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	<title>自動車専門翻訳家 - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>自動車専門翻訳家 - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その16　フェラーリの名車たち</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Jul 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="950" height="715" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3.jpg 950w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3-300x226.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3-768x578.jpg 768w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">７日目 2月23日（パート1）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ車には白かシルバーのボディカラーがよく似合う。私たちはこの国の4大自動車メーカーが運営するミュージアムで白とシルバーの世界を堪能した。旅の最終日に当たり、随行ナビゲーターのアレックスは格別のプレゼントを用意してくれていた。ドイツに限らず広くヨーロッパ各国の名車や希少車を収集したミュージアム、ナショナレス アウト ムゼウム「ザ ロー コレクション」（Nationales Auto Museum – The Loh Collection）である。そこにはレッド、ブラック、グリーンなど様々なカラーを纏った展示車が私たちを待っていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フランクフルトを出発したバスは100km余り北上したディーツヘルツァル エヴェルスバッハ（Dietzhölztal-Ewersbach）という小さな町に到着した。日曜日とあって通りには人影一つない。商店もすべて閉まっており、本当に人が住んでいるのだろうかと思うほど町全体が静まりかえっている。小さな角を右折すると突然、超モダンな建物が現れた。今日の目的地ロー コレクションだ。予定よりだいぶ早く着いてしまったとのことで、駐車場のゲートが閉まっていたが、アレックスがすかさず電話で連絡。ほどなく係員が足早に現れて、ゲートを開けてくれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ロー コレクションは起業家として成功したフリードヘルム ロー（Friedhelm Loh）という個人が所有・運営するミュージアム。1908年以降、産業用の大型ボイラーを製造していた工場建屋を、ローが2015年に敷地ごと取得、ミュージアムに建て替えて2023年オープンした。建て替え作業に当たっては、現代の建物と融合させつつ、古い工場の歴史的な痕跡を可能な限り残したという。冒頭に掲げた写真に見るように、見上げるほど高く、明かり取りが一面に設けられた天井が往時の姿を留めている。展示スペースは延べ7500平方m、常設展示車は130台。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ロー コレクションはローの個人的な興味から蒐集した自動車を展示する場で、ヴィンテージカーから現代のレーシングカーまで、その守備範囲は多岐にわたる。1台を1つのボックスに収めたショーケース的ディスプレイや、館内の随所に見られるアールデコ調の装飾などにオーナーの趣味が表れている。その中から本稿では、とりわけ興味深いモデルを私の調べがついた範囲内でアトランダムに選んで紹介しようと思う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2-3.jpg" alt="" class="wp-image-54543"/><figcaption class="wp-element-caption">1台を1つのボックスに収めたショーケース的ディスプレイ。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-3.jpg" alt="" class="wp-image-54544"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4-3.jpg" alt="" class="wp-image-54545"/><figcaption class="wp-element-caption">館内にはアールデコ調の飾り文字で「CAPITOL」と名づけられた客席数、約50席の映画館も備わる。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-3.jpg" alt="" class="wp-image-54546"/><figcaption class="wp-element-caption">もっとも古い展示品がこの1895年製ベンツ ヴィクトリア。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ロー コレクションの中でもっとも古いのが1895年製ベンツ ヴィクトリア。1893年から1900年にかけて製造されたベンツ最初の四輪車だ。単気筒エンジンにはいくつか異なる排気量があったが、ここでは2920ccで5hp/700rpmという代表的な数値を掲げる。この旅行記の「その2」で紹介した1886年の三輪車ベンツ パテント モートル ヴァーゲンと比べると、わずか9年の間に自動車が飛躍的進歩を遂げたことがわかる。ホイールは木製だし、半楕円リーフスプリングによるサスペンションまで備わっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/6-3.jpg" alt="" class="wp-image-54547"/><figcaption class="wp-element-caption">1906年製ローナー消防自動車。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェミュージアムではインホイールモーターしか紹介できなかったローナー電気自動車、それも消防自動車にここでお目にかかれるとは思ってもいなかった。フェルディナント ポルシェ博士が開発した純電動モーター駆動で、後にハイブリッドに改造されたという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>図らずも地元ドイツ車2台からスタートしたが、ロー コレクションで注目なのは、ほかにも沢山ある。まずはマッキナ ロッサ、とりわけフェラーリ。そのF1マシンから紹介しよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/7-3.jpg" alt="" class="wp-image-54548"/><figcaption class="wp-element-caption">1964年フェラーリ 1512。今まさにトランスポーターから降ろされて、プラクティスに臨もうとしているシーンを再現している。全長×全幅×全高：3950×1697×768mm。ホイールベース：2400mm。乾燥重量：470kg。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェラーリ 1512はフェラーリが1964年のF1世界選手権に投入したマシンF158の強化派生型。マシン名「1512」は1.5リッター12気筒エンジンを表す。主任設計者マウロ フォルギエーリは、ベースになったF158にはV8を選んだのに対し、1512にはバンク角180度のV12ティーポ207ユニットを採用した。56.0×50.4 mmのボアストロークから得た排気量はレギュレーション一杯の1489.63 cc。217hp/12000rpmの最高出力を絞り出す。このパワーユニットは、ホンダ RA271に搭載されたV12に次いで、2番目にパワフルな1.5リッターF1エンジンだと言われる。1512は1964年のUS GPより実戦投入された。以降スクーデリアは1964年から1965年にかけて、ツイスティなコースではF158を、スパやモンツァなどの高速コースでは1512を使い分けた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54549,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-3.jpg" alt="" class="wp-image-54549"/><figcaption class="wp-element-caption">フェラーリ 312B3-74。全長×全幅×全高：4380×2085×1290 mm。ホイールベース：2507 mm。乾燥重量：582 kg。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェラーリ 312B3-74は、スクーデリア フェラーリが1970年から1975年までF1世界選手権に投入したF1マシン「フェラーリ 312 B」の最終型で、1974年シーズンを戦ったマシン。前年1973年はスクーデリアにとって惨敗のシーズンだった。312 B3を走らせて全15戦で獲得したポイントはわずか12、コンストラクターランキングで6位に沈み込んだのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エンツォは事態を改善するためチーム監督にルカ ディ モンテゼーモロを就任させ、一度は主任設計者の立場から外したマウロ フォルギエーリを召還した。「こんなマシン（312 B3）しかないのなら、いっそレースになど出ない方がマシだ」。こう言いきったディ モンテゼーモロの強力なリーダーシップのもと、フェラーリはスポーツカーレース活動を一時休止して、1974年のF1シーズンに全力を注入することとなる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フォルギエーリは312 B3の徹底的な改良に取り組み、フルモノコックからフェラーリ本来の鋼管スペースフレームとアルミパネルで構成されるセミモノコックに戻し、重量配分を改善した。エンジンでは信頼性の強化が最重要課題だった。どんなに速くても最後まで走らなければレースには勝てない。バンク角180度のV12ユニットは80×49.6mmのボアストロークから2991.80ccの排気量を得て、最高出力490hp/12500rpmを生み出した。かくして312Bシリーズの最終型312 B3-74が誕生した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドライバーはクレイ レガツォーニと新進ニキ ラウダの布陣。312 B3-74はよく期待に応えた。ラウダは4戦目のスペインGPで優勝、スクーデリアに2年ぶりの勝利をもたらし、9度のポールポジションを獲得した。しかし本当の意味でチームに貢献したのはレガツォーニだった。全15選を通じて手堅くポイントを重ね、シリーズチャンピオンのエマーソン フィッティパルディの55点に肉迫する52点を獲得、ドライバーズランキング2位に着けた。312 B3-74はスクーデリアに上昇の機運をもたらす役割を果たし、翌シーズンより新型312 Tに主役の座を委ねた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54550,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/9-2-1024x767.jpg" alt="" class="wp-image-54550"/><figcaption class="wp-element-caption">1973年F1世界選手権の主力マシン、フェラーリ312 B3のエンジン。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つづいてロー コレクションに展示されていたフェラーリF1のエンジンの中から2つ紹介する。上の写真は1993年の主力マシン、フェラーリ312 B3に搭載されたバンク角180度のV12ユニット。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェラーリ312 Bの「B」はボクサー、つまり水平対向エンジンの頭文字だと言われるが、これがしばしば誤解を招く温床となった。実際のところ、312 Bに搭載された12気筒エンジンでは、一対の向かい合うピストンとコンロッドは共通のクランクピンに繋がっている。つまり右バンクのピストンがクランクに押されて上死点に向かうとき、左バンクは同じクランクに引っ張られて下死点に向かう。従って、構造的にこのエンジンはバンク角を180度に拡げたV型エンジンなのである。フォルギエーリは、水平対向エンジンと比べるとクランクケース内の空気膨張が左右で相殺されるので高回転が得やすく、なおかつ重心を低くできる180度V12を選んだのだと思われる。73年の312 B3に搭載されたV12の排気量は2991cc、最高出力は485hp/12500 rpmだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/10-2.jpg" alt="" class="wp-image-54551"/><figcaption class="wp-element-caption">こちらは同2000年の主力マシンF1-2000に搭載されたV10ユニット。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1973年の312 B3ユニットでは、空気を吸い込んでガソリンと混ぜ、燃焼、排出する内燃機関の構造が外からもよくわかったのに対して、27年後のF1エンジンは外観からしてずいぶん異なる。F1-2000に搭載されたティーポ049ユニットは、バンク角90度のV型10気筒。96.0×41.4 mmのボアストロークから得た排気量は2996.62cc。最高出力は805hp/17300rpmだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前年1999年シーズンのマシンF399が搭載していたエンジン、ティーポ048は同じV10だったがバンク角が80度だった。ティーポ049では重心を低める目的からバンク角を90度に拡げている。同時にシリンダー配置を見直して全長の短縮を図り、さらにエンジンとトランスミッションの油圧回路を統一することで単体重量の低減にも成功したと言われる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="950" height="715" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3.jpg 950w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3-300x226.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-3-768x578.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 950px) 100vw, 950px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">７日目 2月23日（パート1）</h3>
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<p>ドイツ車には白かシルバーのボディカラーがよく似合う。私たちはこの国の4大自動車メーカーが運営するミュージアムで白とシルバーの世界を堪能した。旅の最終日に当たり、随行ナビゲーターのアレックスは格別のプレゼントを用意してくれていた。ドイツに限らず広くヨーロッパ各国の名車や希少車を収集したミュージアム、ナショナレス アウト ムゼウム「ザ ロー コレクション」（Nationales Auto Museum – The Loh Collection）である。そこにはレッド、ブラック、グリーンなど様々なカラーを纏った展示車が私たちを待っていた。</p>
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<p>フランクフルトを出発したバスは100km余り北上したディーツヘルツァル エヴェルスバッハ（Dietzhölztal-Ewersbach）という小さな町に到着した。日曜日とあって通りには人影一つない。商店もすべて閉まっており、本当に人が住んでいるのだろうかと思うほど町全体が静まりかえっている。小さな角を右折すると突然、超モダンな建物が現れた。今日の目的地ロー コレクションだ。予定よりだいぶ早く着いてしまったとのことで、駐車場のゲートが閉まっていたが、アレックスがすかさず電話で連絡。ほどなく係員が足早に現れて、ゲートを開けてくれた。</p>
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<p>ロー コレクションは起業家として成功したフリードヘルム ロー（Friedhelm Loh）という個人が所有・運営するミュージアム。1908年以降、産業用の大型ボイラーを製造していた工場建屋を、ローが2015年に敷地ごと取得、ミュージアムに建て替えて2023年オープンした。建て替え作業に当たっては、現代の建物と融合させつつ、古い工場の歴史的な痕跡を可能な限り残したという。冒頭に掲げた写真に見るように、見上げるほど高く、明かり取りが一面に設けられた天井が往時の姿を留めている。展示スペースは延べ7500平方m、常設展示車は130台。</p>
