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	<title>BMWクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>BMWクラシック - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その10　ノイエクラッセ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Jun 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[BMW 1500]]></category>
		<category><![CDATA[BMW 328ミッレミリア・トゥーリング・クーペ]]></category>
		<category><![CDATA[BMW Z3 V12]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="992" height="661" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1.jpg 992w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 992px) 100vw, 992px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート2）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前回のその9で見たように、ようやく第二次世界大戦（1939～1945年）の荒廃から立ち上がったBMWだったが、早くも1950年代序盤、思い通りに収益が上がらず苦しんでいた。それには理由があった。戦後のドイツ市場に向けた同社の製品は501/502系の豪華なリムジーネと、これをベースにしたスポーツモデル503と507しかなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「大戦で疲弊したこの国で高級車が売れるはずはない。戦前と同じ豪華車路線を採用したのは、我々経営陣の戦略ミスだ」経営陣がその事実に気づいたのはまだしも幸運だった。当時のBMWが人々に供給すべきは、乗員を雨風から防ぐボディを備え、少なくとも2名が乗れる簡便な日々の足だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかしBMWにそんなミニマムカーをゼロから開発するだけの人的・財政的余力はない。なにより時間がなかった。そこで彼らはイタリアのイソからイセッタという超小型車をライセンス生産することにする。そのイセッタに自社のモーターサイクル用フラットツインを組み合わせて、BMWイセッタ250の名前で市場に送り出した。1956年のことだった。このイセッタは当時の需要にマッチして、16万台が生産されるヒット作となった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52065,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-52065"/><figcaption class="wp-element-caption">イセッタ250/300 (1956～62年)。空冷単気筒OHVエンジンの動力をチェーンで後輪に伝えた。そのチェーンを内包するケースがトレーリングアームを兼用する合理的な設計。最高出力は250が12hp/5800rpm、300が13hp/5200rpm。360kgの車重を85km/hまで引っ張った。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これで経営陣はひと息つけたが、小さなイセッタがすべてを解決してくれたわけではなかった。しだいに社会が落ち着き、経済活動が活発になるに連れて、人々は4人家族が乗れる“まっとうな”乗用車を求めるようになった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ところがBMWには高級車と軽便車しかない。もっとも安定した需要が見込める中間車種を欠いていた。501以下、高価なリムジンでは多くの販売台数は望めない。一方、イセッタのような軽便車はいくら作っても利潤は高が知れている。BMWには両者の間をつなぐ、屋台骨を支える稼ぎ手を欠いていた。これはBMWのような中規模自動車メーカーにとって致命傷だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>果たして1956年以降のバランスシートは赤い数字で埋め尽くされ、1959年には1500万ドイツマルクという史上最悪の欠損を計上する。 BMWが独立した企業として存続するのはもはや不可能と見たドイツバンクは1959年12月9日の株主総会の席上、融資を中止する旨を発表、併せてダイムラー・ベンツによる「救済という名の買収策」を提議した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし経営に大鉈を振るおうとする銀行の提案に労働組合が猛烈に反発する。郷土愛の強い彼らは自分たちがBayerische Motoren Werke、つまりバイエルン州のエンジン工場で働くことに強いプライドを抱いていた。「北のメーカー」の一員になるなど、彼らには到底受け入れられない話だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>これまで事態を静観していた大株主ヘルベルト・クヴァントがここで声を上げる。「手塩にかけて育てたBMW、みすみすライバルに乗っ取られるつもりはない！」ヘルベルトは株を50％まで買い戻し、経営の主導権を取り戻した。ヘルベルト・クヴァントの大英断によりBMWはようやくひと息ついた。その後、頼みの綱と放ったノイエクラッセ1500がヒットとなり、今日見るような隆盛への一歩を踏み出したのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52066,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3-1.jpg" alt="" class="wp-image-52066"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 1500 「ノイエクラッセ」。1961年のフランクフルト・ショーで・デビューしたBMW初の中型セダン。苦境に喘いでいたBMWを建て直す重要な立役者となった。<br>Photo: BMW</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>話題を変えて、時計の針をBMWが経営危機に陥る前の1940年に戻そう。本稿の主人公BMW328の出番だ。1940年4月のある日、この328にまつわるイタリアから届いた知らせにミュンヘンの本社は歓喜に沸き立った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52067,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4-1.jpg" alt="" class="wp-image-52067"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW328。製造期間：1936～1940年。全長x全幅x全高：3900 x 1550 x 1400 mm。ホイールベース：2400 mm。空車重量：830 kg 。最高速度：150 km/h。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW328は主として第二次世界大戦以前にレースで活躍したスポーツカー。設計を主導したのは同社主任設計者フリッツ・フィードラーで、ラックピニオンステアリングや油圧ブレーキなど先進的な機構を取り入れた、いかにもBMWらしいスポーツカーだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンジンは1971 cc の直列6気筒。3基のソレックス30 JFダウンドラフト・キャブレターを備え、最高出力80 ps/5000rpmを発揮。アルミボディによる830 kgという軽い重量を活かし、最高速は150km/hに達した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>328はこの駿足と軽量がもたらす優れた操縦性を利して、数多くのレースで好成績を残した。1936年、ニュルブルクリンクで開催されたアイフェルレンネン・レースでは、エルンスト・ヘーネの操縦により2リッタークラスで優勝、自身のデビュー戦を飾った。