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	<title>ゴットリーブ・ダイムラー - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>ゴットリーブ・ダイムラー - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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		<title>スタインウェイとメルセデスの深い絆</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Dec 2021 22:50:00 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="400" height="298" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4.jpg 400w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-300x224.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-265x198.jpg 265w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>世界のピアニストが愛してやまなく最も信頼するピアノメーカーのひとつ、スタインウェイ＆サンズ（Steinway＆Sons）と世界初のガソリン・エンジン付き自動車4輪車を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラー（Gottlieb Daimler）との間には深い絆、そして友情が存在していた事を果して知っていたであろうか？まずピアノの最高峰スタインウェイ＆サンズの歴史を紹介し、次いでゴットリーブ・ダイムラーとの深い絆と友情を紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>世界のピアノの巨匠たちから信頼され愛用された「スタインウェイ＆サンズ」<br> スタインウェイ＆サンズの歴史は、1台のグランドピアノ「No.1ピアノ」がドイツ中東部のザクセン州ゼーゼンで誕生した1836年に始まる。製作者はドイツ人のハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグ（英語；ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ）で、彼こそスタインウェイの創立者（1797年生まれの家具職人）である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/02-2-1_1-1.jpg" alt="" class="wp-image-11804"/><figcaption>1836年、家具職人のハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグが自宅のキッチンで作り上げたピアノがスタンウェイの始まりとなった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>グランドピアノは、1700年頃にイタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明され、その後急激に発達したものの、楽聖ベートーベンの時代になっても、彼の音楽にとって満足できるものにはなっていなかった。しかし1836年、ハインリッヒは自宅のキッチンで最初のピアノを造り上げた（愛称；キッチンピアノ）。これによって、フォルテピアノ（18世紀～19世紀前半の様式のピアノ）の音の可能性は広がり、それまでにない演奏表現が可能になった。<br>作曲家・ロッシーニは「スタインウェイピアノの音は、雷鳴や嵐のように力強く、春の夜のナイチンゲールがさえずる様にメロディアスである」と語っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/02-2-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11773"/></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/03-4.jpg" alt="" class="wp-image-11774"/><figcaption>1836年、ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタンヴェグが自宅キッチンで製作した最初のグランドピアノ（キッチンピアノの愛称）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、新たな可能性を求めて息子達と共にアメリカに渡り、名前も英語に改めドイツ語のSteinweg（シュタインヴェグ）からSteinwayにし、「スタインウェイ」の名称が誕生した。そして1853年息子達と共に「Steinway＆Sons」の商標で会社を設立。1855年には三男ヘンリーJr.の設計による総鉄骨フレームに弦を交差させて張ったスクエアピアノをニューヨーククリスタル・パレスで開かれた博覧会に出品し、高品質が認められ金メダルと特別賞を受賞。創業してわずか2年にして、一躍アメリカ中に「スタインウェイ＆サンズ」の名前が知れ渡った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/04-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11775"/><figcaption>1853年にアメリカでハインリッヒは息子達と共にSteinway＆Sonsを設立。（写真は1858年）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さらに1862年と1867年に開催されたロンドンとパリの万国博覧会においてもその近代的な新方式が認められ、金賞を受賞。それに伴いヨーロッパからもスタインウェイのピアノが要望され、1875年にはロンドンに支店、1880年にはハンブルクに工場を新設。これがドイツ製スタインウェイピアノの誕生となった。特に四男ウィリアム・スタンウェイは、1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長として会社を率いたが、幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。彼は音楽への愛を喚起するため、人気を博していたピアニストを招きコンサートツアーを企画、また著名な音楽家達の推薦状を会社のPRに利用。ニューヨークとハンブルグという2つの故郷から、全世界へ向けてスタインウェイピアノの生産が始まり、現在までに61万台以上のスタインウェイが世界の第一線で愛用されていると言われている。特筆すべきは創業以来129以上もの特許でピアノ造りに革命を起こし続け、「可能な限り最高のピアノ」という哲学と匠の技で1台１台がオリジナルの芸術品として造り続けられている事である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/06-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11777"/><figcaption>ウィリアム・スタンウェイは1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長となる。幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/05-1-922x1024.jpg" alt="" class="wp-image-11776"/><figcaption>ウィリアム・スタンウェイ限定モデル（写真は1876年フィラディルフィアで開催された建国100周年万国博で最高の栄誉を獲得したグランドピアノを復刻したもの）</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p>今日、世界の演奏会で音楽愛好家の心を美しい響きで満たすことができるのも、ハインリッヒの情熱と創意、完璧を求める精神が生んだ名品であるからだ。スタインウェイピアノの響きを愛する人々に「イニミタブルトーン（比類なき響き）」と称される名品を生み出し、正に「名品に心あり」と言える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ダイムラー・エンジン会社のアメリカ進出をドイツの盟友スタインウェイが後押しした！</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> ダイムラー・エンジン会社のメルセデス（車名）がフランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカでも目覚ましい売れ行きを示したのはドイツの盟友スタインウェイの後押しがあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> その前に、ドイツのカンシュタットで世界初のガソリン・エンジン付き自動車（4輪車）を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラーについて説明しておこう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/18-1_1-1.jpg" alt="" class="wp-image-11791"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラー（1834－1900年）；世界初のガソリン自動車を発明した人物の一人。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> ゴットリーブ・ダイムラー（1834-1900年）は、あらゆる交通手段に自動的に動かせるシステム、即ちエンジン製造に熱意を燃やしていた。1872年、彼はすでにこの業界ではエキスパートに達しており、ドイツ・ガス・エンジン製造会社のテクニカル・マネージャーに迎えられた。この会社で彼は運命の出会いである天才技術者ヴィルヘルム・マイバッハにめぐりあい、大いに軽量高回転エンジンの構想を推進する事ができた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>遂に1883年12月16日、初のガソリン・エンジンの開発に成功、このエンジンの馬力当り重量は800～900rpm/hにおいて80kg:1psであった。シンプルなホットチューブ・イグニッションを備え特許も取得した(ドイツ国家特許28022及び28243)。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/19_1.jpg" alt="" class="wp-image-11790"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーの開発した単気筒エンジン（1885年）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴットリーブ・ダイムラーはヴィルヘルム・マイバッハの協力により、このエンジンを1885年11月10日に初めて2輪車に搭載。