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<p>ロー コレクションはローの個人的な興味から蒐集した自動車を展示する場で、ヴィンテージカーから現代のレーシングカーまで、その守備範囲は多岐にわたる。1台を1つのボックスに収めたショーケース的ディスプレイや、館内の随所に見られるアールデコ調の装飾などにオーナーの趣味が表れている。その中から本稿では、とりわけ興味深いモデルを私の調べがついた範囲内でアトランダムに選んで紹介しようと思う。</p>
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<p>ロー コレクションの中でもっとも古いのが1895年製ベンツ ヴィクトリア。1893年から1900年にかけて製造されたベンツ最初の四輪車だ。単気筒エンジンにはいくつか異なる排気量があったが、ここでは2920ccで5hp/700rpmという代表的な数値を掲げる。この旅行記の「その2」で紹介した1886年の三輪車ベンツ パテント モートル ヴァーゲンと比べると、わずか9年の間に自動車が飛躍的進歩を遂げたことがわかる。ホイールは木製だし、半楕円リーフスプリングによるサスペンションまで備わっている。</p>
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<p>ポルシェミュージアムではインホイールモーターしか紹介できなかったローナー電気自動車、それも消防自動車にここでお目にかかれるとは思ってもいなかった。フェルディナント ポルシェ博士が開発した純電動モーター駆動で、後にハイブリッドに改造されたという。</p>
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<p>図らずも地元ドイツ車2台からスタートしたが、ロー コレクションで注目なのは、ほかにも沢山ある。まずはマッキナ ロッサ、とりわけフェラーリ。そのF1マシンから紹介しよう。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/7-3.jpg" alt="" class="wp-image-54548"/><figcaption class="wp-element-caption">1964年フェラーリ 1512。今まさにトランスポーターから降ろされて、プラクティスに臨もうとしているシーンを再現している。全長×全幅×全高：3950×1697×768mm。ホイールベース：2400mm。乾燥重量：470kg。</figcaption></figure>
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<p>フェラーリ 1512はフェラーリが1964年のF1世界選手権に投入したマシンF158の強化派生型。マシン名「1512」は1.5リッター12気筒エンジンを表す。主任設計者マウロ フォルギエーリは、ベースになったF158にはV8を選んだのに対し、1512にはバンク角180度のV12ティーポ207ユニットを採用した。56.0×50.4 mmのボアストロークから得た排気量はレギュレーション一杯の1489.63 cc。217hp/12000rpmの最高出力を絞り出す。このパワーユニットは、ホンダ RA271に搭載されたV12に次いで、2番目にパワフルな1.5リッターF1エンジンだと言われる。1512は1964年のUS GPより実戦投入された。以降スクーデリアは1964年から1965年にかけて、ツイスティなコースではF158を、スパやモンツァなどの高速コースでは1512を使い分けた。</p>
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<p>フェラーリ 312B3-74は、スクーデリア フェラーリが1970年から1975年までF1世界選手権に投入したF1マシン「フェラーリ 312 B」の最終型で、1974年シーズンを戦ったマシン。前年1973年はスクーデリアにとって惨敗のシーズンだった。312 B3を走らせて全15戦で獲得したポイントはわずか12、コンストラクターランキングで6位に沈み込んだのだ。</p>
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<p>エンツォは事態を改善するためチーム監督にルカ ディ モンテゼーモロを就任させ、一度は主任設計者の立場から外したマウロ フォルギエーリを召還した。「こんなマシン（312 B3）しかないのなら、いっそレースになど出ない方がマシだ」。こう言いきったディ モンテゼーモロの強力なリーダーシップのもと、フェラーリはスポーツカーレース活動を一時休止して、1974年のF1シーズンに全力を注入することとなる。</p>
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<p>フォルギエーリは312 B3の徹底的な改良に取り組み、フルモノコックからフェラーリ本来の鋼管スペースフレームとアルミパネルで構成されるセミモノコックに戻し、重量配分を改善した。エンジンでは信頼性の強化が最重要課題だった。どんなに速くても最後まで走らなければレースには勝てない。バンク角180度のV12ユニットは80×49.6mmのボアストロークから2991.80ccの排気量を得て、最高出力490hp/12500rpmを生み出した。かくして312Bシリーズの最終型312 B3-74が誕生した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドライバーはクレイ レガツォーニと新進ニキ ラウダの布陣。312 B3-74はよく期待に応えた。ラウダは4戦目のスペインGPで優勝、スクーデリアに2年ぶりの勝利をもたらし、9度のポールポジションを獲得した。しかし本当の意味でチームに貢献したのはレガツォーニだった。全15選を通じて手堅くポイントを重ね、シリーズチャンピオンのエマーソン フィッティパルディの55点に肉迫する52点を獲得、ドライバーズランキング2位に着けた。312 B3-74はスクーデリアに上昇の機運をもたらす役割を果たし、翌シーズンより新型312 Tに主役の座を委ねた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54550,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/9-2-1024x767.jpg" alt="" class="wp-image-54550"/><figcaption class="wp-element-caption">1973年F1世界選手権の主力マシン、フェラーリ312 B3のエンジン。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>つづいてロー コレクションに展示されていたフェラーリF1のエンジンの中から2つ紹介する。上の写真は1993年の主力マシン、フェラーリ312 B3に搭載されたバンク角180度のV12ユニット。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フェラーリ312 Bの「B」はボクサー、つまり水平対向エンジンの頭文字だと言われるが、これがしばしば誤解を招く温床となった。実際のところ、312 Bに搭載された12気筒エンジンでは、一対の向かい合うピストンとコンロッドは共通のクランクピンに繋がっている。つまり右バンクのピストンがクランクに押されて上死点に向かうとき、左バンクは同じクランクに引っ張られて下死点に向かう。従って、構造的にこのエンジンはバンク角を180度に拡げたV型エンジンなのである。フォルギエーリは、水平対向エンジンと比べるとクランクケース内の空気膨張が左右で相殺されるので高回転が得やすく、なおかつ重心を低くできる180度V12を選んだのだと思われる。73年の312 B3に搭載されたV12の排気量は2991cc、最高出力は485hp/12500 rpmだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54551,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/10-2.jpg" alt="" class="wp-image-54551"/><figcaption class="wp-element-caption">こちらは同2000年の主力マシンF1-2000に搭載されたV10ユニット。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1973年の312 B3ユニットでは、空気を吸い込んでガソリンと混ぜ、燃焼、排出する内燃機関の構造が外からもよくわかったのに対して、27年後のF1エンジンは外観からしてずいぶん異なる。F1-2000に搭載されたティーポ049ユニットは、バンク角90度のV型10気筒。96.0×41.4 mmのボアストロークから得た排気量は2996.62cc。最高出力は805hp/17300rpmだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前年1999年シーズンのマシンF399が搭載していたエンジン、ティーポ048は同じV10だったがバンク角が80度だった。ティーポ049では重心を低める目的からバンク角を90度に拡げている。同時にシリンダー配置を見直して全長の短縮を図り、さらにエンジンとトランスミッションの油圧回路を統一することで単体重量の低減にも成功したと言われる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その15　クルマ好きなら絶対行きたいニュルブルクリンク</title>
		<link>https://autobild.jp/54268/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 19 Jul 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[Nurburgring]]></category>
		<category><![CDATA[Nürburgring]]></category>
		<category><![CDATA[インゴルシュタット]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ自動車博物館]]></category>
		<category><![CDATA[ニュル]]></category>
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		<category><![CDATA[ニュルブルクリンク北コース]]></category>
		<category><![CDATA[ニュルンベルク]]></category>
		<category><![CDATA[ノルトシュライフェ]]></category>
		<category><![CDATA[フランクフルト]]></category>
		<category><![CDATA[自動車専門翻訳家]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="953" height="715" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2.jpg 953w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 953px) 100vw, 953px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">6日目 2月22日</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタートして1秒84後には4速181km/hに達している。4秒64後、4速193km/hから2速98km/hに落として最初のきついコーナーをクリア。すぐさま6速までシフトアップ。車速249km/h。その後、4～6速を使い分け、180～240を保って緩いコーナーの連続を抜ける。49秒後、7速で340km/h超。ブレーキングの際は、モーターが「ヒュイーン」と唸る。7速フラットアウト、瞬間的に330。先の見えない複合コーナーではコース幅一杯を使う。どのコーナーでもターンインからエイペックスのクリア、コーナー脱出まで、ひたすら理想のレーシングラインを辿る。2分12秒後、前方から直射日光が差し込み視界を遮るが、委細構わずスロットルを踏み続ける。3分6秒後、カラッチオラ カルッセルのヘアピンに備えて6速280から電光石火の速さで2速97km/hまで落としてここを慎重に抜ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54273,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2-2.jpg" alt="" class="wp-image-54273"/><figcaption class="wp-element-caption">ニュルブルクリンクのノルトシュライフェ（北コーズ）のレイアウトとサーキット周辺の略地図（この写真はサーキット内で配布しているRINGTAXIのパンフレットを撮影しました）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタートしてから4分が経過し、集中力が薄れるところだが果敢にスロットルを践む。5速を多用しながら高低差のあるコースを走る。この区間はほとんどがブラインドコーナーだ。4分24秒後、2つの左コーナーを4速170km/hで抜けると、いよいよディッテンガー ヘーエから始まるノルトシュライフェ随一の高速セクションに差し掛かる。7速332km/hから瞬く間に車速が上がり、4分49秒後、369km/hを計測、このタイムアタックでの最高速が出た。その後も7速360km/h台後半をキープしながらゴール地点を目指す。5分14秒後、ゴール手前のコーナーで2速まで落として加速したところでフィニッシュ。5分19秒54。新たなコースレコードタイムの樹立だ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">移動はバスで</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前日、インゴルシュタットをあとにした私たち一行は80km北にある古都ニュルンベルクを訪れた。城壁に囲まれた旧市街を散策し、レストランで昼食を楽しんだ。静かな水を湛えた堀が窓から見える。ひとときを寛いだ気分で過ごしたのち、再びバスへ乗り込む。目指すはフランクフルト、約3時間を要する230kmの長距離移動だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「高層ビルが立ち並ぶ街はドイツでもフランクフルトだけです。ドイツの大都市にはそれぞれの役割があります。政治の中心はベルリン、自動車産業の中心はシュトゥットガルトとミュンヘン。ここフランクフルトは経済・金融の中心地です」。フランクフルトの街並みが近づくと、アレックスが説明してくれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なるほどバスの窓から望むフランクフルトの空は高層ビルの輪郭が区切っている。こういう風景はほかの街では見なかった。今回の旅行で私たちが最初にドイツの地を踏んだ街フランクフルトに戻って来た。市の中心にあるモダンなホテルの部屋に落ち着き、21日の日程を終えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>明けて2月22日、私たちを乗せたバスは西へ約170km離れたニュルブルクの町に向かった。そう、目指すは世界に名だたるレースコース、ニュルブルクリンクだ。ニュルブルクリンクはノルトシュライフェ（＝北コース。全長20.832km）とGPコース（全長5.1km）の2つのコースの総称だが、とりわけノルトシュライフェは世界最長にして、世界有数の難コースとしてつとに知られる。数多くの自動車メーカーが試験走行を行うことでも有名で、ここの周回タイムは高性能を立証する1つの評価基準になっている。今日の日程はそのニュルブルクリンクの探訪。ドイツ4大ミュージアムの見学を昨日終えた私たちにとって、この旅唯一の「屋外アクティビティ」だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この稿の冒頭に掲げたコースレイアウト図は、同サーキット内で配布しているRINGTAXI（これについては後ほど触れる）のパンフレットを撮影した。それに続く「実況中継」はYouTube (https://www.youtube.com/watch?v=KsLi7HgSuhI)を見ながら、私が書いた。2018年6月29日、ティモ ベルンハルトがポルシェ919ハイブリッドEvoをノルトシュライフェで走らせたときのオンボード映像で、5分19秒546は今のところ（2025年5月現在）無制限車両のカテゴリーでの同コース最速周回タイムだ。これがどれほど速いのかは1周の平均時速233.8km/hが物語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">走行はできなかったのだが</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私たちが訪れたこの日、ニュルブルクリンクはレースのオフシーズンを利用したコース路面補修作業の最中で、車両の走行はできなかった。それだけに普段は入れない施設まで見学できたのは収穫だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>サーキット敷地内に入るまえ、私たちを乗せたバスは、スタートから16km地点のブリュンヘン（Brunnchen）コーナーを見下ろす広場に立ち寄ってくれた。