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	<title>アウディミュージアム - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<description>世界最大級のクルマ情報サイトAUTO BILDの日本版。いち早い新車情報。高品質なオリジナル動画ビデオ満載。チューニングカー、ネオクラシックなど世界のクルマ情報は「アウトビルトジャパン」でゲット！</description>
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	<title>アウディミュージアム - AUTO BILD JAPAN Web（アウトビルトジャパンウェブ） 世界最大級のクルマ情報サイト</title>
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	<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その14　見たかったNSU Ro80</title>
		<link>https://autobild.jp/53774/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Jul 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[Felix Wankel]]></category>
		<category><![CDATA[NSU Ro80]]></category>
		<category><![CDATA[アウディミュージアム]]></category>
		<category><![CDATA[インゴルシュタット]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァンケルエンジン]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ自動車博物館]]></category>
		<category><![CDATA[フェリックス ヴァンケル]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1008" height="713" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" fetchpriority="high" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1.jpg 1008w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1-300x212.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1-768x543.jpg 768w" sizes="(max-width: 1008px) 100vw, 1008px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">5日目 2月21日 パート3</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>お目当てのクルマはアウディミュージアムの一隅にひっそりと佇んでいた。<br>NSU Ro80――。<br>アウディミュージアムのなかで、いや、今回の旅全体を通じて私がもっとも実物を見たかった1台がこれだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>NSU Ro80はロータリーエンジンを搭載した初の本格量産車で、時代に先んじた機構を数々備える傑出した4ドア乗用車だと思う。しかし私のそんな思い入れとは裏腹に、最近ではメディアが取り上げることはほぼ皆無、事実上「忘れ去られた1台」になった感がある。私はこのクルマの実態をもっと知りたいと思ったし、なにより現物を見たかった。長年抱いていたその念願がようやくインゴルシュタットのお膝元で適った。初めて見るNSU Ro80の端正な姿は私の心を揺さぶった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-53776"/><figcaption class="wp-element-caption">NSU Ro80。全長 x全幅 x全高：4780 x 1760 x 1410mm。ホイールベース：2860mm。空車重量：1251～1292kg。<br>Photo：Audi AG</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>今、私はRo80を、ロータリーエンジンを搭載した初の量産車と書いたが、これがデビューしたのは1967年のフランクフルトショーのこと。実はその3年前、1964年のフランクフルトショーにて、NSUはヴァンケルスパイダーというシングルローターの2座席スポーツカーを発表している。だから厳密には2番目のロータリーエンジン車だ。そうではあるが、2ローター ロータリーエンジンを搭載した実用的な4ドア乗用車としては掛け値なしに「世界初」であり、広く世間の注目を集めた点でもRo80の果たした役割は大きい、</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-1.jpg" alt="" class="wp-image-53777"/><figcaption class="wp-element-caption">1967年のフランクフルトショーにて華やかにワールドプレミアを果たすNSU Ro80。従来、コンパクトカーが中心だったNSUが、初めて手掛けるエグゼクティブ クラスの4ドアサルーンだった。<br>Photo：Audi AG</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>「世界初」の称号も大切だが、私がRo80に惹かれる理由はその外観デザインと、先進機構をズラリと揃えた野心的な設計にある。まずはデザインの話から始めよう。ボディデザインを統括したのは、当時NSUチーフデザイナーの任にあったクラウス ルーテ（Claus Luthe）という人。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53778,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4-1.jpg" alt="" class="wp-image-53778"/><figcaption class="wp-element-caption">NSU Ro80のサイドビューを見る。