これを皮切りに、1937年だけで100を越えるクラスウィンを記録している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52068,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5-1.jpg" alt="" class="wp-image-52068"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW328。写真に見るこの1台は公道仕様で、天地高の高いウインドスクリーンにはワイパーもあるし、リヤビューミラーも備わる。 直列6気筒1971 cc。最高出力80 ps。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1938年にはミッレ・ミリアでクラス1位を遂げ、328は国際舞台で初めての勝利を得る。この結果に意を強くしたBMW首脳陣は、1940年のミッレ・ミリアに照準を絞った328のワンオフモデルの製作を決める。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWの意向を受けてミラノのカロッツェリア・トゥーリングが製作したのは、標準型のオープンボディとは異なるクーペボディだった。オープントップの公道仕様と区別するために、このワンオフはBMW 328ミッレミリア・トゥーリング・クーペと呼ばれる。トゥーリングの作品ゆえに、アルミボディは超軽量なスーパーレッジェラ工法で作られた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52069,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6-1.jpg" alt="" class="wp-image-52069"/><figcaption class="wp-element-caption">BMWミュージアムに展示される328ミッレミリア・トゥーリング・クーペ。6気筒1971cc。136hp /6000rpm。長距離公道レースに的を絞った328のスペシャルモデルだ。冒頭の写真は、2016年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて快走するこの個体（Photo：BMW）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンジンは標準型と同じ6 気筒1971ccだが、136hp/6000rpm とかなりのハイチューンを施されていた。最高速は155 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>迎えた1940年4月28日のミッレ・ミリア。ツーリングクーペボディを架装した328トゥーリング・クーペは、BMWの期待に100%応えてみせた。シャシーナンバー85368上に構築されたクーペボディを操るのは、だれあろうフシュケ・フォン・ハインシュタイン、後のポルシェのレース監督だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52070,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/7.jpg" alt="" class="wp-image-52070"/><figcaption class="wp-element-caption">1940年4月28日、イタリア・ブレシアにて、まさにミッレ・ミリアのスタートを切ろうとしているBMW 328トゥーリング・クーペ。<br>Photo: BMW</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ヴァルター・バウマーというコ・ドライバーと組んだフォン・ハインシュタインは、1491.8580 kmを8時間54分46秒60で走り切り、平均スピード166.7 km/hという驚異的なスピードをもって総合優勝を果たしたのである。しかもこの勝利、ジュゼッペ・ファリーナ駆るアルファロメオ 6C 2500を破っての金星であり、加えてスパイダーボディの328が3、5、6位に入賞、この年のミッレ・ミリアは、さながら328による328のためのレースとなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現場のレース監督は、「上位を席巻する」の知らせをすぐさまミュンヘンの本社へ打電した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>328ミッレミリア・トゥーリング・クーペは優勝したシャシーナンバー85368とは別に2台が製作されており、BMWミュージアムではそのうちの1台が展示されていた。輝かしいヒストリーの持ち主であるBMW 328は、その後、同社がサーキットに送り出した様々なレーシングモデルの先駆けとなる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52071,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/8.jpg" alt="" class="wp-image-52071"/><figcaption class="wp-element-caption">V12を搭載したBMW Z3。写真ではボディカラーは黄色に見えるが、実際は鮮やかなオレンジ色だった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシックという「アリババの洞窟」に隠されているお宝はこれだけではなかった。展示品を見て行くなかで、私はある1台の前で思わず「オッ」と声を上げ、足を止めた。視線の先にあるのはE36型3シリーズをベースにしたBMW Z3。しかしボンネットの下にうずくまっているのはV12エンジンだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一時期、Z3に乗っていたことがある。BMW Z3は1995～2002年にかけて製造された2座席スポーツカーで、当初はロードスターのみだったが、シューティングブレークスタイルのクーペが1997年のフランクフルト・ショーでデビュー、ラインナップに追加になった。私が乗っていたのは1.9リッターの4気筒を搭載した初期型ロードスターで、5速MTとの組み合わせだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実車をデザインしたのは永島譲二氏。2ドアボディに似合うようE36 型3シリーズのホイールベース2700mmを2446mmに短縮したうえで、トランクの長さを意図的に短く取って、ロングノーズ/ショートデッキのスポーツカーらしいプロポーションを実現したという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私はこのZ3を大いに気に入り、日々の足に供しただけでなく、たまにはちょっとした旅行にも連れ出した。ベースが乗用車の鑑のようなE36型3シリーズなので、とりわけ高性能でもスポーティでもないが、とても乗りやすいのが魅力だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もともと4気筒か、せいぜい大きくても6気筒のエンジンを前提にしたZ3だが、展示品はそのノーズに靴べらを使ってV12エンジンを滑り込ませていた。その詳細は不明だが、インターネットを検索して得られた、あるドイツの媒体による推測を交えた情報をお伝えしよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>くだんのZ3は1999年に作られたワンオフ。V12は社内呼称M73型の5.4リッターで、7 シリーズのE38型に搭載されたユニットを移植したらしい。最高出力は326hp、最大トルクは490 Nmで、駆動力は6速MTを介して後輪に伝えられた。<br>あくまで推定値だが0-100 km/h加速は5.5秒、最高速は263 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52072,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/9.jpg" alt="" class="wp-image-52072"/><figcaption class="wp-element-caption">吸気系の位置から判断するに、Ｖ12はなんとか前車軸より後方に収まっている。Z3のロングノーズが貢献して、ノーズ先端までは充分なクラッシャブルゾーンが残されているようだ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>V12を無理に押し込んだゆえ、当然ながらこのZ3は極端なノーズヘビーであり、本来の軽快な操縦性は大いに損なわれたことだろう。