これが世界初の2輪車、今でいうオートバイである。次いで1886年には最初の4輪車にこのエンジンが載せられ、世界初のガソリン・エンジン付き自動車の誕生となった(カンシュタット)。さらに、モーターボートにもこのエンジンが取り付けられた。1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。このように、ゴットリーブ・ダイムラーは初めから「陸・海・空」のあらゆる種類の乗り物にガソリン・エンジンを普及させようと考えていた。そこで、周知の通りこの陸・海・空を意味する「スリーポインテッドスター」が生まれメルセデス・ベンツのシンボルとなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/20-2.jpg" alt="" class="wp-image-11792"/><figcaption>1886年、ゴットリーブ・ダイムラーの4輪車（世界初のガソリン自動車）。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/21-1.jpg" alt="" class="wp-image-11799"/><figcaption>1886年、ゴットリーブ・ダイムラーのガソリン・エンジンを搭載した世界初のモーターボート。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/23.jpg" alt="" class="wp-image-11796"/><figcaption>1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/25-1024x318.jpg" alt="" class="wp-image-11800"/><figcaption>スリーポンテッドスターのエンブレム（1909年）とスター＆ＭＥＲＣＥＤＥＳ文字組み合わせロゴ（1916年）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>先述の通り1886年、ゴットリーブ・ダイムラーはガソリン・エンジンつきボートをフランクフルトのレガッタ・クラブの要請で造りあげ、初めてネッカー川で実験し、1888年にはマリー号がビスマルク宰相に引き渡された。そして、彼は1890年にダイムラー・エンジン会社を設立し、海外と利益関係を結ぶためダイムラー・エンジン会社の海外進出が始まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/22-1.jpg" alt="" class="wp-image-11794"/><figcaption>1888年、ビスマルク宰相のボート（マリー号）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/26-1.jpg" alt="" class="wp-image-11793"/><figcaption>1890年にダイムラー・エンジン会社を設立（カンシュタット）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴットリーブ・ダイムラーはこの海外進出こそ将来、自分の理想を大きく膨らませるカギとなると確信していた。1889年、彼はフランスの自動車生産を盛り上げたパナール・ルバッソール社と契約を結び、1891年にはアメリカで高速エンジンとその様々な利用法を広めたニューヨークのピアノメーカー、スタインウェイ＆サンズと契約を結びニューヨークにダイムラー・モーター会社を設立するに至った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/09-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11797"/><figcaption>ニューヨーク州ロングアイランドにダイムラー・モーター会社を設立。これで、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初のアメリカ進出を果たした。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/07-1-847x1024.jpg" alt="" class="wp-image-11778"/><figcaption>1888年ウィリアム・スタンウェイとダイムラーの出会いがダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する「ダイムラー・モーター会社」を設立。定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も契約に含まれていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> さて、本題の両社間で深い絆と友情が結ばれたきっかけは1888年だった。スタインウェイ＆サンズの創立者ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグの四男ウィリアム・スタインウェイが故郷ドイツを訪問した際、ゴットリーブ・ダイムラーと知り合い、ダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する事について話し合いを重ねた。結果、交渉はうまくまとまり、ウィリアム・スタインウェイはアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに合弁会社「ダイムラー・モーター会社」を設立。その契約には定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も含まれた。つまり、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初めてアメリカ進出を果たしたのだ。特に、ゴットリーブ・ダイムラーのパートナーで天才技術者であるヴィルヘルム・マイバッハが設計した1901年最初の「35PSメルセデス」を初めてニューヨーク向けに出荷し、またゴットリーブ・ダイムラーが描いたオリジナル図面を用いたアメリカ初の本格自動車エンジンライセンスを生産する等、この両社の絆は非常に深いものとなった。さらにウィリアムはゴットリーブ・ダイムラーの1891年ガソリン・エンジンのアメリカにおける権利を保有し、このエンジンを彼がアストリアで造ったヨットやモーターカーにも搭載した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11795,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/24-1024x538.jpg" alt="" class="wp-image-11795"/><figcaption>1901年最初の「35PSメルセデス」</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/08-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11798"/><figcaption>スタンウェイの大型モーターボート（イラスト；船名にSTEINWAYの文字が見える）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この深い絆を現在に伝える為、2008年にシュツットガルトのリーダーハレにおいて、メルセデスとスタインウェイはドイツ生まれの世界的ピアニストであるラルス・フォークトを迎えて、120周年記念コンサートを開催した。日本でもスタインウェイのピアノ演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボが2011年名古屋市内にあるメルセデス・ベンツ楠で行われた。尚、世界最高峰のオーストリア・ウィーン楽友協会で毎年開催されているニューイヤーコンサートでもスタインウェイのピアノは愛用されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11780,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/14_1-1024x680.jpg" alt="" class="wp-image-11780"/><figcaption>世界最高峰のオーケストラ・ウィーンフィルの本拠地；ウィーン楽友協会全景。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/15-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-11779"/><figcaption>2019年ニューイヤーコンサートにも使用された大ホール（別名；黄金の間）。（写真は2019年）</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/16-1-1024x348.jpg" alt="" class="wp-image-11781"/><figcaption>2019年ニューイヤーコンサートのリハーサル風景。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/17-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11782"/><figcaption>ウィーン楽友協会黄金の間にて使用されているスタインウェイ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 常に「最高と比類なき製品」造りにこだわり続ける理念は、現在のメルセデス・ベンツとスタインウェイの両会社にも共通し今も脈々と引き継がれている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/10-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11783"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノ（モデル；B-211）。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/11-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11784"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノの右サイドには意匠ロゴ。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11785,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/12_1.jpg" alt="" class="wp-image-11785"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノの鍵盤上の意匠ロゴ。