見たこともない、クルマがいっぱい!Part2

158

グッドウッド フェスティバルオブスピード2019ドリームクラシック

これらのクラシックアートを見たことありますか?
世界でも最も美しい歴代の名車たちが、英南部グッドウッドのマーチ伯爵邸のすぐ後ろにあるイングリッシュガーデンの上に勢ぞろい。
無粋なロープや柵なども一切なく、自由に名車たちのそばで時間を満喫できる喜び。これこそが成熟されたイベントの姿であり、大人の世界なのである。

イソ グリフォ7リッターCan Am(1968)
当時の最速車(297km/h)は、フェラーリの元チーフエンジニアであったジオット ビッザリーニによって開発された。シボレー コルベットの7リッターV8、435馬力エンジンを搭載していた従来までのモデルに変わるのが、このCan Amだが、実は従来モデルほどの速さは持ちあわせていなかった、と言われている。

シトロエンM35(1970)
アヒル(2CV)をベースにした実験的車両で、50hpヴァンケルエンジンを搭載。ハイドロニューマティックシステムを備えていた。ボディそのものも2ドアのためのまったくの専用ボディだが、それでもなんとなくフランスっぽいのがおかしい。数年前にこの車そのものの試乗レポート記事を読んだが、(当たり前のことだが)維持していくためには、あまりにパーツがないので、ものすごく苦労するという。

フェラーリ365GTB/4デイトナ(1970)
美しい。1968年のパリサロンで発表されたピニンファリーナのデザインは、今日に至るまで時代を超越したモデルとして高い評価を受けている。フロントダブルヘッドライトはプレクシガラスカバーの後ろに装着されている。1970年秋以降、それらは折りたたみ式ヘッドライトに置き換えられた。
50歳前後の方々には、ドン ジョンソンが「マイアミバイス」で乗り回している姿が脳裏に焼き付いているはずだ(もっともあれは、レプリカモデルであったが)。うしろで笑顔満面のおっさんも、そんな時代を知るはずの、きっと同世代であろう。

マセラティ ギブリ4.9SS(1972)
この2+2 GTは1967年から生産を開始したモデルの1966年トリノサロンに出展されたプロトタイプだった。1969年、ギブリは4.9リッターのエンジンと最高速度280km/hとで、史上最速のマセラティとなった。
2020年の今日でも、ギブリは昔の名前で、4ドアセダンとして売られているが、そもそもはリビアの高地から地中海方向に吹く風のことであり、スタジオジブリの「ジブリ」の由来ともなっている。

モンテヴェルディ375L (1972)
このGTは、スイスのペーター モンテヴェルディによって製造された。V8エンジンはクライスラー製、ボディはイタリアのデザイナー、ピエトロ フルアがデザインした。
モンテヴェルディは1967年から1982年までバーゼルに存在した高級車メーカーであり、この375のほかにもメルセデス ベンツSクラス(W126 )をベースにした高級セダン「ティアラ」や、レンジローバーをベースにした「サファリ」などがあったが、正直言って私のような一般人には、どこが格好いいのかわからず、ベースモデルの方が100倍魅力的なデザインに思えて仕方がなかった。日本にも少数がイースタンモータース(当時)を通して輸入されている。

おぼえているだろうか、このクルマ。ライトカーカンパニー ロケット(1993)だ。ゴードン マーレイ(マクラーレンF1を開発)がこのロケットを作成した。400kgのクルマにボディに145馬力!
編集部注: 日本の自動車専門誌である「カーグラフィック」ではこのロケットを輸入し、苦心惨憺した後ナンバーを所得し、長期テストを行っていたことがある。その他にも日本には7台程度のロケットが現存しているという。

デ トマゾ グアラ スパイダー(1994/1999)
1991年マセラティ バルケッタ ストラダーレをベースに作られた。もとになった(といっていいのかどうか)グアラ クーペはデ トマゾ社が解散するまでの間に50台程度が生産されたそうだが、さすがにここまで行ってしまうとベースモデルは何なのか想像もつかない。一応、グアラ(クーペ)のエンジンはBMW のV8 4リッター(前期モデル)か、フォード製V8 4.6リッタースーパーチャージャー付(後期モデル)とのこと。

楽しいドリームクラシックの1台、キャデラック エルドラド コンヴァーティブル(1953)
当時のGM巡回モーターショー「モトラマ」で発表された一台で、当時もっともハイエンドな自動車の一台であった。このクロームの輝きと、機関車のようなボンネット形状とエンブレム。まごうかたなき、輝かしい時代のアメリカ車といえる。