ご覧のようにコース幅は意外なほど狭く、エスケープゾーンもほとんどない。ブリュンヘンは下りコーナー、直線、上りコーナーと見どころ満載の人気の観戦スポットだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54274,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-2.jpg" alt="" class="wp-image-54274"/><figcaption class="wp-element-caption">ブリュンヘン。右、左と続く典型的なS字コーナーは途中からわずかな下りになっている。とにかくコース幅が狭い。最後のコーナー脱出時にアウトブレーキングを敢行して前車との間合いを詰めることができても――</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54275,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-54275"/><figcaption class="wp-element-caption">次に続くこの短い直線でオーバーテークするのは至難の業に思える。やや下り勾配のこの直線の先は緩い上り勾配の右コーナーが待っているので、制動ポイントを少しでも間違えるとコースアウトの危険をはらんでいる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>以降、写真をご覧に入れながら、私たちが訪れた施設を紹介していく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54276,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-2.jpg" alt="" class="wp-image-54276"/><figcaption class="wp-element-caption">ニュルブルクリンク レースサーキットの入り口周辺。早くもレース場独特の緊張感が漂う。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/6-2.jpg" alt="" class="wp-image-54277"/><figcaption class="wp-element-caption">エントランスから入ってすぐの所にあるインフォメーションセンター。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/7-2.jpg" alt="" class="wp-image-54307"/><figcaption class="wp-element-caption">このトンネルを抜けてサーキット内部に入る。壁面の「Nürburgring. Volles Programm, seit 1927」の文字は創設された1927年以降のフルヒストリーといった意味で、下半分の濃い灰色部分に、年号とトピックが記されている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-2.jpg" alt="" class="wp-image-54308"/><figcaption class="wp-element-caption">1927年の創設以来ニュルブルクリンクで記録を残したレーシングドライバーの名前を刻んだ記念碑。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/9-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54309"/><figcaption class="wp-element-caption">コントロールタワーに向かって移動する私たち一行。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/10-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54310"/><figcaption class="wp-element-caption">ピットレーン。コースを隔てた向こう側、屋根のある部分がグランドスタンド。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/11-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54311"/><figcaption class="wp-element-caption">実際にコース上に出ることもできた。スターティンググリッドから第1コーナーに向かって撮ったショット。路面に黒々と残るブラックマークが激しいスタートを物語る。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54312,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/12-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54312"/></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/13-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54313"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54314,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/14-1-1024x772.jpg" alt="" class="wp-image-54314"/><figcaption class="wp-element-caption">この3枚はコントロールタワー2階に設置されたモニターを撮影したもの。無数のモニターがコースのあらゆる区間をリアルタイムで映し出す。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54315,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/15-1-1024x771.jpg" alt="" class="wp-image-54315"/><figcaption class="wp-element-caption">緊急車両はいつでも出動準備ができている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>残念ながら、おもに財政面の問題から、F1ドイツGPは2019年のホッケンハイムを最後に、現在中断の状態がつづいている。ニュルブルクリンクで開催されたのはさらに2013年に遡り、このときはレッドブル ルノー駆るセバスチャン フェッテル（Sebastian Vettel）が勝っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この日、ニュルブルクリンクを見学した私たちは、ここのGPコースはいつでもF1を開催できるだけの安全性を完備した、最新鋭のサーキットだという印象を得た。近い将来、この由緒正しいサーキットで、ドイツGPが開催されることを期待したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンクの敷地内に並ぶ付帯施設やアトラクションも魅力的だ。なかでも最初に紹介したいのがリンクタクシー(RingTaxi）である。RingTaxiにはRingTaxi Co-PilotとRingTaxi Pilotの2種類がある。前者はいわゆる一般的なサーキットタクシーで、プロのレーシングドライバーが操縦するマシンに同乗する体験走行。ただしマシンが別格にすごい。992型ポルシェ911GT3 RSを筆頭に、AMG GTブラックシリーズやマクラーレン720Sが用意されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もう1つのRingTaxi Pilotはあなた自身がマシンを駆る体験走行。「70を超えるコーナー、刻々と変わる路面状況。ノルトシュライフェの魅力にどっぷり浸かろう」とパンフレットは謳う。コーナーの数からおわかりのように、リンクタクシーはノルトシュライフェの1区間を使って行う（全体ではコーナーは172ある）。助手席からは経験豊富なインストラクターが適宜アドバイスしてくれるので、能力に応じた走りができるだろう。マシンはBMW M5 CS、991型ポルシェ911 GT3 RS、ポルシェ ケイマンGT4と、これまた贅沢な布陣。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54316,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/16-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-54316"/><figcaption class="wp-element-caption">RingTaxi Co-PilotとRingTaxi Pilotを紹介する立派なパンフレットがサーキットホテル内で配布されていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私ならまず同乗走行のRingTaxi Co-Pilotを選ぶと思う。ただし「お手柔らかにお願いします」というドイツ語を覚えてからだ。なにしろ彼らプロドライバーはリヤタイヤがヌルヌルと横方向のグリップを失いかけているというのに、鼻歌交じりでスロットルを踏み続けるのだから……。パンフレットには「20.832km pure adrenaline!」とあるが、私には恐怖のあまり絶叫しないでいられる自信はない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シナリオの決まった遊園地のアトラクションにはもう飽きた。欲しいのは予測不能の辛口スリルだと言うあなたはRingTaxi Pilotに挑戦するといい。ブラインドコーナーの先に現れる未知のコースをどう攻略するのか。問われるのはもっぱらあなたの腕と度胸、そしてインストラクターのアドバイスに耳を傾ける冷静な心構えだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンク敷地内の各種付帯設備の充実振りにも目を見張った。大型旅客機すら楽々と収容できそうな巨大な格納庫クラスの建物に収まるリンクアリーナ（Ring Arena）には、高級ブティックやドライビングアカデミーのレセプションなどが軒を連ねている。広いフロア面積を誇るサーキットグッズショップは、ブツ欲を刺激するアイテムがこれでもかとばかりに並んでいて、大きな買い物袋を抱えて店を出ること請け合いだ。日本では最近すっかり手に入り難くなったニュルブルクリンクのコースを描いたステッカーもここなら選り取り見取り。私も1枚購入した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54317,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/17.jpg" alt="" class="wp-image-54317"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54318,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/18.jpg" alt="" class="wp-image-54318"/><figcaption class="wp-element-caption">写真では閑散としているように見えるが、これはアリーナがあまりにも広いためと、土曜のため一部高級ブティックがクローズしていたため。サーキット専属のグッズショップは大変な賑わいだった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54319,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/19.jpg" alt="" class="wp-image-54319"/><figcaption class="wp-element-caption">リンクアリーナは大型旅客機も収容できそうな、巨大な格納庫クラスの建物に収まる。内部にはスペシャルショップや高級ブティックが軒を連ねる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54320,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/20.jpg" alt="" class="wp-image-54320"/><figcaption class="wp-element-caption">サーキットに併設されるドライビングアカデミー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>有名なニュルブルクリンク24時間レースは、ドイツが一番麗しい季節を迎える6月に開催されるのが通例だ。とにかく24時間レースは長丁場。観戦に疲れたら、ホスピタリティ溢れるホテルに戻り、バーでカクテルを飲むのもよし、ショップでお土産探しをするもよし。充実した滞在を楽しめるに違いない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンクは一流のレースコースであると同時に、モータースポーツに関連するあらゆる施設を完備する、それ自体完結したエンタテインメント複合施設なのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>午後遅く、私たちはニュルブルクリンクを離れ、往路と同じ170kmの道のりをフランクフルトへと戻った。泊まるのは昨日と同じ、市内の中心に位置するモダンなホテル。実際、このホテルはとても快適だった。貧乏性の私など、一人で1部屋を使うには広すぎるほど。一旦外に出て、旅の一行の皆さんと一緒に夕食のテーブルを囲んだあとは、早めにベッドに潜り込んだ。しかしその日の夜はどういうわけか寝付けなかった。早いもので明日は旅の最終日。そう思うと寝てしまうのが惜しい気がしたせいかもしれない。日付が変わるころになっても緊急車両のサイレンが鳴り響くあたり、フランクフルトの街はニューヨークのマンハッタンに似ている。カーテンを少し開けて外を眺めると、闇のなかで高層ビルのシルエットが黒く浮かび上がっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="953" height="715" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2.jpg 953w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-2-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 953px) 100vw, 953px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">6日目 2月22日</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタートして1秒84後には4速181km/hに達している。4秒64後、4速193km/hから2速98km/hに落として最初のきついコーナーをクリア。すぐさま6速までシフトアップ。車速249km/h。その後、4～6速を使い分け、180～240を保って緩いコーナーの連続を抜ける。49秒後、7速で340km/h超。ブレーキングの際は、モーターが「ヒュイーン」と唸る。7速フラットアウト、瞬間的に330。先の見えない複合コーナーではコース幅一杯を使う。どのコーナーでもターンインからエイペックスのクリア、コーナー脱出まで、ひたすら理想のレーシングラインを辿る。2分12秒後、前方から直射日光が差し込み視界を遮るが、委細構わずスロットルを踏み続ける。3分6秒後、カラッチオラ カルッセルのヘアピンに備えて6速280から電光石火の速さで2速97km/hまで落としてここを慎重に抜ける。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54273,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2-2.jpg" alt="" class="wp-image-54273"/><figcaption class="wp-element-caption">ニュルブルクリンクのノルトシュライフェ（北コーズ）のレイアウトとサーキット周辺の略地図（この写真はサーキット内で配布しているRINGTAXIのパンフレットを撮影しました）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタートしてから4分が経過し、集中力が薄れるところだが果敢にスロットルを践む。5速を多用しながら高低差のあるコースを走る。この区間はほとんどがブラインドコーナーだ。4分24秒後、2つの左コーナーを4速170km/hで抜けると、いよいよディッテンガー ヘーエから始まるノルトシュライフェ随一の高速セクションに差し掛かる。7速332km/hから瞬く間に車速が上がり、4分49秒後、369km/hを計測、このタイムアタックでの最高速が出た。その後も7速360km/h台後半をキープしながらゴール地点を目指す。5分14秒後、ゴール手前のコーナーで2速まで落として加速したところでフィニッシュ。5分19秒54。