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/13_1.jpg" alt="" class="wp-image-11786"/><figcaption>スタンウェイグランドピアノの意匠刻印（STEINWAY＆SONS NEWYORK HAMBURG）。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<p class="has-background has-very-light-gray-background-color">今年2021年は、メルセデス・ベンツ及び日独交流において記念すべき特別な年だ。つまり、メルセデス・ベンツは今から遡ること135年前の1886年に世界で初めてゴットリーブ・ダイムラーがガソリン・エンジン付き自動車4輪車を、またカール・ベンツが時を同じくしてガソリン・エンジン付き自動車3輪車を発明し、「自動車誕生135周年」を迎えた。また、日本とドイツが初めて交流して160周年を迎えた。オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジア遠征団が、1860年秋に江戸沖に来航し、翌1861年１月に両国は修好通商条約を締結し「日独交流160周年」。この2つの記念を祝しお互いさまざまな記念行事を計画されていたが、コロナ禍でかなり自制せざるを得なくなったのは誠に残念な事である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text＝妻谷裕二<br>Photo：ダイムラーAG、MBミュージアム＆マガジン、妻谷裕二。<br>撮影協力：島村楽器株式会社（グランフロント大阪ショップ）。<br>ウィーンフィルの本拠地・ウィーン楽友協会及びコンサート写真提供＝Shoichi Yatsu。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>【筆者の紹介】<br>妻谷裕二（Hiroji Tsumatani）<br>1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。</strong> </p>
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<!-- /wp:html -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="400" height="298" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4.jpg 400w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-300x224.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/01-4-265x198.jpg 265w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></div><!-- wp:paragraph -->
<p><strong>世界のピアニストが愛してやまなく最も信頼するピアノメーカーのひとつ、スタインウェイ＆サンズ（Steinway＆Sons）と世界初のガソリン・エンジン付き自動車4輪車を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラー（Gottlieb Daimler）との間には深い絆、そして友情が存在していた事を果して知っていたであろうか？まずピアノの最高峰スタインウェイ＆サンズの歴史を紹介し、次いでゴットリーブ・ダイムラーとの深い絆と友情を紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>世界のピアノの巨匠たちから信頼され愛用された「スタインウェイ＆サンズ」<br> スタインウェイ＆サンズの歴史は、1台のグランドピアノ「No.1ピアノ」がドイツ中東部のザクセン州ゼーゼンで誕生した1836年に始まる。製作者はドイツ人のハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェグ（英語；ヘンリー・エンゲルハート・スタインウェイ）で、彼こそスタインウェイの創立者（1797年生まれの家具職人）である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11804,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/02-2-1_1-1.jpg" alt="" class="wp-image-11804"/><figcaption>1836年、家具職人のハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグが自宅のキッチンで作り上げたピアノがスタンウェイの始まりとなった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>グランドピアノは、1700年頃にイタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明され、その後急激に発達したものの、楽聖ベートーベンの時代になっても、彼の音楽にとって満足できるものにはなっていなかった。しかし1836年、ハインリッヒは自宅のキッチンで最初のピアノを造り上げた（愛称；キッチンピアノ）。これによって、フォルテピアノ（18世紀～19世紀前半の様式のピアノ）の音の可能性は広がり、それまでにない演奏表現が可能になった。<br>作曲家・ロッシーニは「スタインウェイピアノの音は、雷鳴や嵐のように力強く、春の夜のナイチンゲールがさえずる様にメロディアスである」と語っている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11773,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/02-2-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11773"/></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11774,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/03-4.jpg" alt="" class="wp-image-11774"/><figcaption>1836年、ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタンヴェグが自宅キッチンで製作した最初のグランドピアノ（キッチンピアノの愛称）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>その後、新たな可能性を求めて息子達と共にアメリカに渡り、名前も英語に改めドイツ語のSteinweg（シュタインヴェグ）からSteinwayにし、「スタインウェイ」の名称が誕生した。そして1853年息子達と共に「Steinway＆Sons」の商標で会社を設立。1855年には三男ヘンリーJr.の設計による総鉄骨フレームに弦を交差させて張ったスクエアピアノをニューヨーククリスタル・パレスで開かれた博覧会に出品し、高品質が認められ金メダルと特別賞を受賞。創業してわずか2年にして、一躍アメリカ中に「スタインウェイ＆サンズ」の名前が知れ渡った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11775,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/04-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11775"/><figcaption>1853年にアメリカでハインリッヒは息子達と共にSteinway＆Sonsを設立。（写真は1858年）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>さらに1862年と1867年に開催されたロンドンとパリの万国博覧会においてもその近代的な新方式が認められ、金賞を受賞。それに伴いヨーロッパからもスタインウェイのピアノが要望され、1875年にはロンドンに支店、1880年にはハンブルクに工場を新設。これがドイツ製スタインウェイピアノの誕生となった。特に四男ウィリアム・スタンウェイは、1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長として会社を率いたが、幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。彼は音楽への愛を喚起するため、人気を博していたピアニストを招きコンサートツアーを企画、また著名な音楽家達の推薦状を会社のPRに利用。ニューヨークとハンブルグという2つの故郷から、全世界へ向けてスタインウェイピアノの生産が始まり、現在までに61万台以上のスタインウェイが世界の第一線で愛用されていると言われている。特筆すべきは創業以来129以上もの特許でピアノ造りに革命を起こし続け、「可能な限り最高のピアノ」という哲学と匠の技で1台１台がオリジナルの芸術品として造り続けられている事である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11777,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/06-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11777"/><figcaption>ウィリアム・スタンウェイは1876年に創立者の跡を継ぎ、初代社長となる。幅広いルネサンス的教養人、革新的経営者として商才豊かであった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11776,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/05-1-922x1024.jpg" alt="" class="wp-image-11776"/><figcaption>ウィリアム・スタンウェイ限定モデル（写真は1876年フィラディルフィアで開催された建国100周年万国博で最高の栄誉を獲得したグランドピアノを復刻したもの）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今日、世界の演奏会で音楽愛好家の心を美しい響きで満たすことができるのも、ハインリッヒの情熱と創意、完璧を求める精神が生んだ名品であるからだ。スタインウェイピアノの響きを愛する人々に「イニミタブルトーン（比類なき響き）」と称される名品を生み出し、正に「名品に心あり」と言える。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ダイムラー・エンジン会社のアメリカ進出をドイツの盟友スタインウェイが後押しした！</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> ダイムラー・エンジン会社のメルセデス（車名）がフランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカでも目覚ましい売れ行きを示したのはドイツの盟友スタインウェイの後押しがあった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> その前に、ドイツのカンシュタットで世界初のガソリン・エンジン付き自動車（4輪車）を発明した1人であるゴットリーブ・ダイムラーについて説明しておこう。