ポルシェ550スパイダー(1955)
映画スターのジェームス ディーンは1955年、映画『ジャイアンツ』の撮影から一週間後、カリフォルニア州サリナスで行われるレースに出場するため、納車間もない車を慣らし運転中、大学生の運転するフォードと衝突し、帰らぬ人となった。車名の550とは、車両重量である550kg意味する、と解説するのは釈迦に説法だろうか。

ポルシェ356Pre-Aスピードスター(1955)
プリ(Pre)、とつく356は最初期の、という意味。大雑把に言えば、フロントウインドーが中央で折れ曲がっているのが判別方法のしやすい部分。最近は値段も高騰し、2000万円近くすることも珍しくない。(が、グッドウッドではあまり興味をひいていないらしく、この写真ではお客さん全員が、そっぽをむいている)。

ポルシェ356Aスピードスター(1956)
この赤い356はプリの次のAというモデル。もちろんAとはいろいろ違うが(笑)、フロントウインドー(一体でカーブが強い)、フロントウインカー(とホーングリル)の形状、さらにポルシェ クレストが装備されるようになったフロントリッドハンドル、などが際立った判別部分。

ポルシェ356AカレラGS/GTスピードスター(1957)
356でもGSとつく4カムモデルは別格の存在。見た目はほとんど一緒ながら、GSは昨今では1億円近い価格がつくことも多い。といっても愛好家でない限り一瞬でこれが4カムのGSという判別は難しく、そういったところも実にドイツ的で控えめなのである。

スイスのコーチビルダー、エンズマンの手による、エンズマン‐ポルシェ506スパイダー(1957)
正直これが格好いいかと言われると答えに困るし、幌の形状のほかにも、Aピラー(?)の形状、エアダクトの処理などなど、どことなくアンバランス感が漂う。まあいつの世にも、こういう変わった形の動物とか、珍魚みたいなものを尊重し偏愛する人というのはいるから、これはこれでよいのかもしれないが。

キャデラック エルドラド ビアリッツ コンヴァーティブル(1959)
飛行機になりたくて、なりたくて、大きな羽(テールフィン)を身につけた時代のキャディー。このクロームと長大なテールフィンこそ、当時の富と豊かさの象徴なのだ! ホワイトリボンタイヤと、なんとも上品なツートンカラーが実にマッチングしている。

クライスラー300Eコンヴァーティブル(1960)
飛行機になりたかったのはクライスラーも同じだが、こちらのテールフィンはちょっと控えめ。それでもライバルとの違いを醸し出すために、クロームの入れ方やそこにつけられたエンブレムなどに、当時のデザイナーの心意気を感じる。

キャデラック シリーズ62 (1961)
車の全長の半分がテールフィンのためにあるかのような、1961年型キャディー。実際真横から見るとフロント部よりもリア部分を重点として(視線がそちらに行くように)流れを作った造形であることがわかる。日本の標準的なコインパーキングにバックで駐車した場合、ドアの半分より前側がはみ出る計算となる。

フェラーリ365カリフォルニア(1967)
黄色いフォグランプランプがスパイスを演出している365カリフォルニア。格子状のフロントグリルの形状も、跳ね馬の大きさも控えめで美しい。現在のカリフォルニアはもちろんこのモデルが元ネタ、であり、いずれも裕福な愛好家が(比較的)気楽に温暖な気候の街を流すための自動車であろう。

アストンマーティンDBS V8 (1971)
映画『女王陛下の007』で、ジョージ レーゼンビー演じる、二代目ジェームス ボンドのボンドカーとなったのがこのDBS。残念ながらDB5と比べると地味なデザイン(フロントグリルなどが最たるもの)であることは事実で、それは1作品で降板してしまったジョージ レーゼンビーの姿と妙にだぶってしまうのである。

ジャガーXJ220(1992/1993)
XJ220の220とは、最高速度220マイル、つまり356km/hを意味する。(実際に計測したところ、若干そこに届かず216マイル、だったそうではあるが)。当初220台が限定生産されるはずであったが、好景気だったため350台に上方修正された。しかし好景気が去り、不況となってしまったので結局総生産台数は281台にとどまった。

アストンマーティンDB7 (1994)
上品なワインレッドもこの場所に置かれると、一般の来場者の一台とみられてしまいかねない。せっかくのアストンマーティンなのに…。

