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	<title>ITC - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>ITC - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！（前編）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Oct 2021 22:50:00 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="700" height="524" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg 700w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-696x521.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-561x420.jpg 561w" sizes="(max-width: 700px) 100vw, 700px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>世界で最初の自動車レース</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>当時のダイムラー社やベンツ社のレーシングカー、そして1926年に合併後のダイムラー・ベンツ社もその組織力によって、数々のレースで優勝し活躍した。メルセデス・ベンツはレースで実証した革新技術を後の生産モデルに採用し（またその逆も）、自動車技術の発展に大きく貢献した。<br> そこで、「モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！」と題して、特にメルセデス・ベンツが1894年世界初の自動車レースから1955年ル・マンの悲劇で全てのレース活動を休止するまで活躍した伝説のレーシングマシンにスポットを当て前編・後編に分けて紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>当時のダイムラー・ベンツ社の概要</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1886年、ドイツのゴットリーブ・ダイムラー（4輪車）とカール・ベンツ（3輪車）が世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したのは周知の通りである。そして、ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立し、一方カール・ベンツは一足先にマンハイムで1883年にベンツ社を設立した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/02-1024x400.jpg" alt="" class="wp-image-10651"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーと2輪車＆4輪車（1885年に2輪車、1886年に4輪車）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10684,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/03-2.jpg" alt="" class="wp-image-10684"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/04-1024x437.jpg" alt="" class="wp-image-10653"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したカール・ベンツと3輪車（1886年）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10654,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/05.jpg" alt="" class="wp-image-10654"/><figcaption>カール・ベンツはマンハイムで1883年にベンツ社を設立。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ダイムラー社の車の名前は当初、会社名と同じダイムラーであったが、しかし何故「メルセデス」と呼ばれる事になったかの詳細は次の通りである。フランスはニース駐在のオーストリア・ハンガリー帝国の領事であり国際的なビジネスマンであるエミール・イエリネックは、一度見た時から自動車の虜になり、ビジネスマンの勘で自動車の販売に興味を持った。そこで、彼は自らカンシュタットを訪問しダイムラー社の総代理店契約を取得し、1898年１月に最初のダイムラー社「フェニックス」を購入した。翌年、ムッシュ・メルセデスの名で、フランス・ニース・ツーリングラリーで優勝する実力があった。彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。そこは実業家で、この趣味を仕事に活かしたいと考えていた。ダイムラー車の奇妙なメカニズム（彼にとってはスピード不足）に加えて、その名前にも、うんざりしていた。つまり、1901年に登場したモデル35ＰＳは「ダイムラー」という如何にもドイツ的なこの名前、フランスでは堅すぎると考えていた。居を構えていたバーデン（ウィーン近郊）やニースの人々をはじめ、果てはカンシュタットの当時のダイムラー社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回った。つまり、彼の言葉の端々には理想のクルマを手に入れたいとの情熱が込められていた。さすがは、セールスマンのパイオニアと言われるだけあって、ダイムラー社に大量発注（まとめて36台）の条件として、自分が販売するクルマを「メルセデス」の名前にすることを申し入れた（1901年最初のメルセデス）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/07-2.jpg" alt="" class="wp-image-10655"/><figcaption>エミール・イエリネックと愛娘であるメルセデス・イエリネック。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イエリネックがこの「メルセデス」の名前を付けたいと言ったのは、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘の名前（当時10歳）だった。また、「好きになってもらい、愛してもらうには、自動車は女性の名前であらねばならぬ」と常々語っていたと言われている（彼の妻はスペイン人であり、娘のメルセデスはスペイン系の名前）。ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。