新たなコースレコードタイムの樹立だ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">移動はバスで</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前日、インゴルシュタットをあとにした私たち一行は80km北にある古都ニュルンベルクを訪れた。城壁に囲まれた旧市街を散策し、レストランで昼食を楽しんだ。静かな水を湛えた堀が窓から見える。ひとときを寛いだ気分で過ごしたのち、再びバスへ乗り込む。目指すはフランクフルト、約3時間を要する230kmの長距離移動だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「高層ビルが立ち並ぶ街はドイツでもフランクフルトだけです。ドイツの大都市にはそれぞれの役割があります。政治の中心はベルリン、自動車産業の中心はシュトゥットガルトとミュンヘン。ここフランクフルトは経済・金融の中心地です」。フランクフルトの街並みが近づくと、アレックスが説明してくれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なるほどバスの窓から望むフランクフルトの空は高層ビルの輪郭が区切っている。こういう風景はほかの街では見なかった。今回の旅行で私たちが最初にドイツの地を踏んだ街フランクフルトに戻って来た。市の中心にあるモダンなホテルの部屋に落ち着き、21日の日程を終えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>明けて2月22日、私たちを乗せたバスは西へ約170km離れたニュルブルクの町に向かった。そう、目指すは世界に名だたるレースコース、ニュルブルクリンクだ。ニュルブルクリンクはノルトシュライフェ（＝北コース。全長20.832km）とGPコース（全長5.1km）の2つのコースの総称だが、とりわけノルトシュライフェは世界最長にして、世界有数の難コースとしてつとに知られる。数多くの自動車メーカーが試験走行を行うことでも有名で、ここの周回タイムは高性能を立証する1つの評価基準になっている。今日の日程はそのニュルブルクリンクの探訪。ドイツ4大ミュージアムの見学を昨日終えた私たちにとって、この旅唯一の「屋外アクティビティ」だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この稿の冒頭に掲げたコースレイアウト図は、同サーキット内で配布しているRINGTAXI（これについては後ほど触れる）のパンフレットを撮影した。それに続く「実況中継」はYouTube (https://www.youtube.com/watch?v=KsLi7HgSuhI)を見ながら、私が書いた。2018年6月29日、ティモ ベルンハルトがポルシェ919ハイブリッドEvoをノルトシュライフェで走らせたときのオンボード映像で、5分19秒546は今のところ（2025年5月現在）無制限車両のカテゴリーでの同コース最速周回タイムだ。これがどれほど速いのかは1周の平均時速233.8km/hが物語る。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">走行はできなかったのだが</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私たちが訪れたこの日、ニュルブルクリンクはレースのオフシーズンを利用したコース路面補修作業の最中で、車両の走行はできなかった。それだけに普段は入れない施設まで見学できたのは収穫だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>サーキット敷地内に入るまえ、私たちを乗せたバスは、スタートから16km地点のブリュンヘン（Brunnchen）コーナーを見下ろす広場に立ち寄ってくれた。ご覧のようにコース幅は意外なほど狭く、エスケープゾーンもほとんどない。ブリュンヘンは下りコーナー、直線、上りコーナーと見どころ満載の人気の観戦スポットだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-2.jpg" alt="" class="wp-image-54274"/><figcaption class="wp-element-caption">ブリュンヘン。右、左と続く典型的なS字コーナーは途中からわずかな下りになっている。とにかくコース幅が狭い。最後のコーナー脱出時にアウトブレーキングを敢行して前車との間合いを詰めることができても――</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-54275"/><figcaption class="wp-element-caption">次に続くこの短い直線でオーバーテークするのは至難の業に思える。やや下り勾配のこの直線の先は緩い上り勾配の右コーナーが待っているので、制動ポイントを少しでも間違えるとコースアウトの危険をはらんでいる。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>以降、写真をご覧に入れながら、私たちが訪れた施設を紹介していく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-2.jpg" alt="" class="wp-image-54276"/><figcaption class="wp-element-caption">ニュルブルクリンク レースサーキットの入り口周辺。早くもレース場独特の緊張感が漂う。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/6-2.jpg" alt="" class="wp-image-54277"/><figcaption class="wp-element-caption">エントランスから入ってすぐの所にあるインフォメーションセンター。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/7-2.jpg" alt="" class="wp-image-54307"/><figcaption class="wp-element-caption">このトンネルを抜けてサーキット内部に入る。壁面の「Nürburgring. Volles Programm, seit 1927」の文字は創設された1927年以降のフルヒストリーといった意味で、下半分の濃い灰色部分に、年号とトピックが記されている。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-2.jpg" alt="" class="wp-image-54308"/><figcaption class="wp-element-caption">1927年の創設以来ニュルブルクリンクで記録を残したレーシングドライバーの名前を刻んだ記念碑。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/9-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54309"/><figcaption class="wp-element-caption">コントロールタワーに向かって移動する私たち一行。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/10-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54310"/><figcaption class="wp-element-caption">ピットレーン。コースを隔てた向こう側、屋根のある部分がグランドスタンド。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/11-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54311"/><figcaption class="wp-element-caption">実際にコース上に出ることもできた。スターティンググリッドから第1コーナーに向かって撮ったショット。路面に黒々と残るブラックマークが激しいスタートを物語る。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/12-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54312"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/13-1-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-54313"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/14-1-1024x772.jpg" alt="" class="wp-image-54314"/><figcaption class="wp-element-caption">この3枚はコントロールタワー2階に設置されたモニターを撮影したもの。無数のモニターがコースのあらゆる区間をリアルタイムで映し出す。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/15-1-1024x771.jpg" alt="" class="wp-image-54315"/><figcaption class="wp-element-caption">緊急車両はいつでも出動準備ができている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>残念ながら、おもに財政面の問題から、F1ドイツGPは2019年のホッケンハイムを最後に、現在中断の状態がつづいている。ニュルブルクリンクで開催されたのはさらに2013年に遡り、このときはレッドブル ルノー駆るセバスチャン フェッテル（Sebastian Vettel）が勝っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この日、ニュルブルクリンクを見学した私たちは、ここのGPコースはいつでもF1を開催できるだけの安全性を完備した、最新鋭のサーキットだという印象を得た。近い将来、この由緒正しいサーキットで、ドイツGPが開催されることを期待したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンクの敷地内に並ぶ付帯施設やアトラクションも魅力的だ。なかでも最初に紹介したいのがリンクタクシー(RingTaxi）である。RingTaxiにはRingTaxi Co-PilotとRingTaxi Pilotの2種類がある。前者はいわゆる一般的なサーキットタクシーで、プロのレーシングドライバーが操縦するマシンに同乗する体験走行。ただしマシンが別格にすごい。992型ポルシェ911GT3 RSを筆頭に、AMG GTブラックシリーズやマクラーレン720Sが用意されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>もう1つのRingTaxi Pilotはあなた自身がマシンを駆る体験走行。「70を超えるコーナー、刻々と変わる路面状況。ノルトシュライフェの魅力にどっぷり浸かろう」とパンフレットは謳う。コーナーの数からおわかりのように、リンクタクシーはノルトシュライフェの1区間を使って行う（全体ではコーナーは172ある）。助手席からは経験豊富なインストラクターが適宜アドバイスしてくれるので、能力に応じた走りができるだろう。マシンはBMW M5 CS、991型ポルシェ911 GT3 RS、ポルシェ ケイマンGT4と、これまた贅沢な布陣。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54316,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/16-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-54316"/><figcaption class="wp-element-caption">RingTaxi Co-PilotとRingTaxi Pilotを紹介する立派なパンフレットがサーキットホテル内で配布されていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私ならまず同乗走行のRingTaxi Co-Pilotを選ぶと思う。ただし「お手柔らかにお願いします」というドイツ語を覚えてからだ。なにしろ彼らプロドライバーはリヤタイヤがヌルヌルと横方向のグリップを失いかけているというのに、鼻歌交じりでスロットルを踏み続けるのだから……。パンフレットには「20.832km pure adrenaline!」とあるが、私には恐怖のあまり絶叫しないでいられる自信はない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>シナリオの決まった遊園地のアトラクションにはもう飽きた。欲しいのは予測不能の辛口スリルだと言うあなたはRingTaxi Pilotに挑戦するといい。ブラインドコーナーの先に現れる未知のコースをどう攻略するのか。問われるのはもっぱらあなたの腕と度胸、そしてインストラクターのアドバイスに耳を傾ける冷静な心構えだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンク敷地内の各種付帯設備の充実振りにも目を見張った。大型旅客機すら楽々と収容できそうな巨大な格納庫クラスの建物に収まるリンクアリーナ（Ring Arena）には、高級ブティックやドライビングアカデミーのレセプションなどが軒を連ねている。広いフロア面積を誇るサーキットグッズショップは、ブツ欲を刺激するアイテムがこれでもかとばかりに並んでいて、大きな買い物袋を抱えて店を出ること請け合いだ。日本では最近すっかり手に入り難くなったニュルブルクリンクのコースを描いたステッカーもここなら選り取り見取り。私も1枚購入した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":54317,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/17.jpg" alt="" class="wp-image-54317"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54318,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/18.jpg" alt="" class="wp-image-54318"/><figcaption class="wp-element-caption">写真では閑散としているように見えるが、これはアリーナがあまりにも広いためと、土曜のため一部高級ブティックがクローズしていたため。サーキット専属のグッズショップは大変な賑わいだった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54319,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/19.jpg" alt="" class="wp-image-54319"/><figcaption class="wp-element-caption">リンクアリーナは大型旅客機も収容できそうな、巨大な格納庫クラスの建物に収まる。内部にはスペシャルショップや高級ブティックが軒を連ねる。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":54320,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/20.jpg" alt="" class="wp-image-54320"/><figcaption class="wp-element-caption">サーキットに併設されるドライビングアカデミー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>有名なニュルブルクリンク24時間レースは、ドイツが一番麗しい季節を迎える6月に開催されるのが通例だ。とにかく24時間レースは長丁場。観戦に疲れたら、ホスピタリティ溢れるホテルに戻り、バーでカクテルを飲むのもよし、ショップでお土産探しをするもよし。充実した滞在を楽しめるに違いない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ニュルブルクリンクは一流のレースコースであると同時に、モータースポーツに関連するあらゆる施設を完備する、それ自体完結したエンタテインメント複合施設なのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>午後遅く、私たちはニュルブルクリンクを離れ、往路と同じ170kmの道のりをフランクフルトへと戻った。泊まるのは昨日と同じ、市内の中心に位置するモダンなホテル。実際、このホテルはとても快適だった。貧乏性の私など、一人で1部屋を使うには広すぎるほど。一旦外に出て、旅の一行の皆さんと一緒に夕食のテーブルを囲んだあとは、早めにベッドに潜り込んだ。しかしその日の夜はどういうわけか寝付けなかった。早いもので明日は旅の最終日。そう思うと寝てしまうのが惜しい気がしたせいかもしれない。日付が変わるころになっても緊急車両のサイレンが鳴り響くあたり、フランクフルトの街はニューヨークのマンハッタンに似ている。カーテンを少し開けて外を眺めると、闇のなかで高層ビルのシルエットが黒く浮かび上がっていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その11　ドイツのスイーツは繊細な味わい</title>
		<link>https://autobild.jp/52398/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Jun 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[JALパック]]></category>
