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	<title>トラバント - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>トラバント - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>【素敵な文化遺産】独特のキャンプ文化は生き続ける　クラシックカーとともにレトロなキャンプを楽しみ続ける旧東ドイツの人々</title>
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		<dc:creator><![CDATA[boku6nao@gmail.com]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[キャンピングカー]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[Campi]]></category>
		<category><![CDATA[Camptourist CT 6-1]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1010" height="568" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image1-54.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image1-54.jpg 1010w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image1-54-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image1-54-768x432.jpg 768w" sizes="(max-width: 1010px) 100vw, 1010px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ドライブ文化：ドイツ民主共和国（旧東ドイツ）のキャンプ。東西ドイツ統一前のキャンプ。ドイツ民主共和国の国民にとって、旅行は常に制限と結びついていた。それでも毎年何百万人もの人々が休暇を過ごしていた。最も人気のある目的地はキャンプ場だった。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>エヴィとシギ ヴァイス夫妻は、キャンプ場の牧歌を完成させた。エッグカップも、携帯ラジオも、ナルヴァの妖精のライトも。エヴィ ヴァイスは「日よけは自分で作る必要があった。だから自分で縫ったんだ」。手に入らないものは自分で作った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1950年代初頭、ドイツ民主共和国国民の間で、都市を離れ、自然を体験し、戦後の灰色な日常生活から解放されたいという欲求が高まっていた。しかし、自動車を購入できる人はごくわずかで、キャラバンの製造などはまだ問題外だった。観光インフラも貧弱だった。ホテルやゲストハウスはあったが、若者や家族連れをターゲットにしたものではなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">広い空の下で過ごす時間</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そのため、休暇を求める人は皆、二輪車と荷物の中のテントに頼っていた。ドイツ民主共和国の若者は自転車で、家族連れはスクーターで旅行するのが普通だった。彼らの目的地は荒野であり、せいぜいバルト海か湖畔だった。公的なキャンプ場が台頭したのは60年代に入ってからである。「IWL SR59ベルリン」は、スクーターの中では贅沢品と見なされていた。VEB Industriewerk Ludwigsfeldeというメーカーは、1950年代の終わりに「バイク愛好家の多くはキャンピングカーに憧れている！」という適切な結論に達した。そこで彼らは、テントやキャンプ用品用の一輪車トレーラー"Campi"から、フットウェル用のチャイルドシート、喫煙者用の"味のある灰皿"まで、「ベルリン スクーター」用のあらゆるアクセサリーをデザインした。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この頃、ドイツ民主共和国の指導部は、徐々に発展しつつあったキャンプ文化をまだ疑いの目で見ており、あまりに個人主義的で、それゆえ反社会主義的だとして退けていた。しかし、1956年には早くも、当初はためらいがちに、国営キャンプの推進を始めた。休日のインフラストラクチャーの拡大は、ドイツ民主共和国の基本的権利に発展し、「労働の再生産」に貢献することを意図していた。当初、この戦略は既存の観光事業の社会化によって特徴づけられた。しかし、民意は抑えることができず、キャンプが「社会主義的レクリエーションシステム」の中心となった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52820,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image2-49.jpg" alt="" class="wp-image-52820"/><figcaption class="wp-element-caption">年に2回、ハルツ山地で開催されるビルンバウムタイヒは、QekやIntercampなどのファンのメッカだ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかしある時期から、自転車やスクーターでのキャンプは、ドイツ民主共和国の国民でさえ満足させることができなくなった。より広く、より快適な新しいコンセプトが必要だった。最も明白な解決策は、キャラバンだった。マックス ヴュルディッヒ（Max Würdig）は、ドイツ民主共和国でいち早く、1955年からキャンピングトレーラー「ヴュルディッヒ301（Würdig 301）」を少量生産した。彼は1936年にすでに基本設計を開発していたが、戦前には単体販売しかしていなかった。「ヴュルディッヒ301」のトレードマークはその特異な形状で、「デューベンの卵」と呼ばれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「ヴュルディッヒ301」のわずか300kgという車重の軽さは、大きなアドバンテージとなった。つまり、トラバントのドライバーでも601の後ろに牽引することができたのだ。1960年代のドイツ民主共和国のフォルクスワーゲンには、トレーラーの積載量が少なかったため、キャンピングカーの選択肢はほとんどなかった。そのため、トラバントオーナーだったとしても、長い間キャラバンを探すか折りたたみ式テントトレーラーを自作するしかなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2輪のテントというアイデアは、1959年にドイツ民主共和国でカンピフィックスによって凱旋行進を始めた。VEB Fahrzeugwerke Olbernhau社は、小型・軽量でありながらスペースと快適性を提供することを目的に、このトレーラーを開発した。後継のクラップフィックスやカンプツーリストとともに、カンピフィックスはベストセラーとなり、東ドイツのキャンプ文化のシンボルとなった。バルト海とオレ山脈の間のキャンプ場では、この折りたたみ式テントトレーラーなしでは過ごせなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">フック付きの家</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トーマス マイヤーは現在も「Camptourist CT 6-1」を所有している。トレーラーには多少の錆があり、テントのキャンバスはもはや完全防水ではないが、折りたたみテントは完璧に機能する。マイヤーは、重さ約300キロ、3.4平方メートル弱のトレーラーから15平方メートルの居住空間を作り出すことができる。オーニングエリアでは、「Camptourist」の端が収納スペースと簡易キッチンになっている。トレーラーエリアの左側と右側には、大家族でも十分なスペースを確保できる折りたたみ式と高床式の就寝スペースがあり、夏の草原から完璧に保護されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1979年からは、トラビ（トラバント）のカップリングにテントを取り付ける代わりに、トラビのルーフにテントを取り付けることもできるようになった。ゲルハルト ミュラーは、アクセスしにくいキャラバンの代替案としてこのデザインを開発した。高さ1.90メートル近いこのテントは、イェンス＝ウーヴェネルレのトラバントに尖った帽子のように取り付けられ、小さな2ストロークエンジンにはほとんどオーバーサイズのように見えた。ミュラーは後に、このデザインをヴァルトブルクやシュコダの他の東側車両にも転用した。しかし、原材料の不足から生産は常に厳しく、ルーフテントの生産待ちリストもあった。1990年までに約1,800台が製造された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image3-45.jpg" alt="" class="wp-image-52821"/><figcaption class="wp-element-caption">QEK-lebending：ドイツ民主共和国のキャンプ文化と密接な関係がある。Qekジュニアは、その象徴のひとつである。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>原材料の不足とトラバントの牽引能力の低さが、他の珍品に命を吹き込み、キャンプ場に多様性をもたらした。すぐに目を引くのは、ベルント ドゥーチョが所有する「ヴェーファーリンガーLC9-200」である。1966年にトラバント用に発売されたウェーファーリンガーのボディは、全長わずか2メートルで、長さよりも高さの方が勝っている。250kgという驚異的な重量を誇る「ドゥーチョ」は、突風がキャンプ場から吹き飛ばされないように気をつけなければならないほどだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ちなみに、「LC9-200」のパンフレットによれば、この"車輪の上の楽園"は、その小さなサイズにもかかわらず、4人家族を簡単に収容できる。PGHヘイムシュトルツ ヴェーファーリンゲンは、オプションのオーニングを提供し、居住スペースを倍増させ、キャラバンを家族の住居に変身させた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">キャンピングシーンを盛り上げる</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>70年代、ドイツ民主共和国は、国民に消費財を提供するためと、逼迫した財政に外貨を投入するための海外輸出のために、キャラバンの生産を大幅に増やした。より新しく、より近代的な製品は、より多くの種類をもたらし、「ウェーファーリンガーLC9-200」のような古いコンセプトは徐々に時代遅れになっていった。消費財生産の一環として、VEB Qualitäts- und Edelstahlkombinatは1974年に「Qekジュニア」の製造を開始した。プラスチックシェルを接着した軽量なこの製品は、キャンパーに大人気だった。7,000マルク強という「Qekジュニア」の価格は、同じく人気があった。高価な「Basteiキャラバン」の半分の価格だったからだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1973年にはもうひとつのキャラバン「インターキャンプ355」がキャンプ場で日の目を見るようになったが、ドイツ民主共和国の地ではほとんど見られなかった。ここでは、グラスファイバー強化ポリエステル製の自立ボディは、クラップフィックスとポーチスティープウォールテントの間にあるUFOのように見えただろう。豪華な「インターキャンプ355」は、ガスコンロ、シンク、冷蔵庫、暖房を完備し、主に西ドイツでベルガー オアーゼ（Berger Oase）という名で販売された。LBバージョンには、オプションで小さなサニタリーまで付いていた。ただし、ドイツ民主共和国の国民は、この最高品質の東ドイツ製品を楽しむために、西ドイツからの返品を期待しなければならなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image4-42.jpg" alt="" class="wp-image-52822"/><figcaption class="wp-element-caption">小さなお子様、寝袋、テントを連れて休暇に出かけますか？ベルリンのトレーラー付きスクーター「カンピ」なら問題ない。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>しかし、ドイツ民主共和国の国民は、キャンプでのんびり過ごすのに贅沢は必要なかった。キャンプ場に漂うほのかな自由の香りと、見慣れない個人主義の味わいが、テントやキャラバンでの生活をとてもユニークで魅力的なものにしていた。キャンプ許可証の申請が承認され、希望のピッチが確保されれば、国の大きな統制や建造物のない休暇が待っていた。ほとんどすべてのキャンプ場は国営だったが、国営のホリデー施設のようにキャンパーを世話することはなかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>自由ドイツ労働組合連盟（FDGB）が運営する企業の保養所や別荘は、最も人気のある休暇先のひとつだった。