製作したのは当時のM部門だったという。彼らは無理を承知でなぜこんなZ3を作ったのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一つには「その気になれば、こういうこともできます」という、首脳陣に向けたアピールだったのかもしれない。あるいは単に自分たちがやってみたかったことを実行しただけの一種のジョークだったのかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>野暮をわかったうえでモンスター的Z3を作ったBMW M部門。その遊び心に触れたような気がして、私は写真を撮りながらニンマリするのを抑えきれなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシックで楽しい時間を過ごした私たちは、昼食を挟んで午後はBMWミュージアムに移動、同社の歴史を中心にした解説を受けた。その後は自由解散となり、参加者はそれぞれにミュンヘンの探索を楽しんだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="992" height="661" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1.jpg 992w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 992px) 100vw, 992px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート2）</h3>
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<p>前回のその9で見たように、ようやく第二次世界大戦（1939～1945年）の荒廃から立ち上がったBMWだったが、早くも1950年代序盤、思い通りに収益が上がらず苦しんでいた。それには理由があった。戦後のドイツ市場に向けた同社の製品は501/502系の豪華なリムジーネと、これをベースにしたスポーツモデル503と507しかなかった。</p>
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<p>「大戦で疲弊したこの国で高級車が売れるはずはない。戦前と同じ豪華車路線を採用したのは、我々経営陣の戦略ミスだ」経営陣がその事実に気づいたのはまだしも幸運だった。当時のBMWが人々に供給すべきは、乗員を雨風から防ぐボディを備え、少なくとも2名が乗れる簡便な日々の足だった。</p>
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<p>しかしBMWにそんなミニマムカーをゼロから開発するだけの人的・財政的余力はない。なにより時間がなかった。そこで彼らはイタリアのイソからイセッタという超小型車をライセンス生産することにする。そのイセッタに自社のモーターサイクル用フラットツインを組み合わせて、BMWイセッタ250の名前で市場に送り出した。1956年のことだった。このイセッタは当時の需要にマッチして、16万台が生産されるヒット作となった。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-52065"/><figcaption class="wp-element-caption">イセッタ250/300 (1956～62年)。空冷単気筒OHVエンジンの動力をチェーンで後輪に伝えた。そのチェーンを内包するケースがトレーリングアームを兼用する合理的な設計。最高出力は250が12hp/5800rpm、300が13hp/5200rpm。360kgの車重を85km/hまで引っ張った。</figcaption></figure>
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<p>これで経営陣はひと息つけたが、小さなイセッタがすべてを解決してくれたわけではなかった。しだいに社会が落ち着き、経済活動が活発になるに連れて、人々は4人家族が乗れる“まっとうな”乗用車を求めるようになった。</p>
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<p>ところがBMWには高級車と軽便車しかない。もっとも安定した需要が見込める中間車種を欠いていた。501以下、高価なリムジンでは多くの販売台数は望めない。一方、イセッタのような軽便車はいくら作っても利潤は高が知れている。BMWには両者の間をつなぐ、屋台骨を支える稼ぎ手を欠いていた。これはBMWのような中規模自動車メーカーにとって致命傷だった。</p>
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<p>果たして1956年以降のバランスシートは赤い数字で埋め尽くされ、1959年には1500万ドイツマルクという史上最悪の欠損を計上する。 BMWが独立した企業として存続するのはもはや不可能と見たドイツバンクは1959年12月9日の株主総会の席上、融資を中止する旨を発表、併せてダイムラー・ベンツによる「救済という名の買収策」を提議した。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし経営に大鉈を振るおうとする銀行の提案に労働組合が猛烈に反発する。郷土愛の強い彼らは自分たちがBayerische Motoren Werke、つまりバイエルン州のエンジン工場で働くことに強いプライドを抱いていた。「北のメーカー」の一員になるなど、彼らには到底受け入れられない話だった。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>これまで事態を静観していた大株主ヘルベルト・クヴァントがここで声を上げる。「手塩にかけて育てたBMW、みすみすライバルに乗っ取られるつもりはない！」ヘルベルトは株を50％まで買い戻し、経営の主導権を取り戻した。ヘルベルト・クヴァントの大英断によりBMWはようやくひと息ついた。その後、頼みの綱と放ったノイエクラッセ1500がヒットとなり、今日見るような隆盛への一歩を踏み出したのである。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3-1.jpg" alt="" class="wp-image-52066"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 1500 「ノイエクラッセ」。1961年のフランクフルト・ショーで・デビューしたBMW初の中型セダン。苦境に喘いでいたBMWを建て直す重要な立役者となった。<br>Photo: BMW</figcaption></figure>
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<p>話題を変えて、時計の針をBMWが経営危機に陥る前の1940年に戻そう。本稿の主人公BMW328の出番だ。1940年4月のある日、この328にまつわるイタリアから届いた知らせにミュンヘンの本社は歓喜に沸き立った。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4-1.jpg" alt="" class="wp-image-52067"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW328。製造期間：1936～1940年。全長x全幅x全高：3900 x 1550 x 1400 mm。ホイールベース：2400 mm。空車重量：830 kg 。最高速度：150 km/h。</figcaption></figure>
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<p>BMW328は主として第二次世界大戦以前にレースで活躍したスポーツカー。設計を主導したのは同社主任設計者フリッツ・フィードラーで、ラックピニオンステアリングや油圧ブレーキなど先進的な機構を取り入れた、いかにもBMWらしいスポーツカーだ。</p>
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<p>エンジンは1971 cc の直列6気筒。3基のソレックス30 JFダウンドラフト・キャブレターを備え、最高出力80 ps/5000rpmを発揮。アルミボディによる830 kgという軽い重量を活かし、最高速は150km/hに達した。</p>