ホイールベース内の空間を一杯に使ったキャビン、広いガラスエリアと、それがもたらす四囲の良好な視界がわかる。<br>Photo：Audi AG</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>サイドビューを見ると、短めにまとめたエンジンルームに対して、ホイールベース（2860mm）を大きく取っているのがわかる。全長（4780mm）のなかで可能な限り広いキャビンスペースを確保している。リヤドアのシャットラインが後輪ホイールアーチに蹴られていないのも注目で、良好な乗降性を実現した。乗用車で基本とすべき要件を満たしたデザインだ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>6ライト（片側に3枚並ぶサイドウインドウ）を採用した効用も大きく、明るく開放感溢れる室内をもたらした。さらにこの6ライトは大きなリヤガラスと相まって、斜め方向を含めて優れた後方視界を提供する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>こうして見ていくと、クラウス ルーテはNSU Ro80で乗用車の理想像を徹底して追求したことがわかる。しかも完成したボディは普遍的でタイムレスな美を湛えている。機能に裏付けられた本質的な自動車美は、デビューから半世紀以上を経た今もその魅力を失っていない。空力面も優秀で、風洞実験を繰り返した結果、０.35というCd値（空気抵抗係数）を実現した。これは当時としては極めて優れた数値だという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>博識なAuto Bild Japanの読者諸氏は、今どきCd値0.3を切る乗用車は珍しくないと反論されるかもしれない。しかしRo80の開発は公式デビューの5年前、今から60余年もまえの1962年に遡ることを思い出して欲しい。それから現代にいたる間に、自動車に関する空気力学は飛躍的な進歩を遂げている。Ro80のCd値０.35は「当時としては」傑出した数字だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実際、ミュージアムの展示車のキャビン回りを見ると、前後ウインドウを囲むクロームメッキ仕上げのガーニッシュがルーフの前後端と滑らかな連続面を作っているのに気づく。一方、6ライトのサイドウインドウを囲むガーニッシュは雨樋の役割を兼務するが、これまたルーフと完璧な同一面を成している。どれも空気抵抗の低減を目指した、入念な風洞実験の成果だ。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-1.jpg" alt="" class="wp-image-53779"/><figcaption class="wp-element-caption">ウインドウ回りには入念な風洞実験がもたらした空力処理が見られる。アウトストラーダで超高速巡航を敢行した『Motor』誌は、Ro80のスムーズな走行性を「はるかに排気量の大きなV8でも適わない」と絶賛した。</figcaption></figure>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/6-1.jpg" alt="" class="wp-image-53780"/><figcaption class="wp-element-caption">アウディミュージアムのRo80はエンジンが見えるように、ボンネットが透明素材に変えてあった。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/7-1.jpg" alt="" class="wp-image-53781"/><figcaption class="wp-element-caption">機能と無関係な装飾品を一切排したクリーンなリヤビュー。この写真からもたっぷりしたトランクスペースと、広く開けた四囲の視界が見て取れる。どちらも乗用車の基本要件を満たしたグッドデザインだ。</figcaption></figure>
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<!-- wp:image {"id":53782,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-1.jpg" alt="" class="wp-image-53782"/><figcaption class="wp-element-caption">Cピラーにベンチレーションアウトレットが組み込まれていることを、実車を見て初めて知った。デザインと機能を一体化した好例。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>スタイリングの話はこれくらいにして、そろそろ機構面を見ることにしよう。ロータリーエンジンの実用化に初めて成功したのはフェリックス ヴァンケル（Felix Wankel 1902～1988年）というエンジニアなのはご存じの通り。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ヴァンケル以前にもロータリーエンジンのコンセプトは広く知られていたが、実現不可能と片付けられていた。幼いころから独創的な想像力を発揮する天賦の才能に恵まれたヴァンケルは、機械の世界、とりわけ内燃機関に興味を抱くようになる。17歳のとき、「新しいタイプのエンジンを搭載した自動車を作るんだ」と夢を友人に語ったと言われる。「半分はタービンで、あとの半分は往復運動をするエンジンだ」。長じて後、彼はロータリーエンジンの原型を1924年に考案し、1929年、27歳の若さで最初の特許を取得している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第二次世界大戦中は、スイスとの国境に近いボーデン湖畔のリンダウ（Lindau）にて研究を進めた。戦後、自身の研究所は連合国側によって解体されるが、1951年からNSUのエンジン製造研究部門と共同で作業を続けることができるようになって、ロータリーエンジンの開発に拍車が掛かる。1954年にNSU向けロータリーエンジンの設計第1号が完成、1957年から翌年にかけてプロトタイプの試験が続き、ついに1964年、初のロータリーエンジン搭載車NSUヴァンケルスパイダーが日の目を見たのだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="1008" height="713" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1.jpg 1008w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1-300x212.