1980年代にはドイツ民主共和国国民の約半数が休暇をここで過ごし、30％はキャンプ場で過ごした。とりわけ、別荘や会社の施設はすぐに利用でき、簡素で安価だった。その一方で、食事の時間は厳格で、一日のスケジュールが明確に決められていることが多かった。会社の保養所で休暇を過ごす人々は、朝食の席で職場の同僚と顔を合わせることが多かった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":52823,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/06/image5-35.jpg" alt="" class="wp-image-52823"/><figcaption class="wp-element-caption">ジッフェルミュッツェ：ミュラーのルーフテントは、2.9平方メートルに2つの寝床を提供する。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この強制的な休日の雰囲気はキャンプ場とは対照的で、家族連れは自然に囲まれた自分たちだけの領域に閉じこもり、お腹が鳴ればガスコンロに火をつけることができた。多くの人にとって、キャンプはちょっとした逃避行だった。朝、キャンプ場の売店でロールパンを買うために並ぶ列さえ、彼らには気にならなかった。ピークシーズンには棚が空っぽになる。プロたちは、帰国の数週間前に食料を買い込むのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ドイツ民主共和国（旧東ドイツ）でのキャンプは、人々に創意工夫をさせ、即興の才能を必要とした。かつてのドイツ民主共和国のキャンプ仲間、例えばエヴィやシギ ヴァイスのようなキャンパーの多くは、今日までこの美徳を持ち続けている。ドイツ民主共和国の終焉から30年以上経った今も、彼らとともに独特のキャンプ文化は生き続けている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Marcel Nobis<br>Photo: Christian Bittmann / AUTO BILD</p>
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<p><strong>ドライブ文化：ドイツ民主共和国（旧東ドイツ）のキャンプ。東西ドイツ統一前のキャンプ。ドイツ民主共和国の国民にとって、旅行は常に制限と結びついていた。それでも毎年何百万人もの人々が休暇を過ごしていた。最も人気のある目的地はキャンプ場だった。</strong></p>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>エヴィとシギ ヴァイス夫妻は、キャンプ場の牧歌を完成させた。エッグカップも、携帯ラジオも、ナルヴァの妖精のライトも。エヴィ ヴァイスは「日よけは自分で作る必要があった。だから自分で縫ったんだ」。手に入らないものは自分で作った。</p>
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<p>1950年代初頭、ドイツ民主共和国国民の間で、都市を離れ、自然を体験し、戦後の灰色な日常生活から解放されたいという欲求が高まっていた。しかし、自動車を購入できる人はごくわずかで、キャラバンの製造などはまだ問題外だった。観光インフラも貧弱だった。ホテルやゲストハウスはあったが、若者や家族連れをターゲットにしたものではなかった。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">広い空の下で過ごす時間</h3>
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<p>そのため、休暇を求める人は皆、二輪車と荷物の中のテントに頼っていた。ドイツ民主共和国の若者は自転車で、家族連れはスクーターで旅行するのが普通だった。彼らの目的地は荒野であり、せいぜいバルト海か湖畔だった。公的なキャンプ場が台頭したのは60年代に入ってからである。「IWL SR59ベルリン」は、スクーターの中では贅沢品と見なされていた。VEB Industriewerk Ludwigsfeldeというメーカーは、1950年代の終わりに「バイク愛好家の多くはキャンピングカーに憧れている！」という適切な結論に達した。そこで彼らは、テントやキャンプ用品用の一輪車トレーラー"Campi"から、フットウェル用のチャイルドシート、喫煙者用の"味のある灰皿"まで、「ベルリン スクーター」用のあらゆるアクセサリーをデザインした。</p>
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<p>この頃、ドイツ民主共和国の指導部は、徐々に発展しつつあったキャンプ文化をまだ疑いの目で見ており、あまりに個人主義的で、それゆえ反社会主義的だとして退けていた。しかし、1956年には早くも、当初はためらいがちに、国営キャンプの推進を始めた。休日のインフラストラクチャーの拡大は、ドイツ民主共和国の基本的権利に発展し、「労働の再生産」に貢献することを意図していた。当初、この戦略は既存の観光事業の社会化によって特徴づけられた。しかし、民意は抑えることができず、キャンプが「社会主義的レクリエーションシステム」の中心となった。</p>
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<p>しかしある時期から、自転車やスクーターでのキャンプは、ドイツ民主共和国の国民でさえ満足させることができなくなった。より広く、より快適な新しいコンセプトが必要だった。最も明白な解決策は、キャラバンだった。マックス ヴュルディッヒ（Max Würdig）は、ドイツ民主共和国でいち早く、1955年からキャンピングトレーラー「ヴュルディッヒ301（Würdig 301）」を少量生産した。彼は1936年にすでに基本設計を開発していたが、戦前には単体販売しかしていなかった。「ヴュルディッヒ301」のトレードマークはその特異な形状で、「デューベンの卵」と呼ばれた。</p>
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<p>「ヴュルディッヒ301」のわずか300kgという車重の軽さは、大きなアドバンテージとなった。つまり、トラバントのドライバーでも601の後ろに牽引することができたのだ。1960年代のドイツ民主共和国のフォルクスワーゲンには、トレーラーの積載量が少なかったため、キャンピングカーの選択肢はほとんどなかった。そのため、トラバントオーナーだったとしても、長い間キャラバンを探すか折りたたみ式テントトレーラーを自作するしかなかった。</p>
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<p>2輪のテントというアイデアは、1959年にドイツ民主共和国でカンピフィックスによって凱旋行進を始めた。VEB Fahrzeugwerke Olbernhau社は、小型・軽量でありながらスペースと快適性を提供することを目的に、このトレーラーを開発した。後継のクラップフィックスやカンプツーリストとともに、カンピフィックスはベストセラーとなり、東ドイツのキャンプ文化のシンボルとなった。バルト海とオレ山脈の間のキャンプ場では、この折りたたみ式テントトレーラーなしでは過ごせなかった。</p>
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<p>トーマス マイヤーは現在も「Camptourist CT 6-1」を所有している。トレーラーには多少の錆があり、テントのキャンバスはもはや完全防水ではないが、折りたたみテントは完璧に機能する。マイヤーは、重さ約300キロ、3.4平方メートル弱のトレーラーから15平方メートルの居住空間を作り出すことができる。オーニングエリアでは、「Camptourist」の端が収納スペースと簡易キッチンになっている。トレーラーエリアの左側と右側には、大家族でも十分なスペースを確保できる折りたたみ式と高床式の就寝スペースがあり、夏の草原から完璧に保護されている。</p>
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<p>1979年からは、トラビ（トラバント）のカップリングにテントを取り付ける代わりに、トラビのルーフにテントを取り付けることもできるようになった。ゲルハルト ミュラーは、アクセスしにくいキャラバンの代替案としてこのデザインを開発した。高さ1.90メートル近いこのテントは、イェンス＝ウーヴェネルレのトラバントに尖った帽子のように取り付けられ、小さな2ストロークエンジンにはほとんどオーバーサイズのように見えた。ミュラーは後に、このデザインをヴァルトブルクやシュコダの他の東側車両にも転用した。しかし、原材料の不足から生産は常に厳しく、ルーフテントの生産待ちリストもあった。1990年までに約1,800台が製造された。</p>
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<p>原材料の不足とトラバントの牽引能力の低さが、他の珍品に命を吹き込み、キャンプ場に多様性をもたらした。すぐに目を引くのは、ベルント ドゥーチョが所有する「ヴェーファーリンガーLC9-200」である。1966年にトラバント用に発売されたウェーファーリンガーのボディは、全長わずか2メートルで、長さよりも高さの方が勝っている。250kgという驚異的な重量を誇る「ドゥーチョ」は、突風がキャンプ場から吹き飛ばされないように気をつけなければならないほどだ。</p>
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<p>ちなみに、「LC9-200」のパンフレットによれば、この"車輪の上の楽園"は、その小さなサイズにもかかわらず、4人家族を簡単に収容できる。PGHヘイムシュトルツ ヴェーファーリンゲンは、オプションのオーニングを提供し、居住スペースを倍増させ、キャラバンを家族の住居に変身させた。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">キャンピングシーンを盛り上げる</h3>
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<p>70年代、ドイツ民主共和国は、国民に消費財を提供するためと、逼迫した財政に外貨を投入するための海外輸出のために、キャラバンの生産を大幅に増やした。より新しく、より近代的な製品は、より多くの種類をもたらし、「ウェーファーリンガーLC9-200」のような古いコンセプトは徐々に時代遅れになっていった。消費財生産の一環として、VEB Qualitäts- und Edelstahlkombinatは1974年に「Qekジュニア」の製造を開始した。プラスチックシェルを接着した軽量なこの製品は、キャンパーに大人気だった。7,000マルク強という「Qekジュニア」の価格は、同じく人気があった。高価な「Basteiキャラバン」の半分の価格だったからだ。</p>
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<p>1973年にはもうひとつのキャラバン「インターキャンプ355」がキャンプ場で日の目を見るようになったが、ドイツ民主共和国の地ではほとんど見られなかった。ここでは、グラスファイバー強化ポリエステル製の自立ボディは、クラップフィックスとポーチスティープウォールテントの間にあるUFOのように見えただろう。豪華な「インターキャンプ355」は、ガスコンロ、シンク、冷蔵庫、暖房を完備し、主に西ドイツでベルガー オアーゼ（Berger Oase）という名で販売された。LBバージョンには、オプションで小さなサニタリーまで付いていた。ただし、ドイツ民主共和国の国民は、この最高品質の東ドイツ製品を楽しむために、西ドイツからの返品を期待しなければならなかった。</p>
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<p>しかし、ドイツ民主共和国の国民は、キャンプでのんびり過ごすのに贅沢は必要なかった。キャンプ場に漂うほのかな自由の香りと、見慣れない個人主義の味わいが、テントやキャラバンでの生活をとてもユニークで魅力的なものにしていた。キャンプ許可証の申請が承認され、希望のピッチが確保されれば、国の大きな統制や建造物のない休暇が待っていた。ほとんどすべてのキャンプ場は国営だったが、国営のホリデー施設のようにキャンパーを世話することはなかった。</p>
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<p>自由ドイツ労働組合連盟（FDGB）が運営する企業の保養所や別荘は、最も人気のある休暇先のひとつだった。1980年代にはドイツ民主共和国国民の約半数が休暇をここで過ごし、30％はキャンプ場で過ごした。とりわけ、別荘や会社の施設はすぐに利用でき、簡素で安価だった。その一方で、食事の時間は厳格で、一日のスケジュールが明確に決められていることが多かった。会社の保養所で休暇を過ごす人々は、朝食の席で職場の同僚と顔を合わせることが多かった。</p>
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<p>この強制的な休日の雰囲気はキャンプ場とは対照的で、家族連れは自然に囲まれた自分たちだけの領域に閉じこもり、お腹が鳴ればガスコンロに火をつけることができた。多くの人にとって、キャンプはちょっとした逃避行だった。朝、キャンプ場の売店でロールパンを買うために並ぶ列さえ、彼らには気にならなかった。ピークシーズンには棚が空っぽになる。プロたちは、帰国の数週間前に食料を買い込むのだ。</p>