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<p>328はこの駿足と軽量がもたらす優れた操縦性を利して、数多くのレースで好成績を残した。1936年、ニュルブルクリンクで開催されたアイフェルレンネン・レースでは、エルンスト・ヘーネの操縦により2リッタークラスで優勝、自身のデビュー戦を飾った。これを皮切りに、1937年だけで100を越えるクラスウィンを記録している。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5-1.jpg" alt="" class="wp-image-52068"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW328。写真に見るこの1台は公道仕様で、天地高の高いウインドスクリーンにはワイパーもあるし、リヤビューミラーも備わる。 直列6気筒1971 cc。最高出力80 ps。</figcaption></figure>
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<p>1938年にはミッレ・ミリアでクラス1位を遂げ、328は国際舞台で初めての勝利を得る。この結果に意を強くしたBMW首脳陣は、1940年のミッレ・ミリアに照準を絞った328のワンオフモデルの製作を決める。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWの意向を受けてミラノのカロッツェリア・トゥーリングが製作したのは、標準型のオープンボディとは異なるクーペボディだった。オープントップの公道仕様と区別するために、このワンオフはBMW 328ミッレミリア・トゥーリング・クーペと呼ばれる。トゥーリングの作品ゆえに、アルミボディは超軽量なスーパーレッジェラ工法で作られた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52069,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6-1.jpg" alt="" class="wp-image-52069"/><figcaption class="wp-element-caption">BMWミュージアムに展示される328ミッレミリア・トゥーリング・クーペ。6気筒1971cc。136hp /6000rpm。長距離公道レースに的を絞った328のスペシャルモデルだ。冒頭の写真は、2016年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて快走するこの個体（Photo：BMW）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンジンは標準型と同じ6 気筒1971ccだが、136hp/6000rpm とかなりのハイチューンを施されていた。最高速は155 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>迎えた1940年4月28日のミッレ・ミリア。ツーリングクーペボディを架装した328トゥーリング・クーペは、BMWの期待に100%応えてみせた。シャシーナンバー85368上に構築されたクーペボディを操るのは、だれあろうフシュケ・フォン・ハインシュタイン、後のポルシェのレース監督だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52070,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/7.jpg" alt="" class="wp-image-52070"/><figcaption class="wp-element-caption">1940年4月28日、イタリア・ブレシアにて、まさにミッレ・ミリアのスタートを切ろうとしているBMW 328トゥーリング・クーペ。<br>Photo: BMW</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ヴァルター・バウマーというコ・ドライバーと組んだフォン・ハインシュタインは、1491.8580 kmを8時間54分46秒60で走り切り、平均スピード166.7 km/hという驚異的なスピードをもって総合優勝を果たしたのである。しかもこの勝利、ジュゼッペ・ファリーナ駆るアルファロメオ 6C 2500を破っての金星であり、加えてスパイダーボディの328が3、5、6位に入賞、この年のミッレ・ミリアは、さながら328による328のためのレースとなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>現場のレース監督は、「上位を席巻する」の知らせをすぐさまミュンヘンの本社へ打電した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>328ミッレミリア・トゥーリング・クーペは優勝したシャシーナンバー85368とは別に2台が製作されており、BMWミュージアムではそのうちの1台が展示されていた。輝かしいヒストリーの持ち主であるBMW 328は、その後、同社がサーキットに送り出した様々なレーシングモデルの先駆けとなる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52071,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/8.jpg" alt="" class="wp-image-52071"/><figcaption class="wp-element-caption">V12を搭載したBMW Z3。写真ではボディカラーは黄色に見えるが、実際は鮮やかなオレンジ色だった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシックという「アリババの洞窟」に隠されているお宝はこれだけではなかった。展示品を見て行くなかで、私はある1台の前で思わず「オッ」と声を上げ、足を止めた。視線の先にあるのはE36型3シリーズをベースにしたBMW Z3。しかしボンネットの下にうずくまっているのはV12エンジンだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一時期、Z3に乗っていたことがある。BMW Z3は1995～2002年にかけて製造された2座席スポーツカーで、当初はロードスターのみだったが、シューティングブレークスタイルのクーペが1997年のフランクフルト・ショーでデビュー、ラインナップに追加になった。私が乗っていたのは1.9リッターの4気筒を搭載した初期型ロードスターで、5速MTとの組み合わせだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実車をデザインしたのは永島譲二氏。2ドアボディに似合うようE36 型3シリーズのホイールベース2700mmを2446mmに短縮したうえで、トランクの長さを意図的に短く取って、ロングノーズ/ショートデッキのスポーツカーらしいプロポーションを実現したという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私はこのZ3を大いに気に入り、日々の足に供しただけでなく、たまにはちょっとした旅行にも連れ出した。ベースが乗用車の鑑のようなE36型3シリーズなので、とりわけ高性能でもスポーティでもないが、とても乗りやすいのが魅力だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もともと4気筒か、せいぜい大きくても6気筒のエンジンを前提にしたZ3だが、展示品はそのノーズに靴べらを使ってV12エンジンを滑り込ませていた。その詳細は不明だが、インターネットを検索して得られた、あるドイツの媒体による推測を交えた情報をお伝えしよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>くだんのZ3は1999年に作られたワンオフ。V12は社内呼称M73型の5.4リッターで、7 シリーズのE38型に搭載されたユニットを移植したらしい。最高出力は326hp、最大トルクは490 Nmで、駆動力は6速MTを介して後輪に伝えられた。<br>あくまで推定値だが0-100 km/h加速は5.5秒、最高速は263 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52072,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/9.jpg" alt="" class="wp-image-52072"/><figcaption class="wp-element-caption">吸気系の位置から判断するに、Ｖ12はなんとか前車軸より後方に収まっている。