものだった。ミウラという名前は、闘牛のために雄牛を飼育していたエドゥアルド ミウラに敬意を表して選ばれたもので、1962年にフェルッチオ ランボルギーニが訪れた牧場である。ランボルギーニはそこで過ごした時間に感銘を受け、闘牛をブランドのエンブレムに選んだのだった。<br> 1967年から1973年まで生産されたミウラのうち、641台が販売された。このプログラムはミウラの「スプリント ヴェローチェ」（SV）で最高潮に達し、1971年から1973年の間に150台が生産された。これらの後期モデルは、ミウラの中で最も人気のあるモデルとなり、フロントには初期の車のような独特のヘッドライトラッシュがなく、リアには新しい9インチ幅のホイールを装着するために必要とされたライトクラスターとフレアアーチが採用されていることから、すぐにそれとわかる。目に見えない改良点としては、逆さAアームとトレーリングリンクの代わりに、通常のロアAアームを採用した新しいリアサスペンションのセットアップと、大幅なシャシー剛性の向上が挙げられる。どちらの変更も、特に限界走行時のハンドリングを劇的に向上させた。リアルーバー下のV12には、初めてウェバー製40 IDL30トリプルキャブレターが4基装備され、385馬力@7,850rpm、0-60mph（96.56064km/h）加速タイム5.8秒、最高速度289.6km/hを発揮した。<br> 現在のオーナーは、1971年6月にサンタアガータ-ボロネーゼを出発した時の仕様に戻すための修復を決心した。ボディとペイントワークを修復し、ロッソコルサで再塗装した。インテリアもダークブルーに再塗装された。すべての作業は2016年に完了し、それ以来、この車の走行距離は500kmを下回っており、直近のサービスは2019年に行われた。<br> その出自を考えると、この車は見事な状態にレストアされており、多数の時代や修復歴の写真、長年にわたって与えられた愛情と注意の詳細な説明、そしてその最上級の状態を証明する複数の鑑定書が添付されている。歴史的な販売記録もあり、革製のツールキットも付属している。<br> 「ミウラSV」はコレクターにとっては必携の一台であり、ツアーやリベリア沿いのドライブ、コンクールイベントでの展示などで楽しむことができる。この機会を逃すわけにはいかないだろう。<br> 大林晃平: これからも永遠のランボルギーニといえば、ミウラとカウンタックの2台だろうと思う。3億という価格も今後下がることは一切なく、どんどん上がっていくだろうと確信する。こんな美しいフォルムとシルエットを備えたスーパーカーは二度と生まれてこないだろうことだけは確かだし、今のランボルギーニに欠けているものは、このクルマの持っている、ある種のエレガントさ、なのである。</p>
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<p><strong>ランボルギーニ カウンタックLP400「ペリスコーピオ」（1977）　デザイン: ベルトーネ<br> 落札想定価格: 750,000～900,000ユーロ（約9,600万円～1億1,520万円）<br> ・ 元はロッド・スチュワートが所有していたもので、オーストラリアとロサンゼルスの両方でスチュワートが頻繁にドライブしていた<br> ・ 最近レストアされたばかりのLP400仕様<br> ・ 157台しか製造されていないLP400「ペリスコーピオ」のうちの1台</strong><br> 1974年に登場したランボルギーニ カウンタックは、スーパーカーの定義を変えたと一般的に認められている。その外観は無法なもので、使い勝手の良さを無視して、衝撃と畏怖の念を与えていた。エンジンカバーの下には375馬力のV型12気筒エンジンがシャシーの低い位置に縦に配置され、フロント出力シャフトを介してギアボックスを駆動していた。これにより、トランスミッションは集中化され、運転席と助手席のほぼ中間に配置され、重量配分が改善されると同時に、ギアリンケージが非常に短く、ダイレクトになるようになった。パワーはプロップシャフトを介してリアアクスルに送られ、エンジンのオイルサンプの下を通ってリアデフに送られた。エンジンレイアウトが横置きであったミウラと比較して、カウンタックのパッケージングは、全体の重量配分と重心位置を改善しただけでなく、ミウラの冷却の問題を包括的に解決した。<br> 1977年5月にサンタガータ-ボロネーゼを出発したこのモデルは、RHD仕様で製造され、内装にロッソ塗装が施された157台のオリジナルカウンタックLP400「ペロシコピオス」の1台として、最初のオーナーであるイギリスのシンガーソングライター、ロッド スチュワートが購入し、オーストラリアで受け取った。スチュワートは、以前に3台のミウラを所有していたため、ランボルギーニとの長期的な関係を築いていた。これは、彼が購入した数台のカウンタックのうちの最初の1台だった。