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<p>ドイツ民主共和国（旧東ドイツ）でのキャンプは、人々に創意工夫をさせ、即興の才能を必要とした。かつてのドイツ民主共和国のキャンプ仲間、例えばエヴィやシギ ヴァイスのようなキャンパーの多くは、今日までこの美徳を持ち続けている。ドイツ民主共和国の終焉から30年以上経った今も、彼らとともに独特のキャンプ文化は生き続けている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Marcel Nobis<br>Photo: Christian Bittmann / AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【このクルマなんぼ？】プラスチックボディのクラシックモデルは安いのか？　歴史的なプラスチック車×7台を紹介！</title>
		<link>https://autobild.jp/24172/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 May 2023 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
		<category><![CDATA[ウッディル ワイルドファイア]]></category>
		<category><![CDATA[ギルバーン インベーダー]]></category>
		<category><![CDATA[シボレー コルベット C1]]></category>
		<category><![CDATA[スチュードベーカー アヴァンティ]]></category>
		<category><![CDATA[トラバント]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ 904]]></category>
		<category><![CDATA[ポルシェ カレラ GTS]]></category>
		<category><![CDATA[マトラ シムカ バゲーラ]]></category>
		<category><![CDATA[レイモンド ローウィ]]></category>
		<category><![CDATA[ロータス エラン]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="674" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-1024x575.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-768x431.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-696x391.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-1068x600.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/9207517a538f2b78-748x420.jpg 748w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>これらのプラスチック製ボディのクラシックカーは安く購入できる。特に歴史的なプラスチック車の希少性は高いが、幸いなことに、価格についてはその逆が多い。ドイツのクラシックカーのモデルのような例外もあるが・・・。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>プラスチックボディの量産車は、アメリカで初めて作られた。ドイツのDKW（デー カー ヴェー）社は、第二次世界大戦前にすでにフェノールを含浸させたプレスボードを使ったボディをテストしていた。しかし、1952年から、かなりの台数が販売されたのは、アメリカのロードスター、ウッディル ワイルドファイアだけであった。グラスファイバーのボディを備えていた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>プラスチック時代の他のパイオニアは、カイザー ダリン（1953年）と、アメリカで最も成功したスポーツカーとして最も注目されているコルベットである。「プラスチック車のエキゾチックな割合は高い」と、市場観察会社「クラシック データ」のマリウス ブルーネは言う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>多くのプラスチック製オールディーズカーは生き残っていない</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 近年、多くのクラシックカー愛好家がメインストリーム以外のモデルに目を向けているが、そんな中でも、プラスチック製のクラシックカーの多くは、手頃な価格を維持していると、彼は言う。例えば、イギリスのリライアント シミターGTE（Reliant Scimitar GTE）は、レーシーなシューティングブレークのボディとレンチに優しいフォードV6テクノロジーの組み合わせが、1万ユーロ（約150万円）以下で手に入るのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>市場分析： プラスチック製クラッシック</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/MO12_r215_01-26fa02a70fe1fad7.jpg" alt=""/><figcaption><strong>ポルシェ カレラGTS</strong><br>  コンディション2のポルシェ カレラGTS（1963-64年）については、少なくとも140万ユーロ（約2億1千万円）は必要だ。「904」の略称でも知られるポルシェのレーシングスポーツカーは、ガラス繊維強化ポリエステル樹脂製のボディを持ち、シュパイヤーのハインケル社によって、わずか116台しか製造されなかった。このため、軽量（570kg～）で、市場分析ではプラスチック製のクラシックの中で最も高価なものとなっている。<br>  Photo: RM Auction</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/Trabant_1_1_TST_79-cd636125bdcc0d26.jpg" alt=""/><figcaption><strong>トラバント1.1</strong><br>  最安値： 今でも人気の高いトラバントは長い間、タダで手に入るものではなかった。ブリキのボンネットに40馬力の4ストロークVWエンジンを搭載した愛着のない後期型でも、購入希望者は3,500ユーロ（約52万円）を支払わなければならない。しかし、それでも2ストロークの先代モデルより700ユーロ（約10万円）も安い。<br>  Photo: Thomas Starck</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/StudebakerAvanti-2b78a66075714c90.jpg" alt=""/><figcaption><strong>スチュードベーカー アヴァンティ</strong><br>  アメリカンエキゾチック、値上がり傾向： もっとも有名なアメリカ人デザイナーの一人であるレイモンド ローウィ（Raymond Loewy）の指揮のもとでスタイリングされたプラスチック製クーペは、アメリカのレア物愛好家の間でますます関心を集めている。自然吸気エンジンの240馬力バージョンは、289馬力のスーパーチャージドバリアントより数千ユーロ（数十万円）低い価格で取引されている。そして、そのトレンドはまだわずかに上昇し続けている。<br>  Photo: AUTO BILD Montage</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/Matra_Bagheera-159702476656116e.jpg" alt=""/><figcaption><strong>マトラ シムカ バゲーラ</strong><br>  シムカのテクノロジーを搭載したくさび形の3シーターは、品質上の欠陥により、1975年に、ADAC「シルバーレモン」ネガティブ賞を受賞した。「レモン」は今でも手頃な価格で手に入る。70年代の風変わりなクーペをお探しの方は、価値が上がっているにもかかわらず、リーズナブルな価格で見つけることができる。興味のある方は、フランスで見つけることができる可能性が高い。<br>  Photo: AUTO BILD Montage</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/Lotus_Elan_Serie_4_SE-10414b9278289010.jpg" alt=""/><figcaption><strong>ロータス エラン ロードスター</strong><br>  S4（ドーム型ボンネットになり、ダッシュボードが改良された）は、より手頃な価格の「エラン」バージョンの1つで、その市場価値は先代の「S1」や「S2」よりも10％低くなっている。最近では、ロータスの伝説的なツインカム4気筒を搭載したプラスチック製の2シーターの価格が下がり続けている。クラシック データは、今後も価格はわずかに下落すると考えている。理由は、ファンのコミュニティが小さく、関心が新しいモデルに移っているためだ。<br>  Photo: AUTO BILD Montage</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/GilbernInvader-3347c6bcae411337.jpg" alt=""/><figcaption><strong>ギルバーン インベーダー</strong><br>  安いエントリープライスのインサイダー情報： 英ウェールズの小型シリーズメーカー、ギルバーン製のクーペは、当時（高すぎる）価格に苦しみ、会社を債務超過に追い込んだ。3ドアのスポーツエステートを含め、603台が生産され、その知名度の低さから安価であるが、英国以外ではほとんど見かけないものである。<br>  Photo: AUTO BILD Montage</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/1/1/7/9/CorvetteC1-128fddc65d680383.jpg" alt=""/><figcaption><strong>コルベットC1</strong><br>  1953年、コルベットの最初のモデルがフリント/ミシガン州で製造された。1954年、生産はセントルイス/ミズーリ州に移った。2010年代初めの誇大広告によって、価格が14万ユーロ（約2,100万円）まで上昇した後、プラスチック製ロードスターは以前の水準まで暴落した。現在は下落幅が縮小している。<br>  Photo: AUTO BILD Montage</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フランスのバンのパイオニア、「ルノー エスパス（1984年製）」も、コンディション3で6,000ユーロ（約90万円）からと、決して安くはないが、その「生存率」の低さから、入手が非常に困難である。ドイツ初のGRP車、経済の奇跡のミゼット、「ヴィクトリア スパッツ（1956-58年、コンディション2で17,300ユーロ=約260万円、コンディション3で11,400ユーロ=約170万円）を熱望する人は、長い時間をかけて探す覚悟が必要となる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>トラビーの価格は高騰している</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 旧東ドイツのプラスチック製の有名車、トラビー（トラバント）は特に手に入りやすい。しかし、かつて不人気だったドイツ民主共和国の小型車の価格は急上昇しており、コレクターズコンディションの2ストローク車601台は、現在7,000ユーロ（約105万円）近い価格で取引されている。1980年代半ばに8,500マルク（約64万円）で売られていた車としては、悪くない。しかし、ドイツ民主共和国のマルクだ！</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/3/2/3/0/3/7/1/1280x960-87-ba16a7bf01a94548.jpg" alt=""/><figcaption>ポロエンジンを搭載したトラバント1.1は、主にステーションワゴンとして納車され、セダンは半分以下だった。<br>  Photo: Autohaus am Rhein</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>見かけの矛盾： 1990年以降、フォルクスワーゲンとの提携により、ドイツ民主共和国の伝説の生産が終了する前の最後のモデルバリエーションである、「ポロ4ストローク」搭載のトラビーの「1.1」は、目に見えて需要が少なく、38,000台以上製造されたにもかかわらず、現在も存在するのは1,000台強に過ぎない。しかし、「1.1」は、数百万台が製造され、4万台近くがまだ道路を走っている2ストローク車よりも、平均3,500ユーロ（約52万円）も安く買うことができるのだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Martin Puthz</p>
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<p><strong>これらのプラスチック製ボディのクラシックカーは安く購入できる。特に歴史的なプラスチック車の希少性は高いが、幸いなことに、価格についてはその逆が多い。ドイツのクラシックカーのモデルのような例外もあるが・・・。</strong></p>