Z3のロングノーズが貢献して、ノーズ先端までは充分なクラッシャブルゾーンが残されているようだ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>V12を無理に押し込んだゆえ、当然ながらこのZ3は極端なノーズヘビーであり、本来の軽快な操縦性は大いに損なわれたことだろう。製作したのは当時のM部門だったという。彼らは無理を承知でなぜこんなZ3を作ったのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>一つには「その気になれば、こういうこともできます」という、首脳陣に向けたアピールだったのかもしれない。あるいは単に自分たちがやってみたかったことを実行しただけの一種のジョークだったのかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>野暮をわかったうえでモンスター的Z3を作ったBMW M部門。その遊び心に触れたような気がして、私は写真を撮りながらニンマリするのを抑えきれなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシックで楽しい時間を過ごした私たちは、昼食を挟んで午後はBMWミュージアムに移動、同社の歴史を中心にした解説を受けた。その後は自由解散となり、参加者はそれぞれにミュンヘンの探索を楽しんだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その9　BMWミュージアム</title>
		<link>https://autobild.jp/52051/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Jun 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[BMW]]></category>
		<category><![CDATA[BMW 501]]></category>
		<category><![CDATA[BMW 507]]></category>
		<category><![CDATA[BMW Museum]]></category>
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		<category><![CDATA[BMWミュージアム]]></category>
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		<category><![CDATA[バイエルン]]></category>
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		<category><![CDATA[相原俊樹]]></category>
		<category><![CDATA[自動車専門翻訳家]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="934" height="623" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg 934w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 934px) 100vw, 934px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート1）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「皆さま、途中トイレ休憩を挟みますが、がまん大会ではありませんので、それ以前にご希望があれば遠慮なくおっしゃってくださいね！」バスが出発するや、ツアーコンダクターのKさんが私たちに声を掛けた。　</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ・ミュージアムの見学を終えた私たちはバスに乗り、シュトゥットガルトを後にして一路ミュンヘンに向かっている。今回の旅行のなかでもこの行程は長距離で、南東に約230kmも下る。アウトバーンを使って3時間を要する旅だ。出発してすぐにKさんが私たちに声を掛けたのは、ベテランツアーコンダクターの彼女らしい気遣いだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウトバーンのサービスエリアには大抵トイレが併設されている。ただし使うには1セント払う。最初はコインを準備するのが煩わしかったが、旅の途中から少額でも実費を支払うのは当然だと思うようになった。トイレを清潔に保ち、備品を揃えるには費用がかかる。日本のようにパーキングエリアのトイレが無料なのがむしろ異例だろう。海外旅行は日本を客観的に見るいいチャンスだとこんな場面で実感した次第。余談ついでにもう一つ、「ミュンヘン」の発音について。アレックスもバスドライバーのセバスチャンも、私の耳には「ムュンシェン」と言っているように聞こえた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>19日夕刻ミュンヘンに到着、市内のホテルで荷物を解いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>バイエルン州の州都ミュンヘンはベルリンとハンブルクに次ぐドイツで3番目に大きな都市。ホテルのある界隈はいささか雑然とした印象だ。2月20日木曜日のこの日、午前中はミュンヘンの観光に充てられた。市内を抜けて郊外に出ると、一転して視界が広がる。私たちが訪れたのは、20ヘクタールという広大な庭園内に建つ建造物、ニンフェンブルク宮殿だ。360度空が広がる。空気が清々しい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52053,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2.jpg" alt="" class="wp-image-52053"/><figcaption class="wp-element-caption">ニンフェンブルク宮殿。かつてはバイエルン選帝侯の夏の居所だった。写真は建物の中心部のみで、ここから左右に翼棟が伸びている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWミュージアム(BMW Museum)は「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られるBMW本社に隣接したお椀形の建物で、そのすぐ横のレーヘンナウアー・シュトラーセ（Lerchenauer Str.）を渡るとBMW ワールド（BMW Welt）がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":52054,"mediaLink":"https://autobild.jp/?attachment_id=52054","mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3.jpg" alt="" class="wp-image-52054 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>手前のお椀形の建物がBMWミュージアム。後方の円筒形の建物がBMW本社。その形状から「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られる。<br>Photo: BMW</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミュージアムを設計したのはカール・シュヴァンツァーという建築家。内部は大小5つの円形フロア（最大半径9.4m、最小4.2m）が層を成し、それぞれを緩い傾斜のらせん回廊が結ぶ。来場者は最上階から順次、下のフロアに降りて展示物を見学するので、構造的にはメルセデスベンツ・ミュージアムに似ている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アレックスはミュージアム正面入り口ではなく、横の入り口へと私たちを導いた。そこでこの日の案内役のスタッフを紹介すると、「普段は入れない場所へと案内します」と言って、敷地内の通路を横切り、大きな建物に連れて行った。ここが古いBMWのメンテナンスを行う「BMWクラシック」の展示場だ。顧客の所有車も所蔵するので、一部撮影禁止の区画もある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私たち一同が建物内部に入ったのを確認すると、係員がすぐさまシャッターを降ろした。見学を終えて出るときも間髪を入れずに降ろして、外部の目から遮断する。いやに物々しい警戒振りだなという気がしたが、この辺りもゲルマン的完璧主義の表れなのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし内部に置かれた様々なBMWは、表舞台のミュージアムに劣らず魅力的だった。