<br> その後、スチュワートの実家であるロサンゼルスに運ばれ、時間をかけてゆっくりと改良が加えられ、ランボルギーニが後のカウンタックモデルで発表したのと同じ美的要素を獲得した。これは、幅広のゴッティホイールとエアボックスの後ろに取り付けられたミニスポイラーから始まり、カウンタックLP400 Sを模したフルワイドボディへの改造、そしてカンパニョーロの「テレダイヤル」ホイールが装着されたことで、最高潮に達した。<br> 1987年にはスチュワートとともに英国に戻り、2002年まで所有した後、2人目のオーナーがこの車を手に入れ、2013年、3人目となる現在のオーナーの手に渡った。走行距離は18,990km。<br> レストアされた真に美しいLP400「ペリスコーピオ」は、カウンタックならではのユニークな歴史を持っている。特徴的な歴史を持つLP400の中で最も有名なモデルのひとつであり、ランボルギーニのコレクションには欠かせない1台だ。<br> 大林晃平: これこそまさにスーパーカーの中のスーパーカー。スーパーカーの王様と言えばこれだ（そう考えるとミウラは王女か）。<br> 特にこの最初期のカウンタックは文句なしの一台。これぞガンディーニのデザインした本物のカウンタックである。ミウラと比べると安く感じるが、この車も絶対に価格は上昇する一方だろう。ロッド スチュワートのクルマという歴史も含めて、買える方は迷わず即決すべきだ。</p>
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<p>そして最後はお手頃価格の、（無理すれば）我々でも購入できそうな1台をご紹介。</p>
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<p><strong>ランドローバー110 V8カウンティ（1987）<br> 落札想定価格: 20,000～40,000ユーロ（約256万円～512万円）<br> ・ フィンランドで新車販売された3台しかないV型8気筒110の1台<br> ・ 憧れのLT85 5速マニュアルギアボックスを搭載<br> ・ オリジナルのオーナーズマニュアルとパンフレット付き</strong><br> 希少なランドローバーモデルのひとつであるこの3.5リッターガソリンV型8気筒エンジン搭載「110V8カウンティ」は、フィンランドで新車販売された3台のうちの1台だ。1986年末にヘルシンキに在ったランドローバーの正規ディーラーから新車で販売され、それ以来、この車はフィンランドに留まり、手入れが行き届いていることを保証する一握りのオーナーたちによって所有された。今日のオドメーターを見ると、新車時から18万7,000km走行している。<br> 出品車によれば、オリジナルの内装を残したまま、この車は2017年から2020年の間に機械的、化粧的な作業を受け、良好な状態を維持し、今後の使用のための準備が整っていることを確認したとのこと。カウンティストライプの入ったオリジナルのスレートグレーで再塗装されたほか、エンジンは新しいカムシャフト、油圧リフター、タイミングチェーン、スプロケット、新しいウォーターポンプなどが交換されている。キャブレターも調整され、新しい排気システムが取り付けられ、オルタネーターとバッテリーも交換されている。<br> 車内の状態は美しく、走行状態も良好とのこと。また、この年代のランドローバーではよく知られている防錆処理が施されているため、サビの問題はないとのことだ。<br> この希少でコレクターアイテムな「ランドローバー110」は、以前の所有者に信頼性の高い実用的な移動手段を提供してきたが、その人気はますます高まっており、シックなデザインのオフローダーでオープンロードを走る人にとっては歓迎すべき1台だろう。<br> 大林晃平: 生産も中止となり、もはや伝説のクルマの仲間入りを果たしたといえるランドローバー110。今や程度の良いものは1,000万円クラスだが、そう考えるとこの車輛はなかなか適正価格だ。<br> 適正価格の理由のひとつは走行距離が20万キロ近いことで、さすがにここまで走行距離がのびているとちょっと今後のトラブルが心配である（といっても、走行距離の少ない110も定期的にメンテナンスしないといけないのだが…）。<br> もう一点はV8エンジンということで、いかに数が少なくとも110の場合は、ディーゼルエンジンモデルのほうが王道であり、V8エンジンモデルの人気は（特に生粋の110ファンには）やや劣勢と言えよう。<br> ちなみに「カウンティ」というのはグレード名で、装備の揃ったそこそこに上級仕様、という意味だ。</p>
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<p>Text &amp; photo: RM | Sotheby’s<br>
加筆： 大林晃平</p>
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