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<p>プラスチックボディの量産車は、アメリカで初めて作られた。ドイツのDKW（デー カー ヴェー）社は、第二次世界大戦前にすでにフェノールを含浸させたプレスボードを使ったボディをテストしていた。しかし、1952年から、かなりの台数が販売されたのは、アメリカのロードスター、ウッディル ワイルドファイアだけであった。グラスファイバーのボディを備えていた。</p>
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<p>プラスチック時代の他のパイオニアは、カイザー ダリン（1953年）と、アメリカで最も成功したスポーツカーとして最も注目されているコルベットである。「プラスチック車のエキゾチックな割合は高い」と、市場観察会社「クラシック データ」のマリウス ブルーネは言う。</p>
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<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>多くのプラスチック製オールディーズカーは生き残っていない</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<p> 近年、多くのクラシックカー愛好家がメインストリーム以外のモデルに目を向けているが、そんな中でも、プラスチック製のクラシックカーの多くは、手頃な価格を維持していると、彼は言う。例えば、イギリスのリライアント シミターGTE（Reliant Scimitar GTE）は、レーシーなシューティングブレークのボディとレンチに優しいフォードV6テクノロジーの組み合わせが、1万ユーロ（約150万円）以下で手に入るのだ。</p>
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<h3>市場分析： プラスチック製クラッシック</h3>
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<p>フランスのバンのパイオニア、「ルノー エスパス（1984年製）」も、コンディション3で6,000ユーロ（約90万円）からと、決して安くはないが、その「生存率」の低さから、入手が非常に困難である。ドイツ初のGRP車、経済の奇跡のミゼット、「ヴィクトリア スパッツ（1956-58年、コンディション2で17,300ユーロ=約260万円、コンディション3で11,400ユーロ=約170万円）を熱望する人は、長い時間をかけて探す覚悟が必要となる。</p>
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<h3>トラビーの価格は高騰している</h3>
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<p> 旧東ドイツのプラスチック製の有名車、トラビー（トラバント）は特に手に入りやすい。しかし、かつて不人気だったドイツ民主共和国の小型車の価格は急上昇しており、コレクターズコンディションの2ストローク車601台は、現在7,000ユーロ（約105万円）近い価格で取引されている。1980年代半ばに8,500マルク（約64万円）で売られていた車としては、悪くない。しかし、ドイツ民主共和国のマルクだ！</p>
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<p>見かけの矛盾： 1990年以降、フォルクスワーゲンとの提携により、ドイツ民主共和国の伝説の生産が終了する前の最後のモデルバリエーションである、「ポロ4ストローク」搭載のトラビーの「1.1」は、目に見えて需要が少なく、38,000台以上製造されたにもかかわらず、現在も存在するのは1,000台強に過ぎない。しかし、「1.1」は、数百万台が製造され、4万台近くがまだ道路を走っている2ストローク車よりも、平均3,500ユーロ（約52万円）も安く買うことができるのだ。</p>
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		<title>【80年代のドイツ車物語】写真で振り返る80年代のドイツ車×80台超！　アウディ、BMW、ベンツ、ポルシェ、VW等勢ぞろい！　後編</title>
		<link>https://autobild.jp/23642/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 May 2023 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1010" height="568" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a.jpg 1010w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-768x432.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-696x391.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-747x420.jpg 747w" sizes="auto, (max-width: 1010px) 100vw, 1010px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>80年代は夢にあふれていた。カルトなドイツ車はこれらだ！80年代のドイツ車たち。派手なネオンの10年間で、アウディ クワトロ、BMW M3（E30）、オペル カデットGSiなどクールなタイプが登場した。ここでは、80年代のドイツ車を紹介する！理屈抜きで楽しんで！どんどん懐かしんで！</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>多くのクルマ好きにとって、80年代は最高のドイツ車が作られた10年である。例えば、VWゴルフ2の特別仕様車のように、多くの「ブレッド アンド バター」車が記憶に残っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その頃、ドイツのメーカーは、荒削りなタイプで、技術的に革新的な、かっこいいクルマをたくさん出していた。アウディは四輪駆動で世界のラリートラックを席捲し、初代「クワトロ」でオンロード四輪駆動車のカテゴリーを確立した。</p>
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<p>メルセデス190： ベビーベンツは大成功だった</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/MB_190_CBI_05-d988163172fd747f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-23694"/><figcaption class="wp-element-caption">コンパクトでスポーティ： 190（W201）は、従来のメルセデスの慣習にとらわれず開発され、成功を収めた。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> メルセデスは1980年代にも伝説的なクルマを作った： 「190（W201）」は、初のスター付きコンパクトカーだった。当初、保守的なメルセデスのドライバーたちは、ベビーベンツを卑下した。しかしベビーベンツは大成功をおさめ、1993年までに180万台の「190」が製造され、その多くが今も現役で走っている。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-53be225546078d49-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-23746"/><figcaption class="wp-element-caption">「BMW 750iL」。メルセデスがV12をSクラスに搭載するまでに、この後4年の歳月を必要とした。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>ミュンヘンのメーカーも同様に野心的で、BMWの4気筒モデルのはるか上のクラスで、新しいフラッグシップを構想したのである。戦後初の12気筒エンジンを搭載した「BMW 750iL」は「メルセデスSクラス」から顧客を奪い取るはずだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<h3 class="wp-block-heading">80年代のカッコいいドイツ車たち（後編） オペル、ポルシェ、トラバント、VW</h3>
<!-- /wp:heading -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-f37011e6bbdbc9a6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-47f909cc4207c034.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オペルも1982年に小型車クラスに参入した。小型の<strong>オペル コルサ</strong>は、すぐにラインナップの常連となった。保守派には、その後、オペル コルサTRと呼ばれる角張ったノッチバックが登場した。1983年、2ドアバージョンが発売され、2年後には4ドアと5ドアバージョンが発売された。<br> <strong> 大林晃平:</strong> フォードのエントリーモデルにして、最販売車種のコルサ（この後、日本で発売した時には「コルサ」という名前がトヨタによって登録されていて、ターセル コルサ カローラⅡ3兄弟として販売されていたため、ヴィータと改名を余儀なくされた）、3ドアハッチバックの印象が強く、上掲の写真のような2ドアクーペ（というか、2ドアセダン）は、印象に薄い。だが一昔前は、カローラ（FR時代）にも2ドアセダンは存在していたし、こういう小さなフォードのモデルであっても、トランクを必要とし、希望する顧客がいたということである。特にヨーロッパでは、盗難の関係上、荷物が外部から見えてしまうハッチバックを敬遠する人がこのころは多かった。簡易で使いやすそうな燃料キャップ丸出しの仕上げにもご注目。また、黒いバンパーから連続した処理のサイドプロテクトモールの処理も実用本位で好ましい。<br>  Photo: Groupe PSA</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-5f00b1639fc13ec1.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1989年、オペルはゴールデンスラムを獲得したシュティフィ グラフの名を冠した特別モデル<strong>「コルサ シュティフィ」</strong>を販売した。<br>  <strong>大林晃平:</strong> ホイールとグリルを真っ白に塗り、内装も白で統一したコルサ シュティフィ。シュティフィ グラフを知らない方のためにちょっとだけ解説すると、ボリス ベッカーとともにドイツテニス界の黄金期を描いたスター選手。1969年生まれ（意外とまだ若い）で、配偶者はアンドレ アガシである。ボンネットの上に乗っかっているのがシュティフィ グラフ本人だが、ルックスについては・・・。まあコメントをひかえたい（ってあくまでも自動車のハナシですよ、自動車の）。<br>  Photo: Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-7a6411c4ba1b18fe.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">3ドア、5ドア、ノッチバック、エステート、コンバーチブル、バン、パネルバンなど、1984年以降の<strong>オペル カデットE</strong>には、幅広いボディワークが存在した。エンジンは、ガソリンとディーゼルの両方が存在した。<br>  大林晃平: カデットのライバルはもちろんゴルフ。当然、ゴルフのラインナップに応じたボディバリエーションが用意された。写真のモデルは、エステート（最上級のGLSのため、フォグランプが装備されている）で、直線基本で実用本位のスタイルは好感が持てる。またカーゴルームも広くて使いやすそうだ。ブラックウインドーでないこともスカッと爽やかに気持ち良い。なお、このころのオペルでは、もちろん日本人デザイナーの児玉氏がデザインに関わっていて、指揮を執っていた。ブラウンあたりの電気製品を連想させるホイールキャップが洒落ている。<br>  Photo: Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-239fe9ff2e74a4d9.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">80年代のスポーティコンパクトは、16バルブがすべての物差しだった。1988年、オペルは<strong>カデットE GSi 16 V</strong>を世に送り出した。150馬力のパワーで、宿敵ゴルフGTIを明らかに上回るパフォーマンス（0-100km/h：8.0秒、最高速度：217km/h）であった。<br>  <strong>大林晃平:</strong> 質実剛健だった（はず）のオペルも、80年代になると一気にスタイリッシュに変貌する。このスタイルも空気抵抗を重視したものであると同時に、かなりの猫背のためスペースユーティリティよりも、スタイルを優先させたものであることは一目瞭然である。