まさにアリババの洞窟。一歩進むごとに普段お目にかかれないBMWに出会う。そんなわけで本稿ではBMWクラシックの展示品を中心に、私が特に惹かれたモデルをアトランダムに紹介することにしたい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaPosition":"right","mediaId":52055,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text has-media-on-the-right is-stacked-on-mobile"><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 3/20 PS。製造期間：1932～1934年。直列4気筒782 cc。最高出力：20 hp/4000 rpm。最高速：80 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4.jpg" alt="" class="wp-image-52055 size-full"/></figure></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW初の4輪モデルBMW 3/15（別名ディキシー）がオースティン7のライセンス生産だったのに対し、3/20は100％社内で設計した最初のBMWだった。製造期間は第二次世界大戦前の1932～1934年まで。エンジンは3/15用を準用したが、ストロークを80mmに伸ばして788ccを得ると同時に、ウオーターポンプとOHVシリンダーヘッドを備えていた（オースティン7は750ccのサイドバルブだった）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この結果、最高出力は20hpへ高まり、課税馬力の3hpと合わせて3/20がモデル名となった。ボディサイズも3/15より大きく、2119mmのホイールベースにより快適なキャビンスペースを実現している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なお、標準ボディはダイムラー・ベンツのジンデルフィンゲン工場が製作した。3/20は製造期間中AM1（Automobil München の頭文字）、AM2、 AM3、 AM4と年次改良を受けるごとにサブネームが改まっていく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>3/20は自動車メーカーとしてBMWが独り立ちする節目になったモデルだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":52056,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5.jpg" alt="" class="wp-image-52056 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 501。直列6気筒。4速コラムシフト。全長x全幅x全高: 4730 x 1780 x 1530 mm。トレッド前:1322 mm。同後: 1408 mm。ホイールベース: 2835 mm。空車重量: 1340 kg。最高速: 135 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 501。写真のプレートナンバー「M FV9501 H」は1956年2月10日に登録された。持ち主の名義は個人だった。その後ルーフに回転灯が取り付けられ、「POLIZEI」の文字が入ったが、ミュンヘン警察が当該の「M FV9501 H」をパトロールカーに採用した事実はない。一説によると、当時人気のあったテレビドラマシリーズに感化されて、オーナーがこうした改造を施したという。50年代といえば今から70年も前のこと、おっとりした時代だったのだろう。いずれにしてもこの「M FV9501 H」、珍しい経歴の持ち主である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナンバープレートに話が及んだついでに言うと、ミュンヘンやシュトゥットガルトなどの大都市では、ナンバープレートはその都市名の頭文字で始まるのだそう。私たちはそのことをアレックスから教わった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1951年のフランクフルトモーターショーでデビューした501は、BMWが放った第二次世界大戦（1939～1945年）後初のモデルだった。戦後型BMW の開発は早くも1948年に始まっており、当初は全く異なる2つのモデルが平行して進められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1つは社内開発ナンバー331と呼ばれたモダンなスモールカーで、実にピニンファリーナがデザインを担当したという。もう1つは戦前の326をベースにした豪華モデルで、結局、BMW首脳陣は後者の豪華モデルを採択、これが生産型の501になった。歴史に「if」はあり得ないが、もし前者のスモールカーを選んでいたらBMWの戦後は大きく変わっていたかもしれない……。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501用のM337型6気筒エンジンは生産期間中、数度の変更を受けており、初期の64 hpから72 hpにパワーアップしている。排気量も最初の1971ccから最終的に2077 ccに増え、1954年からは 100 hpの2.6リッターV8が搭載されるようになった。このV8は1954年デビューの502にも搭載される。502は501と同じ外観で、内装を豪華に設えた派生型だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501も502もハードウェアとしての出来は悪くなかったが、商業的には成功作とは言えず、これが戦後BMWの屋台骨を揺るがすことになる。詳しくは追って述べよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52057,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6.jpg" alt="" class="wp-image-52057"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 507。製造期間: 1956～1959年。全長x全幅x全高: 4385 x 1650 x 1257 mm。ホイールベース：2480 mm。空車重量: 1330 kg。エンジン：バンク角90度のプッシュロッドOHV 3168 cc。最高出力: 150hp/5000rpm 最大トルク: 24mkg/4000rpm。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシック展示品のなかで断トツに目を引いたのが、この鮮やかなレッドに塗色された2座席ロードスターの507だった。製造期間が1950年代後半なこと、おもな市場が北米なこと、外寸が似通っていたことなど、507は同じ2座席オープンであるメルセデスベンツ190SLの恰好のライバルになると思われた（190SLの製造期間は1955～1963年。全長：4290 mm。ホイールベース；2400 mm）。しかし高価な販売価格ゆえに507は失敗作の烙印を押され、企業としてのBMWを窮地に陥れる引き金になる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデスベンツ190SLがあの300SLのデザインを踏襲した理詰めの外観なのに対し、アルブレヒト・フォン・ゲルツ(初代日産シルビアのデザインに関与したと言われる)のペンから生まれた507は流麗で洒脱、軽快なリズム感に溢れている。フォン・ゲルツを507のデザイナーに起用するよう提案したのは、アメリカの有力なインポーター、マックス・ホフマンだった。ホフマンはこの507に5000ドル程度の価格を付けて、総計5000台を売りさばこうと目論んだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし507はホフマンの思惑とは裏腹に、極めて高価にならざるを得なかった。アルミ製ボディをフォン・ゲルツのデザインに忠実に仕上げるには、腕のいい職人がハンマーで叩いて成形するしかなく手間が掛かったのだ。一説には完全に同じ形状の507は2台となかったと言われる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>生産コストが嵩んだゆえ、ドイツ国内の価格は2万6500 ドイツマルクとなり、間もなく2万9950ドイツマルクに上がった。