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11791,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/18-1_1-1.jpg" alt="" class="wp-image-11791"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラー（1834－1900年）；世界初のガソリン自動車を発明した人物の一人。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> ゴットリーブ・ダイムラー（1834-1900年）は、あらゆる交通手段に自動的に動かせるシステム、即ちエンジン製造に熱意を燃やしていた。1872年、彼はすでにこの業界ではエキスパートに達しており、ドイツ・ガス・エンジン製造会社のテクニカル・マネージャーに迎えられた。この会社で彼は運命の出会いである天才技術者ヴィルヘルム・マイバッハにめぐりあい、大いに軽量高回転エンジンの構想を推進する事ができた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>遂に1883年12月16日、初のガソリン・エンジンの開発に成功、このエンジンの馬力当り重量は800～900rpm/hにおいて80kg:1psであった。シンプルなホットチューブ・イグニッションを備え特許も取得した(ドイツ国家特許28022及び28243)。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11790,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/19_1.jpg" alt="" class="wp-image-11790"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーの開発した単気筒エンジン（1885年）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴットリーブ・ダイムラーはヴィルヘルム・マイバッハの協力により、このエンジンを1885年11月10日に初めて2輪車に搭載。これが世界初の2輪車、今でいうオートバイである。次いで1886年には最初の4輪車にこのエンジンが載せられ、世界初のガソリン・エンジン付き自動車の誕生となった(カンシュタット)。さらに、モーターボートにもこのエンジンが取り付けられた。1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。このように、ゴットリーブ・ダイムラーは初めから「陸・海・空」のあらゆる種類の乗り物にガソリン・エンジンを普及させようと考えていた。そこで、周知の通りこの陸・海・空を意味する「スリーポインテッドスター」が生まれメルセデス・ベンツのシンボルとなった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11792,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/20-2.jpg" alt="" class="wp-image-11792"/><figcaption>1886年、ゴットリーブ・ダイムラーの4輪車（世界初のガソリン自動車）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11799,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/21-1.jpg" alt="" class="wp-image-11799"/><figcaption>1886年、ゴットリーブ・ダイムラーのガソリン・エンジンを搭載した世界初のモーターボート。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11796,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/23.jpg" alt="" class="wp-image-11796"/><figcaption>1888年8月12日には、ライプチッヒの書籍販売業・ヴェルフェルト所有の飛行船に4psエンジンを搭載し、カンシュタットを飛び立ちコルンヴェスゼイムの4kmを飛行し無事着陸。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11800,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/25-1024x318.jpg" alt="" class="wp-image-11800"/><figcaption>スリーポンテッドスターのエンブレム（1909年）とスター＆ＭＥＲＣＥＤＥＳ文字組み合わせロゴ（1916年）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>先述の通り1886年、ゴットリーブ・ダイムラーはガソリン・エンジンつきボートをフランクフルトのレガッタ・クラブの要請で造りあげ、初めてネッカー川で実験し、1888年にはマリー号がビスマルク宰相に引き渡された。そして、彼は1890年にダイムラー・エンジン会社を設立し、海外と利益関係を結ぶためダイムラー・エンジン会社の海外進出が始まった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11794,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/22-1.jpg" alt="" class="wp-image-11794"/><figcaption>1888年、ビスマルク宰相のボート（マリー号）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11793,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/26-1.jpg" alt="" class="wp-image-11793"/><figcaption>1890年にダイムラー・エンジン会社を設立（カンシュタット）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ゴットリーブ・ダイムラーはこの海外進出こそ将来、自分の理想を大きく膨らませるカギとなると確信していた。1889年、彼はフランスの自動車生産を盛り上げたパナール・ルバッソール社と契約を結び、1891年にはアメリカで高速エンジンとその様々な利用法を広めたニューヨークのピアノメーカー、スタインウェイ＆サンズと契約を結びニューヨークにダイムラー・モーター会社を設立するに至った。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11797,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/09-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11797"/><figcaption>ニューヨーク州ロングアイランドにダイムラー・モーター会社を設立。これで、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初のアメリカ進出を果たした。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11778,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/07-1-847x1024.jpg" alt="" class="wp-image-11778"/><figcaption>1888年ウィリアム・スタンウェイとダイムラーの出会いがダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する「ダイムラー・モーター会社」を設立。定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も契約に含まれていた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> さて、本題の両社間で深い絆と友情が結ばれたきっかけは1888年だった。スタインウェイ＆サンズの創立者ハインリッヒ・エンゲルハルト・スタインヴェグの四男ウィリアム・スタインウェイが故郷ドイツを訪問した際、ゴットリーブ・ダイムラーと知り合い、ダイムラー製品をアメリカでライセンス生産する事について話し合いを重ねた。結果、交渉はうまくまとまり、ウィリアム・スタインウェイはアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに合弁会社「ダイムラー・モーター会社」を設立。その契約には定置型及び船舶用エンジンの生産を行う条項も含まれた。つまり、ドイツ本国のダイムラー・エンジン会社は欧州自動車メーカーとして初めてアメリカ進出を果たしたのだ。特に、ゴットリーブ・ダイムラーのパートナーで天才技術者であるヴィルヘルム・マイバッハが設計した1901年最初の「35PSメルセデス」を初めてニューヨーク向けに出荷し、またゴットリーブ・ダイムラーが描いたオリジナル図面を用いたアメリカ初の本格自動車エンジンライセンスを生産する等、この両社の絆は非常に深いものとなった。さらにウィリアムはゴットリーブ・ダイムラーの1891年ガソリン・エンジンのアメリカにおける権利を保有し、このエンジンを彼がアストリアで造ったヨットやモーターカーにも搭載した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11795,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/24-1024x538.jpg" alt="" class="wp-image-11795"/><figcaption>1901年最初の「35PSメルセデス」</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11798,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/08-1-rotated.jpg" alt="" class="wp-image-11798"/><figcaption>スタンウェイの大型モーターボート（イラスト；船名にSTEINWAYの文字が見える）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この深い絆を現在に伝える為、2008年にシュツットガルトのリーダーハレにおいて、メルセデスとスタインウェイはドイツ生まれの世界的ピアニストであるラルス・フォークトを迎えて、120周年記念コンサートを開催した。日本でもスタインウェイのピアノ演奏とメルセデス・ベンツ展示会のコラボが2011年名古屋市内にあるメルセデス・ベンツ楠で行われた。