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1-1-768x543.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 1008px) 100vw, 1008px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">5日目 2月21日 パート3</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>お目当てのクルマはアウディミュージアムの一隅にひっそりと佇んでいた。<br>NSU Ro80――。<br>アウディミュージアムのなかで、いや、今回の旅全体を通じて私がもっとも実物を見たかった1台がこれだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>NSU Ro80はロータリーエンジンを搭載した初の本格量産車で、時代に先んじた機構を数々備える傑出した4ドア乗用車だと思う。しかし私のそんな思い入れとは裏腹に、最近ではメディアが取り上げることはほぼ皆無、事実上「忘れ去られた1台」になった感がある。私はこのクルマの実態をもっと知りたいと思ったし、なにより現物を見たかった。長年抱いていたその念願がようやくインゴルシュタットのお膝元で適った。初めて見るNSU Ro80の端正な姿は私の心を揺さぶった。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2-1.jpg" alt="" class="wp-image-53776"/><figcaption class="wp-element-caption">NSU Ro80。全長 x全幅 x全高：4780 x 1760 x 1410mm。ホイールベース：2860mm。空車重量：1251～1292kg。<br>Photo：Audi AG</figcaption></figure>
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<p>今、私はRo80を、ロータリーエンジンを搭載した初の量産車と書いたが、これがデビューしたのは1967年のフランクフルトショーのこと。実はその3年前、1964年のフランクフルトショーにて、NSUはヴァンケルスパイダーというシングルローターの2座席スポーツカーを発表している。だから厳密には2番目のロータリーエンジン車だ。そうではあるが、2ローター ロータリーエンジンを搭載した実用的な4ドア乗用車としては掛け値なしに「世界初」であり、広く世間の注目を集めた点でもRo80の果たした役割は大きい、</p>
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<p>「世界初」の称号も大切だが、私がRo80に惹かれる理由はその外観デザインと、先進機構をズラリと揃えた野心的な設計にある。まずはデザインの話から始めよう。ボディデザインを統括したのは、当時NSUチーフデザイナーの任にあったクラウス ルーテ（Claus Luthe）という人。</p>
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<p>サイドビューを見ると、短めにまとめたエンジンルームに対して、ホイールベース（2860mm）を大きく取っているのがわかる。全長（4780mm）のなかで可能な限り広いキャビンスペースを確保している。リヤドアのシャットラインが後輪ホイールアーチに蹴られていないのも注目で、良好な乗降性を実現した。乗用車で基本とすべき要件を満たしたデザインだ。</p>
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<p>6ライト（片側に3枚並ぶサイドウインドウ）を採用した効用も大きく、明るく開放感溢れる室内をもたらした。さらにこの6ライトは大きなリヤガラスと相まって、斜め方向を含めて優れた後方視界を提供する。</p>
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<p>こうして見ていくと、クラウス ルーテはNSU Ro80で乗用車の理想像を徹底して追求したことがわかる。しかも完成したボディは普遍的でタイムレスな美を湛えている。機能に裏付けられた本質的な自動車美は、デビューから半世紀以上を経た今もその魅力を失っていない。空力面も優秀で、風洞実験を繰り返した結果、０.35というCd値（空気抵抗係数）を実現した。これは当時としては極めて優れた数値だという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>博識なAuto Bild Japanの読者諸氏は、今どきCd値0.3を切る乗用車は珍しくないと反論されるかもしれない。しかしRo80の開発は公式デビューの5年前、今から60余年もまえの1962年に遡ることを思い出して欲しい。それから現代にいたる間に、自動車に関する空気力学は飛躍的な進歩を遂げている。Ro80のCd値０.35は「当時としては」傑出した数字だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>実際、ミュージアムの展示車のキャビン回りを見ると、前後ウインドウを囲むクロームメッキ仕上げのガーニッシュがルーフの前後端と滑らかな連続面を作っているのに気づく。一方、6ライトのサイドウインドウを囲むガーニッシュは雨樋の役割を兼務するが、これまたルーフと完璧な同一面を成している。どれも空気抵抗の低減を目指した、入念な風洞実験の成果だ。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-1.jpg" alt="" class="wp-image-53779"/><figcaption class="wp-element-caption">ウインドウ回りには入念な風洞実験がもたらした空力処理が見られる。アウトストラーダで超高速巡航を敢行した『Motor』誌は、Ro80のスムーズな走行性を「はるかに排気量の大きなV8でも適わない」と絶賛した。</figcaption></figure>