ブガッティEB110SS(1994)
当時、復活ブガッティとして華々しくパリのシャンゼリーゼで発表されたEB110の高性能モデルSS。
編集部注: 通常のモデルよりもサスペンションセッティングなどもハードだったそうで、当時オーナーであった故式場壮吉氏いわく、「もりそばを、つゆつけずにやせ我慢してオイシイって食べてるみたい」だったそうだ。

マクラーレンF1(1995)
今でも、そして今後も、歴史上もっとも特別なスーパーカーの一台、と言われているマクラーレンF1。おそらく市販されたマクラーレン史上でも、燦燦たる輝きを放ち続けるであろうことは間違いない(今後、どんなマクラーレンが市販されたとしても、それはもう絶対、である)。デザイナーはもちろんゴードン マーレー。ウォッシャーキャップや搭載された標準装備の工具まで、特殊合金製。

天下のボンドカーDB5もシューティングブレークになると超ダサくなる? と思うのは私だけだろうか。だが、きっとこれでなくてよかったと、ショーン コネリーも思っていることだろう。グッドウッド2017に出展された1台。アストンマーティンが顧客の要求に応じて作った特別なモデルは、コレクター垂涎の高価なモデルだ。その1台がこの1965年のDB5ラドフォード シューティングブレークだ。これは、オーナーがクーペではポロの道具、狩猟犬、武器などを収容できなかったために作らせたものだ。12台のDB5シューティングブレークが作られた。

この手のシューティングブレークを、当時の富豪はカロッツェリアに自分の好きな車種を持ち込んで製作させていた時代があり、メルセデスSクラスや、ジャガーXJなどのシューティングブレークを写真で見たことがある。例外なくどれもオリジナルの方がバランスはとれてはいたが…。

この美しいロードスターは、1948年のアストンマーティンDB1 2リッター スポーツをベースに1950年に製造された。アストンマーティンのパフォーマンスモデルのイニシャル“DB”の元となった、元トラクターメーカーのデイヴィッド ブラウンは、第二次世界大戦中に開発されたアストンマーティン アトム4ドアのプロトタイプをベースにDB1を生み出した。このオープンスポーツカーは15台のみ作成された。

わずか3年後、トリノのベルトーネはこのアストンマーティンDB2/4をアーノルト ベルトーネ スパイダーに生まれ変わらせた。フランコ スカリオーネによってデザインされたモデルは、米国に輸出され、米国の産業家であり自動車ディーラーでもあったS.H.アーノルトによって販売された。アーノルトは夢のスパイダーを完成させ、合計3台のコンヴァーティブルと3台のスパイダーを作成した。ナンバープレートがついていないことから考えると、これはどこかに飾られている一台かもしれない。

これまた希少なDB4ザガートだ。1961年、ザガートはこのアストンマーティンDB4 GTザガートを作った。スムーズに流れるフード、プレクシガラスで覆われたヘッドライト、または後輪のフレアホイールアーチなど、魅力的なエクステリアデザインを身にまとっている。この車は、美しくカットされたウィンドーを備えた丸いリアボディを含み、細部までそのデザイン言語を明確にしている。そしてまごうかたなきアストンマーティンらしさにあふれる、これぞ夢のアストンマーティンだ!この1台は歴史的なカリフォルニアのプレートナンバーを装着していることに注意。上品なボディーカラーがなんとも美しい。
それにしても周囲に一切の、無粋な柵などないことが素晴らしい、これぞエチケットとマナーを備えた大人の熟成されたイベントの証拠である。

これまた珍しいアストンだが、これはアストンマーティンに間違いない。
1972年アストンマーティンDBS V8オグル“サザビー スペシャル”。同年のモントリオールオートショーのために作られた。ドライバーのブレーキ踏力に応じてテールライトの明るさが変化するというダイナミックブレーキライトをはじめ、当時としてはハイテクの(そして、なかなか良いアイディアとも思われる)いくつかの新しいデザイン要素を備えていたのが特徴だ。まあリアデザインなどは、美しいかと聞かれたら返答に困るが…。

なんじゃこりゃ? 正解はフェルヴェス レンジャー。1966年から1971年の間に、フィアット500エンジンを搭載したこのフィアット500ベースの商用車は約600台製造された。全輪駆動のバリエーションもあった!
編集部注: 日本にも現在、数台が生息しているといわれ、ここ数年はイベントなどで目撃されることもある。またミニカーなども「ちゃんと」発売されており、なかなかの人気者なのである。それにしてもこのホールベースの長さでは直進安定性が思いやられる。