写真はGSi 16Vだが、フロントノーズのオペルエンブレムがステッカー仕上げであることに注目してほしい（おそらく空気抵抗軽減のため。その一方でフロントグリルのGSiのロゴはプラスチックパーツだが）。どことなくアルマジロを連想するルックスだが、妙に凝りすぎてうねったラインなどがないため、全体的なスタイルはすごくプレーンに見える。<br>  Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-069e50c85084cb19.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption"><strong>アスコナC</strong>の登場により、オペルはミッドサイズクラスで後輪駆動に別れを告げた。1981年から1988年にかけて、オペルは170万台のアスコナを2ドア、4ドアのノッチバックとハッチバックとして製造した。<br>  <strong>大林晃平: </strong>アスコナもFFとなり、写真のようなローバー3500風な5ドアハッチバックモデルもヨーロッパではかなりのヒットとなった。実力のある良い実用車ではあったが、残念ながらというか、案の定というべきか、日本には導入されることはなかった（まあ日本にこのアスコナ5ドアハッチバックを正規輸入しても、数多く売れたかというと、ビミョーではあるが）。それにしてもエンブレムを隠してしまうと、どこのなんて名前の車か？という上級なぞなぞの問題になりそうな一台である。<br>  Photo: Roman Raetzke</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-f51eff79a5ff12c6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1980年代末、リュッセルスハイムはオペルのラインナップのネーミングを変更した。カデットEはアストラFに、アスコナCはベクトラDになった。<strong>ベクトラ</strong>は1988年当初はノッチバックのみで、1989年にはハッチバックのバリエーションも用意された。<br>  <strong>大林晃平: </strong>日本でもけっこう見かけたベクトラ。兄弟車も存在し、サーブ9-3とは異母兄弟という部分が、サーブの生粋なエンスージャストには受け入れられなかったため、9-3は残念ながら、かつての900のような人気者にはなれなかった・・・。って、単なる偏見じゃんねぇ。それはさておき、ベクトラはこけおどしの抑揚などを持たないためボディにも大きな特徴はないが、フラッシュサーフェイスのボディの仕上げはなかなかよさそう。ライバルはアウディ80であることはもちろんだが、この時代にはニッサン プリメーラなども好敵手であった。<br>  Photo: Rathenower-Mobile</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-0988d4d0c0937892.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1982年、オペルは<strong>レコルド</strong>を時代の流れに適合させた。クロームメッキのバンパーは過去のものとなり、近代的なプラスチック製バンパーに変わり、インテリアもよりモダンなものになった。さらに、新世代のエンジンがレコルドE2で初めて採用された。<br>  <strong>大林晃平:</strong> 地味な実用本位の4ドアセダンとは？このオペル レコルドのような車のことだ！よくよく見れば、Cピラーの三角窓風な処理やスラントノーズなど、かなり頑張った形跡は見られるものの、地味な自動車というイメージはぬぐい切れない。一番似合っている用途は・・・？　私服警官用の覆面パトカーとか、区役所の（区長用の）公用車とか、だろうか。写真のそっけないプラスチックのホイールキャップが標準だが、このころはアルミホイールがまだまだ特別な装備であったことを意味する。<br> Photo: Thomas Ruddies</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1152x768-1147f9c7fc1f40f6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">レコルドの後継車は1986年の<strong>オペル オメガ</strong>である。低いCd値と優れたエンジンにより、リュッセルスハイムの新しいミドルクラスは、良好な走行性能と経済的な燃費を誇った。<br>  Photo: Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-ea83156aea503a11.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">そしてついに1989年のジュネーブモーターショーで、オペルはロータスとのコラボレーションで誕生した<strong>ロータス オメガ</strong>を公開した。希少なトップモデルのボンネットには、377馬力の3.6リッター直列6気筒ツインターボエンジンが搭載されていた。<br>  <strong>大林晃平: </strong>オペル オメガは大柄な体躯を持っていたこともあり、たっぷりした居住空間を持つ実用車である。その中でもロータスとのコラボレーションである、ロータス オメガは希少車であるが、なぜにロータスとオペル（？）とミスマッチングをいぶかる人が多いかもしれない。だがロータスとオペルは、両方ともGM系列なので、ぜんぜん不思議ではないコラボレーションなのである（そういう意味では、いすゞとロータスのコラボレーション企画も納得がいく）。そんなロータス オメガ、内外装とも実に控えめで、内装もコノリーレザーが使われていることと（それもカラーは地味なブラックのみ）、モモのステアリングホイールの中央部分に小さくロータスと表記されているだけだった。<br>  Photo: Walter Tillmann</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-3130d2be942963a2.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1987年、オペルは最後にもう一度、大きな車を小さなお金で買うという哲学に踏み込んだ。だが競合他車が優位に立ち、<strong>オペル セネター</strong>の影は薄かった。1993年、オペルがラグジュアリークラスへの希望をすべて葬り去ったことにより、セネターの後継車が生まれることはなくなった。<br>  大林晃平: オペル セネター、地味だし、知っている人は少ないかもしれないが、実はわが国にも、東邦モータースが正規輸入し、600万円以上で販売された。だがメルセデス・ベンツEクラスやBMW 5シリーズではなく、あえてこちらを選ぶという顧客が日本には少数だったため、総輸入台数も推して知るべし、である。なお、どうでもよいワンポイント知識ながら、写真に写っているセネターのリアランプは、ブリストル ブレニムのリアランプに採用された（ブリストル ブレニムという同姓同名は、飛行機にもあるのでわかりにくいが、もちろん車の話。ブリストル ブレニムは5.9リットルV8エンジンを持つ高級車である）<br>  Photo: Christian Herb</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-386990137ed31311.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">モンツァのレース場で<strong>オペル モンツァ</strong>を走らせようと思う人はいないだろう。180馬力のGSEでさえも。なぜなら、このハッチバックは、ロングドライブのためのGTでありたいと願っていたからだ。<br>  <strong>大林晃平: </strong>モンツァなどという名称を付けられながらも、中身は普通のオペルのため、サーキット走行には不向きな一台（あたりまえ）。この写真からもわかるように、基本はスタイリッシュな実用車であり、日本ではスペシャリティーカー、アメリカではセクレタリーカーなどと呼ばれる範疇の自動車。だが実は高性能すぎず、さらっと乗れるお洒落な自動車というのは大切だと、妙に高性能でパツンパツンの足回りを持っている自動車ばかりの昨今、妙にこういう緩い一台が好ましく思えてしまう。フロント周りを隠してみると、妙にセリカXXを彷彿としてしまうのは私だけか・・・。<br>  Photo: Roman Raetzke</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-2a6ba20e9c9c0016.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オリジナルコンディションの<strong>オペル マンタB</strong>は希少となった。入手のチャンスを逃した？諦めて今すぐカリブラ ターボを手に入れよう！<br><strong>大林晃平: </strong>マンタといっても松任谷正隆さんのニックネームではなく、エイのこと。写真のモデルは数少ないスポーティモデルだが、もっと普通のオペル モンツァの後継者にふさわしい、一般的なグレードが大多数を占める（マンタBは黒いボンネットが印象的であったが、コスメティックスな要素が強い）。なお、ラリーに1983年から出ていたマンタの正式名称は、オペル マンタ400グループBだった。<br>Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-5ac65b7c4baa2e88.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">マンタ400exワークスは、ファイバーグラス強化プラスチック製のカッコイイボディを装って登場した。このラリー用マンタがFIAの認可を受けるために、オペルは275台を生産した。<br>  Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<p>次ページ：<a href="http://autobild.jp/23642/2/">ポルシェ、フォルクスワーゲン</a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1010" height="568" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a.jpg 1010w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-300x169.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-768x432.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-696x391.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/11a772ac7917702a-747x420.jpg 747w" sizes="auto, (max-width: 1010px) 100vw, 1010px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>80年代は夢にあふれていた。カルトなドイツ車はこれらだ！80年代のドイツ車たち。派手なネオンの10年間で、アウディ クワトロ、BMW M3（E30）、オペル カデットGSiなどクールなタイプが登場した。ここでは、80年代のドイツ車を紹介する！理屈抜きで楽しんで！どんどん懐かしんで！</strong></p>
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<p>多くのクルマ好きにとって、80年代は最高のドイツ車が作られた10年である。例えば、VWゴルフ2の特別仕様車のように、多くの「ブレッド アンド バター」車が記憶に残っている。</p>
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<p>その頃、ドイツのメーカーは、荒削りなタイプで、技術的に革新的な、かっこいいクルマをたくさん出していた。アウディは四輪駆動で世界のラリートラックを席捲し、初代「クワトロ」でオンロード四輪駆動車のカテゴリーを確立した。</p>
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<p>メルセデス190： ベビーベンツは大成功だった</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/MB_190_CBI_05-d988163172fd747f-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-23694"/><figcaption class="wp-element-caption">コンパクトでスポーティ： 190（W201）は、従来のメルセデスの慣習にとらわれず開発され、成功を収めた。</figcaption></figure>
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<p> メルセデスは1980年代にも伝説的なクルマを作った： 「190（W201）」は、初のスター付きコンパクトカーだった。当初、保守的なメルセデスのドライバーたちは、ベビーベンツを卑下した。しかしベビーベンツは大成功をおさめ、1993年までに180万台の「190」が製造され、その多くが今も現役で走っている。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2023/05/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-53be225546078d49-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-23746"/><figcaption class="wp-element-caption">「BMW 750iL」。メルセデスがV12をSクラスに搭載するまでに、この後4年の歳月を必要とした。</figcaption></figure>