		<category><![CDATA[ヴルスト]]></category>
		<category><![CDATA[ザワークラウト]]></category>
		<category><![CDATA[シュニッツェル]]></category>
		<category><![CDATA[ソーセージ]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ自動車博物館]]></category>
		<category><![CDATA[自動車専門翻訳家]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="993" height="659" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2.jpg 993w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2-300x199.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2-768x510.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 993px) 100vw, 993px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">コラム　ドイツの食事を楽しむ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>正味6日間のドイツ滞在中、私たちはすばらしい料理を堪能した。ランチは主催者のJALパックツアーがあらかじめ手配してあったので、私たちはただ案内されたレストランのテーブルに着くだけ。ややこしいメニューを読み解く手間は一切なしで、日々異なるドイツ料理が目の前に並んだ。これは一種の贅沢だ。食事は旅の楽しみの大切な一部。ここでは写真を中心に、私たちを幸せにしてくれたごちそうを紹介しよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52400,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2-2.jpg" alt="" class="wp-image-52400"/><figcaption class="wp-element-caption">豚頬（ほほ）肉の赤ワイン煮込み。じっくり煮込んであるのでフォークを刺すだけでホロホロと肉の線維がほどける。コクのあるソースと相まって、とりわけ味わい深い一品だった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツではソーセージをヴルスト（Wurst）と言うのだそう。地域によって特色あるヴルストが作られ、その種類は1500ほどもあるという。ニュルンベルクで味わったこの一皿、付け合わせのザワークラウトとの相性も抜群だった。ちなみにザワークラウトは乳酸菌を使った発酵食品で、ビタミンCやBを多く含む健康食品なのを、今回の旅行で初めて知った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52401,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3-2.jpg" alt="" class="wp-image-52401"/><figcaption class="wp-element-caption">やはりヴルスト（ソーセージ）は美味しかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>巨大な骨付き豚肉にも挑んだ。正式な料理名は聞き漏らしたが、豚のすね肉をアップルワインに漬け込んで焼き上げた料理をシュヴァイネハクセと言うらしく、これもその一種だろうか。カリカリになった分厚い皮に阻まれて「解体」するのに一苦労。鋭いステーキナイフが欲しかったが、周囲の常連客とおぼしき地元の人たちは、刃のなまったナイフでガシガシ切り刻んでいた。とにかく彼らは（彼女たちも）力が強い。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52402,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-52402"/><figcaption class="wp-element-caption">巨大な骨付き豚肉を豪快に食した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>帰国を明日に控えたフランクフルトでは、一同揃って夕食のテーブルを囲んだ。主役はシュニッツエル。豚ロース肉を薄く伸ばして揚げたカツレツだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52403,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5-2.jpg" alt="" class="wp-image-52403"/><figcaption class="wp-element-caption">シュニッツェルはドイツの定番メニュー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>特徴はグリューネゾーゼと呼ばれるグリーンのソース（お皿の左上に添えてある）。ハーブを主体にサワークリームやマスタード、マヨネーズをミックスしたソースというから、超ハイカロリーなこと間違いなし。前半はクリスピーなカツレツとクリーミーなソースの組み合わせが美味しく夢中で食べたが、そのうち醤油が欲しくなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52408,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/スライド1-1024x373.jpg" alt="" class="wp-image-52408"/><figcaption class="wp-element-caption">新鮮な野菜たっぷりのグリーンサラダが毎日出たのも嬉しかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>食後のスイーツも絶品だった。ただ甘いばかりの大味なケーキを想像していたのだが、毎日供される様々なデザートはどれも繊細な味わいで、すでにメインで一杯のはずの胃にも楽々と収まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52409,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/スライド2-1024x378.jpg" alt="" class="wp-image-52409"/><figcaption class="wp-element-caption">スイーツはどれも絶品。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>新鮮な野菜盛りだくさんのサラダ、ドイツを代表するメイン料理、上等なデザート。舌の肥えた参加者一同を満足させるに充分なメニューだった。たぶん今回の旅の案内役Kさんとアレックスの知恵と経験が活きているのだろう。ドイツ料理の魅力を教えてくれた二人に、感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="993" height="659" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2.jpg 993w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2-300x199.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-2-768x510.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 993px) 100vw, 993px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">コラム　ドイツの食事を楽しむ</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>正味6日間のドイツ滞在中、私たちはすばらしい料理を堪能した。ランチは主催者のJALパックツアーがあらかじめ手配してあったので、私たちはただ案内されたレストランのテーブルに着くだけ。ややこしいメニューを読み解く手間は一切なしで、日々異なるドイツ料理が目の前に並んだ。これは一種の贅沢だ。食事は旅の楽しみの大切な一部。ここでは写真を中心に、私たちを幸せにしてくれたごちそうを紹介しよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52400,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2-2.jpg" alt="" class="wp-image-52400"/><figcaption class="wp-element-caption">豚頬（ほほ）肉の赤ワイン煮込み。じっくり煮込んであるのでフォークを刺すだけでホロホロと肉の線維がほどける。コクのあるソースと相まって、とりわけ味わい深い一品だった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツではソーセージをヴルスト（Wurst）と言うのだそう。地域によって特色あるヴルストが作られ、その種類は1500ほどもあるという。ニュルンベルクで味わったこの一皿、付け合わせのザワークラウトとの相性も抜群だった。ちなみにザワークラウトは乳酸菌を使った発酵食品で、ビタミンCやBを多く含む健康食品なのを、今回の旅行で初めて知った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52401,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3-2.jpg" alt="" class="wp-image-52401"/><figcaption class="wp-element-caption">やはりヴルスト（ソーセージ）は美味しかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>巨大な骨付き豚肉にも挑んだ。正式な料理名は聞き漏らしたが、豚のすね肉をアップルワインに漬け込んで焼き上げた料理をシュヴァイネハクセと言うらしく、これもその一種だろうか。カリカリになった分厚い皮に阻まれて「解体」するのに一苦労。鋭いステーキナイフが欲しかったが、周囲の常連客とおぼしき地元の人たちは、刃のなまったナイフでガシガシ切り刻んでいた。とにかく彼らは（彼女たちも）力が強い。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52402,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-52402"/><figcaption class="wp-element-caption">巨大な骨付き豚肉を豪快に食した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>帰国を明日に控えたフランクフルトでは、一同揃って夕食のテーブルを囲んだ。主役はシュニッツエル。豚ロース肉を薄く伸ばして揚げたカツレツだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52403,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5-2.jpg" alt="" class="wp-image-52403"/><figcaption class="wp-element-caption">シュニッツェルはドイツの定番メニュー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>特徴はグリューネゾーゼと呼ばれるグリーンのソース（お皿の左上に添えてある）。ハーブを主体にサワークリームやマスタード、マヨネーズをミックスしたソースというから、超ハイカロリーなこと間違いなし。前半はクリスピーなカツレツとクリーミーなソースの組み合わせが美味しく夢中で食べたが、そのうち醤油が欲しくなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/スライド1-1024x373.jpg" alt="" class="wp-image-52408"/><figcaption class="wp-element-caption">新鮮な野菜たっぷりのグリーンサラダが毎日出たのも嬉しかった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>食後のスイーツも絶品だった。ただ甘いばかりの大味なケーキを想像していたのだが、毎日供される様々なデザートはどれも繊細な味わいで、すでにメインで一杯のはずの胃にも楽々と収まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52409,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/スライド2-1024x378.jpg" alt="" class="wp-image-52409"/><figcaption class="wp-element-caption">スイーツはどれも絶品。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>新鮮な野菜盛りだくさんのサラダ、ドイツを代表するメイン料理、上等なデザート。舌の肥えた参加者一同を満足させるに充分なメニューだった。たぶん今回の旅の案内役Kさんとアレックスの知恵と経験が活きているのだろう。ドイツ料理の魅力を教えてくれた二人に、感謝したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
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			</item>
		<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その9　BMWミュージアム</title>
		<link>https://autobild.jp/52051/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Jun 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[BMW]]></category>
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		<category><![CDATA[自動車専門翻訳家]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="934" height="623" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg 934w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 934px) 100vw, 934px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート1）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「皆さま、途中トイレ休憩を挟みますが、がまん大会ではありませんので、それ以前にご希望があれば遠慮なくおっしゃってくださいね！」バスが出発するや、ツアーコンダクターのKさんが私たちに声を掛けた。　</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ・ミュージアムの見学を終えた私たちはバスに乗り、シュトゥットガルトを後にして一路ミュンヘンに向かっている。今回の旅行のなかでもこの行程は長距離で、南東に約230kmも下る。アウトバーンを使って3時間を要する旅だ。出発してすぐにKさんが私たちに声を掛けたのは、ベテランツアーコンダクターの彼女らしい気遣いだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウトバーンのサービスエリアには大抵トイレが併設されている。ただし使うには1セント払う。最初はコインを準備するのが煩わしかったが、旅の途中から少額でも実費を支払うのは当然だと思うようになった。トイレを清潔に保ち、備品を揃えるには費用がかかる。日本のようにパーキングエリアのトイレが無料なのがむしろ異例だろう。海外旅行は日本を客観的に見るいいチャンスだとこんな場面で実感した次第。余談ついでにもう一つ、「ミュンヘン」の発音について。アレックスもバスドライバーのセバスチャンも、私の耳には「ムュンシェン」と言っているように聞こえた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>19日夕刻ミュンヘンに到着、市内のホテルで荷物を解いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>バイエルン州の州都ミュンヘンはベルリンとハンブルクに次ぐドイツで3番目に大きな都市。ホテルのある界隈はいささか雑然とした印象だ。2月20日木曜日のこの日、午前中はミュンヘンの観光に充てられた。市内を抜けて郊外に出ると、一転して視界が広がる。