ゴルフカート、ではない。フィアット500をベースにしたビーチカー、ギア フィアット500ジョリーだ。フィアット500からは、600やムルティプラなど、合計700台のバリエーションやクローンが作成されたと言われており、人気があるだけでなく、今や息をのむほど高価だ。ユル ブリンナーを始め多くのセレブやチリの大統領らに愛用された。主とした使用方法は、名前の通りニースやカンヌあたりの高台にある別荘から、もよりのビーチに遊びに行ったりするためのもの。500ジョリーは間違いなく贅沢なモビリティだ。助手席前の繊細なアシストグリップや、クロームの使い方などもなんともおしゃれ。

昆虫?それともカエル?もう1台のフィアット500クローンは、カエルのような緑のビーチランナバウト、フィアット500ザンザーラ ザガートだ。 ザガートのデザイナーがスタディとしてこの2ドアを作ったが、残念なことにプロトタイプの体をなしていなかった。イタリア語で蚊を意味する450ポンドのザンザーラは、1969年にトリノで開催されたオートショーで一躍スターとなったが、生産はされず、ワンオフに終わった。当時のヨーロッパとは、このような自動車が自由に生息できる、良い時代だったのである。

1959年から1963年の間に、NSUはフィアット500を2ドアの高級仕様車、ネッカー ヴァインベルク クーペに改良した。「リムジンサルーン」とクーペヴァージョンで、合計3840台が製作された。折り畳み式のルーフがあり、フィアット1100のより大きなテールライトが備わっている。デザイン優先のエレガントなパノラマリアウィンドーのせいで、子供しかリアシートに座ることができなかったが、洒落た塗分けのツートンカラーが高級でパーソナルな雰囲気を醸し出している。る。

コンパクトなボディにずいぶんと立派なグリル(笑)。 高級車デザインハウスのヴィニャーレでさえ、フィアット500を活用し、それをベースに、とてもかわいいロードスター、フィアット500ガミン ヴィニャーレを作り上げた(ということは、立派なグリルはもちろんダミー)。しかし販売の低迷により、カロッツェリア ヴィニャーレはガミン ヴィニャーレの製作をあきらめ、組立ラインをデ トマゾへの譲渡することを余儀なくされた。21psというわずかなパワーしか持ち合わせない高価な2シーターを、当時購入できた人はごくごく少なかった。

マーチ伯爵の高級な館のすぐそばに置かれていたカムシン。エジプトの砂漠の風にちなんで名付けられたマセラティ カムシンは、435台のみ製作された。これはマセラティのためにベルトーネがデザインした最初の作品だ。鋭くカットされたエッジは、デザイナーが手書きしたものだが、前衛的なフォルムである。カムシンは、ブランドがシトロエンに属していたときに作成されたため、シトロエンSMの技術が活用されており、ブレーキ、クラッチ、リトラクタブルヘッドライト、パワーステアリング、シートなどを油圧で作動させたが、なんとも故障が多く、信頼性が著しく低かった。

マセラティ ギブリ4.9SSは、ミストラルに次ぐ2番目のモデルである1970年代のモデルで、マセラティのネーミングの伝統に従ってエキゾチックな風にちなんで命名された。写真のクーペボディの他に、スパイダーもあったが、両モデルとも1500㎏程度の車重に収まっていた。ジョルジェット ジウジアーロがデザインしたフォールディング ヘッドライトを備えたボディには、330hpのV8が搭載されており、これによりギブリは最高速度280 km/hを発揮した。1970年代に!アルミホイールのデザインも、なんともレトロで格好良い。

1953年のマセラティA6GCSピニン ファリーナ ベルリネッタも希少価値のあるモデルと言える。マセラティ兄弟によってデザインされた直列6気筒2リッターのエンジンで駆動されるモデルは6台のみが製造された。当時のピニン ファリーナらしさが染み出ているデザインだ。ワイヤースポークのホイールもなんとも美しい。

フェラーリ288GTOでさえ、ここではただの展示車両の1台に過ぎない?ましてやF40なんて、もはや珍しくもなんとも…。クルマ好きにとって、グッドウッド フェスティバルオブスピードは天国、いや文字通り夢の世界だ。

Texts: Matthias Brügge, Peter R. Fischer
Photos: Peter R. Fischer

Part1はこちら