尚、世界最高峰のオーストリア・ウィーン楽友協会で毎年開催されているニューイヤーコンサートでもスタインウェイのピアノは愛用されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11780,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/14_1-1024x680.jpg" alt="" class="wp-image-11780"/><figcaption>世界最高峰のオーケストラ・ウィーンフィルの本拠地；ウィーン楽友協会全景。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11779,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/15-1-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-11779"/><figcaption>2019年ニューイヤーコンサートにも使用された大ホール（別名；黄金の間）。（写真は2019年）</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11781,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/16-1-1024x348.jpg" alt="" class="wp-image-11781"/><figcaption>2019年ニューイヤーコンサートのリハーサル風景。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11782,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/17-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11782"/><figcaption>ウィーン楽友協会黄金の間にて使用されているスタインウェイ。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 常に「最高と比類なき製品」造りにこだわり続ける理念は、現在のメルセデス・ベンツとスタインウェイの両会社にも共通し今も脈々と引き継がれている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":11783,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/10-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11783"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノ（モデル；B-211）。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11784,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/11-1_1.jpg" alt="" class="wp-image-11784"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノの右サイドには意匠ロゴ。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11785,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/12_1.jpg" alt="" class="wp-image-11785"/><figcaption>スタインウェイグランドピアノの鍵盤上の意匠ロゴ。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":11786,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/12/13_1.jpg" alt="" class="wp-image-11786"/><figcaption>スタンウェイグランドピアノの意匠刻印（STEINWAY＆SONS NEWYORK HAMBURG）。<br>Photo：妻谷裕二</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph {"backgroundColor":"very-light-gray"} -->
<p class="has-background has-very-light-gray-background-color">今年2021年は、メルセデス・ベンツ及び日独交流において記念すべき特別な年だ。つまり、メルセデス・ベンツは今から遡ること135年前の1886年に世界で初めてゴットリーブ・ダイムラーがガソリン・エンジン付き自動車4輪車を、またカール・ベンツが時を同じくしてガソリン・エンジン付き自動車3輪車を発明し、「自動車誕生135周年」を迎えた。また、日本とドイツが初めて交流して160周年を迎えた。オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジア遠征団が、1860年秋に江戸沖に来航し、翌1861年１月に両国は修好通商条約を締結し「日独交流160周年」。この2つの記念を祝しお互いさまざまな記念行事を計画されていたが、コロナ禍でかなり自制せざるを得なくなったのは誠に残念な事である。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text＝妻谷裕二<br>Photo：ダイムラーAG、MBミュージアム＆マガジン、妻谷裕二。<br>撮影協力：島村楽器株式会社（グランフロント大阪ショップ）。<br>ウィーンフィルの本拠地・ウィーン楽友協会及びコンサート写真提供＝Shoichi Yatsu。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>【筆者の紹介】<br>妻谷裕二（Hiroji Tsumatani）<br>1949年生まれ。幼少の頃から車に興味を持ち、1972年ヤナセに入社以来、40年間に亘り販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特に輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版カタログや販売教育資料等を制作。また、メルセデス・ベンツよもやま話全88話の執筆と安全性の独自講演会も実施。趣味はクラシックカーとプラモデル。現在は大阪日独協会会員。</strong> </p>
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		<title>モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！（前編）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Oct 2021 22:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[旧車＆ネオクラシック]]></category>
		<category><![CDATA[面白ネタ＆ストーリー]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="700" height="524" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg 700w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-696x521.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-561x420.jpg 561w" sizes="auto, (max-width: 700px) 100vw, 700px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>世界で最初の自動車レース</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>当時のダイムラー社やベンツ社のレーシングカー、そして1926年に合併後のダイムラー・ベンツ社もその組織力によって、数々のレースで優勝し活躍した。メルセデス・ベンツはレースで実証した革新技術を後の生産モデルに採用し（またその逆も）、自動車技術の発展に大きく貢献した。<br> そこで、「モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！」と題して、特にメルセデス・ベンツが1894年世界初の自動車レースから1955年ル・マンの悲劇で全てのレース活動を休止するまで活躍した伝説のレーシングマシンにスポットを当て前編・後編に分けて紹介する。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>当時のダイムラー・ベンツ社の概要</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1886年、ドイツのゴットリーブ・ダイムラー（4輪車）とカール・ベンツ（3輪車）が世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したのは周知の通りである。そして、ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立し、一方カール・ベンツは一足先にマンハイムで1883年にベンツ社を設立した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10651,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/02-1024x400.jpg" alt="" class="wp-image-10651"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーと2輪車＆4輪車（1885年に2輪車、1886年に4輪車）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10684,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/03-2.jpg" alt="" class="wp-image-10684"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10653,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/04-1024x437.jpg" alt="" class="wp-image-10653"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したカール・ベンツと3輪車（1886年）。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10654,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/05.jpg" alt="" class="wp-image-10654"/><figcaption>カール・ベンツはマンハイムで1883年にベンツ社を設立。