私たちが訪れたのは、20ヘクタールという広大な庭園内に建つ建造物、ニンフェンブルク宮殿だ。360度空が広がる。空気が清々しい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52053,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/2.jpg" alt="" class="wp-image-52053"/><figcaption class="wp-element-caption">ニンフェンブルク宮殿。かつてはバイエルン選帝侯の夏の居所だった。写真は建物の中心部のみで、ここから左右に翼棟が伸びている。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWミュージアム(BMW Museum)は「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られるBMW本社に隣接したお椀形の建物で、そのすぐ横のレーヘンナウアー・シュトラーセ（Lerchenauer Str.）を渡るとBMW ワールド（BMW Welt）がある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":52054,"mediaLink":"https://autobild.jp/?attachment_id=52054","mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3.jpg" alt="" class="wp-image-52054 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>手前のお椀形の建物がBMWミュージアム。後方の円筒形の建物がBMW本社。その形状から「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られる。<br>Photo: BMW</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ミュージアムを設計したのはカール・シュヴァンツァーという建築家。内部は大小5つの円形フロア（最大半径9.4m、最小4.2m）が層を成し、それぞれを緩い傾斜のらせん回廊が結ぶ。来場者は最上階から順次、下のフロアに降りて展示物を見学するので、構造的にはメルセデスベンツ・ミュージアムに似ている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アレックスはミュージアム正面入り口ではなく、横の入り口へと私たちを導いた。そこでこの日の案内役のスタッフを紹介すると、「普段は入れない場所へと案内します」と言って、敷地内の通路を横切り、大きな建物に連れて行った。ここが古いBMWのメンテナンスを行う「BMWクラシック」の展示場だ。顧客の所有車も所蔵するので、一部撮影禁止の区画もある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私たち一同が建物内部に入ったのを確認すると、係員がすぐさまシャッターを降ろした。見学を終えて出るときも間髪を入れずに降ろして、外部の目から遮断する。いやに物々しい警戒振りだなという気がしたが、この辺りもゲルマン的完璧主義の表れなのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし内部に置かれた様々なBMWは、表舞台のミュージアムに劣らず魅力的だった。まさにアリババの洞窟。一歩進むごとに普段お目にかかれないBMWに出会う。そんなわけで本稿ではBMWクラシックの展示品を中心に、私が特に惹かれたモデルをアトランダムに紹介することにしたい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaPosition":"right","mediaId":52055,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text has-media-on-the-right is-stacked-on-mobile"><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 3/20 PS。製造期間：1932～1934年。直列4気筒782 cc。最高出力：20 hp/4000 rpm。最高速：80 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/4.jpg" alt="" class="wp-image-52055 size-full"/></figure></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW初の4輪モデルBMW 3/15（別名ディキシー）がオースティン7のライセンス生産だったのに対し、3/20は100％社内で設計した最初のBMWだった。製造期間は第二次世界大戦前の1932～1934年まで。エンジンは3/15用を準用したが、ストロークを80mmに伸ばして788ccを得ると同時に、ウオーターポンプとOHVシリンダーヘッドを備えていた（オースティン7は750ccのサイドバルブだった）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この結果、最高出力は20hpへ高まり、課税馬力の3hpと合わせて3/20がモデル名となった。ボディサイズも3/15より大きく、2119mmのホイールベースにより快適なキャビンスペースを実現している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>なお、標準ボディはダイムラー・ベンツのジンデルフィンゲン工場が製作した。3/20は製造期間中AM1（Automobil München の頭文字）、AM2、 AM3、 AM4と年次改良を受けるごとにサブネームが改まっていく。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>3/20は自動車メーカーとしてBMWが独り立ちする節目になったモデルだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":52056,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5.jpg" alt="" class="wp-image-52056 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 501。直列6気筒。4速コラムシフト。全長x全幅x全高: 4730 x 1780 x 1530 mm。トレッド前:1322 mm。同後: 1408 mm。ホイールベース: 2835 mm。空車重量: 1340 kg。最高速: 135 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 501。写真のプレートナンバー「M FV9501 H」は1956年2月10日に登録された。持ち主の名義は個人だった。その後ルーフに回転灯が取り付けられ、「POLIZEI」の文字が入ったが、ミュンヘン警察が当該の「M FV9501 H」をパトロールカーに採用した事実はない。一説によると、当時人気のあったテレビドラマシリーズに感化されて、オーナーがこうした改造を施したという。50年代といえば今から70年も前のこと、おっとりした時代だったのだろう。いずれにしてもこの「M FV9501 H」、珍しい経歴の持ち主である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナンバープレートに話が及んだついでに言うと、ミュンヘンやシュトゥットガルトなどの大都市では、ナンバープレートはその都市名の頭文字で始まるのだそう。私たちはそのことをアレックスから教わった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1951年のフランクフルトモーターショーでデビューした501は、BMWが放った第二次世界大戦（1939～1945年）後初のモデルだった。戦後型BMW の開発は早くも1948年に始まっており、当初は全く異なる2つのモデルが平行して進められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1つは社内開発ナンバー331と呼ばれたモダンなスモールカーで、実にピニンファリーナがデザインを担当したという。もう1つは戦前の326をベースにした豪華モデルで、結局、BMW首脳陣は後者の豪華モデルを採択、これが生産型の501になった。歴史に「if」はあり得ないが、もし前者のスモールカーを選んでいたらBMWの戦後は大きく変わっていたかもしれない……。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501用のM337型6気筒エンジンは生産期間中、数度の変更を受けており、初期の64 hpから72 hpにパワーアップしている。排気量も最初の1971ccから最終的に2077 ccに増え、1954年からは 100 hpの2.6リッターV8が搭載されるようになった。このV8は1954年デビューの502にも搭載される。502は501と同じ外観で、内装を豪華に設えた派生型だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501も502もハードウェアとしての出来は悪くなかったが、商業的には成功作とは言えず、これが戦後BMWの屋台骨を揺るがすことになる。詳しくは追って述べよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52057,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6.jpg" alt="" class="wp-image-52057"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 507。製造期間: 1956～1959年。全長x全幅x全高: 4385 x 1650 x 1257 mm。ホイールベース：2480 mm。空車重量: 1330 kg。エンジン：バンク角90度のプッシュロッドOHV 3168 cc。最高出力: 150hp/5000rpm 最大トルク: 24mkg/4000rpm。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシック展示品のなかで断トツに目を引いたのが、この鮮やかなレッドに塗色された2座席ロードスターの507だった。製造期間が1950年代後半なこと、おもな市場が北米なこと、外寸が似通っていたことなど、507は同じ2座席オープンであるメルセデスベンツ190SLの恰好のライバルになると思われた（190SLの製造期間は1955～1963年。全長：4290 mm。ホイールベース；2400 mm）。しかし高価な販売価格ゆえに507は失敗作の烙印を押され、企業としてのBMWを窮地に陥れる引き金になる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデスベンツ190SLがあの300SLのデザインを踏襲した理詰めの外観なのに対し、アルブレヒト・フォン・ゲルツ(初代日産シルビアのデザインに関与したと言われる)のペンから生まれた507は流麗で洒脱、軽快なリズム感に溢れている。フォン・ゲルツを507のデザイナーに起用するよう提案したのは、アメリカの有力なインポーター、マックス・ホフマンだった。ホフマンはこの507に5000ドル程度の価格を付けて、総計5000台を売りさばこうと目論んだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし507はホフマンの思惑とは裏腹に、極めて高価にならざるを得なかった。アルミ製ボディをフォン・ゲルツのデザインに忠実に仕上げるには、腕のいい職人がハンマーで叩いて成形するしかなく手間が掛かったのだ。一説には完全に同じ形状の507は2台となかったと言われる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>生産コストが嵩んだゆえ、ドイツ国内の価格は2万6500 ドイツマルクとなり、間もなく2万9950ドイツマルクに上がった。北米の販売価格も当初から9000ドルと安くなかったが、最終的には1万500 ドルになった。一方、仮想ライバルの190SLは1万6500ドイツマルク、価格面でも市場競争力は一枚上手だった。結局、507の生産台数は252台に留まり、その大半が裕福な好事家のガレージに納まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>507は1台製造するたびに損失を出した。しかしこの時、BMW首脳陣はもっと深刻な問題を抱えていた。1951年の501を皮切りに、その豪華版の502、さらにはスポーツモデルの503、507と放ってきた同社だが、いずれも思ったような利益を会社にもたらさないのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>どのモデルも同社の技術をフルに活かした力作なのに、戦前のようなヒットとはならなかった。年を追うごとに利益は減っていく。首脳陣は頭を抱えた。「なにか手を打たなければ」とは思うものの、わずか数年後に会社が倒産の瀬戸際に立たされるとまで予想した者はいなかった。しかし実のところ、BMWには抜き差しならない運命が急迫していたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="934" height="623" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1.jpg 934w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 934px) 100vw, 934px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">4日目 2月20日（パート1）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「皆さま、途中トイレ休憩を挟みますが、がまん大会ではありませんので、それ以前にご希望があれば遠慮なくおっしゃってくださいね！」バスが出発するや、ツアーコンダクターのKさんが私たちに声を掛けた。　</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ・ミュージアムの見学を終えた私たちはバスに乗り、シュトゥットガルトを後にして一路ミュンヘンに向かっている。今回の旅行のなかでもこの行程は長距離で、南東に約230kmも下る。アウトバーンを使って3時間を要する旅だ。出発してすぐにKさんが私たちに声を掛けたのは、ベテランツアーコンダクターの彼女らしい気遣いだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>アウトバーンのサービスエリアには大抵トイレが併設されている。ただし使うには1セント払う。最初はコインを準備するのが煩わしかったが、旅の途中から少額でも実費を支払うのは当然だと思うようになった。トイレを清潔に保ち、備品を揃えるには費用がかかる。日本のようにパーキングエリアのトイレが無料なのがむしろ異例だろう。海外旅行は日本を客観的に見るいいチャンスだとこんな場面で実感した次第。余談ついでにもう一つ、「ミュンヘン」の発音について。アレックスもバスドライバーのセバスチャンも、私の耳には「ムュンシェン」と言っているように聞こえた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>19日夕刻ミュンヘンに到着、市内のホテルで荷物を解いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>バイエルン州の州都ミュンヘンはベルリンとハンブルクに次ぐドイツで3番目に大きな都市。ホテルのある界隈はいささか雑然とした印象だ。2月20日木曜日のこの日、午前中はミュンヘンの観光に充てられた。市内を抜けて郊外に出ると、一転して視界が広がる。私たちが訪れたのは、20ヘクタールという広大な庭園内に建つ建造物、ニンフェンブルク宮殿だ。360度空が広がる。空気が清々しい。</p>
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<p>BMWミュージアム(BMW Museum)は「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られるBMW本社に隣接したお椀形の建物で、そのすぐ横のレーヘンナウアー・シュトラーセ（Lerchenauer Str.）を渡るとBMW ワールド（BMW Welt）がある。</p>
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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/3.jpg" alt="" class="wp-image-52054 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>手前のお椀形の建物がBMWミュージアム。後方の円筒形の建物がBMW本社。その形状から「フィーア・ツイリンダー」（4気筒）の別名で知られる。<br>Photo: BMW</p>