以後、ダイムラー社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカにまでめざましい売れ行きを示した（イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献し、1909年に引退）。一方、ベンツ社の車の名前はベンツであった。偉大な発明家ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが興したそれぞれの自動車会社はライバルとして市場で、レースで覇を競い合った。そして、共に高級車メーカーとして確固たる地位を築き上げていった。しかし、第一次大戦後の不況は自動車産業に大きな打撃を与え、不況の波は当然ダイムラー社とベンツ社にも容赦なく襲いかかってきた。そしてドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。本社はシュツットガルトのウンタートゥルクハイムに置かれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10656,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/08.jpg" alt="" class="wp-image-10656"/><figcaption>ダイムラー社の役員は、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>スリー ポインテッド スターの意味</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。1926年にこの両社が合併してから、ダイムラー社の三星とベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、また三星だけがラジエーター・マスコットにも取り付けられている（スリー ポインテッド スターは1923年に特許）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10659,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/9.jpg" alt="" class="wp-image-10659"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/09（2）.jpg" alt="" class="wp-image-10660"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味し、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示した宣伝ポスター。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ゴットリーブ・ダイムラーが描いたスリー ポインテッド スターとは？</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1872年にゴットリーブ・ダイムラーは、妻にある１枚の絵葉書を送った。この絵葉書に描かれていたのはケルンの街並だが、ダイムラーはあるものを描き足して送った。それは絵葉書に自分の家を見出し、その中央上部に描かれた星。そしてダイムラーは併せて「この星が、私の会社の上で輝く日がいつかやってくる」と書いたと言われている。ダイムラーの二人の息子はこのエピソードを思い出し、これに興味を持った当時のダイムラー社の取締役会が1909年にトレード・マークとした（この時すでに、創業者のゴットリーブ・ダイムラーは他界）。そして、このダイムラーの描いた星が、メルセデス・ベンツのシンボル・スリー ポインテッド スターとなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/10.jpg" alt="" class="wp-image-10661"/><figcaption>第一次大戦後の不況により、ドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/11.jpg" alt="" class="wp-image-10664"/><figcaption>1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた事を意味する宣伝ポスター</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>メルセデス・ベンツのレーシング・ヒストリーを10の時代に大別</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリーは10の時代に分けてみると理解し易いと思うので下記にまず記しておこう。<br> <strong>①1894～1914年(街から街へのレース、そしてクラシカル・サーキットレース時代)</strong>　　　　　　　　　　　　　　<br> 世界で最初の自動車レースが、パリ～ルーアン間(126km)でおこなわれ、ダイムラー社製のエンジンを搭載した4台の「馬なし馬車(パナールとプジョー)」が上位を独占した。ドライバーとしてカミーユ・イェナッツィ、クリスチャン・ラウンテンシュラーガー、ラルフ・パルマらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/13-2.jpg" alt="" class="wp-image-10666"/><figcaption>1901年のウィーク・オブ・ニースに初登場しヴィルヘルム・ヴェルナーのドライビングで初優勝。このレースでメルセデスはデビューと同時に一大センセーションを巻き起こした。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>②1921～1933年(第1次レーシングとスポーツカー時代)</strong><br> 1921年は第1次世界大戦が終了し、3年目、シシリーのタルガ・フローリオに28-95PSのメルセデスが優勝した。ドライバーとしてはカウント・マセッテイ、クリスチャン・ヴェルナー、オットー・メルツらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-2.jpg" alt="" class="wp-image-10676"/><figcaption>1927年　メルセデス・ベンツS；有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が率いた時代のメルセデス・ベンツが放ったハイライトがこのSモデル。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-3.jpg" alt="" class="wp-image-10677"/><figcaption>1928年のメルセデス・ベンツSSKスポーツカー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-4-1.jpg" alt="" class="wp-image-10679"/><figcaption>1931年4月、メルセデス・ベンツSSKLを駆ってイタリアのミレ・ミリアで優勝したルドルフ・カラッチオラは外国人ドライバーとして初めてこのミレ・ミリアを制した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>③1934～1937年(750kg制限フォーミュラ時代)；3Lコンプレッサー・フォーミュラ</strong><br> W25   8気筒 4.3L 462PS  1935年<br> W-125   8気筒 5.66L 592PS  1937年<br> ドライバーはあの有名な雨の名手であるルドルフ・カラッチオラ、ヘルマン・ランクらが大活躍した。