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ダイムラー社の車の名前は当初、会社名と同じダイムラーであったが、しかし何故「メルセデス」と呼ばれる事になったかの詳細は次の通りである。フランスはニース駐在のオーストリア・ハンガリー帝国の領事であり国際的なビジネスマンであるエミール・イエリネックは、一度見た時から自動車の虜になり、ビジネスマンの勘で自動車の販売に興味を持った。そこで、彼は自らカンシュタットを訪問しダイムラー社の総代理店契約を取得し、1898年１月に最初のダイムラー社「フェニックス」を購入した。翌年、ムッシュ・メルセデスの名で、フランス・ニース・ツーリングラリーで優勝する実力があった。彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。そこは実業家で、この趣味を仕事に活かしたいと考えていた。ダイムラー車の奇妙なメカニズム（彼にとってはスピード不足）に加えて、その名前にも、うんざりしていた。つまり、1901年に登場したモデル35ＰＳは「ダイムラー」という如何にもドイツ的なこの名前、フランスでは堅すぎると考えていた。居を構えていたバーデン（ウィーン近郊）やニースの人々をはじめ、果てはカンシュタットの当時のダイムラー社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回った。つまり、彼の言葉の端々には理想のクルマを手に入れたいとの情熱が込められていた。さすがは、セールスマンのパイオニアと言われるだけあって、ダイムラー社に大量発注（まとめて36台）の条件として、自分が販売するクルマを「メルセデス」の名前にすることを申し入れた（1901年最初のメルセデス）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10655,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/07-2.jpg" alt="" class="wp-image-10655"/><figcaption>エミール・イエリネックと愛娘であるメルセデス・イエリネック。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>イエリネックがこの「メルセデス」の名前を付けたいと言ったのは、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘の名前（当時10歳）だった。また、「好きになってもらい、愛してもらうには、自動車は女性の名前であらねばならぬ」と常々語っていたと言われている（彼の妻はスペイン人であり、娘のメルセデスはスペイン系の名前）。ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。以後、ダイムラー社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカにまでめざましい売れ行きを示した（イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献し、1909年に引退）。一方、ベンツ社の車の名前はベンツであった。偉大な発明家ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが興したそれぞれの自動車会社はライバルとして市場で、レースで覇を競い合った。そして、共に高級車メーカーとして確固たる地位を築き上げていった。しかし、第一次大戦後の不況は自動車産業に大きな打撃を与え、不況の波は当然ダイムラー社とベンツ社にも容赦なく襲いかかってきた。そしてドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。本社はシュツットガルトのウンタートゥルクハイムに置かれた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10656,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/08.jpg" alt="" class="wp-image-10656"/><figcaption>ダイムラー社の役員は、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>スリー ポインテッド スターの意味</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。1926年にこの両社が合併してから、ダイムラー社の三星とベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、また三星だけがラジエーター・マスコットにも取り付けられている（スリー ポインテッド スターは1923年に特許）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10659,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/9.jpg" alt="" class="wp-image-10659"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10660,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/09（2）.jpg" alt="" class="wp-image-10660"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味し、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示した宣伝ポスター。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ゴットリーブ・ダイムラーが描いたスリー ポインテッド スターとは？</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1872年にゴットリーブ・ダイムラーは、妻にある１枚の絵葉書を送った。この絵葉書に描かれていたのはケルンの街並だが、ダイムラーはあるものを描き足して送った。それは絵葉書に自分の家を見出し、その中央上部に描かれた星。そしてダイムラーは併せて「この星が、私の会社の上で輝く日がいつかやってくる」と書いたと言われている。ダイムラーの二人の息子はこのエピソードを思い出し、これに興味を持った当時のダイムラー社の取締役会が1909年にトレード・マークとした（この時すでに、創業者のゴットリーブ・ダイムラーは他界）。そして、このダイムラーの描いた星が、メルセデス・ベンツのシンボル・スリー ポインテッド スターとなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10661,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/10.jpg" alt="" class="wp-image-10661"/><figcaption>第一次大戦後の不況により、ドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10664,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/11.jpg" alt="" class="wp-image-10664"/><figcaption>1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた事を意味する宣伝ポスター</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>メルセデス・ベンツのレーシング・ヒストリーを10の時代に大別</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリーは10の時代に分けてみると理解し易いと思うので下記にまず記しておこう。<br> <strong>①1894～1914年(街から街へのレース、そしてクラシカル・サーキットレース時代)</strong>　　　　　　　　　　　　　　<br> 世界で最初の自動車レースが、パリ～ルーアン間(126km)でおこなわれ、ダイムラー社製のエンジンを搭載した4台の「馬なし馬車(パナールとプジョー)」が上位を独占した。ドライバーとしてカミーユ・イェナッツィ、クリスチャン・ラウンテンシュラーガー、ラルフ・パルマらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10666,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/13-2.jpg" alt="" class="wp-image-10666"/><figcaption>1901年のウィーク・オブ・ニースに初登場しヴィルヘルム・ヴェルナーのドライビングで初優勝。このレースでメルセデスはデビューと同時に一大センセーションを巻き起こした。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>②1921～1933年(第1次レーシングとスポーツカー時代)</strong><br> 1921年は第1次世界大戦が終了し、3年目、シシリーのタルガ・フローリオに28-95PSのメルセデスが優勝した。ドライバーとしてはカウント・マセッテイ、クリスチャン・ヴェルナー、オットー・メルツらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":10676,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-2.jpg" alt="" class="wp-image-10676"/><figcaption>1927年　メルセデス・ベンツS；有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が率いた時代のメルセデス・ベンツが放ったハイライトがこのSモデル。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10677,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-3.jpg" alt="" class="wp-image-10677"/><figcaption>1928年のメルセデス・ベンツSSKスポーツカー。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:image {"id":10679,"sizeSlug":"large"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-4-1.jpg" alt="" class="wp-image-10679"/><figcaption>1931年4月、メルセデス・ベンツSSKLを駆ってイタリアのミレ・ミリアで優勝したルドルフ・カラッチオラは外国人ドライバーとして初めてこのミレ・ミリアを制した。