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<p>スタイリングの話はこれくらいにして、そろそろ機構面を見ることにしよう。ロータリーエンジンの実用化に初めて成功したのはフェリックス ヴァンケル（Felix Wankel 1902～1988年）というエンジニアなのはご存じの通り。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ヴァンケル以前にもロータリーエンジンのコンセプトは広く知られていたが、実現不可能と片付けられていた。幼いころから独創的な想像力を発揮する天賦の才能に恵まれたヴァンケルは、機械の世界、とりわけ内燃機関に興味を抱くようになる。17歳のとき、「新しいタイプのエンジンを搭載した自動車を作るんだ」と夢を友人に語ったと言われる。「半分はタービンで、あとの半分は往復運動をするエンジンだ」。長じて後、彼はロータリーエンジンの原型を1924年に考案し、1929年、27歳の若さで最初の特許を取得している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>第二次世界大戦中は、スイスとの国境に近いボーデン湖畔のリンダウ（Lindau）にて研究を進めた。戦後、自身の研究所は連合国側によって解体されるが、1951年からNSUのエンジン製造研究部門と共同で作業を続けることができるようになって、ロータリーエンジンの開発に拍車が掛かる。1954年にNSU向けロータリーエンジンの設計第1号が完成、1957年から翌年にかけてプロトタイプの試験が続き、ついに1964年、初のロータリーエンジン搭載車NSUヴァンケルスパイダーが日の目を見たのだった。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>自動車専門翻訳家がゆくドイツ自動車博物館の旅　その13　滅多にお目にかかれないホルヒ</title>
		<link>https://autobild.jp/53504/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ehara]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Jul 2025 02:50:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[Audi]]></category>
		<category><![CDATA[DKW]]></category>
		<category><![CDATA[DKW F89L Schnellaster]]></category>
		<category><![CDATA[DKW F89L シュネルラスター]]></category>
		<category><![CDATA[アウディ]]></category>
		<category><![CDATA[アウディミュージアム]]></category>
		<category><![CDATA[アウトウニオン1000Sクーペ]]></category>
		<category><![CDATA[フリッツ フィードラー]]></category>
		<category><![CDATA[ホルヒ]]></category>
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					<description><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="794" height="593" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1.jpg 794w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1-300x224.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1-768x574.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 794px) 100vw, 794px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">5日目 2月21日 パート2</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前回のパート1ではホルヒの創業者アウグスト ホルヒを主人公に据えてアウトウニオンが形成され、さらにはアウディがフォルクスワーゲン グループの一員になるまでの経緯をざっと俯瞰した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本稿では私がミュージアムでぜひ実物を見たいと思っていたクルマや、初めて見たモデルを紹介していこうと思う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホルヒはぜひ見たかった。私が知る限り、トヨタ博物館が1937年製ホルヒ 853カブリオレを所蔵しているが、長らくバックヤードに仕舞い込まれたままだ。ホルヒは日本では簡単に目にすることができないブランドなのである。そんなわけで、1937年製ホルヒ853 シュポルト カブリオレと、1932年製670 シュポルト コンバーチブルの実物をこの目で見た嬉しさはひとしおだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パート1で見たようにアウグスト ホルヒは1899年に創業したホルヒ社を1909年に去っている。つまりアウグストが同社に在籍した1909年を最後に、ホルヒ社は設計の中枢となる人物を失ったことになる。それにもかかわらず、このブランドが高く評価される製品を世に送り出すことができたのはなぜだろう。事実、メルセデスベンツやマイバッハと並び評される、ドイツを代表する高級車ブランドとしての名声は今も健在なのだ。その答えを求めていろいろな文献に当たった私は、フリッツ フィードラーという名前の技術者に行き着いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この名前、BMWの稿でも紹介している。例の328スポーツカーを設計したのがフィードラーだった。彼は1924年にホルヒに入社、同社がアウトウニオンの一員になる1932年に辞するまで、チーフエンジニアの立場から8気筒や12気筒モデルの設計の主導役を勤めた。高品質な高級車メーカーとして、ホルヒの名声を確たるものにした立役者の一人がフリッツ フィードラーだった。彼はホルヒを離れたあとBMWに移籍、ここでも大いに活躍する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53506,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1.jpg" alt="" class="wp-image-53506"/><figcaption class="wp-element-caption">1937年製ホルヒ853 シュポルト カブリオレ。直列8気筒、排気量4911cc。最高出力：120hp/3600rpm。最高速度：135km/h。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホルヒ853シュポルト カブリオレは、威風堂々たる体躯をアウディミュージアムの特等席に鎮座させていた。