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<p>ミュンヘンのメーカーも同様に野心的で、BMWの4気筒モデルのはるか上のクラスで、新しいフラッグシップを構想したのである。戦後初の12気筒エンジンを搭載した「BMW 750iL」は「メルセデスSクラス」から顧客を奪い取るはずだった。</p>
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<h3 class="wp-block-heading">80年代のカッコいいドイツ車たち（後編） オペル、ポルシェ、トラバント、VW</h3>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-f37011e6bbdbc9a6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">Photo: Roman Raetzke / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-47f909cc4207c034.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オペルも1982年に小型車クラスに参入した。小型の<strong>オペル コルサ</strong>は、すぐにラインナップの常連となった。保守派には、その後、オペル コルサTRと呼ばれる角張ったノッチバックが登場した。1983年、2ドアバージョンが発売され、2年後には4ドアと5ドアバージョンが発売された。<br> <strong> 大林晃平:</strong> フォードのエントリーモデルにして、最販売車種のコルサ（この後、日本で発売した時には「コルサ」という名前がトヨタによって登録されていて、ターセル コルサ カローラⅡ3兄弟として販売されていたため、ヴィータと改名を余儀なくされた）、3ドアハッチバックの印象が強く、上掲の写真のような2ドアクーペ（というか、2ドアセダン）は、印象に薄い。だが一昔前は、カローラ（FR時代）にも2ドアセダンは存在していたし、こういう小さなフォードのモデルであっても、トランクを必要とし、希望する顧客がいたということである。特にヨーロッパでは、盗難の関係上、荷物が外部から見えてしまうハッチバックを敬遠する人がこのころは多かった。簡易で使いやすそうな燃料キャップ丸出しの仕上げにもご注目。また、黒いバンパーから連続した処理のサイドプロテクトモールの処理も実用本位で好ましい。<br>  Photo: Groupe PSA</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-5f00b1639fc13ec1.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1989年、オペルはゴールデンスラムを獲得したシュティフィ グラフの名を冠した特別モデル<strong>「コルサ シュティフィ」</strong>を販売した。<br>  <strong>大林晃平:</strong> ホイールとグリルを真っ白に塗り、内装も白で統一したコルサ シュティフィ。シュティフィ グラフを知らない方のためにちょっとだけ解説すると、ボリス ベッカーとともにドイツテニス界の黄金期を描いたスター選手。1969年生まれ（意外とまだ若い）で、配偶者はアンドレ アガシである。ボンネットの上に乗っかっているのがシュティフィ グラフ本人だが、ルックスについては・・・。まあコメントをひかえたい（ってあくまでも自動車のハナシですよ、自動車の）。<br>  Photo: Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-7a6411c4ba1b18fe.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">3ドア、5ドア、ノッチバック、エステート、コンバーチブル、バン、パネルバンなど、1984年以降の<strong>オペル カデットE</strong>には、幅広いボディワークが存在した。エンジンは、ガソリンとディーゼルの両方が存在した。<br>  大林晃平: カデットのライバルはもちろんゴルフ。当然、ゴルフのラインナップに応じたボディバリエーションが用意された。写真のモデルは、エステート（最上級のGLSのため、フォグランプが装備されている）で、直線基本で実用本位のスタイルは好感が持てる。またカーゴルームも広くて使いやすそうだ。ブラックウインドーでないこともスカッと爽やかに気持ち良い。なお、このころのオペルでは、もちろん日本人デザイナーの児玉氏がデザインに関わっていて、指揮を執っていた。ブラウンあたりの電気製品を連想させるホイールキャップが洒落ている。<br>  Photo: Werk</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-239fe9ff2e74a4d9.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">80年代のスポーティコンパクトは、16バルブがすべての物差しだった。1988年、オペルは<strong>カデットE GSi 16 V</strong>を世に送り出した。150馬力のパワーで、宿敵ゴルフGTIを明らかに上回るパフォーマンス（0-100km/h：8.0秒、最高速度：217km/h）であった。<br>  <strong>大林晃平:</strong> 質実剛健だった（はず）のオペルも、80年代になると一気にスタイリッシュに変貌する。このスタイルも空気抵抗を重視したものであると同時に、かなりの猫背のためスペースユーティリティよりも、スタイルを優先させたものであることは一目瞭然である。写真はGSi 16Vだが、フロントノーズのオペルエンブレムがステッカー仕上げであることに注目してほしい（おそらく空気抵抗軽減のため。その一方でフロントグリルのGSiのロゴはプラスチックパーツだが）。どことなくアルマジロを連想するルックスだが、妙に凝りすぎてうねったラインなどがないため、全体的なスタイルはすごくプレーンに見える。<br>  Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-069e50c85084cb19.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption"><strong>アスコナC</strong>の登場により、オペルはミッドサイズクラスで後輪駆動に別れを告げた。1981年から1988年にかけて、オペルは170万台のアスコナを2ドア、4ドアのノッチバックとハッチバックとして製造した。<br>  <strong>大林晃平: </strong>アスコナもFFとなり、写真のようなローバー3500風な5ドアハッチバックモデルもヨーロッパではかなりのヒットとなった。実力のある良い実用車ではあったが、残念ながらというか、案の定というべきか、日本には導入されることはなかった（まあ日本にこのアスコナ5ドアハッチバックを正規輸入しても、数多く売れたかというと、ビミョーではあるが）。それにしてもエンブレムを隠してしまうと、どこのなんて名前の車か？という上級なぞなぞの問題になりそうな一台である。<br>  Photo: Roman Raetzke</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-f51eff79a5ff12c6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1980年代末、リュッセルスハイムはオペルのラインナップのネーミングを変更した。カデットEはアストラFに、アスコナCはベクトラDになった。<strong>ベクトラ</strong>は1988年当初はノッチバックのみで、1989年にはハッチバックのバリエーションも用意された。<br>  <strong>大林晃平: </strong>日本でもけっこう見かけたベクトラ。兄弟車も存在し、サーブ9-3とは異母兄弟という部分が、サーブの生粋なエンスージャストには受け入れられなかったため、9-3は残念ながら、かつての900のような人気者にはなれなかった・・・。って、単なる偏見じゃんねぇ。それはさておき、ベクトラはこけおどしの抑揚などを持たないためボディにも大きな特徴はないが、フラッシュサーフェイスのボディの仕上げはなかなかよさそう。ライバルはアウディ80であることはもちろんだが、この時代にはニッサン プリメーラなども好敵手であった。<br>  Photo: Rathenower-Mobile</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-0988d4d0c0937892.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1982年、オペルは<strong>レコルド</strong>を時代の流れに適合させた。クロームメッキのバンパーは過去のものとなり、近代的なプラスチック製バンパーに変わり、インテリアもよりモダンなものになった。さらに、新世代のエンジンがレコルドE2で初めて採用された。<br>  <strong>大林晃平:</strong> 地味な実用本位の4ドアセダンとは？このオペル レコルドのような車のことだ！よくよく見れば、Cピラーの三角窓風な処理やスラントノーズなど、かなり頑張った形跡は見られるものの、地味な自動車というイメージはぬぐい切れない。一番似合っている用途は・・・？　私服警官用の覆面パトカーとか、区役所の（区長用の）公用車とか、だろうか。写真のそっけないプラスチックのホイールキャップが標準だが、このころはアルミホイールがまだまだ特別な装備であったことを意味する。<br> Photo: Thomas Ruddies</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1152x768-1147f9c7fc1f40f6.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">レコルドの後継車は1986年の<strong>オペル オメガ</strong>である。低いCd値と優れたエンジンにより、リュッセルスハイムの新しいミドルクラスは、良好な走行性能と経済的な燃費を誇った。<br>  Photo: Markus Heimbach</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-ea83156aea503a11.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">そしてついに1989年のジュネーブモーターショーで、オペルはロータスとのコラボレーションで誕生した<strong>ロータス オメガ</strong>を公開した。希少なトップモデルのボンネットには、377馬力の3.6リッター直列6気筒ツインターボエンジンが搭載されていた。<br>  <strong>大林晃平: </strong>オペル オメガは大柄な体躯を持っていたこともあり、たっぷりした居住空間を持つ実用車である。その中でもロータスとのコラボレーションである、ロータス オメガは希少車であるが、なぜにロータスとオペル（？）とミスマッチングをいぶかる人が多いかもしれない。だがロータスとオペルは、両方ともGM系列なので、ぜんぜん不思議ではないコラボレーションなのである（そういう意味では、いすゞとロータスのコラボレーション企画も納得がいく）。そんなロータス オメガ、内外装とも実に控えめで、内装もコノリーレザーが使われていることと（それもカラーは地味なブラックのみ）、モモのステアリングホイールの中央部分に小さくロータスと表記されているだけだった。<br>  Photo: Walter Tillmann</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-3130d2be942963a2.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">1987年、オペルは最後にもう一度、大きな車を小さなお金で買うという哲学に踏み込んだ。だが競合他車が優位に立ち、<strong>オペル セネター</strong>の影は薄かった。1993年、オペルがラグジュアリークラスへの希望をすべて葬り去ったことにより、セネターの後継車が生まれることはなくなった。<br>  大林晃平: オペル セネター、地味だし、知っている人は少ないかもしれないが、実はわが国にも、東邦モータースが正規輸入し、600万円以上で販売された。だがメルセデス・ベンツEクラスやBMW 5シリーズではなく、あえてこちらを選ぶという顧客が日本には少数だったため、総輸入台数も推して知るべし、である。なお、どうでもよいワンポイント知識ながら、写真に写っているセネターのリアランプは、ブリストル ブレニムのリアランプに採用された（ブリストル ブレニムという同姓同名は、飛行機にもあるのでわかりにくいが、もちろん車の話。ブリストル ブレニムは5.9リットルV8エンジンを持つ高級車である）<br>  Photo: Christian Herb</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-386990137ed31311.