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<p>ミュージアムを設計したのはカール・シュヴァンツァーという建築家。内部は大小5つの円形フロア（最大半径9.4m、最小4.2m）が層を成し、それぞれを緩い傾斜のらせん回廊が結ぶ。来場者は最上階から順次、下のフロアに降りて展示物を見学するので、構造的にはメルセデスベンツ・ミュージアムに似ている。</p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>アレックスはミュージアム正面入り口ではなく、横の入り口へと私たちを導いた。そこでこの日の案内役のスタッフを紹介すると、「普段は入れない場所へと案内します」と言って、敷地内の通路を横切り、大きな建物に連れて行った。ここが古いBMWのメンテナンスを行う「BMWクラシック」の展示場だ。顧客の所有車も所蔵するので、一部撮影禁止の区画もある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>私たち一同が建物内部に入ったのを確認すると、係員がすぐさまシャッターを降ろした。見学を終えて出るときも間髪を入れずに降ろして、外部の目から遮断する。いやに物々しい警戒振りだなという気がしたが、この辺りもゲルマン的完璧主義の表れなのだろう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし内部に置かれた様々なBMWは、表舞台のミュージアムに劣らず魅力的だった。まさにアリババの洞窟。一歩進むごとに普段お目にかかれないBMWに出会う。そんなわけで本稿ではBMWクラシックの展示品を中心に、私が特に惹かれたモデルをアトランダムに紹介することにしたい。</p>
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<div class="wp-block-media-text has-media-on-the-right is-stacked-on-mobile"><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 3/20 PS。製造期間：1932～1934年。直列4気筒782 cc。最高出力：20 hp/4000 rpm。最高速：80 km/h。</p>
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<p>BMW初の4輪モデルBMW 3/15（別名ディキシー）がオースティン7のライセンス生産だったのに対し、3/20は100％社内で設計した最初のBMWだった。製造期間は第二次世界大戦前の1932～1934年まで。エンジンは3/15用を準用したが、ストロークを80mmに伸ばして788ccを得ると同時に、ウオーターポンプとOHVシリンダーヘッドを備えていた（オースティン7は750ccのサイドバルブだった）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この結果、最高出力は20hpへ高まり、課税馬力の3hpと合わせて3/20がモデル名となった。ボディサイズも3/15より大きく、2119mmのホイールベースにより快適なキャビンスペースを実現している。</p>
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<p>なお、標準ボディはダイムラー・ベンツのジンデルフィンゲン工場が製作した。3/20は製造期間中AM1（Automobil München の頭文字）、AM2、 AM3、 AM4と年次改良を受けるごとにサブネームが改まっていく。</p>
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<p>3/20は自動車メーカーとしてBMWが独り立ちする節目になったモデルだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":52056,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/5.jpg" alt="" class="wp-image-52056 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>BMW 501。直列6気筒。4速コラムシフト。全長x全幅x全高: 4730 x 1780 x 1530 mm。トレッド前:1322 mm。同後: 1408 mm。ホイールベース: 2835 mm。空車重量: 1340 kg。最高速: 135 km/h。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMW 501。写真のプレートナンバー「M FV9501 H」は1956年2月10日に登録された。持ち主の名義は個人だった。その後ルーフに回転灯が取り付けられ、「POLIZEI」の文字が入ったが、ミュンヘン警察が当該の「M FV9501 H」をパトロールカーに採用した事実はない。一説によると、当時人気のあったテレビドラマシリーズに感化されて、オーナーがこうした改造を施したという。50年代といえば今から70年も前のこと、おっとりした時代だったのだろう。いずれにしてもこの「M FV9501 H」、珍しい経歴の持ち主である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ナンバープレートに話が及んだついでに言うと、ミュンヘンやシュトゥットガルトなどの大都市では、ナンバープレートはその都市名の頭文字で始まるのだそう。私たちはそのことをアレックスから教わった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1951年のフランクフルトモーターショーでデビューした501は、BMWが放った第二次世界大戦（1939～1945年）後初のモデルだった。戦後型BMW の開発は早くも1948年に始まっており、当初は全く異なる2つのモデルが平行して進められた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1つは社内開発ナンバー331と呼ばれたモダンなスモールカーで、実にピニンファリーナがデザインを担当したという。もう1つは戦前の326をベースにした豪華モデルで、結局、BMW首脳陣は後者の豪華モデルを採択、これが生産型の501になった。歴史に「if」はあり得ないが、もし前者のスモールカーを選んでいたらBMWの戦後は大きく変わっていたかもしれない……。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501用のM337型6気筒エンジンは生産期間中、数度の変更を受けており、初期の64 hpから72 hpにパワーアップしている。排気量も最初の1971ccから最終的に2077 ccに増え、1954年からは 100 hpの2.6リッターV8が搭載されるようになった。このV8は1954年デビューの502にも搭載される。502は501と同じ外観で、内装を豪華に設えた派生型だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>501も502もハードウェアとしての出来は悪くなかったが、商業的には成功作とは言えず、これが戦後BMWの屋台骨を揺るがすことになる。詳しくは追って述べよう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52057,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/6.jpg" alt="" class="wp-image-52057"/><figcaption class="wp-element-caption">BMW 507。製造期間: 1956～1959年。全長x全幅x全高: 4385 x 1650 x 1257 mm。ホイールベース：2480 mm。空車重量: 1330 kg。エンジン：バンク角90度のプッシュロッドOHV 3168 cc。最高出力: 150hp/5000rpm 最大トルク: 24mkg/4000rpm。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>BMWクラシック展示品のなかで断トツに目を引いたのが、この鮮やかなレッドに塗色された2座席ロードスターの507だった。製造期間が1950年代後半なこと、おもな市場が北米なこと、外寸が似通っていたことなど、507は同じ2座席オープンであるメルセデスベンツ190SLの恰好のライバルになると思われた（190SLの製造期間は1955～1963年。全長：4290 mm。ホイールベース；2400 mm）。しかし高価な販売価格ゆえに507は失敗作の烙印を押され、企業としてのBMWを窮地に陥れる引き金になる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>メルセデスベンツ190SLがあの300SLのデザインを踏襲した理詰めの外観なのに対し、アルブレヒト・フォン・ゲルツ(初代日産シルビアのデザインに関与したと言われる)のペンから生まれた507は流麗で洒脱、軽快なリズム感に溢れている。フォン・ゲルツを507のデザイナーに起用するよう提案したのは、アメリカの有力なインポーター、マックス・ホフマンだった。ホフマンはこの507に5000ドル程度の価格を付けて、総計5000台を売りさばこうと目論んだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし507はホフマンの思惑とは裏腹に、極めて高価にならざるを得なかった。アルミ製ボディをフォン・ゲルツのデザインに忠実に仕上げるには、腕のいい職人がハンマーで叩いて成形するしかなく手間が掛かったのだ。一説には完全に同じ形状の507は2台となかったと言われる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>生産コストが嵩んだゆえ、ドイツ国内の価格は2万6500 ドイツマルクとなり、間もなく2万9950ドイツマルクに上がった。北米の販売価格も当初から9000ドルと安くなかったが、最終的には1万500 ドルになった。一方、仮想ライバルの190SLは1万6500ドイツマルク、価格面でも市場競争力は一枚上手だった。結局、507の生産台数は252台に留まり、その大半が裕福な好事家のガレージに納まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>507は1台製造するたびに損失を出した。しかしこの時、BMW首脳陣はもっと深刻な問題を抱えていた。1951年の501を皮切りに、その豪華版の502、さらにはスポーツモデルの503、507と放ってきた同社だが、いずれも思ったような利益を会社にもたらさないのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>どのモデルも同社の技術をフルに活かした力作なのに、戦前のようなヒットとはならなかった。年を追うごとに利益は減っていく。首脳陣は頭を抱えた。「なにか手を打たなければ」とは思うものの、わずか数年後に会社が倒産の瀬戸際に立たされるとまで予想した者はいなかった。しかし実のところ、BMWには抜き差しならない運命が急迫していたのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その6　ポルシェ917Kだ！</title>
		<link>https://autobild.jp/51357/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 09 May 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ自動車博物館]]></category>
		<category><![CDATA[相原俊樹]]></category>
		<category><![CDATA[自動車専門翻訳家]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://autobild.jp/?p=51357</guid>

					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1186" height="889" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1.jpg 1186w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1186px) 100vw, 1186px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">3日目 2月19日（パート2）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ356の第1号車を目の当たりにして、興奮冷めやらぬまま次に目に入ったのが1971年のルマン24時間レースに優勝したポルシェ917K。白の基調にマルティニ・ストライプが入った鮮やかなカラーリングに目を奪われ、思わずシャッターを切った。そして1971年のルマンに想いを馳せる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「もう大丈夫だ」レースが始まって18時間目、ポルシェ陣営は初めて安堵の胸をなで下ろした。ヘルムート・マルコとフィース・ファン・レネップのドライビングクルーに残された仕事は、ポルシェ917Kカーナンバー22を1971年ルマン24時間レースの優勝へと導くことだけだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前年の1970年、悲願のルマン初優勝を遂げたポルシェは、翌71年のサルトサーキットに背水の陣で臨んだ。目指すのはただ一つ、ルマン2連勝だ。ポルシェは2つの有力チーム、JW（ジョン・ワイア）オートモーティブ・エンジニアリング（以下、JWチームと記す）とマルティニ・レーシング（以下、マルティニと記す）にマシンを委ねた。マシンとドライバーの陣容は以下の通り。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>JWチーム：ロドリゲス/オリヴァー組とシフェール/ベル組が917LH。アトウッド/ミュラー組が917K。<br>マルティニ：エルフォード/ラルース組が917LH。マルコ/ファン・レネップ組とカウーゼン/ヨースト組が917K。ちなみに917LHはLangheckの頭文字で、ロングテールの意、917KはKurzheckで、ショートテール版だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここでレーシングチームのマルティニについて触れておこう。皆さんもドラッグストアでこのブランドのスパークリングワインを見たことがあるかもしれない。マルティニ＆ロッシはイタリアの有名な酒造会社だ。1970年、ポルシェに念願のルマン初優勝をもたらしたポルシェ・ザルツブルク・チームがシーズン終了をもって解散した。これを受けてマルティニ＆ロッシが、マシンとエクイプメント一式を買い取って立ち上げたのがマルティニ・レーシング。ルマンの勝ち方を知り抜いた筋金入りのレース集団だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":51359,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-51359"/><figcaption class="wp-element-caption">マルティニから出走した917LH。カメラ位置の引きが足りずに前後が欠けてしまったが、テールが長く裾を引いているのがお分かりと思う。エルフォードとラルースの名手が組んだが、13日未明、エンジンが壊れてレースから脱落した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>次に917の概略について。エンジンはバンク角180°のV12。4494ccの排気量から580hpを生み出した。71年のルマンにはシリコンライナーを用いた4999ccユニット（630hp）も完成していたが、信頼性を重視して4.5リッター版を使った。組み合わされるトランスミッションは5速。1速は発進専用で、サルテテーキットの場合、もっともスピードを落とす低速コーナーも2速の守備範囲に入る。シャシーはアルミ製中空パイプを組んだスペースフレーム。71年にマルティニから出場した917Kのみマグネシウム製だったとする文献もある。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>最大のライバルと目されたフェラーリは翌72年にレギュレーションが変わるため、新型マシンの開発に注力するとの理由からワークスの出場を取りやめていた。唯一、ポルシェ917勢に対抗しうると思われたのは、ロジャー・ペンスキー・チームから出場する512M（ダナヒュー/ホッブス組）だけ。あとはもう1台の512Mにシチリアの英雄ニーノ・ヴァッカレラがフンカデッラというドライバーと組んで乗るのが話題になった程度。だから開始前、今年のルマンはポルシェ楽勝との見方があった。しかしレースに楽観は禁物。ひとたび幕が上がるや、予想とまったく異なる展開を見せることになる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":51360,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/3-1.jpg" alt="" class="wp-image-51360"/><figcaption class="wp-element-caption">917Kの透視図。ホイールベースは6 気筒や8気筒時代のポルシェ・レーシングカーの伝統を守る2300mm。そこに12気筒を搭載したので、コクピットはかなり前方に押し出されている。71年のルマンに出場した917Kでは、この図とは異なり左右1枚ずつのテールフィンが垂直に立っていた。（写真はHaynes社刊Porsche 917 Owners’ Workshop Manualのページを撮影しました）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>予選のトップは3分13秒9を出したロドリゲス。