周囲をがっちりプラスチック板で囲まれており、近づくことさえできないが、他車とは一線を画するオーラをはっきり感じ取れた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>5リッター直列8気筒エンジンは100hp/3400 rpm (1937年以降は120hp/ 3600 rpmにチューンされた)を生み出し、最高速135 km/hを誇った。ちなみに燃費は100km当たり約25リッター、つまり4km/リッター（！）だったから、容量95リッターの燃料タンクをもってしてもその航続距離は計算上380kmに過ぎない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53727,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2.jpg" alt="" class="wp-image-53727"/><figcaption class="wp-element-caption">アウトバーン上のガソリンステーションで給油するホルヒ853シュポルト カブリオレ。<br>Photo: Audi AG</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>そんなわけで、アウトバーンを高速巡航するホルヒ853シュポルト カブリオレは頻繁な給油ストップを要した。写真は1930年代終盤に撮影された1枚。1929年に起こった世界大恐慌の影響はこの頃のドイツ経済になお色濃い影響を及ぼし、本来のガソリンにベンジンを混ぜた燃料を用いていた。なお、シュポルト カブリオレは1935～1940年の製造期間中に1024台が製作されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53508,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53508"/><figcaption class="wp-element-caption">1932年製ホルヒ670 シュポルト コンバーチブル。生産年 : 1931～1934年。総生産台数 : 58台<br>V12エンジン。排気量 : 6021cc。最高出力 : 120hp / 3200rpm。最高速度 : 139km/h。燃料消費量 : 9mpg (約3.2km/リッター)。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ヘルマン アーレンという人物がデザインしたホルヒ670 シュポルト コンバーチブルは、世界的な経済危機の中、1931年秋のパリサロンにてデビューを果たした。チーフエンジニアのフリッツ フィードラーはこのモデルで、従来のV8からV12エンジンへの移行を敢行する。すでにライバルのマイバッハは1930年のDS8ツェッペリンでV12モデルを発表しており、ホルヒがヨーロッパのラグジュアリーカーセグメントでリーダーの立場を保持するには、多気筒化は避けて通れない選択だった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フィードラーの製図板から生まれたV12エンジンのバンク角は66度。6リッターの排気量から120hpの最高出力を生み出した。フィードラーはこのV12に当時最先端のテクノロジーを駆使した。7個のベアリングが支持し、12個のバランスウェイトを備えるクランクシャフトはその一例。とりわけ油圧を用いたバルブクリアランスの自動調整機能は時代に先んじた技術で、フィードラーの面目躍如たるところだった。しかも振動を抑制するダンパーを備えて、ホルヒの名に相応しいスムーズな走行性の実現に万全を期している。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>トランスミッションは一部がシンクロ化された4速マニュアルで、センタートンネルに位置するシフトレバーで変速する。ボディ外側のレバーで操作するか、長いロッドを介したコラムシフトが大半だった当時、フロアシフトは珍しかった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4.jpg" alt="" class="wp-image-53509"/><figcaption class="wp-element-caption">ホルヒ670シュポルト コンバーチブルの写真をもう1枚掲げる。バンク角66度の6リッターV12は120hpの最高出力を生み出した。<br>Photo: Audi AG</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>フィードラー渾身の力作エンジンを搭載したホルヒ670だったが、いかんせんデビューのタイミングが悪かった。1929年、アメリカの株価暴落に端を発する世界大恐慌のあおりを受けて、このホルヒは高価な希少品のまま終わる。コンバーチブル仕様の生産台数は58台、それ以外にこの12気筒エンジンを積んだタイプ600プルマン サルーンが20台生産されたに留まる。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホルヒの話が長くつづいたので、そろそろ話題を変えよう。以降、アウディミュージアムで初めて見たなかから印象に残ったモデルを3台紹介したい。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":53510,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53510 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>1960年 アウトウニオン1000Sクーペ。ボディ形式は2ドアハードトップ。写真では見えないが、リヤウインドウは3枚の曲面ガラスから成るラップラウンドタイプだ。</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>1960年に登場したアウトウニオン1000Sクーペの源を辿ると、1953年発表のDKWゾンダークラッセ（Sonderklasse：特別クラス）に行き着く。34hpを生み出す900cc 2ストローク直列3気筒エンジンを搭載したFWD車だった。その後、DKWは、2ストローク直列3気筒のパワーとスムーズネスは4ストローク6気筒に匹敵するとセールストークで謳い、1955年からモデル名を「3＝6」に改めている。1957年にはエンジンを44hpの980ccに拡大、130km/hに向上したモデルを発表、これにはDKWではなくアウトウニオン1000クーペ デラックスと名づけた。