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">モンツァのレース場で<strong>オペル モンツァ</strong>を走らせようと思う人はいないだろう。180馬力のGSEでさえも。なぜなら、このハッチバックは、ロングドライブのためのGTでありたいと願っていたからだ。<br>  <strong>大林晃平: </strong>モンツァなどという名称を付けられながらも、中身は普通のオペルのため、サーキット走行には不向きな一台（あたりまえ）。この写真からもわかるように、基本はスタイリッシュな実用車であり、日本ではスペシャリティーカー、アメリカではセクレタリーカーなどと呼ばれる範疇の自動車。だが実は高性能すぎず、さらっと乗れるお洒落な自動車というのは大切だと、妙に高性能でパツンパツンの足回りを持っている自動車ばかりの昨今、妙にこういう緩い一台が好ましく思えてしまう。フロント周りを隠してみると、妙にセリカXXを彷彿としてしまうのは私だけか・・・。<br>  Photo: Roman Raetzke</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-2a6ba20e9c9c0016.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">オリジナルコンディションの<strong>オペル マンタB</strong>は希少となった。入手のチャンスを逃した？諦めて今すぐカリブラ ターボを手に入れよう！<br><strong>大林晃平: </strong>マンタといっても松任谷正隆さんのニックネームではなく、エイのこと。写真のモデルは数少ないスポーティモデルだが、もっと普通のオペル モンツァの後継者にふさわしい、一般的なグレードが大多数を占める（マンタBは黒いボンネットが印象的であったが、コスメティックスな要素が強い）。なお、ラリーに1983年から出ていたマンタの正式名称は、オペル マンタ400グループBだった。<br>Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/9/5/Coole-deutsche-Autos-der-80er-Jahre-1200x800-5ac65b7c4baa2e88.jpg" alt=""/><figcaption class="wp-element-caption">マンタ400exワークスは、ファイバーグラス強化プラスチック製のカッコイイボディを装って登場した。このラリー用マンタがFIAの認可を受けるために、オペルは275台を生産した。<br>  Photo: Sven Krieger / AUTO BILD</figcaption></figure>
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<p>次ページ：<a href="http://autobild.jp/23642/2/">ポルシェ、フォルクスワーゲン</a></p>
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		<title>【レトロな車】ドイツ旧車市場高騰か？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Nov 2020 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[190SL]]></category>
		<category><![CDATA[2002]]></category>
		<category><![CDATA[3.0CSi]]></category>
		<category><![CDATA[BMW 3シリーズ]]></category>
		<category><![CDATA[アルファロメオ2000GTV]]></category>
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		<category><![CDATA[トラバント]]></category>
		<category><![CDATA[フェラーリ 328]]></category>
		<category><![CDATA[メルセデス パゴダ]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="800" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-1024x683.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-768x512.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-696x464.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-1068x712.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-630x420.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>10台中9台がドイツ車</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ドイツ自動車産業協会（VDA）が算出する、クラシックカーの最新価値は？</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　多くのクラシックカーオーナーは、常に自分の車の価値に細心の注意を払っている。そのため、ドイツ自動車産業協会（VDA）は1999年から毎年、「ドイツ・オールドタイマー指数（DOX）」を算出し、クラシックカーの価値の変動傾向を公表している。これは、代表的な88台の車両を選定し、登録番号に基づいて、クラシックカーの専門家やアナリストが分析評価するというもの。ちなみに、いわゆるスーパーカーである「エキゾチックな車両」や、レースカーやプロトタイプなど「独特の歴史のために高価な車両」は除外されている。<br>それでは、価格が上がったもの、下がったものの代表例をご紹介したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　この10年間に急騰続きの後、しばらくの間沈静化して旧車市場だが、2019年には再びクラシックカーの価格がわずかながら上昇し始めている。この統計は2016年から2020年現在までの価格推移となっているが、なんと上位10台のうち9台がドイツ車という結果になった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/2/6/8/2/4/2/7/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 323i</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　価値上昇車種中「トップ3」にはBMWが並んだ。1位は、2016年から4年の間になんと61％も値上がりしたBMW 3シリーズ（E 21）だ。2016年には平均8500ユーロ（約106万円）だったものが、今や約13,700ユーロ（約171万円）にまでアップている。<br>　日本では、バブル経済絶頂期に、六本木や表参道にあふれていた3シリーズも、今やヴィンテージカーの仲間入りをし、値段が上がっているとは...。とは言え、まだまだ手の届く範疇なのはほっとする。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-315c11d7dd1ff050.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 3.0 CSi（E9、1971～1974）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　CSシリーズは57パーセントの価格上昇を記録している。2016年には約43,000ユーロ（約537万円）だったものが、今や67,500ユーロ（約843万円）もの投資が必要となっている。<br>　程度の良い個体も減少しているので、さらに入手は難しくなるかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-cd7d7d8372759e9f.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Angelika Emmerling / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 2002（1968～1976） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　BMW 02シリーズ。2016年にはまだ約16,900ユーロ（約211万円）だったが、4年後の今や、購入するには25,000ユーロ（約312万円）以上支払わなければならない。これは、価値が48パーセントも上昇したことを意味する。<br>　BMWの中でも名車の誉れ高い「マルニ」。Youtubeなどでは毎度新型にマルニのオマージュデザインのプロとモデルCGが現れることからも、その高い人気が伺い知れる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/2/9/9/60-Jahre-Trabant-1200x800-3a31415e40c49898.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>トラバントP60（1958～1964）  </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　紙製のボディで名を馳せた、旧東ドイツ製のAWZトラバントも価値が上がりつつある。2,900ユーロ（約36万円）から3,600ユーロ（約45万円）へのジャンプは、24パーセントの価値の増加を遂げている。しかし、旧東側の遺産でもあり、そもそもタマ数が少なく、お手頃な値段ではあるが、程度の良い個体はまず手に入らないかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-d61bd0be2ff6db58.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Angelika Emmerling</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>アルファロメオ2000 GTVクーペ（1971～1977） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　唯一のドイツ車以外は、9位のアルファロメオGT/GTV/ジュニアは、それぞれ25％の値上がりを記録している。2016年にはまだ30,400ユーロ（約380万円）だったが、現在では38,000ユーロ（約475万円）となっている。最近のEV化やレストモッドでもベース車両となっていることからもその人気が伺える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-332f5f14a79f93b2.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Harald Almonat</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>ヴァルトブルク353</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　旧東ドイツのヴァルトブルク353（1975～1988）は、31パーセントの価値の上昇を獲得した。2016年には4,200ユーロ（約52万円）、2019年には5,500ユーロ（約68万円）にまでアップした。  　このあたりになると、日本ではまずご存じの方のほうが少ないだろう。とにかく値上がり率は高いそうだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading -->
<h2>価格下落の負け組TOP3</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/7/8/9/1/4/Mercedes-Benz-230-SL-729x486-c39bb2b407d1a0f1.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>メルセデス・ベンツ　SL（W113〜パゴダルーフ）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　クラシックカーを投資と見なしている投資家には悲報だが、乗って楽しみたい人たちは喜ぶかもしれない。なぜなら、最も下落率の高い3台の車は、いわゆる「ドリームカー」と呼び声の高い人気車両だ。<br>　その一つ、下落率第三位はパゴダルーフが人気のメルセデス（W113）。2016年に96,000ユーロ（約1,200万円）と記載されていたが、現在では86,000ユーロ（約1,075万円）と、10パーセント以上もの下落だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/5/3/1/1/8/0/Mercedes-Benz-190-SL-W-121-729x486-15b5a4c4609123d7.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Markus Heimbach</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>メルセデス・ベンツ 190SL（1971） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　縦目以上に人気の71年型メルセデス190SLが第二位。2016年に12万7,000ユーロ（約1,400万円）との評価だったが、4年後の現在は10万ユーロ（約1,250万円）と、21％も下落している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/6/5/Ferrari-328-729x486-d857403c2dcd88a1.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Andreas Lindlahr</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>フェラーリ328GTB（1989） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　下落率ナンバーワンとなったのはフェラーリ328。10万ユーロ（約1,250万円）から74,000ユーロ（約925万円）へと26％の下落を記録している。<br>　人気車両ゆえの価格の推移かもしれないが、お金の問題以前に、いずれも程度の良いものを探すとなるとなかなか骨の折れる作業になることは間違いない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Lars Hänsch-Petersen<br>