北米の販売価格も当初から9000ドルと安くなかったが、最終的には1万500 ドルになった。一方、仮想ライバルの190SLは1万6500ドイツマルク、価格面でも市場競争力は一枚上手だった。結局、507の生産台数は252台に留まり、その大半が裕福な好事家のガレージに納まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>507は1台製造するたびに損失を出した。しかしこの時、BMW首脳陣はもっと深刻な問題を抱えていた。1951年の501を皮切りに、その豪華版の502、さらにはスポーツモデルの503、507と放ってきた同社だが、いずれも思ったような利益を会社にもたらさないのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>どのモデルも同社の技術をフルに活かした力作なのに、戦前のようなヒットとはならなかった。年を追うごとに利益は減っていく。首脳陣は頭を抱えた。「なにか手を打たなければ」とは思うものの、わずか数年後に会社が倒産の瀬戸際に立たされるとまで予想した者はいなかった。しかし実のところ、BMWには抜き差しならない運命が急迫していたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="934" height="623" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg 934w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 934px) 100vw, 934px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート1）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「皆さま、途中トイレ休憩を挟みますが、がまん大会ではありませんので、それ以前にご希望があれば遠慮なくおっしゃってくださいね！」バスが出発するや、ツアーコンダクターのKさんが私たちに声を掛けた。　</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ・ミュージアムの見学を終えた私たちはバスに乗り、シュトゥットガルトを後にして一路ミュンヘンに向かっている。今回の旅行のなかでもこの行程は長距離で、南東に約230kmも下る。アウトバーンを使って3時間を要する旅だ。出発してすぐにKさんが私たちに声を掛けたのは、ベテランツアーコンダクターの彼女らしい気遣いだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウトバーンのサービスエリアには大抵トイレが併設されている。ただし使うには1セント払う。最初はコインを準備するのが煩わしかったが、旅の途中から少額でも実費を支払うのは当然だと思うようになった。トイレを清潔に保ち、備品を揃えるには費用がかかる。日本のようにパーキングエリアのトイレが無料なのがむしろ異例だろう。海外旅行は日本を客観的に見るいいチャンスだとこんな場面で実感した次第。余談ついでにもう一つ、「ミュンヘン」の発音について。アレックスもバスドライバーのセバスチャンも、私の耳には「ムュンシェン」と言っているように聞こえた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>19日夕刻ミュンヘンに到着、市内のホテルで荷物を解いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>バイエルン州の州都ミュンヘンはベルリンとハンブルクに次ぐドイツで3番目に大きな都市。ホテルのある界隈はいささか雑然とした印象だ。2月20日木曜日のこの日、午前中はミュンヘンの観光に充てられた。市内を抜けて郊外に出ると、一転して視界が広がる。私たちが訪れたのは、20ヘクタールという広大な庭園内に建つ建造物、ニンフェンブルク宮殿だ。360度空が広がる。空気が清々しい。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2.jpg" alt="" class="wp-image-52053"/><figcaption class="wp-element-caption">ニンフェンブルク宮殿。かつてはバイエルン選帝侯の夏の居所だった。写真は建物の中心部のみで、ここから左右に翼棟が伸びている。</figcaption></figure>
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<p>BMWミュージアム(BMW Museum)は「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られるBMW本社に隣接したお椀形の建物で、そのすぐ横のレーヘンナウアー・シュトラーセ（Lerchenauer Str.）を渡るとBMW ワールド（BMW Welt）がある。</p>
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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3.jpg" alt="" class="wp-image-52054 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>手前のお椀形の建物がBMWミュージアム。後方の円筒形の建物がBMW本社。その形状から「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られる。<br>Photo: BMW</p>
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<p>ミュージアムを設計したのはカール・シュヴァンツァーという建築家。内部は大小5つの円形フロア（最大半径9.4m、最小4.2m）が層を成し、それぞれを緩い傾斜のらせん回廊が結ぶ。来場者は最上階から順次、下のフロアに降りて展示物を見学するので、構造的にはメルセデスベンツ・ミュージアムに似ている。</p>
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<p>アレックスはミュージアム正面入り口ではなく、横の入り口へと私たちを導いた。そこでこの日の案内役のスタッフを紹介すると、「普段は入れない場所へと案内します」と言って、敷地内の通路を横切り、大きな建物に連れて行った。ここが古いBMWのメンテナンスを行う「BMWクラシック」の展示場だ。顧客の所有車も所蔵するので、一部撮影禁止の区画もある。</p>
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<p>私たち一同が建物内部に入ったのを確認すると、係員がすぐさまシャッターを降ろした。見学を終えて出るときも間髪を入れずに降ろして、外部の目から遮断する。いやに物々しい警戒振りだなという気がしたが、この辺りもゲルマン的完璧主義の表れなのだろう。</p>
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<p>しかし内部に置かれた様々なBMWは、表舞台のミュージアムに劣らず魅力的だった。まさにアリババの洞窟。一歩進むごとに普段お目にかかれないBMWに出会う。そんなわけで本稿ではBMWクラシックの展示品を中心に、私が特に惹かれたモデルをアトランダムに紹介することにしたい。</p>
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<div class="wp-block-media-text has-media-on-the-right is-stacked-on-mobile"><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 3/20 PS。製造期間：1932～1934年。直列4気筒782 cc。最高出力：20 hp/4000 rpm。最高速：80 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4.jpg" alt="" class="wp-image-52055 size-full"/></figure></div>