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>③1934～1937年(750kg制限フォーミュラ時代)；3Lコンプレッサー・フォーミュラ</strong><br> W25   8気筒 4.3L 462PS  1935年<br> W-125   8気筒 5.66L 592PS  1937年<br> ドライバーはあの有名な雨の名手であるルドルフ・カラッチオラ、ヘルマン・ランクらが大活躍した。<br> <strong>④1938～1940年(3Lフォーミュラ時代)；スーパーチャージャー付き3Lかスーパーチャージャー無し4.5L</strong><br> W-154   12気筒 2.96L 468PS  1938年<br> W-154   12気筒 2.96L 483PS  1939年 <br> W-165   8気筒 1.49L 254PS   1939年　<br> <strong>⑤1952年(第2次世界大戦後初出場)；3Lスポーツカー/ツーリングカー300SL<br> ⑥1954年(2.5Lレーシング・フォーミュラに復帰)</strong><br> W-196   8気筒 2.5L 290PS (モノポストとストリームライン)<br><strong> ⑦1955年(レーシングの終幕)；2.5Lレーシング・フォーミュラ、スポーツカー300SLR、ツーリングSL)</strong><br> ドライバーはスターリング・モス、ファン・マニエル・ファンジオ、カール・クリンクらが大活躍した。<br> <strong>⑧ラリー・チャンピオンシップ参戦(ツーリングカー)；1956-1979年の主な成績</strong><br> <strong>1956-1963年</strong><br> 1956年・優勝回数84回、1957年・優勝回数60回、1958年・優勝回数33回、<br> 1959年・優勝回数32回、1960年・優勝回数117回、1961年・優勝回数133回、<br> 1962年・優勝回数54回、1963年・優勝回数225回。<br> <strong>1956-1959年</strong>(300SL、190SL等)　ショック、モルらが活躍した。<br> <strong>1960-1963年</strong>(220SE、 300SE)　ショック、モル、クリンク、ゲンツラー、ボーリンガー、カイザー、ロスクイストブイルス等が活躍した。<br> <strong>1979年</strong>(450SLC5.0)  アイボリーコーストのバンダマラリーで1・2・3・4位を独占した。<br><strong> ⑨1988年、遂に本格的なレースへの復帰を決定；1988-1996年の主な成績</strong><br> 1988年   DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に本格参戦開始、190E 2.3-16エボリューション1でデビュー。<br> 1989年   ザウバー・メルセデス、ル・マン24時間レースで1・2フィニッシュ。<br> 1994‐1996年 Cクラスベースのマシンで、1994‐1995年DTM、1995年ITC(インターナショナル・ツーリング選手権)でマニファクチャー/ドライバー両部門のダブルタイトルを獲得。1996年のITCでも活躍をした。<br> <strong>⑩今も世界の3つのカテゴリーのレースに挑戦している。</strong><br> GT選手権シリーズ、フォーミュラ1（F1）、そしてフォーミュラE（FE）。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><a href="http://autobild.jp/10646/2/">次ページ　メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリー</a></p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="700" height="524" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18.jpg 700w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-300x225.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-80x60.jpg 80w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-265x198.jpg 265w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-696x521.jpg 696w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/18-561x420.jpg 561w" sizes="auto, (max-width: 700px) 100vw, 700px" /></div><!-- wp:heading -->
<h2>世界で最初の自動車レース</h2>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>当時のダイムラー社やベンツ社のレーシングカー、そして1926年に合併後のダイムラー・ベンツ社もその組織力によって、数々のレースで優勝し活躍した。メルセデス・ベンツはレースで実証した革新技術を後の生産モデルに採用し（またその逆も）、自動車技術の発展に大きく貢献した。<br> そこで、「モーターレースを語らずにメルセデス・ベンツの歴史を語ることは不可能！」と題して、特にメルセデス・ベンツが1894年世界初の自動車レースから1955年ル・マンの悲劇で全てのレース活動を休止するまで活躍した伝説のレーシングマシンにスポットを当て前編・後編に分けて紹介する。</strong></p>
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<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>当時のダイムラー・ベンツ社の概要</h4>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> 1886年、ドイツのゴットリーブ・ダイムラー（4輪車）とカール・ベンツ（3輪車）が世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したのは周知の通りである。そして、ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立し、一方カール・ベンツは一足先にマンハイムで1883年にベンツ社を設立した。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/02-1024x400.jpg" alt="" class="wp-image-10651"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーと2輪車＆4輪車（1885年に2輪車、1886年に4輪車）。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/03-2.jpg" alt="" class="wp-image-10684"/><figcaption>ゴットリーブ・ダイムラーはカンシュタットで1890年にダイムラー社を設立</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/04-1024x437.jpg" alt="" class="wp-image-10653"/><figcaption>世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明したカール・ベンツと3輪車（1886年）。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/05.jpg" alt="" class="wp-image-10654"/><figcaption>カール・ベンツはマンハイムで1883年にベンツ社を設立。</figcaption></figure>
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<p>ダイムラー社の車の名前は当初、会社名と同じダイムラーであったが、しかし何故「メルセデス」と呼ばれる事になったかの詳細は次の通りである。フランスはニース駐在のオーストリア・ハンガリー帝国の領事であり国際的なビジネスマンであるエミール・イエリネックは、一度見た時から自動車の虜になり、ビジネスマンの勘で自動車の販売に興味を持った。そこで、彼は自らカンシュタットを訪問しダイムラー社の総代理店契約を取得し、1898年１月に最初のダイムラー社「フェニックス」を購入した。翌年、ムッシュ・メルセデスの名で、フランス・ニース・ツーリングラリーで優勝する実力があった。彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。そこは実業家で、この趣味を仕事に活かしたいと考えていた。ダイムラー車の奇妙なメカニズム（彼にとってはスピード不足）に加えて、その名前にも、うんざりしていた。つまり、1901年に登場したモデル35ＰＳは「ダイムラー」という如何にもドイツ的なこの名前、フランスでは堅すぎると考えていた。居を構えていたバーデン（ウィーン近郊）やニースの人々をはじめ、果てはカンシュタットの当時のダイムラー社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回った。つまり、彼の言葉の端々には理想のクルマを手に入れたいとの情熱が込められていた。さすがは、セールスマンのパイオニアと言われるだけあって、ダイムラー社に大量発注（まとめて36台）の条件として、自分が販売するクルマを「メルセデス」の名前にすることを申し入れた（1901年最初のメルセデス）。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/07-2.jpg" alt="" class="wp-image-10655"/><figcaption>エミール・イエリネックと愛娘であるメルセデス・イエリネック。</figcaption></figure>