加筆：大林晃平<br>
Photo: AUTO BILD</p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1200" height="800" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg 1200w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-300x200.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-1024x683.jpg 1024w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-768x512.jpg 768w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-696x464.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-1068x712.jpg 1068w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2020/11/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83-630x420.jpg 630w" sizes="auto, (max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>10台中9台がドイツ車</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>ドイツ自動車産業協会（VDA）が算出する、クラシックカーの最新価値は？</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　多くのクラシックカーオーナーは、常に自分の車の価値に細心の注意を払っている。そのため、ドイツ自動車産業協会（VDA）は1999年から毎年、「ドイツ・オールドタイマー指数（DOX）」を算出し、クラシックカーの価値の変動傾向を公表している。これは、代表的な88台の車両を選定し、登録番号に基づいて、クラシックカーの専門家やアナリストが分析評価するというもの。ちなみに、いわゆるスーパーカーである「エキゾチックな車両」や、レースカーやプロトタイプなど「独特の歴史のために高価な車両」は除外されている。<br>それでは、価格が上がったもの、下がったものの代表例をご紹介したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　この10年間に急騰続きの後、しばらくの間沈静化して旧車市場だが、2019年には再びクラシックカーの価格がわずかながら上昇し始めている。この統計は2016年から2020年現在までの価格推移となっているが、なんと上位10台のうち9台がドイツ車という結果になった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/2/6/8/2/4/2/7/BMW-323i-E21-1978-1200x800-be2ee493cea2eb83.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 323i</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　価値上昇車種中「トップ3」にはBMWが並んだ。1位は、2016年から4年の間になんと61％も値上がりしたBMW 3シリーズ（E 21）だ。2016年には平均8500ユーロ（約106万円）だったものが、今や約13,700ユーロ（約171万円）にまでアップている。<br>　日本では、バブル経済絶頂期に、六本木や表参道にあふれていた3シリーズも、今やヴィンテージカーの仲間入りをし、値段が上がっているとは...。とは言え、まだまだ手の届く範疇なのはほっとする。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-315c11d7dd1ff050.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 3.0 CSi（E9、1971～1974）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　CSシリーズは57パーセントの価格上昇を記録している。2016年には約43,000ユーロ（約537万円）だったものが、今や67,500ユーロ（約843万円）もの投資が必要となっている。<br>　程度の良い個体も減少しているので、さらに入手は難しくなるかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-cd7d7d8372759e9f.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Angelika Emmerling / AUTO BILD</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>BMW 2002（1968～1976） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　BMW 02シリーズ。2016年にはまだ約16,900ユーロ（約211万円）だったが、4年後の今や、購入するには25,000ユーロ（約312万円）以上支払わなければならない。これは、価値が48パーセントも上昇したことを意味する。<br>　BMWの中でも名車の誉れ高い「マルニ」。Youtubeなどでは毎度新型にマルニのオマージュデザインのプロとモデルCGが現れることからも、その高い人気が伺い知れる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/2/9/9/60-Jahre-Trabant-1200x800-3a31415e40c49898.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Werk</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>トラバントP60（1958～1964）  </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　紙製のボディで名を馳せた、旧東ドイツ製のAWZトラバントも価値が上がりつつある。2,900ユーロ（約36万円）から3,600ユーロ（約45万円）へのジャンプは、24パーセントの価値の増加を遂げている。しかし、旧東側の遺産でもあり、そもそもタマ数が少なく、お手頃な値段ではあるが、程度の良い個体はまず手に入らないかもしれない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-d61bd0be2ff6db58.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Angelika Emmerling</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>アルファロメオ2000 GTVクーペ（1971～1977） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　唯一のドイツ車以外は、9位のアルファロメオGT/GTV/ジュニアは、それぞれ25％の値上がりを記録している。2016年にはまだ30,400ユーロ（約380万円）だったが、現在では38,000ユーロ（約475万円）となっている。最近のEV化やレストモッドでもベース車両となっていることからもその人気が伺える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/2/9/5/0/1/Ranking-2018-Oldtimer-mit-Wertsteigerung-1200x800-332f5f14a79f93b2.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Harald Almonat</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>ヴァルトブルク353</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　旧東ドイツのヴァルトブルク353（1975～1988）は、31パーセントの価値の上昇を獲得した。2016年には4,200ユーロ（約52万円）、2019年には5,500ユーロ（約68万円）にまでアップした。  　このあたりになると、日本ではまずご存じの方のほうが少ないだろう。とにかく値上がり率は高いそうだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading -->
<h2>価格下落の負け組TOP3</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/6/7/8/9/1/4/Mercedes-Benz-230-SL-729x486-c39bb2b407d1a0f1.jpg" alt=""/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>メルセデス・ベンツ　SL（W113〜パゴダルーフ）</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　クラシックカーを投資と見なしている投資家には悲報だが、乗って楽しみたい人たちは喜ぶかもしれない。なぜなら、最も下落率の高い3台の車は、いわゆる「ドリームカー」と呼び声の高い人気車両だ。<br>　その一つ、下落率第三位はパゴダルーフが人気のメルセデス（W113）。2016年に96,000ユーロ（約1,200万円）と記載されていたが、現在では86,000ユーロ（約1,075万円）と、10パーセント以上もの下落だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/5/3/1/1/8/0/Mercedes-Benz-190-SL-W-121-729x486-15b5a4c4609123d7.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Markus Heimbach</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>メルセデス・ベンツ 190SL（1971） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　縦目以上に人気の71年型メルセデス190SLが第二位。2016年に12万7,000ユーロ（約1,400万円）との評価だったが、4年後の現在は10万ユーロ（約1,250万円）と、21％も下落している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://i.auto-bild.de/ir_img/8/1/7/3/6/5/Ferrari-328-729x486-d857403c2dcd88a1.jpg" alt=""/><figcaption>Photo: Andreas Lindlahr</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3>フェラーリ328GTB（1989） </h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>　下落率ナンバーワンとなったのはフェラーリ328。10万ユーロ（約1,250万円）から74,000ユーロ（約925万円）へと26％の下落を記録している。<br>　人気車両ゆえの価格の推移かもしれないが、お金の問題以前に、いずれも程度の良いものを探すとなるとなかなか骨の折れる作業になることは間違いない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text: Lars Hänsch-Petersen<br>
加筆：大林晃平<br>
Photo: AUTO BILD</p>
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