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<p>BMW初の4輪モデルBMW 3/15（別名ディキシー）がオースティン7のライセンス生産だったのに対し、3/20は100％社内で設計した最初のBMWだった。製造期間は第二次世界大戦前の1932～1934年まで。エンジンは3/15用を準用したが、ストロークを80mmに伸ばして788ccを得ると同時に、ウオーターポンプとOHVシリンダーヘッドを備えていた（オースティン7は750ccのサイドバルブだった）。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>この結果、最高出力は20hpへ高まり、課税馬力の3hpと合わせて3/20がモデル名となった。ボディサイズも3/15より大きく、2119mmのホイールベースにより快適なキャビンスペースを実現している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なお、標準ボディはダイムラー・ベンツのジンデルフィンゲン工場が製作した。3/20は製造期間中AM1（Automobil München の頭文字）、AM2、 AM3、 AM4と年次改良を受けるごとにサブネームが改まっていく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>3/20は自動車メーカーとしてBMWが独り立ちする節目になったモデルだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5.jpg" alt="" class="wp-image-52056 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 501。直列6気筒。4速コラムシフト。全長x全幅x全高: 4730 x 1780 x 1530 mm。トレッド前:1322 mm。同後: 1408 mm。ホイールベース: 2835 mm。空車重量: 1340 kg。最高速: 135 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 501。写真のプレートナンバー「M FV9501 H」は1956年2月10日に登録された。持ち主の名義は個人だった。その後ルーフに回転灯が取り付けられ、「POLIZEI」の文字が入ったが、ミュンヘン警察が当該の「M FV9501 H」をパトロールカーに採用した事実はない。一説によると、当時人気のあったテレビドラマシリーズに感化されて、オーナーがこうした改造を施したという。50年代といえば今から70年も前のこと、おっとりした時代だったのだろう。いずれにしてもこの「M FV9501 H」、珍しい経歴の持ち主である。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>ナンバープレートに話が及んだついでに言うと、ミュンヘンやシュトゥットガルトなどの大都市では、ナンバープレートはその都市名の頭文字で始まるのだそう。私たちはそのことをアレックスから教わった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1951年のフランクフルトモーターショーでデビューした501は、BMWが放った第二次世界大戦（1939～1945年）後初のモデルだった。戦後型BMW の開発は早くも1948年に始まっており、当初は全く異なる2つのモデルが平行して進められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<p>1つは社内開発ナンバー331と呼ばれたモダンなスモールカーで、実にピニンファリーナがデザインを担当したという。もう1つは戦前の326をベースにした豪華モデルで、結局、BMW首脳陣は後者の豪華モデルを採択、これが生産型の501になった。歴史に「if」はあり得ないが、もし前者のスモールカーを選んでいたらBMWの戦後は大きく変わっていたかもしれない……。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501用のM337型6気筒エンジンは生産期間中、数度の変更を受けており、初期の64 hpから72 hpにパワーアップしている。排気量も最初の1971ccから最終的に2077 ccに増え、1954年からは 100 hpの2.6リッターV8が搭載されるようになった。このV8は1954年デビューの502にも搭載される。502は501と同じ外観で、内装を豪華に設えた派生型だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501も502もハードウェアとしての出来は悪くなかったが、商業的には成功作とは言えず、これが戦後BMWの屋台骨を揺るがすことになる。詳しくは追って述べよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6.jpg" alt="" class="wp-image-52057"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 507。製造期間: 1956～1959年。全長x全幅x全高: 4385 x 1650 x 1257 mm。ホイールベース：2480 mm。空車重量: 1330 kg。エンジン：バンク角90度のプッシュロッドOHV 3168 cc。最高出力: 150hp/5000rpm 最大トルク: 24mkg/4000rpm。</figcaption></figure>
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<p>BMWクラシック展示品のなかで断トツに目を引いたのが、この鮮やかなレッドに塗色された2座席ロードスターの507だった。製造期間が1950年代後半なこと、おもな市場が北米なこと、外寸が似通っていたことなど、507は同じ2座席オープンであるメルセデスベンツ190SLの恰好のライバルになると思われた（190SLの製造期間は1955～1963年。全長：4290 mm。ホイールベース；2400 mm）。しかし高価な販売価格ゆえに507は失敗作の烙印を押され、企業としてのBMWを窮地に陥れる引き金になる。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデスベンツ190SLがあの300SLのデザインを踏襲した理詰めの外観なのに対し、アルブレヒト・フォン・ゲルツ(初代日産シルビアのデザインに関与したと言われる)のペンから生まれた507は流麗で洒脱、軽快なリズム感に溢れている。フォン・ゲルツを507のデザイナーに起用するよう提案したのは、アメリカの有力なインポーター、マックス・ホフマンだった。ホフマンはこの507に5000ドル程度の価格を付けて、総計5000台を売りさばこうと目論んだ。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし507はホフマンの思惑とは裏腹に、極めて高価にならざるを得なかった。アルミ製ボディをフォン・ゲルツのデザインに忠実に仕上げるには、腕のいい職人がハンマーで叩いて成形するしかなく手間が掛かったのだ。一説には完全に同じ形状の507は2台となかったと言われる。</p>
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<p>生産コストが嵩んだゆえ、ドイツ国内の価格は2万6500 ドイツマルクとなり、間もなく2万9950ドイツマルクに上がった。北米の販売価格も当初から9000ドルと安くなかったが、最終的には1万500 ドルになった。一方、仮想ライバルの190SLは1万6500ドイツマルク、価格面でも市場競争力は一枚上手だった。結局、507の生産台数は252台に留まり、その大半が裕福な好事家のガレージに納まった。</p>
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<p>507は1台製造するたびに損失を出した。しかしこの時、BMW首脳陣はもっと深刻な問題を抱えていた。1951年の501を皮切りに、その豪華版の502、さらにはスポーツモデルの503、507と放ってきた同社だが、いずれも思ったような利益を会社にもたらさないのだ。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>どのモデルも同社の技術をフルに活かした力作なのに、戦前のようなヒットとはならなかった。年を追うごとに利益は減っていく。首脳陣は頭を抱えた。「なにか手を打たなければ」とは思うものの、わずか数年後に会社が倒産の瀬戸際に立たされるとまで予想した者はいなかった。しかし実のところ、BMWには抜き差しならない運命が急迫していたのである。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
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<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
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