<br> <strong>④1938～1940年(3Lフォーミュラ時代)；スーパーチャージャー付き3Lかスーパーチャージャー無し4.5L</strong><br> W-154   12気筒 2.96L 468PS  1938年<br> W-154   12気筒 2.96L 483PS  1939年 <br> W-165   8気筒 1.49L 254PS   1939年　<br> <strong>⑤1952年(第2次世界大戦後初出場)；3Lスポーツカー/ツーリングカー300SL<br> ⑥1954年(2.5Lレーシング・フォーミュラに復帰)</strong><br> W-196   8気筒 2.5L 290PS (モノポストとストリームライン)<br><strong> ⑦1955年(レーシングの終幕)；2.5Lレーシング・フォーミュラ、スポーツカー300SLR、ツーリングSL)</strong><br> ドライバーはスターリング・モス、ファン・マニエル・ファンジオ、カール・クリンクらが大活躍した。<br> <strong>⑧ラリー・チャンピオンシップ参戦(ツーリングカー)；1956-1979年の主な成績</strong><br> <strong>1956-1963年</strong><br> 1956年・優勝回数84回、1957年・優勝回数60回、1958年・優勝回数33回、<br> 1959年・優勝回数32回、1960年・優勝回数117回、1961年・優勝回数133回、<br> 1962年・優勝回数54回、1963年・優勝回数225回。<br> <strong>1956-1959年</strong>(300SL、190SL等)　ショック、モルらが活躍した。<br> <strong>1960-1963年</strong>(220SE、 300SE)　ショック、モル、クリンク、ゲンツラー、ボーリンガー、カイザー、ロスクイストブイルス等が活躍した。<br> <strong>1979年</strong>(450SLC5.0)  アイボリーコーストのバンダマラリーで1・2・3・4位を独占した。<br><strong> ⑨1988年、遂に本格的なレースへの復帰を決定；1988-1996年の主な成績</strong><br> 1988年   DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に本格参戦開始、190E 2.3-16エボリューション1でデビュー。<br> 1989年   ザウバー・メルセデス、ル・マン24時間レースで1・2フィニッシュ。<br> 1994‐1996年 Cクラスベースのマシンで、1994‐1995年DTM、1995年ITC(インターナショナル・ツーリング選手権)でマニファクチャー/ドライバー両部門のダブルタイトルを獲得。1996年のITCでも活躍をした。<br> <strong>⑩今も世界の3つのカテゴリーのレースに挑戦している。</strong><br> GT選手権シリーズ、フォーミュラ1（F1）、そしてフォーミュラE（FE）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><a href="http://autobild.jp/10646/2/">次ページ　メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリー</a></p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="700" height="524" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg 700w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-696x521.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-561x420.jpg 561w" sizes="auto, (max-width: 700px) 100vw, 700px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>世界で最初の自動車レース</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>当時のダイムラー社やベンツ社のレーシングカー、そして1926年に合併後のダイムラー・ベンツ社もその組織力によって、数々のレースで優勝し活躍した。メルセデス・ベンツはレースで実証した革新技術を後の生産モデルに採用し（またその逆も）、自動車技術の発展に大きく貢献した。<br> そこで、「モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！」と題して、特にメルセデス・ベンツが1894年世界初の自動車レースから1955年ル・マンの悲劇で全てのレース活動を休止するまで活躍した伝説のレーシングマシンにスポットを当て前編・後編に分けて紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>当時のダイムラー・ベンツ社の概要</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1886年、ドイツのゴットリーブ・ダイムラー（4輪車）とカール・ベンツ（3輪車）が世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したのは周知の通りである。そして、ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立し、一方カール・ベンツは一足先にマンハイムで1883年にベンツ社を設立した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/02-1024x400.jpg" alt="" class="wp-image-10651"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーと2輪車＆4輪車（1885年に2輪車、1886年に4輪車）。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/03-2.jpg" alt="" class="wp-image-10684"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/04-1024x437.jpg" alt="" class="wp-image-10653"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したカール・ベンツと3輪車（1886年）。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/05.jpg" alt="" class="wp-image-10654"/><figcaption>カール・ベンツはマンハイムで1883年にベンツ社を設立。</figcaption></figure>