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<p>イエリネックがこの「メルセデス」の名前を付けたいと言ったのは、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘の名前（当時10歳）だった。また、「好きになってもらい、愛してもらうには、自動車は女性の名前であらねばならぬ」と常々語っていたと言われている（彼の妻はスペイン人であり、娘のメルセデスはスペイン系の名前）。ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。以後、ダイムラー社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカにまでめざましい売れ行きを示した（イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献し、1909年に引退）。一方、ベンツ社の車の名前はベンツであった。偉大な発明家ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが興したそれぞれの自動車会社はライバルとして市場で、レースで覇を競い合った。そして、共に高級車メーカーとして確固たる地位を築き上げていった。しかし、第一次大戦後の不況は自動車産業に大きな打撃を与え、不況の波は当然ダイムラー社とベンツ社にも容赦なく襲いかかってきた。そしてドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。本社はシュツットガルトのウンタートゥルクハイムに置かれた。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/08.jpg" alt="" class="wp-image-10656"/><figcaption>ダイムラー社の役員は、自社の車をすべてメルセデスと呼ぶことにし、1902年に正式に商標名として登録。</figcaption></figure>
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<h4>スリー ポインテッド スターの意味</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。1926年にこの両社が合併してから、ダイムラー社の三星とベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、また三星だけがラジエーター・マスコットにも取り付けられている（スリー ポインテッド スターは1923年に特許）。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/9.jpg" alt="" class="wp-image-10659"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示し、1909年にトレード・マークになった。一方、ベンツ社のマークはＢＥＮＺという文字を月桂冠で囲んであった。この月桂冠の意味はレースの覇者。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/09（2）.jpg" alt="" class="wp-image-10660"/><figcaption>スリー ポインテッド スター（三星）は陸、海、空を意味し、ダイムラー社のエンジンをすべての交通機関に搭載しようと云うことを示した宣伝ポスター。</figcaption></figure>
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<!-- wp:heading {"level":4} -->
<h4>ゴットリーブ・ダイムラーが描いたスリー ポインテッド スターとは？</h4>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p> 1872年にゴットリーブ・ダイムラーは、妻にある１枚の絵葉書を送った。この絵葉書に描かれていたのはケルンの街並だが、ダイムラーはあるものを描き足して送った。それは絵葉書に自分の家を見出し、その中央上部に描かれた星。そしてダイムラーは併せて「この星が、私の会社の上で輝く日がいつかやってくる」と書いたと言われている。ダイムラーの二人の息子はこのエピソードを思い出し、これに興味を持った当時のダイムラー社の取締役会が1909年にトレード・マークとした（この時すでに、創業者のゴットリーブ・ダイムラーは他界）。そして、このダイムラーの描いた星が、メルセデス・ベンツのシンボル・スリー ポインテッド スターとなっている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/10.jpg" alt="" class="wp-image-10661"/><figcaption>第一次大戦後の不況により、ドイツ銀行を通じて、1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/11.jpg" alt="" class="wp-image-10664"/><figcaption>1926年6月ダイムラー社とベンツ社が合併し、会社名は「ダイムラー・ベンツ社」となり、生産する車の名前はすべて「メルセデス・ベンツ」と名付けられた事を意味する宣伝ポスター</figcaption></figure>
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<h4>メルセデス・ベンツのレーシング・ヒストリーを10の時代に大別</h4>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリーは10の時代に分けてみると理解し易いと思うので下記にまず記しておこう。<br> <strong>①1894～1914年(街から街へのレース、そしてクラシカル・サーキットレース時代)</strong>　　　　　　　　　　　　　　<br> 世界で最初の自動車レースが、パリ～ルーアン間(126km)でおこなわれ、ダイムラー社製のエンジンを搭載した4台の「馬なし馬車(パナールとプジョー)」が上位を独占した。ドライバーとしてカミーユ・イェナッツィ、クリスチャン・ラウンテンシュラーガー、ラルフ・パルマらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/13-2.jpg" alt="" class="wp-image-10666"/><figcaption>1901年のウィーク・オブ・ニースに初登場しヴィルヘルム・ヴェルナーのドライビングで初優勝。このレースでメルセデスはデビューと同時に一大センセーションを巻き起こした。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>②1921～1933年(第1次レーシングとスポーツカー時代)</strong><br> 1921年は第1次世界大戦が終了し、3年目、シシリーのタルガ・フローリオに28-95PSのメルセデスが優勝した。ドライバーとしてはカウント・マセッテイ、クリスチャン・ヴェルナー、オットー・メルツらが活躍。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-2.jpg" alt="" class="wp-image-10676"/><figcaption>1927年　メルセデス・ベンツS；有名なフェルディナンド・ポルシェ博士が率いた時代のメルセデス・ベンツが放ったハイライトがこのSモデル。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-3.jpg" alt="" class="wp-image-10677"/><figcaption>1928年のメルセデス・ベンツSSKスポーツカー。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2021/10/17-4-1.jpg" alt="" class="wp-image-10679"/><figcaption>1931年4月、メルセデス・ベンツSSKLを駆ってイタリアのミレ・ミリアで優勝したルドルフ・カラッチオラは外国人ドライバーとして初めてこのミレ・ミリアを制した。</figcaption></figure>
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<!-- wp:paragraph -->
<p> <strong>③1934～1937年(750kg制限フォーミュラ時代)；3Lコンプレッサー・フォーミュラ</strong><br> W25   8気筒 4.3L 462PS  1935年<br> W-125   8気筒 5.66L 592PS  1937年<br> ドライバーはあの有名な雨の名手であるルドルフ・カラッチオラ、ヘルマン・ランクらが大活躍した。<br> <strong>④1938～1940年(3Lフォーミュラ時代)；スーパーチャージャー付き3Lかスーパーチャージャー無し4.5L</strong><br> W-154   12気筒 2.96L 468PS  1938年<br> W-154   12気筒 2.96L 483PS  1939年 <br> W-165   8気筒 1.49L 254PS   1939年　<br> <strong>⑤1952年(第2次世界大戦後初出場)；3Lスポーツカー/ツーリングカー300SL<br> ⑥1954年(2.5Lレーシング・フォーミュラに復帰)</strong><br> W-196   8気筒 2.5L 290PS (モノポストとストリームライン)<br><strong> ⑦1955年(レーシングの終幕)；2.5Lレーシング・フォーミュラ、スポーツカー300SLR、ツーリングSL)</strong><br> ドライバーはスターリング・モス、ファン・マニエル・ファンジオ、カール・クリンクらが大活躍した。<br> <strong>⑧ラリー・チャンピオンシップ参戦(ツーリングカー)；1956-1979年の主な成績</strong><br> <strong>1956-1963年</strong><br> 1956年・優勝回数84回、1957年・優勝回数60回、1958年・優勝回数33回、<br> 1959年・優勝回数32回、1960年・優勝回数117回、1961年・優勝回数133回、<br> 1962年・優勝回数54回、1963年・優勝回数225回。<br> <strong>1956-1959年</strong>(300SL、190SL等)　ショック、モルらが活躍した。<br> <strong>1960-1963年</strong>(220SE、 300SE)　ショック、モル、クリンク、ゲンツラー、ボーリンガー、カイザー、ロスクイストブイルス等が活躍した。<br> <strong>1979年</strong>(450SLC5.0)  アイボリーコーストのバンダマラリーで1・2・3・4位を独占した。<br><strong> ⑨1988年、遂に本格的なレースへの復帰を決定；1988-1996年の主な成績</strong><br> 1988年   DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に本格参戦開始、190E 2.3-16エボリューション1でデビュー。<br> 1989年   ザウバー・メルセデス、ル・マン24時間レースで1・2フィニッシュ。<br> 1994‐1996年 Cクラスベースのマシンで、1994‐1995年DTM、1995年ITC(インターナショナル・ツーリング選手権)でマニファクチャー/ドライバー両部門のダブルタイトルを獲得。1996年のITCでも活躍をした。<br> <strong>⑩今も世界の3つのカテゴリーのレースに挑戦している。</strong><br> GT選手権シリーズ、フォーミュラ1（F1）、そしてフォーミュラE（FE）。</p>
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<p><a href="http://autobild.jp/10646/2/">次ページ　メルセデス・ベンツのレーシングマシン・ヒストリー</a></p>
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