さらに1960 年には50hpの強化版を発表、これがミュージアムで見たアウトウニオン1000Sクーペだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53515,"sizeSlug":"large","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/プレゼンテーション1-1024x486.jpg" alt="" class="wp-image-53515"/><figcaption class="wp-element-caption">1949年 DKW F89L シュネルラスター (Schnellaster)</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>右の写真は「F89Lはこんな使い方もできます」というデモストレーションで、コーヒー豆の移動販売車を想定している。実際には小規模な工事などの用途に重用されたようだ。（右の写真はアウディミュージアム館内で配布している資料を撮影しました。）</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>DKW F89Lは2ストロークエンジンを搭載したFWDのデリバリーバンで、1949年、ハノーバーのスプリングフェスティバルにて一般公開された。「Schnellaster（＝ファスト デリバリーバン）の別名で親しまれたF89Lは、第二次世界大戦によって荒廃したドイツの道路事情にあって、フットワークのよさを活かした理想的な輸送手段になった。高い耐久性もF89Lの美点で、様々な用途に用いられ、1951年末までに1万1504台が製造された。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>2ストロークエンジンは登場当初は700ccの2気筒で20hpだったが、1952年には22hpに強化され、1955年に32hpを生み出す3気筒に換装されている。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:media-text {"mediaId":53513,"mediaType":"image"} -->
<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53513 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>1959年 DKW ユニオア（Junior）</p>
<!-- /wp:paragraph --></div></div>
<!-- /wp:media-text -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>DKW ユニオアの前身は1957年3月のフランクフルトショーにてデビューしたDKW 600だった。DKW 600は当初から好評をもって迎えられ、1959年にモデル名をユニオアに変えて本格的な大量生産に移る。3気筒2ストロークエンジンは741 ccの排気量から34 hpを発揮。4速トランスミッションを介して前輪を駆動した。1961年当時の価格は4790マルクだったが、市場をリードするフォルクスワーゲン ビートルより室内空間も荷物スペースも広いのが利点だった。しかも空冷エンジンのVWより効率よく室内が暖まるので、ユニオアの顧客は大抵160マルクを払ってオプションのヒーターを注文したという。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
<!-- /wp:paragraph -->]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="post_thumbnail"><img width="794" height="593" src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1.jpg" class="attachment-post-thumbnail size-post-thumbnail wp-post-image" alt="" decoding="async" loading="lazy" srcset="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1.jpg 794w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1-300x224.jpg 300w, https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5_1-768x574.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 794px) 100vw, 794px" /></div><!-- wp:heading {"level":3} -->
<h3 class="wp-block-heading">5日目 2月21日 パート2</h3>
<!-- /wp:heading -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>前回のパート1ではホルヒの創業者アウグスト ホルヒを主人公に据えてアウトウニオンが形成され、さらにはアウディがフォルクスワーゲン グループの一員になるまでの経緯をざっと俯瞰した。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>本稿では私がミュージアムでぜひ実物を見たいと思っていたクルマや、初めて見たモデルを紹介していこうと思う。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホルヒはぜひ見たかった。私が知る限り、トヨタ博物館が1937年製ホルヒ 853カブリオレを所蔵しているが、長らくバックヤードに仕舞い込まれたままだ。ホルヒは日本では簡単に目にすることができないブランドなのである。そんなわけで、1937年製ホルヒ853 シュポルト カブリオレと、1932年製670 シュポルト コンバーチブルの実物をこの目で見た嬉しさはひとしおだった。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>パート1で見たようにアウグスト ホルヒは1899年に創業したホルヒ社を1909年に去っている。つまりアウグストが同社に在籍した1909年を最後に、ホルヒ社は設計の中枢となる人物を失ったことになる。それにもかかわらず、このブランドが高く評価される製品を世に送り出すことができたのはなぜだろう。事実、メルセデスベンツやマイバッハと並び評される、ドイツを代表する高級車ブランドとしての名声は今も健在なのだ。その答えを求めていろいろな文献に当たった私は、フリッツ フィードラーという名前の技術者に行き着いた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>この名前、BMWの稿でも紹介している。例の328スポーツカーを設計したのがフィードラーだった。彼は1924年にホルヒに入社、同社がアウトウニオンの一員になる1932年に辞するまで、チーフエンジニアの立場から8気筒や12気筒モデルの設計の主導役を勤めた。高品質な高級車メーカーとして、ホルヒの名声を確たるものにした立役者の一人がフリッツ フィードラーだった。彼はホルヒを離れたあとBMWに移籍、ここでも大いに活躍する。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:image {"id":53506,"sizeSlug":"full","linkDestination":"none"} -->