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<p>ダイムラー社の車の名前は当初、会社名と同じダイムラーであったが、しかし何故「メルセデス」と呼ばれる事になったかの詳細は次の通りである。フランスはニース駐在のオーストリア・ハンガリー帝国の領事であり国際的なビジネスマンであるエミール・イエリネックは、一度見た時から自動車の虜になり、ビジネスマンの勘で自動車の販売に興味を持った。そこで、彼は自らカンシュタットを訪問しダイムラー社の総代理店契約を取得し、1898年１月に最初のダイムラー社「フェニックス」を購入した。翌年、ムッシュ・メルセデスの名で、フランス・ニース・ツーリングラリーで優勝する実力があった。彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。そこは実業家で、この趣味を仕事に活かしたいと考えていた。ダイムラー車の奇妙なメカニズム（彼にとってはスピード不足）に加えて、その名前にも、うんざりしていた。つまり、1901年に登場したモデル35ＰＳは「ダイムラー」という如何にもドイツ的なこの名前、フランスでは堅すぎると考えていた。居を構えていたバーデン（ウィーン近郊）やニースの人々をはじめ、果てはカンシュタットの当時のダイムラー社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回った。つまり、彼の言葉の端々には理想のクルマを手に入れたいとの情熱が込められていた。さすがは、セールスマンのパイオニアと言われるだけあって、ダイムラー社に大量発注（まとめて36台）の条件として、自分が販売するクルマを「メルセデス」の名前にすることを申し入れた（1901年最初のメルセデス）。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/07-2.jpg" alt="" class="wp-image-10655"/><figcaption>エミール・イエリネックと愛娘であるメルセデス・イエリネック。</figcaption></figure>
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<p>イエリネックがこの「メルセデス」の名前を付けたいと言ったのは、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘の名前（当時10歳）だった。また、「好きになってもらい、愛してもらうには、自動車は女性の名前であらねばならぬ」と常々語っていたと言われている（彼の妻はスペイン人であり、娘のメルセデスはスペイン系の名前）。ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。以後、ダイムラー社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカにまでめざましい売れ行きを示した（イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献し、1909年に引退）。一方、ベンツ社の車の名前はベンツであった。偉大な発明家ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが興したそれぞれの自動車会社はライバルとして市場で、レースで覇を競い合った。そして、共に高級車メーカーとして確固たる地位を築き上げていった。しかし、第一次大戦後の不況は自動車産業に大きな打撃を与え、不況の波は当然ダイムラー社とベンツ社にも容赦なく襲いかかってきた。そしてドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。本社はシュツットガルトのウンタートゥルクハイムに置かれた。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/08.jpg" alt="" class="wp-image-10656"/><figcaption>ダイムラー社の役員は、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>スリー ポインテッド スターの意味</h4>
<!-- /wp:heading -->

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<p> スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。1926年にこの両社が合併してから、ダイムラー社の三星とベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、また三星だけがラジエーター・マスコットにも取り付けられている（スリー ポインテッド スターは1923年に特許）。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/9.jpg" alt="" class="wp-image-10659"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/09（2）.jpg" alt="" class="wp-image-10660"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味し、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示した宣伝ポスター。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ゴットリーブ・ダイムラーが描いたスリー ポインテッド スターとは？</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1872年にゴットリーブ・ダイムラーは、妻にある１枚の絵葉書を送った。この絵葉書に描かれていたのはケルンの街並だが、ダイムラーはあるものを描き足して送った。それは絵葉書に自分の家を見出し、その中央上部に描かれた星。そしてダイムラーは併せて「この星が、私の会社の上で輝く日がいつかやってくる」と書いたと言われている。ダイムラーの二人の息子はこのエピソードを思い出し、これに興味を持った当時のダイムラー社の取締役会が1909年にトレード・マークとした（この時すでに、創業者のゴットリーブ・ダイムラーは他界）。そして、このダイムラーの描いた星が、メルセデス・ベンツのシンボル・スリー ポインテッド スターとなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/10.jpg" alt="" class="wp-image-10661"/><figcaption>第一次大戦後の不況により、ドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/11.jpg" alt="" class="wp-image-10664"/><figcaption>1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた事を意味する宣伝ポスター</figcaption></figure>