2位にエルフォードが続き、917HLの駿足振りを早くも示した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>6月12日午後4時。ルマン史上初めてローリングスタートでレースは始まった。ペースカーが先導する周回が終了、49台のマシンが轟音とともに全力走行モードに突入する。先頭ロドリゲス、次いでラルース、シフェールと917勢が上位3位を占める。この3人に次いでヴァッカレラ駆るフェラーリ512Mが健闘よく4位に、ダナヒューが5位でオープニングラップを終えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>夕刻8時15分。ダナヒュー/ホッブス組の512Mがピストンのトラブルで早々にリタイア。ポルシェ勢に唯一伍して走れると期待されたフェラーリの切り札が脱落して、予想通りレースはポルシェ優勢のまま進むかと思われた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>12日午後10時の順位は、1位ロドリゲス/オリヴァー組、2位シフェール/ベル組、3位アトウッド/ミュラー組で、JWチームの917勢が上位を占めた。しかし彼らもトラブルフリーとはいかず、シフェールがブレーキ不調を訴えてピットイン。修理に70分を要してトップグループから脱落する。翌日未明、午前1時、74周を終えたところでエルフォード/ラルース組の917LHがエンジンを壊して脱落。午前3時。今度はトップのオリヴァーがダンパートラブルでピットに入る。18分後、ロドリゲスに交代してコースに戻るが4位に落ちていた。さらにアトウッド/ミュラー組の917Kがトランスミッションを壊してリタイア、ポルシェ勢は戦力を削がれる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":51361,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-51361"/><figcaption class="wp-element-caption">ファクトリーサポートの6台にプライベートエントリーの1台を加えて計7台が出走したポルシェ917。そのなかで唯一、トラブルで足を引っ張られることなく24時間を走り切ったのがマルコ/ファン・レネップ組の917Ｋだった。（写真はCar Graphic誌1971年8月号のページを撮影しました）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この結果、レースの中間点でヴァッカレラ/フンカデッラ組の512Mが先頭に立ち、イタリア中が湧き上がる。この時点でヨースト/カウーゼン組の917Kはアルナージュでコースアウトしていた。今や無傷の917はマルコ/ファン・レネップ組の1台だけだ。しかしメカニカルトラブルに泣いたのはポルシェだけではなかった。13日午前4時、イタリアの期待を一身に担って先頭を走っていた512Mのクラッチが破損、マラネロの夢は潰えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>13日午前、JWチームのマシンにさらなる不運が襲う。ミュルザンヌを疾走中、ロドリゲスのマシンのオイルパイプが破損、なんとかピットに戻るもそのままリタイア。シフェールのマシンもクランクケースにクラックが入り、レースから離脱した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>18時間目、首位に浮上していたのはマルコ/ファン・レネップ組が駆る917Kだった。マルティニカラーを纏ったカーナンバー22である。2位にJWチームのアトウッド/ミュラー組の917Kが続く。ポルシェが狙うのは1-2フィニッシュ。先頭2台にスローダウンして、ポジションを守れとの指示が飛んだ。長かったレースも残りわずかになったとき、2位のミュラーがチームオーダーを無視してペースを上げる一幕もあったが、結局このままの順位でフィニッシュを迎えた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":51362,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/5-1-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-51362 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>写真上左：スクーデリア・フィリピネッティからエントリーしたフェラーリ512M。上右：マルティニ・レーシングからエントリーしたカーナンバー21の917LH。74周をこなしたところでエンジントラブルによりリタイア。下：ウイニングランを走る優勝車ポルシェ917K。<br>（写真はCar Graphic誌1971年8月号のページを撮影しました）</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ917はルマン2連勝を遂げた。しかもマルコ/ファン・レネップ組が打ち立てた総走行距離5335.313km、平均速度222.304km/hは、1967年のフォードによる記録を破る新記録だった。1971年シーズンの終了をもってポルシェ917はヨーロッパからアメリカへと活躍の舞台を移す。この年のルマンは917にとってまさに有終の美を飾るレースであり、その主人公が本稿で取り上げたカーナンバー22なのである。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1186" height="889" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1.jpg 1186w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-1024x768.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/1-1-768x576.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1186px) 100vw, 1186px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">3日目 2月19日（パート2）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ポルシェ356の第1号車を目の当たりにして、興奮冷めやらぬまま次に目に入ったのが1971年のルマン24時間レースに優勝したポルシェ917K。白の基調にマルティニ・ストライプが入った鮮やかなカラーリングに目を奪われ、思わずシャッターを切った。そして1971年のルマンに想いを馳せる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「もう大丈夫だ」レースが始まって18時間目、ポルシェ陣営は初めて安堵の胸をなで下ろした。ヘルムート・マルコとフィース・ファン・レネップのドライビングクルーに残された仕事は、ポルシェ917Kカーナンバー22を1971年ルマン24時間レースの優勝へと導くことだけだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前年の1970年、悲願のルマン初優勝を遂げたポルシェは、翌71年のサルトサーキットに背水の陣で臨んだ。目指すのはただ一つ、ルマン2連勝だ。ポルシェは2つの有力チーム、JW（ジョン・ワイア）オートモーティブ・エンジニアリング（以下、JWチームと記す）とマルティニ・レーシング（以下、マルティニと記す）にマシンを委ねた。マシンとドライバーの陣容は以下の通り。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>JWチーム：ロドリゲス/オリヴァー組とシフェール/ベル組が917LH。アトウッド/ミュラー組が917K。<br>マルティニ：エルフォード/ラルース組が917LH。マルコ/ファン・レネップ組とカウーゼン/ヨースト組が917K。ちなみに917LHはLangheckの頭文字で、ロングテールの意、917KはKurzheckで、ショートテール版だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ここでレーシングチームのマルティニについて触れておこう。皆さんもドラッグストアでこのブランドのスパークリングワインを見たことがあるかもしれない。マルティニ＆ロッシはイタリアの有名な酒造会社だ。1970年、ポルシェに念願のルマン初優勝をもたらしたポルシェ・ザルツブルク・チームがシーズン終了をもって解散した。これを受けてマルティニ＆ロッシが、マシンとエクイプメント一式を買い取って立ち上げたのがマルティニ・レーシング。ルマンの勝ち方を知り抜いた筋金入りのレース集団だ。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-51359"/><figcaption class="wp-element-caption">マルティニから出走した917LH。カメラ位置の引きが足りずに前後が欠けてしまったが、テールが長く裾を引いているのがお分かりと思う。エルフォードとラルースの名手が組んだが、13日未明、エンジンが壊れてレースから脱落した。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>次に917の概略について。エンジンはバンク角180°のV12。4494ccの排気量から580hpを生み出した。71年のルマンにはシリコンライナーを用いた4999ccユニット（630hp）も完成していたが、信頼性を重視して4.5リッター版を使った。組み合わされるトランスミッションは5速。1速は発進専用で、サルテテーキットの場合、もっともスピードを落とす低速コーナーも2速の守備範囲に入る。シャシーはアルミ製中空パイプを組んだスペースフレーム。71年にマルティニから出場した917Kのみマグネシウム製だったとする文献もある。</p>
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<p>最大のライバルと目されたフェラーリは翌72年にレギュレーションが変わるため、新型マシンの開発に注力するとの理由からワークスの出場を取りやめていた。唯一、ポルシェ917勢に対抗しうると思われたのは、ロジャー・ペンスキー・チームから出場する512M（ダナヒュー/ホッブス組）だけ。あとはもう1台の512Mにシチリアの英雄ニーノ・ヴァッカレラがフンカデッラというドライバーと組んで乗るのが話題になった程度。だから開始前、今年のルマンはポルシェ楽勝との見方があった。しかしレースに楽観は禁物。ひとたび幕が上がるや、予想とまったく異なる展開を見せることになる。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/3-1.jpg" alt="" class="wp-image-51360"/><figcaption class="wp-element-caption">917Kの透視図。ホイールベースは6 気筒や8気筒時代のポルシェ・レーシングカーの伝統を守る2300mm。そこに12気筒を搭載したので、コクピットはかなり前方に押し出されている。71年のルマンに出場した917Kでは、この図とは異なり左右1枚ずつのテールフィンが垂直に立っていた。（写真はHaynes社刊Porsche 917 Owners’ Workshop Manualのページを撮影しました）</figcaption></figure>
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<p>予選のトップは3分13秒9を出したロドリゲス。2位にエルフォードが続き、917HLの駿足振りを早くも示した。</p>
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<p>6月12日午後4時。ルマン史上初めてローリングスタートでレースは始まった。ペースカーが先導する周回が終了、49台のマシンが轟音とともに全力走行モードに突入する。先頭ロドリゲス、次いでラルース、シフェールと917勢が上位3位を占める。この3人に次いでヴァッカレラ駆るフェラーリ512Mが健闘よく4位に、ダナヒューが5位でオープニングラップを終えた。</p>
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<p>夕刻8時15分。ダナヒュー/ホッブス組の512Mがピストンのトラブルで早々にリタイア。ポルシェ勢に唯一伍して走れると期待されたフェラーリの切り札が脱落して、予想通りレースはポルシェ優勢のまま進むかと思われた。</p>
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<p>12日午後10時の順位は、1位ロドリゲス/オリヴァー組、2位シフェール/ベル組、3位アトウッド/ミュラー組で、JWチームの917勢が上位を占めた。しかし彼らもトラブルフリーとはいかず、シフェールがブレーキ不調を訴えてピットイン。修理に70分を要してトップグループから脱落する。翌日未明、午前1時、74周を終えたところでエルフォード/ラルース組の917LHがエンジンを壊して脱落。午前3時。今度はトップのオリヴァーがダンパートラブルでピットに入る。18分後、ロドリゲスに交代してコースに戻るが4位に落ちていた。さらにアトウッド/ミュラー組の917Kがトランスミッションを壊してリタイア、ポルシェ勢は戦力を削がれる。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/4-2.jpg" alt="" class="wp-image-51361"/><figcaption class="wp-element-caption">ファクトリーサポートの6台にプライベートエントリーの1台を加えて計7台が出走したポルシェ917。そのなかで唯一、トラブルで足を引っ張られることなく24時間を走り切ったのがマルコ/ファン・レネップ組の917Ｋだった。（写真はCar Graphic誌1971年8月号のページを撮影しました）</figcaption></figure>
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<p>この結果、レースの中間点でヴァッカレラ/フンカデッラ組の512Mが先頭に立ち、イタリア中が湧き上がる。この時点でヨースト/カウーゼン組の917Kはアルナージュでコースアウトしていた。今や無傷の917はマルコ/ファン・レネップ組の1台だけだ。しかしメカニカルトラブルに泣いたのはポルシェだけではなかった。13日午前4時、イタリアの期待を一身に担って先頭を走っていた512Mのクラッチが破損、マラネロの夢は潰えた。</p>
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<p>13日午前、JWチームのマシンにさらなる不運が襲う。ミュルザンヌを疾走中、ロドリゲスのマシンのオイルパイプが破損、なんとかピットに戻るもそのままリタイア。シフェールのマシンもクランクケースにクラックが入り、レースから離脱した。</p>
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<p>18時間目、首位に浮上していたのはマルコ/ファン・レネップ組が駆る917Kだった。マルティニカラーを纏ったカーナンバー22である。2位にJWチームのアトウッド/ミュラー組の917Kが続く。ポルシェが狙うのは1-2フィニッシュ。先頭2台にスローダウンして、ポジションを守れとの指示が飛んだ。長かったレースも残りわずかになったとき、2位のミュラーがチームオーダーを無視してペースを上げる一幕もあったが、結局このままの順位でフィニッシュを迎えた。</p>
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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/05/5-1-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-51362 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>写真上左：スクーデリア・フィリピネッティからエントリーしたフェラーリ512M。上右：マルティニ・レーシングからエントリーしたカーナンバー21の917LH。74周をこなしたところでエンジントラブルによりリタイア。下：ウイニングランを走る優勝車ポルシェ917K。<br>（写真はCar Graphic誌1971年8月号のページを撮影しました）</p>
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<p>ポルシェ917はルマン2連勝を遂げた。しかもマルコ/ファン・レネップ組が打ち立てた総走行距離5335.313km、平均速度222.304km/hは、1967年のフォードによる記録を破る新記録だった。1971年シーズンの終了をもってポルシェ917はヨーロッパからアメリカへと活躍の舞台を移す。この年のルマンは917にとってまさに有終の美を飾るレースであり、その主人公が本稿で取り上げたカーナンバー22なのである。</p>
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<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
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<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
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