<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/1.jpg" alt="" class="wp-image-53506"/><figcaption class="wp-element-caption">1937年製ホルヒ853 シュポルト カブリオレ。直列8気筒、排気量4911cc。最高出力：120hp/3600rpm。最高速度：135km/h。</figcaption></figure>
<!-- /wp:image -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>ホルヒ853シュポルト カブリオレは、威風堂々たる体躯をアウディミュージアムの特等席に鎮座させていた。周囲をがっちりプラスチック板で囲まれており、近づくことさえできないが、他車とは一線を画するオーラをはっきり感じ取れた。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

<!-- wp:paragraph -->
<p>5リッター直列8気筒エンジンは100hp/3400 rpm (1937年以降は120hp/ 3600 rpmにチューンされた)を生み出し、最高速135 km/hを誇った。ちなみに燃費は100km当たり約25リッター、つまり4km/リッター（！）だったから、容量95リッターの燃料タンクをもってしてもその航続距離は計算上380kmに過ぎない。</p>
<!-- /wp:paragraph -->

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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/2.jpg" alt="" class="wp-image-53727"/><figcaption class="wp-element-caption">アウトバーン上のガソリンステーションで給油するホルヒ853シュポルト カブリオレ。<br>Photo: Audi AG</figcaption></figure>
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<p>そんなわけで、アウトバーンを高速巡航するホルヒ853シュポルト カブリオレは頻繁な給油ストップを要した。写真は1930年代終盤に撮影された1枚。1929年に起こった世界大恐慌の影響はこの頃のドイツ経済になお色濃い影響を及ぼし、本来のガソリンにベンジンを混ぜた燃料を用いていた。なお、シュポルト カブリオレは1935～1940年の製造期間中に1024台が製作されている。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/3-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53508"/><figcaption class="wp-element-caption">1932年製ホルヒ670 シュポルト コンバーチブル。生産年 : 1931～1934年。総生産台数 : 58台<br>V12エンジン。排気量 : 6021cc。最高出力 : 120hp / 3200rpm。最高速度 : 139km/h。燃料消費量 : 9mpg (約3.2km/リッター)。</figcaption></figure>
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<p>ヘルマン アーレンという人物がデザインしたホルヒ670 シュポルト コンバーチブルは、世界的な経済危機の中、1931年秋のパリサロンにてデビューを果たした。チーフエンジニアのフリッツ フィードラーはこのモデルで、従来のV8からV12エンジンへの移行を敢行する。すでにライバルのマイバッハは1930年のDS8ツェッペリンでV12モデルを発表しており、ホルヒがヨーロッパのラグジュアリーカーセグメントでリーダーの立場を保持するには、多気筒化は避けて通れない選択だった。</p>
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<p>フィードラーの製図板から生まれたV12エンジンのバンク角は66度。6リッターの排気量から120hpの最高出力を生み出した。フィードラーはこのV12に当時最先端のテクノロジーを駆使した。7個のベアリングが支持し、12個のバランスウェイトを備えるクランクシャフトはその一例。とりわけ油圧を用いたバルブクリアランスの自動調整機能は時代に先んじた技術で、フィードラーの面目躍如たるところだった。しかも振動を抑制するダンパーを備えて、ホルヒの名に相応しいスムーズな走行性の実現に万全を期している。</p>
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<p>トランスミッションは一部がシンクロ化された4速マニュアルで、センタートンネルに位置するシフトレバーで変速する。ボディ外側のレバーで操作するか、長いロッドを介したコラムシフトが大半だった当時、フロアシフトは珍しかった。</p>
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<figure class="wp-block-image size-full"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/4.jpg" alt="" class="wp-image-53509"/><figcaption class="wp-element-caption">ホルヒ670シュポルト コンバーチブルの写真をもう1枚掲げる。バンク角66度の6リッターV12は120hpの最高出力を生み出した。<br>Photo: Audi AG</figcaption></figure>