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<h4>メルセデス・ベンツのレーシング・ヒストリーを10の時代に大別</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリーは10の時代に分けてみると理解し易いと思うので下記にまず記しておこう。<br> <strong>①1894～1914年(街から街へのレース、そしてクラシカル・サーキットレース時代)</strong>　　　　　　　　　　　　　　<br> 世界で最初の自動車レースが、パリ～ルーアン間(126km)でおこなわれ、ダイムラー社製のエンジンを搭載した4台の「馬なし馬車(パナールとプジョー)」が上位を独占した。ドライバーとしてカミーユ・イェナッツィ、クリスチャン・ラウンテンシュラーガー、ラルフ・パルマらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/13-2.jpg" alt="" class="wp-image-10666"/><figcaption>1901年のウィーク・オブ・ニースに初登場しヴィルヘルム・ヴェルナーのドライビングで初優勝。このレースでメルセデスはデビューと同時に一大センセーションを巻き起こした。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>②1921～1933年(第1次レーシングとスポーツカー時代)</strong><br> 1921年は第1次世界大戦が終了し、3年目、シシリーのタルガ・フローリオに28-95PSのメルセデスが優勝した。ドライバーとしてはカウント・マセッテイ、クリスチャン・ヴェルナー、オットー・メルツらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-2.jpg" alt="" class="wp-image-10676"/><figcaption>1927年　メルセデス・ベンツS；有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が率いた時代のメルセデス・ベンツが放ったハイライトがこのSモデル。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-3.jpg" alt="" class="wp-image-10677"/><figcaption>1928年のメルセデス・ベンツSSKスポーツカー。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-4-1.jpg" alt="" class="wp-image-10679"/><figcaption>1931年4月、メルセデス・ベンツSSKLを駆ってイタリアのミレ・ミリアで優勝したルドルフ・カラッチオラは外国人ドライバーとして初めてこのミレ・ミリアを制した。</figcaption></figure>
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<p> <strong>③1934～1937年(750kg制限フォーミュラ時代)；3Lコンプレッサー・フォーミュラ</strong><br> W25   8気筒 4.3L 462PS  1935年<br> W-125   8気筒 5.66L 592PS  1937年<br> ドライバーはあの有名な雨の名手であるルドルフ・カラッチオラ、ヘルマン・ランクらが大活躍した。<br> <strong>④1938～1940年(3Lフォーミュラ時代)；スーパーチャージャー付き3Lかスーパーチャージャー無し4.5L</strong><br> W-154   12気筒 2.96L 468PS  1938年<br> W-154   12気筒 2.96L 483PS  1939年 <br> W-165   8気筒 1.49L 254PS   1939年　<br> <strong>⑤1952年(第2次世界大戦後初出場)；3Lスポーツカー/ツーリングカー300SL<br> ⑥1954年(2.5Lレーシング・フォーミュラに復帰)</strong><br> W-196   8気筒 2.5L 290PS (モノポストとストリームライン)<br><strong> ⑦1955年(レーシングの終幕)；2.5Lレーシング・フォーミュラ、スポーツカー300SLR、ツーリングSL)</strong><br> ドライバーはスターリング・モス、ファン・マニエル・ファンジオ、カール・クリンクらが大活躍した。<br> <strong>⑧ラリー・チャンピオンシップ参戦(ツーリングカー)；1956-1979年の主な成績</strong><br> <strong>1956-1963年</strong><br> 1956年・優勝回数84回、1957年・優勝回数60回、1958年・優勝回数33回、<br> 1959年・優勝回数32回、1960年・優勝回数117回、1961年・優勝回数133回、<br> 1962年・優勝回数54回、1963年・優勝回数225回。<br> <strong>1956-1959年</strong>(300SL、190SL等)　ショック、モルらが活躍した。<br> <strong>1960-1963年</strong>(220SE、 300SE)　ショック、モル、クリンク、ゲンツラー、ボーリンガー、カイザー、ロスクイストブイルス等が活躍した。<br> <strong>1979年</strong>(450SLC5.0)  アイボリーコーストのバンダマラリーで1・2・3・4位を独占した。<br><strong> ⑨1988年、遂に本格的なレースへの復帰を決定；1988-1996年の主な成績</strong><br> 1988年   DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に本格参戦開始、190E 2.3-16エボリューション1でデビュー。<br> 1989年   ザウバー・メルセデス、ル・マン24時間レースで1・2フィニッシュ。<br> 1994‐1996年 Cクラスベースのマシンで、1994‐1995年DTM、1995年ITC(インターナショナル・ツーリング選手権)でマニファクチャー/ドライバー両部門のダブルタイトルを獲得。1996年のITCでも活躍をした。<br> <strong>⑩今も世界の3つのカテゴリーのレースに挑戦している。</strong><br> GT選手権シリーズ、フォーミュラ1（F1）、そしてフォーミュラE（FE）。</p>
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<p><a href="http://autobild.jp/10646/2/">次ページ　メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリー</a></p>
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