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<p>フィードラー渾身の力作エンジンを搭載したホルヒ670だったが、いかんせんデビューのタイミングが悪かった。1929年、アメリカの株価暴落に端を発する世界大恐慌のあおりを受けて、このホルヒは高価な希少品のまま終わる。コンバーチブル仕様の生産台数は58台、それ以外にこの12気筒エンジンを積んだタイプ600プルマン サルーンが20台生産されたに留まる。</p>
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<p>ホルヒの話が長くつづいたので、そろそろ話題を変えよう。以降、アウディミュージアムで初めて見たなかから印象に残ったモデルを3台紹介したい。</p>
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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/5-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53510 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>1960年 アウトウニオン1000Sクーペ。ボディ形式は2ドアハードトップ。写真では見えないが、リヤウインドウは3枚の曲面ガラスから成るラップラウンドタイプだ。</p>
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<p>1960年に登場したアウトウニオン1000Sクーペの源を辿ると、1953年発表のDKWゾンダークラッセ（Sonderklasse：特別クラス）に行き着く。34hpを生み出す900cc 2ストローク直列3気筒エンジンを搭載したFWD車だった。その後、DKWは、2ストローク直列3気筒のパワーとスムーズネスは4ストローク6気筒に匹敵するとセールストークで謳い、1955年からモデル名を「3＝6」に改めている。1957年にはエンジンを44hpの980ccに拡大、130km/hに向上したモデルを発表、これにはDKWではなくアウトウニオン1000クーペ デラックスと名づけた。さらに1960 年には50hpの強化版を発表、これがミュージアムで見たアウトウニオン1000Sクーペだった。</p>
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<figure class="wp-block-image size-large"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/プレゼンテーション1-1024x486.jpg" alt="" class="wp-image-53515"/><figcaption class="wp-element-caption">1949年 DKW F89L シュネルラスター (Schnellaster)</figcaption></figure>
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<p>右の写真は「F89Lはこんな使い方もできます」というデモストレーションで、コーヒー豆の移動販売車を想定している。実際には小規模な工事などの用途に重用されたようだ。（右の写真はアウディミュージアム館内で配布している資料を撮影しました。）</p>
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<p>DKW F89Lは2ストロークエンジンを搭載したFWDのデリバリーバンで、1949年、ハノーバーのスプリングフェスティバルにて一般公開された。「Schnellaster（＝ファスト デリバリーバン）の別名で親しまれたF89Lは、第二次世界大戦によって荒廃したドイツの道路事情にあって、フットワークのよさを活かした理想的な輸送手段になった。高い耐久性もF89Lの美点で、様々な用途に用いられ、1951年末までに1万1504台が製造された。</p>
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<p>2ストロークエンジンは登場当初は700ccの2気筒で20hpだったが、1952年には22hpに強化され、1955年に32hpを生み出す3気筒に換装されている。</p>
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<div class="wp-block-media-text is-stacked-on-mobile"><figure class="wp-block-media-text__media"><img src="https://autobild.jp/media/wp-content/uploads/2025/07/8-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-53513 size-full"/></figure><div class="wp-block-media-text__content"><!-- wp:paragraph {"placeholder":"コンテンツ…"} -->
<p>1959年 DKW ユニオア（Junior）</p>
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<p>DKW ユニオアの前身は1957年3月のフランクフルトショーにてデビューしたDKW 600だった。DKW 600は当初から好評をもって迎えられ、1959年にモデル名をユニオアに変えて本格的な大量生産に移る。3気筒2ストロークエンジンは741 ccの排気量から34 hpを発揮。4速トランスミッションを介して前輪を駆動した。1961年当時の価格は4790マルクだったが、市場をリードするフォルクスワーゲン ビートルより室内空間も荷物スペースも広いのが利点だった。しかも空冷エンジンのVWより効率よく室内が暖まるので、ユニオアの顧客は大抵160マルクを払ってオプションのヒーターを注文したという。</p>
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<p>Text：相原俊樹<br>Photo：相原俊樹ほか</p>
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<p><strong>【筆者の紹介】<br>相原俊樹：自動車専門の翻訳家・著述家。月刊の自動車専門誌向けに海外のロードインプレッションや新車情報などを翻訳。自動車関連の翻訳書多数。現在の愛車はポルシェ・ボクスター。趣味は60年代のカンツォーネと藤沢周平の時代小説。</strong></p>
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